🐟21〗─2─飼育歴十数年の中国産高青黒牛が日本固有種黒毛和牛を脅かす。~No.87No.88 

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 日本人犯罪者は、日本の酪農家の利益と国益の為に知的財産として規制保護されている日本固有種である黒毛和牛の受精卵などを中国人実業家に不正に売却した。
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 2021年9月24日 MicrosoftNews 新華社通信「山東省の黒牛はいかにして日本の和牛と肩を並べたのか
 © 新華社 山東省の黒牛はいかにして日本の和牛と肩を並べたのか
 山東紐瀾地何牛食品の牛舍で、餌を食べる高青黒牛。(資料写真、済南=新華社配信)
 【新華社済南9月24日】中国山東省高青県には、音楽を聴き、ビールを飲み、柔らかいベッドで眠り、マッサージを受け、最も高い部位の販売価格が1キロ当たり2千元(1元=約17円)を超える黒牛がいる。
 わずか十数年の飼育の歴史しかない高青黒牛は、いかにして日本の和牛と肩を並べるようになったのか。また、設立から6年しか経っていない黒牛企業は、いかにして中国国内の高級肉牛ニューリテールのトップブランドになったのか。
◇高青黒牛の「豊かな」養成
 山東紐瀾地何牛食品にある清潔で整理が行き届いた牛舍の中では、穏やかな音楽が流れ、壮健な黒牛たちが悠然と闊歩したり、静かに休んだりしている。デジタルプラットフォームの「黒牛管家」には、全ての牛の体重や心拍数、体温、歩数などの健康データがリアルタイムで表示されている。
 加工工場では、従業員が牛の部位を慣れた手つきで細かく分割している。デジタル化された生産プロセスによって品質、規格、技術の管理・コントロールが行われている。
 紐瀾地は黒牛の飼育段階における従来の方法を大きく進展させ、科学的な飼育方法を採用し、高級路線を進んでいる。牛が食べている「草の缶詰」はトウモロコシと大麦を蒸して固めたもので、綿実油粕や豆粕などの高タンパク成分を加え、さらにリンゴのカスや酒粕などの「食欲増進剤」を一定量入れることで、黒牛の身に質の高い大理石模様を生じさせている。また、牛にビールも飲ませており、牛舎に置かれ木の桶には牛が飲むビールがあふれている。これは黒牛の消化を助け、霜降り肉の質を向上させるという。牛はマッサージも受けており、全ての牛舎にはふかふかした電動マッサージ器が設置され、黒牛が近づくだけで、マッサージ器が作動する。こうした独特の飼育方法は、紐瀾地牛肉の食感を高めている。
 同社の杜斌(と・ひん)総経理は「(黒牛の肉は)普通の部位でも1キロ当たりの販売価格が100元に上る。高級なロース、リブロース、肩ロースなどの部位は1キロ当たり2千元以上になるので、1頭の黒牛の価値は10万元を超える」と述べた。現在、紐瀾地の牛肉はアリババグループが運営する生鮮スーパー「盒馬鮮生」の25都市約300店舗で販売されており、20カ国・地域グループ(G20杭州サミットや上海協力機構(SCO)青島サミットの食卓にも供されたという。2020年の同社の売り上げは、前年同期の4倍になった。
◇牧場から食卓までデジタル化
 紐瀾地の李震(り・しん)総裁によると、同社はビッグデータを使い、繁殖や飼育、食肉処理、加工、販売などのプロセス全体を一体化して全工程をデジタル・高度化した。川上の生産パークでは飼育を自動化し、川中では食肉処理・コールドチェーン・物流をスマート化。川下のマーケティングではオムニメディア情報化という発展モデルを打ち立て、牧場から食卓に至るデジタル化された管理体系を構築した。
 飼育の段階ではデジタルプラットフォームの「黒牛管家」を使い、黒牛の心拍数や血圧、体温、歩数などのデータをリアルタイムで収集、管理している。牛が出荷・食肉処理された後、分割された肉の部位の名称や規格、保管状態などのデータを正確に記録し、全ての肉が分割されると記録され、これは最終消費財として食卓に上るまで続く。
 販売の段階では、盒馬鮮生のビッグデータを使い、黒牛の受注飼育を行っている。肥育期間における飼料の配合、飼育期間、飼育頭数の全面的な改善と最適化を行い、需要に応じて飼育し、頭数を確保している。紐瀾地はさらに、消費者の需要と消費シナリオに基づいて商品の研究開発を指導しており、盒馬鮮生での1日当たりの商品ごとの売り上げに基づき、牛肉の部位を細かく分割している。
 李氏は「盒馬鮮生に卸している全てのステーキ肉が誰に販売されたかまで把握しており、デジタル農業の駆動力となっている」と話した。
◇デジタル化の影響力
 杜氏は「ブランド化は紐瀾地の最終的なゴールではない。われわれの目標は2~3年以内に上場し、産業全体のより高速度で高次元な発展をけん引することだ」と語った。
 杜氏によると、紐瀾地は現在、年間の食肉処理数が6万頭に達し、産業チェーン全体の年商が約50億元になっている。うち最終消費段階における牛肉の売り上げは今年、8億~10億元に達すると見込まれている。
 生産能力を拡大するため、紐瀾地は高青黒牛10万頭を飼育できる国レベルの近代的農業産業パークの建設に尽力している。また、研究開発、飼育、取引の3点について、インテリジェント化された近代的な飼育基地、飼料加工工場、有機肥料加工工場、デジタル化された全国肉牛取引センターを建設している。
 紐瀾地はさらに、アリババデジタル農業と協力し、山東省淄博市周村区に敷地面積800ムー(約53ヘクタール)の紐瀾地(アリババ)デジタル農業産業センターを建設する予定で、同センターは将来的に淄博におけるデジタル農業のシティーホールになる見込みだ。
 杜氏は、紐瀾地が優れた農業資源を統合し、ハイエンドなプラットフォームと結び付け、優れた農産品のサプライチェーンとエコシステムを構築すると強調。全国に先駆けて肉牛の1〜3次産業が融合した発展モデルパークを建設し、将来的にリゾートや観光、教育、文化などと牧畜業を有機的に融合させ、牧場を観光地に変える計画を示した。」
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 農林水産省
 家畜遺伝資源の管理・保護
 和牛を始めとする我が国の畜産物は世界的にも評価が高まっており、高品質な畜産物の生産を促進する上で、家畜人工授精及び家畜受精卵移植が適切に実施されることが一層重要となっています。しかしながら、平成30年6月、和牛の精液と受精卵の不正な輸出を図る事案が発生し、家畜人工授精用精液等について、知的財産としての価値の保護や流通の適正化が強く求められています。
 このため、第201回国会において、家畜改良増殖法の一部を改正する法律及び家畜遺伝資源に係る不正競争の防止に関する法律が新たに制定され、これらの法律に基づく新たな仕組みが、令和2年10月1日に施行されました。
 関係者の皆様におかれましては、今回のこれらの法律の制定を契機として、家畜人工授精用精液等の知的財産としての価値の保護や流通の適正化に向けて、御理解と御協力の程どうぞよろしくお願いいたします。
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 黒毛和牛(読み)クロゲワギュウ
 デジタル大辞泉「黒毛和牛」の解説
 和牛の一品種。毛色は黒。元来は役牛(えきぎゅう)であったが、肉質がよく美味なため肉牛として各地で飼育される。神戸牛・松阪牛近江牛米沢牛などはこの種。公正競争規約では黒毛和種という。→和牛
 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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 朝日新聞デジタル>記事「和牛遺伝子は「知的財産」、流出防止へ新法成立 罰則も
 兼田徳幸
 2020年4月17日 18時25分
 牛舎で管理される黒毛和種の牛=福島県
 和牛の精液や受精卵といった遺伝資源を知的財産と位置づけ、流通規制を強化する家畜遺伝資源不正競争防止法と改正家畜改良増殖法が17日の参院本会議で可決、成立した。懸念される海外流出の抑止策として、不正競争防止法には罰則を盛り込んだ。今秋にも施行される。
 長年の改良によって付加価値の高まった遺伝資源を保護するのが狙い。冷凍保存した和牛の受精卵などを中国に不正に持ち出そうとした事件を大阪府警が昨年摘発したが、流出自体を止める法律がなく、適用したのは家畜伝染病予防法の不正輸出などだった。これを機に遺伝資源保護の観点から法整備の議論が進んだ。
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 東洋経済オンライン
 黒毛和牛「A5」は、農家を守るための策だった
 格付け上位の牛肉は「おいしい」のか?
 山本 謙治 : 農畜産物流通コンサルタント&農と食のジャーナリスト
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 2016/08/16 6:00
 堂々の黒毛和牛肉! サシのビッシリ入ったA5肉文化の極致だ(著者撮影)
 前回では、日本で肉用に生産されている牛の割合を見ていただいた。肉専用品種の中で黒毛和牛が突出して多く生産されており、それ以外の和牛品種は比率でいえば1%以下と、誤差程度でしか存在していない寡占状況にあることがわかったと思う。
 なぜそのような状況になってしまったのか。
 「それはもちろん、黒毛和牛がいちばんおいしい和牛だからでしょう!?」
 そう思われる人も多いだろう。黒毛和牛は確かに世界で類を見ないおいしさの要素を持つ、優れた和牛だ。しかし日本最大の頭数規模を誇る肉専用種になったのには、もう少し違う意味がある。
 最初に断っておくが、筆者は黒毛和牛も大好きだ。ことにサシの量が適切で、赤身部分にもしっかり味わいと香りがある黒毛和牛は、ほかの品種では味わうことができないおいしさを持っている。
 しかし、嘆かわしいことだが、ちまたにあふれている黒毛和牛の肉の多くは、先に書いた味わいや香りを持たず、おいしいと思えないものが多いのが現状だ。牛肉をめぐる状況が変わらないかぎり、そうしたおいしくない黒毛和牛ばかりが生産される状況が続くだろう。
 その状況を変えるカギになりえるのは消費者の意識だ。そんな問題意識をもって本稿を書いていきたいと思う。
 田畑を耕し荷物を運ぶ「使役牛」から肉用牛へ
 この連載の一覧はこちら
 ご存じだと思うが、もともと日本では牛は食べる用途ではなく、田畑を耕したり、重い荷物を運ぶための使役牛として存在していた。その頃の牛は現在で言えば自動車のような、生活に重要な役割を果たしてくれる存在であり、牛を食べるなんて考えられなかっただろう。筆者も、黒毛和牛の始祖ともいえる但馬牛を生みだした兵庫県美方郡を調査した際、ご高齢の生産者さんから「牛は神様でしたから、食べるなんてとんでもない」という言葉を聞いたことがある。
 神様であった牛が食べるための肉牛に変化するのは文明開化から昭和40年代まで、ゆっくりと時間をかけてである。ただし、農耕や運搬に向いた牛を肉にしても、肉の取れる量は少ないし、筋肉質でおいしくない。そこで明治初期以降、牛を使役にも使いつつ、肉としてもおいしくするための品種改良が始まった。日本にもともといた在来品種に、海外で実績のある外国品種を輸入し、掛け合わせて雑種を作り、肉に向いた品種にしようとしたのである。
 この時期、ずいぶんと品種改良の迷走期があったらしい。というのは、国もいったんは外国種との掛け合わせを奨励したらしいのだが、雑種にすると在来品種よりも大型にはなるものの、そのぶん田畑で働かせるには使いにくく、また肉にしたときもあまり質のよくないものが多かったようだ。
 そこで大正時代に入ると、在来品種の特徴を重視して、足りない要素を外国種などから補おうという方針に変わる。そして1944(昭和19)年、黒毛・褐毛・無角の3品種が和牛として認められ、1957(昭和32)年に短角も追加されて和牛が現在に続く4品種の時代を迎えたのである。
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 +郷土 > 記事一覧 > [コラム]黒毛和牛の歴史は但馬牛の歴史~香美町通信vol.001~
■日本の黒毛和種の歴史は一頭の但馬牛から始まった
 全国の黒毛和種は、一頭の「但馬牛」から始まっているということをご存知でしたか?
平成24年全国和牛登録協会」の調査で、日本の黒毛和種の99.9%が香美町小代(おじろ)区で産まれた「田尻号(たじりごう)」という一頭の牛から受け継がれていったものであると証明されました。
 そもそも、但馬牛(たじまぎゅう)って知ってますか?
 但馬牛と聞くと、「松坂牛、神戸牛、近江牛佐賀牛飛騨牛とかの素牛だよね?」とか「詳しく知らないけど、日本の和牛の原点だよね?」と答えられる方が多いと思います。
これらの回答も正解なのですが、「但馬牛をもっと詳しく知ってもらいたい!」と思い筆を走らせてみることにします。
◇但馬牛とは
 但馬牛は、兵庫県産の黒毛和種のことで、兵庫県が指定する雄牛(県内に12頭)のみを歴代に亘り交配し誕生した牛で、県内で肥育された食用牛が「但馬牛」と呼ばれるものとなります。
 その中から、一定以上の条件をクリア(霜降り度合いや歩留まりなど)した但馬牛のことを「神戸牛」とか「神戸ビーフ」と呼んでいます。つまり、神戸牛は但馬牛の中の一つのブランド(最高級)ということになります。
神戸牛となるには、霜降りという脂分の数値等が基準となっているので、赤身肉の美味しさにも着目されてきた昨今、神戸牛が但馬牛の中の最高牛肉という単純なものではなくなっているのも事実ですが、神戸牛のおかげもあって但馬牛の知名度も上がっています。
◇和牛の歴史、そして品種改良
 ここからは、和牛の歴史を紐解きながら説明していきます。
江戸時代までの日本では、牛は食用としてではなく、農耕用として飼育されていました。それはここ香美町でも同じで、一軒に数頭の牛を飼い、一つの労働力として家族同様に育てられ、共に暮らしてきました。
 時が経ち、明治初期、日本は文明開化とともに牛肉を食べる食文化が広まりました。それと同時に小柄な日本の牛を外国の牛のように体格の良い牛にしようと、品種改良(外国種の雄との交配)が盛んに行われていったのです。
 ところが、これが大失敗。気性が荒く、働かず、病気も多い、そしてなにより肉質がよくないという残念な結果となってしまい、但馬牛も含む和牛の純粋種が絶滅の危機に直面してしまいました。
◇田尻号が「和牛の偉大なる父」と言われる所以
 終戦後、元の和牛を取り戻そうと全国で本格的な取組みが始まりました。が、時すでに遅し。国内には純血の黒毛和種が残っていなかったのです。
 和牛復活を諦めかけていた時、奇跡的に香美町小代区の山深い里(熱田地区)に外国種や他の血統との交配を逃れた純血の但馬牛が4頭残っていることが分かったのです。そこは、標高が700mもある高地で、他の村とも遠く離れていたこともあり、雑種化を逃れることが出来たのです。これが、一度は消えてしまったかに思われた黒毛和種を復活させる大きな要因となりました。まさに「小代の地理的要因が生んだ奇跡」と言えるでしょう。
 そして、残った4頭の内の1頭の子孫として生まれたのが「和牛の偉大なる父」と言われる「田尻号(雄牛)」です。田尻号は、肉質のよい強い遺伝子をもった種牛で、当時はまだ凍結精液などなかった自然交配の時代、なんと生涯で約1500頭もの子孫を残しました。この田尻号のDNAが、今の黒毛和種の99.9%のルーツとなっているのです。
 「奇跡の4頭」と呼ばれるこの牛たち。そして「田尻号」。この牛たちがいなかったら、現在世界中に広がる「和牛」は存在していなかったでしょう。
◇最後に
 現在に至るまで、全国に広まった「田尻号」の遺伝子は各地で改良を重ねられ、ブランド牛となっています。現在も、あの有名な「松阪牛」のほとんどは、但馬牛の子牛を購入し育てられたものです。本家である香美町でも、独自の改良を重ね、他の和牛よりも融点が低くサラサラであっさりとした旨味の牛肉を生み出すなど、現在の神戸牛の発展を支えています。
 そんな歴史と伝統のある但馬牛を使ったローストビーフ(神戸牛の基準をクリアしたもの)が、ワールドワンの展開する山陰隠岐の島ワールド2店舗で提供されています。
是非、ご賞味ください。 (文:香美町役場神戸営業所 今井和希)
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 ウィキペディア
 黒毛和種(くろげわしゅ、英語:Japanese Black)は、牛の品種の一つであり、肉牛として飼育される。和牛の一種。
 歴史
 田尻松蔵と但馬牛の「ふくえ」号(名牛「田尻」号の母牛)
 明治33年(1900年)から在来種の改良の為に輸入した各種の欧州系が交雑されたが、各県によってばらばらであり、島根県ではデボン種、兵庫県鳥取県ではブラウンスイス種といった具合で、体型・体格ともまちまちであった。旧国名を付けて千屋牛、因伯牛、阿哲牛、但馬牛などと称した。大正元年(1912年)改良和種と総称されたが、この変異をなくし、農業経営に最適の役肉兼用種として統一目標の下で改良が進められ、中国和牛研究会にて大正8年(1919年)から大正10年(1921年)にかけて統一された標準体型も作られた。
 黒毛和種と名称が決定したのは昭和19年(1944年)の事である。第二次世界大戦後、役用が廃れたので1950年代から肉用としての改良が進み、昭和37年(1962年)に最初の審査基準が改定、その後何度かの改訂を経て現在に至る。現在の黒毛和種の大半は、兵庫県美方郡香美町小代区但馬国)で生まれた種牡牛「田尻」号の子孫である。神戸牛や松阪牛近江牛もこの種の系統である。
 日本国内で飼育されている和牛の95%がこの品種で、その中でも薩摩で古くから飼われてきた在来種を畜産試験場で改良を重ね、昭和61年(1986年)に発足した鹿児島黒牛黒豚銘柄販売促進協議会により誕生し、平成9年に商標登録されたブランドで、平成29年(2017年)9月に宮城県で開催された第11回全国和牛能力共進会において、9つの区分のうち4つの区分で1席を受賞し、団体総合優勝で日本一を獲得した『鹿児島黒牛』で知られる鹿児島県は、平成28年(2016年)時点で黒毛和種の生産量が全国の約19%を占め日本一であり、肉質の最高ランクにあたる「5等級」の出現率も全体の4割を超えている。
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 和牛(わぎゅう)は、明治時代以前からの日本在来の牛をもとに、日本国外の品種の牛と交配して作られた品種群である。具体的には黒毛和種褐毛和種日本短角種無角和種の4品種を指す。1976年に米国コロラド州で研究目的に連れてかれた和牛たちの精子と胚が他の国々に流出し、オーストラリアやアメリカで他品種と掛け合わせた混合牛が和牛として日本産よりも多く出回っているため、 日本政府は区別するために公式認定を行っている。
 歴史
 江戸時代の日本在来牛
 日本には古代から牛が導入され、千数百年にわたり広く利用されてきた。系統的には北方系の亜種タウロス (Bos tauros tauros) で、インド系のゼブ牛の血統は入っていない。
 鎌倉時代には『国牛十図』が書かれ、品種とまではいかないが、産地による牛の特徴の違いが意識されていた。
 江戸時代の中国地方では、積極的に近親交配させて作り出した系統が「蔓」と呼ばれ、優れた蔓の牛が高い値で取り引きされた。肉食が忌まれ、牛乳利用が広まらなかった日本では、牛は基本的にみな役牛であったので、この時代の優れた牛とは、健康で人の言うことをよく聞いて働く牛である。
 改良和種と和牛
 ふつう和牛という場合には、明治時代以降に国外から導入した品種と在来種とを交配して作られた品種を指す。明治政府は欧米から優れた性質の牛を輸入し、それを在来の牛と交配させて増やすことで、日本の牛を改良しようとした。その多くは乳肉兼用の品種で、明治になって生まれた新しい需要に対応させるものである。しかし多くの農家が牛に期待するのは役用で、その観点でははっきりした効果が得られなかった。
 1912年から、生まれた牛の性質を見極めて優れた牛を増やしていく、という組織だった品種改良がはじまった。ベースとなったのはその時に各地で飼われていた日本牛だが、既に外国牛の血が相当に入り込んでいたので、純粋な日本在来牛ではない。そこでこれを「改良和種」と名付けた。改良の目標は役肉両用である。成果が上がって集団としてまとまった性質が見えるようになった1944年に、黒毛和種褐毛和種無角和種の3品種に区別し、総称して「和牛」と呼んだ。1957年に日本短角種が追加され、4品種からなる和牛が成立した。
 品種改良の過程では、純粋な在来牛を残そうという考えはなかった。日本の牛は外国品種との交雑種になり、純粋な在来種は偶然的な事情で2つの島に生き残った。山口県萩市の見島牛、鹿児島県十島村口之島牛である。見島牛は国の天然記念物に指定されている。
 高級肉牛としての和牛
 役牛の仕事は主に耕作と運搬であったが、20世紀後半にトラクターとトラックに完全にとって代わられた。高まる牛乳消費に応じるためには、乳量が多い外国産のホルスタイン種が飼われており、和牛の出番はなかった。そのため、1960年代に和牛の飼育目的は役肉兼用から肉専用に切り替わっていった。
 日本在来種とその性質を引き継ぐ和牛は、肥育すると筋肉に脂肪が混ざりやすい。そのような特徴は、牛自身にとっても過去の日本人にとっても有利なものではなかったが、肉食が広まると、他品種の牛肉では得られない柔らかさとうまみにつながることが認められた。役畜としての役割がなくなると、脂肪交雑が多い肉を生産するための和牛飼養と品種改良が進められた。特に、1991年に牛肉の輸入が自由化されると、中途半端な安さでは外国産牛肉に対抗できなくなり、脂肪交雑しやすい黒毛和種を高品質・高価格で生産する傾向が強まった。
 高級牛肉としての和牛の輸出は、1990年代にはじまったが、2000年に発生した牛海綿状脳症 (BSE) のため各国から輸入が禁止され、一時途絶した。2012年にアメリカ、2013年にEU輸入禁止が解かれてから、輸出数量・金額ともに拡大している。2017年には台湾で輸入禁止が解かれ、和牛輸入ブームが起きた。中国は2017年現在も輸入を禁止しているが、カンボジアから迂回輸入している可能性が指摘される。
 2003年12月にはアメリカでもBSEが発生したことにより米国産牛肉の輸入禁止措置が取られたことで、一部では米国産牛肉よりも高価なことを承知で和牛に切り替える動きも見られた。例えば吉野家は過去の経緯などから米国産牛肉の使用に固執してきたが、BSE問題後も創業店として特別な位置付けがされてきた築地店や、出店契約や他店との兼ね合い等から代替メニューを提供できない公営競技場内の店舗では、並盛500円、大盛650円への値上げを行った上で和牛に切り替えて販売を継続していた。
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和牛とは何か 明治以降に品種改良した肉専用種
 有料会員記事
 2020年4月1日 10時02分
 追跡メイドインジャパン和牛編 もっと知る①
 「和牛」とは、明治以降に、日本の在来種に外来種を交配して品種改良した肉専用種だ。「黒毛和種」「褐毛和種(あかうし)」「日本短角種」「無角和種」の4品種がいるが、黒毛がほとんどだ。
 この4品種の純血種、あるいは4品種どうしの交雑種のみが「和牛」と呼ばれる。
 また日本国内で生まれ、国内で育てられていることも条件となる。2018年の生産量は約14万9千トンになる。
 一方、生まれてから一番長い期間日本で育てられた牛であれば、外国生まれでも「国産牛」を名乗ることはできる。
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 あなたの静岡新聞
 和牛って、国産牛のことじゃないの?【まいどなニュース】
 2020.5.26
 「和牛と国産牛は同じじゃないの?どう違うの?」という疑問が、神戸新聞が運営するサイト「まいどなニュース」に寄せられた。違いそうなことはなんとなく分かっていても、具体的にどう違うのか。大阪市内で食肉業を営む森田真規さんにお話を伺った。森田さんは全国食肉検定委員会が実施する「お肉検定」で「お肉博士1級」を取得している、お肉のエキスパートだ。
 「国産牛」と「和牛」の定義
 「おおまかにいうと、日本で和牛と呼ばれているのは一般的に黒毛和牛のことです」と前置きしたうえで、「日本国産の牛には黒毛和牛、ホルスタイン牛、ジャージー牛などいろいろありまして、和牛(黒毛和牛)も国産牛のひとつです」という。
 では「国産牛」と「和牛」の違いは何なのだろう?(神戸新聞まいどなニュース特約・平藤清刀)
■「国産牛」とは
 「日本国内で産出(屠殺、精肉)された牛肉は全て“国産牛肉”と表記され販売されます。ですから香り高く肉質が良く価格の高い黒毛和牛も、リーズナブルなホルスタイン牛も、ひとまとめに国産牛なのです」と森田さん。どうも国産牛とは、牛の原産地を表していそうだ。
 海外で産まれた牛も日本国内で育てると日本国産牛となるが、肥育期間の半分を日本で育てることが条件だという。食肉牛の肥育期間はだいたい30カ月前後なので、最低15カ月を日本で肥育すると「国産牛」と呼べるわけだ。
■「和牛」とは
 森田さんによると「日本で和牛と呼ばれているのは黒毛和牛、褐色和牛、無角和牛、短角牛の4種類で、このうち一般的には黒毛和牛のことを指して和牛と呼んでいることが多いと思われます」とのこと。つまり、和牛とは国内で産出された牛のうち、限定された品種のことをあらわすようだ。
 余談ながら、和牛を海外で売るときは、アルファベットで「WAGYU」と表示できないそうだ。
 「オーストラリアが“WAGYU”の登録商標を、日本より先に申請してしまいました。そのため日本の黒毛和牛を“WAGYU”と表記できないので、たとえば“KOBE beef”という銘柄でブランディングされています」
   ◇   ◇
 スーパーなどでパック売りされる場合の、表示の違いも法律ではっきり区別されている。
 「食品衛生法食品表示で明確に違いがありまして、黒毛和牛の表示は黒毛和牛にのみ許されます」
 たとえば「ドコドコ産黒毛和牛」とか、銘柄で「ナントカ牛」というように表示される。
 一方「国産牛」と表示されている多くの牛は、だいたいが国産交雑牛でホルスタイン(乳牛)と黒毛和牛のハイブリッド(交雑)種。価格も黒毛和牛と比べるとリーズナブルだが、味と香りはホルスタイン牛と比べるとかなり黒毛和牛寄りだという。
 しかし「国産牛と表示されて販売されている肉の中には、ホルスタイン牛や黒毛和牛の経産牛などもあって、値段は安いけれど 味や香りが劣るものもあります」という。
 ところで、世界ではさまざまな種類の牛が、牛肉として食されている。アメリカ、オーストラリアで食されているアンガス種、ヨーロッパで食されているヘレフォード種は、黒毛和牛種と比べると赤身よりだ。和牛には「高級」というイメージがあるけれども、その背景には何があるのだろうか。
 「黒毛和牛種の味・柔らかさ・和牛香が他の種にはない独特さで、長く日本国内でしか食べられていませんでした。それが需要の高まりとともに価格が高騰し、高級なイメージへと繋がったと考えられます」
   ◇   ◇
 最後に、お肉のお得な選び方を伺ってみた。
 「ひとくちに国産牛といっても、ピンからキリまであります。黒毛和牛とホルスタイン牛(乳牛)のハイブリッドという国産牛がオススメです。味・香りとも黒毛和牛に近く、早く大きく育つホルスタイン牛の特性を兼ねそなえています。価格は黒毛和牛の半分―3分の2ぐらいです」(まいどなニュース「どなどな探検隊」2020年5月10日掲載)
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私の牛がハンバーガーになるまで: 牛肉と食文化をめぐる、ある真実の物語
和牛の一歩ずつ、一歩ずつ。

💫11}─2─古代の狩猟採集社会とはジャングルの家畜化と狩りに参加する女性であった。〜No.84No.85No.86 ⑩ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本民族の島国食生活と欧米・中国・朝鮮の大陸食生活とでは、本質的に、根本から違う。
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 現代の「人は手付かずの大自然の中で自給自足の生活をするのが好ましい」は、ウソである。
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 2021年9月3日号 週刊朝日パスカルの万脳学  池谷裕二
 ジャングルの家畜化
 ジャングル。この言葉から思い浮かべるのはどんな風景でしょう。樹木がうっそうと茂り、ときどきスコールが命の水をもたらす。手つかずの大自然が、鳥や昆虫などの多様な動植物を育んでいる。そこに暮らす人々は、豊かな森林から食料や薬を裾分けしてもらい、ひっそりと、そして力強く生活している。
 そんな原始のイメージを、サンタカタリーナ連邦大学のフローレス博士らは、6月の『ネイチャー』誌の論文であっさり覆します。一見自然に見える森林は、実は、すでにヒトの手が入った人工的な風景だというのです。
 ポイントは、ヒトが食用と薬用にできる植物は、それほど多くないこと。たしかに熱帯雨林は種の多様性という点では群を抜きます。しかし、ヒトに有益な植物は、全体からみればごくわずか。直接的には役立たない植物が大半です。つまり、あの雑多に混淆(こんこう)する大自然で有益な植物種を探り当てるは、とんでもなく骨が折れる作業です。少しでも労を減らすために、おそらく太古の人々は、有用な植物が群生する地域に居を構えたことでしょう。
 とはいえ、そうした植物も採取を繰り返せば底をつきます。当然、新しい地域を求めて引っ越すわけですが、この暮らしは非効率で不安定です。そこで、彼らは有用な植物を周辺に植えて増やすことを始めます。いわゆる栽培をすることで、自然が『豊か』になり、住みやすくなります。
 ヒトにとっての自然の『豊かさ』とは、ありのまま原始という意味ではありません。『どれほど自然がヒトに恩恵を与えてくれるか』です。未開のままの自然は、ヒトには厳しく、決して『豊か』ではありません。そこで、草昧なジャングルがヒトに優しくなるよう、人為的に加工するのです。これをフローレス博士らは『家畜化』と呼びます。食糧供給量を増やすために生態系を操作し、有益種を拡大させるのです。
 私たち人類が熱帯林に進出したのは4万5000年前から1万3000年前にかけて。以来長きにわたってジャングルに関する知識や技術を蓄積し、家畜化を進めてきました。これに伴い自然の景観も変わります。たとえばアマゾン川流域では、ブラジルナッツの木が主要な種ですが、これは元来そこに群生していたものではなく、何千年も前から先住民によって選ばれて栽培されてきたものです。
 一見自然に見えるアマゾン地域でも、食用種を調査すると、古代の集落跡に近づくにつれ食用種が増え、離れていくにつれて、別の古代の集落跡に近づくまでは減少していくことがわかります。つまり、有益な植物が群生するエリアが不自然に点在しているのです。
 家畜化、人工、不自然、加工。そんな単語を並べると、悪い印象を与えるかもしれませんが、そんなことはありません。先住民や地域住民は熱帯林を管理することで、むしろ自然を維持してきたのです。現在、世界の熱帯地域では。10億人以上の人々が栄養と建康を森林資源に依存しています。
 近年の急速な森林破壊や未開文化の現代化にyって、そうした熱帯林が危機にさらされています。ヒトが丁寧に自然の世話をして、自然もそれに応え、ヒトに恵を返す。ヒトと熱帯林の共生は一朝一夕に始まったものではありません。」
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 人の手が入らない樹木が生い茂る大自然とは、島・陸地がない大海原と同じように、人間が生きるには過酷な自然環境で、下手をすると命が奪われる死の場所でもあった。
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 狩猟採集はジャングルの家畜化で安定した量の食べ物が確保できた。
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 2021年2月5日号 週刊朝日パスカルの万脳学  池谷裕二
 女性が狩りをしていた証拠
 ……
 石器時代に『狩猟採集』の生活を送っていた頃から、男性は獲物を狩り、女性は果実や貝を採るという、男女の役割分担がありました。現在、狩猟採集型の生活スタイルを取っている民族でも男女分業が見られますから、これは確かなことです。
 ──という決めつけに、カリフォルニア大学のハース博士らは異議を唱えます。博士らは、古代の遺跡からは埋葬された女性とともに、しばしば狩猟の道具が見つかることに注目しています。
 この事実は、これまでにも知られていました。しかし考古学者は、これを女性が狩りをしていた証拠とは捉えませんでした。『調理用の刃物だ』『遺体を守る願いを込めて埋葬された神儀用の護身具だ』という解釈に逃避していたのです。なかには『DNA判定ミスで性別を誤ったのでは』とする極端な意見さえありました。
 ハース博士らは昨年11月の『サイエンス・アドバンシズ』誌で、1万7000~4000年前の南米アンデス山脈の遺跡107ヵ所に埋葬された129人について、骨学、タンパク質学、同位体検査を用いた総合的調査を行ったところ、狩猟具とともに埋葬された27人のうち11人は女性であることを突き止めました。博士らは遺跡調査の結果も考慮し、狩人の30~50%は女子だったと結論づけています。
 狩猟具は主に大型動物を仕留める飛び道具アトラトル(弓矢の原型)です。アトラトルは制度が低く、またリロードに時間がかかりますから、狩猟を成功に導くためには狩人の頭数が肝心です。集団育児の習慣が根付いていた当時、妊娠や授乳中でない若い女性は、最前線で活躍する貴重な戦力だったのでしょう。
 両性を並べて書くときに『男女』と男を先に置き、『狩猟採集』でも狩猟を先に据える──。こうした細部にもはや違和感を感じない私の感覚が、いかに麻痺しているかを実感させられる論文です。古風な考えにとらわれ、カギがかかっていたのは、どうやら私自身の脳だったようです。」
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 狩猟採集の民でも、広い範囲を移動する遊牧民と狭い範囲を移動する放牧民とは違う。
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 ジャングルの家畜化を最も成功させたのは日本民族の祖先である縄文人であった。
 そこに、東アジアから移り住んできた弥生系渡来人が揚子江流域で盛んに行われていた水田稲作を持ち込んだ為に、豊富な食糧で日本の人口は爆発的に増え始めた。
 縄文人が作り上げた自然環境が、里山である。
 現代日本は、経済の為に、命溢れる騒々しい里山を破壊し死の静寂に支配された山野にかえている。
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 古代の女性で妊娠や授乳中でない若い女性は、男性に協力して危険な大型動物を狩る最前線で活躍する戦士であった。
 ホモ・サピエンス(現生人類)が、ネアンデルタール人など他の人類との生存競争や生活空間争いに負けず生き残り、現代まで子孫を残せたのた命の危険を顧みずに戦った女性がいたからである。
 「女は戦士」それが、弱肉強食、適者生存による自然淘汰を決定付けた。
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🐙4〗─1─日本民族は縄文時代から鯨を食べる捕鯨文化を持っていた。~No.8No.9No.10 ① 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 食用動物とし、西洋や中国など大陸では馬・牛・ヒツジ・ヤギ・ブタなど数多くの大型家畜が豊富にいたが、日本には鯨と熊の大型動物と鶏・鴨、魚、爬虫類、昆虫などの小型動物しかいなかった。
 古代から近世まで、日本民族は目の前の海で鯨を捕り食べて生きていた。
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 同じ鯨食文化と言っても、日本と韓国では全然違う。
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 2021年9月23日16:05 MicrosoftNews NEWSポストセブン「ルポ日本の食文化の現在地 商業捕鯨船でクジラを追う漁師たち
 © NEWSポストセブン 提供 商業捕鯨船の漁師たちを追う
 日本では古くから捕鯨の伝統が見られ、食文化として鯨肉も親しまれてきた。1980年代後半から「調査捕鯨」が続けられたが、2019年から「商業捕鯨」が再開され、今年も漁師たちが大海原に乗り出した。商業捕鯨船「第三勇新丸」が持ち帰った鯨肉が豊洲市場で初出荷されるまでを追った──。
 大漁旗を掲げた船が、近づいてくる。シャープな船体、高いマスト、船首に鎮座する大砲。クジラを探し、追い、仕留める捕鯨船「第三勇新丸」が、東京・お台場の埠頭に着岸したのは、9月1日の早朝だった。
 大漁旗は、新たな時代の捕鯨のシンボルでもある。調査捕鯨時代は、豊漁を祝う大漁旗の掲揚すら許されなかったからだ。
 世界各国がクジラを捕りすぎた影響で、捕鯨に対して批判が集まった時代があった。そんななか、日本は1987年から調査捕鯨をスタートさせる。生息数や生態、食性……。クジラの謎を解明しなければ、商業捕鯨が再開できないと考えたからだ。南極海や北西太平洋沖合で、年間数百から千頭ほど(2018年度は510頭)のクジラを捕獲し、科学的なデータを積み重ねた。護りながら捕る。持続可能な商業捕鯨の道筋を模索してきたのである。
 しかし国際的な理解は得られなかった。調査船団に対し、環境保護団体は激しい抗議活動を繰り返した。
 そんな状況が一変したのは2年前。日本は、調査結果を一顧だにしないIWC国際捕鯨委員会)を脱退。32年ぶりに日本の沖合で、商業捕鯨を再開したのだ。
 「我々には、長年の調査で、生息数の回復を証明してきた自負があります」
 第三勇新丸の船長、阿部敦男は胸を張る。かつて捕鯨基地として栄えた宮城県女川町の出身。高校を卒業してから40年、捕鯨一筋に生きてきた。彼は笑う。
 「人生と捕鯨が、一体になってしまいました」
 調査時代、クジラの肉はあくまでもデータ採取後の“副産物”だった。一方、商業捕鯨の目的は、脂がのったクジラから上質でおいしい肉を生産すること。阿部は続ける。
「調査でも商業でも、我々は必死にやるだけです。乗組員全員でクジラを懸命に探し、クジラの性格やクセから動きを読んで“てっぽうさん”が撃つ。みんなの力を合わせないとクジラを捕ることはできません」
 初の「生肉」出荷
 これから鯨肉の生産量を上げ、新たな鯨食文化をつくっていこう……。
 捕鯨に関わる人たちが期待する矢先、新型コロナが発生した。出航前の2週間、船員を船内に隔離するなど、感染防止に取り組んだ。
 共同船舶社長の所英樹は、5か月におよぶ航海のつかの間、お台場に寄港した第三勇新丸を特別な思いで見守っていた。共同船舶は沖合で捕鯨を行なう日本唯一の企業である。所は語る。
 「今日は、特別な日なんです。日本の捕鯨の歴史で、はじめて沖合で捕獲した大型のクジラを生のまま東京に水揚げするのですから」
 第三勇新丸は、数日前に岩手県沖で捕獲した2頭のニタリクジラの肉、約600kgを積んでいたのだ。
 捕獲したクジラは、捕鯨母船「日新丸」で加工後に冷凍する。一般的に口にできるのは、解凍した肉である。だが、生の肉に比べると、味が落ちてしまう。
 「新たな鯨肉市場をつくるためにも、クジラの本当の味を知ってほしいんです」
 そう考えた所たちは、捕鯨を一時中断し、生肉をお台場に運び、豊洲市場に出荷する計画を立てたのだ。
 捕鯨の存続が危ぶまれた時期もあったが、共同船舶は2024年3月までに捕鯨母船を新造するプロジェクトを公表した。国の補助に頼らず、鯨肉の売り上げなどで費用をまかなう。
 最後の希望──。阿部は新造母船をそう表現した。
 「新母船がこれから続く捕鯨の象徴になるはずです」
 航海は11月末まで続く。第三勇新丸は、5か月で、212頭を捕獲する予定である。
 取材・文/山川徹
 ※週刊ポスト2021年10月1日号」
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 9月23日 05:57 MicrosoftNews SankeiBiz捕鯨事業を行う共同船舶、クジラの生肉をネット販売
 捕鯨事業を行う共同船舶(東京都中央区)は、今年の商業捕鯨で捕獲した大型のニタリクジラの生肉の販売予約をインターネット通販サイトで26日まで受け付けている。「鯨食」の普及が目的で、冷凍していない生の鯨肉は貴重。28日に仙台市中央卸売市場に出荷し29日に配達する。間宮商店(https://mamiyaenzo.shop-pro.jp/)と仙台海鮮市場(https://sendaisuisan.com/)の2つのサイトを通じ、希少部位の尾肉と赤身のセット(消費税・配送費込みで1万800円)を60セット限定で販売する。」
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 一般社団法人 日本捕鯨協会
 鯨食文化
 鯨食の始まり
 四方を海に囲まれた日本では、古来より鯨を重要な食料資源として利用してきました。日本の近海が鯨の回遊路に当たり、多種の鯨類が資源豊かに生息している環境が日本人の鯨食文化を育む要因になったと考えられます。
 少なくとも縄文時代には、沿岸に流れ着いた寄り鯨を海からの恵みとして利用していたと考えられています。また、縄文時代の史跡から、すでにこの頃から海に出て積極的に鯨を捕獲していた可能性も考えられています。捕獲した鯨は食用として利用されたほか、不可食部位の骨なども土器の製造台などとして有効利用していたことが分かっています。
 鯨食の始まり
 四方を海に囲まれた日本では、古来より鯨を重要な食料資源として利用してきました。日本の近海が鯨の回遊路に当たり、多種の鯨類が資源豊かに生息している環境が日本人の鯨食文化を育む要因になったと考えられます。
 少なくとも縄文時代には、沿岸に流れ着いた寄り鯨を海からの恵みとして利用していたと考えられています。また、縄文時代の史跡から、すでにこの頃から海に出て積極的に鯨を捕獲していた可能性も考えられています。捕獲した鯨は食用として利用されたほか、不可食部位の骨なども土器の製造台などとして有効利用していたことが分かっています。
 日本では飛鳥時代に仏教が伝来すると、その影響から一般に肉食が禁止され、主に魚食から動物性タンパクを摂取してきました。当時は鯨も海の幸として魚と同類と見なされていたため、貴重な食材として取り扱われ、江戸初期までは饗応料理や献上品として用いられていたことが当時の文献などから分かっています。
 組織的捕鯨と消費の拡大
 江戸時代の初期になると鯨組による組織的な捕鯨が始まり、その後網取り式捕鯨と呼ばれる効率的な漁法が開発されると鯨の供給量は大幅に増加します。
当時は生肉類の保存技術がなかったため、赤肉や皮類は塩蔵して全国の消費地へと出荷され、内臓類等は主に産地で消費されていました。

 鯨食文化 略年表
 縄文時代前期(約5,000年前)
 寄り鯨を食料として利用し始める【縄文時代前期(約5,000年前)の石川県真脇遺跡からイルカの骨が大量に出土】
 縄文時代中期(約4,000年前)
 鯨の積極的な捕獲が始まる【約4,000年前の九州の遺跡から鯨の椎骨を製作台にした「鯨底土器」が発見される】
 飛鳥時代 
 仏教伝来の影響から肉食が禁止されるが、鯨は魚と同類に位置づけられ対象外
 室町時代後期 
 料理書「四条流包丁書」の中で鯨が他の魚をしのぐ最高位の献立として紹介される
 江戸時代初期
 1606年…紀州の太地で鯨組による組織的な捕鯨が始まる
 1675年…太地で網取り式捕鯨が始まると、その漁法が全国に伝播し、捕鯨が一大産業として発展を遂げる
 江戸時代末期 
 1853年…米国のペリー提督が来航し、捕鯨船の補給基地として日本に開国を要求
 明治時代 
 1899年…日本にノルウェー式近代捕鯨が導入される
 昭和時代初期 
 1932年…日本は母船式の南氷洋捕鯨に出漁を開始する
   ・   ・   ・   
 マル幸商事株式会社
 捕鯨の歴史・伝統・食文化について
 捕鯨の伝統と食文化
 日本における捕鯨の歴史と文化
 海とともに生きてきた日本人は、大昔から鯨を食べてきました。
 それは、貴重なタンパク源であるととともに、生活道具の材料として、全てムダなく大切に使われ、いまでも、捕鯨をしていた港近くのお寺には、鯨を供養する塚や墓が残っています。
 私達にとって、捕鯨と鯨食は太古から続く大切な文化なのです。
 捕鯨の歴史①:古代の捕鯨
 捕鯨遺跡:石川県真脇遺跡縄文時代の遺跡から、イルカやクジラの骨が大量に発掘されたり、鯨の骨を使って作られた土器や骨を加工して作った道具や装飾品などが多数発見されています。また、日本最古の歴史書古事記」の中にも鯨が登場します。
 日本近海では、親潮黒潮が合流するため、多くの魚があつまり、それを追いかけてたくさんの鯨もやってきていました。古代の捕鯨は、湾内に紛れ込んで動けなくなったものを獲っていたと考えられています。
 捕鯨の歴史②:中世~近世の捕鯨
 捕鯨の歴史:小川嶋捕鯨絵巻平安末期から鎌倉のころになると、「突き取り式捕鯨」と言われる、船で漕ぎ出して銛で突いて獲る漁をしていたようです。
 江戸時代に入ると、現在の和歌山県太地で日本初の捕鯨専門業組織「鯨組」が設立され、1675年には「網取り式捕鯨」の技術が生まれ、全国に広がり、捕獲量が一気に増加してゆきました。
 それまで、貴族や武士など有力者でないと食べられなかった鯨が庶民の食卓にも載るようになり、米との相性もよいため非常に多く食べられるようになりました。当時の料理本ブームの中で、「鯨肉調味方」という本も出版されています。
 捕鯨の歴史③:近代の捕鯨
 江戸時代料理本「鯨肉調味方」日本の江戸時代後期から明治初期にかけて、鯨の肉を食べない欧米でも、照明用の油をとるためだけに鯨を乱獲していたため、日本近海のクジラ資源が激減し、日本の捕鯨も衰退してゆきました。
 明治後期の1899年に、「ノルウェー捕鯨」が導入され、日本の捕鯨も再び活気づきました。これが日本における近代捕鯨のはじまりでした。私達、マル幸商事のある山口県下関市は「近代捕鯨発祥の地」です。
 昭和の初め1934年には南氷洋へも進出するようになりましたが、外国の大規模な母船式捕鯨による乱獲によって、またしても資源が減少方向へ向かい、1948年には「国際捕鯨委員会(IWC)」が設立されました。
 やがて、油を取っていただけの欧米諸国は採算が合わなくなり撤退してゆく中、日本にも商業捕鯨から撤退するよう圧力が次第に大きくなり、1980年代の半ば過ぎ、とうとう商業捕鯨を停止してしまいました。
 くじらの資源管理と鯨の増加
 調査捕鯨
 商業捕鯨が禁止されたのは1986年からで、シロナガスクジラナガスクジラを始めとする13種類の鯨類が管理対象となりました。
 以来、現在まで調査捕鯨と一部の地域での捕鯨・イルカ漁だけを行っています。
 「鯨は増えている」事が公式確認
 ミンククジラの増加
 商業捕鯨を停止してから、鯨は増え続け、ミンククジラにおいては現在、南極海には76万頭以上、オホーツク海や北西太平洋には2万5千頭以上の生息が確認されています。
これは、毎年2000頭を100年間撮り続けても資源の減少に影響がない数値です。
また、鯨は、世界中で食べられている魚の量のなんと3~5倍もの量の魚をエサとして食べています。
 これは、私達人類の食糧不足の問題に直結しています。特定の生物資源だけを利用しないという施策は、生態系のバランスを崩すこととなり、却って資源量を不安定にしています。
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⚡57】58】─1─日本の頭脳流出問題は、国内に職がなく給料が安く研究費が削減されているから。~No.254No.255No.256No.257 ㉝ 

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 2021年9月20日 MicrosoftNews JBpress「日本の頭脳流出問題「研究者の移籍を規制せよ」が的外れな理由
 © JBpress 提供 写真はイメージです(出所:Pixabay)
 © JBpress 提供 藤嶋昭氏(出所:文部科学省ホームページ)
 このところ多くの日本人研究者が中国などに引き抜かれており、頭脳流出が懸念されている。一部からは研究者の移籍を規制すべきだと声も聞かれるが、これは科学技術の基本を理解していない議論である。良質な研究環境を提供できない国の科学が衰退するというのは、近代社会における基本原理であり、頭脳流出を防ぎたければ研究開発投資を拡大するしか方法はない。(加谷 珪一:経済評論家)
 日本は科学技術に対する投資を増やしていない
 光触媒の発見者であり、ノーベル賞候補にも名前が挙がる藤嶋昭東京理科大元学長を中心とする研究グループが、中国の上海理工大学に移籍することになった。同大学は今後、光触媒に関する国際的な研究所を設置する考えで、藤嶋氏らのチームはその中核的な人材となる。
 日本の頭脳ともいえる人材が中国に流出したことについて、井上信治科学技術担当相は「非常に大きな危機感を感じている」と述べ、優秀な研究者が国内で研究を継続できる環境を整える必要があるとの考えを示した。自民党甘利明税調会長は自身のツイッターで「国益は?と怒りを覚えますが、研究者は純粋な探究心が行動原理でより良い研究を求めます。半分は国家の責任です」と述べている。
 甘利氏は半分は国家の責任であるとしたが、日本政府の科学技術に対する取り組みを考えた場合、ほぼ100%政府の責任であると言わざるを得ない。日本は過去10年、研究開発に関する投資をほとんど増やしておらず、事実上、科学技術の進展を拒否しているようにすら見える。
 OECD経済協力開発機構)によると、2019年における日本の研究開発投資額は約1700億ドルとなっており、米国や中国の3分の1の水準でしかない。日本の研究開発投資は過去10年間ほぼ横ばいという状況が続いており、両国との差は拡大する一方だ。このところ韓国も急ピッチで投資額を増やしており、日本の投資抑制が続けば、韓国に追い付かれる可能性も否定できない。
 一部からは研究者の移籍は国益に反するので規制すべきだという意見や、重点分野を絞った支援が必要との声も聞かれるが、これらはサイエンスを知らない人によるある種の幻想と言って良いだろう。
 研究者にとって研究環境というのは生命線に近いものであり、良質な研究環境が得られるのかは、自身の報酬などとは比較にならないくらい重要な問題である。その点について、日本の状況はあまりにもお粗末である。
 事前に予測できない基礎研究の成果
 日本ではそれなりの実績のある研究者でも予算を確保するのは至難の技であり、ましてや大学院を出たばかりの研究者の場合、自身の生活を成り立たせることも困難という状況である。中国では、博士号を取得した直後の研究者でも、すぐに複数名のアシスタントと研究室をセットにしたオファーが寄せられる状況であり、思い切って自分の研究に没頭できる。
 もちろん競争は激しく、契約した期間で目立った成果が出せなければ支援は打ち切りになってしまうが、野心に燃える若い研究者にとっては、研究環境について好条件が提示されることは何よりのモチベーションとなる。こうした環境構築に資金を投じていない以上、いくら愛国心などを煽ったところでほとんど効果はない。
 ちなみに日本ではEV化などまだ先という意見がずっと大半を占めていたが、中国では以前から多くの研究者が関連分野の基礎研究に従事しており、中国の電池に関する基礎技術は10年で驚異的な水準にまで高まった。中国はあらゆる分野にこうした積極投資を行っており、今後も中国から続々と画期的な研究成果が出てくる可能性が高い。
 特定分野に絞って重点投資するという考え方も、サイエンスの実状を理解していない考え方といってよいだろう。
 基礎研究というものは、何らかの成果を事前に狙って実現できるようなものではない。画期的な研究というのは、偶然も含め事前にまったく予想できなかった分野から生まれてくることも多く、政府機関などが先行きをコントロールすることは不可能である。もし良質な研究成果を得たければ、分野を限定せず、広範囲に潤沢な資金を投じるしか方法はない。
 これは基礎研究に限らず、企業におけるイノベーションでもまったく同じ事が言える。
 日本では、特定の産業分野に的を絞った上で政府が支援を行うという、いわゆるターゲティングポリシーに対する根強い信仰がある。低付加価値な産業しか存在しない途上国ならいざ知らず、高度なイノベーションが求められる先進国において、ターゲティングポリシーはほとんど効果がないことはほぼ立証されている。
 応用分野ですらこうした状況である以上、基礎研究の分野においてあらかじめ成果を予想するというのは、ごく一部の分野を除いて、ほとんど意味がない(素粒子物理学など、大規模な装置を予算をかけて建設すれば一定数の論文本数が見込めるなどのケースは存在するが、あくまで例外である)。
 予算拡大の合意形成ができるのか?
 こうした発明・発見に関する現実は、いわゆる自然科学の基礎教育を受けた人間にとっては当たり前のことなのだが、どういうわけか日本ではこの常識が通用しない。「日本の科学技術を強化せよ!」「中国への人材流出はケシカラン」と勇ましく叫んでいる人のプロフィールを見ると、いわゆる文科系(「理系・文系」という分類も日本独特だが)というケースは少なくない。もちろん科学技術について意見を述べるに際して、本人のバックグラウンドは無関係だが、研究者にとって何が必要かという重要な部分が議論に反映されにくい環境があるのは事実だろう。
 先ほど、日本の研究開発投資は横ばいとなっており、各国との比較では実質的なマイナスが続いていると述べたが、まずは投資額を増やさなければ話にならない。日本は財政難に陥っており、予算の確保が極めて難しい状況となっている。政府全体の予算規模が変わらない場合、別の予算を減らして科学技術分野に充当するしか方法はないが、本気でこれを実現しようとすれば、相当な利害の衝突が予想される。
 米国や欧州ではコロナ危機後の社会を見据えた、大型の研究開発投資予算を相次いで成立させている。財源の多くは国債であり、日本も今後の財政収支見通しをしっかりと市場に示せば、欧米に準じる大型基金を設定することは不可能ではない。その場合においても、他の経済利権との予算の奪い合いになるのは確実であり、成果がはっきりしない研究開発に多額の予算を割くためには、最終的には国民の覚悟と合意が求められる。
 過去10年間、研究開発投資を抑制してきたのは直接的には政府の責任だが、政府は多くの国民の利害関係を調整する装置でもある。日本は民主国家であり、最終的な国の方向性を決めるのは国民であるという現実を考えた場合、国民の側にも科学技術への投資強化という合意ができていなかったといわざるを得ない。
 予算を増やせというのは簡単だが、現実には、年金や医療などの社会保障費、地方への補助金、防衛費など、多くの国民が支出拡大を強く求める予算項目がたくさんあり、いずれも歳出削減を余儀なくされている。成果が上がるのか分からない分野に、他の予算を削ってでも資金を充当することについて確実な合意が得られるのか、科学技術に対する日本人の姿勢が問われている。」
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🌀目次〗ー7ー感染症爆発(パンデミック)は戦争である。武漢肺炎(新型コロナウイルス)。~No.1 * 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 当ブログは、歴史の定説を恣意的に書き替える為に作成している歴史修正主義民族主義のブログである。
   ・   ・   ・   
 日本における個人の人権・権利・プライバシー・自由は他人の命を危険に晒している。
 日本の憲法には、非常事態・緊急事態としての有事法制は存在せず、他人に危害を加える危険性のある「個人の人権・権利・プライバシー・自由」は野放しである。
   ・   ・   ・   
 日本では、ロックダウンに猛反対する人びとが存在する。
   ・   ・   ・   
2017-12-11
🌀2〗─1─人類への脅威。諸外国の異常気象と致死量の高い感染症爆発(パンデミック)。~No.2No.3No.4・ @ 
   ・   ・   ・   
2019-08-14
🌀3〗─1─外国人が日本国内に伝染病を持ち込む。豚コレラ。~No.5No.6No.7・ 
   ・   ・   ・   
2020-02-13
🌀4〗─1─日本は人権・プライバシー、個人の自由を優先する為に感染症爆発に弱い。~No.8No.9No.10・ 
   ・   ・   ・   
武漢肺炎(新型コロナウイルス)。
2020-02-24
🌀5〗─1─各国は新型コロナウイルス感染を封じ込めらない日本を批判した。~No.11No.12・ 
2020-02-27
🌀5〗─2─突然の、安倍首相による全国すべての公立小中高休校要請で共稼ぎ社会は大混乱。~No.13No.14・ 
2020-02-28
🌀5〗─3─日本人は幾ら年月が過ぎても学ばないし成長しない。トイレットペーパー買い占め騒ぎ。~No.15No.16・ 
  ・  ・  
2020-03-04
🌀6〗─1─高知で小学生ら感染。マスク盗難事件。~No.17No.18・ 
2020-03-06
🌀6〗─2─新型コロナウイルス感染拡大で日本人の入国拒否する国々。~No.19No.20・ 
2020-03-16
🌀6〗─3─日本は中国共産党への忖度で懲りずに敗北を繰り返す。~No.21No.22・ 
2020-03-24
🌀6〗─4─中国発武漢肺炎によって2020東京五輪は延期に追い込まれた。~No.23No.24・ 
2020-03-25
🌀6〗─5─日本に於ける感染爆発の重大局面。東京都の外出自粛要請。~No.25No.26・ 
  ・  ・  
2020-04-06
🌀7〗─1─安倍内閣の緊急事態宣言を支持する野党と反対する人権派・その他。~No.27No.28・ 
2020-04-07
🌀7〗─2─日本の緊急事態宣言は世界の非常事態宣言とは違い見せ掛け倒れである。~No.29No.30・ 
2020-04-08
🌀7〗─3─ロックダウン(都市封鎖)法案の検討。 夜の街とパチンコ業界。~No.31No.32・ 
2020-04-09
🌀7〗─4─中国発武漢肺炎で戦争状態に突入した日本の覚悟。~No.33No.34・ 
2020-04-10
🌀7〗─5─武漢肺炎で日本の芸能・祭り・花火大会などが伝統的催しが中止に追い込まれる。~No.35No.36・ 
2020-04-11
🌀7〗─6─感染症を拡大させる反権力的反社会的夜の街。~No.37No.38・ 
2020-04-13
🌀7〗─7─日本政府は世界的マスクの争奪戦に敗れ供給不足は解消できない。~No.39No.40・ 
2020-04-14
🌀7〗─8─武漢肺炎と尖閣諸島。~No.41No.42・ 
2020-04-15
🌀7〗─9─新型コロナで厚労省対策班推計、無対策なら40万人以上が死亡。~No.43No.44・ 
2020-04-17
🌀7〗─10─素人無責任国家日本における武漢肺炎感染拡大防止政策。~No.45No.46・ 
2020-04-18
🌀7〗─11─武漢肺炎拡大と食料安全保障。~No.47No.48・ 
2020-04-19
🌀7〗─12─顰蹙を買うアベノマスクと安倍首相の動画。~No.49No.50・ 
2020-04-20
🌀7〗─13─日本国憲法は如何なる理由であっても人権や自由を奪うロックダウンを認めない。~No.51No.52・ 
2020-04-24
🌀7〗─14─日本は自然災害多発地帯であり疫病・感染症爆発危険地帯である。~No.53No.54・ 
2020-04-28
🌀7〗─15─アベノマスクも懲りない野党の「政治ショー」~No.79No.80No.81・ 
2020-04-30
🌀7〗─16─感染恐怖から医者・看護師に対する非難中傷と差別。~No.55No.56・ 
  ・  ・  
2020-05-03
🌀8〗─1─日本社会の武漢肺炎患者と家族に対する村八分。~No.57No.58・ 
2020-05-04
🌀8〗─2─緊急事態条項に改憲派は賛成、護憲派は反対~No.59No.60・ 
2020-05-05
🌀8〗─3─食糧難の危機。外国人実習生の来日が途絶えて農水産業で大幅減収。~No.61No.62・ 
2020-05-09
🌀8〗─4─新型コロナウイルス対応で安倍政権の評価は最低で、支持率は下がっている。~No.63No.64・ 
2020-05-13
🌀8〗─5─世論調査憲法に「緊急事態条項」65%賛成。共産は賛成54.0%。~No.65No.66・ 
2020-05-20
🌀8〗─6─緊急事態宣言、40知事「効果あった」 権限強化へ4割「法改正必要」。~No.67No.68・ 
2020-05-21
🌀8〗─7─武漢肺炎。自称正義の味方・傲慢な自粛警察。~No.69No.70・ 
2020-05-26
🌀8〗─8─「外国人の一律入国拒否」に長期滞在者や外資系企業からは批判の声。~No.71No.72・ 
2020-05-27
🌀8〗─9─戦時対応の自衛隊新型コロナウイルス自衛隊中央病院~No.73No.74・  ・  ・  
2020-06-02
🌀9〗─1─安倍内閣のコロナ対策は平均点27点で落第点である。~No.75No.76・ 
2020-06-25
🌀9〗─2─マスクが店頭から消えた背景に「ゲーム理論」 自分だけ損したくない 。~No.77No.78・ 
  ・  ・  
2021-01-13
🌀10〗─1─日本の水際対策が超絶甘すぎるのは、日本国憲法に戦時法制・有事法制がないから。~No.79No.80・ 
  ・  ・  
2020-03-01
🌀11〗─1─WHOは中国共産党の説明を鵜呑みにして世界的パンデミックを許した。~No.81No.82・ 
2020-03-12
🌀11〗─2─アメリカでも広がる日本人への「警戒感」。~No.83No.84・ 
2020-03-13
🌀11〗─3─WHOは武漢肺炎をパンデミックと認めて発表した。数百万人が死亡する可能性も。~No.85No.86・ 
2020-03-14
🌀11〗─4─ウンザリする、中国共産党の嘘とWHOの中国共産党への忖度。~No.87No.88・ 
2020-03-18
🌀11〗─5─各国政府は自国民を守る為に国家非常事態を宣言した。~No.89No.90・ 
2020-03-20
🌀11〗─6─武漢肺炎によって世界経済の後退は確実。~No.91No.92・ 
2020-03-22
🌀11〗─7─武漢肺炎が中南米やアフリカでも蔓延している。~No.93No.94・ 
2020-03-23
🌀11〗─8─中国共産党による不毛な詭弁。WHOと中国の「大罪」。~No.95No.96・ 
2020-03-26
🌀11〗─9─アメリカ・G7武漢肺炎を蔓延させた中国共産党政府を非難した。~No.97No.98No.99・ 
2020-03-27
🌀11〗─10─中国共産党武漢肺炎を利用した巧妙な世界戦略。~No.100No.101・ 
2020-03-28
🌀11〗─11─欧州各国政府は国民に武漢肺炎の流行は戦争であると訴えた。~No.102No.103・ 
2020-03-30
🌀11〗─12─武漢肺炎を反日政治利用する韓国。韓国製診断キット名「独島」。~No.104No.105・ 
2020-03-31
🌀11〗─13─中国共産党への依存を強める世界・EU。~No.106No.107・ 
  ・  ・  
2020-04-05
🌀12〗─1─中国共産党は、救世主として世界の感染者を救う。~No.108No.109・ 
2020-04-16
🌀12〗─2─WHO資金拠出金を巡るアメリカと中国共産党政府の確執。台湾の処遇。~No.111No.112・ 
2020-04-19
🌀12〗─3─中国は世界各国の要請を受けてマスクを配布し始めた。~No.113No.114・ 
2020-04-21
🌀12〗─4─世界の常識としてのロックダウン。マレーシア。~No.115No.116・ 
2020-04-23
🌀12〗──脱グローバルで中国依存に終止符。中国資本の企業買収でも歯止め。~ 
2020-04-27
🌀12〗─5─中国発武漢肺炎、「ポストコロナ」大不況。~No.117No.118No.119No.120・  
  ・  ・  
2020-05-06
🌀13〗─1─アフリカで対中不信「医療支援の質低い」、“債務の罠”も不満。~No.121No.122・ 
  ・  ・  
2020-07-28
🌀14〗─1─武漢コロナウイルス禍と民度。お上の言うことをよく聞く国民性。~No.121No.122・ 
  ・  ・  
2020-10-26
🌀15〗─1─自慢できない日本モデル。武漢コロナのパンデミックは人災であった。~No.123No.124・ 
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2021-03-18
🌀16〗─1─新しく出現した感染症の6割は動物由来。野生の宿主から家畜・ペットを介して蔓延する。~No.125No.126・ 
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2021-05-12
🌀17〗─1─コロナ敗戦における日本の醜態は先進国ではなく開発途上国並みである。~No.127No.128・ 
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2021-08-26
🌀18〗─1─日本のコロナ論文数は世界で14位、諸外国にリード許す。~No.129No.130・ 
2021-08-28
🌀18〗─2─新型コロナ対応のダメさは現代日本が戦争を理解できないからである。~No.131No.132・ 
2021-08-30
🌀18〗─3─新型コロナ感染拡大で地方創生や地方回帰ではなく地方消滅元年となる。~No.133No.134・ 
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💫2}─2・B─ダークエネルギーカメラが撮影した電波銀河「ケンタウルス座A」の姿。~No.6 

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 2021年9月4日 MicrosoftNews sorae「ダークエネルギーカメラが撮影した電波銀河「ケンタウルス座A」の姿
 © sorae 【▲ 電波銀河「ケンタウルス座A」(Credit: CTIO/NOIRLab/DOE/NSF/AURA)】
 こちらは南天の「ケンタウルス座」の方向およそ1200万光年先にある銀河「ケンタウルス座A」です。塵が豊富な暗いダストレーン(ダークレーン)が、明るく輝く銀河の中心部分を覆い隠すかのように取り巻いている様子が捉えられています。ダストレーンの上下の端には若く高温な青い星々の輝きが見えており、若い星が放射する紫外線によって電離した水素で赤く輝く星形成領域とともに、ケンタウルス座Aの広範囲で星形成活動が起きていることを示しています。
 ケンタウルス座Aは大規模なジェット構造を持ち強い電波を放つ電波銀河に分類されています。米国科学財団(NSF)の国立光学・赤外天文学研究所(NOIRLab)によると、天の川銀河に比較的近くて明るい銀河であるケンタウルス座Aは、南半球の夜空で最も研究されている天体のひとつとされています。その中心部分は狭い領域から強い電磁波を放射する活動銀河核であることが知られていて、ジェットは太陽の約5500万倍の質量を持つ超大質量ブラックホールが噴出させていると考えられています。
ケンタウルス座Aの解説動画▲
 ケンタウルス座Aのジェットの根元は楕円銀河「M87」の超大質量ブラックホールを観測したことで知られる国際共同プロジェクト「イベントホライズンテレスコープ(EHT)」によって高い解像度で観測されていて、その成果が2021年7月に発表されています(関連:銀河から噴出するジェットの根元が鮮明に! EHTによる成果が発表される)。EHTが捉えたジェットの根元は端の部分のほうが中央の部分よりも明るく、ブラックホールによって生成されるジェットを理解する上で重要な特徴とみなされています。
 冒頭の画像はチリのセロ・トロロ汎米天文台にあるブランコ4m望遠鏡に設置されている「ダークエネルギーカメラ(DECam)」の観測データから作成されたもので、NOIRLabの今週の一枚「Spectacular Portrait of Centaurus A」(ケンタウルス座Aの壮観な肖像画)として2021年8月31日付で公開されています。
 ダークエネルギーカメラは満月約14個分の広さ(3平方度)を一度に撮影できる巨大なデジタルカメラ(画素数約520メガピクセル)のような観測装置で、その名の通りダークエネルギー(暗黒エネルギー)の研究を主な目的として開発されました。ダークエネルギー研究のための観測は2013年から2019年にかけて実施されましたが、その後も運用が続けられています。
 関連:夜空の一角にあふれる無数の銀河、ダークエネルギーカメラが撮影
 Image Credit: CTIO/NOIRLab/DOE/NSF/AURA
 PI: M. Soraisam (University of Illinois at Urbana-Champaign/NSF’s NOIRLab)
 Image processing: T.A. Rector (University of Alaska Anchorage/NSF’s NOIRLab), M. Zamani (NSF’s NOIRLab) & D. de Martin (NSF’s NOIRLab)
 Source: NOIRLab
 文/松村武宏」
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🍙61〗─1─昭和の台風被害ランキング。竜巻。〜No.313No.314No.315 ㉑ 

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 みんなのランキング
 歴史・世界
 歴代最強の台風被害ランキング!強さ・大きさ・死者・規模など過去の台風の記録
 台風最悪の被害ランキング
 日本国内観測史上 死者・行方不明の合計数順
 順位、名称   :死者・不明者数:負傷者数  :上陸・最接近日
1,伊勢湾台風  : 5,098 :38,921:1959/9/26
2,枕崎台風   : 3,756 : 2,452:1945/9/17
3,室戸台風   : 3,036 :14,994:1934/9/21
4,カスリーン台風: 1,930 : 1,547:1947/9/15
5,洞爺丸台風  : 1,761 : 1,601: 1954 /9/26
6,狩野川台風  : 1,268 : 1,138:1958/9/26
 日本は台風による暴風雨や大雨の災害によって、毎年大きな被害を受けています。みんなのランキングでは、「日本国内での史上最大級台風ランキング」や「最大瞬間風速ランキング」、「日本に大きな被害を与えた台風の一覧」などの過去に発生した台風の情報のほか、台風が起きたときの事前準備といった対策をまとめています。
 公開日: 2020/09/04
 1位は1959年に紀伊半島先端に上陸した「伊勢湾台風」で、負傷者数は30,000人を超えていました。
 台風は大きさや強さなど規模によって、建物の倒壊数や床上浸水・床下浸水などの被害が推移します。しかしながら死者、死傷者の犠牲者は、1959年の伊勢湾台風以来劇的に減っています。相次ぐ被害をうけて防災の意識が高まるとともに、ダムや堤防などの整備が進んだおかげです。
 しかし、今なお台風による人命や家屋の被害は出続けています。あなたも台風で被災する可能性があるのです。
 ハザードマップなどを活用して起こりうる被害を想定し、水や食料などの防災グッズをすぐに持ち出せるところに用意しておくことが大切です。また、災害時の連絡手段や集合場所などを、家族や近所の人たちと相談しておくのも、混乱を避ける上で必要となるでしょう。
   ・   ・   ・   
 竜巻
 国土交通省
 気象庁
 「竜巻」による災害
 日本では、平均して年に25個程度、竜巻の発生が確認されています(海上竜巻を除く)。
一つの市町村でみれば90年に一度程度の極めて稀な現象ですが、一度発生すると家屋の倒壊や車両の転倒、飛来物の衝突などにより、短時間で大きな被害をもたらすことがあります。
 また、積乱雲からはダウンバーストやガストフロントといった突風もしばしば発生し、竜巻と同様に短時間で大きな被害をもたらすことがあります。
  ・  ・  
 関東地方整備局
 災害を受けやすい日本の国土の特徴
 竜巻における突風被害
 竜巻による被害(平成24年5月6日:つくば市
 竜巻による被害(平成24年5月6日:つくば市
 日本では、全国において平均して年に25個程度の竜巻が発生が確認(海上竜巻を除く)され、個々の市町村でみれば90年に一度程度の極めて稀な現象ですが、一度発生すると家屋の倒壊や車両の転倒、飛来物の衝突などにより、短時間で大きな被害をもたらすことがあります。 また、積乱雲からはダウンバーストやガストフロントといった突風もしばしば発生し、竜巻と同様に短時間で大きな被害をもたらすことがあります。
出典:気象庁ホームページ[外部サイト]
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 ウィキペディア
 竜巻災害の一覧とは竜巻が地球上において実際に発生した例およびその被害状況の一覧である。
 以下の「F+数字」は藤田スケールによる竜巻の規模を表す。
 日本
 日付:1180年5月25日(治承4年4月29日)
 場所:平安京
 補足事項:京の都で竜巻が発生し大きな被害が出たことが鴨長明の『方丈記』に記されている。竜巻は現在の京都市上京区松蔭町のあたりで発生し南南西に向かっておよそ3kmばかりにわたって吹き荒れ、現在の東本願寺の手前あたりで消滅したと思われる。長明の記述によると家々の家財道具や檜皮葺き・板葺きの屋根が冬の木の葉のように宙を舞い、すさまじい風音で人の声も聞こえず煙のように吹き上げられる塵や埃で目も開けられないほどであった。竜巻が通ったあとにはぺしゃんこに潰れたり、屋根や壁をはぎ取られて柱や桁だけになってしまったり、あるいは門を4、5町も向こうに飛ばされたり、垣根がなくなって隣の家と一つになってしまったような住居の残骸があった。
   ・   ・   ・   
 地球温暖化による海水温の上昇で台風は以前より巨大化し、暴雨と暴風も以前より威力を増して昭和34年頃までの防災基準を超える風雨となり、洪水や竜巻その他の災害が発生して甚大な被害を日本列島各地にもたらし始めている。
 つまり、現在の防災インフラは新たな温暖化時代には通用しなくなってきているが、少子高齢化による人口激減と経済の衰退で時代遅れで老朽化した防災インフラを強靭的な最新モデルに切り替える事が絶望的に不可能になっている。
 何故なら、強靱化しなければならないインフラは、防災だけではなく、水道管・ガス管などから道路・港湾・橋梁・砂防など生活インフラにおいて多方面に渡るからである。
 その象徴的現象が、人口爆発ではあり得なかった事として、災害の復興・復旧の為に全国からボランティアを募集しなければならない、という事で、少子高齢化による人口激減がさらに進むとボランティアを海外まで求めなければならなくなる。
 世界史常識からすれば、被災地に大量の外国人ボランティアを引き入れる事は国家消滅・国家滅亡・民族死滅の原因になるとして、自国民による復興・復旧が不可能と判断すれば、被災した都市・町・村を埋め立てその上に新しい都市を建設する、あるいは被災地を廃墟として放棄して別の土地に新しい都市を建設した。
 放棄して別の土地に新しい都市を建設した例が、世界中に残ろ都市の廃墟・遺跡である。
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