🍙21〗─6─油断。アメリカは対日石油輸出を全面禁止して、日本人の命綱である食糧輸送を遮断した。昭和16年8月~No.106No.107No.108 @ 

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   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 食糧を国外に依存する日本は、あらゆる手立てを講じて食糧を確保しても、飢餓の恐れのある日本に運び込む手段を、アメリカによって断たれた。
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 田村貞雄(静岡大学名誉教授)「こうした緊迫した情勢も政府の武力討伐決意をある程度感知しながら帰県し、何の成算のないままに反乱に同調した江藤の態度について、政府指導者としての資質の欠如が、従来から問題になっている。かりに政府の罠であったとしても、それにうかうか乗ってしまったのは軽率のそしりを免れない。おれおれ詐欺にあった老人は同情するが、もし政治家や軍人なら無能振りを非難されよう。太平洋戦争の開戦時の日本政府と軍の指導者が、ルーズベルトの罠にはまったという弁護論と同じである。こういう弁護論は、当時の指導者の無能を証明するだけである」(『明治期日本の光と影』)
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 「何があろうとも、戦争だけはしてはいけない」というのが、戦後日本が得た貴重な教訓であった。
 つまり。人殺しをして相手の食糧を奪って生き残るくらいなら、潔く餓死すべきであったと。
 目の前で、妻や子供がひもじくて泣いても、やせ細って飢え死にしても、けっして戦争だけはしてはならないと。
 如何なる戦争も、如何なる理由があろうとも、戦争だけはしてはならないと。
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 戦前の日本人は、米を主食として食べていた。
 戦後の日本人は、米よりもパンを好んで食べている。
 キリスト教は、人はパンのみで生きているのではないと説いている。
 神道は、米を神聖な食べ物とし、さらに五穀を神に捧げた。
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 この年、競馬ブームが起きていた。全国の各競馬場への入場者数は280万人を越え、馬券の売り上げは史上最高の約2億9,400万円を記録していた。
 その原因は、軍需景気で金回りが良くなったからといわれた。 
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 昭和天皇「8月頃、丁度我が駐屯部隊が海南島に集結中で呼び戻そうと思えば戻せる余裕のある時であったので私は蓮沼武官長を通じ、東條に対し、国内の米作状況が極めて悪いから、若し南方からの米の輸入が止まったら国民は餓死するしかない、進駐は止める様に言わせたが、東條は承知しなかった」(『昭和天皇独白録』)
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 8月1日 アメリカは、日本軍の南部仏印への侵略は平和を破壊する犯罪行為であるとして、制裁として対日石油輸出を全面的に禁止すると発表し、食糧などの重要資源の海上輸送を遮断した。 
 傀儡国家フィリピンを軍事強化して、日本と南方の海上輸送路を監視した。
 対日戦開戦と共に、日本の海上輸送路を遮断し、日本領台湾への爆撃ができる様に準備に取り掛かった。
 石油の乏しい日本は、欧米のユダヤ国際石油資本から石油を購入していた。
 国内の備蓄があるうちに輸入再開ができなければ、軍艦や航空機はもちろん民間輸送船の運航も不可能となる恐れがあった。
 8月3日 最悪の非常時に備えて、食糧を確保する為に中央食糧協力会を設立した。
 8月4日 蒋介石は、集団的自衛権の発動として中国、アメリカ、イギリス、ソ連の四ヵ国と連合戦線を成立させた事を発表した。
 イギリスの保護下にある香港には、軍政部武器購入部や特務機関など重慶政府の政府機関が設置されて対日戦用の戦略物資(月間約6,000トン)を重慶に運んでいた。
 アメリカとイギリスの諜報機関は、対日情報謀略戦として、香港から全世界に向けて日本軍の非人道的残虐行為や中国軍の英雄的活躍を報じていた。
 日本軍は、中立を守るべき香港の利敵行為を知っていたが、「戦時国際法を遵守する」という建前から軍事包囲を強化し、抗日派アジア人の密輸入を阻止するべく香港を出る荷物の検問を厳重にした。
 反天皇キリスト教会は裏ルートで中国人抵抗グループを支援し、イギリス人官憲もキリスト教会の活動を黙認していた。
 重慶で活動する日本の共産主義者ら反天皇派日本人は、抗日戦継続と日米和平交渉妥結反対を中国側に訴え続けた。
 日本人居留民への犯罪行為を続ける事で、日本国内における参戦気運を煽り、日本軍の暴発を誘った。
 8月6日 野村大使は、ハル国務長官と会談し、「仏領インドシナを除く南西太平洋地域にこれ以上部隊を派遣しないし、仏領インドシナに駐屯している日本軍を撤退させるかわりに、経済・金融制裁を解除する事」を要請する書簡を手交した。
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 8月12日 ルーズベルトチャーチルは、大西洋憲章を発表した。
「西南太平洋に対する日本のこの上もない蚕食は、たとえ日米両国間の戦争に導くような事がなかろうとも、アメリカとしては対抗手段をとらねばならない事態が生ずるで有ろう」
 両国首脳は、日本を戦争に追い込む事に最終合意した。
 アメリカは、軍需生産を拡大する為の予算として約50億ドルを予定していた。
 最終的には、1,000億㌦以上が軍需産業の収益となった。
 ニューヨーク・タイムズ紙は、ルーズベルトの強硬演説を支持する社説を掲載した。
 アメリカのユダヤ系報道各社は、日本の新聞社以上に戦争を賛美し、日本やナチス・ドイツに対する「正義の戦争」を求めていた。
 その後ろには、ユダヤ人財閥や軍産複合体の企業団がいた。
 アメリカは、ファシズムとの戦争に参戦する手段として軍国日本を利用する事に決め、軍国日本を追い詰める為の経済制裁を強化していった。
 軍国日本には、アメリカとの戦争を回避する手立てはなかった。
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 8月26日 蘭印の経済相は、「日本への資源(石油)供給中止」を表明した。
 日本は、ABCD包囲網によって、石油や食糧など外国に依存していた資源を購入できず、たとえ手に入っても自力で日本に輸送する事ができなくなっていた。
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 9月 愛知県は、食糧確保の一環として、各家庭の米櫃の一斉点検を行い、米と麦の混ぜ具合を調査した。
 9月3日 ナチス・ドイツは、占領地でユダヤ人の虐殺を始めていた。
 アメリカは、日本側が求めていた近衛・ルーズベルト首脳会談を拒否した。
 近衛文麿首相は、アメリカとの戦争を回避する為に首脳会談の開催を望んでいた。
 昭和天皇は、積極敵に支持し、軍部は消極的に同意していた。
 強硬派若手将校と好戦的右翼は、非戦派の近衛首相や平沼騏一郎国務相を暗殺するべく陰謀を巡らしていた。
 宮中勢力は、平和思想の昭和天皇の意向に従って対米戦には反対であった。
 9月5日 天皇は、近衛首相立ち会いの下で、陸海両統帥部長から明日の御前会議で話し合われる議題に付いての説明を受ける。
 天皇主義の近衛首相や東條陸相軍国主義の武藤軍務局長らは、天皇の「外交優先」「平和愛好」の意志を尊重しながら、自分の責任ある地位に従って神国日本の体面が立つ解決を求めただけである。
 ソ連は、日本外務省内のシンパでコードネーム「エコノミスト」と呼ばれた高官から、極秘会議である御前会議の最高機密情報を入手した。
 アメリカにも、その御前会議の決定事項が数日中に伝えられていた。
 ソ連は、日本とアメリカが戦争に突入する様に画策していた。
 アメリカやイギリスは、口では平和を叫んでいたが、本心では日本以上に戦争を望んでいた。
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 9月6日 御前会議は、10月を目途に対米英蘭戦争の準備を完成する事を決定した。それは戦争準備の完成であって、開戦の決定であった。
 気の弱い日本人は、強烈なリーダーシップが欠如している為に、独裁者的に即時決断を出せない性格をしていた。
 独善的になって強引に押し通す事を嫌う体質から、開戦を決定する為に全員が納得できるまで長時間の協議を繰り返していた。
 内実、全ての人々が戦争をできれば避けたいと望んでいた。
 政府は、国民に対して9月26日に「昭和9年に迫る大凶作」と逼迫状況を包み隠さず公表し、食べる量を減らして、空腹を「痩せ我慢」する様に命じた。
 国家の責任として、国家の体面を維持し、国民の生命と財産を守るべく、全力で尽くした。
 重要な食糧供給地である朝鮮は、昭和13年頃から西日本同様に旱魃で不作が続いていた。
 朝鮮総督府は、朝鮮の食糧を確保する為に、政府の命令を無視して日本への移出制限を強化した。
 朝鮮農民は、移出量が減らされると実収入も減るとして反対争議を起こし、各地で暴動を起こしていた。
 朝鮮民族は、伝統的穀物食文化であったが日本式米穀食文化を取り入れた為に、半島内での消費が増加して食糧事情が悪化した。
 朝鮮総督府は、国家の非常時に際して反日暴動を防げた為に、満州内蒙古から緊急に大量の雑穀を輸入した。
 朝鮮が、食糧を大量に買い漁った為に、1億人以上の飢餓状態にある華北住民の食糧が激減した。
 「個」の利益を優先する中国商人は、金儲けの為に価格をわざと暴騰させて暴利を貪った。
 餓死寸前の中国人は、僅かな食料を奪い合い、殺人事件も起きて治安は悪化した。
 食糧危機は、日本軍の陰謀とされた。
 同時に、自然崩壊の為にペストやコレラなどの疫病も蔓延したが、これも日本軍が細菌兵器を使用したからだとされた。
 政府は、「緊急食糧対策」を提起して、自国民を優先的に飢饉から救うべく、仏印・タイなどに軍事圧力を加えて外米を購入した。
 地元感情無視の強引な手口が、地域住民の反日気運を煽った。
 アジアで、日本の貧困に同情し、日本の窮状を救うべく支援してくれる者はいなかった。
 日本は、国際社会でも、アジア世界でも孤立していた。
 企画院は、「帝国食糧需給計画に関する件案」を作成し、当座の食糧不足を補う為に仏印等から大量の外米を輸入して需給の安定を図った。
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 9月9日 農林省は、味噌や醤油の統制を実施した。
 9月12日 神奈川県経済保安課は、横浜で米穀通牒や外食券を担保に取る悪質な高利貸しの被害報告が増加した為に、実態調査に乗り出した。
 9月15日 農林省は、全管理米の政府買い上げをはかるという米穀国家管理実施要綱を通牒した。
 9月19日 熊本県は、農村部の労働力が不足している為に、各学校に農繁期の授業廃止日を設けるように通達した。
 一部の教育団体は、憲法が保障する、学生の授業を受ける権利を奪う不法行為であると反対した。
 家庭が裕福な都市部の学生は、泥の中を這い回り汗水垂らして重労働する事を嫌い、公権力による一方的な強制であると猛反対した。
 9月23日 警視庁は、犬や猫の肉をハムなどの加工食品に加えて料理店などに売って暴利を稼いだグループ80名以上を逮捕した。
 こうした許可を受けていない不法食品業社は、飼い犬や猫の泣き声を頼りに町中を廻って高額で購入していた。
 9月26日 農林相は、閣議で、昭和9年の大凶作に迫る不作であると報告した。
 政府は、二毛作奨励などの緊急食糧増産対策を決定して、各地方自治体に命じ、国民には食糧の消費を抑えるように発表した。
 日本は冷夏に襲われ、恐れていた大凶作となった。
 食糧問題に於いて、在外資産が凍結され食料輸入が途絶された為に、日本は「飢餓」という最悪な情況に追い込まれた。
 軍国主義国家日本は、国内で「餓死者」を出さない為に、絶望的な苦渋の選択を迫られた。
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 9月30日〜10月2日 台風第25号。死者・行方不明者、108人。
 列車河中転落事故。


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