🌌65}─1─コロナ敗戦における日本の醜態は先進国ではなく開発途上国並みである。~No.350No.351No.352No.353 ㊷ 

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 宝島社「ワクチンもない。クスリもない。
 タケヤリで戦えというのか。
 このままじゃ、政治に殺される。
 私たちは騙されている。
 この一年は、いったい何だったのか。
 いつまで自粛をすればいいのか。
 我慢大会は、もう終わりにして欲しい。
 ごちゃごちゃ言い訳するな。
 無理を強いられるだけで、なにひとつ変えられないではないか。
 今こそ、怒りの声をあげるべきだ。」
 令和3年5月11日 朝日新聞広告 
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 2021年5月21日号 週刊ポスト「『ビジネス新大陸』の歩き方
 大前研一
 『コロナ敗戦』迷走の研究──なぜ日本の役所は緊急事態で後手後手になるのか
 日本の新型コロナウイルスワクチン接種率は1.8%で相変わらず主要国最下位だ(4月時点)。河野太郎規制改革担当相によると、約1億1,000万人の接種対象者(16歳以上)全員分のワクチンを供給できるのは9月末だそうである。
 一方で、東京都、大阪府兵庫県京都府に三度目の緊急事態宣言を発令しても感染拡大に歯止めはかかわず、終熄の見通しが全く立たない状況に陥っている。
 そもそも日本は諸外国に比べワクチン開発治療薬開発、緊急医療体制の確立で決定的に遅れてしまった。たとえばワクチンは、すでにアメリカのファイザーやモデルナ、ジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)、イギリスのアストラゼネカなどの製品が世界各国で承認・使用されているが、日本の製薬会社はまだ開発途上だ。
 なぜ、日本勢は出遅れたのか?もともと日本の製薬会社は新薬を開発する力はさほど強くない上、新型コロナのワクチンは従来のワクチンと開発方法が異なるからだ。従来のワクチンの開発方法だと実用化までに2~3年かかるが、新型コロナではファイザーやモデルナがウイルスの遺伝情報を使う『m(メッセンジャー)RNA』という新しい方法によって半年ほどで実用化した。
 しかし、日本の製薬会社は販売している薬の大半が輸入品かライセンス生産品なので、新薬開発の歴史や経験があまりなく、新しいことにトライする企業風土も乏しい。このため今回のような突発した感染症が少なく、すぐに対応することができないのだ。これは治療薬の開発についても同様で、スイスのロシュの系統会社である中外製薬などが開発を進めているものの、欧米勢から大きく後れを取っている。
 ……
 他国では野球場に新型コロナ専用の臨時野戦病院のようなものを作って重傷者を集中的に収容したり、医師免許や看護師免許を持っている人を強制的に招集したりしているが、日本はそうした医療体制を整えるための法律や制度もない。
 要するに日本は、いわば『コロナ敗戦』を喫(きっ)しつつあるのだ。ワクチン開発、治療薬開発、緊急医療体制の確立で海外に遅れ、ロックダウン(都市封鎖)までは踏み切れないから、いつまで経っても終熄に向かわない。緊急事態宣言やまん延防止等重点措置を発出して場当たり的にモグラ叩きをしても、叩くのをやめれば再びモグラが出てくるのは当たり前だ。日本は感染者数も死者数も欧米諸国やブラジル、インドなどよりケタ違いに少ないが、これは京都大学山中伸弥教授が指摘した『ファクターX(何らかの要因)』によるものであり、僥倖(ぎょうこう)と言うしかない。
 『最善』『迅速』からほど遠く
 なぜ、日本はこれほど情けない状況になっているのか?緊急時に最善策を見極め、それを速やかに実行する仕組みがないからだ。
 たとえば、イスラエルスマートフォンのアプリで国民全員を管理して基礎疾患なども把握し、いち早くワクチンを確保して接種を進め、すでに接触率は60%を超えている。また接種率が40%のアメリカでは、ジョー・バイデン大統領が緊急時に企業に命令できる『国家総動員法』のような法律を発動し、5月末までに接触対象者全員の接種を完了するため、メルクにJ&Jのワクチンを生産することを命じた。
 かたや日本は、緊急事態に対応する仕掛がないため、場当たり的な対応を繰り返している。『アベノマスク』のような首相側近の思いつきによる税金無駄遣い政策がまかり通り、厚労省が新型コロナ対策の切り札として導入したスマホ接触確認アプリ『COCOA(ココア)』も何度も不具合が起きている。最善策を迅速に実行するどころか、すべてが後手後手の愚策なのである。つまり、今回の『コロナ敗戦』hs、日本政府の組織運営体制がもたらした結果なのだ。
 東日本震災の復興事業も同じである。万里の長城のような防波堤などの土木工事は進んだが、それは東北の美しい海岸線の魅力を失わせただけで、住宅地を高台に移すなどの本質的な復興は全くできていない。原子力発電所は再稼働も廃炉も進まず、福島第一原発の汚染水は溜め込めなくなって海洋放出を決めたが、それしか方法がないのは最初からわかっていた。
 日本政府は昔からそういう体(てい)たらくだったのか?『否』である。たとえば、後藤新平らが主導した関東大震災の復興や先の敗戦からの戦後復興では、政府は優先順位を付けて取り組み、速やかにそれを実行した。1995年の阪神・淡路大震災の時も、復興はもっと早かった。
 しかし、今の政府は『橋本行革』の中央省庁再編で古い役所をつぎはぎしただけだから、総務省厚労省国土交通省など図体が大きくて動きが鈍い省庁ばかりになった。この際、日本をゼロベースで21世紀型の役所のコンセプトを作り、組織を改革しなければならないところまで来ていると思う。具体的には、肥大化した総務省厚労省、経済産業書などを解体・分割し、『サイバー省』『シニア省』『国民生活省』『緊急事態庁』『国民データベース庁』などを創設すべきである。
 そういう抜本的な改革を断行しない限り、この国の衰退は止まらないだろう。」
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 村山富市元首相「初めての事だったから」
 阪神淡路大震災時の総理大臣。
 社会党自民党連合政権は、当初、自衛隊に被災者救出目的の災害派遣を命じず、官邸や国会内で第三者的にテレビで震災被害を傍観して感想の述べ合っているだけであった。
 政府や自治体の迅速な対応がなかった為に、神戸市民6,000人近い被災者が倒壊した家屋の下敷となり生きたまま焼け死んだ。
 護憲派、反自衛隊派、反戦平和団体は、自衛隊災害派遣憲法違反であるとして反対していた。
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 コロナ敗戦の原因は、保守系自民党政権の橋本行革とリベラル系民主党政権事業仕分けであった。
 100年に1度起きるか起きないか分からない災害・緊急事態に備えて、人材を遊ばせ、多額の予算を投じ、大量の物資を確保し管理しておくのは無駄である。
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 現代の日本では、新型コロナ問題・女系女性皇位継承問題・尖閣諸島問題・少子高齢化問題・土地規制法案など国内外における数多くの重要議題を審議している国会議事堂内の女性専用トイレに女性蔑視・性犯罪・猥褻目的での盗撮カメラが仕掛けられている。
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 2021年5月11日 産経新聞「国会の女性用トイレ盗撮で警視庁が実況見分
 警視庁=東京都千代田区
 衆院2階の女性用トイレで4月23日、使用中の職員が盗撮された事件で、警視庁麹町署が4月30日深夜から1日未明にかけてトイレの実況見分を実施したことが分かった。衆院議院運営委員会小川淳也理事(立憲民主党)が11日の党会合で明らかにした。小川氏は「国会内に警察の捜査が入るというのは重大な事案だ」と述べた。
 衆院警務部によれば、近年に国会内で警察の捜査が行われた例は、不法侵入事件などで数件あるという。警務部は女性用トイレの見回りを強化している。」
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 人も、政府も、国も、予測不能な最悪の窮地に追い込まれた時に「化けの皮が剥がれ」て隠していた本性や性格、能力・才能・実力が明らかになる。
 それが、新型コロナウイルス武漢ウイルス)蔓延下の日本である。
 賢い人間は自分よりも賢い人間を作るが、愚かな人間は自分よりも愚かな人間しか作らない。
 現代日本では、後者の人間がネズミ算的に同類を増やしている。
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 現代日本人は、歴史が嫌いで、民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力などが乏しいかない為、今が良ければ、いま金になるのなら、先祖が命を懸けて護り受け継いできた民族遺産を現代にそぐわない無意味・無価値として破壊して葬り去っている。
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 令和のコロナ敗戦とは、米英の協力を得、他人に任せ、安穏とし安逸をむさぼり、万策を尽くさず、同調圧力・場の空気・空気圧・空気に頼り、必要でない金を借金して無駄にばら撒いての敗北である。
 昭和の太平洋戦争敗戦とは、日本包囲網による経済制裁で何もない中で、日本一国のみで、取れる手段を全て実行し、死力を尽くし、悪戦苦闘の末の敗北であった。
 昭和前期の日本人と令和時代の日本人は、別人のような日本人である。
 戦前の日本人は武士・サムライであったが、現代の日本人は武士・サムライではない。
 戦前の政治家・官僚・軍人・企業家と現代の政治家・官僚・企業家とでは雲泥の差がある。
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 日本は、コロナ敗戦で威勢が良いだけの張り子の虎である事が露呈し、最先端の先進国でもなく、科学技術立国でもなく、自力で変わる事ができない時代遅れの衰退国家でる事が明らかとなった。
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 日本は、新型コロナウイルス武漢ウイルス)ワクチンの迅速な開発ができず、みっもないほどにワクチン接種に国中が大混乱をきたした。
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 現代日本には、戦前の国家総動員法と国家統制による国家主導の戦時体制である1940年体制は崩壊している。
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 未知のウイルスは攻めの生物兵器で、ウイルス・ワクチンと新しい特殊治療薬は守りの生物兵器である。
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 日本が研究・開発・製品化するウイルス・ワクチンや特殊治療薬は、欧米が完成させ普及させた後の2番手か3番手であって、欧米より先の完成はありえない。
 何処が違うかといえば、隠れて人体実験ができるかできないかである。
 日本が研究・開発・製品化するウイルス・ワクチンや治療薬は、昔ながらのウイルスや病原菌に対してのみで、新種のウイルスや病原菌による感染症に対してではない。
 ある意味、日本は中国やロシアよりも劣っている。
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 日本の軍需産業や製薬会社など軍事関連産業は、アメリカの保護国として、見えない形でアメリカの支配下・管理下・監督下に置かれている。
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 中国共産党・中国軍は、日本国内で売られているインターネット接続のカメラ付き中国製電化製品及び中国資本傘下日本企業製品で日本人のビッグデータを集めている。
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 体たらくな日本を造り上げたのは、リベラル派戦後民主主義世代とその薫陶を受けた次世代である。
 彼らは、戦争を知らない世代であり、幾ら戦争を聞かされても理解できない平和思考世代である。
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 日本の平和憲法は、一切の戦争案件を完全排除した絶対平和主義として人権・私権・個人の自由を制限もしくは停止する戦時・有事・非常時・緊急時を想定せず、その為に平時以外の法律を作っていない。
 人命よりも絶対平和主義を護っているのが、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者、護憲派人権派、反自衛隊派、反戦平和団体、過激派などの左翼・左派・ネットサハである。
 そして、同調圧力・場の空気・空気圧・空気が日本を覆っている。
 彼らの目的は、戦前の様にしない、日本国を一つにまとめない、日本民族を団結させない事であった。
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⛻9〗─4─現代を思えば、徳川家康が江戸を本拠地に選んだのは大正解。~No.37No.38 ④ 

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 2021年5月10日 MicrosoftNews 東洋経済オンライン「徳川家康「田舎町・江戸を本拠地に選んだ」理由 家臣も驚愕!なぜ辺鄙な土地を選んだのか?
新 晴正
 © 徳川家康は「未開の地」と言っても過言ではない江戸を、なぜ本拠地に選んだのか?(写真:metamorworks/PIXTA
 1590年、天下人である豊臣秀吉から関東への国替えを命じられた徳川家康。本拠地候補には、当時すでに都市として完成していた小田原や鎌倉もあった。しかし、家康が選んだのは江戸であることは周知の事実。当時、辺鄙な田舎町でしかなかった江戸を家康が選んだ理由とは? 作家の新晴正氏による『謎と疑問にズバリ答える! 日本史の新視点』より一部抜粋・再構成してお届けする。
 豊臣秀吉が天下統一事業の総仕上げとして、小田原の後北条氏の攻略に成功したのは、天正18年(1590年)7月のことである。このとき小田原攻めに加わっていた徳川家康に対し、秀吉がこんな言葉で関東への移封(国替え)を命じたという。
 「関東を貴殿に与える代わりに、それまでの貴殿の領地はもらう。この小田原は東国支配の重要地であるから、家臣の中から信頼できる者を選んで守らせ、貴殿は江戸に本城を築かれるのがよろしかろう」
 家康は、この言葉を聞いて愕然としたに違いない。江戸といえば、三河遠江を本拠とする家康にとって、政治・経済の中心である京大坂から遠ざかるばかりか、当時の江戸は葦の生い茂る低湿地帯がどこまでも広がり、わずかに寒村・寒漁村が点在するだけの未開の地であったからだ。
 このときの秀吉の命令は断固たるものではなく、家康にはこの小田原、または鎌倉のいずれかに本拠を置くこともできたという。しかし家康は、小田原や鎌倉がすでに十分な都市機能を備えているにもかかわらず、それらには目もくれず、秀吉の命令どおり江戸に本拠を移すこととする。
 一体、なぜ家康はこのとき江戸を選んだのであろうか。本稿ではそのあたりの謎について迫ってみたいと思う。
 家臣も驚いた「江戸」への移封
 秀吉が家康に対し関東への移封を命じた時点で家康は、三河遠江駿河信濃、甲斐の5カ国を領する実力者であった。それを召し上げ、替わりに後北条氏の旧領であった関東8カ国(武蔵、伊豆、相模、上野、上総、下総、下野、常陸)を与えようというのである。
 確かに石高だけを見れば150万石から250万石へと大幅に増えることになるので家康の面目は立つのだが、中央から遠ざけられることによる影響力の低下は否めなかった。
 秀吉がそうまでして家康を自分のそばから遠ざけたかったのは、家康が自分に匹敵する実力者だけに、「いつかこの男に寝首をかかれるかもしれない」と怖れたからにほかならない。おそらく秀吉は、剣呑な敵対者を少しでも遠くへ追いやり、その隙に豊臣政権を盤石なものにしたいと考えたのであろう。
 家康が関東への移封を命じられたとき、家康の大方の家臣たちは、ご主君は小田原か鎌倉のどちらかを本拠と定めるに違いないと読んでいた。小田原は後北条氏の本拠地として長く栄えており、今回の小田原攻めにおいても城自体はほとんど無傷であったのも好材料だった。
 一方、鎌倉はかつて鎌倉幕府が置かれており、武士にとっては「聖地」のような場所だった。小田原か鎌倉か、家臣たちが注目するなか、家康が選んだのは、まさかの江戸であった。
 このときの家康の決断に対し、家臣たちは一様に驚愕した。家臣の一人の石川正西が著した『聞見集』には、「どうしてそんな所にと、誰もが手を打って驚いた」とある。
 前述したように当時の江戸は低湿地帯が多いごく辺鄙な土地で、そんな土地に新たに城や町をつくるのは至難のわざであると誰もが考えたのである。
 しかし、家康の考えは違っていた。小田原も鎌倉も山に囲まれており、敵に攻め込まれにくい半面、そのことが都市としての発展を阻害していると見たのである。その点、関東平野のまん中に位置する江戸は海に面しているうえに関東に幾筋も流れる川の終着点でもあった。
 物資を運搬するのにこれほど都合がよい土地もなかったのだ。大坂の発展を見るまでもなく物資の流通が都市の発展に直結すると考えていた家康は、これまで氾濫を繰り返すため厄介このうえないと思われていた江戸の河川さえ制することができれば勝算はある、とにらんだのであった。
 こうした目論見のもと江戸に入った家康は、当時は粗末な城であった江戸城の改築工事から着手した。必要な建築資材は、城から江戸湾まで水路を建造し、その水路を利用して搬入した。
 同時に城下町を建設するため今日の皇居付近まで食い込んでいた海の埋め立てにも乗り出した。駿河台の南端にあった神田山を切り崩し、その土を充てた。このとき埋め立てられたのが現在の日比谷公園や新橋周辺である。
 家康は文禄3年(1594年)には、当時江戸市中にたびたび洪水被害をもたらしていた利根川の付け替え工事にも乗り出す。当時は江戸湾に流れ込んでいた利根川の流れを太平洋に面した銚子へと移すというかつてない大工事で、これを31年もの歳月をかけて完成させている。
 この利根川の付け替え工事は、江戸における洪水被害を防いで湿地帯を農作地に適した土地に変えるばかりか、江戸と太平洋とが直結することになるため利根川を水運の大動脈として機能させられるという利点もあった。
 江戸を本拠地に選んだのは「大正解」
 家康は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに勝利すると、諸大名に河川改修や上下水道、道路、掘割運河などの「インフラ整備」を命じた。世にいう「天下普請」の発令である。
 これには諸大名の経済力を削ぐ目論見もあったという。諸大名は家康に忠誠心を示すため、それこそ死にもの狂いで工事にあたったようである。
 こうして江戸の都市化が着々と進むなか、家康は元和2年(1616年)にその生涯を閉じた。おそらく最晩年の家康は、100年、200年先を見据えて江戸を本拠地とすることに決めた自らの判断に満足を覚えていたに違いない。」
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🗡目次〗ー9ーメイド・イン・ジャパンと軍事科学技術。軍需産業。宇宙産業。石油。ドローン。~No.1 *

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 当ブログは、歴史の定説を恣意的に書き替える為に作成している歴史修正主義民族主義のブログである。
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 日本人は、歴史が嫌いであり、歴史が理解できないし、歴史を学ぼうとはしない。  
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 職人と技術があっても資金や資源がない日本が目指したのは、人としのナンバーワンやオンリーワンでもなく、世の中のトータルワンであった。
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 日本における最高の職人とは、合戦で人を斬り殺す日本刀を創る優れた刀工・刀匠である。
 日本のモノ作りの原点は、人殺しの武器である日本刀である。
   ・   ・   ・  
日本産の原点は刀剣や鎧兜・甲冑などの武器であった。
2018-08-01
🗡2〗─1─天皇心神話と金屋子神信仰。たたら製鉄。もの作りの原点は日本刀。古代シュメール人と製鉄。~No.2No.3No.4・ @ 
2018-08-03
🗡2〗─2─日本刀萌え。刀剣女子。日本刀に魅せられる日本人女性達。~No.5No.6No.7・ @ 
2018-08-04
🗡2〗─3─刀剣や鎧兜・甲冑などの戦いの武具は、最先端の文化・芸術・技術の結晶であり、もの作りの原点であった。~No.8No.9No.10・ @ 
2018-08-05
🗡2〗─4─後継者のない日本刀文化は衰退し、粗悪品の中国製日本刀が世界に氾濫する。~No.11No.12No.13・ @ ①
   ・   ・   ・   
近代国家黎明期
2019-09-30
🗡3〗4〗─1─小栗上野介は日本近代化の為に基礎工場・横須賀製鉄所を建設した。~No14No.15No.16No.17No.18No.19・ ②
   ・   ・   ・   
日本人は国産品が好きである。
2019-09-17
🗡5〗6〗─1─ 日本人は舶来品より国産品を愛してやまない。~No.20No.21No.22No.23No.24No.25・ ③
   ・   ・   ・   
日本の近代化は官から民で成功した。
2019-09-26
🗡7〗─1─産業の近代化は、官から民へと、哲学を取り入れ宗教を排除したからである。~No.26No.27No.28・ 
2020-12-24
🗡8〗9〗─1─失業武士・没落士族が日本を近代軍事国家にした。~No.29No.30No.31No.32No.33No.34・ ④
   ・   ・   ・   
近代日本のメイド・イン・ジャパン。
2018-09-05
🗡10〗11〗─1─メイド・イン・ジャパン。自転車。人力車。富岡製糸場。日本・金融。~No.35No.36No.37No.38No.39No.40・ @ ⑤
   ・   ・   ・   
後発国日本は科学技術立国を目指した。
2018-07-28
🗡12〗─1─明治・大正・昭和初期における、後発国の日本が世界を驚かせた西洋の科学技術に負けない底力・凄技。~No.41No.42No.43・ @ 
2018-07-30
🗡13〗─1─戦前の庶民出身大金持ちは戦後の富裕層に比べてスケールが大きく凄かった。~No.44No.45No.46・ @ 
2018-09-09
🗡14〗15〗─1─日本を科学技術立国にしたのは日英同盟であった。~No.47No.48No.49・ @ 
2019-01-19
🗡16〗17〗─1─日本は国産セメントで近代に成功し軍事国家になった。~No.50No.51No.52No.53No.54No.55・ * ⑥
   ・   ・   ・   
軍事技術の一点豪華主義
2019-07-07
🗡18〗─1─ヴァーサ号博物館。平成の失敗は蛸壺的に無駄な多機能豪華を極めようとした結果である。~No.56No.57No.58・ 
2018-08-10
🗡19〗─1─日本海軍の一点豪華主義。戦艦三笠。正規空母鳳翔。巨大潜水艦。大空母。航空戦艦。航空巡洋艦。~No.59No.60No.61・ @ 
2019-10-01
🗡20〗21〗─1─日本陸軍一点豪華主義。特殊揚陸艦神州丸。陸軍空母あきつ丸。~No.62No.63No.64No.65No.66No.67・ ⑦
   ・   ・   ・   
最先端電波軍事技術。
2021-04-07
🗡22〗─1─日本海軍は八木アンテナを装備したアメリア海軍に惨敗し滅亡した。~No.68No.69No.70・ ⑧
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日本の航空産業。軍用機。
2020-10-08
🗡23〗─1─江戸時代の科学技術。国友一貫斎の飛行機設計図。岡山の鳥人間・表具師幸吉。~No.71No.72No.73・ 
2018-08-12
🗡24〗─1─世界のトップクラスであった日本の航空産業。二宮忠八と航空機開発史。~No.74No.75No.76・ @ 
2018-10-14
🗡25〗─1─東條英機と航空技術・原子力技術。日本空軍創設案破棄。1936年~No.771No.78No.78・ @ 
2020-08-23
🗡25〗─2─昭和15年2月25日陸軍機墜落事故。東条英機・陸軍航空総監と殉職した宝蔵寺久雄・陸軍中将。~No.79No.80No.81・ 
2018-08-15
🗡25〗─3─東條英機はB29より1.5倍大きい巨大爆撃機製造計画「Z計画」を承認した。幻の富嶽。~No.82No.83No.84・ @ 
2018-11-23
🗡26〗─1─戦前の日本は飛行艇大国で、世界最強の万能飛行艇を造り上げた。山本五十六航空本部長。~No.85No.86No.87・ @ 
2018-09-15
🗡27〗─1─戦争の美化に猛反対する平和を愛する日本人達。ゼロ戦展示。~No.88No.89No.90・ @ 
2018-09-13
🗡28〗29〗─1─戦中の親日派台湾少年工は海軍の最新鋭戦闘機「雷電」を製造していた。~No.91No.92No.93No.94No.95No.96・ @ 
2018-10-15
🗡30〗31〗─1─戦前の日本は貧弱な民族資本による科学技術大国であった。世界最先端の航空産業。1940年。~No.97No.98No.99No.100No.101No.102・ @ ⑨
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戦後の航空機産業。
2018-08-16
🗡32〗─1─アメリカの軍需産業は、日本の航空機産業を破壊し、武器の国産化を潰して、高額な武器を売りつけた。~No.103No.104No.105・ @ 
2019-09-18
🗡33〗─1─ロッキード事件。自主防衛論、兵器国産化論、アラブ寄り日の丸石油構想。~No.106No.107No.108・ 
2019-08-28
🗡34〗─1─産業空洞化の危機感…航空機に活路。「造船大国」日本は陰り。繊維、家電に代わる産業。〜No.109No.110No.111・ 
2018-08-28
🗡35〗─1─日本の航空産業復活ヘの道。ホンダのジェット機三菱重工業の戦闘機、F-1、F-2、心神。~No.112No.113No.114・ @ 
2021-03-04
🗡36〗─1─「令和のゼロ戦」の開発で、防衛省が絶対に譲らなかったひとつの条件。~No.115No.116No.117・ 
2021-03-05
🗡37〗38〗─1─国産大型旅客機生産に、成功した中国、失敗した日本。〜No.118No.119No.120No.121No.123No.124・ ⑩
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日本の宇宙産業。宇宙軍。
2018-08-20
🗡39〗40〗─1─未来を切り拓く日本の軍需産業。軍事情報衛星打ち上げ成功。2017年~No.125No.126No.127No.128No.129No.130・ @ 
2019-09-20
🗡41〗─1─X線天文衛星「ひとみ」の失敗。2016年~No.131No.132No.133・ 
2019-09-21
🗡42〗─1─日本は、中国の科学技術力に遅れ、宇宙開発に出遅れている。~No.134No.135No.136・ * 
2019-09-22
🗡43〗─1─宇宙軍拡時代。中国軍に対抗した航空宇宙自衛隊創設計画。~No.137No.138No.139・ 
2020-12-30
🗡44〗45〗─1─中国宇宙軍からの攻撃を防ぐの対衛星兵器開発。防衛省の能力強化急務。~No.140No.141No.142No.143No.144No.145・ ⑪
   ・   ・   ・   
日本陸軍の軍事技術。
自動車
2018-08-11
🗡46〗─1─日本陸軍の手堅い技術力。国産四輪駆動車。~No.146No.147No.148・ @ 
   ・   ・   
陸軍鉄道連隊
2018-08-22
🗡47〗─1─陸軍鉄道連隊の鉄道敷設技術力と輸送運行管理能力は世界トップレベルであった。満鉄「アジア号」。関門トンネル。新幹線。~No.149No.150No.151・ @ 
2019-09-25
🗡47〗─2─陸軍鉄道連隊による死の鉄道「泰緬鉄道」建設。〜No.152No.153No.154・ 
   ・   ・   
陸軍工兵隊
2018-08-23
🗡48〗─1─日本軍の快進撃と人道貢献は、陸軍工兵隊の突貫精神であった。~No.155No.156No.157・ @ 
   ・   ・   
陸軍科学技術。
2018-08-29
🗡49〗─1─日本陸軍が考案した、ビタミン剤などのサプリメント、不洗米・乾燥野菜とインスタント食品・レトルト食品。~No.158No.159No.160・ @ 
2019-04-05
🗡50〗─1─日清戦争の勝利は、国際法の徹底遵守と軍用乾電池使用の情報伝達であった。〜No.161No.162No.163・ * 
2019-07-03
🗡51〗─1─アメリカ軍は日本陸軍が開発した非常識兵器・風船爆弾に恐怖した。陸軍登戸研究所。〜No.164No.165No.166・ ⑫
   ・   ・   ・   
戦前の軍事技術が戦後の民需技術の基礎となった。  
2019-11-29
🗡52〗53〗─1─軍用機技術で製造された電気自動車「たま」。〜No.167No.168No.169No.170No.171No.172・ ⑬
   ・   ・   ・   
靖国神社の祭神となった軍馬。
2018-08-24
🗡54〗─1─世界最強の日本陸軍騎兵部隊。悲劇の軍馬を靖国神社の祭神として祀る。軍事訓練と公営競馬。馬頭観音。~No.173No.174No.175・ @ ⑭
   ・   ・   ・   
現代の軍需産業
2018-09-02
🗡55〗─1─中国は巨費を軍事技術開発に投じて日本の防衛産業・軍事技術を超える。~No.176No.177No.178・ 
2018-09-14
🗡56〗─1─国際競争力のない日本の軍需産業。科学技術力の低下とモノ作り技能の衰退。~No.179No.180No.181・ 
2020-12-29
🗡57〗─1─日本軍事企業による「国産トマホーク」開発。~No.317No.318・ 
2021-03-03
🗡58〗59〗─1─三菱重工業。新型護衛艦1番艦「もがみ」進水に反対する護憲派。~No.182No.183No.184No.185No.186No.187・ ⑮
   ・   ・   ・   
原爆開発。  
2018-08-26
🗡60〗─1─日本陸海軍は極秘に原爆開発を進めたが失敗した。~No.188No.189No.190・ @ ⑯
   ・   ・   ・   
未来の殺人兵器ドローン。
2019-09-23
🗡61〗─1─民間用ドローン(無人航空機)は、テロに最適な殺人兵器である。~No.191No.192No.193・ 
2019-09-24
🗡61〗─2─ドローン(無人航空機)。シリア南部で無人機撃墜。~No.194No.195No.196・ 
2019-09-28
🗡62〗63〗─1─日本は、中国軍のドローン殺人機や巡航ミサイルの攻撃目標となっている。~No.197No.198No.199No.200No.201No.202・ 
2019-10-02
🗡64〗65〗─1─ロシア軍のステルス機とドローン機。中ロ両軍の爆撃機尖閣諸島上空を領空侵犯。~No.203No.204No.205No.206No.207No.209・ ⑰
   ・   ・   ・   
国際石油メジャー
2018-10-17
🗡66〗─1─スチムソン陸軍長官、イッキーズ内務長官、モーゲンソー財務長官らは、ルーズベルトに日本を戦争に追い込む為に石油禁輸の経済制裁を要請した。~No.210No.211No.212・ @ 
2018-10-18
🗡67〗─1─ユダヤ系国際的金融資本は、中国の金融・経済を独占する為に、軍国日本と戦うファシスト中国やソ連に軍事費を提供した。~No.213No.214No.215・ @ 
2018-10-20
🗡68〗─1─パリ・ロスチャイルド家バクー油田。イギリス・ロスチャイルド卿と中東石油。ロイヤル・ダッチ/シェルとスマトラ油田。ロックフェラー財団とスタンダード石油の解体。~No.216No.217No.218・ @ 
2018-10-22
🗡69〗─1─無資源国家日本とユダヤ系国際資本との石油戦争。サウジアラビア石油。ペルシア石油。バクー油田コーカサス油田。、北樺太油田。石油カルテル。~No.219No.220No.221・ @ 
  ・  ・  
日本と石油
2018-10-24
🗡70〗─1─日本は中東から石油を輸入して生きている。日本を救う天皇家・皇室。無能無策の反天皇派勢力。~No.222No.223No.224・ @ ⑱

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⚡38】─5─世界の企業100選に日本企業は3社、多いか少ないか。~No.171No.172 ㉓ 

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 日本は先進国ではなく、新型コロナウイルスワクチン注射の醜態からすれば時代遅れの発展途上国並みの機能不全を起こしている社会である。
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 2021年5月6日 MicrosoftNews ITmedia ビジネスONLiNE「
タイム誌初の「世界の企業100選」 日本企業は入ったのか?
 © ITmedia ビジネスオンライン 世界でもっとも影響力のある100社
 最近、米国のタイム誌がビジネスパーソン必見の特集を組んでいた。2021年5月10日・17日号に掲載されたその特集は、「世界でもっとも影響力のある100社」というものだ。
 タイム誌といえば、長年のライバルであるニューズウィーク誌と並んで世界でもっとも知られた週刊誌(現在は隔週発売)で、米国から世界200カ国に向け、写真をふんだんに使ってニュース記事を提供してきた。創刊は1923年で、国際情勢から政治、経済、エンタメ、文化など幅広い記事を掲載している。
 現在、発行部数は368万部。日本でもっとも売れている週刊文春が、最近売れた号で40万部ほどだと言われているので、そう考えるととんでもない部数を発行していることになる。世界が相手なので当然だが、それだけ影響力も大きいと言って差し支えないだろう。
 そんなタイム誌が、「史上初めて」試みた特集が、今号の「世界でもっとも影響力のある100社」だ。同誌にとって初めての企画だけに気合が入っているのは確かで、タイム誌の公式サイトで特集を読むことも可能だ。
 伝統ある同誌がどんな企業をフィーチャーしているのか知りたくて、筆者はこの号を手にとったところ、ビジネスパーソンなら知っておかなければいけない企業がリストアップされていると感じた。そこで気になったのは、日本企業がどれだけランクインしているかである。日本経済の停滞ぶりを考えると、日本企業は入っていないのではないかとちょっと心配になったからである。
 実際、日本企業は入っていたのだろうか。本題に行く前に、まずこの特集について、タイム誌は100社の選び方についてこう説明している。
 「この特集をまとめるために、本誌は、世界各地にいる編集者や記者、業界専門家らの世界的なネットワークから、ヘルスケアからエンターテインメント、運輸、テクノロジーなどを含む幅広い業界から候補企業を募った」
 その上で、上がってきた候補企業について、「妥当性、インパクト、イノベーション性、リーダーシップ、野心、成功度を含む鍵となる要素を評価した」という。そこから100社に絞ったということだろう。
●意外な企業も登場
 地平線上に輝いて見える企業を並べたらしく、これからの世界を形作っていく各分野の注目企業が登場している。グローバルでビジネスを展開している人たちには聞き慣れた名前も多いと思うが、意外な企業も登場している。
 とはいえ、「信頼性はあるの?」と思われたかもしれないが、筆者は一定レベルで信頼できると感じた。なぜなら、国家間の価値観の違いに翻弄(ほんろう)されて、国際市場からの排除など憂き目に遭っている中国資本の有名企業もいくつか登場するからだ。米国の雑誌ではあるが、中立に企業の「価値」を評価している姿勢がうかがえた。
 さて選ばれた100社だが、企業は5つのカテゴリーに振り分けられており、先駆者的企業、リーダー的企業、革新的企業、巨大企業、創造的破壊企業となっている。
 まず先駆者的企業のカテゴリーをみると、日本であまり知られていない企業が多い。例えば、ハリウッド女優のリース・ウィザースプーンが立ち上げたメディアのハローサンシャイン。女性をターゲットにしたメディアで、ウィザースプーンが本を紹介するサービスや、映画などの映像制作にも乗り出している。新たなメディア企業として注目されている。
 また、出会い系アプリの企業も選ばれている。今世界では多くのカップルがオンラインで知り合っている。米国では、カップルの出会い方でもっとも多いのはオンラインで39%。次いで、バーやレストランが27%、友人の紹介が20%と続く。英国でもオンラインでの出会いは29%に対し、リアルは24%というデータがある。
 今回タイム誌が選んだのは、バンブルという会社だ。このアプリの特徴は、安全に特化していることが挙げられる。ハラスメント的な動きをしたり、怪しい会員はすぐに追い出されるという。
 このほか、オートミールから作ったミルクを提供しているオートリーや、植物由来の人工肉を製造しているビヨンド・ミート、瞑想などができるとして7000万人の利用者がいるアプリを提供するヘッドスペースなどが取り上げられている。
横綱クラスの企業がランクイン
 リーダー的企業では、米国最大手のオンライン診療サービスのテラドックや、人種差別の解消に向けた取り組みを先導するスポーツ大手のナイキ、銀行口座がなくても金融サービスを受けられるアプリを提供するブラジルのヌバンクなどの名が上っている。そのほか、アップル、ツイッターなどもリーダー的にサービスを広げているとして100社に入っている。
 革新的企業では、「使い捨て家具」を卒業しようとしているスウェーデンのイケア。30年までに温室効果ガスの排出量よりも削減量を増やすとしており、環境にやさしい生産技術を追っている。新型コロナ感染症メッセンジャーRNAのワクチンを開発したモデルナも選ばれている。また、中国の動画投稿アプリを手掛けているティックトックや、動画配信サービスのネットフリックス、ビデオ会議室システムのZoomも登場している。
 さらに、ドローンの価格破壊に成功した中国企業のDJIも選ばれている。同社はドローン市場で7割のシェアを誇っており、中国企業として警戒はされていても、無視できない存在になっている。今後、中国通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)のように敵視される可能性もあるが、一般ユーザーにしてみれば、そんなの関係ないといったところだろう。
 選ばれた企業の多くは環境問題に対応していて、革新的企業では、ポリエステル製品を2024年までに排除すると決めたスポーツ大手アディダスも名を連ねていた。
 巨大企業のカテゴリーでは、中国のテンセントやアリババのほかに、アマゾン、マイクロソフト、ディズニー、ウォルマートフェイスブック、グーグル、台湾の半導体大手TSMCなど、まさに横綱クラスの企業がリストに並んでいる。
 「創造的破壊」企業では、電気自動車のテスラや民泊仲介大手エアビーアンドビーなどとともに、ファーウェイも選ばれている。同社の5G(第5世代移動通信システム)技術はクオリティーと価格で評価されており、創業者である任正非(じん・せいひ)は中国ではスティーブ・ジョブスなみに崇(あが)められている。だが欧米諸国から中国共産党の手先だと警戒されており、それもこの時代を反映している企業だと言えよう(ビジネスと安全保障が切り離せなくなっている)。
 またクラウドファンディングのリーディング企業であるゴーファンドミーもリストに入っている。寄付者は1億2000万人以上に達し、スタート(2010年)してから累計90億ドル以上も寄付されているという。
 さらにフードデリバリーサービスのドアダッシュは最近、コンビニの商品もデリバリーするなどサービスを拡大し、日本にも上陸すると見られている。インド発のオンライン学習サービスのバイジュースも世界進出を加速させており注目株だ。
任天堂ソニーソフトバンク
 現代を象徴するような名だたる企業の中に、日本企業も3社入っている。
 まず革新的企業の一つに選ばれた任天堂だ。記事は同社をこう紹介する。「任天堂Nintendo Switchニンテンドースイッチ)は仮想コミュニティーの中で気晴らしできる場所を提供している。任天堂の開発したゲームで、家を建てたり物を売買したりしてコミュニティーを作っていくどうぶつの森(英語名、Animal Crossing)シリーズはポップカルチャーを席巻した。さらに自宅でエクササイズができるリングフィット アドベンチャー(Ring Fit Adventure)は人気ソフトになった」
 リーダー的企業のカテゴリーに、ソニーが選ばれた。記事で取り上げられたのは、PlayStation 5である。日本ではいまだに手に入りにくい状態が続いているようだが、「コロナ禍でサプライチェーンに問題が生じているのにもかかわらず450万台を売った」と書いている。また、米国でも4月に公開された『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』が話題になったと紹介している。
 さらに日本からは、ソフトバンクも入っている。巨大企業のカテゴリーに名を連ねる同社は、「サウジアラビア政府系投資ファンドに支援されているソフトバンク・ビジョン・ファンドは、ウーバーやウィワークなどテック系ユニコーン企業(評価額が10億ドル以上の非上場ベンチャー企業)に投資を行なって、シリコンバレーを変えた」
 だが最近、多額の損失を出しているとも指摘。今後どう盛り返すのかが注目される、といったニュアンスの記事になっている。
 もちろんこれら以外でも、日本が世界に誇る企業は存在する。トヨタなどは誰もが認める世界的な企業であるが、創造的破壊企業に選ばれている電気自動車大手テスラのような旬な話題性はないので取り上げられていない。当たり前すぎて取り上げるまでもない、という見方もできるが。
 とはいえ、この特集で取り上げられた今をときめく世界の企業は、ビジネス分野における世界の動向をチェックする意味でも、ビジネスパーソンとして知っておいて損はないだろう。(山田敏弘)」
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⚜12〗─1─1940年体制崩壊。戦闘機開発で日本が韓国に追い抜かれる日。~No.35No.36No.37No.38 

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 賢い韓国や中国が日本に勝つのは当然である。
 愚かな日本が韓国や中国に負けるのは必然である。
 このの潮目が変わったのは、リベラル派戦後民主主義世代とその薫陶を受けた次世代が日本を動かし始めたである1980年代後半からである。
 リベラル派戦後民主主義世代とその薫陶を受けた次世代は、戦前の1940年体制を崩壊させた。 
   ・   ・   ・   
 2021年5月7日 MicrosoftNews Forbes JAPAN「戦闘機開発で日本が韓国に追い抜かれる日
 牧野 愛博
 © Forbes JAPAN 提供韓国が開発する次世代戦闘機「KF21」の試作機が4月9日、初めて公開された。ポラメ(オオタカ)と名付けられたKF21は、インドネシアが資金分担しているが、事実上、韓国初の国産戦闘機だ。お披露目の式典に出席した文在寅大統領は「自分たちの手で作った先端超音速戦闘機を持つのは世界で8番目の快挙だ」と喜んだ。
 このポラメを製作した韓国航空宇宙産業(KAI)は2015年、インドネシアなどと共同開発仮契約に署名。当時は、世界で4600機が販売された戦闘機F16より優秀で、ステルス戦闘機F35より安価な戦闘機を開発するという目標を掲げていた。
 公開されたポラメは、様々な示唆を与えてくれる。外形はF35に似た形状。ただ、日本の軍事専門家によれば、部品の接合にはステルス技術が使われていない。武器を機体内部に格納するのは諦めたという一部報道もあり、ステルス機とすることは断念したようだ。ステルス機には他に、エンジンの吸気口の形状を変えたり、機体にレーダー波を吸収できる素材を塗布したりすることなどが重要になるが、韓国は現段階で、そこまでの技術革新には成功していない。日本は2016年に初飛行したステルス実証機「X2」(心神)で、ステルス技術の検証に成功している。
 地上と空中の目標を同時にそれぞれ識別するためのAESAレーダーやエンジンについては、米国からの協力を得られず、欧州などのメーカーから購入した。AESAレーダーは、日本が1980年代末までに開発に成功した技術で、この点でも韓国が日本の航空技術にまだ追いついていないことがわかる。
 ただ、日本の軍事専門家の1人はポラメについて「我が国が80年以上前に零戦を作った時のようなチャレンジ精神を感じる」と語る。ポラメはF22やF35といった5世代戦闘機には及ばないが、韓国が脅威と位置づける北朝鮮を圧倒できる性能を持つ。北朝鮮の主力戦闘機は、初飛行から40年以上経ったミグ23だ。わずかに保有する虎の子のミグ29も第4世代戦闘機で、ポラメには歯が立たないだろう。
 また、KAIは2015年当時、韓国、インドネシア両軍などにポラメ1千機を売り、180兆ウォン(約17兆6千億円)の利益を目指すと説明していた。スウェーデンストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が集計した2016~2020年の韓国の武器輸出は世界全体の2.7パーセントを占め、占有率の多さは米国やロシア、中国などに次ぐ世界第9位だった。先の軍事専門家は「世界で、F35を必要とするほど厳しい安全保障環境に置かれている国は多くない。多少性能が落ちても安価な戦闘機を作るという韓国の狙いは悪くない」と話す。
 もちろん、課題もある。独自の戦闘機を作ろうとした韓国に対し、米国は良い顔をしなかった。韓国は開発に必要な25種類の技術について米国に提供を求めたが、米国はAESAレーダーなど4種類の技術提供を拒否した。米国は韓国の同盟国だが、「リンク16」と呼ばれる米軍の情報共有・伝達機能システムをポラメに搭載することを許すかどうか、わからない。搭載できなければ、朝鮮半島有事の際、米韓で行う連合航空作戦に支障が出る可能性がある。また、ポラメは中国空軍の最新鋭戦闘機には太刀打ちできないだろう。米国は「韓国は中国と戦う考えがないのだ」と考えるかもしれず、北朝鮮への対応を巡って揺れている米韓同盟がさらに弱体化するかもしれない。
 そして、韓国が新たに開発した戦闘機・ポラメの成果と課題は、そのまま日本が抱える問題に置き換えることができる。日本はすでに110年前の1911年、国産機「会式一号機」の公式初飛行に成功した。世界的に有名なゼロ戦零式艦上戦闘機)の初飛行は1939年だった。日本の航空機開発技術がまだまだ韓国の上を行っている背景には、こうした長い歴史の蓄積がある。
 その一方、戦後長く続いた「武器輸出3原則」の制約から、日本の防衛産業は「お得意様は自衛隊だけ」という状況に長く置かれた。自衛隊の知人はかつて、視察先の広い工場で、ラインにポツン、ポツンと置かれた製作途中の戦車の姿を見た。同行した企業関係者は「予算さえあれば、もっと良いものを作ってあげられるのに」と残念そうに語ったという。韓国よりも厳しい安全保障環境もあり、「多少レベルは落ちても、安価な兵器」を作るというわけにもいかなかった。近年、採算が取れずに防衛産業から撤退する日本企業も相次いでいる。同盟国の米国が、日本独自の兵器開発を歓迎することもなかった。
 このため、今の日本に、韓国を上回るほどの「独自の戦闘機を開発してやろう」という意欲があるかどうか怪しい状況になっている。韓国の専門家は「ポラメは、ステルス機の第5世代ではなく、4.5世代プラスαという位置づけ。でも、技術開発が進めば、ステルス機開発に移行できる基礎は作ることができた」と語る。日本の専門家は「まだ、日本の技術が上だが、ボヤボヤしていると韓国に追い抜かれる日が案外早くやって来るかもしれない」と語った。」
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🌌14}─3─新型コロナウイルスによる急性飢餓約2億7,200万人。〜No.59No.60No.61 ⑨ 

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 2021年5月6日 MicrosoftNews 朝日新聞社「2.7億人「急性飢餓」の恐れ コロナ影響をWFP指摘
 © 朝日新聞社 ウガンダ北部ビディビディ難民居住区で、WFPから食料を受け取る南スーダン難民たち=2020年11月27日、遠藤雄司撮影
 紛争や気候変動などで最低限の食料の入手さえ困難になる「急性飢餓」に陥る人が今年、世界で2億7200万人に上る可能性があることが、国連世界食糧計画(WFP)の推計で明らかになった。今年は昨年に続き、新型コロナウイルスの影響で飢餓が急激に増えているとして、警鐘を鳴らしている。
 WFPなど16機関が5日に公表した「食料危機に関するグローバル報告書」によると、2020年は調査対象の55カ国・地域で1億5500万人が急性飢餓に陥っていた。過去5年間の調査で最も深刻で、地域別で最多のアフリカは9800万人と全体の3分の2を占めた。主な理由は紛争(9900万人)、経済危機(4千万人)、気候変動(1500万人)だった。
 さらに、新型コロナ感染が収束しない中、「多くの家庭が労働機会の減少による収入減に直面する」と指摘。WFPが80以上の国・地域で独自に推計したところ、今年の急性飢餓人口は2億7200万人に達する恐れがあるという。
 国連は子どもの3割が深刻な栄養失調で、かつ人口1万人につき毎日2人が死亡しているなどの状態を、飢餓の中でも最も深刻な「飢饉(ききん)」と定義している。WFPは新型コロナの影響で今後、飢饉が発生する危険性を指摘。南スーダンやイエメンなど、ほぼ飢饉の状態にある国も出ており、緊急の人道支援なしには3400万人が餓死する恐れがあるとしている。(小早川遥平)」
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☕129}─1─関東大震災。渋沢栄一の震災復興と天譴論。~No.318No.319 

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 渋沢栄一記念財団
 ホーム渋沢栄一TOP渋沢栄一関東大震災関東大震災後における渋沢栄一の復興支援 / 守屋淳
 関東大震災後における渋沢栄一の復興支援 / 守屋淳
○ はじめに
 今日お話しするのは、関東大震災における渋沢栄一の活動についてです。
 まず関東大震災について簡単にお話をしますと、起こったのが1923(大正12)年の午前11時58分でした。私自身、これは東京直下型だと思っていたのですが、実はそうではありません。まずマグニチュード7.9の本震が相模湾沖で起こります。そしてその3分後、今度はマグニチュード7.2が東京湾北部で、さらに5分後、マグニチュード7.3が山梨県東部で起こるという形で、連続して強い余震が起こりました。「もう5分以上ずっと揺れ続けた」そういう感想を漏らした方がいるような、長く強い地震でした。
 そして、お昼前ということもあり、地震発生後30分以内に、市内136カ所、郡部40カ所で出火し、2日間にわたって燃え続けます。北は南千住、東は亀戸の手前、西は飯田橋、南は浜松町、この間がほぼ焼き尽くされます。
 この結果、火災による死傷者が非常に多く、死者全体で10万人以上、東京市で6万8000人以上、横浜市でも2万3000人以上が亡くなるという、大きな被害が出ました。
1.その時、渋沢栄一
 渋沢栄一の帰路 → 拡大画像
 (『渋沢栄一関東大震災』より)
 このとき、渋沢栄一日本橋兜町にあった渋沢事務所におりました。この事務所、何とか倒壊は免れましたが、非常に大きなダメージを受けました。渋沢栄一はあわやのところを助けられ、隣の第一銀行でお昼を食べた後に、王子にある家まで避難をしていきます。その避難経路がこの地図です。黄色が渋沢栄一の避難した道になりますが、ちょうど下のところに皇居がありまして、真ん中の緑が上野公園です。上野公園にまで至る黄色いところは、実はすべて火事で焼き尽くされます。
 渋沢栄一のいた場所というのは当時の日本橋区、今の中央区北部です。ここは一坪残らず焼き尽くされました。渋沢栄一は、渋沢事務所に維新の元勲たちの手紙や徳川慶喜の資料を残していましたが、それらも一夜で全て焼けてしまい、非常に後悔をしています。しかし、これらの状況を考える限り、よく渋沢栄一は助かった、王子までたどり着いた、そういうことが言えるわけです。
 全焼した渋沢事務所(渋沢史料館所蔵)ちなみに、この写真が、その燃えてしまった渋沢事務所の写真です。 このような状態で王子にたどり着きましたので、当然身内の者は、「故郷の深谷に避難したらどうですか」と勧めるのですが、このとき、「わたしのような老人は、こういう時にいささかなりと働いてこそ、生きている申し訳がたつようなものだ」という台詞を残すわけです。ここにこそ、まず我々がヒントとするものがあるのだろうと考えられます。
2.逆境の時にこそ力を尽くす
 今のリーダーたちと、この明治のリーダーたち、何が大きく違うのか。それは、逆境やピンチに対する経験の有無なのです。基本的に、明治の政財界のリーダーたちというのは、血しぶきの舞った幕末維新を経験しています。逆境と言えばとんでもない逆境、ピンチと言えばとんでもないピンチをみんな経験しているがゆえに、そのような局面に強いのです。逆境やピンチが起こると、今こそ自分たちの出番である、おれたちが活躍しないでどうするんだ、ぐらいに思う人たちがそろっているのです。
 ところが、今のリーダーたちは、逆に、おなかが痛いとか、頭が痛いとか、血圧がちょっと上っちゃってもう表に出られなくなってしまうのです。
 我々自身も元気をなくしてしまったり、日本はもうだめじゃないか、みたいなことを言ってしまうのですが、それは違うのです。今こそ、我々は張り切るべき、力を尽くすべきなのです。
 渋沢栄一は、『渋沢栄一訓言集』という本の中でこう言っています。「逆境に処しては断じて行え。決して惑うてはならない」。そしてこれは中国古典でいえば、渋沢栄一の大好きだった『論語』の中にも「歳寒くして、然る後に松柏の凋むに後るるを知るなり」(『論語』子罕篇)。冬の寒さが厳しくなったとき、つまり逆境やピンチのときに、はじめて松や柏(はく)――これは柏(かしわ)ではなくて中国の常緑樹の柏(はく)です――がいつまでも凋まないで寒気に耐えていることを確認できるのである。また、有名な言葉ですが、「疾風に勁草を知る」(『後漢書』王覇)。激しい風に、強い草を知る。こういった言葉があるわけです。
 逆境やピンチにいかに力を発揮できるのか、張り切れるのか。恐らくこれが我々に課せられた使命だろう、そういうふうに考えられます。
3.天譴論
 地震発生から8日後、渋沢栄一は新聞のインタビューで、「天譴論」(てんけんろん)というのを述べます。この地震は天からの「おしかり」であるというのです。
 「大東京の再造についてはこれは極めて慎重にすべきで、思ふに今回の大しん害は天譴だとも思はれる。明治維新以来帝国の文化はしんしんとして進んだが、その源泉地は東京横浜であつた。それが全潰したのである。しかしこの文化は果して道理にかなひ、天道にかなつた文化であつたらうか。近来の政治は如何、また経済界は私利私欲を目的とする傾向はなかつたか。余は或意味に於て天譴として畏縮するものである。」1
 確かに、幕末維新をかいくぐった人間というのは、自分の命を捨てる覚悟で、日本のため、公益のために尽くそうとした人々でした。しかし、一旦制度ができてしまうと、その中で人々は国や公益のために命を捨てるといった考えをなくしていき、自分の利益、企業の利益、業界の利益しか見ないようになってしまったのではないか。そして、それに対する反省を促す意味があったのではないか。こういうことを渋沢栄一は言っているのです。これは、現代の我々も考えるべき観点かもしれません。
4.渋沢栄一の復興支援
 在京罹災埼玉県人救護団バラックを訪れた渋沢栄一(個人蔵)
 そして、渋沢栄一はすぐに東京の様子を探り、復興支援に乗り出していきます。具体的には、三つの大きな活動がありました。まず、目先で大変な被害に遭っている方がいますので、まず罹災者の救助や支援に乗り出します。当時の政府はあまり労働界とパイプがなく、内務大臣後藤新平からの願いもありまして、1919(大正8)年に労使協調のためにつくられた財団法人協調会という組織を使って支援活動を進めていきます。
 それと、支援活動にはお金が要ります。ということで、義捐金の募集と配分、そして経済の復興を目指し、財界及び貴族院衆議院の議員たちと大震災善後会をつくります。また、海外の知己へ呼びかけて義捐金を送ってもらいます。さらに、当時の政府が帝都復興審議会というのをつくりますが、これに加わり復興計画にも参画していきます。ちなみに、渋沢栄一は民間におりて以来、政府の役職は基本的にすべて断っていましたが、このときだけはその節を曲げて参加しました。
 上の写真は、実際に渋沢栄一が罹災者の方々を見て回ったときの図です。これは非常に渋沢栄一らしい写真だと思います。
5.協調会と大震災善後会、海外への呼びかけ
 築地本願寺三河島託児所 仁風会館 集合写真(渋沢史料館所蔵)
 では、それぞれの活動について見ていきましょう。まず協調会での震災救護事業ですが、罹災者の収容、炊き出し、掲示板の設置、収容所の設置、臨時病院と、今も行われている活動がほぼ網羅されています。
 次に、大震災善後会。ここに集まった義捐金は420万円以上、そして公債債権も26万円集まりました。この写真は築地本願寺三河島につくった託児所の写真ですが、こういったところにお金を入れていくという活動をしています。
 また、海外への呼びかけとしましては、渋沢栄一アメリカ人から非常に尊敬を受けていました。偉大なる老人という意味の「グランド・オールド・マン」と言われており、そうした「つて」を通じて、大企業関係者、経済界、商工会議所、教会関係の重要人物に電報を打つ形で、自分の無事を知らせました。それは同時に、義捐金のお願いにもなっていたわけです。そのこともあり、ゲーリーが会長を務めるニューヨーク日本協会の10万ドルを最高額として、アメリカからは13万ドルを越える義捐金が大震災善後会に入りました。ちなみに、アメリカでは大統領からの呼びかけもあり、1,060万ドルという、当時としてはとてつもない巨額の義捐金が集まりました。
 当時、渋沢栄一アメリカ人からいかに尊敬されていたかがわかる資料があるのですが、ジュリアン・ストリートという『サタデー・イブニングポスト』の主筆がこう言っています。
 「この人のなかに私は日本国民の最善の姿、もっともすぐれた資質を見た。親切で暖かい心、世界情勢についての驚くべき感覚、愛国者でありながらけっして狭い愛国主義のわくにはまることがない...。そこにはまれに見る偉大な心がある。この人を私は限りなく尊敬する...。」2
 こうした尊敬を受けていたからこそ、渋沢栄一の活動も成功した面があったのです。
6.帝都復興審議会
 さらに、当時の総理大臣だった山本権兵衛、それと中心人物として後藤新平、ほかに犬養毅逓信大臣)、高橋是清立憲政友会総裁)、伊東巳代治(枢密顧問官)等が参画した帝都復興審議会に、審議委員の一人としてかかわっていきます。ただ、この審議会の委員がもめるのです。現在の政治も似たようなものですが、この時には後藤新平と伊東巳代治の対立という形であらわれます。
 後藤新平国立国会図書館所蔵)
 まず後藤新平。この人が復興の中心だったのですが、この人の原則は攻めの復興です。遷都はしない。復興費には30億円かかる。欧米最新の都市計画を採用して、我が国にふさわしき新都を造営する。また、新都市計画実施のためには、地主に断固たる態度をとる。こういうことを主張します。要は、この震災をきっかけにして、世界に誇れる立派なまちをつくり、震災に強い住みやすい都市をつくりましょう、ということを主張するわけです。
 しかし、これに伊東巳代治が反対をします。まず、そんな金がないだろうというのが一つの主張です。そして、人の土地を勝手にいじろうとするな。それともう一つ、私有財産権というのは近代の大きな柱だから、そこに手をつけるべきではないと言ってもめるのです。この伊東さん、実は銀座の大地主でした。どうも、自分の土地がいじられたくなかったみたいで、けんかのようになってしまうのです。
 そこで登場するのが渋沢栄一です。渋沢栄一は間に入って、こう言います。
 伊東巳代治(国立国会図書館所蔵)
 「ここで行き詰ってただこの議論のために甚だしきは議会もどうなるかということである。つまり申すと罹災者たる東京横浜等の市民が政治上あるいは有力なる方々の意見のために宙に吊り下げられる有様になりはしないかということを深く憂うるのであります。(中略)どうでございましょうか。一日も早くもう一遍会をお開きになって、討論会でなくこれに対する反対のご意見があるならばこれはこうしたい、ああしたいということをなるべくお聴き取りになって、そうしてある部分は御修正下さって、そうしてもう一度立案して下さるようなお考えはないものでございましょうか。」3
 互いによく話し合いましょう、意見の一致というのは話し合いによって見るはずです、こういうことを主張するのです。
 これによって特別委員会というのができまして、その場で渋沢栄一は「商業都市東京」というものを主張していきます。商業都市として東京を変えていこう、具体的には、東京港を築港したり、京浜運河を造りましょうと言うのです。さらに渋沢栄一は、「大東京の再造には、武門政治的の都門でなく、商業本位の東京にしたいと思ふ」。江戸というのは、基本的には武家の軍事の都市であった。それを商業都市に直していきたいと言うのです。
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 渋沢 栄一(旧字体:澁澤 榮一、1840年3月16日〈天保11年2月13日〉- 1931年〈昭和6年〉11月11日)は、日本の豪農出身の武士、官僚、実業家、慈善家。位階勲等爵位は正二位勲一等子爵。雅号は青淵(せいえん)。
 江戸時代末期に農民(名主身分)から武士(幕臣)に取り立てられ、明治政府では、民部省を経て直属の上司である大蔵大輔・井上馨の下で大蔵少輔・吉田清成等と共に造幣・戸籍・出納等様々な政策立案を行い、初代紙幣頭、次いで大蔵省三等官の大蔵少輔事務取扱となる。
 井上馨と共に退官後は実業界に転じ、第一国立銀行(現・みずほ銀行)や東京商法会議所(現・東京商工会議所)、東京証券取引所といった多種多様な会社、経済団体の設立・経営に関わり、同時に東京養育院等の福祉事業、東京慈恵会等の医療事業、商法講習所(現・一橋大学)、大倉商業学校(現・東京経済大学)等の実業教育、東京女学館等の女子教育、台湾協会学校(現・拓殖大学)の設立、二松學舍(現・二松学舎大学)第3代舎長就任等による私学教育支援や、理化学研究所設立等の研究事業支援、国際交流、民間外交の実践等にも尽力した。それらの功績を元に「日本資本主義の父」と称される。また「論語と算盤」の言葉で代表される、道徳経済合一の思想でも広く知られている。
 震災復興
 大正12年(1923年)関東大震災に際し、政府、東京市に臨時対応を献策しつつ、自ら被災者に供給するための食糧を自費で近県から取り寄せ配給を行った。協調会を通じた罹災者収容、炊き出し、災害情報板設置、臨時病院確保等の対策を実行。また、救済事業資金調達のため、大震災善後会を結成し、義援金集めにも奔走し、栄一と交流のたった米国の実業家からも多くの義援金が寄せられた。政府帝都復興審議会の委員にも就き、議論をリードし復興都市計画をまとめる事にも尽力した。
 関東大震災後の天譴論
 関東大震災後の日本の言論界には、世の風潮が利己的で傲慢になったために、天が罰として自然災害を起こして警鐘を鳴らしたと受け止めるべきであるという、「天譴論」が流行したが、その口火を切ったのは渋沢だった。「天譴論」は腐敗したブルジョアや近代産業文明への批判と平等主義や自然回帰への賛美の思潮ともつながり、一種の流行語ともなった。皆が口にするに至って、返って不自然さや偽善性を指摘する者も現れ、最初の主唱者渋沢も「天譴だという人は、本当にこれを天譴と思っているのでは無いかも知れませぬ」と苦言を呈する程になった。
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の情緒的な文系的現実思考はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の理論的な理系論理思考はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして信仰宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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