🍙165}─8─ルーズベルトは、軍国日本に戦死か、餓死か、奴隷の如く土下座するかの選択肢を突き付けた。昭和16年11月~No.534No.535@  

写真で見る日本陸軍兵営の食事

写真で見る日本陸軍兵営の食事

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 プロフィールに、6つのブログを立ち上げる。 ↗  
   ・   ・  【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】 ・   
 軍国日本は、女や子供達に食べ物を与え、日本民族が食糧を得て生き残り為には、戦争犯罪者として断罪されても侵略戦争を起こすしか手段がなかった。
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 カレイ・マックウィリアムス「日本はその人口問題の解決のために余剰人口を世界各地に送り出すことが必要だと主張した。日本政府はこのロジックを政策運用にあたってうまく利用した。それが黄禍論をじわじわと高める原因にもなった。日本政府は人口問題に起因する海外移民の必要性についてプロパガンダ広報活動を実施した。人口統計の数字を都合のよいように操作した。ワシントン軍縮会議でも相当な予算を使って、日本は海外に移民を送ることがどうしても必要だと訴えた。
 ところが日本人移民の実態をみると、移民たちの出身地は過剰人口に悩む地方ではなかった。また海外に送り出す移民の数は、人口過剰問題を解決するには至らないものであった。日本の主張は、過剰人口問題の本質、つまり日本の社会構造そのものが原因であることから目をそらす結果を生んでいる。過剰人口問題で一番苦しんでいるのはインドである。H・N・ブレールスフォード博士がいみじくも述べているように、人口問題の解決策を海外にみつめけることはできないのである」(『日米開戦の人種的側面 アメリカの反省1944』P.377)
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 11月5日 政府は、「華北内蒙古海南島は、和平後25年間駐留するが、華南、華中等は2年に内に撤退し、仏印は事変解決後ただちに撤退するする」という甲案と、「アメリカは日中和平を妨害しない事を条件として、日本軍は南仏印から撤退し、両国は資産凍結以前の状態に戻す」という乙案を、最終提案とする事を決定した。軍部も、日米開戦を回避し交渉を成立させる為に同意した。
 軍部は、建前として好戦的な発言を繰り返していたが、本音では将兵を無駄に殺すだけであるとして回避を望んでいた。
 東條首相や木村兵太郎陸軍次官や武藤章陸軍軍務局長らは、平和を切望する天皇の希望に添う為に、陸軍内の主戦派の説得に全力を尽くしていた。強硬派は、東條首相ら戦争回避派を裏切り者と罵った。
 海軍首脳部は、対米戦の為に軍事強化してきた手前、アメリカとは戦えないとの発言を避け続けた。
 東郷外相は、ワシントンの野村大使に機密電として、国内外の事態が逼迫しているので日米交渉を25日までに完了する様に督促した。
 アメリカは、暗号解読で交渉の最終期日は同月25日と確認し、25日までに交渉がまとまらなければ日本は戦争に突入する判断した。
 朝鮮系日本人である東郷茂徳外相(キリスト教徒、夫人はユダヤ人)は、破滅的な戦争を回避する為に出来うる限りの努力を尽くしていた。戦後。A級戦犯靖国神社
 勝てない事を知っていた主戦派は、戦わずして惨めに亡国になるより、死力を尽くして戦って亡国になった方が、その死は有意義となり、子孫の為になると主張した。
 アメリカ政府は、軍当局の戦争準備に時間が欲しいという要請に従って、日本側の最終提案への回答を留保した。
 アメリカ軍は、最終提案を拒否すれば日本は開戦するしか術はない事を、暗号解読で知っていた。アメリカは、日本より先に戦争を決断し、交渉での平和を維持する気はなかった。
 11月11日 ルーズベルトは、対日戦準備完了までの時間が確保して欲しいとの陸海軍の要請に従って、日本との開戦を三ヶ月先に延ばす為に暫定協定案をまとめた。
「1)合衆国は経済的関係を再会する─現時点では多少の石油と米─後日、拡大する。
 2)日本はインドシナ満州国境、南部(蘭印・英領・シャム)の何処にもこれ以上部隊を派遣しない。
 3)日本は合衆国がヨーロッパで参戦しても、三国同盟を行使しない事に同意する。
 4)合衆国はジャップを中国と引き合わせ、話し合いを持たせる。ただし、合衆国は両者の協議に一切、加わらない。」
 中国は、一刻も早く日米全面戦争を開始させるべく、開戦を先延ばしにしようとする暫定協定案に、発狂したが如く猛反対した。
 アメリカもイギリスも、中国人の精神病患者の様な猛抗議に辟易として暫定協定案を断念した。
 東條首相や東郷外相等は、日米全面戦争を回避する可能性があれば、暫定協定案を受け入れる用意はあった。
 11月13日 正月用モチ米の配給は、前年の半分と発表した。
 11月14日 ハル国務長官は、東郷茂徳外相が野村吉三郎と来栖三郎両大使に電送した日本暫定協定案・乙案を、マジック電で日本側の最終案であり、これ以降は開戦しかない事を自覚した。
 東條総理は、南部仏印及び華北以南からの撤退と自動参戦権がない事の表明で三国同盟からの実質離脱という提案で、アメリカ軍の蘭印進駐を阻止し対米戦を回避出来ると判断していた。もし日本提案を受け入れれば、東南アジアにおける対枢軸勢力の後退と共に円経済・金融圏が拡大し、各地の民族独立ナショナリズム運動を煽り植民地を西洋から無秩序的に独立させる恐れがあると警戒した。
 11月15日 来栖三郎遣米特命全権大使が、ワシントンに到着した。
 ジョージ・C・マーシャル参謀総長は、ニューヨーク・トリビューン誌、ニューヨーク・タイムズ誌、タイム誌、ニューズウィーク誌、AP通信社、UP通信社などの報道機関に対して、秘密厳守のもとでオフレコの記者会見を行った。12月10日までにフィリピンの陸軍航空基地にBー17などの重爆撃機を配備して、早い時期(宣戦布告以前)にその大編隊で日本本土を爆撃し、主要な都市を火の海とする計画を準備中であると言明した。
 11月18日 ニューヨーク・タイムズ誌は、フィリピンの航空基地を発進した爆撃機は日本を爆撃した後にウラジオストックに着陸し、ウラジオストクで燃料を補給し爆弾を積んでその帰路で日本を再空爆してフィリピンに帰着すると言う記事を載せた。
 11月19日 日向灘地震。M7.2。熊本県と宮崎県で最大震度5。九州東岸、四国沿岸で津波1m.死者2人。
 日本外務省は、在外公館に対して風情報を流した。在外公館は、暗号書や機密文書の焼却に取り掛かった。アメリカやイギリスは、東京からの天気予報のニュースをラジオ放送などで傍受し、事態の逼迫している事を理解した。当然、両国の情報機関は日本の在外公館が一斉に大量の書類を焼却している事実を知っていた。
  東の風、雨    日米関係の危機
  北の風、雲    日ソ関係の危機
  西の風、晴れ   日英関係の危機
 11月21日 アメリカの陸軍参謀本部戦極秘報告によると。マーシャル参謀総長は、日本との開戦を12月1日に設定し、日本への宣戦布告前の先制攻撃準備状況を聞いた。
 部下の参謀は、台湾の日本海軍基地と日本本土の工業地帯を含む約6,000ヶ所の爆撃目標を印した地図を、フィリピンのマッカーサーに送った事を報告した。
 だが、日本本土爆撃計画は、大型爆撃機の配備が遅れている為に決行日を翌年42年3月に繰り下げた。
 軍当局は、国務省に対して、それまで日米交渉の決裂を引き延ばす事を要望した。
 戦争を求めたのは、日本ではなく、アメリカであった。
 昭和天皇は戦争を回避する事を希望したが、ルーズベルトは戦争を希望した。
 ルーズベルトに参戦を求めたのは、スターリンであり、蒋介石であり、チャーチルであった。
 11月22日 東郷外相は、野村・来栖両大使に対して、交渉終了期日が25日から29日までに4日間延長された事を伝え、経済制裁としての対日禁輸令を解除する様に全力で交渉に当たるよう訓令した。
 真珠湾奇襲機動部隊は、択捉島の単冠湾に集結した。
 ルーズベルトは、ネルソン・ロックフェラーを米州問題調整官として経済防衛会議の新たなメンバーに任命した。アメリカは、経済戦争の範囲を地球規模に拡大し、敵性国家に対する輸出統制法、友好国に対する武器貸与法、国内産業に対する戦略物資法を持って戦い抜こうとしていた。
 日本本土爆撃を主目的とした爆撃機パイロットを中心としたアメリカ第二義勇兵部隊が、サンフランシスコを出発した。宣戦布告前日本爆撃に使用される爆撃機や戦闘機の各部品の船積みも、大統領命令で急ピッチで進められていた。
 11月24日 ワシントンで、アメリカ・イギリス・中国・オーストラリア・オランダの5カ国が対日連合戦線を結成した。
 11月25日 ホワイトハウスで安全保障に関する軍事会議が行われ、アメリカが過大な被害を受けない範囲で、如何に最初の一弾を日本側に撃たせるかを話し合った。
 ルーズベルトは、秘書のヘンリー・シンプソンに「問題は、いかにして奴らに先に発砲させるかだ。日本が先に攻撃を仕掛けてくるのが望ましい。その行為によってどちらが侵略国か、疑いなくなる」と話した。
 11月26日 アメリカは、中国在住の日本人居留民50万人以上を無防備なままで狂暴な中国人犯罪者や朝鮮人テロリストの中に見捨て、そして、仏印等での食糧確保を断念して、両地域から無条件全面撤兵するという『ハル・ノート』を突き付けた。
 日本が『ハル・ノート』を受け入れたとしても、アメリカは食糧購入禁止等の経済制裁を解除する気はなかった。アメリカの望みは、戦争であった。
 アメリカは、「日本の自衛権」を否定していた。ワシントンは、アジアの全アメリカ軍に対して日本軍の奇襲攻撃に備える様にを命じた。アメリカ軍は、早い段階からマニュアルに従って対日開戦準備を行っていた。対して、日本軍は泥縄式的に準備を行っていた。
 ウィリアム・ヘイター「アメリカ政府は(日本が拒否する事を)承知していたはずだ。私がこの文書(ハル・ノート)の存在を教えられた時、国務省は、これを極東問題の理想的解決、ユートピアとして扱っていた」
 「ハル・ノート」を作成したのは、ソ連のスパイであるハリー・デクスター・ホワイト財務次官(ユダヤ人)であった。スターリンユダヤ人)は、日本を含む全アジアを共産主義化する為に、日本とアメリカを戦争させる様に指示を与えていた。共産主義者は、共産主義大義で戦争を起こし拡大させるべく暗躍していた。ソ連共産主義陣営の指導者の多くは、国際主義者ユダヤ人であった。
 日本を戦争に追い込んだのは、まぎれもなく国際的ユダヤ人金融資本家とユダヤ人経営の巨大軍需産業であった。
 日本には、侵略して戦死するか、座視して餓死するか、土下座して奴隷になるかの、三つの選択肢しか残されていなかった。
 軍国日本は、「戦うも亡国なら、戦わないのも亡国」として「戦わずして亡国は、真の亡国。奴隷への道」と拒否した。敗れたとしても、「戦って亡国」になれば子孫に名誉と勇気を残せると覚悟した。当時の指導者は、口では必勝を叫んでいても、本心から勝てると信じていた者は一人もいなかった。その覚悟ができる者のみが、真のサムライである。それは、理屈では説明できない事であった。
 11月27日 ハル国務長官は、スチムソン陸軍長官に外交交渉は終了し、今後の対日関係はスチムソンとノックス海軍長官に委ねると伝えた。
 ワシントンは、フィリピンやボルネオなど対日戦の最前線にあるアメリカ軍部隊に対して極秘命令を発した。
 「対日交渉はすでに終了した。日本の攻撃が数日以内に予想されるから、適切な防御を行う様に」
 命令を受け取ったアメリカ軍部隊は、臨戦態勢に入った。
 11月28日 東郷外相は、ハル・ノートを受け取った後は開戦しかないとして、親電提案を拒否する電報を来栖と野村両大使に送った。「先方に対して交渉が決裂したとの印象を与える事を避けることとしたい為、貴大使におかれては、目下本国から訓令を待っている為に帝国政府の意向は詳らかではないが、自身の意見として、帝国政府は従来から公正を主張してきたこと、特に日本帝国が太平洋の平和の為に偉大なる犠牲を払ってきた点を説明されたい」。
 アメリカは、日本が交渉をほぼ断念した事を暗号解読で知っていた。
 拓務省は、食糧増産と日本国内の食糧消費を抑える為に、第一期満州開拓計画として10万戸の移住を発表した。
 農村からの農民移住を促進する事で、小規模農家や零細農家を整理して中規模以上の農家を育成しようとした。
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 日本政府と軍部は、アメリカとの戦争を回避する為の話し合いは不可能と判断して開戦を決断した。
 昭和天皇がなおも平和を望んだ為に、ぎりぎりまで外交努力を続ける事にした。
 中程度軍事国家日本が軍事大国アメリカに勝つには、先制攻撃を仕掛けて戦争を始めるしかなかった。
 戦後の国際司法において、宣戦布告前に先制攻撃を仕掛けて戦争を始める事は侵略戦争戦争犯罪と認定された。
 東条英機A級戦犯達は、「人道に対する罪」ではなく、戦争を始めたという「平和に対する罪」で戦争犯罪者としてリンチ的縛り首で処刑された。
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 12月1日 御前会議で、外交による和平を断念し、生存を賭けて戦争に訴える事を決定した。
 日本の戦いは、あくまでも、国家と民族の生存を賭けた「自衛戦争」である事を主張する事とした。
 12月3日 アメリ国務省は、東京の大使館に対して、日本との戦争に備えて全ての暗号文書の破棄を命じた。
 12月6日 東京からワシントンの日本大使館に、14部に分られた長文の〝断交通告〟のうち13部が届いた。
 アメリカ解読班は直ちに暗号を解読して、ルーズベルトや閣僚と軍上層部に解読文を届けた。
 ルーズベルト「これは、戦争を意味している」。
 FBIは、日本大使館で大量の書類を焼却処分している煙を確認していた。
 アメリカ軍情報部は、大使館が不必要となって暗号機を破壊している事を暗号電文で知っていた。
 ルーズベルトは、翌日には戦争が起きる事を承知し、夜遅くまで関係者と協議したという。そして、戦争を回避する為ではなく、和平に努力したという記録を残す為に天皇宛親電を打った。
 太平洋艦隊司令長官キンメル大将は、「ドイツが独ソ戦に失敗したので、日本はもう攻めてこない」と新聞記者に話した。
 12月7日 ドイツ軍によるモスクワ総攻撃が失敗した為に、東部戦線は膠着状態に陥った。
 ソ連軍は、大反撃を行う為に、極東の主力部隊の西方移動を急いでいた。
 関東軍は、シベリア鉄道を使ったソ連軍の大移動を東京に知らせていた。
 ソ連日本大使館や各地の日本領事館も、同様の軍隊移動情報を本省に知らせていた。
 昭和天皇、東條首相、山本連合艦隊司令長官らは、宣戦布告の最後通牒を要求した。外務省は、小国日本が大国アメリカに対する自衛権の発動である以上は必要ないと拒否したが、「国際法に基づく」行為として説得され気が進まなかったが最後通牒を渡す事に同意した。
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 12月7日午前4時半頃 アメリカ軍暗号解読班は、ワシントンの日本大使館に送られた最終電文第14部の暗号を傍受し、解読した。
 ハル国務長官への手交する時刻を「7日午後1時」と指定し、さらに直ちに暗号機を破壊する様に命じた。
 戦争を知っている者であれば、「7日午後1時」以降に日本軍が軍事行動を起こし、フィリピンやグアムなどアジア・太平洋地域にあるアメリカ軍基地が攻撃される事を理解したはずである。
 真珠湾アメリカ太平洋艦隊にとっては奇襲攻撃であったが、ワシントンにとって騙し討ちにはあたらない。
 もし。アメリカが、軍国日本に対して騙し討ちによる卑怯な戦争犯罪というのでれば、それは自分達の無能さを世界に告白した事になる。
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 ホワイト・ハウスとアメリカ軍首脳部は、「7日午後1時」という指定日時が何を意味するかを知っていた。
 もし知らなければ、あるいは理解できなかったとすれば、アメリカは無能という事になる。
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 12月8日 日本軍による、真珠湾奇襲攻撃とマレー半島奇襲上陸作戦。
 外務省の怠慢で、最後通牒の手交は攻撃の後になってしまった。そして、日本は永久に騙し討ちを行う卑怯な国家との烙印を押された。全ての責任は、外務省にある。
 戦前の日本は、貧しても鈍する事なく、何かを真剣に守る為に、死する事を覚悟して自衛戦争を宣言した。志を抱き、気概を持ち、信念を貫く古武士は、空腹でひもじくても見苦しい弁解をせず、弱音を吐かず、不利であっても道理無き外圧には毅然と戦った。日本は、「食糧」と「石油」を確保する為に、全世界・全人類を敵に回してアジアへの侵略戦争を開始した。
 戦前の武士道的日本人は、戦えば必ず負ける事がわかっていても、「武士の一分」として死を覚悟で死力を尽くす為に戦地に赴いた。武士にとって、勝ち負けや、生き死にではなく、日本男子として如何に「潔く」あるか、「浄く」あるかの一言に尽きた。
 こうして、日本は時効無き戦争犯罪国家となったのである。
 軍人の大半は日本が勝てない事を知っていたが、軍人として開戦に反対する者は一人もいなかった。それ故に、彼らは戦犯とされた。
 戦後の国民世論は、戦犯を靖国神社に合祀する事に反対し、靖国神社そのものを戦争礼讃神社として非難し手いる。近隣諸国との友好の為に、「魂」を排除した無宗教の石の塊である国立墓地を造って、純然たる鎮魂施設である靖国神社の廃止を求めている。
 ジョージ・ケナン「我々は、10年1日の如く日本の立場に向かって嫌がらせをやっていた」(『アメリカ外交50年』)
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 昭和天皇も、A級戦犯東条英機松岡洋右も、アメリカとの戦争を避けたいと願って話し合いを続けて叶えられなかった事に無力感を感じたが、始めた以上は勝つと信じて戦うしかなかった。
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 12月9日 蘭印のオランダ軍は、オーストリア軍と共同で中立国ポルトガル東チモールに侵攻して、同地区に生活していた一般人である日本人居留民を多数虐殺した。そこに住んでいたであろう、日本人の女性や子供のその後の行方は不明である。日本人と一緒に生活していた反日的華僑が、連合軍にどう協力したかは不明である。
 戦時国際法は、日本軍の奇襲攻撃を侵略目的の戦争犯罪とし、オランダ・オーストラリア連合軍の先制攻撃を合法的な自衛行為として認めている。
 12月10日 ロンドンのオランダ亡命政府は、対日宣戦を布告した。
 12月17日 中埔地震。M7.1。死者360人。
 12月21日 日泰同盟の締結。タイの親英派は、首相官邸地下にイギリス軍に日本軍情報を知らせる無線室を設置した。
 1942年1月12日 日本は、オランダに対して宣戦布告した。
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 2013年 国内総生産480兆円の内、農業はたった1%、約4兆9,000億円にすぎない。
 農業就労人口は239万人の平均年齢は66.2歳で高齢化し、若者は農家を継がず農村を捨て都市に就職口を求めている。
 今や、農業は斜陽産業として衰退が著しく、農業の担い手不足から消滅産業となりつつある。
 消費者である都市の低所得者は、安全安心の高い国産農作物を敬遠して、多少は問題があっても安い外国産農作物を購入している。
 アメリカは、自国の国益を最優先とし、日本の国益を無視して、日本にTPPを強引に押しつけてきている。
 日本の農家が受けるダメージは、日本の農業を立ち上がれないほどのダメージとなる。
 日本国内には、日本農業不要論が根強く存在し、働き手のいない日本農家を救う為に補助金を出すより、外国人労働者を移民させて日本農業を続けた方が良いという意見もある。
 外国人移民約1,000万人計画の大半が、食糧生産の農業労働者として地方に定住し農地と家が与えられ、最低限の生活が保障される事になる。
 家内工業的な日本農家の激減により企業が農業を始め、日本人ではなく外国人を雇用する事になる。
 高学歴化した日本人の若者は、3K、5Kの斜陽産業で、安月給の農業をやりたいとは思わない。
 物作り日本として、優秀な工業製品を生産して輸出し、貧しい農業国から農産物を輸入すれば良いと、考えている。
 100年に一度、1000年に一度、起きるか起きないか分からない災害対策の為に貴重な予算を使うより、今そこにある金儲けの為に使うべきであると。
 必要対経費の考えで、東日本大震災は起き、甚大なる被害を受け、約2万人近い人が犠牲となった。
 国や都市の西洋礼賛的消費者は、アメリカナイズした食生活を理想として、地方・農村が長年かけて築き幾世代もつないで受け継いできた古くさい伝統や文化や風習を嫌悪し、無価値として見捨てようとしている。
 たった1%の衰退産業とその老いぼれ労働者の為に、99%の産業と国民が不利益を被るのは合理的ではないと。
 消滅へと衰退している現状に於いて、ごく少数の成功例があったとしても農業はしょせん成長戦略にはならないし、都市で考えている様な地方創生・地方再生は望めない。
 ヨーロッパ諸国内には農産物輸出国と農産物輸入国があるが、考えるべきは、ヨーロッパは陸続きで有り、歴史的にヨーロッパは一つである。
 例えれば、食糧生産量が絶対不足している東京都と東京に農産物を販売している周辺県の様な関係である。
 つまり、県をヨーロッパの国と考えれば分かりやすい。
 島国の日本が、ヨーロッパの食糧輸入国を例えにだして日本の食糧問題・食糧自給率を論じても意味がない。
 2015年3月13日 朝日新聞「食糧自給率目標 45%に引き下げ
 農林水産省は、食糧自給率(カロリーベース)の目標を現在の50%から45%に引き上げる。2013年度まで4年連続で39%にとどまっており、目標を引き下げる。今月下旬にも閣議決定する『食料・農業・農村基本計画』に盛り込む。
 食糧・農業・農村基本法で、食糧自給率目標を定めることになっていて、5年おきに見直す。50%は民主党政権だった10年にまとめられたが、小麦や米粉用のコメの生産などが想定より進んでいないため、05年に策定した45%に戻すことにした」


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日本人の本質

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