🗡19〗─1・B─ゼロ戦は現代風の一点豪華主義だけではなかった。~No.59 

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 2024年4月27日 MicrosoftStartニュース 乗りものニュース「「そんなバカな!?」第二次世界大戦の“奇抜な爆撃作戦”3選 零戦も真価を発揮!
 斎藤雅道(ライター/編集者)
 航空機を使った大戦中画期的だった爆撃作戦!
 【動画】「まさか!」の爆弾 水を跳ねていく「ダム攻撃専用ボム」
 国立アメリカ空軍博物館に展示されるドーリットル隊長機のB-25(画像:アメリカ空軍)。
 © 乗りものニュース 提供
 戦場では、時に相手に「バカな!?」と思わせる作戦が展開されます。それは古代から近世はもちろん、航空機が誕生し、戦い方が三次元的になった20世紀以降も変わらず、特に第二次世界大戦中はそうした奇抜な作戦が多数展開されました。その中でも、航空機をもちいた画期的だった作戦3選を紹介します。
 「まさか空母から爆撃機が飛ぶなんて!?」アメリカ軍ドーリットル空襲
 日本軍相手に太平洋の各地で劣勢が続くさなかの1942年4月18日、アメリカ軍は日本本土に初めての空襲を行いますが、その方法はかなり奇抜なものでした。なんと空母「ホーネット」に本来載るはずのない、双発の爆撃機B-25を計16機積んで、爆撃を試みたのです。
 この作戦では、比較的単距離で離陸できる双発爆撃機のB-25を使い発艦した後、日本本土を爆撃。着艦は不可能だったため、爆撃後は日本を横断し、大陸の中華民国勢力圏に着陸する計画が建てられました。
 アメリカはこのために、B-25を改造して燃料タンクを増設すると同時に、2月下旬頃から搭乗員を選抜し、フロリダ州のエグリン飛行場で秘密裏に猛訓練を行っていました。また、日本ほどではないですが、決して仲がいいともいえない当時のアメリカ陸海軍が戦意高揚のためと、珍しく共同で行った作戦でもあります。なにがなんでも日本に精神的ダメージを与えようという目的のもと考案された作戦です。
 実はこの空襲の直前、日本は「ホーネット」と「エンタープライズ」が活動していることを知っていました。しかし、当時のアメリカ海軍の空母艦載機は航続距離が短く、本来ならば爆撃のためには空母を日本近海に寄せる必要がありました。まさかそれより航続距離の長い、陸上で運用する爆撃機を空母から飛ばしてくるとは思わず、攻撃があったとしても翌日だろうと楽観していたのです。
 被害に関しては、のちの本土空襲に比べれば軽微なものでしたが、それまで戦勝気分だった日本に大きな衝撃を与えます。
 「なんでこの距離で護衛機が!?」日本海軍によるクラーク、イバ両飛行場への爆撃
 日本時間1941年12月8日に実行された日本海軍の機動部隊による真珠湾攻撃は、日米開戦を告げると共に、航空戦力の有効性を知らしめる事件でもありました。しかし、この攻撃の4時間、ある意味では真珠湾攻撃以上に戦局を有利に進めるための、重要な作戦が行われました。フィリピン ルソン島中西部にて、アメリカ軍航空戦力の一大拠点となっていたクラーク、イバ両飛行場への爆撃です。
 この爆撃は、「零戦」こと零式艦上戦闘機の航続距離の長さが遺憾なく発揮された戦いでもありました。当時、両飛行場には長距離爆撃の可能なB-17が多数配備されており、台湾などの飛行場やマレー半島で作戦中の部隊には脅威でした。
 そこで、日本海軍航空隊は開戦と同時に打撃を与えようと、台湾から飛ばした陸上攻撃機での空襲を計画。その際、迎撃に上がったアメリカ軍機から攻撃機を守るため、なんと、零戦を護衛につけることを考えます。
 台湾からクラーク基地までは約830kmあり、当時の常識では護衛して空戦はおろか、たどり着ける戦闘機はないと思われていました。しかし、当時の日本海軍主力機である零戦二一型は、新開発した落下増槽などを組み合わせると、なんと約3000kmの飛行が可能で、現地で数分間空戦しても帰還できました。
 落下式増槽を搭載した零戦(画像:パブリックドメイン)。
 © 乗りものニュース 提供
 そのため、迎撃に上がったアメリカ軍は戦闘機(零戦)の護衛がついていたことに驚きます。この爆撃は完全に意表をつくことになり、護衛機がいないと思っていた守備隊は混乱。1日で両飛行場の戦力は半減しました。アメリカ軍は当初、近海に空母がいると思ったそうです。
 この成功体験が影響し、日本は後に同機の航続距離を頼りにしすぎた無茶な作戦を立案していくことになってしまいますが、このときは、かなり効果的な作戦となりました。
 「まさかダム攻撃専用の爆弾を投入するとは」イギリス空軍の「チャスタイズ作戦」
 1943年5月17日に実行された「チャスタイズ作戦」は、ドイツ工業地帯のダムの破壊を目的としたいわゆるインフラ破壊の作戦でした。
 当時、厚いコンクリートで覆われたダムを破壊するのは魚雷が一番有効といわれていましたが、ドイツの工業地帯にあるダムは、魚雷防御網によって守られていたために、有効な攻撃を与えることは困難でした。また通常の爆弾を使った場合もダムのコンクリートにダメージを与えるのはかなり難しいものでした。
 そこで考え出されたのが「反跳爆弾」です。爆撃機投下タイプの爆雷が、水面を水切りの要領で跳ねることでダム壁面近くの水面に到達し、そこで沈んで爆発するというものでした。この爆弾はもともと艦艇攻撃用に考え出されたものでしたが、対ダム攻撃としても、魚雷防御網を飛び越えて攻撃できるため有効と判断されました。
 作戦にはイギリス空軍第617飛行中隊所属の19機の特別改造されたアブロ・ランカスター爆撃機を使用。大胆にも当時は敵であるドイツ軍の勢力圏だったオランダ上空を横断してルール地方に到達し、計3波にわけて、メーネ・ダム、エーデル・ダム、エンペネ・ダム、ゾルペ・ダムへの攻撃を実行します。
 19機中8機が未帰還という損害を受けつつも、メーネ・ダム、エーデル・ダムの破壊に成功します。まさか新型爆弾で攻撃されるとは思っていなかったドイツ軍は、その威力を目の当たりにし、森の中で発見した不発弾を元にコピーを試みますが、結局ドイツの敗戦までに量産されることはありませんでした。
 攻撃で破壊されたメーネ・ダム(画像:イギリス空軍)。
 © 乗りものニュース 提供
 なお、作戦を行ったイギリス空軍の第617飛行中隊はその後、ドイツ潜水艦基地の堅牢な構築物を破壊する作戦に重さ5トンの大型爆弾「トールボーイ」を搭載し参加したほか、戦艦「ティルピッツ」の攻撃に貢献するなど数々の戦役を残します。戦後もイギリス国内では「ダムバスターズ」の愛称で知られることになり、2024年現在でも隊は存続、F-35Bを愛機としています。
 【動画】「まさか!」の爆弾 水を跳ねていく「ダム攻撃専用ボム」
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 ゼロ戦は、日本人らしい、世界の軍事常識に囚われず縛られずいともたやすく飛び越えた破壊的イノベーションも革新的リノベーションの傑作機であり、1990年代以降の世界常識の発想に縛られた日本では絶対に作れない兵器である。
 つまり、奇蹟のような戦闘機であった。
 一点豪華主義的発想しかできない現代日本人には、その真価が理解できない。
 アメリカが、日本を怖れ、日本を潰そうとした理由はここにある。
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