🗡53〗─1─軍用機技術で製造された電気自動車「たま」。〜No.167No.168No.169 

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 経費を度外視し、無茶な条件をで研究開発するのは、軍需であった。
 よって、軍需技術はたえず最先端を走っていた。
 民需は、利益を第一に考え、経費をなるべく減らして研究開発を行う。
 日本の民間企業は、冒険的博打的なオリジナルを敬遠し、欧米の売れ筋を真似する事で金儲けする。
 日本では、ゼロから1を生み出すようなイノベーションは起きない。
 つまりは、日本人経営者のイノベーションは口先だけで、日本企業は日本人のイノベーションの芽を潰している。
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 特定非営利活動法人自動車研究者ジャーナリスト会議(RJC)
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 100年以上にわたってお世話になってきたガソリン自動車だが、近頃いささか肩身が狭く、なにやら環境にやさしいクルマと称して、燃料電池車、ハイブリッド車、電気自動車などが注目されてきた。燃料電池車はお高くて近寄りがたいが、目下の人気者はハイブリッド。しかし、電気自動車も昨年から限定販売され、今年4月から三菱のi-MiEVアイミーブ)がいよいよ一般ユーザーへの納車を開始する。
 電気自動車の歴史は古く、19世紀末にすでに出現している。わが国でも戦前に造られ、戦後はガソリン不足と、比較的簡単に造れることから、多くの電気自動車が出現したが、量産されたのは、1947年~1951年に1099台の乗用電気自動車を生産した「たま」であった。立川飛行機の技術者有志によって設立された東京電気自動車(1949年たま電気自動車に社名変更)によって生産されていたが、1950年に勃発した朝鮮戦争で日本経済は特需に沸くが、戦略物資である鉛の価格が10倍近く暴騰、バッテリーも高騰した。一方、ガソリンは米軍から大量に放出されたため、電気自動車は完全に息の根をとめられた。
 その後、中島飛行機系の富士精密工業ガソリンエンジンの開発を依頼し、供給を受けて「プリンス」を発売、やがて富士精密と合併しスカイラインを生んだプリンス自動車へと発展する。1966年に日産自動車に吸収合併されたが、その日産から今年、電気自動車「リーフ」が発売される。
 新世代電気自動車もベンチャー企業を含め多くの企業が生産に名乗りをあげており、20世紀中頃までのようなバライティーに富んだ多くのブランドが出現するかもしれない。相変わらずバッテリーのコストがネックとなっているが、現代の技術と知恵をもってあたれば解決できると確信する。
 たま電気自動車の最初と最終モデルのカタログ、最終モデルのスペック、1948年3月に実施された、商工省主催の第1回電気自動車性能試験のスナップを紹介する。当時は性能試験で優秀な成績を得た企業に優先的に資材が割り当てられ、「たま」は他車を大きく引き離しトップの成績を残している。
 60年前のたま電気自動車、プリンス自動車に興味をお持ちの方は、三樹書房から出版された拙著「プリンス」を手に取って頂ければ幸いである。
 1947年型たまE4S-47-II型のカタログ。 全長3200mm、全幅1270mm、最高速度35km/h、 一充電走行距離65kmであった。
バッテリー・カートリッジは左右の床下に納められ、 簡単に交換できた。車両重量1050kgの内 バッテリー・カートリッジが327kgを占めていた。
 1948年3月、大阪・高槻市で実施された 第1回電気自動車性能試験での たま電気自動車E4S-47-II型。
 1950年型たま・セニアEMS-49-II型のカタログ
 1950年型たま・ジュニアーE4S-49-II型のカタログ
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 webモーターマガジン
 【写真館】リーフのご先祖様! 70年も前に存在していた「たま電気自動車」って知ってる?
 今や時代の寵児となったEV=電気自動車。もうじき第二世代のリーフも発表されるが、実は第二次世界大戦直後の日本は、ちょっとした電気自動車大国だったのだ。そんなEV黎明期の一台がこれから紹介する「たま電気自動車」である。
 リーフの発売を記念して、日産自動車が所蔵していた「たま電気自動車」を社内有志の手で完全修復(2010年)。
 第二次世界大戦終結後、進駐軍に占領された日本には物資や食料だけではなく、石油の輸入も滞って経済そのものが沈滞していました。そんな状況で唯一供給過剰となっていたのが電気。大口の需要者であった大規模工場のほとんどが破壊された一方で、発電所(当時は水力発電所が主流)は山間部にあり戦災を免れていたからです。また家電製品も普及しておらず、民需もわずかなものでした。
 「たま電気自動車」はその高性能ぶりが評判となり当時一番売れた電気自動車となった。生産終了は1950年。
 そこで復興のために立ち上がったのが、航空機製造会社にいたエンジニアたちでした。その中のひとつ、元立川飛行機のエンジニアが中心となって1947年(昭和22年)に設立されたのが東京電気自動車(のちのプリンス自動車)です。エンジニアたちは終戦直後から、当時だぶついていた電気に注目して、ガソリンではなく電気で走る自動車の研究をスタートしていました。新会社設立の直前に発表された電気自動車は、会社所在地にちなんで「たま」と名付けられました。当時は、他社からも多くの電気自動車が発売されていましたが、その中でも「たま」の性能は群を抜いていたといいます。1充電あたりの航続距離は96km、最高速度は35km/h。現代のリーフとは比較になりませんが、当時はその性能が評判となり、タクシーなどにも大量に採用されていました。
 バッテリー。当時は回生技術はなく、余った電気は熱に変換して捨てていた。
 「たま」はその後も改良を続け、1949年に発表した「たまセニア号」では、1充電で200kmの航続距離と最高速55km/hを実現するまでに進化しました。また同年には、車名にちなんで社名を「たま電気自動車」に変更しています。
 今では当たり前のアリゲータータイプのボンネットも「たま」が初めて採用。モーターは直流式で、抵抗器でスピードをコントロールしていた。
 ところが、1950年に勃発した朝鮮戦争によって鉛の価格が暴騰して、バッテリー価格も高騰しました。一方、ガソリンの供給が安定したのに伴いエンジン車の需要が急激に高まっていきました。これらを背景として、たま電気自動車は電気自動車の生産を終了。車名を「たま自動車」と改め、さらに1952年にはガソリン車の「AISH型乗用車」「AFTF型トラック」を発表するとともに社名を「プリンス自動車工業」に変更しました。同社のその後については、皆さんもよくご存じのとおりです。
 「たま」電気自動車の誕生から63年後の2010年に、日産から「リーフ」が発売されたのは何かの縁でしょうか? 
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 NHK 歴史秘話ヒストリア 
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 走れ!たま 知られざる電気自動車の時代
 ●本放送
 令和元年11月27日(水) 22:30~23:20 総合 全国
 ●再放送
 令和2年 1月 7日(火)
 15:08~15:58
 総合
 全国
 ※放送予定は変更されることがあります。また地域によっては放送の有無もあります。
 当日の新聞、最寄りのNHKのHPなどでご確認下さい。
 出演:外山 保 役:倉増哲州/田中次郎 役:梅林亮太
 エピソード1 ヒコーキ屋がクルマ!?
 外山は自動車に活路を求める(ドラマパートより)
 太平洋戦争時、軍用機メーカーだった「立川飛行機」は、敗戦でGHQが日本の航空機製造を禁止したため窮地に陥ります。そこで同社エンジニアの外山 保(とやま・たもつ)が主張したのは自動車メーカーへの転換。当時の状況から電力で駆動する「電気自動車」開発に取り組むことになります。
 エピソード2 たま 運命の性能試験
 ようやく完成をみた電気自動車「たま」。しかし鋼板など資材が調達できず、量産のめどがたちません。そこへ飛び込んできた商工省(今の経産省)の「電気自動車性能試験」実施の知らせ。この試験で高性能を認定された企業には優先的に資材が配給される――外山と若手エンジニアたちは勝負に出ます。
 性能試験で奮闘するエンジニアたち(ドラマパートより)
 エピソード3 知られざる電気自動車ブーム
 2010年に復元された「たま」(提供 日産自動車
お上お墨付きの高性能とあって販売好調の「たま」。特にタクシー向けに売れ、製造開始2年目には日本でつくられた乗用車の1/3を占めるまでになります。しかし、戦争の傷が癒え、ガソリンの入手困難な状況も次第に改善されると「たま」隆盛にもかげりが……。日本「まぼろしのEV時代」を描きます。
 参考文献
 『プリンス自動車 日本の自動史に偉大な足跡を残したメーカー』(当摩節夫 三樹書房
 『プリンス自動車の光芒』(桂木洋二 グランプリ出版)
 『電気自動車ハンドブック』(電気自動車ハンドブック編集委員会 丸善株式会社)
 『プリンスの思い出』(日産プリンス睦会)※非売品
 『「プリンス」荻窪の思い出 ―Ⅱ』(荻友会)※非売品
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 午後10時30分~ 午後11時20分
 歴史秘話ヒストリア「走れ!たま 知られざる電気自動車の時代」
 近年、ガソリン車に迫る勢いで普及しつつある電気自動車(EV)。ところが70年あまり前の敗戦直後、日本に「電気自動車」が活躍した時代があったことは、あまり知られていない。主役は電気自動車「たま」。つくったのは元飛行機メーカーの技術者たちだ。GHQに飛行機の製造を禁じられた彼らは、電気自動車の製造に生き残りを懸ける。元「ヒコーキ屋」たちが、みずからの技術を頼りに、戦後の混乱を勝ち抜く姿を描く。
 解説
 字幕放送
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