📉10】─1─日本は学校教育で東アジア最劣等国化する。〜No.18No.19 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本の教育といっても、バブル崩壊後の現代とバブル経済以前と昭和前期前とは全然違う。
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 2023年1月24日 YAHOO!JAPANニュース JBpress「日本の東アジア最劣等国化を防げ 私立中授業料助成が大切な理由
 若者の創造性をいかに伸ばすかが、日本の将来を左右する
 1月19日、東京都の小池知事は自民・公明両党幹部との面会で「私立中学に通う年収910万円以下の世帯」に対する「都からの独自助成」の要請を受け、「急ぎ検討する」(https://www.jiji.com/jc/article? k=2023011900985&g=soc)と応じました。
 これに対して各方面から異論が上がっているようです。曰く
 「義務教育なんだから私立に行くのは贅沢」「趣味みたいなもんだろ」「自腹で行けばいい」「高校の無償化が先だろう」・・・。
 甚だしいものに至っては、「行政が格差を広げてどうするんだ」といった意見も目にしました。
 東京都内で私立中学に通う生徒は25%にも上るという数字があり「これで統一地方選挙対策も万全だろ」といった揶揄もあった。
 「私立中学進学助成」に諸手を挙げて「良い」とする意見はほとんど目にしません。
 このコラムは、学術教育の観点から「私立中学費助成は国家百年の計に資する人材育成の一手」として評価を展開しようと思います。
 以下では、選挙だ人気取りだといった観点ではなく「教育の多様性」という観点から「私立」助成を積極的に評価します。
 異論も多いと思いますが、例えば皆さん、これが大学だったらどうですか? 
 私立大学への進学助成は「贅沢」だ、みんな国公立に行って安く質の高い教育を受ければいいだろ、と言われたら・・・? 
 社会全体はいったいどのようなリアクションを見せるでしょうか? 
 私は良いと思います。みんな東京大学に来てください。低廉な授業料で、最高の教育を提供いたしましょう。
■  人材も「高度成長」した昭和30年代
 今年で私が東京大学に任官して25年目になります。正味四半世紀「国公立」の教官をやっている。母校でもありますから、かれこれ40年近く東大と縁があるわけです。
 大学以降はすべて「官学」。しかし、実はそれ以前の教育は、実はすべて「私学」にしか通ったことがありません。
 幼稚園から小中高とすべて私立です。でもこれを「贅沢」と、私の親は考えていなかった。我が家は「教育エンゲル係数」の極めて高い生計だったと思います。
 やや私事になりますが、私の父は私が小学校1年の時、学徒出陣後にシベリア抑留で芽を出した「肺がん」のため46歳で死んでしまいました。
 それ以降は母親が一人で、教師で生計を立てながら子供の教育に文字通り人生を懸けて取り組んでくれました。
 では「教育ママ」だったのか。およそ逆でした。「嫌いな勉強はしなくてよい」というのですから。その理由は? 
 「いやいややったことはテストが終わったらさっさと忘れる。そんなものは人生の空費でしかない」
 「若くて感じ方の柔らかいうちに、好きなことで優れたものを惜しみなく経験して本物になるのが教育の本質」
 これが、焼夷弾直撃で2年間寝たきりを挟んで、20代半ばで教師となり、15年在職後40歳で私を産んだ母の、教育に対する基本的な考え方でした。
 あともう一つ、ちょっとポイントなのは「嫌いな勉強はするな」「すべての教科を好きになってから勉強したら、全部本物の経験になって身につく」という「下の句」があったこと。
 それで小学校高学年から、子供向けの参考書などはほとんど用いず、最初から大学以上の専門参考書や事典、図鑑などだけを用い「水で薄めた子供だまし」は一切認められなかった。
 公立学校が準拠する「学習指導要領」は「学問のニセモノ」を子供に与えて日本をダメにしているだけだから、そんなものは相手にしてはいけない・・・。
 戦争を生き抜いたというか、爆弾で直撃されて2年間寝たきりから生還した鬼婆でしたから、ちょっと大変な信念で、子供としてはたまったものではありませんでしたが(苦笑)。
 でも、これが最も奏功したのが私の正業、音楽で最初からバッハ、ベートーヴェンシューマンチャイコフスキー・・・一番最初に接するのが本物であれば、後はそれを母語にして自然に育つというご無体な教育。
 完全に正解でした。
 さらに中学時代からの私の師、松村禎三から受けた教育も、最初から本物しか与えないというマナーで、学校には一切通わず、レッスンと国際コンクール類だけでキャリアを作りました。
 これを「子供の頃から音楽の専門教育なんて、さぞ家にお金があったのでしょう」などと雑誌ですら揶揄されたことがありました。
 しかし、それはゲスの勘ぐりというもので、事実を分かっていない。
 当時の我が家は父親が死に、教師の母が何とか生計を支え、松村禎三は生前、生涯1円のレッスン料も私から取ろうとはしませんでした。
 逆にご馳走してもらったことはいくらでもあります。確かに子供の頃の私にできることがあった。それを見つけ、利害欲得無関係に育ててくださった師匠筋が内外にあり、いまの仕事に繋がっている。
 なぜそんなことが可能だったのか? 
 かつて、戦後の日本は本土爆撃で日本列島中の都市が焼け野原で、多くの人が家を失い、誰もが食べられなかった。
 そんななか、子供たちの世代が未来を築くことに希望を抱き、多くの親が自分の衣食を削っても子供の教育にお金を投入し、次の日本を築き上げる夢を託した。
 松村自身も戦争末期に両親を失い、師の池内友次郎宅に「書生」として居候、食べさせてもらいながら東京音楽学校を受験、合格、健康診断で肺結核が判明して清瀬村(現清瀬市)の療養所行き・・・。
 そこから「想像力と数百円」ですべてを作り上げました。
 戦後の「高度成長期」は単に日本や西ドイツの経済が高度に成長しただけではなく、戦後に育った世代が、焼け跡で住む家もない状況から苦学して世に出、本当に未来を築き上げた「人材育成高度成長期」でもあった。
 同じことを近年の「日本人」ノーベル賞受賞者で考えてみましょう。
 真鍋淑郎(1929-)2021年ノーベル物理学賞受賞
 本庶佑 (1942-)2018年ノーベル医学生理学賞受賞
 大隅良典(1945-)2016年ノーベル医学生理学賞受賞
 大村智 (1935-)2015年ノーベル医学生理学賞受賞
 といった人たちが1945年に何歳だったか(16歳、3歳、0歳、10歳)を考え、1950~70年頃、昭和30年代を中心とする約20年間にどのような年配を過ごしたか。
 真鍋淑郎(21~41歳)
 本庶佑 (8~28歳)
 大隅良典(5~25歳)
 大村智 (10~30歳)
 最年長の真鍋氏は昭和33(1958)年に渡米して米国国立気象局の博士所員となり、1975年には米国籍も取得して頭脳流出してしまいますが、本庶、大隅、大村の各氏は小学校から中高大、大学院にかけて、まさに科学者になる世代を「高度成長」したことがよく分かると思います。
 真鍋さんは旧制で育ち新制東大の1期生でしたが、他の3氏はみな地元、宇部、福岡、韮崎の県立高校で、当時の「普通」の環境下で学びつつ育った。そしてそこで独自の創造性を養うことができた。
 この時代、日本は決して物質的に豊かではなかった。
 しかしその分、夢を育む時間と空間の余裕、ドラえもんの空き地があり、そこには埋設前の土管が子供の遊び道具になっていた。
 同じように、あてがいぶちで大人の営利の道具であるファミコンなどは存在せず、子供たちは身の回りにある何でも、おもちゃに見立てる遊びの天才だった。
 それが身の回りの算数や理科をも自在に操る道具やペットマテリアルにして、人類の歴史を変える大きな貢献につながった。
 ここにあるのは、物質的には何もなかったかもしれないけれど、精神の「自由」があり、青空と明日への希望、夢があった。
 私自身そうした世代の一番最後、「共通一次試験」導入初期に、そうした教育を「腐敗・堕落」と公言してはばからない教師や親のもとで育ったので、状況がよく分かります。
■ 日本の未来を支える「教育の自由化」
 かつて明治末期から大正初期、幕末維新をティーンから20代として過ごした「草莽の志士たち」も還暦を迎えていましたが、「大正デモクラシー」の教育状況を深刻な「国難」と考えていました。
 何がダメだったか? 
 東京帝国大学を中心とし、恩賜の銀時計を頂点とする硬直し切った教育ヒエラルキーは「近視眼官僚」やら「陰謀公家」やらを輩出。
 片や帝大でトップを取り損ねた優秀な人材が「これから先一生、あんなやつの風下になるくらいなら」と自殺したりして、ある「末期」を迎えていました。
 そこで「教育に風穴を!」と導入されたのが「私学」だった。
 大正の教育改革、1920年の制度改変で、この時生まれたのが「早稲田大学」「慶應義塾大学」「同志社大学」「日本大学」など最古参の私立大にほかなりません。
 それより前、明治期にはこれらの学校は、慶應が「義塾」といっているように「専門学校」で、「大学」と名のつくものは帝国大学以外には存在しなかった。
 大学と名のつくものが、いきなりたくさんに増え、教育は一挙に自由化、多様化多彩化し、大正デモクラシーの花が咲き誇ります。
 ちなみに「高等学校」も、明治期には「第一」から「第八」まで番号のついたナンバースクールしかなかった。
 それではいけないと、1919~23年にかけて「ネームスクール」と呼ばれる「松本」「水戸」などの新設校が16も同時に誕生し、いきなりたくさんに増えた「大学」に対応して「旧制高校生」も増えた。
 でも、それじゃまだ足りない。「中学」が一番大事という議論が100年前にも熱く戦わされていたのです。 
 真鍋さんは旧制で育ち新制東大の1期生でしたが、他の3氏はみな地元、宇部、福岡、韮崎の県立高校で、当時の「普通」の環境下で学びつつ育った。そしてそこで独自の創造性を養うことができた。
 この時代、日本は決して物質的に豊かではなかった。
 しかしその分、夢を育む時間と空間の余裕、ドラえもんの空き地があり、そこには埋設前の土管が子供の遊び道具になっていた。
 同じように、あてがいぶちで大人の営利の道具であるファミコンなどは存在せず、子供たちは身の回りにある何でも、おもちゃに見立てる遊びの天才だった。
 それが身の回りの算数や理科をも自在に操る道具やペットマテリアルにして、人類の歴史を変える大きな貢献につながった。
 ここにあるのは、物質的には何もなかったかもしれないけれど、精神の「自由」があり、青空と明日への希望、夢があった。
 私自身そうした世代の一番最後、「共通一次試験」導入初期に、そうした教育を「腐敗・堕落」と公言してはばからない教師や親のもとで育ったので、状況がよく分かります。
■ 日本の未来を支える「教育の自由化」
 かつて明治末期から大正初期、幕末維新をティーンから20代として過ごした「草莽の志士たち」も還暦を迎えていましたが、「大正デモクラシー」の教育状況を深刻な「国難」と考えていました。
 何がダメだったか? 
 東京帝国大学を中心とし、恩賜の銀時計を頂点とする硬直し切った教育ヒエラルキーは「近視眼官僚」やら「陰謀公家」やらを輩出。
 片や帝大でトップを取り損ねた優秀な人材が「これから先一生、あんなやつの風下になるくらいなら」と自殺したりして、ある「末期」を迎えていました。
 そこで「教育に風穴を!」と導入されたのが「私学」だった。
 大正の教育改革、1920年の制度改変で、この時生まれたのが「早稲田大学」「慶應義塾大学」「同志社大学」「日本大学」など最古参の私立大にほかなりません。
 それより前、明治期にはこれらの学校は、慶應が「義塾」といっているように「専門学校」で、「大学」と名のつくものは帝国大学以外には存在しなかった。
 大学と名のつくものが、いきなりたくさんに増え、教育は一挙に自由化、多様化多彩化し、大正デモクラシーの花が咲き誇ります。
 ちなみに「高等学校」も、明治期には「第一」から「第八」まで番号のついたナンバースクールしかなかった。
 それではいけないと、1919~23年にかけて「ネームスクール」と呼ばれる「松本」「水戸」などの新設校が16も同時に誕生し、いきなりたくさんに増えた「大学」に対応して「旧制高校生」も増えた。
 でも、それじゃまだ足りない。「中学」が一番大事という議論が100年前にも熱く戦わされていたのです。
■ 人生を決めるのは「中2病」? 
 「鉄は熱いうちに打て」と、思春期前期の教育が人生を決める、との会津白虎隊の生き残りである帝大総長・山川健次郎の強い指導もあって「旧制7年制高等学校」が作られたのです。
 まだ12、3歳、声変わりもせずヒゲも生えていない「子供」に、いきなり大学院と同様の本物の先端教育を値引きなしに施す。
 その結果「中2病」の被害者(? )として本物、筋金入りの科学者や技術者、世界をリードする若者が日本から大量に生み出されることになりました。
 官立では「東京高等学校」、私立では「旧制武蔵高等学校」「旧制甲南高等学校」「旧制成蹊高等学校」「旧制成城高等学校」、ほかに台湾と、公立として富山と大阪、東京に3つ、合計9校作られました。
 当時は東京「府」で「府立高等学校」、現在の東京都立大学。これらの学校がこの100年に生み出した世界的なリーダーの名を、ここではいちいち挙げません。
 重要なのは、私立中学は学費がかかるけれど、親が頑張ってそれを支えた。その結果、世界に冠たる日本発の学術、教育、イノベーションがグローバルスタンダードを(ある時期)牽引したという事実です。
 「中学生からの教育強化、自由化を!」という大正教育改革の基本は、100年が経過した21世紀の今日も、微動だにしない一貫した本質であり続けている。
 いま日本の教育が本格的に墜落寸前にあるなか、ここを何とかしなければならない。
■ このままではアジアの2等国に転落する
 「戦後78年」日本の教育が衆愚劣化の傾向を強めた一大転機は、1978年度から導入された「共通一次試験」導入と「国立一期校・二期校」区別の撤廃あたりにあるでしょう。
 私自身この初期の世代なので「使用前」「使用後」を知っており、使用後、明らかに日本の学力は崩壊していきました。
 東大、京大などが並ぶ一期校に対して医科歯科、外語、横国大など「二期校の雄」も居並ぶなか、全体の趨勢として「二期校は滑り止め」的な階層分化が見られる、として国立大学は一列並びにさせられた。
 しかし、かえって偏差値という1元的な尺度で上下を比較される序列化の傾向を強めてしまった。
 その後の教育改悪と迷走ぶりは、いまさらここに記すまでもないでしょう。
 一方ではIT化だAI化だと電子計算機の社会展開が称揚され、プログラミング教育という世も末な標語ももてはやされるようになった。
 ところが、電子計算機内部の演算は大半が「行列算」でできているのに、その行列は高等学校の数学で教えなくなってしまった。
 いまや「文系進学コース」に進むと大学受験以前に、行列算の一番の基本である「ベクトル」も習わなくなり、日本は「情弱国家」への衰退路を一目散にひた走っている。
 こんな愚かな教育制度に付き合わされていると、本当に21世紀に生まれた「Z世代とそれ以降」は国際社会で世代としての勝ち目がなくなってしまう。
 例えば、日本で文系の教育しか受けずに経済学部を出ましたといって、香港やシンガポールのトレーダとどうやって対抗するというのでしょう。
 入試程度のベクトル算のトレーニングも経験することがないままで・・・。
 原理的不可能、ただ単に無理としか言いようがありません。でも決して手を拱いているわけではない。
 私は評論家ではなく、関連の研究教育に責任を持つ当事者ですので、25年来一貫して実践努力も惜しまず続けてきました。
 今週末1月29日にも、私たちは恒例の「ひらめき☆ときめきサイエンス」白熱音楽教室https://www.jsps.go.jp/hirameki/22ht0000/22ht0042.pdf)を開催します。
 参加料は無料。ちなみに私には一銭の儲けもありませんが、連日連夜、研究室を挙げて準備にいそしんでいます。
 「白熱音楽教室」は小学校5年から高3までの生徒が受けることができます。ただし、東大学部入試よりもハードかもしれない「選抜課題」をクリアした20人だけ。
 それ以上の人数を私たちのラボで十分痒い所に手が届く形で指導できないから人数は絞らざるを得ない。
 白熱音楽教室では小学生にも分かる形で、大学院~最前線レベルの本質を教授します。それと同時に、中学高校で習う物理や数学、生理の核心もしっかり教えます。
 それは紙の上のお勉強ではない。例えばニュートンがプリンシピアで初めて示した、周波数と波速の関係、式で書けば
 c=λν
 などを、ゲームを遊んでいる意識で実測しながら、心と体と自分自身の測定と計算で骨の髄から感得する。
 そういうのが「旧制7年制高校」以来の「自由化教育」の本質で、100年経っても何も変わりません。
 私自身もかなり時間と労力を割いて準備しており、院生たちも全力で準備、極めて贅沢な内容を、準備のある子にお金関係なしに提供します。
 優れたものを、惜しみなく。
 こういう発想がいまの日本には決定的に欠けてしまった。その結果が「子供を私立中学に入れるのは道楽だから、補助金など出さなくてよい」といった、水は低きに流れる式の横並び見解に結びつくように思います。
 こんなことを続けていたら、日本の未来を支えるべき世代に、切り開く発想を持った人が払底してしまうでしょう。
 格差を広げるのではない。大半の人は残念ながらあまり創造的に熱心に学んだり、学術を未来に拡張する無償の努力に興味がない。
 でも、世代の中で例外的に、そういう関心を持った子供たちを伸ばすこと、教育に自由の幅が大きい形で次世代を育てる「私立中学費助成」に、私は全面的に賛成、と記したいと思います。
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