🛐目次〗ー12ー世界全体の少子高齢化で人類の人口は減少して行く。~No.1 * 

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 当ブログは、歴史の定説を恣意的に書き替える為に作成している歴史修正主義民族主義のブログである。
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2020-11-17
🛐2〗ー1ー2100年頃をピークに人類の人口増加は人口減少に転ずる。~No.2No.3No.4  
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2020-11-18
🛐3〗ー1ー少子化の中国で結婚しない女性。独身者2億4,000万人、一人暮らし9,000万人。~No.5No.6No.7No.8No.9 
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⚡7】─2─原発反対で原発稼働経験者や原子力人材が枯渇する。〜No.46No.47 ④ 

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 将来、人材不足が深刻化する日本は、必要な原発経験者をアメリカや中国共産党から受け入れざるを得ない。
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 2022年1月3日 MicrosoftNews 日テレNEWS24原発再稼働も 経験者枯渇の実態
 © NNN 原発再稼働も 経験者枯渇の実態
原発再稼働
 2011年3月11日に発生した福島第一原子力発電所の事故。当時、政権が「脱原発」を模索した時期もあったが、原発は今、脱炭素の流れを追い風に、再び一定のポジションを確保しつつある。
 温暖化対策を加速させる世界的潮流の中、2020年には、当時の菅首相が2050年の温室効果ガス実質排出ゼロを打ち立てた。
 2021年10月には、福島第一原発事故後3度目となるエネルギー基本計画の改定が行われた。そこには原発について、「安全を最優先し、再生可能エネルギーの拡大を図る中で、可能な限り依存度を低減する」と書かれていて、新増設の方針は盛り込まなかったものの、脱炭素電源として重視して再稼働を進める方針である。
■2021年、島根原発2号機“合格”
 2021年、島根原子力発電所2号機(島根県松江市)は原子力規制委員会での安全審査をクリアし“合格”を得た。国内の原発では唯一、県庁所在地に位置していて、30キロ圏内の人口は46万人。国内の原発では3番目に多い。広島県に本社を置く中国電力が運営している。
 2012年1月に運転を停止。新規制基準に合わせた対応を進め、2021年9月に再稼働に向けた計画の了承を得た。申請から、およそ8年かけての合格だった。
■「運転経験なし」は約4割
 全国の電力会社と、定期的に意見交換を行っている原子力規制委員会は、2021年12月、中国電力と話す機会を持った。
 そこで、大きな課題のひとつとして取り上げたのが社員たちの「経験不足」である。中国電力原発の運転を経験したことがない発電所員の割合は、約4割にまでのぼっているという。
 原子力規制委員会・田中知委員「若手職員を中心に、現場力、技術力を高めていく必要性を認識されて、今後どういうことを改善・強化していけばいいのか。もうちょっと突っ込んだ話を聞かせていただければ」
 中国電力・清水希茂社長「特に若手社員が、現場機器の回転時に伴う音とか温度、熱とか、においとか、今の状況では体験できない」
 高い技術力が必要とされる原発の運転。経験のある社員には、定年で退職した人も少なくなく、原発が動いていなかったために後輩への技術や経験の継承がままならない状況だ。
 再稼働した他社の原発などで研修を行っているものの、機会は全従業員に行き渡るような状況にはないという。
■OBらも「再稼働」
 中国電力には、高度な技術力をもつ社員の技能を認定する「エネルギア・マスター」という、独自の認定制度がある。この「エネルギア・マスター」が入社から3年以内の社員を対象に講話をしたり、日常の保守点検作業に頻繁に同行したりと、机上だけではわからない現場の肌感覚の継承にも力を入れているという。
 そして、再稼働に向けては、さらなる対策も考えている。
 中国電力・清水希茂社長「退職してるんだけど関係会社に勤務しているとか、そういう人物をピックアップしまして、稼働時になったときには、彼らにオブザーバー的に全体を見てもらいながら、過去の経験から必要な助言をもらう」
 退職した社員らを“先生”として招いて、現役社員に経験をなんとか継承させたい考えだ。
■人材育成も急務
 資源エネルギー庁によると、2021年12月20日時点で、すでに再稼働している原発以外にも、日本原子力発電の東海第二原発茨城県東海村)や、東北電力女川原子力発電所宮城県女川町・石巻市)2号機など、全国であわせて7基の原発が、原子力規制委員会による安全審査に合格している。これらの原発では、同様に運転におよそ10年間のブランクがあり、職員たちの経験値・技術力の低下は否めない。再稼働に向けては人材の育成が急務となっている。」
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🌌2}─3─大雪原因は?“雪の線状降水帯”世界初の事態解明へ。~No.6No.7No.8No.9 ① 

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 2022年1月19日 MicrosoftNews テレ朝news「大雪原因は?“雪の線状降水帯”世界初の事態解明へ
 冬に大雪をもたらす雪雲の帯の実態解明を目指し、世界初の調査団が出港しました。
 三重大学水産大学校などの調査団は19日午後2時すぎ、下関港から日本海へ向かいました。
 「冬型の気圧配置」の時、大陸からの風が朝鮮半島の山脈で2つに分かれた後、日本海で再び合流して次々に雪雲を発生させます。
 この雪雲の帯が「JPCZ(日本海寒帯気団収束帯)」で、日本列島にかかると大雪をもたらします。
 その実態は謎も多く、今回、解明を目指して世界初の調査が行われます。
 調査団は雪雲の帯の下で湿度や気圧、海水温などを集中的に調べるということです。」
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🌌44}─3─トンガ沖大噴火の粉塵が原因で世界的な食料危機とエネルギー不足に陥る危険性。~No.219No.220No.221 ㉛ 

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 2022年1月17日10:39 MicrosoftNews 時事通信「トンガで再び大規模噴火か
 © 時事通信 提供 15日に気象衛星ひまわりが観測したトンガ諸島付近の海底火山噴火(左から順に日本時間同日午後1時半、同2時、同2時半に観測、気象庁ホームページから)
 AFP通信は17日、オーストラリア北部を拠点とする観測機関の情報として、南太平洋の島国トンガで「大規模な噴火」が観測されたと報じた。日本時間同日午前7時10分ごろという。
 トンガ沖では15日、海底火山の大規模噴火が発生。日本や米国など多くの国に津波が到達した。」 
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 1月17日11:00 MicrosoftNews zakzak「トンガ沖噴火“世界的寒冷化で食料危機”へ 大気中の粉塵で太陽光遮断、農業や畜産業に打撃 「脱炭素社会」実現も困難か
 南太平洋・トンガ沖で発生した海底火山の大規模噴火は、噴煙が高さが約20キロ、半径約240キロも広がったとされる。今後、大気中にトンガ沖噴火で噴き上げられた粉塵(ふんじん)が大気中に長時間とどまり、太陽光を遮断することで地球が寒冷化する可能性がある。農業や畜産業に影響が及べば食糧危機となり、「脱炭素」で注目される太陽光発電にもダメージになりかねない。
 「100年に一度」「1000年に一度」とも表現される、トンガ沖の海底火山「フンガトンガ・フンガハーパイ」の大噴火。
 災害史に詳しい立命館大学環太平洋文明研究センターの高橋学特任教授は「今回のように大規模な噴煙が出た例としては、1991年のフィリピン・ルソン島にあるピナトゥボ火山の噴火がある。当時は噴煙が成層圏までに達し、日光を遮断したために93年ごろまで冷夏に襲われた。今回も噴煙の継続次第では『地球全体の寒冷化』が発生し、農作物への被害が出る可能性がある」と指摘した。
 20世紀最大といわれるピナトゥボ火山の噴火は、大量の二酸化硫黄ガスを中心としたエアロゾル(空気中に微粒子が多数浮かんだ状態)が成層圏に放出され、地球規模で気温が約0・5度低下した。北半球では、例年に比べ、2度ほど低い地域も出て、農作物が不作となった。日本でも93年に記録的な冷夏を記録し、政府はタイ米などを緊急輸入した。
 影響が懸念されるのは食料だけではない。噴火の影響によって日照量が減少すれば、再生可能エネルギーの1つである太陽光発電も心配だ。今冬は全国的に厳しい寒波に見舞われ、電力需給が逼迫(ひっぱく)しているが、エネルギーの確保は大丈夫なのか。
 元通産官僚で評論家の八幡和郎氏は「太陽光発電は、緊急時に信用できないエネルギーといえる。逆に原子力発電は緊急時に強みを発揮する。今後どうなるか予想できないが、噴火は今後続く可能性があり、政府はそれに対応できる備えをしておかなければならない。いつでも原子力発電を再稼働できる体制を構築しなければならない」と指摘した。
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 日本は、国内では自給できない食糧・物資・エネルギー・その他を海外で外貨(米国ドル)を使ってで購入し、輸入している。
 貨幣経済の現実として、全ての世界市場で日本の貨幣・円貨では何も購入できない。
 日本の貿易は、米ドル建てで行われていて、決済金融商品は当然米ドル貨であって日本の円貨ではない。
 諸外国が欲しいのは、世界で通用する米ドル貨であって日本円貨ではない。
 米ドル貨を稼ぐには、さらなる経済発展・経済成長しかない。
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 戦前日本は、円貨を決済通貨として流通させる自給自足体制円貨金融経済圏を日本の国力だけで作ろうとした。
 それが、大東亜経済圏つまり大東亜共栄圏であった。
 参加する国と地域は、日本の植民地・保護国・傀儡国家ではなく、国際法的に自立し独立した親日派知日派の諸国と諸団体であった。
 現在、中国共産党が、国際法無視の中華ルールと支配地拡大の覇権主義で進めている一帯一路構想の大中華経済圏構想・中国元貨金融経済圏構想とは全然違っている。
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 食糧自給率の低い日本は、世界の農産物生産量で食糧輸入量が増減する為に、餓死者が出さなくても多くの飢餓民が発生する恐れがある。
 貧富の格差が広がっている現代日本では、すでに飢えた貧困家庭から餓死者がでていて、ニュースとして報道されないだけ、「見たくないものは見ない」という日本人の性質から現実を見ようとしないだけである。
 陰謀論的に、日本社会に渦巻く雑音・騒音の中で誰に知られる事なくハーメルンの笛か滅びの笛が微音で心地よい甘い音色で奏でられ、音のサブリミナル効果として日本人から理性を奪い、同調圧力で知らず知らずの内に死の断崖ヘと誘っている。
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 1月18日01:13 MicrosoftNews KYODONEWS 共同通信「トンガ火山、陸地が消滅 噴火後の衛星写真で、国連
 © KYODONEWS 国連衛星センターが公開した噴火前(左、2021年12月8日)と噴火後(22年1月17日)のトンガの海底火山の衛星写真(右は(C)CNES(2021)distribution Airbus D&S提供・共同)
 【ジュネーブ共同】国連衛星センター(UNOSAT)は17日、トンガで15日に噴火した海底火山の噴火前後の衛星写真を公開した。海底火山の海域には海面上に285ヘクタールの陸地があったが、現地時間17日午前10時53分(日本時間同6時53分)に撮影された写真では、陸地がほぼ全て消滅しており、噴火の威力の大きさが示されている。
 海底火山の南約65キロにある首都ヌクアロファの空港では、噴火後の写真で滑走路周辺に浸水の痕跡が見られるとUNOSATは指摘。滑走路上の白線も見えない状態となっており、津波の影響とみられる。
 © KYODONEWS 国連衛星センターが公開したトンガ・ハアパイ諸島の町の噴火前(左、2020年4月19日)と噴火後(22年1月17日)の衛星写真(右は(C)CNES(2021)distribution Airbus D&S提供・共同)
 © KYODONEWS 国連衛星センターが公開したトンガの首都ヌクアロファのあるトンガタプ島の空港の噴火前(左、2020年11月5日)と噴火後(22年1月17日)の衛星写真(右は(C)CNES(2021)distribution Airbus D&S提供・共同)」
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 1月18日21:16 産経WEST「「千年に1度」の噴火 「気温低下の恐れも」と専門家
 トンガ沖の海底火山噴火は噴煙の高さが20キロを超えたとされる(共同)
 「千年に1度」とされる南太平洋・トンガ沖で起きた海底火山噴火は噴煙の高さが20キロを超えたとされる。被害の全容は明らかでないが、その規模は世界的な異常気象につながったフィリピン・ピナトゥボ山の噴火(1991年)に次ぐものだったとの見方もある。同噴火が2年後に日本にもたらした記録的冷夏が米の凶作につながったとされるが、今回はどこまで影響が広がるのか。
 報道によると、トンガ国内では最大8万人が噴火や津波の影響を受けたとみられる。現地では火山灰が降り積もり、水が汚染されているとされるが、被害の詳細が分かるまでには時間がかかりそうだ。
 噴煙の高さが20キロを超えたとされる点に注目するのは、立命館大環太平洋文明研究センターの高橋学特任教授(災害史)だ。「噴出物が上空10キロ以上の成層圏に達すると地表に落下せずに漂い、地球上を薄く覆う。傘のように太陽エネルギーを遮る『パラソル効果』となって、世界的に気温が低下するおそれがある」と指摘する。
 高橋氏の念頭にあるのは、1991年6月に起きたフィリピン・ルソン島にあるピナトゥボ山の噴火だ。この噴火は20世紀で最大規模といわれ、数百人の死者が出たものの、避難指示が的確で数万人の命が救われたとされる。
 ただ影響は大きく、大量に放出された噴出物が太陽エネルギーを遮ったため、世界的に気温が低下し、冷夏による農業被害が深刻化。日本では2年後の93(平成5)年に米不足が起き、「平成の米騒動」とも呼ばれた。タイ米などを緊急輸入する事態となったことを覚えている人も多いだろう。
 冷夏による米不足で緊急輸入され、倉庫に積まれたタイ米=平成5年12月
 「パラソル効果による寒冷化で、数年内に世界的な食料危機も想定される」と高橋氏。「特に火山灰や火山ガスが豪州に流れた場合、日本が輸入する小麦が不作となる。食料自給率が低い日本も打撃を受けるだろう」と懸念を示す。
 一方、京都大防災研究所の井口正人教授(火山物理学)は「現時点では火山灰の総量はそれほど多くないと思われる」と分析。ピナトゥボ山の噴火ほど影響は広がらないのではないかとの見方を示し、「気候変動の議論をするのは時期尚早だ」とする。
 また、現地では噴火によって大量の軽石が発生している可能性がある。日本では昨年8月に小笠原諸島の海底火山が噴火し、漂流した軽石により各地で漁業などに大きな影響が出た。
 井口氏は「オーストラリアなどの南太平洋には(軽石の)影響があるかもしれない」としつつも、海流の関係から「日本には軽石は来ないはずだ」と述べた。」
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 1月19日16:35 産経新聞「トンガ沖噴火での地球寒冷化は「限定的」 東北大教授
 © 産経新聞 トンガ沖の大規模噴火が気候に与える影響は少ないとの見方を示す東北大の早坂忠裕教授=19日、仙台市
 南太平洋のトンガ沖で起きた海底火山の大規模噴火は地球の寒冷化をもたらすのだろうか─。フィリピンのピナトゥボ火山の大噴火(1991年)は日射量の減少を招き、世界各地で気温が低下した。日本でも2年後に記録的な冷夏となり、深刻な農業被害を生じさせた。ただ、トンガ沖の噴火は寒冷化を招く化学物質の放出量が比較的少ないとみられ、大気放射学や気候変動を専門とする東北大の早坂忠裕教授は「現時点では気候に与える影響は限定的だろう」と指摘する。
 15日にトンガ沖で起きた海底火山の噴火で生じた噴煙は高度16キロの対流圏を超え、成層圏で最大30キロに達したことが米航空宇宙局(NASA)で観測された。過去の大規模な噴火は、地球規模で一時的な気温の低下をもたらした。
 「20世紀最大の噴火」といわれる91年6月に発生したフィリピン・ルソン島のピナトゥボ火山の噴火後は、地球の平均気温が約0・5度下がり、回復するのに4~5年かかった。
 また、1815年のインドネシアのタンボラ火山の大噴火でも、世界各地で異常低温の状況が続いた。翌年は北欧や北米では「夏のない年」と言われた。
 早坂氏によれば、大噴火が寒冷化を生じさせるメカニズムは、火山ガスに含まれる二酸化硫黄に起因する。
 二酸化硫黄は成層圏内で化学反応を起こし、硫酸に液化。この粒子は直径0・1ミクロン程度と非常に軽く、成層圏は降雨現象もないため、落下しにくい。数年にわたって滞留する微細な硫酸が太陽光を散乱し、地表に光が届きにくい状況が生じる。
 ただ、トンガ沖の噴火で放出された二酸化硫黄の量はそれほど多くないという。欧州宇宙機関(ESA)の人工衛星が17日に観測したデータによれば、約40万トンだ。ピナトゥボ火山の噴火は、トンガの50倍にあたる約2千万トンの二酸化硫黄を噴出したと分析されている。
 早坂氏は産経新聞の取材に、「二酸化硫黄の量が少ないので、トンガ沖の噴火が気候に与える影響はピナトゥボほどではないだろう」と説明する。ただ、トンガ沖で噴火が継続して起こる可能性もあり、予断は許さないという。
 トンガ沖の噴火はトンガに甚大な被害をもたらしたとみられる。最大15メートルの高さの津波が襲い、トンガ全土に火山灰が堆積し、水源が汚染された可能性もある。早坂氏は「トンガの現状がどうなっているかが心配だ。東日本大震災で被災した日本もトンガの窮状に思いをめぐらせてほしい」とも語った。(奥原慎平)」
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(目次)。個人情報関連緊急告知・No.2。補足・No.1。 

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 当「nisikiyama2-14(栗山正博)」は、無料公開ブログですが、ひとり孤独に作成している有料ブログです。
 掲載記事の8割近くは、雑誌、新聞、Microsoft・News、ウィキペディア、インターネット・ニュース、インターネット・情報、その他、手に入る情報からのコピペ、つまり他人の説・論・話を集めてまぜこぜにしてした「練り物記事」に過ぎず、公開されている情報を無許可で掲載している「違法性のある如何わしい」記事で、作成者のオリジナル性は乏しい。
 そして、作成者は素人で専門家ではなく、深い考えのないまま興味本位で作成しています。
 その時の思い付きで書き殴り、読み返すいとまもなく、よって訂正・修正する事なく先へと暴走している為に誤字脱字、思い違いが各所に多く存在します。
 詳しくはプロフィールに。
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 緊急告知・No.2
 当ブログ作成者は来年2月に65歳で定年退職となり無職となります、人生100年時代を生きる為に再就職先を探しますが、運良く給料と就労時間の良い条件で再就職ができたとしても実際は忙しく仕事に追われてブログ作成の時間が得られないかもしれず、運悪く再就職ができなければ僅かな年金収入では高額な有料ブログを維持できなくなります。
 また、幾つかの持病を持つ身であり健康面にも不安を抱えていますので、今後ともブログ作成を続ける気力を保てるのかも分かりません。
 よって、6つのブログの中で1つでも新しい記事が、半月以上追加されない時は作成不能状態で、1ヵ月以上ない時は絶望状態で、3カ月以上ない時は死亡して終了と思って下さい。
 また、当ブログは有料ブログですので2~3年分の入金を絶やさずにしていますが、ブログ作成者の不慮の死により入金できなくなれば何年後にはブログ記事は崩壊します、どう崩壊するかは分かりませんが、後継者も共同作成者もいませんのであしからず。
 所詮は、家族なし、子供なしで、蛍光灯の下でひとり孤独と無縁でブログを作成している老人です。
 運良く新しい仕事が見つかりますように、神頼み。
 ブログは死ぬその時まで続けたいと思います。
 当ブログが、日本国と日本民族の役に立ちますように、心から願っています。
                   令和3年10月8日
   ・   ・   ・   
 補足1
 職場が令和4年3月31日に別の場所へと規模を縮小して移転する事になり、職員の人員整理が行われ、ブログ作成者も解雇になり無職となります。
 ひっそりとブログを作成するには良い職場でしたが、残念です。
 失業が確定した今、再就職先を探しています。
 今年65歳になって年金受給世代になったのですが、年金だけでは老後生活が苦しく、その上、資料を買い漁り有料ブログを維持すると老後資金を圧迫するので、老後とブログの二頭の資金を稼ぐ為に何らかの仕事を見つけるしかありません。
 このご時世、今までのようにブログを作成しながら金を稼げる、そんな都合の良い職場はそうそうなく、その為に今後のブログ作成は今までのようには続けられなくなる可能性があります。
 何歳まで生きられるかわかりませんが、差し当たって70歳までの5年間働いて資金を貯める必要があます。
 運良く、好条件の職場に再就職できればよく、運悪く、条件が悪い職場であれば今までのようにブログを作成できなくなる可能性があります。
 そのさいはご理解をお願いします。
                  令和4年1月18日
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⛻17〗─1─凋落の日本製造業、復活までのハードすぎる道のりを進めるか?。~No.82No.83No.84 

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 2022年1月10日06:00 MicrosoftNews JBpress「凋落の日本製造業、復活までのハードすぎる道のりを進めるか?
加谷 珪一
 © JBpress 提供 写真はイメージです(出所:Pixabay)
 パナソニックが中国の家電大手TCLにテレビの生産委託を決めた。自社生産は上位機種だけとなり、大半の機種は外部企業が生産する。同社は白物家電についても合理化を進めており、生産をベトナムに集約化している。日本メーカーによる生産拠点の海外シフトは今に始まったことではないが、モノ作りの代表格のひとつだったテレビの海外シフトによって、製造業からの脱却がさらに進むことになる。(加谷 珪一:経済評論家)
 日本メーカーはもはや商社のようなビジネスになった
 パナソニックは洗濯機や冷蔵庫など白物家電を得意とするメーカーだったが、その後、テレビやビデオなどAV機器の事業を拡大、ソニーと人気を二分していた。2000年代にはテレビ薄型化の流れに伴い、プラズマディスプレイに巨額投資を行ったものの、液晶パネルの躍進によって、同社のテレビ事業は縮小に転じた。一方、韓国サムスンやLG、中国TCLなど後発メーカーは2000年代後半から一気にシェアを拡大し、2010年代に入るとパナソニックは市場での存在感を急速に失っていった。
 今回、同社が中国TCLに生産を委託するのは大半の低価格機種で、自社生産を行うのはごく一部の上位機種となる。加えて各国の生産拠点からの撤退も進んでおり、最終的にはマレーシアと台湾のみになる。国内唯一の拠点だった宇都宮工場(栃木県)も有機ELの生産に限定される見通しだ。メーカーとしては相応のラインナップが必要であることから、生産委託という形で販売を続けるが、収益という点ではほとんど貢献しないだろう。
 白物家電についてはすでに事業の整理が進んでおり、三洋電機を子会社化したのち、同社の白物家電部門は中国のハイアールに売却。パナソニック本体についても、タイなど海外への生産拠点の移管を進めてきた。だが中国企業とのコスト競争がさらに激しくなったことから、タイでの生産からも撤退しており、さらにコストの安いベトナムへの集約を進めている。
 家電の世界シェアを見ると、冷蔵庫は中国のハイアールがトップとなっており、エアコンは珠海格力電器を筆頭に中国メーカー4社が市場の50%以上を占めている。パナソニック三菱電機、シャープといった日本メーカーは、国内市場だけで何とか売上高を維持しているに過ぎず、グローバル市場では競争力をほぼ失った状況にある。
 先ほど取り上げたテレビについても、日立製作所はすでに自社生産を終えており、三菱電機も生産終了を決めた。ここまで生産台数の減少や海外への移管が進んでしまうと、日本メーカーはもはや純粋な製造業ではなく、製品を輸入して国内で販売する商社のようなビジネスモデルに近くなる。
 実際、日本の産業構造は限りなく商社型にシフトしており、こうした動きはマクロ経済的にも大きな影響を及ぼしている。
 日本の交易条件は年々悪化している
 日本の製造業が商社型になれば、国内生産は行わず、海外から必要に応じて製品を調達する経済構造にシフトしていく。そうなると日本の交易条件は悪化せざるを得ない。
 現実問題として、近年、日本の交易条件は悪化する一方となっている。交易条件とは輸出価格指数を輸入物価指数で割った指標で、1単位の輸出によってどれだけの輸入を賄えるのかを示している。交易条件が良いと、輸出によって賄える輸入が増えるので、輸出によるメリットを享受しやすくなる。一方、交易条件が悪いと、海外に流出する富が多くなってしまう。
 交易条件が悪化しているのは、日本企業の輸出競争力が低下し、貿易面で不利になっていることが原因である。
 輸出競争力が低下すると、企業は安値販売を強いられるようになり、十分な収益を上げられなくなる。企業はコスト削減に走るようになり、場合によっては製造拠点を海外に移してしまう。こうした製品戦略では付加価値を高めるのは難しく、結局は輸出単価の下落につながり交易条件をさらに悪化さてしまう。
 日本の製造業の競争力が低下したのは為替が原因であるとの指摘があるがそれは事実ではない。アベノミクス以降、為替が円安に進み、見かけ上の輸出額は増えたが、数量ベースではほぼ横ばいの状況が続いてきた。数量が増えていないということは、商品の販売が伸びていないということであり、よほど付加価値の低い製品でもない限り、輸出競争力を決めるのは製品そのものであって為替ではない。
 為替と輸出競争力が無関係であることは、過去の経緯を見ても明らかである。1985年のプラザ合意をきっかけに日本は猛烈な円高に見舞われたが、この時、日本企業はむしろ輸出額を増やしている。競争力さえあれば、通貨高になっても販売は落ちないものだ。
 輸出競争力が低下したのは為替が原因ではない
 企業の競争力低下に加えて、交易条件に影響するのは、海外の物価動向である。交易条件の長期的推移を見ると、1970年代前半に大幅に交易条件が悪化しているが、これは73年に発生したオイルショックが原因である。産油国が一気に原油価格を引き上げ、それに伴って多くの一次産品の価格が値上がりしたことで、全世界的にインフレが進んだ。当時の日本企業はまだ輸出競争力を保っていたが、輸入価格の大幅な上昇は交易条件を一気に悪化させた。
 79年に発生した第2次オイルショックを経て、日本の交易条件は多少持ち直したが、90年代半ばから再び悪化が始まっている。今、進んでいる交易条件の悪化は、まさに日本企業の競争力低下が原因である。
 日本はすでに輸出ではなく、消費や投資で経済を回す消費主導型経済にシフトしているが、経済構造は依然として輸出主導型のままである。日本企業の賃金は圧倒的に製造業の方が高く、経済の主役となっているサービス業の賃金は低い。こうした状況で円安が進んでしまうと、輸入価格の上昇による購買力の低下によってさらに消費が悪化するという悪循環に陥ってしまう。
 こうした事態を防ぐためには、一刻も早く、消費主導によって経済を成長させる道筋を確立する必要があるが、うまくいっているとは言えない。
 国内の一部には、日本の製造業の競争力は依然として高く、売り方が下手なだけであるとの見解も根強く残っている。だが交易条件の継続的な悪化というデータを見れば、その見解は単なる願望でしかないことが分かる。
 輸入条件が変わらない場合、交易条件が悪化しているということは、輸出価格が下落していることを意味している。輸出企業の競争力が高ければ、中国や韓国企業とコスト勝負に巻き込まれることはなく、高い価格を維持できたはずだ。どうしても欲しいと顧客が考える製品を提供できておらず、これが競争力低下につながっているという現実についてしっかりと受け止める必要があるだろう。
 本当に製造業の復活を望んでいるのか?
 もし、輸出競争力を復活させる形で、かつての成長軌道を取り戻すという場合には、ドイツのような徹底した企業改革が必要となる。ドイツは高付加価値な製造業へのシフトを進めるため、競争力を失った分野は容赦なく切り捨て、経営者にも労働者にも高い目標を課すことで改革をやり抜いた。
 高付加価値な製造業で成功するためには、顧客の問題を解決するいわゆるソリューション型のビジネスを実施する必要があり、高度な英語力が必須である。ドイツは英語圏ではない国としては突出して英語の通用率が高く、これが製造業の競争力維持に貢献している。
 製造業のソリューション化を進めるためには高いITスキルも求められる。ドイツにはSAPという世界を代表するIT企業が存在しており、これが製造業のIT化に大きな役割を果たしている。
 つまり今の時代において、製造業の国としてやっていくためには、(1)経営者や労働者に対する高い成果目標の設定、(2)高度な英語力の獲得、(3)高度なITスキルの習得、が必須となるが、これら3項目は日本社会がもっとも忌避してきたことでもある。
 製造業を強化せよと叫ぶのは簡単だが、今の日本人に上記3項目を本気でやり切る覚悟はあるだろうか。1億人の国内消費市場を生かす形での成長を模索した方が、はるかに現実的だと筆者は考えている。」
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🍠25〗─1─大正7年の大豪雪。雪崩の惨死者発掘、死屍累々、生存わずかに。~No.75No.76No.77 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2022年1月16日 MicrosoftNews 文春オンライン「「雪崩の惨死者発掘 死屍累々 生存わずかに…」史上ワースト級の雪崩事故が続発した“1918年の大豪雪”
 この冬も厳しい寒さに見舞われ各地で豪雪が記録されているが、いまから1世紀以上前、1918(大正7)年はそれをはるかに上回る大豪雪の冬だった。積雪が最大20丈(約60メートル)という新聞報道も。新潟県の集落と山形県の鉱山では、いずれも犠牲者が150人を上回る、日本で1、2番目の規模の雪崩事故が発生した。
 © 文春オンライン 新潟・三俣の雪崩第1報(東京朝日)
 そんな中、富山県との県境に近い岐阜県の山奥の集落が豪雪で孤立。住民約300人が餓死して全滅したというニュースが新聞数紙の紙面をにぎわせた。現地は、大ヒットしたアニメ映画「君の名は。」の舞台のモデルになったとされる場所にも近い。ところが、それほどの大事件なのに続報はなし。各紙を点検すると、誤報ならぬ全くの虚報だったことが分かった。なぜ、そんなことが起きたのか。
 2件の雪崩事故にもそれぞれ、その時代ならではの“背景”があった。この年、日本政府はロシア革命に伴う軍事行動としてシベリア出兵を決定。富山県を端緒に米騒動が各地で広がった。国内でもスペイン風邪が流行。死者は約7万人に上った。時代のうごめきを予感させる年に起きた豪雪のてんまつは――。文中、現在は差別語・不快用語とされる言葉が登場。新聞記事などは見出しのみ原文のまま、本文は現代仮名遣いに統一する。
 「全線運転不能となり、吹雪猛烈にして当分開通の見通し立たずという」
〈 吹雪列車 至る所で立往生
 旧臘(前年12月)来、吹雪のため運転休止となりいたる信越線は昨今いよいよ猛烈を極め、5日夜8時、上野発新潟行き列車は6日午前9時ごろ、塚山―来迎寺間にて運転不能となり、直江津、長岡方面より救援におもむきつつあるも、吹雪激しくしていつ開通するか計り難し。同列車は全部140名の乗客あり。来迎寺より1日2回の炊き出しを運び、7日朝、来迎寺より駅夫来たりて排雪に努めたる結果、右乗客は半道ぐらいの徒歩にてようやく来迎寺に引き揚ぐるを得たるも、列車と排雪車はそのまま立ち往生をなしおれり。なお5日から6日にわたり直江津―新津間全線運転不能となり、吹雪猛烈にして当分開通の見通し立たずという。 〉
 1918年1月8日付の夕刊紙・都新聞(現東京新聞)は社会面トップでこう報じた(当時の新聞記事はまだ文語体だった)。前日1月7日付の大阪毎日も「列車が雪に埋没 北陸、信越線不通に」と報道。同日付の都には「雪中に進退谷(極)まりたる北陸線の列車」という説明付きの写真が載っている。
 中央気象台(現気象庁)発行「気象要覧」第218号の大正7年1月全国気象概況は「総概」で「高気圧はおおむね大陸方面に占拠し、低気圧は日本海方面を通過するもの多く、本州日本海方面、北海道、樺太(現サハリン)などにては連日降雪を見、積雪深く暴風雪、崩雪(雪崩)などのために多大の惨害をかもせり」と記述。
 「気候的状況」の「積雪」では「北陸道、奥羽西部、北海道などに多大の積雪を見、福井にては積雪の深さ100センチ以下なる日とては1日もなく、9日には実に深さ170センチを観測し、伏木(富山県)にては7日148センチ、金沢にては8日133センチ、網走にては11日103センチを測れり」とした。
 このころの新聞には「平地において積雪7尺8寸(約2.4メートル)に達している」「ラッセル式除雪車2台を連結し、2丈(約6メートル)余の積雪突破をなしたるに……」「滋賀県伊香郡・土倉鉱山、積雪1丈5尺(約4.5メートル)に達し……」などの状況が続出。「一家三名壓(圧)死」「遂に工兵隊の出動か」という事態に。恐ろしいほどの“雪魔”の中で惨事が起きる。
 高さ250mから幅540mの大雪崩が…
〈 大雪崩襲来 新潟県と群馬の県境 27戸を倒潰(壊)して 157名行方不明
 新潟県南魚沼郡三俣村に9日午後11時、大雪崩あり。同村59戸のうち27戸を倒壊し、157名行方不明となり、目下救護中なり(長岡特電)。 〉
 同年1月11日付東京朝日(東朝)朝刊は2段でこう報じた。三俣村は現湯沢町。同じ紙面には続報も載っている。
〈 積雪2丈の山間 郡長醫(医)師急行せるも救護は極めて困難
 新潟県南魚沼郡三俣村の大雪崩はその後、詳報に接せざるも、同村は同郡役所所在地・六日町より約8里(約32キロ)の山間にて、群馬県との国境清水峠に近く、さる3日よりの大風雪にて積雪20尺(2丈=約6メートル)に達し、通行全く途絶しおれり。9日夜の大雪崩は俗称東今野山頂より襲来せるものにて、同部落の中間なる駐在所を中心として27戸余を埋没せり。急報に接し、六日町警察署よりは巡査7名、郡役所より市橋郡長は書記4名、医師1名を率いて急行したるが、救護容易ならざるべし。県当局にありても、即時救護の手配に着手せり(長岡特電)。 〉
 六日町は現南魚沼市。同じ日付の東京日日(東日=現毎日新聞)は「30餘(余)戸倒潰し 159名埋没す 内110名を掘出せしが5名死亡5名生命危篤」の見出し。萬朝報(よろずちょうほう)は「25戸倒潰、村民125名生死不明となり、10日午後までに死体80を発掘す」という「新潟発電」の記事を載せた。
 地元紙・新潟日報も「三俣村の頽雪椿事(たいせつちんじ) 人家25戸埋没し125名生死不明」の見出しで、末尾に「三俣村の地勢」を載せている。それによれば、三俣は三国街道の宿場で民家が密集しており、それが惨事に結びついた可能性があると指摘している。「頽雪」とは雪崩のこと。寒気が一時緩んだための雪崩だったようだ。同じ時期に岐阜、石川、群馬の各県でも死傷者を出す雪崩が起きている。
 1月12日付国民新聞は「稀有の大雪崩」の見出しで現場の模様を「新潟電報」で伝えている。
〈 救助のため六日町を出発したる警官隊は積雪のため、6(時間)の道程を10時間を要して到着し、小千谷、小出の両所よりも消防組、青年団、軍人会などは結束して現場におもむき、同地にある日本水力電気会社の工夫400名と協力し、10日夜より11日午前3時までに被害者57名を発見せるが、うち34名は死亡し、同村駐在の梅澤巡査はかろうじて死を免れしが、妻女は圧死せり。同村小学校は倒壊せるも、被害者なし。3名の医師は必死となりて救護に従事し、赤十字社支部は看護婦を派遣し、県は係官を急行せしめたり。郵便局は幸いに無事なりしが、事務員の家族は全滅せり。雪崩は140間(約250メートル)の高さより幅300間(約540メートル)、厚さ30尺(約9メートル)のものにて埋没面積4000坪(約1万3000平方メートル)に達し、被害者及び救護人は糧食なく、困難言語に絶す。 〉
 「雪崩の惨死者発掘 死屍累々 生存わずかに…」
 当時、現場付近では水力発電所の工事が進んでいた。「湯沢町史通史編下巻」(2005年)によれば、三俣村は1917年末現在、101戸、人口609人で、南魚沼郡で2番目に小さい村。コメの作付け面積も郡内最小で、主要産業は林業だった。
 そこに発電計画が持ち上がった。日露戦争後、電力需要が急増。発電立地先として豪雪地が注目された。さらに1914年に第一次世界大戦が勃発。ドイツからの化学製品などの輸入が途絶した。
 小国村(現長岡市)出身の起業家親子が電気化学工業用電力供給を目的に1万キロワットの発電を計画。清津川水力電気会社(のち日本水力株式電気会社と改称)を設立。三俣村内の清津川から取水し、トンネルで湯沢村(現湯沢市)の薬師山山頂に上げる。1916年10月に起工。水路工事を請け負ったのが大倉組(現大成建設)だった。
 「工事には地元はもとより多数の“よそ者”が雇用され、飯場のほか、民家に下宿した結果、8畳1間が月4円(現在の約8000円)前後に、坪15~16銭(約305~320円)の土地が一挙に10倍もの値がついた。小料理店や飲食店も登場し……」。ちょっとした“発電バブル”だった。
 1月14日付国民は「雪崩の惨死者発掘 死屍累々(ししるいるい) 生存僅(わずか)に廿四人」の見出しの「長岡発」記事でこう記している。
 「三俣村大雪崩の大惨事は12日午後、ようやく遭難者の発掘を終わりたるが、遭難者は176名の多数にて、うち生存者はわずかに24名にすぎず、全遭難者中、村民は110名にて、長岡・日本水力電気会社の清津川発電所工事に従事中なる工夫は42名なり。中にも悲惨を極めたるは常磐屋の火災にして、同家には折柄、工夫20名宿泊しおり、同家の家族7名とともに惨死せり。火災の原因は、発電所工事に用うる多量のダイナマイトが雪崩のために爆発せしためなり」
 「この雪崩の原因に2説あって、いまだに結論には到達せぬらしい」
 結局、この雪崩事故は後日の死者も含めて158人が死亡する国内史上最大の雪崩事故となった。「湯沢町史通史編下巻」によると、飯場1棟が倒壊。大倉組と下請け労働者46人も犠牲になった。
 この雪崩事故の原因をめぐって、地元ではとんでもない説が出た。山岳遭難に関する多くの著述がある春日俊吉の「山岳遭難記第3」(1959年)は「発生原因の学的研究はついになされなかったと聞くが、推定ではやはり例の“表層陥没雪崩”の一種に相違ない」と推定。十日町森林測候所の観測記録として、1月1日に145センチだった積雪量が4日に152センチ、7日には233センチ、そして雪崩発生当日の1月9日には297センチに達していたことを挙げた。
〈 「こうして積もりに積もった雪が9日の午後11時30分、ついに自らの重さを支えきれなくなって堪忍袋の緒を切ったものとわれわれ素人は想像するのだが、当時は村にもこの雪崩の原因に2説(もちろん学的なものにあらず)あって、いまだに結論には到達せぬらしい」
「原因2説のうち1つは“崩落説”であって、もう1つが“震動説”である」 〉
 “崩落説”は、当夜は強風が吹いていて、固い地雪に大量の粉雪である新雪が積もって浮いていたところに、強い風が吹きつけて山頂に近い斜面で崩落が始まり、全山に波及した、とする。事故直後に現場を視察した新潟県の調査官も明確にこの説を主張。一般に承認されることとなった。「だがしばらくして、風ではなくて“ハッパ”の震動によるものではないか、という新説が現れて、これがまた相当に有力であった」と同書は次のように述べる。
 「交代時間の知らせに毎夜ダイナマイトをぶっぱなす。かなり大きな音響が出る。空気の震動がなかなか強い」
〈 当時、宿場から山頂「前の平」までのちょうど中央地点で日本水力電気KKが発電用のトンネル工事を進めていた。昼夜兼行の突貫作業で、ちょうどこの11時30分が工員の交代時に当たっていた。交代時間の知らせに毎夜ダイナマイトをぶっぱなす。かなり大きな音響が出る。空気の震動がなかなか強い。工事現場から約550メートル離れた三俣宿の人家の戸障子もビリビリする。山頂付近には所々に相当の雪庇が発達していたし、爆薬の震動で空気が圧搾されてそれで陥没大雪崩が起きた、という見方である。 〉
 十日町森林試験地に勤務していて春日とも知人だった高橋喜平「日本の雪崩 雪崩学へのみち」(1980年)も2つの説を紹介している。さらに詳しいのは「湯沢町史通史編下巻」。「新潟県警察史」が事実関係を記すだけで原因に全く触れなかったのと対照的に、同書のこの事故の記述は自治体の史書とは思えないほど踏み込んでいる。
〈 村の背後で、日本水力電気の水路(隧道=トンネル)工事が進められていた。(昼夜兼行で合図の)ハッパは(作業員)交代の30分前が原則だ。昼夜12時が交代時間だから、雪崩はまさにハッパの時間だったことになる。
 当初より住民側にはハッパ原因説があった。住民は日常的に震動を体感していた。 〉
 一方で「新潟県統計書大正7年」で県の技師はダイナマイトのハッパについて「毎日3回、6個の薬筒を用いて爆破するにもかかわらず、今回の大頽雪を除けば、1回の頽雪をも生ぜざるがごときこの例なり」と指摘。原因は「一陣の大暴風雨、これなり」と“崩落説”を支持している。
 「湯沢町史通史編下巻」は各資料における原因説を表にして「諸説対立のままである。今後に決定的な確証が出ない限り、結論を出すのは容易ではない」としている。ということは、ハッパによる“震動説”は住民の間で語られ続けたということだろう。俗説だが、正式な原因究明が行われなかったこともあって“伝説化”したとみられる。
 その後も豪雪は続き…
 その後も豪雪は続いた。次に大規模な雪崩災害が起きたのは山形県の銅鉱山だった。地元紙・山形新聞は1月22日付で「200名埋没 大鳥鑛(鉱)山の大頽雪 飯場等11棟倒壊」の見出しで報じた。
〈 一昨20日午前4時ごろ、東田川郡大泉村(現鶴岡市)地内、大鳥鉱山機械工場の西方山上より大頽雪の襲来あり。6間(約11メートル)に14間(約25メートル)の飯場6棟その他、全壊3棟、半壊2棟、合計11棟倒壊し、同所に居住せる坑夫その他約200余名、雪中に埋没し、目下人夫250余名を繰り出し、発掘中なるも、大半は死を免れざるべく、急報に接し、本県保安課より佐藤警部、昨日同地に向け出張せり。同鉱山は古河鉱業会社(現古河機械金属)の経営に係り、昨今の使役人員は坑夫、雑役夫その他、家族を加え1130余名に達し、飯場の棟数も50以上に達し、今回頽雪に遭える機械工場付近の飯場は、事務所より約1里半(約6キロ)を隔たり、請願巡査駐在所、医務局などの設置も同所にあれば、これらの安否いかんはいまなお不明なり。しかして同鉱山は西田川郡鶴岡町(現鶴岡市)をさる西南方上約13里(約52キロ)の山中にて、同町より上田沢部落に至る約8里(約32キロ)の道程は車馬の便あれど、同部落先は全くの山道にして徒歩のほかなく、ことに昨今は積雪深く地上既に1丈5尺(約4.5メートル)に達しおる状態なれば、救護隊の出場もひとかたならず、困難を感じたるものならん。 〉
 「朝日村史下巻」(1985年)には鉱山の説明がある。「機械場(「機械工場」)というのは通称で、大鳥の部落から約8キロ上流にあった鉱山まちで、機械場川(鰍沢)を挟んで東山と西山に分かれて建物が並び、東山には製錬所、事務所、鉄索場、郵便局、診療所、販売所などがあり、西山には役員住宅、坑夫長屋、人夫長屋、合宿所、学校(分教場)などが軒をつらねていた」。山形新聞の記事は「附近の模様」についても触れている。
 死体収容所に赴くと…
〈 遭難地付近の概略につき(県)警察部・及川技手の語るところによれば、機械場は大鳥鉱山地の入り口にして、上田沢(巡査駐在所のある所にて、ここまで人車を通ず)より約5里(約20キロ)を隔たりたる山中にあり、途中の道路は山腹に沿うてわずかに通ずるも、しかも昨今の積雪は1丈5尺もあるべく、道路というもの、おそらくなかろうと思う。この間の険を冒して急遽上田沢に出で、警察電話をもって当所に報告してきたのだが、以上のごとく距離があるうえに途中危険多く、その後の消息を知るに由なきも、私は昨年11月に用務出張したときの記憶によりこの報告を総合すると、機械場の西方から大雪崩が襲来したといえば、役宅、倉庫、事務室、製錬場なども同時に倒壊したのではあるまいか。ことに午前4時ごろとあるから、まだ寝ている時刻で、一家族ことごとく枕を並べて惨死したことと想像する、うんぬん。 〉
 同じく地元紙の荘内新報は鶴岡から記者を現地に派遣。「大鳥災害視察記」を連日のように掲載した。1月26日付の「第三報」では、死亡者の姓名を載せ、27日付の「第四報」以降は、記者が到着した雪崩現場の模様を記している。
〈 眼下、幾百尺の下、機械場一帯の地区はただ一面雪に覆われ、所々に煙突、高屋根、つり橋などの見ゆるのみ。されど、大雪塊墜落の個所はいまにしてなお、当時を物語りつつあるようである。
 そこよりの急坂、真に削るがごとき所を歩々身命を賭して下れば、600尺(約180メートル)下 、すなわち惨害の小学校つぶれ跡に達した(24日正午、災害地にて)=27日付「第四報」。
 積雪23丈(約69メートル)の底、小学校のつぶれ跡は木っ端みじんとなりて、当時の惨害を物語っている。生徒が机の2、3脚が持ち出されあるも哀れである。(29日付「第五報」) 〉
 犠牲者についての描写も詳しい。
〈 死体収容所に赴く。そこら一帯に、積雪まさに2丈5尺(約7.5メートル)、製錬所その他の建物も全く雪に埋もれて、ただ屋根の一部、煙突などの現れあるのみ。ここにて1死体をワラ俵に入れ、首はアンペラ(ござ)にて包みて背負い行くに遭う。前に坂道においても、死体をむしろ包みとしてソリにて下るもの2個に会し、酸鼻のさまはいまにして刻々と新たなるを覚ゆるのみである。
 死体収容所は雪に埋もれある4間(約7メートル)に9間(約16メートル)の粗雑なる木材倉庫を充用したるもの。「屍体収容所」と書せる立札ありて、入り口の辺り、濡れ夜具が積み重ねある。そばに既にひつぎに納められたる死体が数個並べあって、遺族にふたをはねて検分さしている。係員や稼ぎ人が死体洗浄の湯を沸かしながら暖をとっている。奥に間に合わせの形ばかりの香花を供える壇が設けられて数多のろうそくがゆらゆらとともされてある。その後方には白布に包まれたひつぎが幾十となく累積されて凄惨の影四辺に漂うておる。
 そのひつぎの後方に当たって薄暗き所に発掘せるばかりの赤裸の死体が男女老幼の区別さえなく、首にはいちいち姓名を記した木札をつるして累々と積み重ねられている。中には顔面に負傷して血痕斑々(はんぱん=まだら)たるものや、胸部や背部に打撲傷を負うて皮下出血のしてるもの、赤紫色の斑痕の存するものなど、漁猟場に生魚の積み重ねたるごとく、その惨状、凝視するに忍びぬ。
 係員はいちいち布団をはね、ろうそくの明かりに照らし見する。中に最も憐憫の情を動かさしめたるは、仁科君=倒壊して全滅した分教場の訓導(教員)の子ども=の死体より数人前方にありて、2歳か明けて今年3歳ぐらいの嬰児が母に抱かれたるまま、己が口をば母の乳房に吸いつくがようにして小さき手をば、母が抱ける手に絡ませてあるなど、他には見られぬ凄惨の状綿々として、哀愁の情は迫り、新しく涙の下るをとどめ得ない。(「第五報」) 〉
 日本の雪崩事故史上2番目の惨事
 事故の犠牲者は最終的に154人に上り、新潟・三俣村に次ぐ、日本の雪崩事故史上2番目の惨事に。特に子どもが65人を占めたのが目立った。
 「朝日村史下巻」によれば、大鳥鉱山は江戸時代の金鉱発見に始まり、明治時代に古河家個人所有から古河鉱業の経営へ。銅の鉱床発見で「次第に生産量を伸ばし、大正6(1917)年には年産約380万トンに達するなど、大正には全盛期を迎えたのである。これは日露戦争第一次世界大戦による世界的銅価格の高騰をはじめ、大鳥鉱山自体の設備改善や機械化、さらに労働力の多量の投入などによるものである」(同書)。
 最盛期、鉱山関係の人口は約1500人ともいわれ、最もにぎやかな場所が機械場だった。それが雪崩に襲われた。犠牲者の多さに仮火葬場で荼毘に付すのに4日間かかったという。
 古河鉱業は1月30日から連日荘内新報に「慰問御礼の謹告」を載せたが、その後、世界不況のあおりで銅の価格が下落。同社が1976年に刊行した「創業100年史」によれば、雪崩事故から4年後の1922年に閉山した。同書に事故の記述はない。
 「落雪で村全滅、村民300名ことごとく餓死」大雪で発生した“虚報”はなぜ起こってしまったのか へ続く  (小池 新)」
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 日本列島には、自然を基にした日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・天皇神話が滲み込み、その上に石器時代縄文時代弥生時代古墳時代日本民族が住んできた。
 日本民族は、ヤポネシア人、石器人・日本土人縄文人弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が乱婚して混血して生まれた雑種である。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
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 ロバート・D・カプラン「揺るぎない事実を私たちに示してくれる地理は、世界情勢を知るうえで必要不可欠である。山脈や河川、天然資源といった地理的要素が、そこに住む人々や文化、ひいては国家の動向を左右するのだ。地理は、すべての知識の出発点である。政治経済から軍事まで、あらゆる事象を空間的に捉えることで、その本質に迫ることができる」(『地政学の逆襲』朝日新聞出版)
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
 神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
   ・   ・   ・   
 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
 死への恐怖。
   ・   ・   ・   
 日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、禍の神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
 生への渇望。
   ・   ・   ・   
 仏とは、悟りを得て完全な真理を体得し正・善や邪・悪を超越し欲得を克服した聖者の事である。
 神には、和魂、御霊、善き神、福の神と荒魂、怨霊、悪い神、禍の神の二面性を持っている。
 神はコインの表裏のように変貌し、貧乏神は富裕神に、死神は生神に、疫病神は治療神・薬草神にそれぞれ変わるがゆえに、人々に害を為す貧乏神、死神、疫病神も神として祀られる。
   ・   ・   ・   
 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
   ・   ・   ・   
 日本の宗教とは、人智・人力では如何とも抗し難い不可思議に対して畏れ敬い、平伏して崇める崇拝宗教である。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
   ・   ・   ・   
 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、科学、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
   ・   ・   ・  
 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
   ・   ・   ・   
 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
 『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
 日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
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 昭和・平成・令和の皇室は、和歌を詠む最高位の文系であると同時に生物を研究する世界的な理系である。
 武士は文武両道であったが、皇室は文系理系双系であった。
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 徳川家康は、実理を優先し、読書を奨励し、経験を重視し、計算の数学と理・工・農・医・薬などの理系の実利で平和な江戸時代を築いた。
 が、馬車や大型帆船は便利で富をもたらすが同時に戦争に繋がる恐れのあるとして禁止し、江戸を守る為に大井川での架橋と渡船を禁止した。
 つまり、平和の為に利便性を捨てて不便を受け入れ、豊よりも慎ましい貧しさを甘受した。
 それが、「金儲けは卑しい事」という修身道徳であったが、結果的に貧しさが悲惨や悲劇を生んだ。
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 日本で成功し金持ちになり出世するには、才能・能力・実力が必要であった。
 日本で生きるのは、運しだいであった。
 日本の運や幸運とは、決定事項として与えられる運命や宿命ではなく、結果を予想して自分の努力・活力で切り開く事であった。
 それは、自力というより、神か仏か分からない他者による後押しという他力に近い。
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