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マイクロプラスチックは、水や魚介類から人の体内に取り込まれていく。
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2026年8月8日 MicrosoftStartニュース AERA DIGITAL「「人の脳」にプラスチックが蓄積されていた 「便利さ」の代償はどこまで広がるのか
石井徹
「人の脳」にプラスチックが蓄積されていた 「便利さ」の代償はどこまで広がるのか
便利さのために使い続けてきたものが、知らないうちに脳の中に積み重なっているとしたら。そんな不安をかき立てたのが、人間の脳からマイクロプラスチックが検出されたという研究報告だった。そのニュースに強い衝撃を受けた一人が、水俣病被害者の支援活動を半世紀以上続けてきた実川悠太さんだ。石井徹氏による書籍『絶滅しない環境学』から、一部抜粋してお届けする。
* * *
■水俣病とプラスチックのつながり
「人間の脳には、マイクロプラスチックが蓄積される」
2025年2月3日、米国ニューメキシコ大学の研究チームによる報告書が医学誌「Nature Medicine」に掲載された。人間の遺体の脳を調べたところ、直径5ミリメートル以下のマイクロプラスチックやそれよりさらに小さい1000分の1ミリ以下のナノプラスチックが、腎臓や肝臓より7〜30倍という高濃度に蓄積されていた。2024年の遺体の脳と肝臓のサンプルの濃度は、2016年の遺体に比べて50%も高くなっており、因果関係は証明されていないが、認知症と診断された人の脳サンプルの濃度はそうでない人に比べて3〜5倍も高かったという。
この報道があった数日後、認定NPO法人「水俣フォーラム」代表の実川悠太さん(70)から、久しぶりに連絡をもらった。
「プラスチックが脳に蓄積されているっていう記事を読みましたか? 衝撃的ですね」
実川さんと水俣病との関わりは高校2年生の時。東京駅前に水俣病の原因企業、チッソ本社があり、そのビルの前にテントを張って患者や支援者が座り込んでいる姿を見たのがきっかけだ。それ以来、半世紀以上にわたって、多くの人たちに被害の実態を伝え、一緒にその意味を問い続け、水俣病被害者を支援する活動に携わってきた。
チッソ(現JCN)が流したメチル水銀が脳などの中枢神経系に影響を及ぼす水俣病は、それまで人類が経験したことがない公害だった。「かつてはメチル水銀を流す恐ろしさや罪深さは感じても、プラスチック自体に危険性を感じることは、まったくなかった」と実川さんは言う。いま、プラスチックと水俣病との浅からぬ因縁も感じるという。
「結局、人間が自分のことしか考えず、豊かさや便利さを追求してきたからでしょう。あまりに複合的、根源的な問題で、どう対処したらいいのか、途方に暮れてしまいます」
かつては「公害と地球環境は別の問題」と捉えられることが多かった。だが、マイクロプラスチックによる脳の汚染は、「公害の原点」である水俣病が地球環境問題と地続きであることを、改めて思い起こさせた。実川さんは、報道でショックを受けて連絡してきたのだった。40年間、環境やエネルギーを中心に取材してきて、私自身が感じるのも「すべてはつながっている」ということだ。終わりが見えない公害の原点から、深刻さを増す地球環境問題に続く経緯を見ていきたい。
実川さんとの最初の出会いは、1996年9〜10月の「水俣・東京展」だ。公式確認から40周年の節目に、改めて「水俣の悲劇」の意味を考え、後世に伝えていくために、初めて首都圏で開かれた大規模なイベントであり、実川さんは中心メンバーだった。整備途中でまだがらんとしていたJR品川駅港南口にいくつもの巨大テントが並んだ。
開催目的には「環境問題が人類的課題となっている現代において、『公害の原点』と言われる水俣病はその公式確認から今年40周年を迎えますが、これを機に水俣病事件の事実と問いかけを、文字・写真・映像・演劇・美術・書物・物産等により、できる限り多くの人々に伝えることを目的とします」とある。
当時は、地球環境に対する関心が世界的に高まっていた。1989年11月に東西冷戦の象徴であるベルリンの壁が崩れ、国際社会は軍事的緊張から地球規模の課題へと目を向けるようになった。冷戦時代には明確だった「敵」やあたりに漂っていた「核戦争の恐怖」がぼやけて、陰に隠れていた気候変動や生物多様性の喪失といった新たな「共通の脅威」が姿を現しつつあった。地球規模の環境問題の悪化が、安全保障や経済の不安要因として語られるようになってきた。国境を越える地球環境問題は、力の対決ではなく国際協調でしか解決しない。
■冷戦終結で地球環境問題に注目
1992年6月には、ブラジルのリオデジャネイロで国連環境開発会議(地球サミット)が開催された。100カ国以上の首脳を含む183カ国の政府代表が参加した国連史上最大規模の会議として知られている。人と国家の行動原則を定めた「環境と開発に関するリオ宣言」と、そのための行動計画である「アジェンダ21」、森林の保護と利用に関する初めての「森林に関する原則声明」が採択された。気候変動枠組み条約(UNFCCC)と生物多様性条約(UNCBD)の署名もここで始まった。会議の中で当時12歳のカナダ人少女セヴァン・スズキさんが行ったスピーチの「どうやって直すかわからないものを、壊し続けるのはもうやめてください」という言葉は、いまも語り継がれている。
気候変動枠組み条約の第1回締約国会議(COP1)は、1995年3〜4月に冷戦終結の象徴であるベルリンで開かれ、翌年7月のジュネーブの第2回会議(COP2)では、1997年12月に第3回会議(COP3)を京都で開くことが決まった。世界の目が議長国である日本に注がれる重要な会議になることは間違いない。「水俣・東京展」は、その1年前に開かれた。
地球環境問題への関心が高まる一方で、世間には「公害は過ぎたこと」という雰囲気があったのも事実だ。「公害から地球環境問題へ」という喧伝(けんでん)には、霞が関の中央官庁だけでなく、メディアも加担した。被害が地域限定的で加害者(企業)と被害者(住民)が明確である公害に対し、加害者と被害者が複雑に絡み合い、英語が飛び交う国際的な舞台で交渉が続く地球環境問題に目が向きがちだった。国際的、地球的な問題を取材していると、高揚感のようなものがあったのも事実だ。
■自社さ政権下での「政治解決」
水俣病も大きな転機を迎えていた。1年前の1995年9月、当時の与党3党(自由民主党、日本社会党、新党さきがけ)は、「最終的かつ全面的な解決に向けた解決策」、いわゆる「政治解決」を取りまとめた(その後、2009年に「第2の政治解決」が図られたため、「第1の政治解決」と呼ばれることもある)。
(書籍『絶滅しない環境学』から、一部抜粋)
公害の原点と言われる水俣病は地球環境問題とつながっている。メチル水銀が脳の中枢神経をおかすだけではなく、プラスチックも脳を汚染する。 大量の「ごみ」であるプラスチック、大気汚染、有害化学物質を経済システムから考え直すときがきた。40年ちかく環境問題を取材してきた元朝日新聞記者が、個別の環境問題がどのようにつながるのか、迫る危機を回避する方策を、現場を踏まえて捉える見取り図、「基本図書」の決定版。
・なぜ環境問題は解決しないのか? 40年追った記者がたどり着いた「取り戻すべきもの」【絶滅しない環境学】
・【最初の読者から】国谷裕子「想いを抱き続けた40年」~『絶滅しない環境学』石井徹 著
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🍘75〗ー1ーなぜ日本は2位→39位に転落し「成長」を止めたのか。~No.210No.211
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2026年9月7日 MicrosoftStartニュース AERA DIGITAL「【2位→39位に転落】なぜ日本だけ「成長」が止まったのか? かつて世界を驚かせた「経済大国」の歴史
伊藤修
かつて世界2位の経済大国だった日本。だが今、日本の1人当たりGDPは39位まで後退した。この落差をどう考えればいいのか。日本経済の現在地を理解するには、「失われた30年」だけではなく、成長していた時代から見直す必要がある。バブル崩壊後35年の全軌跡を膨大なデータと歴史から総点検した朝日新書『日本経済はなぜ沈下したのか』から、一部抜粋してお届けする。
* * *
■第1章 日本の成長時代―明治からバブル崩壊まで
若い世代にとっては、物心ついてから日本の経済は不振であり、最近までの中国と同じように世界に驚かれた高成長の時代があったことを、想像できない向きもあると思う。また、バブル崩壊までは順調な高度成長で波乱も苦闘もなかったというイメージがもたれている場合もあろう。しかしどちらも事実とは違う。前提として発展・上昇の局面についておおよそを知っておくことは、現在を判断するために不可欠である。
そこで本章では、明治のスタートからバブル崩壊までの発展の歩みを、圧縮して概観する。
1で、近代の経済発展を世界史の中で位置づけてみる。
2では、①戦前期の発展、戦時・戦後初期における大幅な変革、 ②1955年ごろ以降の高度経済成長、③70年代の高度成長終幕と屈折・波乱をへて、80年代後半のバブル経済まで、の順で経過を跡づける。さらに、④1990年代初めのバブル崩壊以後の時代についても、ここで概略のみ見通しておく。
3では、次章以降でみる近年の停滞と対照するため、あらためて高度成長期の特徴を整理する。
1 なぜ世界は19世紀に成長を始めたか
(1)「近代の成長」とは何だったか
■成長が加速した転換点
世界的に、近代に入って経済の成長・発展が加速した。一般に、量的な拡大を成長(growth)、これに経済・社会の質的な変化を加えて発展(development)と呼び、本書もこの用語に従う。
長期にわたるGDP(国内総生産)などの数値を知りたいものの、古い時代ほど統計がないので、多くの仮定を設けて推計するほかなく、厳密さを求めることはできない。それでも、大規模な歴史推計作業を行なったアンガス・マディソン(Angus Maddison:1926〜2010)とその後継プロジェクト(Maddison Project)などに至る多くの経済学者の努力の成果は、参考になる情報を提供してくれる。
それらによれば、前近代までの成長はごくゆっくりしたものだったが、18世紀(1700年代)後期からのイギリスのいわゆる産業革命を先頭に、19世紀に近代経済発展が始まった。マディソンらのOECD(経済協力開発機構)の推計によると、世界のGDPの年平均成長率は、1500〜1820年の間が0・33%(1人当たりは0・04%)であったが、1820〜1992年には2・17%(1人当たり1・21%)に大きく上昇したとされている(*1)。
もう少し区分してみると、成長率は1870〜1913年が2・1%、2つの大戦を挟む1913〜50年に1・9%といったん下がり、1950〜73年がひときわ高い4・9%、1973〜98年3・0%となっており(*2)、2000年以降は3%台とやや高い水準にある(*3)。
この間、量的に拡大しただけでなく、社会のあり方、人々の生活といった質の側面も急速かつ大幅に変わった。
■中国とインドが世界最大の経済大国だった
右にふれたマディソンらのプロジェクトのデータによって、日、米、英、独、仏、それに中国、インドのGDPの長期的推移を、1820年からみたのが表1―1である。
【2位→39位に転落】なぜ日本だけ「成長」が止まったのか? かつて世界を驚かせた「経済大国」の歴史
各国のGDPを購買力平価(物価比)で1990年の米ドル単位に換算しているから、物価上昇分を差し引いた実質GDPに近い意味をもつ。1990年以降は現行のIMF統計にもとづくので、それ以前と接続しない。なお1990年時点での前後両統計の数字を比べてみたところ、独・中を除いて相違はさほど大きくなかった。またIMF統計は当年の米ドルに換算している点も異なる。したがって表の2023年の数字は名目(当年価格)GDPにあたり、米国の物価上昇によりインフレート(水増し)されている。これらの点に注意しよう。
表から次のことが読みとれよう。
1820年には、中国とインドが1位・2位の、しかも他と隔絶した経済大国だった。日本も欧米の大国とさほどの差はなかった。この時点では欧米はまだ他の世界を圧倒する経済力をもってはいなかったのである。
次いで、日本の成長開始期である1885年になると、世界経済のバランスが大きく変わり、日・中・印が横ばいに近いのに対して、欧米が産業革命で急成長し、支配的な位置につく。
2つの大戦による波乱をへた1950年をみると、日本は、米には及ばないものの、第2次大戦前に急速な発展を達成している。中・印をはじめとする、のちに発展途上国と呼ばれることになる地域は、停滞を続けた。なお物価比での換算のため、物価の低い中・印の数字は一貫して為替レート換算よりかなり大きく出ている。
第2次大戦後は世界経済の成長率も高いが、そのもとで日本の成長は驚くべき高率を達成し、欧州諸国を抜いて米に次ぐ経済大国になった。
しかし、1990年以降こんにちまでの期間には、日本は停滞し、地盤沈下した。それに対して中国、次いでインドが驚異的な発展をみせた。超長期でみれば、欧米が独走した時代をへて、かつてのバランスに戻る動きともいえる。
今度は表1―2で、国民1人当たりGDP(おおよそ経済水準を示す)の移り変わりをみよう。作成の枠組み、読み方の注意点は前表とほぼ同じである(ここでも低物価の国の数値は高めに出る)。前表にアジアの数か国を加えて、その経済水準の推移もみる。以下のことがいえるであろう。
【2位→39位に転落】なぜ日本だけ「成長」が止まったのか? かつて世界を驚かせた「経済大国」の歴史
1820年時点では、英が2千ドルと先行しているが、米・独・仏は1千ドル水準で、アジア諸国との差はまだ小さい。1885年をみると、アジアはほぼ横ばいだったのに対し、欧米は2倍以上に上昇した。日本もここまではアジア平均レベルにある。おそらく幕末から明治初年の時期に欧米との差が最大になっていたとみられる。
1950年には、日本は戦前の成長によって欧米との差を縮めたあと敗戦で後退し、2千ドル水準であった。中・印などアジアは停滞が続いた(この時点ではマレーシアやフィリピンが他より高い)。
しかしこのあとの戦後日本は、高度成長によって1990年には2万ドル水準に達し、欧米に並んでいる。韓国・台湾も特に1970年以降、日本に続いて上昇を実現し、90年には1万ドルに近づいた。同年の中・印は急成長の直前で、まだ低迷していた。
1990年以後こんにちまでは、日本は停滞に転じて、上昇幅は他の諸国に比べてかなり低く、台湾・韓国に抜かれ、直近で5万ドルと、イタリア・スペイン・ポルトガルなど南欧グループの水準にある。中国の上昇は驚異的で2万ドルを超え、インドも1万ドルに達した。マレーシアも4万ドル、タイ2万ドル超などとなったが、フィリピンはやや低い。
【著者】伊藤修(いとう・おさむ)/1956年、長野県生まれ。埼玉大学名誉教授、博士(経済学)。東京大学経済学部卒業。神奈川大学教授などをへて、埼玉大学教授。理事兼副学長などを歴任。
(朝日新書『日本経済はなぜ沈下したのか』から一部抜粋)
>>アジア諸国の多くが停滞するなか、日本はいち早く経済成長への「離陸」に成功した。 成長する国と停滞する国を分けたものは何か。また、日本はなぜ再び停滞へと向かったのか。話題の新書『日本経済はなぜ沈下したのか』ではバブル崩壊から30年、日本停滞の真因を解剖している。
【注釈】
*1 Monitoring the World Economy 1820-1992, 1995.
*2 アンガス・マディソン『経済統計で見る世界経済2000年史』柏書房、2004年。
*3 IMF、世界銀行、国連の現行統計。
【2位→39位に転落】なぜ日本だけ「成長」が止まったのか? かつて世界を驚かせた「経済大国」の歴史
・【完全版】表も掲載!【2位→39位に転落】なぜ日本だけ「成長」が止まったのか? かつて世界を驚かせた「経済大国」の歴史
・【表】GDPの歴史的国際比較を見ると…
・【表】1人あたりGDP「歴史的国際比較」はこちら
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🌱24〗ー2ー「農家みんな辞めますよ」米価格は今後も値下がりへ コスト増で“混乱。~No.66
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2026年8月6日 MicrosoftStartニュース FNNプライムオンライン「「農家みんな辞めますよ」米価格は今後も値下がりへ コスト増で“混乱” 「とんでもない赤字…もう政府には何の期待もできない」
© FNNプライムオンライン
米の価格について今後、さらに値下がりするという最新の見通しが発表されました。
この先気になるのは新米の価格です。
販売価格にも影響を与える生産者への前払い金を巡って、今、困惑の声が上がっています。
6日、米の生産者や卸売業者などを対象にした調査で、向こう3カ月の米価格の見通しを示す指数が過去最低水準だった7月をさらに下回ったことが分かりました。
米価格がさらに下がるという見通しに、街の人からは「(孫たち)育ち盛りだからうれしいですね」といった声が聞かれました。
新米の相場を気にしているのは一般消費者だけではありません。
「イット!」は、千葉・東庄町で50年以上にわたり米作りにいそしむ農家を取材しました。
多田正吾さん(68):
今年は去年・おととしと違って梅雨が長かったせいで、実が充実して素晴らしいお米に育ってくれたと思います。
2026年収穫する米の出来に自信を見せる多田さん。
一方で、米農家としての経営面には不安があるといいます。
多田正吾さん(68):
コシヒカリで1万8000円に、このわせのふさおとめが1万6700円ですね。2万円くらいは出るのかなと思ったけど…。
多田さんが不安に感じているのは、JA全農千葉が生産者に支払う概算金と呼ばれる前払い金の額です。
多田さんによりますと、JA全農千葉から2026年示されたコシヒカリ60kg当たりの概算金は約1万8000円で、2025年に比べ大幅に値下がりしたということです。
多田正吾さん(68):
これから灯油も上がってるし、農機具もまた上がるって話だから、消費者がどう考えてくれるか。
現状では、農業機械などの設備投資にも慎重にならざるを得ないといいます。
福井県ではすでにブランド米、ハナエチゼンの収穫が始まっています。
福井市の米農家、白井清志さんは約50haの田んぼで5つの品種を作っています。
収穫された米は次々とタンクへ。
出来はまずまずです。
しかし、令和の米騒動とも呼ばれた2025年までとは一転、2026年は静かな収穫初日を迎えたといいます。
コメ農家・白井清志さん:
去年は6社ほど買い手のトラックが運んだ。今年は1社も来ない。コメを売ってくれと1社も言ってこない。
JA福井県は、県内の農家に概算金の額をまだ示しておらず、農家側も自分たちの米がいくらになるのか分かっていません。
白井さんが2026年仕入れた肥料の総額は900万円。
2025年の2倍に上がったといいます。
加えて、農機具を動かす燃料代も高騰しました。
そうした中で、白井さんは民間の買い手の動きもJAが示す価格も見通せないまま収穫を進めざるを得ないのです。
コメ農家・白井清志さん:
コストが上がってコメ価格が下がるなら、農家のみんな辞めますよ。こんな赤字出しても、とてもじゃないけど…。
米価格が下がれば、農家が辞めていく。
その不安は今、現実のものとなりつつあります。
コメ農家・白井清志さん:
今年は1万6000円くらいと予想。生産コストが大概2万2000~3000円。とんでもない赤字。今年で農家を辞める人が出てきた。もう政府にはなんの期待もできない。
米の在庫がまだ多くある中、JA福井県も難しい判断を迫られています。
JA福井県五連・宮田幸一会長:
今価格が限定できないような状況。コメが余っているので。今年ギリギリまで待って価格を決めていかざるを得ない。
JA福井県は、13日の臨時理事会で2026年の概算金について審議する方針です。
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8月6日 MicrosoftStartニュース FNNプライムオンライン「コメ価格さらに下落か 価格見通し指数は過去最低水準更新 新米流通で値下がり加速も
コメ価格さらに下落か 価格見通し指数は過去最低水準更新 新米流通で値下がり加速も
© FNNプライムオンライン
コメがさらに値下がりするとの見通しが強まっています。
コメの生産者や卸売業者などを対象にした調査では、指数が「50」を下回ると値下がりするとの見方が強まっていることを示します。
向こう3カ月の価格見通しを示す指数は、7月の調査結果が「18」でした。
10カ月連続で50を下回り、過去最低水準だった先月の調査結果をさらに下回りました。
コメの民間在庫が6月末時点で過去最大の水準に積み上がっていることなどが要因で、今後も価格は下落基調が続くとみられています。
業界関係者からは「新米が本格的に流通する時期にかけてさらに値下がりすることが予想される」との声も出ています。
関連記事
テレ朝NEWS
コメ価格先安観が優勢 見通し指数は過去最低 米穀機構の7月調査
米の民間の在庫量が過去最大となる中、価格の先行きを示す指数が過去最低を更新しました。Video Player is loading.
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5月26日 YAHOO!JAPANニュース RKB毎日放送「「もう無理なんじゃないか」高まる”国産”の価値 それでも小麦農家をやめる生産者も 全国2位の産地でみえた食糧政策・日本の課題
私たちの食卓に欠かせない小麦。
その8割以上を輸入に頼る中、価格高騰を受けて国産への注目が高まっています。
【写真で見る】全国2位の産地でみえた食糧政策・日本の課題
全国2位の生産量を誇る福岡県では今月、増産を支える新たな拠点が動き出しましたが、産地が抱える課題も浮かび上がっています。
■「カントリーエレベーター」が完成
RKB 和田有加 記者
「こちらには収穫された麦が次々と運び込まれています」
福岡県柳川市に完成した「カントリーエレベーター」。
収穫された麦をまとめて乾燥・貯蔵し品質を保ちながら、効率的に出荷するための施設です。
■小麦の生産 福岡県は全国2位
国内の小麦の自給率は、わずか16%。
残りの8割以上を輸入に頼っています。
中東情勢の緊迫化や円安の影響で輸入小麦の価格は高騰。
こうした中、価格や供給が比較的安定している国産小麦への需要が高まっています。
その期待を背負うのが北海道に次ぐ全国2位の麦どころ福岡県です。
ただ、生産現場が抱える悩みは設備だけでは解決しないといいます。
JA柳川 生産者 川口浩行さん
「やっぱり天気と、生産資材の高騰とか、肥料・農薬等の値段もかなり上がってるんで個人経営の農家では、ちょっと負担するのが大きな金額ですので、もうなかなか無理なんじゃないかなというような感じがあって」
■コスト上昇で小麦作りをやめる農家も
燃料に肥料、さらに農業機械まで。
あらゆるコストが上昇する中、採算が合わず、小麦作りをやめる農家も出始めています。
JA全農ふくれん 運営委員会 乗富幸雄 会長
「地産地消の麦で、そしてそれを消費する食べるということをやっていただく。そういうことによって需要も増える。自給率はやっぱり麦は16%を20%〜30%に上げて。国産麦の消費をあげていただきたい」
輸入頼みから国産へ。
日本の食卓を支える小麦をめぐり、福岡が果たす役割は、今後ますます大きくなりそうです。
7月15日 YAHOO!JAPANニュース nippon.com「【老いるニッポン】2026年の農業従事者100万人割れ:平均年齢は67.7歳―農水省調査
農林水産省によると、個人で農業を主な仕事とする「基幹的農業従事者」の数が、今年初めて100万人を下回った。
基幹的農業従事者数の推移
このほど発表された2026年農業構造動態調査によると、「基幹的農業従事者」は前年に比べて約5万人(4.8%)も減少し、98万6600人となった。高齢化で農業をリタイアする動きが加速し、2010年(約205万人)からわずか16年で半減した。
30代以下は全体の5%
年齢階層別にみると、平均年齢は67.7歳。70歳以上の割合が全体の56.5%に達する一方、30代は3.8%、29歳以下は1.2%にとどまっている。
基幹的農業従事者の年齢別割合
個人と団体を合わせた「農業経営体」の数は、前年比4.4%減の79万9700だった。内訳は、個人経営体が4.6%減の75万9000、団体経営体は1.2%増の4万700。
団体経営体の役員・構成員は10万900人で、前年比2600人(2.6%)増加した。
農業経営体の1経営体当たりの経営耕地面積は3.8ヘクタール(北海道34.6ヘクタール、都府県2.7ヘクタール)で、前年に比べ5.6%(北海道2.7%、都府県3.8%)増加した。
耕作したコメを売る目的で水稲を作付けした農業経営体は49万9500あり、前年に比べ3万8800経営体(7.2%)減少した。
水稲を作付けする経営体の58.7%が1ヘクタール未満の規模。1~2ヘクタールが18.6%、2~5ヘクタールが12.8%、5~10ヘクタールが5.1%、10ヘクタール以上が4.8%だった。
【資料】
・農林水産省「農業構造動態調査」
【関連記事】
2026年の農業従事者100万人割れ:平均年齢は67.7歳―農水省調査
令和の米騒動:25年の民間輸入量は9万6000トン 前年の90倍以上に
日本の農地:国土の11%にあたる427万ヘクタール この50年で3割減
気温上昇が農業に大打撃:米も果物も品質下がり収量減
「農政」「ノー政」そして国政
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🌌65}─1─地球温暖化で農作物の原産地が変わっていく。葡萄・ワイン。~No.302No.303
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2026年7月6日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「じつは、ワインも…地球規模で進む気温上昇が、打撃を与えている「驚愕の現実」。人類数千年の叡智を支える、科学の力
鈴木 俊二、乙黒 美彩
一滴の雫に満たされている、数千年にわたる叡智……。
もはや国民的な飲み物の一つとなったワイン。近年、日本産ワインも急成長していることはご存知の方も多いと思いますが、さらに注目を集め始めているビオワイン、オレンジワインはご存知でしょうか。
ワインは、単なる嗜好品にとどまらず、人類が長い時間をかけて磨き上げてきた文化の産物として多くの人々を魅了し続けています。しかし、グラス一杯の背後には、ブドウ樹の生理、発酵微生物の働き、 果汁やワインに含まれる化合物の化学反応、といった、さまざまな科学的要素が複雑に絡み合っています。
ワインの原料となるブドウの最新の栽培技術、醸造技術から、おいしさ、香り、健康効果はもちろん、温暖化によるブドウ栽培の変化など、ワインの魅力を科学の言葉で説明した『最新 ワイン科学』(講談社・ブルーバックス)。本記事シリーズでは、この書から、興味深いトピックを選りすぐってご紹介していきます。
第1回となる今回は、本書の「はじめに」から一挙公開、ワインに凝縮された科学の力を解説します。
*本記事は、『最新 ワインの科学 芳醇な香りと味わいはどのように生まれるのか』(ブルーバックス)を再構成・再編集したものです。
科学的な知見が拓くワイン造りの現場
人類の歴史とともに歩んできた最も古い酒類のひとつがワインです。その起源は数千年前にさかのぼり、古代文明の中で宗教儀礼や医療、食文化の一部として重要な役割を果たしてきました。
ブドウという果実が発酵することで生まれるこの飲み物は、偶然の産物であると同時に、人類が長い時間をかけて磨き上げてきた文化でもあります。現代においてワインは、単なる嗜好品にとどまらず、地域の歴史や文化、そして人々の価値観を映し出す存在として、多くの人々を魅了し続けています。
しかし、ワインの魅力はロマンだけでは語り尽くせません。私たちは、ワインを科学の言葉で説明することを目指しています。グラス一杯の背後には、ブドウ樹の生理、発酵微生物の働き、果汁やワインに含まれる化合物の化学反応、といった、さまざまな科学的要素が複雑に絡み合っています。
近年、分析技術や分子生物学、ゲノム科学の進展によって、ワインの香りや味わいを構成する成分の正体や、それらがどのように生成されるのかが急速に明らかになってきました。かつては経験や勘に頼っていたワイン造りの現場も、いまや科学的な知見に裏打ちされた精緻な製造工程へと進化しているのです。
ワイン造りの現場も、いまや科学的な知見に裏打ちされた精緻な製造工程へと進化している photo by iStock
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数百種類以上の化合物が織りなすワインの奥深さ
例えば、ワインの香りひとつをとっても、数百種類以上の化合物が関与しています。
ブドウ果実由来の第一アロマ、発酵によって生まれる第二アロマ、そして熟成によって形成される第三アロマ。これらがどのように組み合わさり、私たちが感じるおいしさや複雑さを生み出しているのかは、まさに科学の探求対象です。
同時に、同じ品種・同じ年であっても造り手により味わいが異なるのはなぜかという問いは、テロワールや醸造技術といった要素を通じて、科学だけでは捉えきれない側面の存在を私たちに示してくれます。
こうした科学的理解が進む一方で、現代のワイン産業は大きな転換点に立たされています。
気候変動、持続可能性……岐路に立つワイン産業に、科学はどう応えていくか
その最大の要因のひとつが、気候変動です。
地球規模で進む気温上昇は、ブドウ栽培に直接的な影響を与えています。成熟の早期化による糖度の上昇と酸の低下、収量の不安定化、新たな病害虫のリスクなど、従来の栽培体系では対応しきれない課題が顕在化しています。その結果、品種の見直しや栽培地域の北上・高地化、さらには醸造工程の再設計といった、大きな変革が今、求められています。
地球規模で進む気温上昇は、ブドウ栽培に直接的な影響を与えている photo by iStock
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また、現代社会では持続可能性も重要なテーマとなります。化学農薬の使用削減、土壌や水資源の保全、生物多様性への配慮など、環境負荷を低減しながらワインを造ることは、もはや選択肢ではなく必須条件となりつつあります。新たな品種の作出や微生物資源を活用した醸造技術など、持続可能性を支えるために、科学は新たな技術を生み出し続けています。
世界的に酒類消費の伸びが鈍化するなかで、健康志向の高まりやライフスタイルの多様化により、ワインとの関わり方も変わりつつあります。ノンアルコールワインや低アルコールワインの市場は急速に拡大しており、「飲まない」「控える」という選択と、「ワインを楽しむ」という行為を両立させる新しい文化の醸成が求められています。
ここには、アルコール濃度を減らしながらもどのように「ワインらしさ」を表現するかという、新たな科学技術の課題が浮かび上がっています。
アルコール濃度を減らしながらも、「ワインらしさ」を表現するという、新たな課題が浮上している photo by iStock
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ワインに含まれた自然の営みと人類の知恵、そしてそれを解き明かす科学の力
ワインは、文化、経済、環境、そして科学といった多様な要素が交錯するダイナミックな領域にあります。これまでにもワインに関する優れた名著が先達たちによって著されてきましたが、今回出版した『最新 ワインの科学』は、それらとは一線を画し、「ワインを科学の言葉で理解する」という視点からその本質に迫ることを試みたものです。
本書では、ワインの歴史から始まり、ワインの味わいがどのように生まれるのか、ワイン用ブドウ品種の特徴、最新の醸造技術、健康に与える効果、ワインの未来図など、ワインについての知識を体系的に科学の言葉で解説します。
同時に、読者の皆さんがこれまで培ってきたワインへの知見や感覚を、科学の視点から補い、その奥行きをより深く理解していただけるように構成しました。
グラス一杯のワインの中には、自然の営みと人類の知恵、そしてそれを解き明かす科学の力が凝縮されています。本書を読み終えたあとには、一杯のワインを手に取り、香りを感じ、味わいながら、その背景に思いを巡らせてみてください。きっと、これまで気づかなかった新たな発見があるはずです。
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ワインは、その見た目や香り、味わいのすべてにおいて、私たちを魅了してやみません。その奥深さをひも解く鍵は、ワインに含まれる成分。次回は、ワインを構成する魅惑の成分を解説します。
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🍙22〗─10─資源のない軍国日本はイワシの魚油で火薬を作り松の松根油で軍用機を飛ばしていた。~No.136No.137
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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
軍国日本は、アメリカ・イギリスなどにある在外資産で必要な石油・食糧・戦略物資を購入し、輸送船を使って輸入していた。
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2026年8月30日 YAHOO!JAPANニュース クーリエ・ジャポン「大日本帝国の軍事拡張を支えた「意外な資源」─なぜイワシは爆薬になったか
大日本帝国が自国の軍事・産業基盤を築くために頼ったのは、現代でも日本人にとって身近な魚であるイワシだった。日本の歴史を研究する米国の研究者が、帝国主義時代のあまり知られていない一面にスポットを当てる。
【画像】大日本帝国の軍事拡張を支えた「意外な資源」─なぜイワシは爆薬になったか
軍需化学工業の要
石油、金、茶、スパイス。歴史上、さまざまな帝国が、これらの貴重な資源をめぐって興亡を繰り返してきた。
しかし、20世紀前半に台頭した大日本帝国が、自国の軍事および産業基盤を築くために依存したのは、もっと「魚臭い」資源──すなわち、イワシだった。
日本においてイワシは、古くから大衆魚として親しまれてきた。マイワシやカタクチイワシ、ウルメイワシなどは総称して「イワシ」として知られ、長年にわたり日本の食卓におなじみの食材であり続けている。
しかし、20世紀初頭の大日本帝国にとって、マイワシは単なる食べ物以上の存在だった。1868年の明治維新以降、日本は近代化と積極的な帝国建設に乗り出し、帝国主義国家としては後発だったものの、武力による侵略や併合を通じてアジアの広大な地域を支配下に置いていった。
大日本帝国を専門とする歴史研究者として、私は日本の帝国主義の形成において、マイワシがいかに重要な役割を果たしたかを明らかにしてきた。マイワシは脂肪分が多いため、漁獲量の大部分が魚油へと加工され、帝国の軍需化学工業における主要な原材料となったのだ。
領土拡大の動機
化学工業においてマイワシの需要が高まるまで、魚油は長年、魚を肥料へと加工する際の「副産物」にすぎなかった。この油はもともと、総合商社の鈴木商店を通じてヨーロッパへ輸出されており、現地では「水素添加」と呼ばれるプロセスを経て、無臭の固形脂肪である「硬化油」へと加工されていた。
この技術が日本に導入されたのは、1910年代初頭のことだ。硬化油は化学処理を経て、ダイナマイトの主成分となるニトログリセリンの原料へと姿を変えた。
魚油を軍事兵器の製造に利用することは、日本独自の試みではない。実際のところ、これは20世紀初頭の帝国主義戦争における世界的な潮流であり、ナチス・ドイツなどでも同様の動きが見られた。
マイワシを軍需資源に採用した結果、日本は日本列島を飛び出してこうした天然資源を追い求めなければならなくなった。大日本帝国にとって、イワシと帝国建設の関係には二つの側面があった。領土を拡大すればイワシの漁獲量が増え、その結果、戦時体制により多くの油を供給できるようになる──。
そして、この循環の鍵を握っていたのが、朝鮮半島周辺の海域を支配下に置くことだった。
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「父は、日本兵に自分の指を切り落として投げつけて、抗議しました」イタリア人女性作家が語る「日本の強制収容所で過ごした第二次世界大戦」
アメリカ人に“サメマニア”が多いのは、第二次世界大戦がきっかけだった
第二次世界大戦中に強制収容された日系アメリカ人全員の名簿「Ireichō」
「第二次世界大戦最後の作戦」の戦闘機乗りは、いかにして「かつての敵」を愛するようになったか?
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ウィキペディア
松根油(しょうこんゆ、pine root oil)は、マツの根を低温で乾留することで得られる油状の物質の総称。狭義には松根テレビン油のことをいう(松根テレビン油についてはテレビン油を参照)。他方でマツの幹部(松幹)を原料とする場合には、厳密には松幹油(pine stem oil)あるいは松炭油(pine charcoal oil)と呼ぶべきところ、松根油にまとめられる場合が多い。他方、落葉松の葉を乾留した針葉油(pine needle oil)は松根油とは区別されている。なお、テレビン油生産の原料としては、後述のように松の幹から採取される松脂(松ヤニ)を利用する例もある。
アジア・太平洋戦争中の日本では航空用ガソリン(航空揮発油)の代替物としての利用が試みられたが、非常に労力が掛かり収率も悪いため実用化には至らなかった。
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🍘74〗ー1ー安全な国でなくなった日本が若者を「自助」で追い詰める危険。~No.208No.209
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2026年8月27日 MicrosoftStartニュース ニューズウィーク日本版「もう「安全な国」でなくなった日本が、若者を「自助」で追い詰める危険さ
© ニューズウィーク日本版
<電車内での無差別殺傷事件で治安が不安視されるようになった日本に、テロの恐怖を知るフランス人筆者が伝えたいこと>
「日本に住むのはどう?」。初めて会った日本人と雑談をすると、必ず出てくる質問だ。私はいつも「住みやすい国だよ。便利で安全だから」と答える。
パリで10年間暮らした私にとって、確かに東京は住みやすい大都市だ。パリをエッフェル塔の上から見ると圧倒的に奇麗だが、街を歩くと汚いところ、怖いと思うところ、不便なこと、あるいは危険だと思う場面が多すぎる。特に女性にとってはそうだ。
日本の治安の良さや電車の利便性などはやはり非常に魅力的だ。でも残念ながら、最近はこの国でも電車に乗ることへの不安を感じるようになった。特にまだ小さい息子たちと一緒にいるとき、私は100%安心はできない。みんなも同感だと思うが、無差別殺傷事件が数回起きているからだ。「死んでもいい」と思う犯罪者から自分の身を守るのは、ほぼ不可能だ。
私は1990年代にパリに住んでいたが、95年を中心に何度もテロ事件があって、その年だけでもRER(首都圏高速鉄道)で2回のテロがあった。爆弾やガスなどを使ったテロで、本当に怖かった。近年の日本でそうした方法によるテロはないが、刃物や液体など、誰でもどこでもいつでも買うことができる物によるテロが起きている。
事件が続く日本に伝えたいこと
総選挙の日に起きた京王線の車内での事件もそうだった。これから同じような事件が起きてもおかしくないと思うから、いくつか指摘しておきたい。
1. マスコミは、事件の容疑者の映像を繰り返し放送するのをやめてほしい。目にした大人も子供もトラウマになりやすい。しかもそれは容疑者が最も喜ぶことだ。事件の詳細もあまり説明しないほうがいい。簡単な方法であればあるほど、「私もやろう」と思う人が出てくる。
2. 現場で逃げる人々の映像は警察の捜査にとっては重要な材料だが、ニュースなどで放送しなくてもいいのではないか。そうした場面も、一部の人には悪影響を及ぼす可能性が高い。放送するなら「ショックを与える場面がある」と事前に警告すべきだ。
3. 事件に巻き込まれた人々への精神的サポートが必要だ。テロを何度も経験したフランスは、ケガの有無を問わず、現場にいた人々の精神的サポートに力を入れる。その面で、日本は遅れていると感じられる。
また、なぜそんな事件が起きたのか、どうやって防ぐことができるのかを国民一人一人が考えるべきだと思う。
なぜ希望を完全に失った20代の若者がいるのか。それを探ることが最重要課題だ。平和な時代の民主主義の国で、「仕事や人間関係がうまくいかない」から「死にたい」「死刑になりたい」などと言う人がいるのは、極めて大きな社会問題だ。
日本で事件を起こすのは、無職の人が多い気がする。一時の状況であっても仕事がなければ社会に参加できず、ほぼ「非社会人」の状態になってしまう。仕事がない原因はさまざまだから、「ゴミ。捨てていい。何もできない人間だから」と結論付けるのは間違いだ。でも日本では人生のパターンが決まっていて、その道をうまく進めない人は社会から追い出されるリスクが高い。
そのうえ政府が「自助」を強調すれば、社会にSOSを出すために他人を殺そう、と思ってしまう若者が出てきてもおかしくない。国は「まず自助」ではなく、真逆のメッセージをできるだけ早く出すべきだ。それは「何か悩みがあったら、直ちに相談してください。社会と国が君を助けるから」ということ。
つまり「まず自助、次は共助、最後に公助」と順番をつけるのではなく、「自助・共助・公助」を同時に動かしてほしい。時間がないのだから。
西村カリン
KARYN NISHIMURA
1970年フランス生まれ。パリ第8大学で学び、ラジオ局などを経て1997年に来日。AFP通信東京特派員となり、現在はフリージャーナリストとして活動。著書に『不便でも気にしないフランス人、便利なのに不安な日本人』など。
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💫10}─3・D─人類の大移動を実現したベーリング陸橋。2万2000年前。~No.80
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2026年8月28日 YAHOO!JAPANニュース ダイヤモンド・オンライン「【アメリカ史の謎】2万2000年前、人類の大移動を実現した「ベーリング陸橋」とは?
アメリカ大陸に人類がやってきたのは、今から約2万2000年前。氷河時代、海面が下がって現れた「ベーリング陸橋」を渡り、アジアから人々が移動したと考えられている。だが、これは数ある仮説のひとつにすぎない。人類はなぜ新天地を目指し、どのようにアメリカ大陸へたどり着いたのか。マンモスを追って暮らした狩猟採集民の足跡を、『アメリカの中学生が学んでいる 14歳のアメリカ史』から紹介する。
● 大移動
南北アメリカ大陸には、科学者たちが考えていたより、はるか昔から人が住んでいた。紀元前2万年ごろ(紀元前は西暦1年より前、ということ!)、つまり2万2000年前には、初めて人がやってきた。
これらの人々は、遊動狩猟採集民だった。動物の群れを追いかけて移動を繰り返しながら、狩りをしたり、植物を採集して食べたりしていた。全人類の祖先と同じように、アフリカで誕生し、数千年後にアジア大陸を東や北に移動した。ある集団が、ひとつの場所から別の場所に移動することを、大移動と呼ぶ。
● 氷河時代とベーリング陸橋
遊動狩猟採集民が暮らしていた氷河時代は、地球の広い範囲が氷と雪におおわれ、海も凍っていた。陸の氷が増えると海面が低くなり、もっと暖かい気候では水没している陸地が現れる。アジア北東の端と現在のアラスカを結ぶ陸地、ベーリング陸橋(またはベーリンジア)も現れた。
陸橋説によると、遊動狩猟採集民は、主に食料を求めてこの陸橋を渡り、アジアから北アメリカ(現在のアラスカ)にたどりついた。アメリカ大陸には、毛におおわれたマンモスやマストドンといった巨大な動物がたくさん生息していた。たった1頭つかまえれば、ひとつの集団の全員が何カ月も食べていけた。
陸橋説は、たくさんある仮説のひとつだ。人々がどのようにアメリカ大陸へ渡ったのかについては、科学者たちのあいだでまだ結論が出ていない。
陸橋説によると、人々は紀元前1万500年ごろまでベーリング陸橋を渡り続けていた。これは、約10万年にわたって続いた最後の氷期がついに終わりを迎えた時期までだった。海面が上昇してベーリング陸橋が水没すると、アジアからの大移動はできなくなった。氷河時代の動物は死ぬか、猟によって絶滅した。代わりに、より温暖な気候でも生きていける小型の動物が増え、人々の食生活と生活様式が変化した。
ワークマンパブリッシング/須川綾子
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