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2024年5月1日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「「間違いなく国の形を変えた」...国鉄の民営化に隠された知られざる衝撃の真実
安倍元首相が国士と賞賛した葛西敬之が死の床についた。政界と密接に関わり、国鉄の民営化や晩年ではリニア事業の推進に心血を注ぎ、日本のインフラに貢献してきた。また、安倍を初めとする政治家たちと親交を深め、10年以上も中心となって日本を「事実上」動かしてきた。
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本連載では、類まれなる愛国者であった葛西敬之の生涯を振り返り、日本を裏で操ってきたフィクサーの知られざる素顔を『国商』(森功著)から一部抜粋して紹介する。
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見直されてこなかった民営化の実態
国鉄改革とはいったい何だったのか。運輸鉄道行政に携わってきた関係者のあいだでは、そんな素朴で根源的な疑問が今でもときおり話題にのぼる。
1980年代、日本の中曽根康弘が英首相のマーガレット・サッチャーや米大統領のロナルド・レーガンの唱える官から民へという市場開放路線の潮流に同調したのは、巷間指摘されている通りであろう。
わけても米大統領と「ロン」「ヤス」なる愛称で呼び合う盟友関係で知られた親米の首相はレーガノミクス、市場開放要求に応じて三公社五現業の民営化を打ち出した。その中曽根行革のメイン政策が国鉄の分割民営化であり、それは同時に国労潰しでもあった。
いまや市場開放政策は行き過ぎた新自由主義とたびたび非難される。その本家である米英は市場原理主義による競争の結果として生まれた巨大企業に歯止めをかけてきた。古くはグラハム・ベルの興したベル電話会社を発祥とするAT&Tが米国の通信市場を独占し、何度も分社化を迫られてきた。最近では、GAFAと呼ばれるIT業界のマンモス企業4社も独占禁止法や税制面で米当局の締め付けに遭っている。
つまるところ、政治の思惑が働く国策である。民営化にしろ、分社化にしろ、それが行き過ぎれば、軌道修正しなければならない。日本の国鉄改革もまさに国策だ。しかし、その見直しはおろか、検証すらほとんどなされてこなかった。
実力派運輸族が語る国鉄改革の内情
1998(平成10)年7月に発足した小渕恵三内閣で運輸大臣を務め、自民党運輸族の実力議員として国鉄改革に携わってきた川崎二郎に聞いた。こう振り返る。
「国鉄の民営化は私がまだ衆院2回生のときでした。中曽根改革のトップが長谷川峻(運輸大臣)さん、自民党には加藤六月さんや三塚博さんがいて、私はいちばんペーペーとして国鉄改革に加わった。そこから国鉄の年金債務処理や完全民営化を見届けました。国鉄改革は葛西さんの持っている胆力が分割民営化を方向づけたことは間違いない」
話を聞いたのは2021年4月、川崎が政界引退を発表する少し前だった。祖父が戦前の立憲民政党代議士だった川崎克、戦後の自民党で厚生大臣を務めた川崎秀二を父にもつ三代目議員の川崎自身は、松下電器のサラリーマンから政界に転じ、厚労大臣を務めている。労働問題にも詳しい。
「結論としていえるのは、国鉄の分割民営化が日本における労働問題の形を変えたということです。日本の労政(労働政策)における最大のイベントは春闘であり、春闘を牽引してきたのが国労でした。国鉄は事実上の破綻企業で金もないのに、職員の給料を上げろ、とストライキをやる。
この対処は本来、労働大臣の仕事のはずですが、実際に春闘にかかわるわけではありません。それは、国鉄のストライキが政府、大蔵省への要求だからです。したがって労働大臣ではなく、官房長官、官房副長官が前面に出て官邸がストをさばいてきた。国鉄のストライキはまさに政治と国鉄のぶつかり合いだったわけです」
川崎はこうも言う。
「私のいた松下電器でもそうですが、日本の労働界では国鉄に連動して他の産業が追随していった。私鉄がストライキを打ち、電機だ、自動車だ、と組合運動が広がっていったわけです。他のストライキは労使間の合法の闘いですが、国鉄の場合は違法ストライキ。それでも春闘という名目の下、国鉄の尻にくっついて多くの企業が連動していきました。そんな時代でした」
分割民営化は日本に何をもたらしたのか
そして中曽根による国鉄の分割民営化について次のように評価する。
「そういう日本の労働界の構造を中曽根さんが国鉄の分割民営化で叩き割っちゃったんだ。結果、わが国にストライキがなくなった。中曽根改革の最大の成果は何か、と問われたら、そこではないでしょうか。
国鉄分割民営化が日本の国の形を変えたといってもいい。小泉さんがあれだけ騒いだ郵政民営化は何も変えてないけど、中曽根さんのやった国鉄改革により、労使が主体的に話し合う労働の時代になった。葛西さんたちがそれを手伝ったわけです」
国鉄では、井手正敬、松田昌士、葛西敬之の3人が中心となり、社内で経営再建について非公式な若手勉強会を開いてきた。そこで「会社の分割についても研究すべきだ」と唱えた一人が葛西だ。
ちなみに「国鉄改革三人組」という呼び名は、今では改革派の代名詞のように好感を持って受け止められている。だが、決して褒めて名付けられたわけではない。
国鉄内における呼び名の由来は、毛沢東のもとで中国の文化大革命を先導して罪に問われた江青や王洪文らの「四人組」だという。当初は改革が付かない単なる「三人組」であり、毛沢東イズムを押し付けようとした罪人のようなイメージで、改革に反対する経営側が名付けたものだとされる。
川崎はこうも指摘した。
「つまるところ、国鉄の最大問題は何だったかというと、抱えた借金とストライキであるわけです。その二つを解決するためには民営化と地域分割が必要だった。国鉄社内も割れたけど、自民党でも、そこで三塚さんと加藤さんがずいぶんやり合った。しかし、仮に今のJRが分割されずに一つのままだったとしたら、JR労組がいまだ権力を持っているでしょう。分割されたからこそ権力を保てなくなった」
改めて国鉄分割民営化が決定するまでの暗闘を振り返った。
『日本の実権を握り続けた田中角栄の黒すぎる「本性」とその裏にいた衝撃の「人物」』へ続く
森 功(ジャーナリスト)
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政府が今になって認めた旧国鉄「分割・民営化」の失敗
7年前の投稿 2018年5月13日
JR東海がリニア新幹線で「第二のJR北海道」になる懸念
「貨物も入れて7分割して、これが黒字になるか。なるのは三つで、他のところはならないと当時からみんな言っていたんです。鉄道関係者なら例外なく思っていましたよ。分割も反対、みんな突っ込みでやるべきと」——。
これは2月8日、衆議院予算委員会での麻生太郎・副総理兼財務相の答弁だ。国鉄が解体され、「分割・民営化」でJR7社が発足してか↘ら4月で30年を迎える前に、財務大臣からこのような認識が示されたことは驚くべきであろう。政府が自ら今になって、「分割・民営化」は事実上失敗であったと認めたのだから。
麻生は答弁で、「JR九州の全売上高がJR東日本品川駅の1日の売上高と同じ。はい、知っていた人は?ほとんど知りませんよね。JR四国は幾らですかといったら、田町駅と同じなんですよ、売上高が。1日の売り上げだよ。それは勝負になりませんがな」とも指摘。「(分割・民営化は)国鉄という商売の分かっていない方で、やはり学校秀才が考えるとこういうことになるんだという典型」だと、こき下ろしている。
JR北海道は「惨状」の象徴
JR7社の経営状態を見れば、恐らく麻生の答弁は決して的を外れてはいまい。だが、「分割・民営化」が起因して約200人の国鉄職員が自殺し、国鉄からJRに雇用されず事実上の解雇処分を受けて「国鉄清算事業団」に送られた数が7628人。さらに、3年後の同「事業団」解散後もJR採用を求めて拒否された職員が1047人にも上った凄惨な経過を見ても、麻生は気軽に「経営が分かっていない人がやるとこういうことになる」などと言えるのか。
そして、30年経った「分割・民営化」の惨状を象徴しているのがJR北海道だろう。3年の間に社長経験者が2人自殺しているが、2016年3月期の決算書によれば、鉄道事業での営業損失は483億円に達し、22億円の経常損失を計上した。17年3月期決算は営業損失が533億円、経常損失は235億円へとさらに悪化する見込みだ。
すでにJR北海道は、社として毎年400億円の営業赤字を計上し、170億円以上の経営赤字を出し続けるとの見通しを発表。「早晩企業として事業の継続が出来なくなり、鉄道サービスを提供するという当社の使命を果たすことが出来なくなってしまう」と、もはや展望が喪失した現状を認めている。
さらに同社の島田修社長は昨年11月、「自力では鉄道の維持が困難な線区」が、営業している2568・7㌔㍍中、半分に等しい1237・2㌔㍍あると公表。そうした線区の扱いを「道や沿線自治体、国などと協議したい」と、事実上サジを投げた。国からの支援を含め打開策は現在まで絶望的で、このままだと北海道の鉄道は東部・北部から消滅し、明治時代に逆戻りする。
これほどの重大事が北海道以外でさしたる報道もないのは、「分割・民営化」の答申を出した第二次臨時行政調査会(第二臨調)の会長だった土光敏夫の「人気」にあやかってか、大手メディアが全てこの「分割・民営化」を「国鉄改革」と同一視して翼賛・推進したからだろう。麻生が認めたように、北海道で単体としての鉄道事業体が成り立つ条件は最初から無かったにもかかわらずだ。
だが、公共の鉄道事業を巡る別の破綻が既に用意されているという事実に対しても、大手メディアの反応は鈍い。黒字3社の一つ、JR東海が計画している、「リニア中央新幹線」のことだ。安倍晋三首相はこれを「成長戦略の目玉」扱いしているが、この計画を精査すればするほど、「分割・民営化」と同様の取り返しのつかない巨大な失敗となる可能性が浮かんでくる。
「リニアは絶対にペイしない」
JR東海の葛西敬之名誉会長が、「国のカネでつくると実現に時間がかかるし、政治介入を招く。経営の自主性を守るために自己資金でリニアをつくることを決断した」と書いた自著『国鉄改革の真実』を発刊したのは、07年のこと。だが、13年9月の記者会見で、JR東海の山田佳臣社長(現・会長)は「リニアは絶対にペイしない」という趣旨の発言をし、社内でも異論のある内情を窺わせたが、国土交通省は翌14年10月、「会社の資金繰りに問題はない」として、JR東海が申請していた品川—名古屋間のリニア中央新幹線の工事実施計画を認可した。
ところが16年6月になって、安倍首相は突如、「リニア建設に財政投融資を活用する」と発表。しかも、本来は政府系特殊法人の「財投機関」しか融資されないはずであったのに、同年10月にろくな議論もないまま、独立行政法人「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」への融資を可能とするための法改正が国会で成立し、JR東海は同機構を通じて計3兆円の融資を受けられることになった。しかも「無担保」「年利0・6〜0・8%」「据置期間30年」という、破格の条件でだ。
これでは、公的資金を使った一企業への経営支援に他ならない。安倍首相は、リニア建設が「国家的プロジェクト」「大型公共事業」だとして3兆円の融資を正当化しているが、「分割・民営化」を強行した中曽根内閣と同様の杜撰さだ。
まず、品川—名古屋間のリニア開業は2027年が予定されているが、本格着工には至っていないにもかかわらず、開業に必要とされる5・5兆円のうち会社が工面できる2・5兆円の残り3兆円が、異様な緊急ぶりで融資された。しかも、3兆円で収まる可能性は低い。工事自体、南アルプスの地下にトンネルを通す超難工事となり、発生する5700万立方㌔㍍もの建設残土の処分先が決定しているのは2割弱。それ以前に、必要な道路の拡幅工事や車両の重量制限をクリアするための補強工事が果たしてどれだけの負担になるか、ほとんど知られていない。
前述の麻生は昨年10月の衆議院予算委員会で、45年に大阪まで延長される総経費とされる計9兆300億円の工事費見積もりが妥当なのかどうかに関し、「それまで生きている保証がありませんので、何とも分かりません」と放言した。これでは融資額3兆円の根拠も怪しく、「大型公共事業」の常として当初の工事費・採算の見積もりが狂っても、ズルズルと税金を投入するこれまでの悪癖が繰り返されかねない。旧国鉄の放漫経営と、どう違うのか。
JR東海が09年12月に国交省に提出した調査結果では、リニアによる年当たりの増収2720億円に対し、維持費・設備更新費は計4290億円もかかる。「絶対にペイしない」のは当然だ。しかも、JR東海の収益の9割を稼ぐ東海道新幹線は、人口減で60年までに需要が3〜4割減少することが見込まれている。未だ実用化に数々の疑問が残るリニアに何兆円も投じたら、JR東海が第二のJR北海道になりかねない。もうこの国には、「失敗の学習効果」は残っていないのか。 (敬称略)
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2024年5月2日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「日本の実権を握り続けた田中角栄の黒すぎる「本性」とその裏にいた衝撃の「人物」
安倍元首相が国士と賞賛した葛西敬之が死の床についた。政界と密接に関わり、国鉄の民営化や晩年ではリニア事業の推進に心血を注ぎ、日本のインフラに貢献してきた。また、安倍を初めとする政治家たちと親交を深め、10年以上も中心となって日本を「事実上」動かしてきた。
【漫画】「しすぎたらバカになるぞ」…性的虐待を受けた女性の「すべてが壊れた日」
本連載では、類まれなる愛国者であった葛西敬之の生涯を振り返り、日本を裏で操ってきたフィクサーの知られざる素顔を『国商』(森功著)から一部抜粋して紹介する。
『国商』連載第13回
『「間違いなく国の形を変えた」...国鉄の民営化に隠された知られざる衝撃の真実』より続く
動かない分割「入口論」
中曽根康弘は1980(昭和55)年7月、大平正芳の急逝を受けて発足した鈴木善幸内閣で行政管理庁長官に就任し、行政改革に着手した。行政管理庁はその名称通り、戦後、日本の行政機構のあり様を管理、検討する臨時組織として創設された。鈴木内閣では翌1981年3月、諮問機関として第二次臨時行政調査会を設置し、東芝元会長の土光敏夫が第二臨調の会長に就任する。国鉄改革はここから動き始めた。中曽根が長官に就いた行政管理庁は、のちに第二臨調の提言により官僚人事を管理するようになる。総務庁の前身だ。
ちなみに第二臨調と呼ばれるのは、61年11月に池田勇人内閣が行政改革を目指して設置した第一臨調の次に設置されたからだ。81年7月、国鉄民営化を担う第二臨調の第二特別部会が第四部会に再編成され、第二特別部会長だった慶大教授の加藤寛がそのまま第四部会長となる。部会長代理には元運輸事務次官の住田正二が就いた。住田はのちのJR東日本の初代社長だ。
7月30日、第二臨調が第三次答申で公社制度を改め、分割・民営化が必要であるという方針を打ち出した。このとき第二臨調第四部会長の加藤の提唱した国鉄分割論が初めて世に出たのである。第二臨調の答申を受けた鈴木内閣は9月24日、「日本国有鉄道の事業の再建を図るために当面緊急に講ずべき対策について」と題し国鉄改革の閣議決定をした。5年以内の事業再建を目指し、職場規律の確立や新規採用の原則停止など10項目の緊急対策に取り組むとした。
もっともこの時点で、政府による国鉄分割民営化の方針が固まっていたわけではない。むしろまだ民営化の是非すら定まっておらず、分割どころではなかった。分割については「民営化と同時の5年以内」という「入口論」と、「経営改善計画」を優先して経営の再建を図り、それが無理だったら分割民営化するという「出口論」の二つに分かれていた。第二臨調の加藤たちはすぐにでも分割民営化すべきだという入口論者だった。
が、国鉄社内はもとより自民党の運輸交通部会でも出口論が主流で、鉄道を民間に任せるべきではない、という強硬論も根強かった。三人組のなかでさえ葛西が一人、分割を検討すべきだと主張していたに過ぎない。行政管理庁長官だった中曽根もまた、民営化は必須だと考えたが、入口論を強く主張したわけではない。
この国鉄分割論に立ちはだかったのが、田中角栄であり、加藤六月である。
「闇将軍」の暗躍
ロッキード事件という歴史に残る大疑獄を引き起こしたにもかかわらず、田中は公判が始まると、事件を追及した首相の三木武夫おろしを画策し、その影響力はますます増した。事実、三木政権は短命に終わり、福田赳夫が首相に就く。福田はかつて田中と総裁選を争ったライバルだが、首相の座に就けたのは三木おろしで田中と共闘したからだ。それまで今太閤と呼ばれ自民党最大派閥を率いた田中は、そこから闇将軍に呼称が変わる。呼び名通り、次の大平正芳、その次の鈴木善幸、と首相たちを裏で操っていく。
そして大平、鈴木に続き、田中の支持を取りつけた中曽根が82年11月、第一次政権をスタートする。弱小派閥の領袖に過ぎなかった中曽根は、まさに田中の庇護の下で政権を握ることができた。米公文書で明らかになったように、佐藤栄作政権で防衛庁長官を務め、田中政権誕生後に科学技術庁長官に登用された中曽根自身、ロッキード事件にも深くかかわっていた。事件が発覚すると、米国務長官のキッシンジャーと裏交渉してきた中曽根が、闇将軍に逆らえなかったのは想像に難くない。
鈴木内閣時代に第二臨調が打ち出した「5年以内の分割民営化」を受けた閣議決定は、あくまで「5年以内の事業再建」であり、分割するとはいっていない。つまり曖昧のままだ。この間、自民党は1982年2月に「国鉄再建に関する小委員会」を立ち上げた。福田派、清和会の三塚博が国鉄再建小委員会の委員長に就き、「三塚委員会」と呼ばれるようになる。三塚は第一次中曽根政権でも委員長を続投した。
発足したばかりの中曽根内閣では、国鉄再建監理委員会の設置等について定めた「日本国有鉄道の経営する事業の再建の推進に関する臨時措置法案」を国会に提出し、成立させた。いわゆる国鉄再建臨時措置法が83年5月13日に成立して6月10日に施行され、中曽根は同時に自らの諮問機関として「国鉄再建監理委員会」を立ち上げた。
その初会合で住友電工会長の亀井正夫が第二臨調会長の土光敏夫に指名され、再建監理委員会の委員長に就く。また第二臨調第四部会長の慶大の加藤寛が委員長代理となる。亀井は第二臨調で分割民営化を唱え、加藤はその理論的支柱となって二人で国鉄分割民営化の旗を振ってきた。一方で中曽根は12月に内閣改造をして第二次内閣をスタートさせ、政権基盤を安定させていった。
しかし、この時点でもなお、中曽根政権は5年以内の分割民営化という入口論までは踏み込めなかった。それは田中をはじめとした自民党運輸族議員の主流派が分割に反対してきたからにほかならない。
前述したように、国労失墜のきっかけとなる国鉄職員のスト権ストを巡っては、自民党内が首相の三木などそれを容認するハト派とストをつぶそうとするタカ派に割れた。このとき金権政治を批判する三木と対立してきた運輸族のボスである田中角栄は、国労にある種のシンパシーを抱いていたため、微妙な立場に置かれた。
田中は国鉄でマル生闘争を指揮した国労委員長の細井宗一の戦友だった。田中と細井はともに新潟県出身の同郷で同じ歳でもある。戦中は細井が盛岡騎兵第3旅団24連隊の士官候補生、田中は徴兵でそこに入隊した一兵卒に過ぎなかった。上官にあたる同郷の細井は田中に目をかけ、何かと面倒を見た。そんな二人の関係は戦後もずっと続き、細井は田中の目白邸にフリーパスで出入りできる間柄になる。田中は国鉄に限らず、労働問題全般について常に細井のアドバイスを受けてきた。
田中は国労の息の根を止めるような国鉄分割民営化には徹底して反対した。
『干された社内の改革派...国鉄分割に反対した日本政界の権力者・田中角栄の「隠された」真意』へ続く
森 功(ジャーナリスト)
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国鉄分割民営化は、第3次中曽根内閣が実施した行政改革である。日本国有鉄道(国鉄)をJRとして、6つの地域別の「旅客鉄道会社」と1つの「貨物鉄道会社」などに分割し、民営化するもので、これらの会社は1987年(昭和62年)4月1日に発足した。
このほか、同時期に日本電信電話公社や日本専売公社を含めた三公社の民営化が自由民主党によって進められた。
目的
巨額債務の解消と政治介入の排除
JRおよび私鉄の輸送キロ推移(旅客/貨物)
モータリゼーションの進展による地方での「国鉄離れ」が進んだことに加え、国が戦争引揚者の雇用対策として、国鉄で大量に採用させた職員の人件費が上昇したことより、1964年(昭和39年)日本国有鉄道として赤字に転落した。同年は東海道新幹線の開業した年でもある。昭和40年代後半には、生産性改善運動である『マル生運動』の失敗などもあり、労使関係が悪化して順法闘争やスト権ストが発生した。
日本鉄道建設公団の発足以降は、こうしたローカル線の建設費用は国が負担するようになったが、営業開始後の赤字は国鉄の負担であった。昭和50年代からは、それまでの運賃抑制分を取り戻すように50%の運賃値上げが行われ、その後も毎年運賃値上げが行われた。だが、首都圏の路線や新幹線においても利用者が減少を招いたため、収支改善にはつながらなかった。
巨額債務のその後
国鉄分割民営化の時点で、累積赤字は37兆1,000億円に達していた[37]。このうち、25兆5,000億円を日本国有鉄道清算事業団が返済し、残る11兆6,000億円を、JR東日本・JR東海・JR西日本・JR貨物・新幹線鉄道保有機構(1991年解散)が返済することになった。経営難の予想された、JR北海道・JR四国・JR九州は、返済を免除された。
国鉄改革最大の目的といわれた巨額債務の解消であるが、結果は失敗ともいえる。一つには、国鉄時代からの累積赤字は利子が複利を生み、雪だるま式に膨れあがって行き、利払いだけで年1兆円を超えるなど、手の施しようがない巨額に達していたという事情がある。これについては、赤字額が小さいうちに、日本国政府が介入をしていれば防げた事態である。しかし前述の通り、政府は独立採算の建前から、補助金の交付は最小限にして、国鉄自身に借金させる仕組みを続けさせていた。単年度に限って言えば、国鉄末期の1984年度に旅客部門は黒字に転換したが、累積赤字を返済するには焼け石に水どころか、利子の返済すら全く足りなくなっていた。
赤字ローカル線削減
既述のように、分割民営化以前に決定された特定地方交通線の整理は民営化から3年以内に完了したが、その後地方ではそれ以外の赤字ローカル線についても過疎化や少子高齢化、道路網整備によるモータリゼーション化の進展による利用者の減少により一部で廃止された。一方、国鉄再建法により既存の民間運輸事業者に譲渡された2路線(下北交通大畑線、弘南鉄道黒石線)はその後赤字の増加などで廃止された。第三セクター化路線も2006年4月全廃の北海道ちほく高原鉄道を皮切りに神岡鉄道・三木鉄道・高千穂鉄道が利用者の減少に伴う赤字の増大や自然災害による被災などを理由に全線廃止、のと鉄道は路線の大半を廃止している。黒字を計上しているのは大都市圏に近く条件に恵まれた愛知環状鉄道(同社であっても、愛知県からの補助金を差し引くと黒字計上できた期はほとんどない)などごく一部に限られており、各社に給付された転換交付金も金利低下による運用益の減少などで大きく目減りしている。2000年代以降にはいわゆる「上下分離」方式により、線路の所有と運営企業を分離した路線(若桜鉄道若桜線・信楽高原鐵道信楽線)や、従来の事業者が線路の所有のみとなり運営企業を変更した路線(北近畿タンゴ鉄道宮津線)も出現している。またJR西日本はローカル線で日中に保線を行う際に列車を運休していた[注釈 19]が、対象となる時間帯は閑散時間帯とされる平日日中で、あらかじめ告知された月1回のみの実施である。
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