🐟25〗─2─収入確保が招く貴重な森林の伐採、国有林事業の教訓。~No.104No.105 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本人は民族の文化、宗教として、自然を愛し、自然を大事にし、自然を守ってきた、はウソである。
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 2024年5月2日 YAHOO!JAPANニュース Wedge(ウェッジ)「【消えていった日本三大美林】収入確保が招く貴重な森林の伐採、国有林事業の教訓
 前回「【蝕まれる日本の国有林】積み上げた債務は3.8兆円!知られざる国有林の姿とは?」で、戦後国有林のどちらかと言えば負の歴史を紹介したが、その間に多くのものを失い、破壊し、また残したもの、新しく生み出したものもある。
 三大美林たちの行方
 写真 1 天然秋田スギ林(筆者提供、以下同)
 今の人たちはほとんど知らないだろうが、かつては日本三大美林というのがあった。いずれも針葉樹林の天然林で、青森のヒバ林、秋田のスギ林、木曽のヒノキ林だった。
 針葉樹の端正な外見もさることながら、いずれも高級材として利用価値が高かったことも美林の要素だったのだろう。拡大造林のおかげで針葉樹人工林の全盛期となった現在から見れば、森林に対する価値観が違った時代の産物である。現代では、春の芽吹きに新緑、秋に見事に紅葉する広葉樹林の方が美林に相応しいのかも知れない。
 しかし、企業的経営を求める特別会計制度(独立採算制)のもとで木材販売収入の確保が第一義となって、これらの美林は瞬く間に伐採されていった。
 当時の秋田営林局長は林野庁長官へつながる出世コースだった。局長は林野庁の指示どおりの収入確保ために、また欲望に際限のない地元製材所(国会議員に直結)へ供給するために、高価な天然秋田杉の増伐をためらわなかった。
 こうして瞬く間に秋田杉の美林が消えていった。現在、三大美林のうちで残存量が最も少ないのは秋田杉である。局長も技官の矜持をもった仕事をするのが本旨だが、出世の欲望と地元業界・国会議員への配慮には勝てなかった。
 こうしたいかにも日本的な社会背景が、前回述べた国有林野事業の累積債務を生み出した主因といえるのではないか。
 写真1は、仁鮒水沢の保護林(能代市)で、樹齢300年、樹高50メートル(m)、直径1mを超える大木が並び壮観である。昔の職員は「ここは悪い林だったので残した」と言う。もとの森林はどれだけよかったのだろうか、想像もつかない。
 天然秋田杉林が一番広く残っているのは秋田市の仁別国有林である。森林博物館の前には写真2のように大木が輪形に密集して育っている。針葉樹は切り株の周囲で発芽しやすく、ここでは切り株を中心に天然杉の大木が8本も円形に並んでいて非常に珍しい。
 この中心にあった切り株はすでに腐朽してなくなっている。ここから大平山への登山道を登れば、太い天然杉林が現れて往時の美林を思い起こさせる。
 世界遺産登録で救われた屋久
 写真 3 屋久杉の土埋木。販売用
 秋田杉が枯渇すると、出世コースは熊本営林局長に移った。熊本営林局は九州・沖縄の国有林を管轄する。
 管内には今は世界遺産になった屋久島の森林がある。周囲100キロメートル(km)の円形の島で、最高峰の宮之浦岳(1936m日本百名山)は九州の最高峰でもある。
 黒潮で暖められた水蒸気は上昇気流に乗って屋久島を駆け上がると雲になり、月に35日降るという大量の雨で屋久杉(樹齢1000年以上のものをいう)が育つ。往時は2つの営林署があって屋久杉を伐採して、熊本営林局のドル箱だった。
 天然秋田杉が緻密で平行な年輪(柾目(まさめ))を特徴にしているのに対して、屋久杉は年輪が緻密で模様が複雑に変化した杢(もく)が特徴で、油分が多くて独特の艶があり、腐りにくい。おもに天井板や工芸品の原材料として珍重されてきた。
 伐採は進んだが、幸いなことに資源の枯渇まではいかず、残された屋久杉の伐採は禁止され、1993年に世界自然遺産に登録された。現在出荷されているのは、倒木となったいわゆる土埋木(どまいぼく)(写真3)である。
 宮之浦岳の登山道のかなり上部には、屋久杉の代表で樹齢3000年といわれる縄文杉やウィルソン株(豊臣秀吉が京都の方広寺大仏殿(京の大仏)造営のために伐らせた屋久杉の切り株)があって足に自信のある方にはおすすめであるが、一般の観光でも屋久杉ランドでさまざまな形態の屋久杉を十二分に楽しむことができる。
 それにしても屋久島の特異さには驚きしかない。林道の法面や側溝にも実生(みしょう)のスギが生えている。他の地域なら乾燥に強いアカマツなどが生えるところだが、雨の多い屋久島ならではの現象である。こういう地域の特質と樹木の性質をうまく利用すれば、天然林施業によって独自の森林を再生できるはずである。
 美林と林業技術
 国有林野事業による美林の消滅を指弾するつもりだったが、わき道にそれた。せっかくだから、ここで美林をめぐる林業技術についてお話ししたい。
 まずは木曽ヒノキである。長野県の木曽谷と裏木曽といわれる岐阜県中津川市に広がる御嶽山の周辺部で、江戸時代には名古屋の尾張藩領だった。ここに産する木曽ヒノキは良木で伊勢神宮式年遷宮の御造営用材に使用されていることで名高い。
 尾張藩では、当初過伐で荒廃していた木曽山林に伐採制限をくわえて、木曽五木(ヒノキ、サワラ、ネズコ、アスナロコウヤマキ)を保護した結果、美林に育った。その経緯は面白いが長くなるので割愛する。
 明治以降皇室財産である御料林となるとさらに厳しい保護政策がとられたが、戦後国有林になると御多分に漏れず長野営林局のドル箱として伐採が進んだ。それでも木曽ヒノキが残存している面積は、天然秋田杉に比べれば格段に広く、御造営用材も含めて現在でも伐採されているようだ。
 皆伐後の更新はここでもヒノキの植栽が一般的なのだが、御嶽山周辺は木曽五木の適地であって、落下した種から育った天然更新木をよく見かける。この適性を活かして、木曽ヒノキの天然林を更新・持続していこうとする方法について戦前から実験が繰り返されてきた。中には400ヘクタール(ha)を超える大規模な実験林もあるのだが、いまだ完全な実用化には至っていない。
 写真5、6の赤沢国有林のように比較的うまくいっているところもあるが、岐阜県境に近い標高の高いところでは、皆伐地が一面ササに覆われてしまって、稚樹が頭を出すのが難しい個所もある。皆伐する前に除草剤でササを枯らしてから、種子の供給源である母樹を残して皆伐する方法も実験されているが、そもそもそんな奥地で皆伐するのが適切とも思えないし、除草剤の使用も危惧される(写真7)。
 写真7の手前のようなササ地の中にはヒノキ稚樹が隠れている。遠景の赤茶色になったところが、ササを刈った個所。周囲には高齢のヒノキ林が残っているから、更新が成功すれば、このような森林に回帰するはずである。
 また、択伐林(一部の木を選んで伐採された林)のように残存木が多すぎると林床が暗く、耐陰性の強いアスナロの稚樹ばかりになってしまうこともある。これはこれで、自然なのだがヒノキの更新を目的とするならアスナロを刈り出す必要がある。
 木曽ヒノキと言ってもこれだけ広い地域にまたがっていて、その全体にわたって同じ環境条件であるはずがない。同じ林班(森林を字界や尾根、谷等の天然地形で区画したもの)や小班(同一の林班において、森林所有者、樹種、林齢、作業上の取り扱いなどで細分される区画)であっても尾根筋から沢筋まで同一条件であるはずもなく、それは現在の林相(森林の外観)や林床(森林の地表面)の状態が教えてくれる。
 すべてにわたって万能な更新方法などあろうはずもない。きめ細かに観察して個所に応じた更新方法を選択するほか、経過観察を怠らず変化に柔軟に対応する必要がある。
 これが森林官(フォレスター)の本来の役目である。現状のように事業の実施事務をこなすのが精一杯で、現場に足を向ける余裕がないのでは、国有林の将来はない。
 天然更新技術を生かせなかった青森ヒバ
 最後は、青森ヒバ。ヒバは、アスナロとその変種のヒノキアスナロの総称で、青森県内に生育しているものを青森ヒバと呼んでいる。
 筆者が経験した天然木丸太の単価(立法メートル〈㎥〉当たり)順ではスギ500万円>ケヤキ200万円>ヒノキ100万円>青森ヒバ平均5万円で、ヒバの単価は他の樹種に比べると格段に落ちるが、ヒノキチオールを含む油分が多くヒバ材で新築すると数年間蚊が入らないなどの特性がある。
 写真 8 林床のヒバ稚樹
 青森ヒバの施業方法(取り扱い)については戦前から研究されており、1930年にヒバ天然林施業法が確立していた。それにもかかわらず、ここでも拡大造林の嵐が吹きまくり、ヒバ林を皆伐してスギを造林したのである。
 耐陰性の強いヒバは、200年生に近い鬱蒼とした林床でも稚樹が生えている。そして林冠(森林の上部の樹木の枝葉同士が集まった部分)に隙間(ギャップ)ができると、光が林床に届いて稚樹は急激に成長を始めるのだ。
 だから択伐で上木を収穫すれば後継樹が伸びてくる。つまりヒバ林では林床に稚樹があれば伐採前に更新完了していると見做すことができる。
 この特性を見逃して皆伐し、スギを造林したのはいいが、すでにあったヒバの稚樹が伸び出してそれがスギを追い越す。もともとヒバの適地だから当然のことで、ここで頭を切り替えてヒバを育てればいいのだ。ヒバの方が成長がよく、材価も高いのだから、素人だったらヒバを残すだろうが、ここで林業技術者はヒバを除伐した。
 しかも成林したスギは飛び腐れがひどくて売り物にならない。飛び腐れとは、スギノアカネトラカミキリの幼虫が樹幹に穿孔(せんこう)して材を劣化させる被害のことだ。もともとヒバの天然林には飛び腐れが多いのだ。
 結局、適地適木という造林の基本でもある自然の摂理に従い、ヒバ林の天然更新を継続できなかった。帰するところは、林業技術者を自称したにもかかわらず、過去の成果についての無知、観察眼の不足、頑迷さを克服することができなかった。
 国有林であるが上での功罪
 美林の消長は何を意味するのか。天然秋田杉のように消えかかったものもあれば、屋久杉のように世界自然遺産になったものもある。
 国有林であったがために、一応森林計画が機能して比較的大面積に残存していたこと、私権や地域の思惑を超えての自然保護意識の高まり=国民世論に対応できたことは、評価してもよいだろう。
 中岡 茂
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