⛻4〗─1─聖武天皇の戦略。正倉院の宝物の9割以上は日本産。~No.9No.10No.11 * 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 聖武天皇による新しい日本造りが、日本のモノ作りの原点であった。
 日本民族日本人は、天皇と共に生きてきた。
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 日本人職人は、中国以上にシルクロードを通じて中央アジアを夢見て宝物を作っていた。
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 日本にとって、唐(非漢族系中国人)は憧れである同時に敵であった。
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 反天皇反日的日本人達は、全ての天皇の人徳を完全否定し、仁徳天皇聖徳太子同様に聖武天皇光明皇后を人民を搾取し暴力を振るった暴君として憎悪している。
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 正倉院宝物には、朝鮮は関係ない。
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 【NHKスペシャル
 天皇が創った至宝
 ~正倉院宝物が伝える“日本誕生”~
 2019.11.8(金) 、16(土) 、21(木) NHK再放送
 番組タイトル
 天皇が創った至宝
 ~正倉院宝物が伝える“日本誕生”~
内 容
 今年10月、新天皇即位を記念し、天皇家が守り続けてきた「正倉院宝物」が公開される。1300年という世界にもまれな悠久の時間を超えて残された宝物の数々。シルクロードを経て日本にもたらされたと考えられてきたが、最近の研究で、その多くが日本国内で作られたことが明らかになってきた。
 番組では、宝物を超高精細8Kカメラで撮影。すると、宝物に残された製作工程を示す痕跡を、初めて映像でとらえることに成功した。そこから浮かび上がってきたのは、日本で宝物を作る一大国家プロジェクトの存在。推し進めたのは、奈良の大仏を建立した聖武天皇である。当時、日本は、巨大帝国・唐に対抗すべく、新しい国づくりを進めていた混迷の時期。宝物の国産化は、日本を生まれ変わらせようとする聖武天皇にとって、乾坤一擲の秘策だったことが見えてきた。
 “ものづくり日本”の原点ともいえる 1300年前のプロジェクトを、正倉院宝物から解き明かす歴史ミステリー。東京国立博物館奈良国立博物館での特別展開催に合わせ、至宝の魅力をあますところなく伝える。
 *染司よしおか5代目 故・吉岡幸雄と染師 福田伝士が出演しています。琵琶の材料になる楓の木の蘇芳染に挑戦しました。
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2019/10/30 NHK総合 【NHKスペシャル】
天皇が創った至宝~正倉院宝物が伝える“日本誕生”~
去年10月、ある宝物から不思議な痕跡が見つかった。
「鳥毛立女屏風」は高さおよそ140センチ6枚一組の屏風。
木の下で優雅にたたずむ女性の姿。
額の化粧から唐の女性であることが分かっている。
女性の肩に不思議な痕が見つかった。
絵を模写する時紙の上に見本を置きその線を鉄筆でなぞることがあるが、その時下の絵に屏風と同じ線が現れた。
屏風は聖武天皇の命で日本の職人たちが作り上げた宝物だった。
聖武天皇が生まれる40年ほど前、国の名は日本ではなく倭国
天皇という称号は大王だった。
同盟国だった百済を助けるため巨大帝国唐に戦いを挑んだ白村江の戦い
倭国は惨敗した。
大王はこの国を生まれ変わらせるため大きな改革に乗り出す。
福岡・太宰府市で7年前改革の中身を伝える発見があった。
当時、倭国連合国家のような状態。
地方では豪族の力が強く大王の力は及んでいなかった。
そこで大王は地域の人々の情報を把握し国を直接支配しようとした。
更に国の名前を倭国から日本に大王を天皇に改める。
しかしこの大きな改革は豪族たちの反発を呼び国は乱れた。
そんな中即位したのが聖武天皇だった。
この時24歳。
聖武天皇は混乱した日本をまとめるため宝物の力を使おうと、いろいろな技を持つ職人を一堂に集め複雑な工芸品を作れるようにした。
宮内庁正倉院事務所長・西川明彦、文化財模写の専門家・富澤千砂子、大正大学文学部教授・榎本淳一のコメント。
赤外線カメラ、正倉院宝物に言及。
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2019/10/30 NHK総合 【NHKスペシャル】
天皇が創った至宝~正倉院宝物が伝える“日本誕生”~
奈良に都があった8世紀。
東大寺の倉の一つに天皇家ゆかりの貴重な宝物が納められた。
正倉院宝物。
倉に封印された宝物はなんと9000件。
ふだん撮影はできないが今回特別に許可が下った。
超高精細映像の8Kカメラでの撮影は初めてのこと。
ペルシャ現在のイランから日本に伝わったガラスの器「白瑠璃碗」。
日本の人々は宝物を箱に納め倉の中に保管してきた。
戦争や火災が何度も起こったがそのつど必死に守り抜いてきた。
螺鈿八角鏡は深紅に彩られた琥珀の花びら。
文様の隙間を細かなトルコ石が埋め尽くす。
東南アジアからペルシャまで世界中の宝石がちりばめられている。
作ったのは古代の中国唐。
当時、唐は世界で随一の力を持つ国だった。
唐は世界最高峰の技術とばく大な富を持っていた。
圧倒的な国力を周囲に示すために作ったもの。
それが宝物だった。
唐の宝物は遣唐使を通じて日本にもたらされた。
権力の象徴である宝物。
聖武天皇奈良の大仏をつくったことで知られている。
聖武天皇は日本を唐のような強い国にしたいと考えていた。
唐の皇帝のような衣服をまとい、唐の宝物を常に身の回りに置いていた。
ロケットに言及。
天理大学附属天理参考館学芸員・巽善信、大正大学文学部教授・榎本淳一は「地域の安全保障に役立てる目的があったと考えられる」とコメント。
東京国立博物館、中国・西安、陝西歴史博物館の映像。
語り・吉岡里帆
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 唐は、世界帝国の威信を天下に知らしめる為に周辺諸国朝貢を命じ、皇帝の権威を朝貢国に示す為に最高技術で作られた宝物を与えた。
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 聖武天皇は、日本を唐のような国にする為に、日本の独自技術で唐の宝物を真似て宝物を作らせた。
 作った宝物は、ヤマト王権に対する反乱を起こす怖れがある地方の有力豪族に与える事で主従関係を強固なものにした。
 日本を平和な統一国家にしたのは、天皇の権力と文化の権威であった。
 天皇の威信を象徴しているのが、正倉院の宝物である。
 宝物は、日本を争いのない平和な国家にしたいという天皇と職人の熱き想い・志の結晶である。
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 宝物の中でも特に重要視した宝物は楽器である。
 古代中国の礼楽では、妙なる音色・メロディーには強力な霊力が宿り邪を祓うと考えられていた。
 聖武天皇は、唐の礼楽を取り入れ、音色・メロディーで争いの世を鎮め、人の荒んだ心を慰め、夥しい人の命を奪う疫病などの邪鬼を祓おうとした。
 日本文化の大本にあるのは、日本独自の音色・メロディーで、後に人が発する言霊へと変わっていった。
 そして、最も強力な音色・言霊が天皇が宣する「詔(みことのり)」であった。 
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 後年、聖武天皇と同じような事をして家臣をまとめたのが織田信長徳川家康である。
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 日本の近代化、敗戦から高度経済成長、経済大国・科学技術大国に押し上げた原点は、聖武天皇が始めた国家的宝物作りであった。
 現代日本の技術力では、聖武天皇の宝物を再現する事は甚だ困難である。
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 反天皇反日的日本人は、これらを否定する。
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