🗡19〗─3・D─日本海軍は破壊的イノベーションで建艦計画を戦艦から空母に変更した。~No.61 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 世界第二位の経済大国まで登り詰めた日本が衰退した原因は、人口激減とともに、バブル経済期に経済基盤を無価値として破壊して更地に返す「破壊的イノベーション」を行わなかったからである。
 戦後復興から高度経済成長を成し遂げた日本の奇跡とは、勇気を持って蛮勇をふるって「破壊的イノベーション」を行ったあらであり、有りもしないくだらない幻想的な幼稚な「坂の上の雲」物語を信じたからである。
 現代日本人は、戦艦大和にこだわった日本海軍・日本軍部の一点豪華主義大艦巨砲主義を「時代遅れの無能」と批判し嗤う資格はない。
 それが、バブル経済以降の日本を指導した超エリート層である高学歴な政治的エリートや進歩的インテリであった団塊世代団塊ジュニア世代の限界であった。
 失われた10年、20年、30年・・・は、当然の結果で、それは今日まで続いている。
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 日本海軍は、ミッドウェー海戦まで世界最強の空母艦隊・機動部隊と最新鋭戦闘機ゼロ戦にょる大編隊を編制していた。
 つまり、日本の常識的戦史の大半は嘘である。
 何故か、それは、死を覚悟して、最後には負けるとわかっていなる絶望的な戦闘を「最後には勝つ」という信念で戦っているかどうかの違いである。
 それが、武士道・生き様であり、百姓根性・どん百姓である。
 現代日本は、見窄らしすぎて「見る影もない」。
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 破壊的イノベーションとは、レコードと蓄音機、磁気録音とテープレコード、カセットテープとウオークマン、ビデオテープとビデオテープレコーダー、DVD、ブルーレイ、その他、である。
 つまり、産業破壊、業種消滅で大量失業を生み出す事である。 
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 2022年11月27日 MicrosoftStartニュース 乗りものニュース「空母「瑞鶴」進水-1939.11.27 真珠湾からレイテまで、機動部隊を支えた大型艦
 姉妹艦「翔鶴」と五航戦を編成
 1939(昭和14)年の11月27日は、旧日本海軍航空母艦「瑞鶴」が進水した日です。「瑞鶴」は基準排水量2万5000トンあまりの正規空母。ワシントン・ロンドンそれぞれの軍縮条約を破棄した後に計画されたため大型で、全長は250mあまり、70機ほどの航空機を搭載できました。
 【写真】沈みゆく「瑞鶴」の甲板で万歳三唱する乗組員ら
 © 乗りものニュース 提供 旧日本海軍航空母艦「瑞鶴」。1944年10月のレイテ沖海戦時、エンガノ岬沖にて(画像:アメリカ海軍)。
 進水の約2年後に「瑞鶴」は竣工。当時は日米の開戦が濃厚となっており、事実、その契機となった1941(昭和16)年12月の真珠湾攻撃に「瑞鶴」は参戦しています。なお同年8月に竣工していた「翔鶴」は姉妹艦であり、両艦で「五航戦」こと第五航空戦隊を編成しました。
 真珠湾攻撃では、「瑞鶴」が発進させた艦載機はハワイ空襲後に全機が帰還。特に第2次攻撃隊の指揮官には同艦の飛行隊長が任命されています。
 その後1942(昭和17)年4月にはセイロン沖海戦に参加。イギリス海軍の空母やオーストラリア海軍の駆逐艦を撃沈しています。続く5月には、オーストラリア北東域で繰り広げられた珊瑚海海戦に参加。これは史上初の空母同士の海戦でした。「瑞鶴」はアメリカ軍空母を攻撃し損害を与えましたが、自身はスコールに紛れたため無傷で帰還しています。
 6月には勝敗の転換点とされるミッドウェー海戦が勃発しますが、「瑞鶴」は不参加。これは珊瑚海海戦で「翔鶴」が大破し、五航戦が編成できなかったからでした。しかし結果、大敗北を喫したこの海戦を「瑞鶴」は“生き延び”たのです。
 とはいえ制空権も徐々にアメリカに握られていったミッドウェー海戦後は、必然的に「瑞鶴」と「翔鶴」が空母戦力の主力となりました。ソロモン、南太平洋、マリアナと、優勢なアメリカ軍空母部隊と死闘を繰り広げます。ちなみに「瑞鶴」はマリアナ沖海戦(1944〈昭和19〉年6月)まで、1発も被弾していませんでした。
 映画公開時、「瑞鶴」はすでに存在せず
 ただマリアナ沖海戦では「翔鶴」に加え、最新鋭だった重装甲空母大鳳」も沈没。航空機のほかパイロットも多数失い、日本の海軍空母部隊は壊滅状態に陥りました。「瑞鶴」も無傷では済まず損傷し、本土へ帰還しています。
 戦局が悪化の一途をたどる1944年9月、映画会社の東宝が開戦3周年を記念した映画『雷撃隊出動』を製作します。「瑞鶴」はロケに参加。零戦や艦上攻撃機「天山」を搭載する様子などが収録されました。
 © 乗りものニュース 提供 映画『雷撃隊出動』のひとコマ。発艦した艦上攻撃機「天山」の後部座席から「瑞鶴」を見る。
 それから1か月。「瑞鶴」は史上最大の海戦とも称されるレイテ沖海戦に参加します。フィリピンを攻略しようとレイテ島に上陸してきたアメリカ軍に対し、「大和」を含む戦艦部隊がレイテ湾に殴り込みをかけるという作戦でした。このため、特に空母機動部隊が“囮”とされました。
 10月25日午前、「瑞鶴」はフィリピン・ルソン島のエンガノ岬沖でアメリカ軍の空襲を受けます。飛行甲板に爆弾が命中し火災が発生、さらに魚雷も受け浸水が始まります。午後にかけ攻撃は続きますが、大型空母は格好の標的になりました。損傷し回避行動もままならない「瑞鶴」に、次々と魚雷や爆弾が命中。随所で火が上がり戦死者も増大し、もはや対空機銃すら撃てなかったといいます。
 14時過ぎ、浸水により傾いていった「瑞鶴」はついに沈没。一連の海戦で日本は空母4隻、ほか艦艇も多数失い、海軍機動部隊は事実上、壊滅したのでした。
 ところで、9月にロケ協力した『雷撃隊出動』が、太平洋戦争開戦3周年にあたる同年12月7日に公開されました。しかしこの時すでに「瑞鶴」は存在しません。ただ「瑞鶴」は映画含め比較的多くの記録(写真など)が残っています。それは生きながらえた証でもあり、ゆえに「瑞鶴」は「武勲艦」「幸運艦」といわれています。」
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 12月4日 乗りものニュース 「「ひとりっ子空母」なぜ多い? 姉妹艦なき孤高の旧軍空母12隻 それぞれの事情
 安藤昌季(乗りものライター)
 tags: 船, 艦艇(軍艦), 空母, 鳳翔, 龍驤, 赤城, 加賀, 蒼龍, 飛龍, 大鳳, 龍鳳, 海鷹, 神鷹, 信濃, 伊吹, 旧日本海軍
 軍艦は、基本的に設計図を共用する「同型艦」を何隻か作ります。しかし、諸事情で「同型艦なし」の艦型が生まれることも。旧日本海軍航空母艦(空母)は、他の艦種より「同型艦なしが多かった、その理由を探ります。
 12隻もある同型艦なし空母
 一般に軍艦は、同型艦といわれる、同じ構造・性能を持つ艦を複数建造します。理由としては、艦隊に所属する艦艇の性能がバラバラでは、作戦行動が行いにくく、補給も非効率になるからです。実際、ワシントン海軍軍縮条約で、旧日本海軍長門型戦艦の2番艦「陸奥」を保有するために、アメリカとイギリスに2隻ずつ、406mm砲搭載戦艦の保有を認めたほどです。
 とはいえ、諸事情で同型艦なしの艦艇が生まれることもあります。なかでも旧日本海軍は様々な事情で空母の「同型艦なし」が多いという傾向がありました。その理由を見てみましょう。
 旧日本海軍の空母「鳳翔」(画像:アメリカ海軍)。
 旧日本海軍同型艦なしのオンリーワン空母というと、「鳳翔」「龍驤」「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「大鳳」「龍鳳」「海鷹」「神鷹」「信濃」「伊吹」が該当します。
 ちなみに、戦艦では同型艦なしの艦型はひとつもありません。巡洋艦を見てみても「夕張」「大淀」の2艦だけです。
 一方で空母は前出したように12隻もあります。これは、空母という艦種に求められることが定まっていなかった時期に、試行錯誤した艦型が多いこと。また、空母に求められるものが明確になった後に、数を確保しようとした結果、同型艦を用意できなかった艦型が多くなったからだといえるでしょう。
 大人の事情で同型艦が造られなかったフネたち
 「鳳翔」は建造時から空母として計画された、世界最初の空母です。実験艦的な意味合いがあり、同型艦の建造予定はありませんでした。太平洋戦争中では実戦にほとんど出ることはなく、練習用空母として使われていました。
 「龍驤」は水上機母艦として計画されましたが、ワシントン海軍軍縮条約の制限外である「1万トン以下」の空母にした方が有益ということで、計画変更されました。しかし、ロンドン海軍軍縮条約で制限内となったために、同型艦は建造されませんでした。
 旧日本海軍の空母「赤城」(画像:アメリカ海軍)。
 「赤城」はワシントン海軍軍縮条約で破棄された巡洋戦艦を改造した大型空母です。当初、同型艦の「天城」も空母化される予定でしたが、関東大震災で同艦が損傷し、代替で加賀型戦艦「加賀」を空母に改装したことで、同型艦が生まれなくなり、結果、互いに「ぼっち」となっています。
 「蒼龍」と「飛龍」は、もともとは同型艦として建造される予定でしたが、軍縮条約の破棄で排水量を抑える必要がなくなったために、2番艦「飛龍」が別設計となりました。また「飛龍」は「蒼龍」と異なり、艦橋の位置を左舷中央に改め、なおかつ内部容積を拡充するためやや大きめにしています。また飛行甲板の幅を1m広くして、航空機の運用能力を改善したため、艦影は別モノといえるほどに変わりました。
 「大鳳」は、旧日本海軍で初めて飛行甲板に装甲が施された空母です。「大鳳」に同型艦はありませんが、水中防御や高角砲の増加などが行われた準同型のG15(改大鳳型)が5隻計画されました。太平洋戦争が起こらなければ、大鳳型6隻として運用されたと考えられます。
 他艦種からの改造艦が豊富
 また空母は、戦艦や巡洋艦などと異なり、船体が大きな支援艦艇や客船などを改造しても戦力化できました。加えて改装空母は、元になった船の形状や性能にも影響されるため、同型艦なしが多くなる傾向があります。
 「龍鳳」は、旧日本海軍の区分では“瑞鳳型”として分類されていますが、同型艦の「瑞鳳」「祥鳳」とは、排水量や速力、飛行甲板長などが異なります。これは「龍鳳」が潜水母艦「大鯨」をベースにしたのに対して、「瑞鳳」「祥鳳」は高速給油艦の剣埼型から改装されたからです。「大鯨」は電気溶接やディーゼルエンジンの採用など、新機軸を盛り込んだ実験艦でしたが、不具合が多く、「龍鳳」への改装では陽炎型駆逐艦の蒸気タービン機関に換装されています。
 旧日本海軍の空母「海鷹」(画像:アメリカ海軍)。
 「海鷹」は、大鷹型航空母艦の1艦として分類されています。しかし、ベースとなった船が「大鷹」「雲鷹」「沖鷹」に用いられた新田丸級貨客船よりも一回り小さい、あるぜんちな丸級貨客船であったことから、性能や大きさが異なる艦となりました。たとえば、「海鷹」は「大鷹」より飛行甲板が短いものの、搭載機数ではほぼ同数で、速力では2ノット(時速3.7キロ)上回るなど、優れたところも見られました。
 なお、「あるぜんちな丸」には、姉妹船の「ぶらじる丸」が存在していました。敵潜水艦により「ぶらじる丸」が撃沈されなければ、「海鷹」には同型艦が存在したと思われます。
 「神鷹」も、大鷹型航空母艦に分類されています。しかし、原型となったのは「大鷹」などの新田丸型貨客船よりも一回り大きい、ドイツ客船「シャルンホルスト」のため、飛行甲板長や搭載機数で「大鷹」を上回っていました。
 ちなみに、シャルンホルスト級客船はヒトラー政権の肝いりで造られたため、「シャルンホルスト」の進水式にはヒトラーが参列しています。客船時代、シャルンホルスト級に対抗したのが「大鷹」「雲鷹」「沖鷹」になった新田丸級だったことから、両者には因縁があるといえるでしょう。なお、シャルンホルスト級客船も日本への寄港を考慮し、輸出用の「醤油タンク」が設けられていました。
 大和型戦艦3番艦「信濃」&重雷装重巡だったかもしれない「伊吹」
 「信濃」は、1944(昭和19)年の就役当時、世界最大であった空母です。この艦は大和型戦艦の3番艦として計画・起工されたものの、ミッドウェー海戦の敗戦を受けて空母に改装され、就役しました。
 特徴は巨大な船体に裏打ちされた広大な飛行甲板とそこに施された装甲です。飛行甲板の幅は日本空母で最大となる40mあり、この広さを活用するために運用を左右で分け、一方には艦載機を駐機させつつ、もう片方で艦載機を発着させるという構想まで出たほどでした。また、そのような広大な飛行甲板は75mm厚の装甲が張られており、その下の中甲板にも100~190mm厚の装甲が施されたため、部位によっては大和型戦艦以上の水平防御を持つほどでした。
 搭載機数は常用42機、補用5機と大型空母としては少なめ。とはいえ、機体サイズが小型の零式艦上戦闘機零戦)や艦上爆撃機「彗星」なら、艦内収容しない露天係止を含め86機まで搭載できたようです。ただ、「信濃」は一部未完成だったこともあり、敵であるアメリカ海軍の潜水艦に撃沈され、一度も実戦に参加せずに終わっています。
 旧日本海軍の空母「伊吹」(画像:アメリカ海軍)。
 一方、「伊吹」は最上型軽巡洋艦(後に重巡洋艦に変更)の改良型として計画されました。ベースの最上型よりも、魚雷発射管が強化される予定だったとのことで、最上型なら計12門、片舷6射線の魚雷発射に対して、「伊吹」は25門、片舷15射線を有していたそうです。これは「重雷装艦」として魚雷攻撃に特化した改装が施された、「大井」「北上」両軽巡洋艦の片舷20射線に近い数字といえるでしょう。
 主砲塔まで搭載し、重巡洋艦としてほぼ完成していた「伊吹」でしたが、1943(昭和18)年8月に空母改装が決定します。ただ、大戦後期に空母改装が始まったため、「伊吹」の空母化は戦争に間に合いませんでした。
 なお、空母「伊吹」は、搭載機数27機、29ノットと改装空母としては標準的なものでした。【了】」
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 大日本帝国海軍 連合艦隊 WORLD WAR 2:太平洋戦争 海戦の記録
 聯合艦隊/联合舰队ww2
 日本海軍の空母(航空母艦
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 大日本帝国海軍 連合艦隊『空母・航空母艦』 :Imperial Japanese Navy Aircraft carriers
 大日本帝国海軍連合艦隊の空母(航空母艦
 太平洋戦争(大東亜戦争第二次世界大戦)において艦隊戦、あるいは海戦の勝敗を大きく左右した空母(航空母艦)。大日本帝国海軍も様々な空母を所有し、連合艦隊の戦略の要として主に大規模な海戦に投入した。
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 大日本帝国は空母の先進国だった
 空母(航空母艦)は航空機の運用能力を持つ艦船であり、航空機を離艦・着艦させるための飛行甲板を装備している。また航空機を整備する環境や補給能力も有し、単独で洋上基地としての機能を備える軍艦である。
 太平洋戦争(第二次世界大戦)が始まった当時の大日本帝国海軍は航空戦力の有意性にいち早く気付き、連合艦隊には率先して様々な空母が編成されていた。実は全世界で最初に空母を竣工したのも日本であり、太平洋戦争開始当初の日本海軍の空母戦力は世界的に見てもトップレベルであったとされている。
 日本海軍の空母の名前は、明治・大正時代は海軍省が考案したものをもとに天皇が決定していたが、後に海軍大臣が決定したうえで天皇に報告するという形式に変更された。
 空母の艦名には、龍や鳥など空を飛ぶ動物の名前が用いられた。空母は航空機と密接に関係する軍艦であることから、そういった名前を使用するのが縁起が良いとされていたのである。
 しかし1943年以降になると山の名前も用いられるようになる。その理由としては、本来、山の名前は重巡洋艦のネーミングに使用されていたが、戦局が変化するにつれ、建造する必要性として重巡洋艦よりも空母を重視するようになったことが要因とされている。
 日本海軍の空母が活躍した海戦
 太平洋戦争の幕開けとなったハワイオアフ島における真珠湾攻撃では大日本帝国海軍は6隻もの空母を投入。アメリカ軍の空母は破壊できなかったものの、戦艦を4隻撃沈するなど大きな戦果をあげた。
 それ以降、アメリカ軍は、真珠湾攻撃の教訓もあり空母の建造に力を注いでいく。戦局が進むにつれ、次第に空母戦力で劣勢となる日本海軍であったが、それでもレイテ沖海戦連合艦隊が機能を失うに至るまで、空母の担う役割は大きかった。
真珠湾攻撃 米主力艦隊壊滅!太平洋戦争の始まり
セイロン沖海戦 インド洋で連合艦隊怒涛の攻撃!
・珊瑚海海戦 人類史上初!空母同士の熾烈な艦隊決戦!
ミッドウェー海戦 太平洋戦争の勝敗を決定づけた海戦!
・第二次ソロモン海戦 終わりなきソロモンの攻防
・南太平洋海戦 米軍いわく「史上最悪の海軍記念日
・フロリダ沖海戦 山本五十六が仕掛けた最期の作戦!
マリアナ沖海戦 迫る絶望…それでも戦い続ける
レイテ沖海戦 全艦出撃!さらば連合艦隊
・呉軍港空襲 全艦対空戦闘用意!日本海軍最後の戦い
 ホーム:大日本帝国海軍 連合艦隊 WORLD WAR 2:太平洋戦争 海戦の記録
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 日本の戦艦
 日本海軍の保有していた戦艦のデータです.なお,戦艦は昔の日本の国の名前を付けることが慣例でした.
 当時,戦艦を保有することは,その国の国力の象徴であり,核兵器並みの影響力を持っていました. 戦艦の主砲の射程は40km,命中率は10%程度,1発当たりの弾丸重量は2トン程度,飛行機による爆撃が命中率50%程度,1発あたりの重量が200-800kg程度,飛行距離が片道300km以上あったことを考えると,飛行機による爆撃のほうが有効であることは分かったはずです. ところが,戦艦に対する信仰は揺るぎないもので,どの国も戦艦の存在意義を信じて疑いませんでした.
 日本の戦艦は,アメリカの戦艦に数で劣っていたため(開戦時には日本10隻,アメリカ18隻)に,敵の射程外(およそ40km)から攻撃するアウトレンジ戦法を目的としていました. これが大口径砲をもつ大和型の開発ということにつながりました.
 また,日本の戦艦は速力の遅さにより太平洋戦争で活躍の機会が得られませんでした. これはアメリカが低速の戦艦を上陸支援などに活用した点と対照的です.
 砲撃訓練中の連合艦隊戦艦群の写真(JPEG:5.4kB)
金剛型
 一番古いにもかかわらず速力を活かし太平洋戦争で最も活躍した戦艦. 本来,この速力は夜間に水雷戦隊の突撃を援護する目的があったためである. 当初,巡洋戦艦として建造されたため,山の名前が付けられている.
 金剛型の要目
 基準排水量:31720 t
 速力:30 kt
 主要兵装:35.6cm砲8門,15cm砲14門,12.7cm高角砲8門
 金剛型同型艦
 金剛 (こんごう)
 1913年8月16日英ビッカース社で竣工→1944年11月21日台湾海峡で米潜の雷撃により沈没
 比叡 (ひえい)
 1914年8月4日横須賀工廠で竣工→1942年11月13日第3次ソロモン海戦で沈没
 榛名 (はるな)
 1915年4月14日神戸川崎造船所で竣工→1945年7月28日呉で空襲により沈没
 霧島 (きりしま)
 1915年4月19日三菱長崎造船所で竣工→1942年11月15日第3次ソロモン海戦で沈没
扶桑型
 完成当時は世界一の巨艦であった. 太平洋戦争では旧式化し,特に速力の不足から活躍できず.
 扶桑型の要目
 基準排水量:34700 t
 速力:24.7 kt
 主要兵装:35.6cm砲12門,15cm砲14門,12.7cm高角砲8門
 扶桑型の同型艦
 扶桑 (ふそう)
 1915年11月4日呉工廠で竣工→1944年10月25日スリガオ海峡海戦で沈没
 山城 (やましろ)
 1917年3月31日横須賀工廠で竣工→1944年10月25日スリガオ海峡海戦で沈没
伊勢型
 扶桑型の改良型. 当初は,扶桑型として建造の予定であったが,扶桑型に問題があったため改良を加えられた. 空母の不足を補うため,世界でも類をみない航空戦艦に改装されたが期待外れに終わる. 大和型ができるまでは,長門型に次ぐ日本の戦艦 No.2 の実力を持っていた.
 伊勢型の要目
 基準排水量:35800 t
 速力:25.4 kt
 主要兵装:35.6cm砲12門,14cm砲18門,12.7cm高角砲8門
 航空戦艦に改装後の要目
 基準排水量:35350 t
 速力:25.4 kt
 主要兵装:35.6cm砲8門,12.7cm高角砲16門
 搭載機数:22機
 伊勢型の同型艦
 伊勢 (いせ)
 1917年12月15日神戸川崎造船所で竣工→1943年8月航空戦艦に改装完了→1945年7月28日呉で空襲により沈没
 日向 (ひゅうが)
 1918年4月30日三菱長崎造船所で竣工→1943年10月航空戦艦に改装完了→1945年7月28日呉で空襲により沈没
長門
 八八艦隊計画に基づいて建造され,世界で初めて 40cm 砲(正確には,40.6cm = 16 inch を切り上げて 41cm 砲にしてあった)を搭載した戦艦. 日本国民に最も親しまれた戦艦である.
 長門の写真(JPEG:6.14kB)
 長門型の要目
 基準排水量:39130 t
 速力:25 kt
 主要兵装:41cm砲8門,14cm砲18門,12.7cm高角砲8門
 長門型の要目
 長門 (ながと)
 1920年11月25日呉工廠で竣工,終戦時横須賀で中破残存→1946年7月30日ビキニ環礁で原爆実験により沈没
 陸奥 (むつ)
 1921年10月24日横須賀工廠で竣工→1943年6月8日柱島泊地で爆発沈没
 八八艦隊計画の戦艦
 日本はアメリカに対抗するために大正時代に八八艦隊計画を実現させようとしていました. これは建造されてから8年以内の戦艦8隻,巡洋戦艦8隻で構成された世界最強の艦隊でした. しかし,膨大な費用とワシントン軍縮条約の結果,計画は中止されました.
加賀型
 長門型の拡大型. 40cm 砲を10門搭載.
 加賀型同型艦
 [加賀 (かが)]
 天城に代わり空母に改装
 [土佐 (とさ)]
 建造中止,標的実験艦として処分
天城型
 巡洋戦艦,速力30kt,40cm砲を10門搭載
 天城型の同型艦
 [天城 (あまぎ)]
 空母に改装予定であったが,関東大震災のため被害を被り廃棄
 [赤城 (あかぎ)]
 空母に改装
 [高雄 (たかお)]
 建造中止
 [愛宕 (あたご)]
 建造中止
紀伊
 高速戦艦として計画. 40cm 砲10門を予定.
 紀伊型の同型艦
 [紀伊 (きい)]
 計画のみ
 [尾張 (おわり)]
 計画のみ
 [駿河 (するが)]
 計画のみ
 [近江 (おうみ)]
 計画のみ
第13号艦-第16号艦
 後の大和に匹敵する. 速力30kt,46cm砲8門を予定.
大和型
 日本人のほとんどがその存在を知ることなく沈んだ世界最大の戦艦. 世界最大の46cm砲を搭載していたが,書類上は40cm砲とされていた. このような戦艦は建造と完成してからの維持に膨大な人員と費用を必要とした. 「大和」には優秀な人材が派遣され,重要な商船護衛などには人がいない,という事態を招いたことは,巨大戦艦建造の知られざる悪弊であった. 副砲の 15.5cm 砲は,最上型重巡に改装した際の余剰品である.
 大和と武蔵の写真(JPEG:4.91kB)
 大和型の要目
 基準排水量:64000 t
 速力:27 kt
 主要兵装:46cm砲9門,15.5cm砲12門→6門,12.7cm高角砲12門→24門
 大和型の同型艦
 大和 (やまと)
 1941年12月16日呉工廠で竣工→1945年4月7日坊の岬沖海戦で沈没
 武蔵 (むさし)
 1942年8月5日長崎造船所で竣工→1944年10月24日シブヤン海海戦で沈没
 [信濃 (しなの)]
 戦艦から空母へ改装
[111号艦]
 開戦直後に建造中止
[797号艦]
 マル五計画に含まれたが計画のみ
798号艦,799号艦
 マル五計画に含まれた戦艦. 大和型の船体に51cm砲6門を搭載する予定だった.
超甲巡
 ドイツのシャルンホルスト型の影響を受けて計画された超巡洋艦. 30cm砲を搭載し速力は30kt以上とされていたが計画のみ. アメリカのアラスカ型に対応する.
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 日本の航空母艦
 日本海軍の保有していた航空母艦のデータです. なお,航空母艦は戦争前に計画されたものは龍や鳥など空を飛ぶ縁起のよい動物の名前がつけられ,戦争中の1943年に山の名前が加わりました. 山の名前は本来は重巡洋艦に使われていましたが,これ以上重巡を建造する必要がなくなったので,これから増加する空母に割り当てられたようです. ただし,客船などから改造した空母には鷹の文字が入っています.
 太平洋戦争では航空戦力の重要性が増大し空母が艦隊の主力となりました. 日本の空母は大きさの割に搭載機が少なかったようです.これは格納庫が密閉式であったこと,航空機の翼の折り畳みが小さかったことが原因のようです. 小型の空母が前線にほとんど投入されなかったのは,速力が遅くカタパルトを装備していないため重量が増大した新鋭機を発進させることが困難だったからです. これはアメリカの事情と対照的でした. また,アメリカの空母に比べると被害を受けたときの回復能力(ダメージコントロール)が劣っており,一度被害を受けるとすぐに使えなくなってしまったことは最大の欠点でした.
 空母信濃の写真(JPEG:3.4kB)
 鳳翔型
 世界で初めて最初から空母として建造された. 太平洋戦争では大きさが小さいこともあり第一線で使われることはなかった.
 鳳翔型の要目
 基準排水量 : 7410 t
 速力 : 25 kt
 主要兵装 : 14cm砲4門
 搭載機 : 15機?
 同型艦
 鳳翔 (ほうしょう)
 1922年12月27日横須賀工廠で竣工,終戦時残存→1946年解体開始
赤城型
 八八艦隊の巡洋戦艦・赤城を空母に改装. 当初は三段の飛行甲板を持っていたが,実用性に乏しいため一段の全通甲板に改装. 太平洋戦争の前半に活躍. 20cm 砲を搭載しているのは,空母でも艦隊砲戦をする局面が想定されていたためである.
 赤城型の要目
 基準排水量:36500 t
 速力:31 kt
 主要兵装:20cm砲6門,12cm高角砲12門
 搭載機:91機
 同型艦
 赤城型の同型艦
 赤城 (あかぎ)
 1927年3月25日呉工廠で竣工→1942年6月6日ミッドウェー海戦で沈没
 [天城 (あまぎ)]
 関東大震災により被害を受け廃棄
加賀型
 八八艦隊の天城が使えなくなったために戦艦を改装. 赤城と同じく三段甲板を持っていたが後に全通甲板に改装. 赤城と第一航空戦隊を編成し,太平洋戦争の前半に活躍. 20cm 砲を搭載しているのは,空母でも艦隊砲戦をする局面が想定されていたためである.
 加賀型の要目
 基準排水量:38200 t
 速力:28.3 kt
 主要兵装:20cm砲10門,12.7cm高角砲16門
 搭載機:90機
 加賀型同型艦
 加賀 (かが)
 1928年3月31日横須賀工廠で竣工→1942年6月5日ミッドウェー海戦で沈没
蒼龍型
 日本海軍が建造した初めての本格的空母. これが以後の日本海軍の標準的な空母となる. 飛龍は,艦橋の位置などが蒼龍と異なるので,改蒼龍型と考えられる. 太平洋戦争の前半に活躍.
 蒼龍型の要目
 基準排水量:15900 t (飛龍は17300 t)
 速力:34.5 kt
 主要兵装:12.7cm高角砲12門
 搭載機:73機
 蒼龍型の同型艦
 蒼龍 (そうりゅう)
 1937年12月29日呉工廠で竣工→1942年6月5日ミッドウェー海戦で沈没
 飛龍 (ひりゅう)
 1939年7月5日横須賀工廠で竣工→1942年6月6日ミッドウェー海戦で沈没
龍驤
 半ば実験的に建造された小型空母. トップヘビーで艦の安定性に問題があった.
 龍驤型の要目
 基準排水量:10600 t
 速力:29 kt
 主要兵装:12.7cm高角砲12門
 搭載機:48機
 龍驤型の同型艦
 龍驤 (りゅうじょう)
 1933年5月9日横須賀工廠で竣工→1942年8月24日第2次ソロモン海戦で沈没
祥鳳型
 潜水母艦として建造され空母に改装できるように造られていた. 龍鳳同型艦ではないが公式類別では祥鳳型になっていた.
 祥鳳型の要目
 基準排水量:11200 t
 速力:28 kt
 主要兵装:12.7cm高角砲8門
 搭載機:30機
 龍鳳型の要目
 基準排水量:13300 t
 速力:26.5 kt
 主要兵装:12.7cm高角砲8門
 搭載機:31機
 祥鳳型同型艦
 祥鳳 (しょうほう)
 1939年1月15日潜水母艦・剣埼として横須賀工廠で竣工→1941年12月22日空母への改装完了→1942年5月7日珊瑚海海戦で沈没
 瑞鳳 (ずいほう)
 1940年12月27日横須賀工廠で竣工→1944年10月25日エンガノ岬沖海戦で沈没
 龍鳳 (りゅうほう)
 1934年3月31日潜水母艦・大鯨として横須賀工廠で竣工→1942年11月28日空母への改装完了,終戦時呉で大破状態残存,1946年解体開始
翔鶴型
 日本海軍の保有した最も実用的な空母. 太平洋戦争のほぼ全期間を通じて日本の主力空母であった. 特に瑞鶴は被害を受けることが少ない武運艦であった.
 翔鶴型の要目
 基準排水量:25675 t
 速力:34.2 kt
 主要兵装:12.7cm高角砲16門
 搭載機:84機
 翔鶴型の同型艦
 翔鶴 (しょうかく)
 1941年8月3日横須賀工廠で竣工→1944年6月19日マリアナ沖海戦で沈没
 瑞鶴 (ずいかく)
 1941年9月25日神戸川崎造船所で竣工→1944年10月25日エンガノ岬沖海戦で沈没
大鷹型
 商船を改装した空母. 速力の遅さから新鋭機を発進させることに困難があり活躍できなかった. アメリカの護衛空母に比較すると複雑すぎたので改装に時間がかかりすぎた.なお,神鷹,海鷹は同型艦ではないが公式類別では大鷹型になっていた.
 大鷹型の要目
 基準排水量:17830 t
 速力:21 kt
 主要兵装:12cm高角砲4門
 搭載機:27機
 神鷹型の要目
 基準排水量:17500 t
 速力:21 kt
 主要兵装:12.7cm高角砲8門
 搭載機:33機
 海鷹型の要目
 基準排水量:13600 t
 速力:23 kt
 主要兵装:12.7cm高角砲8門
 搭載機:24機
 大鷹型の同型艦
 大鷹 (たいよう)
 1941年9月5日春日丸として佐世保工廠で竣工→1944年8月18日ルソン島北西沖で米潜の雷撃で沈没
 雲鷹 (うんよう)
 1940年7月31日客船・八幡丸として三菱長崎造船所で竣工→1942年5月31日空母への改装完了→1944年9月17日南シナ海で米潜の雷撃で沈没
 沖鷹 (ちゅうよう)
 1940年3月23日客船・新田丸として三菱長崎造船所で竣工→1942年11月25日空母への改装完了→1944年12月4日八丈島沖で米潜の雷撃で沈没
 神鷹 (しんよう)
 1935年4月30日商船・シャルンホルストとしてドイツデシマーク社で竣工→1943年12月25日空母への改装完了→1944年11月17日黄海で米潜の雷撃で沈没
 海鷹 (かいよう)
 1939年5月31日客船・あるぜんちな丸として三菱長崎造船所で竣工→1943年11月23日空母への改装完了→1945年7月28日別府湾で米艦上機の攻撃で沈没
飛鷹型
 商船を改装した空母. 正規空母に劣らないほど活躍した. 特に隼鷹は敗戦まで残った数少ない空母であった.
 飛鷹型の要目
 基準排水量:24140 t
 速力:25.5 kt
 主要兵装:12.7cm高角砲12門
 搭載機:53機
 飛鷹型の同型艦
 飛鷹 (ひよう)
 1942年7月31日神戸川崎造船所で竣工→1944年6月20日マリアナ沖海戦で沈没
 隼鷹 (じゅんよう)
 1942年5月3日三菱長崎造船所で竣工,終戦佐世保で残存,1946年解体開始
千歳型
 水上機母艦として建造されたが,空母に改装できるように設計されていた.
 千歳型の要目
 基準排水量:11900 t
 速力:29 kt
 主要兵装:12.7cm高角砲8門
 搭載機:30機
 千歳型の同型艦
 千歳 (ちとせ)
 1938年7月25日水上機母艦として呉工廠で竣工→1944年1月1日空母への改装完了→1944年10月25日エンガノ岬沖海戦で沈没
 千代田 (ちよだ)
 1938年12月25日水上機母艦として呉工廠で竣工→1943年12月26日空母への改装完了→1944年10月25日エンガノ岬沖海戦で沈没
大鳳
 日本海軍期待の新鋭空母. 甲板には急降下爆撃に耐えられるだけの装甲を施してある. しかし,マリアナ沖海戦で潜水艦の雷撃を受け竣工後3ヶ月で沈んでしまった.
 大鳳型の要目
 基準排水量:29300 t
 速力:33.3 kt
 主要兵装:10cm高角砲12門
 搭載機:53機
 大鳳型の同型艦
 大鳳 (たいほう)
 1944年3月7日神戸川崎造船所で竣工→1944年6月19日マリアナ沖海戦で沈没
信濃
 大和型の3番艦を空母に改装. 大鳳よりも強力な装甲を持っていた. 装甲のない空母は敵航空機の航続圏外の安全な場所から航空機を発進させ,前方にいる信濃が航空機に対し燃料と爆弾を補給するという構想により建造された. 呉に回航する途中に潜水艦の雷撃を受け,竣工後わずか10日で沈んでしまった.
 信濃型の要目
 基準排水量:62000 t
 速力:27 kt
 主要兵装:12.7cm高角砲16門
 搭載機:47機
 信濃型の同型艦
 信濃 (しなの)
 1944年11月19日横須賀工廠で竣工→1944年11月29日潮岬沖で米潜の雷撃で沈没
雲龍
 当初,飛龍改型の中型空母として計画されたが,ミッドウェー海戦で空母を失ったために大量建造が計画された. 15隻の建造が予定されたが,実際に建造されたものは6隻であった. 登場したときには搭載する航空機と搭乗員が不足しており,空母としての活躍はできなかった.
 雲龍型の要目
 基準排水量:17150 t
 速力:32 kt
 主要兵装:12.7cm高角砲12門
 搭載機:65機
 雲龍型の同型艦
 雲龍 (うんりゅう)
 1944年8月6日横須賀工廠で竣工→1944年12月19日東シナ海で米潜の雷撃で沈没
 天城 (あまぎ)
 1944年8月10日三菱長崎造船所で竣工→1945年7月28日呉空襲で沈没
 葛城 (かつらぎ)
 1944年10月15日呉工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事,1946年解体開始
 [笠置 (かさぎ)]
 84パーセント完成,建造中止
 [阿蘇 (あそ)]
 60パーセント完成,建造中止,誘導弾・さくら弾の標的にされた
 [生駒 (いこま)]
 60パーセント完成,建造中止
伊吹型
 ミッドウェー海戦で空母を失ったために改鈴谷型の巡洋艦を空母に改装. 全長よりも長い飛行甲板を持っていたので,新鋭機も発進させられる設計だった. 高角砲も配置が工夫され両舷への射撃が可能だった.
 伊吹型の要目
 基準排水量:12500 t
 速力:29 kt
 主要兵装:8cm高角砲4門
 搭載機:27機
 伊吹型の同型艦
 [伊吹 (いぶき)]
 80パーセント完成,建造中止
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