📉35】─2・B─日本の大学に優秀な人材は定着しない当然の理由。〜No.76 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2023年6月3日 YAHOO!JAPANニュース JBpress「欧州の報酬は日本の3~4倍、これでは日本の大学に優秀な人材は定着しない
 日本の教育は根本から建て直さないと大変なことになる(写真は英オックスフォード大学)
 なかなか目にしない文字列を時事報道の中に見つけました。
 「東京大学教授ら教員の残業代支給を求め全国署名、現実は30%まで上げても足りない、抜本的改革を」
 全くもってそうなんです。私も現役の東京大学教授として、「教員残業」関係のブラックな現実を四半世紀、つぶさに見続けてきました。
 その一端を記してみます。
■  ブラック残業で命を落としかけた実例
 事実は小説より奇なり、です。実例を一つご紹介しましょう。
 A氏は都内の超有名進学校出身、東京大学の理系学部を卒業し、本来なら修士課程を修了した時点で世に出、企業で辣腕を振るうはずでした。
 (このA氏と私は、新たに着任した最若手助教授と院生という形で出会い、今現在も縁は続いています)
 ところが、様々理由で彼は博士課程に進学、ドクター取得後は東京大学助手として大学のポストに就任、水を得た魚のように縦横に活躍することができるはずだったのですが・・・。
 様々な経緯で、自分で見つけた私学(文系学部)の講師に着任、30歳を過ぎて新たな生活が始まり、そこでこの世の地獄を見たようです。
 彼の受難、そもそも最低最悪な大本は、日本の事なかれ主義がはびこる教育行政、ならびに出口での水準チェックのない「履修主義」の「形だけ教育」蔓延の現状でした。
 私のあまり好きな言葉ではない「偏差値」で言って40にひっかかるか、ひっかからないか(Fランクといいます)、ともかく学生に学力が期待できない私大文系の教育を担当したA氏に「リカレント教育サービス残業の打診が寄せられました。
 そして、これに応じた結果、A氏は命を落としかける災難に直面させられてしまいます。
■  「リカレント教育」とは何か? 
 ここで災難の中心であるリカレント教育について補足しておきます。
 ご存知のように日本の学校は義務教育も中等教育も、基本「履修主義」で「習得主義」ではありません。
 この言葉自体が、分かりにくいですね。
 「習得主義」とは小中学校などで学ぶ児童生徒が「所定の教育課程を履修して,目標に関し,一定の成果を上げて単位を修得することが必要」とする考え方を指します。
 端的に言えば、学年ごと学期ごとにテストを受けて、合格点に達しなかったら落第、留年などが当然となる。
 私にすればごく当然の考え方なのですが、日本の現実はそうはなっていないのです。
 「習得主義」の対義語は「履修主義」。
 「履修主義」とは、小中学校で学ぶ児童生徒が「所定の教育課程をその能力に応じて、一定年限の間、履修すればよいのであって、特に最終の合格を決める試験もなく、所定の目標を満足させるだけの履修の成果を上げることは求められていない」とする考え方です。
 現実的には、校長が合格と判断すれば、進級も卒業もできる。つまり学力的に「ザル」の教育制度で、これが日本の現実になっている。
 「みんな一緒に入学して、それぞれに頑張ったんだから、結果がどうであれ、一緒に卒業しようよ!  そうじゃないと、ダメだった子がいたら可哀想じゃないか!」
 「そうそう、日本は民主主義なんだから、全員平等に卒業できるのが義務教育なんでしょ?」
 こういった、グローバルに見ればかなり極端な考え方が常識化して久しく、ことによるとこの日本の病気は、死ぬまで治らないかもしれません。
 この状況が何を生み出すか・・・。
 「常用漢字の読み書きができない普通科高校生」
 「分数の計算、百分率や歩合が理解できない4年制大学生」
 「統一教会やオウムなどの霊感商法に簡単に引っかかる大卒社会人」
 などを系統だって量産してしまうわけです。これは本当に社会が「死に至る病」と言うしかありません。
 一方、大学は卒業生の就職率を少しでも高くして、少子高齢化の中で受験志願者数を確保する延命を画策します。
 そこで、割り算や分数が危うい名ばかり大学生に、就職率アップのため百分率や歩合などを教える補習トレーニングを施すことになった。
 それがリカレント教育なる名で呼ばれることになったのでした。
■  ブラック化必然の「闇科目」
 さて、現実には分数も百分率も分からない大学生が少なくないとはいえ、大学の卒業単位として「小学算数の復習」科目を位置づけることはできません。
 リカレント教育科目は、必然的に「単位外」の「闇科目」化せざるを得なくなります。
 またそのような科目の指導もまた、正規に俸給を出す対象にはなりません。これはほかの一般大学、例えば東大でも同様です。
 「全学必修科目」を担当する非常勤には報酬が支払われますが、必修や選択必修から外れるゼミナール類は、その限りではありません。
 さらに顕著なことは、私たち常勤の大学教員は、他学部の学内非常勤など、本来の雇用条件から外れる教務であっても、学内は「謝金ゼロ」という慣習が墨守されますので、1円の報酬も受け取ることはありません。
 私は東大に1999年に人事がありましたので、過去24年間、21世紀に入ってこの方、すべての時期に東大本郷や駒場の教壇に立ちました。
 その間、あらゆる学内非常勤すべて「無報酬」が当たり前という奴隷的な制度のもとで教えてきました。
 「奴隷」という言葉はどぎついですが、実際ここ四半世紀、欧米大学で勤務する友人たちから「あなたのような人が、どうしてそんな劣悪な環境に甘んじているのか?」と尋ねられ続けてきました。
 欧州人で欧州の某超一流大学に勤務し、長の字のつく私より年少のある有名大学教授の友人は、年収にして手取りが私の3~4倍です。
 しかも、教務は講義が半期に1コマ、教材づくりには専門のティーチング・アシスタントがつき、パワーポイントなどすべて、その助手さんに資料を渡して、彼、彼女が整備、投影。
 友人は当該の時間に教壇に立って講義すればよいだけ。そして、繰り返しますが手取り年収は私の3~4倍。
 3割とか4割増しではありません。300%~400%、数千万円の年収を手にして、彼の貴重な学識を学生たちに提供しているわけです。
 翻ってA氏はどのような惨状に直面することになったのか? 
■ 日本の大学に最高の人材が定着しない理由
 かつて、青色発光ダイオード中村修二氏が「日本の企業人はなぜ企業の奴隷に甘んじているのか?」と尋ねられ続けたらしい。
 結局意を決して頭脳流出、日本国籍を捨て米国に移住してしまった経緯が広く伝えられました。
 私は中村氏の米国移動直後、彼の勤務するカリフォルニア大学サンタバーバラ校に滞在する機会があり、日本と天地、雲泥の差が明らかな現場にただただ言葉を失いました。
 現実の東大は、あの頃(2000~2005年)が「まだ煉獄だった」と思える程度に、救いようのないことになっています。
 さて「Fランク大学」で、小学校レベルの算数、百分率や歩合などが分からない学生たちにサービス残業リカレント教育を押し付けられたA氏ですが、いくら教えてもどうにもならない。
 時間がどれだけあっても、およそ学習効率が上がりません。
 学ぶということ、あるいは能力を身に着けることそのものに焦点が合わない2010年代「大学生」の実情を痛感。
 試行錯誤の末「ゲーミフィケーション」が能力開発の一つのカギであることを発見します。
 というのは、学校の勉強ならできてもできなくても「いいんでしょ、できなくても」と開き直ってしまう当世の大学生でも、ファミコンで、あるいはゲームセンターで友達と競うような感覚は理解するらしい。
 そうしたゲーム化「e-learning」のシステムを工夫してみたりしたのです。ところが、やればやるだけ無限に時間を取られ、そのうち身体にも、また社会的な諸状況にも失調、異常をきたし、最終的にはドクターストップをかけられることになります。
 「このまま続けていると、生命の危険が懸念されます」と、医師の勧めでA氏は大学を退職。
 ところが大学は、いままでタダで使い倒していたA氏のシステムが動かないと一日もまともに稼働しないことが明らかになります。
 ということで、学外で独立したA氏は、企業人として大学から外注で、全く同一の仕事を請け負うことになります。
 そのギャランティは、元来の専従としての手取り全額よりもはるかに高い。それが、業界標準の「フェア」とされる対価であった・・・。
 つまり、外注すれば専従として雇うよりはるかに高額な経費相当をサービス残業でブラックに搾取され続け、ついにはドクターストップで離職にまで至ることとなった。
 以上すべて、何の誇張もない、あるがままの事実です。
 日本の大学教育機関が様々美名のもと、いかに若い教員スタッフの時間と能力を搾取し、それで成立しているかを如実に示すほんの一例に過ぎません。
 今回の全国署名を呼びかけた教授陣、私は一人も存じ上げる人がありませんが、その主張は全く真っ当なもので、私が現実を知る大学については100%事実に即応しています。
 同様の事柄がより大規模に、またより根深い形で日本全国の小中、高等学校現場を蚕食している可能性があるでしょう。
 こんな待遇だから、日本では最も優秀な人が大学に残らないし、小中高等学校の教員になろうという人材も、学年の中で最優等の成績保持者ばかりとは言えない状況が続いていると聞きます。
 もっとも由々しいと思うのは、特に小学校教諭などで、先生自身が偏差値40台やそれ以下の水準を「履修主義」で通過しているケースが現実にあること。
 「3×2と2×3の答えの書き方がどうした」という問題があります。
 教員を指導する立場にある人から、「先生自身が数学を理解しておらず、そもそも好きでもない。というか大嫌いなまま教師をやっているケースが現実にあります」と嘆息とともに内情を教えられたこともあります。
 こうした先生の実数、割合などは知りませんが、かなり瀬戸際にある状況なのは間違いありません。
 東大を含め、大学の待遇は諸外国と比較にならないほど劣悪で、最優秀な人材は残ってくれないと先ほど書きました。
 「ということは、お前もその東大の教授なんだから、最優秀じゃないんだろう。そんなこと言う資格が、お前自身にあるのか?」と突っ込まれそうです。
 そこで、最後に私がなぜ、そんな日本の教育機関にまだ在籍しているかの理由を書いておきます。
 私の研究室は、世界で唯一、先端的な自然科学の実験研究を展開しながら、芸術音楽の前線で創造的な活動ができるラボラトリーを、その制度面から私自身コミットして作ったものなのです。
 こんな仕組みはハーバード大学やMIT(マサチューセッツ工科大学)など世知辛い米国の大学はもちろん、オックスフォード、ケンブリッジ、パリ、ベルリン、ミュンヘン、ローマ、ボローニャなど歴史と伝統を誇る欧州最高学府群にも一切存在しません。
 世界最高水準のソリストとして演奏できる若い音楽家が、一切の値引きなしに量子物理や人工知能、脳神経科学を駆使して芸術の基礎を探求「してもよい」そういう学校を私は1999年に作った。
 そして、いまそこで、そういう人材が育っている。
 この人たちがどうにか社会に完全に巣立つまで、私が作った学校をほったらかすことはしないし、逆に私が離れた後は空中分解して終わる可能性が高いでしょう。
 また私の今後の仕事の足場も、日本国内に限局せず、いま現在準備している最中です。
 日本の教育は、格好だけの空疎な現実を「履修主義」などと糊塗して、いまや狂牛病的スポンジ状態を呈している可能性がある。
 まともな状態に戻すには、抜本的な待遇改善と30年程度の時間を経て、指導陣から立て直さねばなりません。
 そうした方向に声が上がったことは、何よりも力になる第一歩です。署名の方法が分かり次第、私も一筆寄せたいと思っています。
 伊東 乾
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 日本の大学は、優秀な学生を国際的な人材に育てて、日本と世界に貢献しようという崇高な使命より、学校経営の為に入学者の定員数を確保し全員を卒業・就職させる事に重きを置いている。
 不足する日本人学生の代わりに中国人など他国の若者を多量に受け入れている。
 日本の大学の学術レベルが低下するのは、自己責任として自業自得である。
 全ての原因は、人口激減による青少年の減少である。
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 日本教育界の教養レベルの低下には、学費の無料化などは何の意味もない。
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