📉102】─1─現代教育が学生を二極化して「無気力な生徒」を増産している。~No.230No.231 

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 生徒・学生・青少年の変質は、戦後民主主義教育を受けた優秀な人材が教育現場に立つようになった1970年代頃の学校から始まっていた。
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 2023年11月17日 MicrosoftStartニュース A4studio「なぜ「無気力な生徒」が増えたのか…“低偏差値高校”から見える日本の教育の「大きな問題点」
 文部科学省によれば高校への進学率は98.9%にも及んでおり、進学が準義務化していると言える高校教育。しかし高校間での偏差値の序列が形成されているため、高偏差値高校と低偏差値高校では学習指導の状況に雲泥の差があり、後者では悲惨な現場を経験してきた教師も少なくないという。
 なかでも、6月25日にTwitter(現在、X)へ投稿された、ある高校教師による下記のツイートは、5.4万いいね(8月2日現在)を獲得し、注目を集めた。
 《学力の低い高校で教えてて何が辛いって、生徒が「知的好奇心」を全く持ってないこと。彼らの「面白い」は「瞬間的・感覚的に笑える」ということでしかない。習ったことがつながるとか、考えてみれば奥深いとか、苦労して分かる楽しさとか、そういうのが全然ない。勉強の面白さが一切伝わらない。》
 法政大学キャリアデザイン学部教授の児美川孝一郎氏によると、1980年代のいわゆる「低偏差値校」の生徒は、授業態度が悪く、非行に走るような「ヤンキー」だったのに対し、最近の「低偏差値校」では学習意欲がなく活力がない生徒が増えているという(以下、「」内は児美川氏のコメント)。
 【前編】『「低偏差値高校」にヤンキーはいない…40年前からガラッと変わった「悲惨な実態」』
 高校で重荷となってしまう、小中学校の負の遺産
 しかし、知的好奇心や学習意欲が低い高校生が生まれてしまうのは、高校の教育現場の問題というよりも、小中学校時代の教育現場の問題が大きいと児美川氏は指摘する。
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 「基本的に義務教育は、自動的に学年が上がっていくため、留年の心配がない反面、どこかの単元でつまづくと学習内容が定着されないまま進級してしまうというデメリットがあります。つまりその学年時点で獲得しておくべき内容が身に着いていないので、進級、進学しても次の学習内容が理解できないということがよく起こるのです。
 そうなると、学ぶことで得られる成功体験も乏しいものとなり、“きっとうまくいく”“自分ならやれるはず”と考え行動できる自己認識能力である『自己効力感』が醸成されません。結果、勉強への興味も薄くなり、知的好奇心が芽生えない子どもに育ってしまうのだと考えられます」
 「現行の制度では、現場の教師の方々も子どもたち一人ひとりの学習状況を事細かに管理することは難しい。また少子化の影響などで定員割れする高校も多いので、選ばなければ誰でも高校進学ができてしまう時代になっています。
 したがって、ある時点で勉強につまづくと、その後もずっと挽回できずに学力が低いままになってしまうケースが非常に多い。いわば、小中学校時代の問題が高校まで先送りされているだけなんです」
 小中学校時代に培われるべき自己効力感が不足していると、学習意欲も低下し、さらに勉強が嫌になってしまう。そして、そのツケは高校時代になってやってくるというわけか。
 大都市はとくに悲惨
 特に東京都や大阪府などの大都市は、昔以上に低偏差値高校には学力の低い生徒が集まりやすい構造になってしまっており、学力格差の広がりが深刻なのだとか。
 「高校受験を経ることで高校間の序列が形成され、学力別に上位校、中位校、下位校と階層化されています。しかも大都市、とりわけ東京と大阪などは地方に比べて、制度設計に失敗してしまって、さらに大変な状況になっていると言えます。
 東京では2003年から、大阪では2014年から学区が撤廃され、都内、府内どこの公立高校も受験できるようになりました。学区撤廃は、それまで指定されていた学区以外の高校にも通うことができるというメリットはありますが、逆に言えば学校の選択肢が多すぎる状態になってもいます」
 「たとえば、自身の偏差値で合格できそうな高校が自宅近辺にない場合、遠方の学校に通学しなければいけなくなるというケースも出てくるんです。その結果、下位校にはかなり広範囲から学力の低い子が集まってくるようになるわけです。
 東京と大阪は人口規模が他の都道府県に比べて桁違いに多いわけですが、学区撤廃によって上位校には東京(大阪)中から学力の高い生徒が集まり、逆に下位校には東京(大阪)中から学力の低い生徒が集まってくるという構造になってしまっています。こうして学区撤廃によって、上位校と下位校の学力格差がさらに拡大してしまったのです」
 低学力の生徒が遠方の高校に通うようになることで、悪循環に陥ることも少なくないそうだ。
 「通学に片道1時間以上かかるとなると、学校に行くのが億劫になってしまうこともあるでしょう。また、通学に時間がかかると、おのずと自宅などで勉強できる時間も減ってしまいます。低学力の生徒ほど勉強がしづらい環境になってしまうというわけです。東京や大阪はこういった大都市固有の問題が発生しているので、今一度制度設計を見直すべきだと考えています」
 制度の拡張と学びの楽しさを提供していく重要性
 ツイートの投稿主のように低偏差値の高校で教鞭を取る教員にとっても、その現状は厳しいものだという。
 「基本的に教育困難校には、実績のある教員よりも若い方が着任される傾向にあります。都道府県ごとにルールは異なりますが、教員の異動ルートはいくつかのブロックに分けられており、決まった順番やルールで周回させられるようになっていることが大半です。
 そのため教育困難校に着任している教員は、全体として若手が多いうえに,何年か我慢すれば別の学校に異動できるので、教育熱心になりにくいという構造もあるのです。
 熱心に指導すると、なにかややこしい問題に巻き込まれるリスクもあるため、着任中は事なかれ主義的にトラブルを引き起こないように過ごして人事異動を待つ、という教員のほうがはるかに多いでしょう。
 とはいえ、この問題は現場の教員の方々の責任として押し付ければ解決できるという単純なものでもなく、もっと構造的な根深いものですから、熱意がないように見える教員を責めるというのも筋が違うでしょう」
 となると、やはり現行の制度を変えなくてはいけないのではないだろうか。
 「取り組まなくてはいけないのは、高校そのものの改革もありますが、まずは小中学校のほうでしょう。小中学校時代の教育を抜本的に変えていき、わからない分野を最低限理解できるまで丁寧に教えるという取り組みが必要です。
 そのためには、1クラスあたりの人数を40人から半分の20人にする少人数クラス制を実施したり、教員の数を増やしたりすることが急務となります。もちろん、それでもすぐに解決できる問題ではないので、長期的な視座が必要となるでしょう。
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 そして何より、生徒一人ひとりに学ぶことの意味や社会的意義を実感してもらうことが肝要になります。せっかく制度を整えても、根幹となる学びの面白さを感じてもらえなければ、教育の意味はありません。少しでも多くの子どもたちが学びを面白いと感じ取ってほしいと願います」
 「低偏差値高校」の実態を改善していくためには、高校の制度改革が必要なのかと思いがちだが、実はそれ以前の根幹となる小中学校の改革への取り組みが必要とのこと。“急がば回れ”でしっかり向き合っていかなければいけない難題のようだ。
 (取材・文=文月/A4studio)
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