📉95】─1─戦後教育である「詰め込み教育」を続ける日本人は国際社会で勝てない。〜No.216No.217 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2023年1月25日13:01 YAHOO!JAPANニュース 幻冬舎ゴールドオンライン「「詰め込み教育」を続ける日本人は国際社会で勝てない…脳科学者・茂木健一郎による警鐘
 かつての日本人は「本当の知性」を持っていましたが、時の経過とともに磨きがかかるどころか失ってしまいました。この原因は学校の「詰め込み教育」があると、脳科学者として活躍する茂木健一郎氏はいいます。みていきましょう。
 かつて日本に通底していた「わび・さび」の概念
 日本は教育大国だと、長年言われてきました。資源のない小さな島国が国際社会で存在感を発揮するには、僕たち1人1人が知性を磨かなければならない。日本では、人間こそがすなわち資源なのだ──。そんなことを学校の先生から教えられた人もいるのではないでしょうか?
 そう、本来、教育とは知性、本当の頭のよさを磨くもののはずです。しかし、僕には、ここ数十年の日本の教育が日本人の本当の頭のよさを磨いてきたとは、到底思えないのです。
 千利休明治維新の志士たちも…みな「情緒に流されない力」を持っていた
 たとえば僕は、千利休(1522~1591)はとてもクレバーだと思います。利休が発見した「わび」「さび」の概念は、世界中で尊ばれ、好まれる美意識、コンセプトです。
 ちなみに「わび」とは足りないものに美を見出すこと、「さび」とは時間の流れとともに変質していったものに美を見出すことです。
 大事なのは、千利休が発見したといっても、彼が「これがわび・さびです」と確立したわけではないということ。たとえば水墨画の大家、長谷川等伯(はせがわとうはく)や雪村(せっそん)などもわび・さびの極地と言っていいと思いますが、かつて日本に通底していた、そういった美意識を見出し、論理立て、わび・さびと名づけたのが千利休だったのです。
 また、明治維新という出来事も、全体を通じて非常な知性を感じさせます。
 外国から開国を求められている、しかし国内も一枚岩ではない、国内をまとめ外国の勢力に対抗しなければならない。「ペリーを怒らせるのは嫌だしなあ」「将軍の顔を潰しちゃいけないしなあ」「薩摩は長州より格が上だぞ」なんて、重要な登場人物の誰か1人でも情緒に任せて動いていたら絶対に成功しませんでした。
 明治維新を成し遂げた薩摩や長州の人たちは、いや、はからずも対抗勢力となってしまった江戸幕府の人たちも、我が藩の利益だけでなく、立場は異なっていても日本という国について考え、選択をしたはずです。
 千利休にしても、時は乱世なわけです。秩序が乱れ、戦乱や騒動が絶えない時代にあって人々の心はすさみ、厭世的な気分が国中を覆っていたはずです。そうした情緒に流される方向に添えば、生きるのは悲しい、苦しいみたいな方向に行ったって決して間違いではないわけです。もしくは人はすぐ死ぬ、祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声だみたいな価値観だって当時すでにあったでしょう。
 しかし千利休はそこに「もののあはれ」的な美を見出すことはしませんでした。そうではなく、人は滅びる、しかしモノは滅びない、そして古びたモノ=時を経てなおそこにあり続けるモノは美しい、という非常に骨太な、情緒ではなくロジックに裏打ちされたセンスを示してみせるのです。
 そんな中世の千利休、近代の維新の志士たちが持っていた本当の頭のよさとは「情緒に流されない力」だったと僕は考えています。つまり、かつての日本人は「言語化されていない」けれど「情緒的ではなくてロジックに基づいた」感覚を正しくとらえる力を持っていました。
 日本の「詰め込み教育」が“本当の知性”を摘んでいる
 この情緒に流されずに正しく判断する力こそがいまの時代も必要なのであり、本来、教育とはそういった部分を伸ばしていくべきだと僕は考えています。
 そのためには、たとえば外国の学校現場で取り入れられているようなディベートを重視し、プロジェクトの企画から完成までを行なうプロジェクト型の教育が必要でしょうし、アートや一般教養についての深い学びも必要でしょう。それらは本来、テストで判定できるようなものではないはずです。
 しかし、日本の教育はいまだに暗記型、詰め込み型で、テストで成績を判定します。テストで判定できる知識で、社会に出てから役立つものがどれほどあるでしょうか。たとえば、いかに創意工夫してプロジェクトを立ち上げやり遂げるかは、趣味の世界でも、ビジネスの世界でも求められる普遍的な能力ですが、テストのしようがありません。
 英語における「用語のセンス」もテストできないでしょうね。もちろん、単純に英文を訳せるかどうかはテストできます。しかし、「これはペンです」を英語にできるかどうかはテストできても、そんなものは実際に外国人と話すときには役立たないでしょう。
 「あ、それはペンですよ」と、相手に教えるシチュエーションより、「心がざわっとして、ちょっと悲しくなって、でもそう言ってもらったことが嬉しかった」という複雑で曖昧な心の機微を伝えるシチュエーションのほうが、人生では絶対に多い。こうした用語のセンスを日本の英語教育で身につけられるとは、到底思えません。
 いまの日本の教育を受けた人の多くは暗記型、詰め込み型の勉強は得意でも、ディベートや質問は苦手です。しかし、世界の多くの国では暗記や詰め込みではなく、発想、交渉といった教育に力を入れている。これは実は由々しき事態です。
 茂木 健一郎
 理学博士/脳科学
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📉10】─1─日本は学校教育で東アジア最劣等国化する。〜No.18No.19 

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 日本の教育といっても、バブル崩壊後の現代とバブル経済以前と昭和前期前とは全然違う。
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 2023年1月24日 YAHOO!JAPANニュース JBpress「日本の東アジア最劣等国化を防げ 私立中授業料助成が大切な理由
 若者の創造性をいかに伸ばすかが、日本の将来を左右する
 1月19日、東京都の小池知事は自民・公明両党幹部との面会で「私立中学に通う年収910万円以下の世帯」に対する「都からの独自助成」の要請を受け、「急ぎ検討する」(https://www.jiji.com/jc/article? k=2023011900985&g=soc)と応じました。
 これに対して各方面から異論が上がっているようです。曰く
 「義務教育なんだから私立に行くのは贅沢」「趣味みたいなもんだろ」「自腹で行けばいい」「高校の無償化が先だろう」・・・。
 甚だしいものに至っては、「行政が格差を広げてどうするんだ」といった意見も目にしました。
 東京都内で私立中学に通う生徒は25%にも上るという数字があり「これで統一地方選挙対策も万全だろ」といった揶揄もあった。
 「私立中学進学助成」に諸手を挙げて「良い」とする意見はほとんど目にしません。
 このコラムは、学術教育の観点から「私立中学費助成は国家百年の計に資する人材育成の一手」として評価を展開しようと思います。
 以下では、選挙だ人気取りだといった観点ではなく「教育の多様性」という観点から「私立」助成を積極的に評価します。
 異論も多いと思いますが、例えば皆さん、これが大学だったらどうですか? 
 私立大学への進学助成は「贅沢」だ、みんな国公立に行って安く質の高い教育を受ければいいだろ、と言われたら・・・? 
 社会全体はいったいどのようなリアクションを見せるでしょうか? 
 私は良いと思います。みんな東京大学に来てください。低廉な授業料で、最高の教育を提供いたしましょう。
■  人材も「高度成長」した昭和30年代
 今年で私が東京大学に任官して25年目になります。正味四半世紀「国公立」の教官をやっている。母校でもありますから、かれこれ40年近く東大と縁があるわけです。
 大学以降はすべて「官学」。しかし、実はそれ以前の教育は、実はすべて「私学」にしか通ったことがありません。
 幼稚園から小中高とすべて私立です。でもこれを「贅沢」と、私の親は考えていなかった。我が家は「教育エンゲル係数」の極めて高い生計だったと思います。
 やや私事になりますが、私の父は私が小学校1年の時、学徒出陣後にシベリア抑留で芽を出した「肺がん」のため46歳で死んでしまいました。
 それ以降は母親が一人で、教師で生計を立てながら子供の教育に文字通り人生を懸けて取り組んでくれました。
 では「教育ママ」だったのか。およそ逆でした。「嫌いな勉強はしなくてよい」というのですから。その理由は? 
 「いやいややったことはテストが終わったらさっさと忘れる。そんなものは人生の空費でしかない」
 「若くて感じ方の柔らかいうちに、好きなことで優れたものを惜しみなく経験して本物になるのが教育の本質」
 これが、焼夷弾直撃で2年間寝たきりを挟んで、20代半ばで教師となり、15年在職後40歳で私を産んだ母の、教育に対する基本的な考え方でした。
 あともう一つ、ちょっとポイントなのは「嫌いな勉強はするな」「すべての教科を好きになってから勉強したら、全部本物の経験になって身につく」という「下の句」があったこと。
 それで小学校高学年から、子供向けの参考書などはほとんど用いず、最初から大学以上の専門参考書や事典、図鑑などだけを用い「水で薄めた子供だまし」は一切認められなかった。
 公立学校が準拠する「学習指導要領」は「学問のニセモノ」を子供に与えて日本をダメにしているだけだから、そんなものは相手にしてはいけない・・・。
 戦争を生き抜いたというか、爆弾で直撃されて2年間寝たきりから生還した鬼婆でしたから、ちょっと大変な信念で、子供としてはたまったものではありませんでしたが(苦笑)。
 でも、これが最も奏功したのが私の正業、音楽で最初からバッハ、ベートーヴェンシューマンチャイコフスキー・・・一番最初に接するのが本物であれば、後はそれを母語にして自然に育つというご無体な教育。
 完全に正解でした。
 さらに中学時代からの私の師、松村禎三から受けた教育も、最初から本物しか与えないというマナーで、学校には一切通わず、レッスンと国際コンクール類だけでキャリアを作りました。
 これを「子供の頃から音楽の専門教育なんて、さぞ家にお金があったのでしょう」などと雑誌ですら揶揄されたことがありました。
 しかし、それはゲスの勘ぐりというもので、事実を分かっていない。
 当時の我が家は父親が死に、教師の母が何とか生計を支え、松村禎三は生前、生涯1円のレッスン料も私から取ろうとはしませんでした。
 逆にご馳走してもらったことはいくらでもあります。確かに子供の頃の私にできることがあった。それを見つけ、利害欲得無関係に育ててくださった師匠筋が内外にあり、いまの仕事に繋がっている。
 なぜそんなことが可能だったのか? 
 かつて、戦後の日本は本土爆撃で日本列島中の都市が焼け野原で、多くの人が家を失い、誰もが食べられなかった。
 そんななか、子供たちの世代が未来を築くことに希望を抱き、多くの親が自分の衣食を削っても子供の教育にお金を投入し、次の日本を築き上げる夢を託した。
 松村自身も戦争末期に両親を失い、師の池内友次郎宅に「書生」として居候、食べさせてもらいながら東京音楽学校を受験、合格、健康診断で肺結核が判明して清瀬村(現清瀬市)の療養所行き・・・。
 そこから「想像力と数百円」ですべてを作り上げました。
 戦後の「高度成長期」は単に日本や西ドイツの経済が高度に成長しただけではなく、戦後に育った世代が、焼け跡で住む家もない状況から苦学して世に出、本当に未来を築き上げた「人材育成高度成長期」でもあった。
 同じことを近年の「日本人」ノーベル賞受賞者で考えてみましょう。
 真鍋淑郎(1929-)2021年ノーベル物理学賞受賞
 本庶佑 (1942-)2018年ノーベル医学生理学賞受賞
 大隅良典(1945-)2016年ノーベル医学生理学賞受賞
 大村智 (1935-)2015年ノーベル医学生理学賞受賞
 といった人たちが1945年に何歳だったか(16歳、3歳、0歳、10歳)を考え、1950~70年頃、昭和30年代を中心とする約20年間にどのような年配を過ごしたか。
 真鍋淑郎(21~41歳)
 本庶佑 (8~28歳)
 大隅良典(5~25歳)
 大村智 (10~30歳)
 最年長の真鍋氏は昭和33(1958)年に渡米して米国国立気象局の博士所員となり、1975年には米国籍も取得して頭脳流出してしまいますが、本庶、大隅、大村の各氏は小学校から中高大、大学院にかけて、まさに科学者になる世代を「高度成長」したことがよく分かると思います。
 真鍋さんは旧制で育ち新制東大の1期生でしたが、他の3氏はみな地元、宇部、福岡、韮崎の県立高校で、当時の「普通」の環境下で学びつつ育った。そしてそこで独自の創造性を養うことができた。
 この時代、日本は決して物質的に豊かではなかった。
 しかしその分、夢を育む時間と空間の余裕、ドラえもんの空き地があり、そこには埋設前の土管が子供の遊び道具になっていた。
 同じように、あてがいぶちで大人の営利の道具であるファミコンなどは存在せず、子供たちは身の回りにある何でも、おもちゃに見立てる遊びの天才だった。
 それが身の回りの算数や理科をも自在に操る道具やペットマテリアルにして、人類の歴史を変える大きな貢献につながった。
 ここにあるのは、物質的には何もなかったかもしれないけれど、精神の「自由」があり、青空と明日への希望、夢があった。
 私自身そうした世代の一番最後、「共通一次試験」導入初期に、そうした教育を「腐敗・堕落」と公言してはばからない教師や親のもとで育ったので、状況がよく分かります。
■ 日本の未来を支える「教育の自由化」
 かつて明治末期から大正初期、幕末維新をティーンから20代として過ごした「草莽の志士たち」も還暦を迎えていましたが、「大正デモクラシー」の教育状況を深刻な「国難」と考えていました。
 何がダメだったか? 
 東京帝国大学を中心とし、恩賜の銀時計を頂点とする硬直し切った教育ヒエラルキーは「近視眼官僚」やら「陰謀公家」やらを輩出。
 片や帝大でトップを取り損ねた優秀な人材が「これから先一生、あんなやつの風下になるくらいなら」と自殺したりして、ある「末期」を迎えていました。
 そこで「教育に風穴を!」と導入されたのが「私学」だった。
 大正の教育改革、1920年の制度改変で、この時生まれたのが「早稲田大学」「慶應義塾大学」「同志社大学」「日本大学」など最古参の私立大にほかなりません。
 それより前、明治期にはこれらの学校は、慶應が「義塾」といっているように「専門学校」で、「大学」と名のつくものは帝国大学以外には存在しなかった。
 大学と名のつくものが、いきなりたくさんに増え、教育は一挙に自由化、多様化多彩化し、大正デモクラシーの花が咲き誇ります。
 ちなみに「高等学校」も、明治期には「第一」から「第八」まで番号のついたナンバースクールしかなかった。
 それではいけないと、1919~23年にかけて「ネームスクール」と呼ばれる「松本」「水戸」などの新設校が16も同時に誕生し、いきなりたくさんに増えた「大学」に対応して「旧制高校生」も増えた。
 でも、それじゃまだ足りない。「中学」が一番大事という議論が100年前にも熱く戦わされていたのです。 
 真鍋さんは旧制で育ち新制東大の1期生でしたが、他の3氏はみな地元、宇部、福岡、韮崎の県立高校で、当時の「普通」の環境下で学びつつ育った。そしてそこで独自の創造性を養うことができた。
 この時代、日本は決して物質的に豊かではなかった。
 しかしその分、夢を育む時間と空間の余裕、ドラえもんの空き地があり、そこには埋設前の土管が子供の遊び道具になっていた。
 同じように、あてがいぶちで大人の営利の道具であるファミコンなどは存在せず、子供たちは身の回りにある何でも、おもちゃに見立てる遊びの天才だった。
 それが身の回りの算数や理科をも自在に操る道具やペットマテリアルにして、人類の歴史を変える大きな貢献につながった。
 ここにあるのは、物質的には何もなかったかもしれないけれど、精神の「自由」があり、青空と明日への希望、夢があった。
 私自身そうした世代の一番最後、「共通一次試験」導入初期に、そうした教育を「腐敗・堕落」と公言してはばからない教師や親のもとで育ったので、状況がよく分かります。
■ 日本の未来を支える「教育の自由化」
 かつて明治末期から大正初期、幕末維新をティーンから20代として過ごした「草莽の志士たち」も還暦を迎えていましたが、「大正デモクラシー」の教育状況を深刻な「国難」と考えていました。
 何がダメだったか? 
 東京帝国大学を中心とし、恩賜の銀時計を頂点とする硬直し切った教育ヒエラルキーは「近視眼官僚」やら「陰謀公家」やらを輩出。
 片や帝大でトップを取り損ねた優秀な人材が「これから先一生、あんなやつの風下になるくらいなら」と自殺したりして、ある「末期」を迎えていました。
 そこで「教育に風穴を!」と導入されたのが「私学」だった。
 大正の教育改革、1920年の制度改変で、この時生まれたのが「早稲田大学」「慶應義塾大学」「同志社大学」「日本大学」など最古参の私立大にほかなりません。
 それより前、明治期にはこれらの学校は、慶應が「義塾」といっているように「専門学校」で、「大学」と名のつくものは帝国大学以外には存在しなかった。
 大学と名のつくものが、いきなりたくさんに増え、教育は一挙に自由化、多様化多彩化し、大正デモクラシーの花が咲き誇ります。
 ちなみに「高等学校」も、明治期には「第一」から「第八」まで番号のついたナンバースクールしかなかった。
 それではいけないと、1919~23年にかけて「ネームスクール」と呼ばれる「松本」「水戸」などの新設校が16も同時に誕生し、いきなりたくさんに増えた「大学」に対応して「旧制高校生」も増えた。
 でも、それじゃまだ足りない。「中学」が一番大事という議論が100年前にも熱く戦わされていたのです。
■ 人生を決めるのは「中2病」? 
 「鉄は熱いうちに打て」と、思春期前期の教育が人生を決める、との会津白虎隊の生き残りである帝大総長・山川健次郎の強い指導もあって「旧制7年制高等学校」が作られたのです。
 まだ12、3歳、声変わりもせずヒゲも生えていない「子供」に、いきなり大学院と同様の本物の先端教育を値引きなしに施す。
 その結果「中2病」の被害者(? )として本物、筋金入りの科学者や技術者、世界をリードする若者が日本から大量に生み出されることになりました。
 官立では「東京高等学校」、私立では「旧制武蔵高等学校」「旧制甲南高等学校」「旧制成蹊高等学校」「旧制成城高等学校」、ほかに台湾と、公立として富山と大阪、東京に3つ、合計9校作られました。
 当時は東京「府」で「府立高等学校」、現在の東京都立大学。これらの学校がこの100年に生み出した世界的なリーダーの名を、ここではいちいち挙げません。
 重要なのは、私立中学は学費がかかるけれど、親が頑張ってそれを支えた。その結果、世界に冠たる日本発の学術、教育、イノベーションがグローバルスタンダードを(ある時期)牽引したという事実です。
 「中学生からの教育強化、自由化を!」という大正教育改革の基本は、100年が経過した21世紀の今日も、微動だにしない一貫した本質であり続けている。
 いま日本の教育が本格的に墜落寸前にあるなか、ここを何とかしなければならない。
■ このままではアジアの2等国に転落する
 「戦後78年」日本の教育が衆愚劣化の傾向を強めた一大転機は、1978年度から導入された「共通一次試験」導入と「国立一期校・二期校」区別の撤廃あたりにあるでしょう。
 私自身この初期の世代なので「使用前」「使用後」を知っており、使用後、明らかに日本の学力は崩壊していきました。
 東大、京大などが並ぶ一期校に対して医科歯科、外語、横国大など「二期校の雄」も居並ぶなか、全体の趨勢として「二期校は滑り止め」的な階層分化が見られる、として国立大学は一列並びにさせられた。
 しかし、かえって偏差値という1元的な尺度で上下を比較される序列化の傾向を強めてしまった。
 その後の教育改悪と迷走ぶりは、いまさらここに記すまでもないでしょう。
 一方ではIT化だAI化だと電子計算機の社会展開が称揚され、プログラミング教育という世も末な標語ももてはやされるようになった。
 ところが、電子計算機内部の演算は大半が「行列算」でできているのに、その行列は高等学校の数学で教えなくなってしまった。
 いまや「文系進学コース」に進むと大学受験以前に、行列算の一番の基本である「ベクトル」も習わなくなり、日本は「情弱国家」への衰退路を一目散にひた走っている。
 こんな愚かな教育制度に付き合わされていると、本当に21世紀に生まれた「Z世代とそれ以降」は国際社会で世代としての勝ち目がなくなってしまう。
 例えば、日本で文系の教育しか受けずに経済学部を出ましたといって、香港やシンガポールのトレーダとどうやって対抗するというのでしょう。
 入試程度のベクトル算のトレーニングも経験することがないままで・・・。
 原理的不可能、ただ単に無理としか言いようがありません。でも決して手を拱いているわけではない。
 私は評論家ではなく、関連の研究教育に責任を持つ当事者ですので、25年来一貫して実践努力も惜しまず続けてきました。
 今週末1月29日にも、私たちは恒例の「ひらめき☆ときめきサイエンス」白熱音楽教室https://www.jsps.go.jp/hirameki/22ht0000/22ht0042.pdf)を開催します。
 参加料は無料。ちなみに私には一銭の儲けもありませんが、連日連夜、研究室を挙げて準備にいそしんでいます。
 「白熱音楽教室」は小学校5年から高3までの生徒が受けることができます。ただし、東大学部入試よりもハードかもしれない「選抜課題」をクリアした20人だけ。
 それ以上の人数を私たちのラボで十分痒い所に手が届く形で指導できないから人数は絞らざるを得ない。
 白熱音楽教室では小学生にも分かる形で、大学院~最前線レベルの本質を教授します。それと同時に、中学高校で習う物理や数学、生理の核心もしっかり教えます。
 それは紙の上のお勉強ではない。例えばニュートンがプリンシピアで初めて示した、周波数と波速の関係、式で書けば
 c=λν
 などを、ゲームを遊んでいる意識で実測しながら、心と体と自分自身の測定と計算で骨の髄から感得する。
 そういうのが「旧制7年制高校」以来の「自由化教育」の本質で、100年経っても何も変わりません。
 私自身もかなり時間と労力を割いて準備しており、院生たちも全力で準備、極めて贅沢な内容を、準備のある子にお金関係なしに提供します。
 優れたものを、惜しみなく。
 こういう発想がいまの日本には決定的に欠けてしまった。その結果が「子供を私立中学に入れるのは道楽だから、補助金など出さなくてよい」といった、水は低きに流れる式の横並び見解に結びつくように思います。
 こんなことを続けていたら、日本の未来を支えるべき世代に、切り開く発想を持った人が払底してしまうでしょう。
 格差を広げるのではない。大半の人は残念ながらあまり創造的に熱心に学んだり、学術を未来に拡張する無償の努力に興味がない。
 でも、世代の中で例外的に、そういう関心を持った子供たちを伸ばすこと、教育に自由の幅が大きい形で次世代を育てる「私立中学費助成」に、私は全面的に賛成、と記したいと思います。
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🍘34〗ー2ー日本の食料自給率の低下と不耕作農地の増加は安全保障の危機。~No.105No.106No.107 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
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 食料とエネルギーは兵器である
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 日本は、食糧輸入国で、輸入が途絶えたら飢餓が発生する。
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 2023年1月22日 YAHOO!JAPANニュース 幻冬舎ゴールドオンライン「日本政府の「愚の骨頂」…食料を自給できない上、最近顕著化してきた「新たな問題点」
 コンサルタントである松本繁治氏の著書『壊れたニッポンを治す為の21の処方箋』より一部を抜粋・再編集し、日本の「食料自給率の低下と不耕作農地の増加」について見ていきます。
 食料自給率の低下と不耕作農地の増加
随分前から取りざたされている問題の一つに、戦後一貫して食料の自給率が低下している事が挙げられる。国防上、食料を自給できない事は危険であるが、この問題点について国はあまりにも無頓着である。
 イギリスもかつては自給率が低かったが、最近はかなり自給率を上げてきている。日本の場合も下げ止まっている様ではあるが、まだまだ他の先進国と比べて大変低いレベルにある。
 但し、自給率が低いと云っても、これはカロリーベースでの計算結果であって、生産額ベースではイギリスやドイツと遜色ないレベルにある。但し、日本で生産される食糧は高いので、生産額で計算すると自給率が高めに算出される様である。
 因みに令和2年度の自給率はカロリーベースで37%(=1人1日当たり国産供給熱量〈843kcal〉/1人1日当たり供給熱量〈2269kcal〉)、生産額で67%(=食料の国内生産額〈10.4兆円〉/食料の国内消費額〈15.4兆円〉)となっている。因みに、年間2500万トンもの食料が廃棄されていて、これらはカロリーベースの計算には含まれていない。
 これが意味している事は、食料を作っても廃棄される量が多いため、カロリーベースの計算をすると低くなってしまうとも考えられる。また、果物や牛肉等の日本の食料の一部は高級志向であるため、カロリーベースの計算では低いが、生産額ベースでは高くなる原因の一つと思われる。
 農水省自給率が低い事を説明する際にこのカロリーベースで語るが、何を問題点としているのかサッパリ見えてこない。
 カロリーベースの計算を使わなくても自給率が低い事には変わりはないが、食料の廃棄の多さも問題点にしたいのかが見えてこない。ただこの数値のカラクリについては深入りせず、この程度に留めておこう。
 愚の骨頂…問題を塗り重ねていく「日本の農地」の実態
 そんな状況下で、元々の農地であった土地が農地として活用されていない“不耕作農地”が溢れている。その面積は、埼玉県の面積とほぼ同じとの事である。
 日本の自給率が低い状況下で、埼玉県の面積分の農地が何も作られずに放置されていると云う事は、大変異常な事である。
 戦後の農地改革の弊害や、現在の農地法等の問題により不耕作農地が増え続けているが、最近顕著化してきた新たな問題点として、不耕作農地や山林がソーラーパネルの設置場所として転用されている事である。
 食料が足りないのに、そして二酸化炭素を吸収して酸素に換えてくれる農地や山林を切り開いてソーラーパネルを設置する事は、誠に愚の骨頂である。その結果、景観が損なわれるだけでなく、水害等の新たな社会的問題を発生させてしまっている。これも行政の怠慢である。
 また最近は再生可能エネルギーへの転換が叫ばれており、ソーラーパネルの設置はSDGsの一つの目標には対応している様に見えるが、環境破壊に繋がるため、他のSDGsの目標には相反している。全く愚かな事で話である。
 仮に不耕作農地を全部農地として耕作したとしても、日本の自給率が100%になる訳ではないが、その効果は十分である。農林水産省の平成2年度の統計データによると、日本の耕作面積は437万ha 有る。
 そして埼玉県の面積は3797㎢でヘクタール計算では約38万ha有り、日本全体の耕作面積の8.7%に相当する。単純な計算では、埼玉県の面積分の農地が耕作されれば、自給率が8.7ポイント改善する事になる。
 これは決して小さな改善ではなく、かなり大きな改善である。
 ******************
 松本 繁治
 ルイジアナ州立大学工学部卒、同大学大学院中退。
 日米の製造メーカに勤務後、外資系IT企業や外資コンサルティング企業にてコンサルタントとして10年以上の活動を行う。一時期、家業である製造メーカで経営を支援。
 2009年以降は独立してコンサルティング活動を継続中。
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 1月24日17:00 YAHOO!JAPANニュース 夕刊フジ「「21世紀の戦国時代」防衛力強化だけでは不十分 日本は食料・エネルギーの備えも重大な課題 国際投資アナリスト・大原浩氏が緊急寄稿
 ウクライナ戦争や台湾有事など、世界の安全保障環境が危機に直面している。国際投資アナリストの大原浩氏は、現状は20世紀の2つの世界大戦の間にあたる約100年前と共通点が多く、世界は再び「多極化」の時代に突入すると指摘する。緊急寄稿で大原氏は、21世紀の「戦国時代」において、日本は防衛力強化だけでなく、食料やエネルギーの備えも重大な課題だと警告する。
 ◇ 
 戦争は望んで行うものではない。自らを守るための自衛権の行使が基本だ。そして「話し合いで解決できない相手」がこの世の中に必ず存在するのは紛れもない事実だ。
 記憶に新しい安倍晋三元首相暗殺事件では、「話し合いで解決する」議員を選ぶ場である選挙の応援演説中、卑怯(ひきょう)にも放たれた銃弾によって、国民の信望を集める人物の尊い命が奪われた。
 どのような国でも犯罪者がいることを前提に警察が存在する。そして、不幸なことに必ず犯罪者が現れる。 
国際社会でも他国に害を成す国家が現れる。例えば現在、日本と正式な国交を持たない北朝鮮はどうであろうか。
 安倍元首相が懸命に取り組んだ拉致被害者問題は、一向に解決の糸口が見えない。それどころか、北朝鮮は昨年、約70発のミサイルを発射したとされる。
 北朝鮮は2003年に核拡散防止条約(NPT)から一方的に脱退し、05年に核兵器保有宣言を行った。06年に核実験を行い「事実上の核保有国」となったが、「世界の警察」と称される米国をはじめ、どの国も止めることができなかった。
 その結果、われわれは常に北朝鮮から飛来する核ミサイルの脅威におびえ続けなければならない。「自分の国は自分で守る」ことを真剣に思い起こすべきだ。
 現在は、1914年から始まった第一次世界大戦後、あるいは39年開戦の第二次大戦前夜に似ている。第一次大戦までの世界の覇者は英国など欧州であり、世界秩序も彼らが保っていた。だが、第一次世界大戦以降「多極化」の時代に入った。
 第二次大戦後に米ソ二極の時代へ突入し、91年のソ連崩壊以後は「米国一極時代」が続いたが、共産主義中国やインドなどの台頭により、それも終わりを告げつつある。つまりわれわれは、再び「多極化」の時代へと向っているということだ。
 歴史を振り返れば、多極化の時代は、群雄割拠の「戦国時代」である。地政学リスクが高まるのは当然だ。後世において、「21世紀の戦国時代」の発端はウクライナ戦争とみなされるかもしれない。「台湾有事」の危険性も高まっている。
 われわれが抱えているリスクはそれだけではない。世界的インフレが発展途上国の貧しい人々を追い詰めている。昨年7月には経済危機に瀕(ひん)したスリランカのラジャパクサ大統領が軍用輸送機でモルディブに逃亡し、政権が事実上崩壊した。12月にはガーナ政府が対外債務の一時支払い停止を表明し、事実上のデフォルトに陥った。
 現在は「世界大乱の時代」に突入しており、いつどこで「地政学リスク」が爆発してもおかしくない。
 そのような時代において、日本政府がまず行うべきは「国民の安全の確保」である。早急に防衛力を増強すべきなのはもちろんのこと、食料・エネルギー問題の解決も緊急課題だ。
 食料についてはカロリーベースで38%、エネルギーではたったの10%程度という脆弱(ぜいじゃく)な自給率への対策も欠かせない。いくら武器があってもそれを動かすエネルギーがなく、それを取り扱う兵士や国民が飢えていては、戦いなどできるはずがない。
■大原浩(おおはら・ひろし) 人間経済科学研究所執行パートナーで国際投資アナリスト。仏クレディ・リヨネ銀行などで金融の現場に携わる。夕刊フジで「バフェットの次を行く投資術」(木曜掲載)を連載中。
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 アメリカが唯一の大国と言われる理由は、他国に頼る事なく輸入せず自国内だけで食糧、物資、エネルギーを自給できるからであり、もし足りないものがあれば北米、中米大陸、カリブ海で他国の妨害を得ずに手に入れる事ができる。
 アメリカは、地理的条件、地政学から唯一侵略されない絶対安全国家である。
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 江戸時代までの日本は、外国から生存に必要な物資を輸入しない、頼る事がない地産地消の完全自給国で、その為に気象異常で凶作が起きると飢饉が発生して夥しい人々が餓死していた。
 日本は近代化と共に食糧・物資・エネルギー(石油)の輸入国に転落した。
 明治から昭和前期にかけて、日本は、経済が発展し産業が盛んになると大量の石油と資が必要となり、人口爆発で人口が急速に増えると国内生産では賄えなくなった。
 明治以降の日本は、大凶作に襲われても食糧を緊急輸入して餓死者を出さなくなった。
 輸入国家日本は、食糧・物資・エネルギー(石油)を外国で購入する為に外貨を稼ぎ、アメリカやイギリスなど西洋諸国内で日本資産を増やしていた。
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 国際通貨は米ドル貨・英ポンド貨・仏フラン貨などで、日本円貨は通用しなかった。
 日本の貿易で重要であったのが、アメリカとイギリスに貯めた在外日本資産であった。
 アメリカ・ウォール街、イギリス・シティー、オランダ・アムステルダムの金融を支配していたのは、ユダヤ系国際金融資本であった。
 そして、世界の食糧・物資・石油などを支配していたのは、アメリカとイギリスの国際資本であった。
 世界戦略からいえば、食糧・物資・石油は最有力な武器であった。
 輸入国家日本の命綱は、輸出産業で稼いだ外貨を貯めた在外日本資産であった。
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 米ドルは、断トツの信用を持った世界市場における基軸通貨である。
 アメリカは、軍事力と経済力そして通貨力で、世界の食糧・物資・エネルギーを支配し、金融・経済、情報・サービス、インターネット、運輸、輸送、その他の各種サービスを動かし、海上・上空・陸上の安全をアメリカ軍が保障している。
 アメリカの本当の力は、世界の安全と安定を守る警察・守護者以前にある。
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 日本は、アメリカに依存し、アメリカ経済に寄生して生きている。
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 日本が大国になれない理由は、生きる為に必要な食糧・経済に必要な物資・資源生産と生活に必要なエネルギーを自給できず海外で米ドル建てで購入し、金融・経済、情報・サービス、インターネット、運輸、輸送、その他の各種サービスをアメリカに頼り、海・空・陸における安全をアメリカ軍に依存しているからである。
 日本は、何一つとして自国だけで自力で賄えない。
 つまり、日本は如何にアメリカに抗(あらが)おうとも日米安保体制という軛(くびき)から逃げ出せない。
 その厳然たる事実を忘れたのが、ジャパン・アズ・ナンバーワンと煽てられ有頂天になったバブル経済における世界第2位の経済大国日本であった。
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 戦前の日本はその深刻な現実を自覚するが故に、経済安全保障として、自給自足の大東亜共栄圏(円貨ブロック経済圏)を自力で作ろうとした。
 太平洋戦争とは、軍国日本の領土拡大の為の侵略戦争ではなかった。
 事実、昭和前期は人工爆発と凶作続きで食糧輸入国に転落し、昭和16年は異常気象で約1,000万人分の食糧不足となり仏印(現ベトナム)から大量の外米を緊急輸入して飢餓・餓死を防いだ。
 外米を買うには米国ドルが必要であり、輸送船を動かす為には石油が必要であった。
 が、アメリカ、イギリス、オランダは中国侵略を続ける日本に対する経済制裁として、在外日本資産の凍結と日本に対する石油全面禁止を断行した。
 同じような深刻な事態が、コロナ禍2021年末のコロナ禍と2022年2月のウクライナ戦争で発生し、世界的な原油高で輸入資源不足と輸入代金高騰で日本国内のガソリン代や食品の値上が始まっている。
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📉27】─1─衰退日本が30年間グローバル化できない根本的な原因は今の教育システム。〜No.55No.56 ⑤ 

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 2023年1月23日 YAHOO!JAPANニュース 文春オンライン「日本がグローバル化できない「根本的な原因」とは? 今の教育システムに“足りないもの”
 国境を越えてヒト・モノ・カネ・情報を移動させ、新たな経済圏を創出するというグローバリゼーションの発想は、この30年間、各国で実践され、世界経済は発展を遂げた。その一方、先進国中で日本だけが唯一後退しているのは周知のとおりだ。
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 何がいけなかったのか?
 日本が後退している「シンプルな原因」
 ©AFLO
 理由はいくつもあるだろうが、その中でもシンプルかつ明らかな原因がある。それはグローバル化の柱のひとつ「国境を越えたヒトの移動」ができなかったからだ。単純労働のための海外人材の雇用は増えたものの、日本のビジネスに付加価値を与えてくれるような高度人材を世界から募る日本企業はまれだ。
 一方で、MicrosoftGoogleのCEOにインド人が就任するほど米国では人材のグローバル化が進んでいる。もちろん米国人が逆に外国に出て企業や学校で活躍するケースも多くある。それは米国のみならず世界中の先進国で起きている現象だ。だが残念なことに、日本人が海外企業でその能力を発揮するケースは多くない。
 少子高齢化に伴う人口減少により、国内市場は今後縮小の一途をたどる。海外市場に活路を見出すより他ない状況の中、グローバルに通用する人材も企業もなかなか輩出できないのが今の日本だ。
 そうなった根本的な原因の一つが日本の教育システムにあると考える。日本の教育は知識習得と自己鍛錬には効果的だが、情報化とグローバル化が進み、将来の予測が難しい現代社会にマッチしているとは言い難い。
 グローバル化に必要な「4つのC」
 では、どのような教育が必要なのか? 全米教育協会は2014年にその回答として「4つのC」を提案した。それは、以下の4つの伸ばす教育だ。
〈(1) Communication(コミュニケーション)
(2) Collaboration(協働)
(3) Critical Thinking(批判的思考)
(4) Creativity(創造性)〉
 このうち誤解されやすい(3)について少し解説をしたい。
 批判的思考とは、言われていること(議論)を鵜呑みにせず、「なぜか?」という問いを繰り返し、議論の構造を明らかにする手法だ。決して反対の立場に立って考えることではない。
 例えば、「戦争はすべきではない」という議論に「なぜ戦争すべきではないのか?」と問うてみる。その答えが「多くの人が自らの意思に反して死ぬから」であれば、「では、多くの人が死ぬことがなぜいけないのか?」と問う。これを繰り返し、問いを深めていく。やがて問いは哲学的となり、その答えは価値観や信念を反映するものとなる。議論の前提が明らかになるのだ。批判的思考についてのより詳しい説明は以下のコラムをご参照いただきたい。
 国際バカロレア留学の成功の秘訣(と僕が思うもの)ー2(クリティカルシンキング理論編)  https://note.com/motokiwatabe/n/n4ae0970a7027
 最近の海外での教育は、4Ⅽを謳っていなくとも、それに準ずる目標を掲げる学校が多い。例えば国際バカロレア(IB)では、理想の学習者像として
(1)探究する人、(2)知識のある人、(3)考える人、(4)コミュニケーションができる人、(5)信念をもつ人、(6)心を開く人、(7)思いやりのある人、(8)挑戦する人、(9)バランスのとれた人、(10)振り返りのできる人、を挙げている。
 これらが4つのⅭをほぼカバーしていることはおわかりいただけるだろう。つまり世界の教育の多くは、この方向にシフトしている。現在では、既存の考えや知識、価値観やキャリアパスなどが、急速に変わり、5年前にコロナを予測できなかったように、不確実性が高くなっているのが理由だ。このように不確実性の高い状況は「VUCA」と呼ばれ、近年のキーワードとなっている。4ⅭやIB学習者像は、そんな正解のわからない、予測のしにくい状況を乗り越えるための能力として認識されている。
 座学よりも実践で鍛えるべき能力
 海外では具体的にはどのような教育をしているのか。重要なことは、4つのⅭは座学よりも実践で鍛えるべき能力だという点だ。したがって、知識を効果的に他人に伝える、マウントとりではなく発展的議論をする、グループで成果を出すような課題に取り組ませるようなことを小学生のレベルから行っている。具体例については下記のコラムを参照いただきたい。
 マレーシアの小1の宿題がグローバル過ぎてワロタw「負け組組織の大人」にならないための練習問題  https://diamond.jp/articles/-/59159
 国際バカロレア教育が日本に必要な本当の理由  https://note.com/motokiwatabe/n/n889d62a761f7
 一方日本では、先生が4Ⅽの重要さをわかっていても、それを効果的に教えられない。その元凶は、知識量を偏重した大学受験システムであり、大学ブランドによる仕分けに基づいた企業の新卒一括採用システムにある。簡単に言えば、受験に役に立つような教え方しかしないのだ。大学においても、ほぼ大学名で学生の就職が決まってしまうため、4Ⅽを鍛える大学教育システムが育たない。結果として、4Ⅽを鍛えるノウハウを持つ教育者の数が圧倒的に少ないのも問題だ。だからといって、子供に海外留学をさせるのは簡単ではない。仕事や経済的理由でそれができない親が大半だろう。
 子供に「意思決定」をさせる体験が大事
 では、今の日本の親たちはどうすればいいのだろうか。ここでは親子で4Ⅽに取り組む例を紹介したい。
 基本的な考え方は、(1)不確実な状況で、(2)いろいろな意思決定をしなくてはならない、(3)その意思決定はグループでのコミュニケーションが必要、という環境を作ることだ。
 最も手軽にそれを作れるのは、野外でのキャンプだ。どこに泊まるか、どこにテントを張るか、食事はどうするか、天候の変化にどう対応するか、といった自然環境の不確実性に対して、様々な意思決定が要求される。そこでは、どんな意思決定の優先順位が高いか、というレベルから考えなくてはならないし、そのための議論もしなくてはならない。
 それを親子で実践する。その時に重要なのは、決定のイニシアティブを子供に取らせることだ。子供の考えが明らかに間違っていても、それを頭から否定するのではなく、あくまで自分の代替案を提案するに留める。大きなダメージが残らないようなら失敗させても良い。その代わり、失敗の分析と振り返りを(決して叱らずに)させる。子供はその体験を通して、意思決定の大切さや面白さを体得するはずだ。そしてより良い決定をするには、批判的思考とコミュニケーションが必要とし、実現するにはコラボレーションが必須で、新しいアイディアを創造することもできると理解するだろう。
 大人にとっても貴重なチャンス
 このような経験をできるだけたくさん子供にさせることが重要だ。上記の3つの条件を満たせばなんでもよい。例えば、冷蔵庫にある材料でどれだけ美味しい夕食が作れるか、子供と一緒に考えるなど、工夫次第でいろいろとできるはずだ。
 実はこれは大人である私たちが4Ⅽを身に着ける貴重なチャンスでもある。日本的教育システムにどっぷりと浸かってきた私たちが、その呪縛から解き放たれるための訓練として有効だ。私たち自身の4Cが鍛えられるとき、子供たちの4Ⅽもまた飛躍的に伸びることだろう。
 プロフィール
 渡部幹(わたべ・もとき)
 1968年、北海道生まれ。北海道大学卒業。UCLA大学院社会学研究科博士課程修了、Ph.D.社会学)。京都大学助教早稲田大学准教授を経て、2013年よりマレーシアに移住。現在サンウェイ大学サンウェイビジネススクール教授、同スクール経営学部学部長。専門は、社会心理学、組織行動学、社会神経科学。2008年に出版した『不機嫌な職場 なぜ社員同士で協力できないのか』(講談社現代新書)は29万部のベストセラーとなっている。
◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『 文藝春秋オピニオン 2023年の論点100 』に掲載されています。
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📉67】─1─日本の国際競争力が過去最低の34位の原因は「日本人人材とはリスク」と認定したから。~No.138No.139 

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 現代日本における処世術は、「自分大事・自分可愛い・家族の為に何もしない」か「上司に言われて事だけを間違いなく仕上げる」か「同僚と同じ事だけをして成果を上げる」そして「分をわきまえ、分限を超えない」である。
 正社員はリスクとしてリストラされ、非正規社員契約社員が職場に増えた。
 政治家や企業家が学校教育で求めている「優秀な人材」とは、そうした「指示待ちのおとなしい日本人」の事である。
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 2023年1月19号 週刊新潮「文庫 
 『やる気を見せたら負け』の国
 評者 佐藤健太郎
 コロナ禍において、国産のワクチンが現れず、治療薬も出遅れたことを、製薬企業の研究員出身である筆者は歯がゆい思いで見つめている。技術力が低下したわけではなく、やればできるのにやらなかったのだと筆者には見える。流行はすぐ終わるかも、他のプロジェクトが遅れるからなどなど、やらない理由はいくらでもつけられる。結果、多くの製薬会社は100年に一度の危機に立ちすくむばかりであり、果敢に治療薬創出に挑んだ企業だけが、そのやり方について批判を浴びる結果となった。
 これに限らず、『出る杭は打たれる』ことを避けて必要な発言や行動、改革をせず、黙ってやり過ごすことを選ぶ人が増えている。太田肇『何もしないほうが得な日本』は、我が国にはびこる『消極的利己主義』の実態を指摘・分析した一冊。経営者がいくら積極的なチャレンジを促そうと、社員たちは失敗のリスク、周囲との軋轢を避けて新たな挑戦を行わない。下手に能力があるところを見せると面倒な仕事が回ってくるから、能のないふりをする。こうして積み重ねが『失われた30年』につながっているとする筆者の主張には、説得力がある。
 本書最終章には、『挑戦するほうが得な仕組み』の構築が提案されている。だが、日本全体に深く染みついた消極的利己主義マインドの払拭は、そう簡単ではなさそうだ。おとまず本書が、企業や教育の現場などで、広く読まれることを願う。」
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 1月20日 YAHOO!JAPANニュース JBpress「「失われた30年」を象徴、日本の国際競争力が過去最低の34位に沈んだワケ
 日本の国際的影響力はどんどん低下している(写真:アフロ)
■ 日本の「1人当たりGDP」はアメリカの半分以下
 世界的な人口増加が続いている。国連の発表によると、世界人口は2022年11月に80億人に達した。今年中にはインドが中国を抜いて人口世界一に躍り出ることが確実視されている。最新の国別ランキング(国連の『世界人口白書2022』より)は次の通りだ。
 中国を抜いて人口世界一になりそうなインド
(1)中国/14億4850万人
(2)インド/14億660万人
(3)アメリカ/3億3480万人
(4)インドネシア/2億7910万人
(5)パキスタン/2億2950万人
(6)ナイジェリア/2億1670万人
(7)ブラジル/2億1540万人
(8)バングラデシュ/1億6790万人
(9)ロシア/1億4580万人
(10)メキシコ/1億3160万人
(11)日本/1億2560万人
 G7でトップ10に入っているのはアメリカのみである。アジアが5カ国を占め、中国とインドの2国で世界全体の36%を占めている。世界中に展開している中華系、インド系住民を加えたらその比率はさらに高まる。
 また、日本を含む11カ国のうち、この5年間の人口変動で減少しているのは日本とロシアの2カ国だが、最新情報では、1月17日に中国国家統計局が2022年末の中国の総人口(香港やマカオを除く)が前年比で85万人減少したと発表。1961年以来61年ぶりの人口減少が明らかとなった。
 中国とインドは人口だけでなく国土面積も広大で、経済成長率も8%台(2021年)とG7各国を大きく上回り、GDPで見れば中国は世界第2位、インドは世界第5位になっている。人口、国土、経済、そして軍事面でも世界有数の大国である。
 一方、日本はというと2008年をピークに人口減少が続き、GDPは30年前から500兆円台のままで、実質賃金は下落し続けている。
 当然ながら、日本の国際的影響力はどんどん低下している。日本はGDPこそ依然として世界3位をキープしているが、1人当たりGDPアメリカの半分以下の水準で、イタリアと並んでG7の中で最低水準にある。
■「失われた30年」を象徴する国際競争力の低下
 日本の地盤沈下を象徴的するのは「国際競争力」だ。スイスのビジネススクールIMD(国際経営開発研究所)作成の『世界競争力年鑑』(2022年版、63カ国・地域)によると、日本の順位は34位。1989年から1992年までトップを維持し、1996年までは5位以内だった。それが1996年の4位を最後に2ケタ順位に定着。2022年は過去最低(2020年と同位)の34位まで低下した。
 ちなみに2022年版のトップ10は以下の通りだ。
(1)デンマーク
(2)スイス
(3)シンガポール
(4)スウェーデン
(5)香港
(6)オランダ
(7)台湾
(8)フィンランド
(9)ノルウェー
(10)アメリ
 ちなみに、中国は前年よりランクを1つ落として17位、インドは6つ順位を上げて37位となっており、日本を逆転するのも時間の問題かもしれない。日本は、韓国27位、マレーシア32位、タイ33位よりも下位となっている。
 この国際競争力は4つのカテゴリー(経済状況、政府効率性、ビジネス効率性、インフラ)における各5つの競争力指標(合計20)の順位を総合判定したものである。
 たとえば、日本の指標ランクでひと桁順位となっているのは、「経済状況」雇用2位が最高で、あとは「インフラ」科学インフラ8位、健康・環境9位、この3指標のみである。逆に「経済状況」物価は60位、「ビジネス効率性」経営プラクティスは63位で最下位、「政府効率性」財政は62位と厳しい評価だ。24指標中、9指標が40位以下という惨憺たる状況だ。
 まさに「失われた30年」を象徴するデータといえよう。では、この先、日本の挽回はあるのだろうか。
■このままでは日本のジリ貧化は止まらない
 注目したいのは、国際競争力トップ10のうち、アメリカ以外がすべて人口1000万人以下の小国である点だ。
 トップのデンマークは580万人(人口114位)、2位のスイスは880万人(99位)、3位のシンガポールは590万人(113位)である。話は別だが、昨年暮れに世界中が熱狂したサッカーW杯で3位になったクロアチア(国際競争力46位)は410万人(129位)である。
 たしかに人口、マンパワーは競争力強化に欠かせないが、必ずしも絶対的な要素ではないということだ。国の規模に見合った国家ビジョンを打ち立て、それに沿って実効性のある政策、経済運営を徹底していけば、どんな時代でも世界に存在感を示すことができるということをこれらの小国は証明している。
 だが、「失われた30年」からの脱却がままならない日本には、簡単には崩せない、乗り越えられない壁が立ちはだかっている。
・人口減少、少子・高齢化加速による社会保障コストの肥大化
財務省主導政府のダイナミズム欠如/増税路線
・労働環境の後進性/実質賃金低下/「移民」頼みの生産現場
・資源、食料自給力の絶対不足/エネルギー、食糧とも輸入依存
・教育・研究開発投資の遅れ/大学の基礎研究体制の脆弱さ/有能な研究者の海外流出
 挙げればキリがないが、残念なことにこの30年間で壁はどんどん“強固”になってしまった。
 「なぜ、日本の国際競争力、経済力がここまで落ちてしまったのか、その検証をきちんと行い、原因となっている壁をひとつずつ壊していくしかない」と指摘するのは、エコノミストの齋藤満氏だ。
 「国際競争力トップだった時代の豊かさに甘えて、あぐらをかいてきた結果がいまの凋落ぶりです。1980年代までは官民共同で技術開発を行い、革新的企業に金融支援を行って成長を助けたものです。
 歴史的に見ると、時代の流れとともに1950年代は繊維、60年代は造船、70年代は鉄鋼、そして80年代は自動車がリーディング産業になるというように世界の潮流に順応してきたのが、80年代のトヨタを最後にリーダー産業が出てこなくなり、いまではGAFAに対抗できるような企業が生まれない国になってしまったのです。
 この10年は、成長戦略と称して金融緩和と財政バラマキを行ってきたものの、資金が効率よく回らず、結局、政府に近い企業群が儲かる仕組みだけが残り、非正規の従業員が世に溢れる状況になってしまいました。政権交代も含めたドラスチックな改革を実現させて壁をひとつずつ壊していかなければ、日本のジリ貧化、地盤沈下は止まらないでしょう」(齋藤氏)
 もちろん、国際競争力を高めることだけに意味があるわけではない。世界のなかで日本という国家の存在意義が高められるかどうかがポイントだ。人口1億レベルの国家で「脱成長」の先端モデルを構築できれば、それはそれで価値がある。
 しかし、現状を見る限り閉塞感はぬぐい切れない。脱炭素では結局「原発」頼みだし、食料自給力向上体制も構築できない。今ごろになって言い出した少子化対策にしても「異次元」といった言葉先行で、説得力のある施策もビジョンも何も語られていない。
 政府は昨年12月、「デジタル田園都市国家構想」の5カ年総合戦略を閣議決定した。このなかで2027年度に東京圏から地方への移住者を1万人にすることを目指し、デジタル化に取り組む自治体を全国で1500に増やすことなどを柱にしている。
 だが、東京圏からの移住者1万人というが、2021年の東京圏への年間の転入超過者は8万1699人である。まったく話にならないではないか。東京一極集中は変わらず、地方の人口減少に歯止めはかからない。
 このままでは、日本は「縮小」と「衰退」の坂道を転げ落ちていくばかりだ。
 山田 稔
   ・   ・   ・   
 日本の国際競争力が低下して日本が衰退した原因は、中国・韓国・台湾・その他の発展途上国が経済力・生産力を強めたからではなく、日本人が無能・バカになったからである。
 現代の日本人が、武田信玄の「人は石垣、人は城」の箴言を時代遅れとして切り捨て、グローバルな「もの言う株主」の要求に従って優秀な若者を人件費を食うリスクと決めつけてリストラした事である。
 リストラと言っても、敗戦後復興期のリストラとバブル崩壊のリストラとは意味が違っていたが、歴史力のない日本人はそれが理解できなかった。
 つまり、当時の政治家や経済アナリストなどのメディアそして学者・教育者らに騙されたのである。
 その傾向は、現代でも変わっていない。
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 バブル崩壊後、経営難に陥って多くの日本企業は、「もの言う株主」の要求に従って将来稼げる有力な資産価値のある部門を外国資本に売却し、未来への破壊的イノベーションや現状を大改変するリノベーションができる優秀な若者を高額な人件費を食う有害なリスクとしてリストラした。
 それを後押ししたのが、経済アナリストなどのメディアであった。
 日本人の意欲ある肉食から意欲のない草食への大改造が行われた。
 それが、「出る杭は打たれる」という前例主義や横並びである。
 1990年以降、経済界が口にしていた人材育成は嘘で、企業は日本人若者を収益を圧迫するリスクとして敬遠し、外国人を雇い、生産拠点を中国に移していった。
 日本の政治家や経営者、経済アナリストやメディアが好んで口にした「少数精兵」とは、そういう意味であった。
 つまり、日本人は彼らに騙されたのである。
 これは、戦後民主主義教育の成果である。
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💫25}─1─“何十億年も前の地球の歴史”を学んでどんな意味があるのか?〜No.151No.152No.153No.154 

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 2023年1月19日 MicrosoftStartニュース ダイヤモンド・オンライン「“何十億年も前の地球の歴史”を学んでどんな意味があるのか? “世界の知性”からの納得の回答
ヘンリー・ジー,竹内薫 の意見
 地球誕生から何十億年もの間、この星はあまりにも過酷だった。激しく波立つ海、火山の噴火、大気の絶えまない変化。生命はあらゆる困難に直面しながら絶滅と進化を繰り返した。ホモ・サピエンスの拡散に至るまで生命はしぶとく生き続けてきた。「地球の誕生」から「サピエンスの絶滅、生命の絶滅」まで全歴史を一冊に凝縮した『超圧縮 地球生物全史』(王立協会科学図書賞[royal society science book prize 2022]受賞作)は、その奇跡の物語を描き出す。生命38億年の歴史を超圧縮したサイエンス書として、西成活裕氏(東京大学教授)「とんでもないスケールの本が出た! 奇跡と感動の連続で、本当に「読み終わりたくない」と思わせる数少ない本だ。」、ジャレド・ダイアモンド(『銃・病原菌・鉄』著者)「著者は万華鏡のように変化する生命のあり方をエキサイティングに描きだす。全人類が楽しめる本だ!」など、世界の第一人者からの書評などが相次いでいる。本書の発刊を記念した著者ヘンリー・ジーへのオンラインインタビューの11回目。これまでの連載に続き、世界的科学雑誌「ネイチャー」のシニア・エディターとして最前線の科学の知を届けている著者に、地球生物史の面白さについて、本書の執筆の意図について、本書の訳者でもあるサイエンス作家竹内薫氏を聞き手に、語ってもらった。(取材、構成/竹内薫
 Photo:NASA, ESA, CSA, STScI, Megan Reiter(Rice University), with image processing by Joseph DePasquale(STScI), Anton M. Koekemoer(STScI)
 © ダイヤモンド・オンライン
 遠い銀河の写真
 ヘンリー・ジー:さて、ここにジェームス・ウェッブ望遠鏡で撮影された一枚の写真があります。
 これは、NASAの誰が宣伝したにせよ、見事なポピュラーサイエンスの作品といえます。
 宇宙にあるこの巨大な望遠鏡は、人類がこれまでに得た最高の空を見る目であり、遠い銀河の素晴らしい写真を送り返してくれました。
 砂粒を爪と親指の間に入れて、空に向かってかざすと、その砂粒がこの銀河たちの巨大な写真を覆っているんです。
 壮大なイメージとの出会い
 そんなに小さな領域に何百という銀河が詰まっている。
 それで、すなおに「すごいな」と思ったんです。ある夜、外に出て砂粒で空を見て思いました。
 「すごいな。空の小さな一片に、あれだけのものが詰まってるんだ」。本当に驚かされました。
 このような壮大なイメージに出会えるのであれば、もっと科学に興味を持てるのではないかと思います。
 科学の醍醐味
――私は科学オタクであると同時にカメラオタクでもあるので、画像の解像度に強く惹かれます。
 それまでぼんやりとしか写っていなかったものが、新しいカメラだと解像度が何十倍にもなって、ぼやけていた細部がくっきりと写るようになる。
 たとえば、野鳥の羽毛の一本いっぽんが解像されると、わたしはめちゃめちゃ興奮するんです。
 それと同じで、砂粒一つぶんの視野のなかに、何百もの美しい銀河が詰まっていて、それがきれいに解像されたら、そりゃあ感動しますよね。
 でも、「クールじゃない」、つまり格好良くないと決めつけて、最初からその写真を見なければ、感動も味わえないし、科学の醍醐味もわからないままになってしまう。
 よくある質問
 ヘンリー・ジー:科学の問題の一つは、数字で唖然とさせる傾向があることです。
 「昨日何をしたのか思い出せないのに、何十億年も前のことを想像したり勉強して、どんな意味があるのか?」と質問されることがあります。
 これは私の本の中でも問題にしていることですが、何十億年、何百億年、何千億年という数字は何を意味するのか? 私たちの日常生活にどのような意味を持つのでしょうか?
 それは、「すごい!」という感動を味わうことです。
 私が本書に年表を入れた理由も同様です。
 年表には、「今」と書かれています。そして、その数センチ上には、「地球上の生命が絶滅」と書かれている。
 そうすると、人々は「スケールの大きさに感動して、ああ、これはすごい。もっと詳しく知りたい」と思うでしょう。
 そこで、この本では、時間をどのように表現するか、かなり真剣に考えなければなりませんでした。
 苦労した甲斐があり、確かに人々の心に響いたようです。
――なるほど。よくわかります。
 日本語版でも、年表は、編集の田畑さんが、日本人が数えやすい「億」という単位に変えてくれたり、漢字と数字のどちらで表記するかなど、かなり悩みましたが、原著でも相当、悩まれたこととお察しいたします。
 さて、最後に、日本語版の感想を簡単にお願いします。
 ヘンリー・ジー:表紙のキラキラが良いですね!
 この発想が好きです。すごくキラキラしている。
 装幀:鈴木千佳子
 © ダイヤモンド・オンライン
 私はこの星たちが大好きです。素敵な表紙です。日本の本がすべてピカピカでない限り、書店で目立つことは間違いないでしょう。
――実際、かなり目立っているようです。
 おかげさまで読者からの反響も大きく、3万5000部のベストセラーになっています。多くの書店で平積みにしてくれています。もっとたくさん売れるよう、翻訳者の私も編集の田畑さんも頑張ります。今日は一時間半もぶっ続けでインタビューにお答えいただきありがとうございました。
 ヘンリー・ジー:ありがとう、楽しませてもらいました!
 ヘンリー・ジー 「ネイチャー」シニアエディター 元カリフォルニア大学指導教授。一九六二年ロンドン生まれ。ケンブリッジ大学にて博士号取得。専門は古生物学および進化生物学。一九八七年より科学雑誌「ネイチャー」の編集に参加し、現在は生物学シニアエディター。ただし、仕事のスタイルは監督というより参加者の立場に近く、羽毛恐竜や最初期の魚類など多数の古生物学的発見に貢献している。テレビやラジオなどに専門家として登場、BBC World Science Serviceという番組も制作。このたび『 超圧縮 地球生物全史 』(ダイヤモンド社)を発刊した。本書の原書“A(Very)Short History of Life on Earth”は優れた科学書に贈られる、王立協会科学図書賞(royal society science book prize 2022)を受賞した。 Photo by John Gilbey
 ヘンリー・ジー 「ネイチャー」シニアエディター 元カリフォルニア大学指導教授。一九六二年ロンドン生まれ。ケンブリッジ大学にて博士号取得。専門は古生物学および進化生物学。一九八七年より科学雑誌「ネイチャー」の編集に参加し、現在は生物学シニアエディター。ただし、仕事のスタイルは監督というより参加者の立場に近く、羽毛恐竜や最初期の魚類など多数の古生物学的発見に貢献している。テレビやラジオなどに専門家として登場、BBC World Science Serviceという番組も制作。このたび『 超圧縮 地球生物全史 』(ダイヤモンド社)を発刊した。本書の原書“A(Very)Short History of Life on Earth”は優れた科学書に贈られる、王立協会科学図書賞(royal society science book prize 2022)を受賞した。 Photo by John Gilbey
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 (本原稿は、ヘンリー・ジー著『超圧縮 地球生物全史』〈竹内薫訳〉への著者インタビューをまとめたものです)
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🗡59〗─3・C─反撃能力。日本の国産ミサイルは世界一簡単に撃ち落とされる。~No.187 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本の軍事技術・科学技術力が低下している。 
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 2023年1月17日9:17 YAHOO!JAPANニュース プレジデントオンライン「「国産ミサイル」にこだわるのはコスパが悪すぎる…防衛費大幅増額に元海自ナンバー2が首をかしげるワケ
 政府与党政策懇談会で発言する岸田文雄首相(左から2人目)=2022年12月23日午前、首相官邸 - 写真=時事通信フォト
 岸田内閣は、2027年度の防衛費を国内総生産(GDP)比2%に増額することを示している。元海上自衛隊自衛艦隊司令官の香田洋二氏は「重要なのはカネの使い方だ。防衛省はミサイルをはじめ国産装備にこだわっているが、コストパフォーマンスが悪すぎる。十分な発射実験もできず、性能にも不安が残る」という――。
 【写真】香田洋二氏の著書『防衛省に告ぐ 元自衛隊現場トップが明かす防衛行政の失態』(中公新書ラクレ)
 ※本稿は、香田洋二『防衛省に告ぐ 元自衛隊現場トップが明かす防衛行政の失態』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
GDP比2%は大歓迎だが、問題はカネの使い方だ
 岸田文雄政権は、国内総生産(GDP)比2%を念頭に防衛費を大幅に増額し、防衛力を抜本的に強化する考えだという。私の現役時代はGDP比1%枠に苦しめられたことを考えれば、GDP比2%などと言われると隔世の感がある。
 防衛費の増額に異論があるはずはない。だが、問題はカネの使い方だ。言うまでもないが、軍事力は使われないのに越したことはない。戦争が起きる可能性も低い。とはいえ、いくら可能性が低くても、一度戦争が起こってしまえば被害は甚大だ。ウクライナを見れば一目瞭然だが、我が国だって壊滅的な損害を被り、再起不能に陥る危険と隣り合わせなのだ。
 そうした事態に備えるため自衛隊は存在する。予算が2%に増えるからといって、割高なものを闇雲に買ってはならない。ましてや、装備の優先順位上、不必要な装備や性能が不十分な装備を購入するなど言語道断だ。自衛隊の任務遂行能力の向上のために、もっと安く、もっと使える装備があるなら、そうした装備を買うべきである。
■税金の使い道の正当性を説明しなければならない
 ここで、防衛装備については、一般家庭などで使われる電化製品などに比べて、はるかに無駄遣いが発生しやすい環境にあることを指摘しておこう。たとえば通常の家電などであれば、不備があれば、今の時代、すぐに公になり、メーカーも対策を急ぐものだ。ところが、防衛装備の場合は不具合がなかなか公表されない。というか公表に時間がかかるからだ。
 たとえ不具合が見つかったとしても、防衛装備の場合、原因を特定し、検証して、再発防止に努めるための作業は極めて複雑で膨大であるため、一般に公表することが後回しになりやすい。また、装備の不具合がある状態は、敵国にとっては好機になるため、公表しないことも珍しくない。そうした諸々の事情があり、普段から情報公開が行き届きにくいため、稀、かつ残念ではあるが、不具合を意図的に秘匿することもある。
 しかし、国民の税金を使って装備を導入する以上、その使途については、その性格上公表になじまないものがあることも考慮した上での節度を持った透明性が求められる。防衛省自衛隊は税金の使い道の正当性を説明しなければならない。
■「国産の12式中距離地対艦誘導弾」への不可解な固執
 その観点からすると、どうしても解せないのが、国産の12式中距離地対艦誘導弾の長射程化をめぐる防衛省の判断だ。報道では12式の射程を約1000キロに延ばし、敵基地攻撃と遠距離対艦攻撃という両方の目的で保有するという。保有数は「1000発」だとか「1500発以上」だとか、まるでバナナの叩き売りのようになっている。
 だが、現状は、行うべき説明をすっ飛ばして結論だけが先行している感が否めない。本来であれば、日本を守るためにこういう作戦をするから、これだけの数が必要だ、というシミュレーションが前提となっていなければおかしいが、そういう話は聞こえてこない。
 もちろん、国防上の「秘密」に当たることをいう必要はないが、しかし、ほかの候補との性能比較、費用対効果や後方支援体制などの考え方は、ざっくりとしたところで国民に説明されるべきである。さらに、12式改善型の開発リスクと、その対応策についても全く語られていない。
 最初から「12式改善ありき」という手法は国民に対する背信行為ではないだろうか。他の候補との比較等の説明がないため、国民は防衛省案が税金の最適用法だという判断さえできないのである。
■長距離ミサイルは必要だが、なぜ12式なのか根拠が見えない
 私も長射程のミサイルは必要だと思う。中国は地上発射型の中距離ミサイルだけで1250発を保有しているとされる。沖縄から台湾、フィリピンを結ぶ第1列島線の内部で米軍が自由に行動できないようにし、さらには本土から来援する米軍が近づけないようにするA2/AD(接近阻止・領域拒否)能力は日に日に高まっている。これに対抗するためには、日本もアメリカと共に中距離ミサイルの数である程度は対抗しなければならない。
 だが、なぜそれが12式なのかという話になると、根拠が見えてこない。さらには、12式の射程を1000キロまで延ばすこと自体に無理があるのではないだろうか。
 12式は、いわゆる巡航ミサイルの一種だ。巡航ミサイルとは飛行機のようなものだ。翼と推進力を持ち、低い高度で長距離を飛行し、最終段階で複雑な軌道を描き、目標に対して精密誘導できる。翼の揚力を利用して長射程を飛行する点が、ロケットの推進力のみに依存する弾道ミサイルとの最大の違いである。弾道ミサイルと異なり低速で飛ぶことが基本である。このため相手のレーダーにも発見され難く、撃ち落とされにくい。
■このままでは世界一簡単に撃ち落とされるミサイルになる
 ところが、報道情報を読みこんでみたかぎり、12式の射程を1000キロに延伸する場合、空気抵抗の少ないかなりの高高度を飛ぶことになりそうなのだ。更に専門家の間で心配されていることが、射程延長に応ずる大量の燃料を搭載するため機体寸法も全長、直径とも米軍現用のトマホークの2倍程度という、世界一大型の長距離ミサイルになりそうなことである。
 これでは世界一簡単に撃ち落とされるミサイルとなってしまう。迎撃する側から見れば、鴨が葱を背負って来るようなものだ。導入する意味がない兵器となりかねない。ここでも、他のミサイルとの比較が求められるが、その実情がどうであったのか。疑問が残る。
 また、防衛省は政府方針が決まっていないとして、一切の論議を避けているが一口に敵基地攻撃能力と言っても、ミサイルだけを持っていればいいというわけではない。目標がどこにいるのか探し出す能力がなければ意味がないのは言うまでもない。その上で指揮統制能力も必要だ。米軍とターゲティング(攻撃する目標の選定)を調整するネットワークはどうするのかという問題もある。
■対地攻撃目標識別能力がないのにどう運用するのか
 さらに言えば、12式はもともと地対艦ミサイルだが、地対地ミサイルとしても活用するという。今の自衛隊には対地攻撃の目標を識別する能力はない。今まではその能力の保有が許されなかったのだから当然である。海面から突き出す形になる水上艦を識別する能力と、複雑な地形や建物群の中に配置された地上目標を識別する能力は全くの別物だ。
 こうした能力の開発はこれからなのか、どれぐらいの費用がかかるのか、そういう説明がないまま「12式を延伸して1000発以上を保有」という結論だけが出てくるのは異常事態だし、何よりも国民に対して無責任である。
 織田信長桶狭間の戦いは、今川義元率いる軍勢が休憩している場所を嗅ぎ付け、一気呵成(かせい)に奇襲を仕掛けたからこそ成功した。2万5000の大軍を率いた今川義元の本陣に2000人で突入した兵士は立派だ。英雄である。
 しかし、勝敗を決めたのは織田信長の決心であり、そのときの情報力である。標的を探し出す能力や指揮統制能力も用意せずに12式の射程だけを延伸するのであれば、織田信長が少ない軍勢を率いて目的もなくウロウロしているようなものなのだ。
■迎撃テストの目標となる極超音速ミサイルは日本にない
 ミサイルをめぐっては、極超音速ミサイルを迎撃するミサイルとして、これまた国産の03式中距離地対空誘導弾を改善して使うという話もある。であれば、極超音速ミサイルを迎撃する能力を開発するためには、極超音速ミサイルを撃ち落とすテストを行わなければならない。
 しかし、どこに迎撃テストの目標となる極超音速ミサイルがあるというのか。そんなものは今の日本にはない。仮に極超音速ミサイルを輸入等により確保できたとして、どこの試験場で撃つのか。周辺住民や漁民に被害を及ぼさないような広いスペースを取れる発射区域がどこにあるというのか。
 また、日本が長射程の対空ミサイルを持つとなれば、敵は妨害電波を発してダメージを避けようとするであろう。しかし、敵がどのような妨害電波を発するのか、日本には十分なデータがそろっていない。敵の電波情報を持たないということが自衛隊のアキレス腱であるというのが世界の専門家の認識である。
■満足に発射実験が行えなければ性能は上がらない
 日本が発射試験を行うとしても、これまでの他の装備の開発実績から推察すれば、その発射回数はおそらく一桁止まりであろう。アメリカの場合は100発近くを撃った上で導入され、部隊に配備される。それも、電子妨害等の最も困難な実戦を模擬した戦術環境下での迎撃を含む試験発射である。ここに厳然たる性能の違いを生む要因がある。
 たとえば、米軍が開発したSM2というミサイルがある。イージスシステムに用いられる艦対空ミサイルだが、2020年までに2700発を撃っている。対空ミサイルを特技としてきた筆者の経験では、そのうち1割5分から2割ぐらいは失敗する。この失敗が最も重要なのだ。
 失敗があるからこそ、次の開発に生かされる。これがBL1(末尾の数が大きくなるほど性能改善と向上型)、BL4、そしてSM6(イージスのSM2、SM3の最新型後継ミサイル)といった、より高性能なミサイル開発に生かされ、その性能が進化していくのである。
■なんでもかんでも「国産」にするのが本当に適切か
 そして、12式中距離地対艦誘導弾にしても、03式中距離地対空誘導弾にしても、いずれも国産兵器である。ここまで言えば、私が何を言いたいのか、お分かりだろう。昨今、防衛省自衛隊の立場は、なんでもかんでも「国産」となりがちだが、その判断が正しいとは私には思えない。
 防衛産業を育てるためには、もちろん、国産装備を採用したほうがいいのは事実だ。いざという時に、頼る国がいなくなる事態を想定すれば、防衛装備は国産化したほうがいいということだ。
 1998年度から2012年度までは防衛費が減り続け、防衛産業にとっても「冬の時代」だった。このため高額な国産装備の調達が減っていき、自衛隊のみを顧客とする防衛装備市場が急速に縮小した。同時に、自衛隊の防衛力維持のために実戦能力の高いアメリカ製装備の購入が増えることは必然の流れであった。
 この「冬の時代」に、コマツなど国内の企業は次々と防衛産業から撤退している。事態に危機感を持ち、この流れの反転機会を探っていた防衛産業界にとっては、岸田内閣の掲げる防衛費対GDP比2%政策は絶好の機会なのだ。それで、ここぞとばかりに、防衛省は「国産、国産」と言い募る雰囲気になっている様に思える。
スケールメリットが生まれないから高額化する
 だが、国産装備で本当に一線級の装備を持つ大国の脅威に対抗できるのか。国産となれば、少数生産が必至のため、高額になる。また、実戦経験もない国産装備を外国は買いたがらない。基本的には自衛隊だけが買うことになる。そうなるとスケールメリットが生まれず、さらに高額になるという負のループに引きずり込まれる。
 それだけじゃない。国産装備であれば、外国軍の技術的な進歩に対応するための改良経費も日本が負担しなければならない。一方、アメリカ製装備やアメリカ中心の共同開発であれば、世界中で何千発と撃つことになり、失敗の中から教訓をくみ取って次の開発に生かせることになる。
■国産にこだわり続ければGDP比2%でも足りなくなる
 こうしたスケールメリットや改良のためのコストも含めて考えれば、国産はかなり割高な買い物になるはずだ。やってやれないことはないが、今検討されているGDP比2%でも足りないことは明白である。防衛省はこの点も含めて国民に説明しているだろうか。
 とにかく「国産は正しい」「国内防衛産業へのカンフル剤だ」という前提で物事を進めていないだろうか。防衛装備は100年に1度、使うか使わないかの買い物だ。詳細な事前検討と必要な説明なしに高額な税金を注ぎ込むことは許されない。こうした点こそ国会やマスコミは指摘し、論議し、辻褄が合わなければ建設的な追及をするべきなのだ。

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 香田 洋二(こうだ・ようじ)
元・海上自衛隊自衛艦隊司令官
1949年、徳島県生まれ。72年防衛大学校卒業、海上自衛隊入隊。92年米海軍大学指揮課程修了。統合幕僚会議事務局長、佐世保地方総監、自衛艦隊司令官などを歴任し、2008年退官。09年~11年ハーバード大学アジアセンター上席研究員。著書に『賛成・反対を言う前の集団的自衛権入門』『北朝鮮アメリカと戦争する日』(ともに幻冬舎新書)がある。

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