関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・{東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
国際司法機関から時効無き永久戦争犯罪国家と断罪されるくらいなら、食糧を諦めて約2,000万人を餓死させた方が良かった。
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南方の食糧を支配するユダヤ人と華僑。
日本を追い詰めた日米和平交渉。
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国家の安全保障を保証するのは、「国防」「エネルギー」「食糧」の三つであった。
日本は、全ての物を外国に依存し、その大半がアメリカからの輸入に頼っていた。
国防には、アメリカから輸入するくず鉄やゴムなどの戦略物資が欠かせなかった。
エネルギーは、石油で、これもアメリカから輸入していた。
食糧は、アメリカ系商社が支配する仏印から不足分の米を輸入していた。
アメリカは、日本と戦争する為に、日本が必要とする全ての物を遮断した。
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日本国憲法「平和をあいする諸国民の公正と信義に信頼し、我らの安全と生存を保持しようという決意した」
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広島の平和記念公園の慰霊碑「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませんから」
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天照大神の神勅
『斎庭の穂の神勅』「吾が高天原の所御(きこしめす)す斎庭(ゆにわ)の稲穂を以て、亦吾が兒(みこ)に御(まか)せまつる」
現代語訳「わが高天原につくっている神に捧げる稲を育てる田んぼの稲穂をわが子にまかせよう」
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古事記と日本書紀による、日本神話・天皇中心神話としての稲神話。
神の裔・万世一系の男系天皇(直系長子相続)における天孫降臨神話。
天壌無窮の神勅による、祭祀王・天皇の神事としての田植え。
五穀豊穣を守る為の、現人神・天皇を中心とした国體の護持。
天皇による日本中心神話では、日本人は天皇の神から稲を授かり、米を栽培し、ご飯を食べて生きると教えていた。
軍国主義に於ける、皇国史観である。
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瑞穂の国と唱われた日本は、爆発的人口増加で食糧自給率が低下した上に、度重なる異常気象で不作が続き食糧輸入国に転落した。
島国日本は、資源がないと共に食糧も不足して、生き残る為に海外依存度を増した。
列強の主力産業との摩擦を避ける為に非基幹産業を育て、オリジナルの日本製品を売って外貨を稼ぎ、薄利多売で得たドル貨・ポンド貨で欧米植民地から食糧と石油と原材料を購入した。
日本は、国家の責任として、国民を餓死させない様にあらゆる手段を講じていた。
飲まず食わずの苦労の甲斐あって、深刻な食糧難に陥っても一人の餓死者も出さなかった。
反日国際勢力は、日本を国際市場から閉め出す為に、日本製品のボイコットや日本への不買運動といった経済封鎖は行った。
経済制裁は、買わないから売らないに変わった。
外貨の凍結によって、国は干上がり、大半の国は崩壊した。
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キリスト教では、「人はパンのみで生きるのではない」と教えている。
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アール・バッツ「食糧は兵器だ。今や交渉の道具箱の必須ツールになっている」(タイム紙)
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オリバー・リットルトン(イギリス軍需生産大臣)「アメリカが戦争に追い込まれたというのは、歴史上の狂言である。アメリカが日本を追い込んだのだ。日本が、パール・ハーバーを攻撃せざるを得ないまでにアメリカが強圧したのである」
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司馬遼太郎「(『耕して天に至る』)瀬戸内海の島の頂上まで耕されているのを見て、そういったんですね。水田耕作で、可能な範囲で土地改良をして、平安朝の初めから、営々と改良し、耕して来た。米は、あれはあれなりに完全栄養食品だし、日本には米が取れるだけの気候条件、台風がやって来る、梅雨があるなど、日本は狭い割に大人口を養える様な風土がありますね。ありますけど、大人口を養わねばならぬという至上の命題は、時に強迫観念になり、時にはしれが、国家行動の正当理由となって、侵略を思い立った事もあった。
中国も大人口ではあるが、そんなに逼迫感はないでしょうな。天と地が人間を食べさせてくれているという事で片付いている時代が長かった」
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ローガン弁護士「彼等は、日本を愛しました。そして、彼等の決定は祖国にとって生きるか死ぬかの決定でありました。彼等は、祖国を愛していました。そして、決定をしなくればならなぬ地位にありました。我々はこの裁判をされる方に、一寸彼等の立場になって考えてくださいとお願いします。その立場に立ったら、愛国者として、貴方たちは他の決議をする事ができるでしょうか? その決定をすべき地位にあり、しかも公正な信念及びその信念を裏付ける充分な理由があってなされた決定が善いか悪いか、又それは犯罪者の信念であって愛国者の信念でないなどと称されましょうか。もしその決定が犯罪的意図からではなく、決定された方法が祖国を護持していく為に絶対必要であるという強い信念と愛国心の動機からなされたならば、我々はそれが犯罪であると法廷で裁きを行うべきでないと申し立てます」(東京裁判に於ける最終弁護)
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ルーズベルト「侵略戦争の開始は犯罪であり、いかなる政治的または経済的事情もこれを正当化できない」
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フーバー「私が『日本との戦争の全てが、戦争を仕掛けたという狂人(ルーズベルト)の欲望だった』と述べた所、マッカーサーも同意した。
『フーバー回想録』「1941年7月の金融制裁は、挑発的であったばかりではなく、その制裁が解除されなければ、自殺行為になったとしても戦争をせざるを得ない状態に日本を追い込んだ。制裁は、殺戮と破壊以外の全ての戦争行為を実行するものであり、いかなる国と雖も、品格を重んじる国であれば、我慢できる事ではなかったと述べた。……ルーズベルトが犯した壮大な誤りは、1941年7月、つまり、スターリンとの隠然たる同盟関係となったその一カ月後に、日本に対して全面的な経済制裁を行った事である。その経済制裁は、弾こそ撃っていなかったが本質的には戦争であった。ルーズベルトは、自分の腹心の部下からも再三にわたって、そんな挑発をすれば遅かれ早かれ報復の為の戦争を引き起こす事になると警告を受けていた。」
フーヴァー「1941年7月の経済制裁の実施は日本に対する宣戦布告なき戦争であった。日本は飢餓と破滅に直面した。それが続けばすぐに戦争は避けられなかった。理由は簡単である。このような挑発を受けた限り品位ある国民であるならば決して白旗を掲げるはずはないからである」
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昭和期。日本は、食糧の自給にあった人口こそが国家の安定に欠かせないとして調整していたが、失敗して急激な人口増加に苦しんでいた。
日本農業は、重労働を必要とする労働集約型の非効率農法の為に生産量が増えなかった。 近代化・機械化が進まず、国土の約2割しか耕作面積を確保できなかった。
南北アメリカ大陸は、ヨーロッパからの移民を積極的に受け入れていたが、日本からの移民を拒絶していた。
農村人口の急増と耕作面積の伸び悩む農業国日本の軍部は、農村の窮状を救うには農家の余剰人口を満州に移住させてるしかないとして、大陸への侵略を始めた。
経済不況で職を失った失業者は、働いて生計を立てる為に、家族を連れて、日本軍が占領する中国大陸に渡っていった。
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『厚生省50年史』「当時我が国の人口問題は極めて深刻な様相を呈し、その解決の為に残された途は次の四つの何れかであった。
即ち、
(ア)生活程度の引き下げ、
(イ)産児制限の普及、
(ウ)国内移民と土地の集約的利用、
(エ)新領土の獲得、
である。
結局のところ新領土への途が志向され、それは、国際的環境条件とあいまって満州事変、いわゆる『日華事変』、そして太平洋戦争へ続いて行く事となった。一度この途が選ばれると、人口政策としては戦争遂行の為の人的資源の確保、言い換えれば『産めよ殖やせよ』の政策が採られる事になった」
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昭和16年は、混合型冷害となって深刻な食糧危機を引き起こし、緊急に外米を輸入しなければ多くの犠牲者を出す恐れがあった。
冷害とは、夏季の気温が平年を下回る冷夏となり、作物の減収及び品質低下して農家の収入が減少する事をいう。その原因が、オホーツク海高気圧から吹く北東の偏西風・ヤマセである。
7月中旬から9月上旬にかけて、北海道と東北地方に平年以上の強い冷風が吹いて低温が続いて大凶作となった。日本国内だけで、約1,000万人分の食糧が不足した。
軍部は、国内消費を減らす為に多くの若者を徴兵して外地に送り出して、余剰食糧を国内の女性や子供に公平に配給し、戦時体制下として非常時に備えるべく備蓄した。
日本軍は、補給を重視しなかったと云うより、補給する物資が国内で不足していたのが実態であった。
軍中央は、現地軍に自給自足(自活)と不足分の現地調達を強要した。現地部隊は、駐屯地で田畑を耕しながら、敵と戦っていた。
日本兵の大半は農村出身者で、工場の監督官の様に他人に指図して野菜を作らせるよりも、命令される前に自分で土地を耕して野菜を作る事が得意であった。
支那派遣軍(総参謀長板垣征四郎中将)は、華北の食糧不足を解消し、円経済圏の食糧自給体制を公平に安定させるべく、大陸打通作戦(一号作戦)を計画した。
陸軍の陸上大輸送網計画の要は、ビルマ産米を輸送する泰緬(タイメン)鉄道の建設であった。この泰緬鉄道建設は、難工事と破壊工作と連合軍の攻撃で多くの犠牲者を出した為に、日本軍の戦争犯罪とされた。
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軍国日本は、ユダヤ人難民を利用して、アメリカとの関係を改善し、ユダヤ人国際資本家の支援を受けようとした。
その意味で。軍国日本はユダヤ人を差別せず保護に努めた。
ユダヤ人難民保護は、昭和天皇の意思であった。
だが。ユダヤ人は、昭和天皇をヒトラー同様に抹殺すべき相手と見なしていた。
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4月26日 神戸新聞「ユダヤ財閥頻に暗躍 南方資源の買占に奔走
サッスーン、香港で反日策動
……
ユダヤ財閥の暗躍は熾烈を極め東亜におけるユダヤ財閥の巨頭フリーメーソン東洋部長サッスーンは我が大東亜共栄圏建設妨害の一行為としてこのほど仏印における米の買占めに成功したといわれているが、上海よりの情報によれば5月中頃香港において開催される重慶支持の南洋、蘭印、仏印、印度華僑の代表者会議はサッスーンと蒋介石政府との談合により我が南方政策の先手を打って物資の買占めをせんとするものであり、これが資金は一切サッスーン財閥によって支弁される、これはサッスーン財閥がアメリカユダヤ財閥と緊密なる連絡の下にかく反日行動にでたもので、ユダヤ研究者間の定説でありまサッスーンと蒋介石、仏印当局との深き関係等々、陰に敢行されていた聖戦妨害行為は漸く表面化し、各方面の憤激の焦点になりつつあり、このサッスーン財閥の動向は聖戦貫徹の上から重視されている」
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反ユダヤ団体は、ユダヤ人財閥が日本を植民地化し日本天皇を廃絶する為に悪辣な陰謀を実行していると、声高に叫んでいた。
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ユダヤ人は、反天皇反日強硬派として、軍国日本を戦争に追い込み破滅させようとしていた。
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7月25日 日本政府は、仏印政庁との合意にもとずく合法な行為として、日本軍を南部仏印に進駐させる事を発表した。
アメリカは、警告的措置として、「在米日本資産凍結」を発令した。翌42年3月に、没取した。
凍結された日本資産は、現金2億円と証券3億5,000万円で合計5億5,000万円(約1億2,890万ドル)あった。
日本にあったアメリカ資産は、3億円(約7,000万ドル)とされている。日本の損害額は、約5,890万ドルであった。
中南米大陸諸国も、アメリカに追随して日本を閉め出した。
日本は、アメリカとの永年にわたる友好関係に安心し、世界規模のアメリカ経済に依存し、国際貿易を全てドル建てで行っていた。
日本は、経済制裁で獲得が困難となった外貨を獲得する為に、大量の金塊を密かに日本から運び出してニューヨーク市場で売却しドルに換金して現地の日系銀行に隠匿していた。
アメリカ当局は、日本の隠し資産を犯罪的不法資産として押さえた。
ルーズベルトを説得したのは、スチムソン陸軍長官やハリマンと、モーゲンソー財務長官やバーナード・バルークなどのユダヤ人達であった。
利益優先のアメリカ系ユダヤ人らは、アジア市場から日本の全利権と日本系企業を全て排除しようとしたのである。
軍国日本は、ドル金融・経済圏から完全に締め出された。
7月26日 イギリスは、日本軍の南印進出をシンガポール攻略の準備と受け止め、日英通商条約の廃棄と在英日本資産を凍結した。
日本のイギリスにおける資産は160万ポンドで、インドなどの植民地では260万ポンドであった。合計420万ポンド(約1,600万ドル)であった。
婦人同盟や中国支援委員会などの市民団体は、中東の英系アングロ・イラニアン石油会社やアジアの英蘭系ロイヤル・ダッチ・シェル石油会社などが日本に石油を販売する事に抗議し、日本軍の中国侵略に抗議して石油を全面禁輸にする様に求めた。
イギリスとアメリカは、対日禁輸の為に協議を重ねていた。
カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの英連邦諸国も、日本資産を凍結し、対日最恵国待遇を廃止し、日本との商務関税及び航行条約の破棄を通告した。
イギリスの植民地であるインド、シンガポール、ビルマ、マレーシアも、日本との貿易を禁止して経済制裁に参加した。
当然。ビルマ産米の購入は不可能となり、タイ産米の購入も怪しくなった。
さらに、中東やエジプトなどのアフリカ地域でイギリスの影響下にある国々も日本との取引を停止した。
軍国日本は、スターリング(ポンド)金融・経済圏から完全に追放された。
7月27日 ロンドンのオランダ亡命政府は、国際的経済制裁に加わるべく在蘭印日本資産を凍結すると共に、蘭印に居住する日本人約6,000人の全財産を没収した上で追放する事を決定した。
その混乱の中で、少数の日本人女性が行方不明になったといわれている。
明治頃から、天草など九州各地から貧しい農山漁村の若い女性が日本人女衒によって集められ、中国人華僑の経営する売春宿に売られて奴隷の様に働かされていた。
彼女らは、「からゆきさん」といわれていた。
彼女らの多くは、中国人華僑の陰惨な虐待を受けて、生きて故郷に帰る事はなかった。
こうして、東南アジアは国際的反日陣営に組み込まれ、日本人は同地区から放逐された。
同海域は、反日派華僑と利害関係を共有する現地人の海賊が暗躍する無法海域であった。
この大混乱の中で多数の日本人女性が行方不明となり、日本軍の侵攻により数人の日本人女性が売春宿(大半は華僑が経営していた)から救出された。
その他の人身売買された多くの日本人女性の生死は、不明であり、誰からも関心を持たれなかった。
軍国日本は、金融・経済制裁によって国際市場から完全排除され、米の一粒も購入できなくなった。
7月28日 日本軍は、南部仏印に武力進駐し、南方資源地帯への前進基地とメコン・デルタなどの大穀物地帯(米の生産高約200万石)を確保した。
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8月1日 アメリカは、日本軍の仏印進駐への制裁として対日石油輸出の全面禁止を行った。
軍国日本は、アメリカの謀略によって戦争へと追い詰められた。
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現代の日本史は、石油目的の無謀な作戦であったと酷評し、この事が日米戦争の原因となったと説明している。
本当の目的は、食糧の確保であった。
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昭和天皇は、戦争を避ける事を希望して東条英機をしゅしょうに任命した。
東条英機首相は、戦争を回避するべく正式に和平交渉を始めた。
アメリカとイギリスとソ連は、平和を望む軍国日本が戦争を始めるように追い込んでいた。
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11月5日 東條内閣は、「華北と内蒙古と海南島は、和平後25年間駐留するが、華南、華中等は2年に内に撤退し、仏印は事変解決後ただちに撤退するする」という甲案と、「アメリカは日中和平を妨害しない事を条件として、日本軍は南仏印から撤退し、両国は資産凍結以前の状態に戻す」という乙案を、最終提案とする事を決定した。
統帥部も、日米開戦を回避し外交交渉を成立させる為に同意した。
軍部は、建前として好戦的な発言を繰り返していたが、本音では将兵を無駄に殺すだけであるとして回避を望んでいた。
東條首相や木村兵太郎陸軍次官や武藤章陸軍軍務局長らは、平和を切望する天皇の希望に添う為に、陸軍内の主戦派の説得に全力を尽くしていた。
強硬派は、東條首相ら戦争回避派を裏切り者と罵った。
東郷外相は、ワシントンの野村大使に機密電として、国内外の事態が逼迫しているので日米交渉を25日までに完了する様に督促した。
アメリカは、暗号解読で交渉の最終期日は同月25日と確認し、25日までに交渉がまとまらなければ日本は戦争に突入する判断した。
11月11日 ルーズベルトは、対日戦準備完了までの時間が確保して欲しいとの陸海軍の要請に従って、日本との開戦を三ヶ月先に延ばす為に暫定協定案をまとめた。
東條首相や東郷外相等は、日米全面戦争を回避する可能性があれば、暫定協定案を受け入れる用意はあった。
11月26日 アメリカは、中国在住の日本人居留民50万人以上を無防備なままで狂暴な中国人犯罪者や朝鮮人テロリストの中に見捨て、そして、仏印等での食糧確保を断念して、両地域から無条件全面撤兵するという『ハル・ノート』を突き付けた。
日本が『ハル・ノート』を受け入れたとしても、アメリカは食糧購入禁止等の経済制裁を解除する気はなかった。アメリカの望みは、戦争であった。
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アメリカは、日本の情報を日本人協力者から機密情報を集め、国情を正確に把握し、その上で「日本の自衛権」を否定していた。
日本は、アメリカとの情報戦で敗れていた。
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ソ連は、日米戦争を起こさせる為に、日本の政界、官界、学界はおろか軍部に工作員を送り込んでいた。
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日本には、侵略して戦死するか、座視して餓死するか、土下座して奴隷になるかの、三つの選択肢しか残されていなかった。
軍国日本は、「戦うも亡国なら、戦わないのも亡国」として「戦わずして亡国は、真の亡国。奴隷への道」と拒否した。敗れたとしても、「戦って亡国」になれば子孫に名誉と勇気を残せると覚悟した。当時の指導者は、口では必勝を叫んでいても、本心から勝てると信じていた者は一人もいなかった。その覚悟ができる者のみが、真のサムライである。それは、理屈では説明できない事であった。
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アメリカは、日本が備蓄していた金貨・金塊(約600トン)を全て石油やくず鉄などの購入で使い果たしたと判断してところで、ハル・ノートを突き付けた。
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12月8日 日米開戦。
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東條首相は、平和を望んでいた昭和天皇の希望をかなえられなかった事に一人泣いた。
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東條英機「国家自衛の為に起つという事が、唯一つ残された途であった」
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A級戦犯は、食べて生き残る為にやむを得ず、自衛戦争を始めた。
国際社会は、正当防衛として自衛戦争を始めた軍国日本を滅ぼし、昭和天皇を戦争犯罪者として処刑する為にA級戦犯を裁いた。
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東條開戦内閣でのA級戦犯
・内閣総理大臣…東條英機‥絞首刑‥靖国神社
・外務大臣…東郷茂紱‥有期禁錮・病死‥靖国神社
…谷 正之‥不起訴
…重光 葵‥有期禁錮
・内務大臣…安藤紀三郎‥不起訴
・大蔵大臣…賀屋興宣‥不起訴
・海軍大臣…嶋田繁太郎‥終身刑
・司法大臣…岩村通世‥不起訴
・文部大臣…橋田邦彦‥自決
・商工大臣…岸 信介‥不起訴
・逓信大臣…寺島 健‥不起訴
・大東亜大臣…青木一男‥不起訴
・厚生大臣…小泉親彦‥自決
・国務大臣…鈴木貞一‥終身刑
・国務大臣…後藤文夫‥不起訴
・内閣書記官長…星野直樹‥終身刑
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正義の戦争はなく、許される人殺しもない。
食べ物がなけければ、人から食糧を奪っても良いのか。
自分はもとより家族が助かる為に、他人を殺して食べ物を奪うのは悪である。
食べ物がなければ、飢えて死ねば良い。
ひもじさの中で、空腹にのたうちながら、自分の不運を呪って餓死すれば良い。
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江戸時代の日本人は、運命として諦め、絶望に従順となって餓死した。
江戸時代において、世界史的常識とされる、飢餓民が食べ物を奪う為に暴動や内戦を起こした例がなかった。
日本人は、黙って、餓死するものである。
決して、中国人や朝鮮人の様な振る舞いはせず、ただただ餓死した。
日本人は、他人の食べ物を奪う事なく飢え死にした。
飢えて死ぬ、それが日本人である。
ゆえに。本当の日本人は、空腹の「ひもじさ」を知っていた。
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飽食化して、食糧を残飯として惜しげもなく捨て去る現代日本人には、分かるはずがない。
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異常気象で大凶作となり、在外日本資産凍結で食料輸入ができなくなって、食糧を確保する為に東南アジアを侵略した。
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───── 昭和17年 :
・生産量…5,509万石 ;生産は前年昭和16度産米
・供給量…7,886万石 :
・輸入量… 874万石 :タイ、仏印、ビルマ、中国、満州、その他の外国産米
・移入量… 694万石 :朝鮮、台湾などの植民地産米
・消費量…7,377万石 :
・人 口…7,450万人 :
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日本人は、1年で一石の米を食べていた。
約2,000万人分の米が不足していた。
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日本の戦争は、食糧と石油を奪う為の自衛的侵略戦争であり、アジアを解放しようという正義の戦争ではなかった。
日本には正義はなく、日本人が食べていく為に起こした掠奪戦争である。
日本軍は、飢えた強盗、盗賊の様に、食糧を持っているアジア地域を侵略し、現地人から食べ物を武力を持って暴力的に強奪したのである。
国際司法機関は、日本の武力行為を自衛ではないく単なる物取りの犯罪であると認定した。
A級戦犯の東條英機らは、西部劇の馬泥棒と同罪の無法者としてリンチ的縛り首にされた。
それが、東京裁判である。
国連などの国際諸機関も、東京裁判判決を認めている。
そして、現代日本もその判決を無条件で受け入れている。
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サムライは、盗賊の様に他人から食べ物を奪う事は、サムライにあるまじき、卑怯で、卑劣な、恥ずべき行為であると嫌悪した。
サムライは、、人様から食べ物を奪うくらいなら、名誉を重んじて切腹して果てか、沈黙のうちに餓死した。
「武士は喰わねど高楊枝」
サムライは、弱音を吐かず、痩せ我慢した。
事実。日本の歴史に於いて、如何に餓死者を多く出しても、食べ物をめぐる暴動も戦争も起きた事がない。
ましてや、食糧を奪う目的の侵略戦争は一度もなかった。
昔の日本人は、気が弱かっただけに、生きのころ為に殺し合いをするよりも、静かに餓死する道を選んだ。
空腹によるひもじさを、誰よりも知っていたが故に、人一倍我慢して耐に耐え忍んだ。
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サムライ日本人は、餓死の道を選択する。
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神道的日本人は、人の命も、動物の命も、植物の命も、全ての命を平等に大事にした。
全ての命を、自然の神々として神社に祀った。
故に、無駄に血を流す事に恐れおののき、無益な殺生を最も嫌った。
日本の神社信仰とは、命の信仰であるが故に、五穀豊穣を祈る事である。
神社は、民族宗教として大事に守られて来た。
だが、命を育む自然を敬い五穀豊穣を願う神社信仰は、偶像崇拝であり、未開の野蛮な原始的民族宗教であるとして否定された。
日本の最高位にある祭祀王・万世一系の男系天皇(直系長子相続)は、五穀豊穣の為に自然神と民族の為に祖先神・氏神に、ひたすら祈っている。
八百万の神神々に祈りを捧げ祀ることができるのは、唯一の神の裔である万世一系の男系天皇(直系長子相続)のみである。
他の日本人でも、他の宗教でも、できない神事である。
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日本に於いて、神社は、落書きされ、破壊され、放火される宗教施設となっている。
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