💫3}─4─地球誕生期の太古の海水は塩辛くなくて酸っぱかった。~No.21No.22No.24 ② 

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 2020年9月5日号 週刊現代「今週のへえ~、そうなんだ
 今週のネタ本 『海水の疑問50 みんなが知りたいシリーズ4』
 日本海水学会編 上ノ山周編著  成山堂書店
 (櫻)
 太古の海水は塩辛くなくて酸っぱかった
……
 しかし実は、太古の地球の海水は塩辛くなかった。むしろ、その味は酸っぱかったことが分かっている。
 地球が誕生した46億年前に時を戻そう。太陽系ではたくさんの小惑星が集まり、衝突を繰り返していた。地球にも、一日数千個の隕石が降り注ぎ、地球という星は成長を続けていった。
 衝撃した瞬間に発生する熱で隕石はどろどろに溶け、地表は真っ赤なマグマに覆われた。また、衝突の熱で水蒸気が発生し、太古の地球は大気に包まれていった。
 地球誕生から約2億年が経つと、隕石の衝突も収まってきた。地表の温度も下がり、今度は大雨が降り始めた。年間雨量10mを超える雨は1000年近く続き、いよいよ地上には広大な海ができ上がる。
 実はこの雨には、塩化水素が含まれていた。そのため雨が留まってできた古代の海はとても酸っぱかったのである。といっても、塩酸を飲めば口の中が溶けて爛(ただ)れる。古代の海水も、もし飲めばとんでもない激痛を感じたはずだ。
 生命が誕生するような『母なる海』は、ここから長い年月をかけて酸性度が弱まることで誕生した。酸性の海によって地表のナトリウムやマグネシウムが溶かされ、中和反応が起きたからだ。
 酸性とアルカリ性が混ざると中性になる。そしてこの化学反応と同時に生まれたのが『塩』だ。現在、海水には約3.5%の『塩』が含まれ、うち約78%をいわゆる食塩、『塩化ナトリウム』が占めている。
 海水に含まれる『塩』にはほかに、苦(にが)みを感じさせる塩化マグネシウム(10%)、ほのかに甘い硫酸カルシウム(約4%)もある。海水を蒸発させて作られている天然塩の複雑な味わいは、海水に含まれるさまざまな『塩』によって決まる。
 海水の強烈な塩辛さは、地球が歩んできた46億年の積み重ねなのである。」
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💫9}─1─弱小種・淡水魚の山を越えず海を渡らず種の生存と生息地拡大の戦略。~No.72 

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 現代の人間種を含む全ての生物は、数万年、数百万年、数億年、生物誕生以来、子孫を残すべく脳・身体を進化させ環境に適応する本能戦略で生きてきた。
 今を生きる人を含む生物個体には、如何なる最悪な状況でも、他を頼る事なく一人・一個体で生き抜く戦略が詰まっている。
 生き抜き種を残す戦略を駆使できない生物種は、それが人間種であつても絶滅・死滅するしかない。
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 2020年8月7日号 週刊朝日「パテカルトの万脳薬 池谷裕二
 淡水魚が新たな地域にワープできる理由
 静岡県中部は穏やかな気候で、まず雪は降りません。園児や学童たちは雪を体験させるための行事『雪見遠足』が公式にあるそうです。そんな私の地元で、ある秋てょっとしたニュースがありました。鮭が川に遡上してきたのです。帰巣(きそう)コンパスがエラーを犯したのでしょうか。この迷い鮭は、海冬に干上がってしまう温暖な川では、子孫を残せなかったはずです。
 これが寒冷地の河川だったらならば、そうしたら、孵(かえ)ったかもしれません。そうしたら、孵った子はその河川を新たな住処(すみか)として、帰巣することになるでしょう。いわば鮭一家の『引っ越し』です。
 もともと魚は、そんなふうにエラーを繰り返しながら居住(きょじゅう)エリアを拡大してゆくのでしょう。そして、ときに新居エリアでの先住種との多様な交配へと進化する──。理屈のうえではそう理解しつつも、どうしても納得できないことであるました。淡水魚です。たとえば、ヤマメやイワナは山奥の渓流では比較的よく出会う珍しくない魚ですが、大洋への回遊に出るわけでない淡水魚が、どのように別の渓流へと広がったのでしょうか。ヒトが放流したというのが一つの可能性でしょう。アメリカ大陸からヒトの手によって日本に持ち込まれたブラックバスブルーギルなど、実例もあります。
 しかし人為的な理由では説明できない例も散見されます。たとえばカルデラ湖。火山活動によってできた陥没地に雨水が溜まってできる湖です。たとえ河川が流れ込まず周囲から完全に孤立しているカルデラ湖でも、近隣水系と同じ種の魚が生息しています。ヒトが立ち入らない地域でも同様です。つまりヒトの手を借りず、未踏の地に辿り着くのです。
 しばし考えてみてくださいなぜ淡水魚が新たな地域にワープできるのでしょうか。
 一つの仮説は、動物が口に咥(くわ)えて運んだというものでしょう。とはいえ、食べるために口にした魚を、わざわざ別の湖に『放流』するとは、少し考えにくいところです。
 答えは意外な形でもたらされました。ドナウ研究所のヴィンチェ博士らが6月の『米国科学アカデミー紀要』に発表した論文によれば、運び屋は鳥だそうです。魚卵が消化されずに糞に混じって出るのです。植物の種と同じ戦略です。鳥の排泄は早い、食後1時間には糞となって出始めます。ここがポイントです。
 博士らは、フナやコイなどの淡水魚の卵を、カモに食べさせたところ、1時間後の糞中に、生きた魚卵が含まれていたことを確認しました。水に戻したところ無事に孵化したのです。もとの卵の総数から計算すれば、生存率は約0.2%と極めて低い数字ですが、長い自然の歴史を考えれば、十分に引っ越しが可能です。
 魚の卵には鶏卵のような硬い殻はありません。しかし、あたかも鳥に食べられることを前提に、胃腸の消化酵素に強い作りになっています。いや、そうした頑強な構造をもった卵を産む魚が選ばれて繁栄してきたのかもしれません。」
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📉26】─1─負の連鎖。コロナ禍が生む教育格差で国力が低下していく。〜No.53No.54 

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 2020年9月22日 産経iRONNA「「国力低下」 今そこにあるコロナ危機
経済協力開発機構OECD)の今年の成長率予測で、上方修正の欧米や中国とは裏腹に、低く据え置かれた日本。コロナ禍が続く中で懸念されるのが、教育現場の混乱や就職活動への悪影響が深刻化し、国力低下という将来の大きなダメージとなって跳ね返ることだ。第5回は、日本の「地盤沈下」の危機に関して考える。
 日本の将来を左右する、コロナ禍が生む教育格差という「負の連鎖」
 『iRONNA編集部』
 杉山崇(神奈川大人間科学部教授)
 麻生マリ子(家族心理ジャーナリスト)
 司会・対談構成:梅田勝司(フリーライター、編集者、「PressRoom.jp」記者)
 第2波の真っ只中にあるのではないか、という言葉が専門家の口から語られる中、日本の国内総生産(GDP)が新型コロナ禍の影響もあって戦後最悪の落ち込みを記録した。果たしてこれが底なのか、まだ下がるのかは誰にも分からない。
 新型コロナ禍によってさまざまな市民生活が制限されたが、その影響が数字として明確になってきたといえる。しかし、教育についてはもう少し長い目でどんな影響を生徒たちにもたらしたかを見守る必要がありそうだ。
 そして、心配になるのは日本の国力への影響だ。世界でどの先進国も新型コロナの影響であえいでいるが、まずは自国の現状を確認したい。
 梅田 杉山先生は新型コロナ禍で日本の国力が低下することを懸念しておられるそうですが、具体的にどのようなことを心配されているのでしょうか?
 杉山 一斉休校とその余波による、生徒の学力低下が心配ですね。特に公立校は、緊急事態宣言の前後から授業をしなかった。私立校の先生方は結構頑張ってオンライン授業をしていたようですが、公立でできたところは少なかったようですね。
 文部科学省は学習の遅れを正式に認めていて、政府も危機感を持っているのは間違いないですね。
 梅田 夏休みは期間短縮され、お盆明けに1学期の続きがあったり、2学期が始まりました。これで遅れた分を取り返せるのでしょうか?
 杉山 問題は学校だけの話ではないんです。家庭でする学習の習慣が崩れてしまったことが大きいですね。教育熱心な親は、家庭での学習習慣を崩さないよう頑張っていたと思うんですけど、それでも学習習慣が崩れる子はいます。そうなると、崩れた子供と崩れなかった子供との格差が広がることが考えられます。
 麻生 私は教育格差の連鎖がさらに深刻化するのではと懸念しています。もともと世帯年収や親自身の受けた教育水準が、子供の教育格差に連動する傾向があります。経済的に豊かな家庭で高い水準の教育を受けて育った子供が、社会に出て高収入を得られるようになる。そして親になったとき、わが子にも高水準の教育を受けさせることができますからね。
 全国一斉休校の要請があったのが年度末でしたから、その時点で授業をどこまで終えられていたかで差が生じます。また休校中や夏休みの課題にも地域や学校、学級で致し方ない差がある中、オンライン授業の有無や、親が子供の勉強を見たり教えたりする素養があるかどうかも、子供の家庭学習を左右しています。
 そもそも家庭学習に向く子と向かない子がいますし、発達特性のある子供たちを含め、どういう形であれば学習しやすいかに個人差があるのも事実です。
 基礎学力でいうと、公立校の小中生は大変ですね。ましてや小学校では2017年3月に改訂された学習指導要領が、ちょうど20年度から全面実施となるタイミングでしたから。移行措置として、直前2年間で先行実施する必要性がありますが、休校となった時点で、それを終えていた学校と終えられていなかった学校とがありました。
 梅田 新しい学習指導要領は大規模なものだったんですか?
 麻生 大きなところでいうと、小学校での外国語(英語)教科化ですよね。それに伴って、従来は中学1年生で履修していた内容を小学校高学年で学ぶといったように前倒しで難易度が高くなっていますし、授業時間数も増えています。
 そのほか新しい学習指導要領は、中学校では18年度から3年間の先行実施を経て、21年度に全面実施されます。高校でも19年度から3年間の先行実施が行われ、22年度からの全面実施となります。
 文科省は「生きる力」を掲げていて、今回は「主体的・対話的で深い学び」というアクティブラーニングを重視しています。知識と技能を身につけさせ、思考力、判断力、表現力を高めよ、ということです。学力向上はもちろん、実社会やグローバル社会で求められる力を育もうという方向性ですね。日本の国際競争力を高めることを目指してもいるのでしょう。
 社会で受け身型の指示待ち人間が問題視されましたが、学校教育の中でコミュニケーションを通じて、主体的な動きのできる人間に育ってほしい狙いがあるのではと考えています。ただ、今の学校教員も保護者自身もそうした教育を受けて育っていません。自分が経験していないことを教えるというのは、想像以上に難しいことだと感じます。
 学校が再開されてから、各学校とも前年度の未履修分を含めた休校期間中の巻き返しを図っていますが、教員から「子供たちの十分な理解度を図りながら進めていくことが困難だ」「つめこみ教育といわれても仕方ないが、そうするしかない」など悲痛な声を聞いています。それも、学校内の感染症対策や、新型コロナをきっかけにしたいじめや差別に配慮しながら進めているわけですからね。
 さらに、休校中から聞かれたのは「実技を伴う理科・社会、生活科はどうしようもない」というものです。
 学校再開後の弊害に関して具体例を挙げると、地域にもよりますが、社会科見学はほぼ中止となっていますし、理科の自然観察は本来4月に行うはずの授業が6〜7月にずれ込みました。しかし季節が変わっているので、予定通りの授業を行うことは現実的にできません。教員も映像や写真などの視覚教材を用いてフォローしてはいますが、やはり子供たちには理解が難しいようで、例年よりテストの点数が明らかに低かったそうです。
 梅田 よりによってこんな年に、ですね。結果論ですが。
 麻生 塾などでフォローできない家庭は、教育格差を突きつけられます。また、タイミングとして学年末や夏休み前後は転出入をする家庭も多いですよね。教科書も変わる、環境も変わる、前の学校でどこまで授業が進んでいたかなど、何重もの壁があるわけです。
 杉山 私はどちらかといえば、「学校教育だけで、そこまで人生の格差は生じないだろう派」なんです。キャリアコンサルタントとしての立場から見ると、大学のブランド力は社会人としてのスタートダッシュ時に役立ちます。ですが、ブランド力のある有名大出身なのに、スタートダッシュしないまま成果を上げずに終わってしまう人も結構いるんです。
 成果という点では、最後は学歴の格差ではなく、個人の才覚、仕事の才覚になると思うんですよ。だから偏差値中位の大学で教える面白さを感じています。「受験のランキングは仕事で逆転しよう」というところですかね。実際、私の所属する大学の卒業生たちは、社長や役員の数では全国で20位前後に入っていたりします。大学の規模とか偏差値を考えると、かなり頑張っている方ではないでしょうか。そこが面白いかな。受験での学力はそれほど高くなくても、仕事で挽回する人が好きです。
 梅田 それでは、あまり心配する必要もなさそうですが。
 杉山 いえ。本当の問題は国内での教育格差ではないんです。日本は「教育大国」と自分たちで信じていますが、実はそうではないんですよ。
 経済協力開発機構OECD)の「世界教育水準ランキング」で、日本は総合で40カ国中7位ですが、読解力となると真ん中あたりの15位になってしまいます。それに、何より怖いのは、1位が中国なんですよ。 
 中国の教育システムは、日本人が思っている以上に徹底していています。学力だけが国力ではないですが、少なくとも学力面では、日本の子供たちにはそれほどアドバンテージはないですね。
 特に、読解力は、文章をしっかり読める力ですから、この能力が弱いと契約書の締結で騙されてしまいかねない。今、中国は読解力が伸びているので、中国を相手に交渉する中で、中国側が複雑で分かりにくい内容の契約書を作ってきたら、自分たちに不利な内容だと読み取れない日本人がこれから増えるかもしれないんです。
 麻生 読解力は、学力だけでなく、生きていく上で基盤となる大切な力です。新しい高校の学習指導要領は、2015年にOECDが世界の15歳を対象に実施した学習到達度調査(PISA)で読解力が著しく低下したことを受けて導入され、2022年から全面実施となります。
 その要領では、「現代文」を「文学国語」と「論理国語」の選択科目に分け、論理国語で契約書や企画書、報告書、手順書や取扱説明書、業務メールなど、実社会を想定した実務的な内容を教えることになり、物議を醸しました。私もこの再編を問題視しています。
 中国勤務の弁護士など、周りの法曹関係者に聞くと、契約書を学校教育で取り上げることの危険性を指摘する人がいました。また、「生きる上で契約書に触れないことはないから、ある程度は教育しておくべき。しかし、文学国語を削るのは問題。文学は生きる上でもっと大切な他者の立場を考える想像力を高めるもの。情報化社会で論理的な読解力や思考能力を高めるなら、プログラミング学習や数学でやればよい」という声もあります。
 グローバル社会で生きていく上でも、まずは母語である日本語をしっかりと身につけ、日本文化を学ぶことの方が大切だと考えています。外国語はそのあとで十分です。
 梅田 では、高校から先の進路についてはどうしょうか? 実は、進学率が減少気味で就職率が増えているということはありませんか? それがイコール国力につながるとは思いません。
 杉山 大学・短大・高専・専門学校など高等教育機関への進学率は、日本では2019年で82・6%と、前年から1%以上伸びています。不都合な真実かもしれませんが、1回目の対談で説明したように、日本人遺伝子は同調圧力を生む遺伝子です。少数派になるより、多数派になった方が現在の日本では何かと有利になりがちなようですね。
 梅田 進学率こそ8割を超えていますが、中退してしまう生徒はどの程度いるのでしょうか?
 杉山 退学率は統計手法で変わりますが、概ね7%程度という結果もありました。今、大学・専門学校では退学率を下げるための取り組みをやっていて、私も心理検査の開発をしていますが、それも対策の一つですね。退学リスクなどを評価して、どのような指導をしたら本人の能力を伸ばせるかを見極めます。そこに危機感を持っている学校さんが多いのも実情です。
 梅田 専門学校は別として、大学に入れない子供もいるじゃないですか、家庭の都合や金銭面などの問題で。特に今年は新型コロナ禍により、仕事でダメージを負った両親も多く、塾や予備校の学費負担が大変です。
 杉山 これは私も結構問題だと思っています。原因が学力不振の子供は、決して頭が悪いわけではなくて、勉強のやり方が分からないし、勉強する習慣もついてないんです。
 勉強する習慣というのは、我慢する習慣なんです。勉強って、つまらなく感じることが多いじゃないですか。大学入試では、学力だけではなくて、どれだけ我慢できたかが求められるんです。要するに、入試は「ガマン大会」という側面もあるので、そこも見ているんです。我慢してやれる子だから、これからも我慢して社会の期待に応えて立派な社会人になるだろうというところを見極めているんです。
 私も成績の振るわない生徒の多い予備校の講師をやっていたことがあるから分かるんですけれど、ちょっと我慢すれば勉強はできるんですよ。問題はその我慢させる仕組みをどう作るか。今年は特に我慢する力を試される可能性が高いですね。
 梅田 それは、会社に入って「社畜」になる人間を育てるということですよね? 矛盾だらけの会社でも文句を言わない。
 杉山 大学が社畜候補を育てている部分はあるでしょうが、これからはただ従順な社畜だけでは、企業で生き残れません。
 withコロナを経て、これからはイノベーション(技術革新)力がすごく求められるようになるはずなので、社畜のフリをしつつ、イノベーションの力を少しずつ蓄えて、ここぞというタイミングで頭角を現したり、ブレイクする。そういう社会人像が、大卒の若い人たちに求められるようになっていくと思います。
 新型コロナ禍の話に絡めると、今後はオフィスワークが減る方向なので、会社で上司に言われたことをそのままやったり、マニュアルに沿って仕事するだけではなくなっていくでしょう。自分で課題を見つけ、ソリューション(課題解決)を作って、そこにみんなを巻き込んでいく。そういう力のない人は、これから仕事がなくなるかもしれません。
 麻生 自分で仕事を作っていくタイプ、極端に言うと職業を作っていくぐらいの人じゃないと生き残れない、というわけですね。
 梅田 そんな未来でも、やはり大学を出ることに意味はあるんでしょうか?
 杉山 日本で学生が大学に払っている金額は、学費だけでなくて、その大学のブランド価値を買っている面があると思います。
 麻生 私もそう思います。何を学んだかよりも、どの大学を出ているかということに価値が置かれている。就職にしても何にしても。でも、学んだ内容ではなくて、学部やゼミより、大学名の方が評価されているのは問題ではないかなと。
 杉山 そうですね。実際、「学歴フィルター」というワードが一時期話題になりましたけど、今もたしかにありますよね。長い目で見ると、大学のブランド力が物を言うのは、就職活動のときと、20代の間までですね。
 30歳を超えてくると、大学ブランド力の高い人はチャンスが多いことはみんな分かっているので、チャンスを上手にものにした人は評価されますけど、ブランド力の高い大学を出ている割にたいした実績を出していないと、評価が逆転してしまう。大学のブランド力を持て余し始める人が出てくるわけです。受験勉強ができると仕事ができるは別なので。
 麻生 勉強ができることと、本質的な頭の良さ、インテリジェンスというのは全く違うものだと思います。仕事のやり方も。
 梅田 今、みんな新型コロナに怯える異常な日々を過ごしているわけですが、学生はこの先心理的に影響が出たり、引きずっていくことにならないでしょうか?
 杉山 スペイン風邪パンデミック(世界的大流行)が起こったんですが、2、3年後にはみんな忘れている状態になったそうなんです。それにウイルスは人間社会に長くとどまっていると、どんどん弱毒化していく例も多いようです。
 私は「感染症の法則」と勝手に呼んでいます。簡単に言うと、毒性の強いウイルスだと宿主が活動できないし、殺してしまうので、感染力を失うんですね。結果的に人間社会から消えていくんです。
 新型コロナウイルスといいますが、では新型以外のコロナウイルスはどうなのかといえば、常在化しているんです。鼻風邪を引き起こす程度です。新型も最終的にはそのレベルの毒性になるのではないかと言われています。そうなると、数年後には新型コロナのことをみんな忘れてしまうかもしれない。
 これがトラウマになるかというと、ウイルスがトラウマになるのでなくて、ウイルスに対するリアクションや温度差が価値観の違いにつながるかもしれません。この価値観の違いが浮き彫りになって、新型コロナをめぐる考え方の違いから不信感を募らせていくのを懸念していて、人間関係が悪化したり社会不安にならないかが心配ですね。
 梅田 今年度に就職活動をしている学生はどうですか? かなり大変だと思えますが。
 杉山 就活している学生はとても不安がっています。対面面接を行っている企業さんもありますからね。オンライン面接でも部分的の場合もあるようです。
 麻生 感染症対策を講じた上とはいえ、この最中に対面面接を行う企業姿勢に不安を覚える学生もいます。売り手市場と言われていたのが、新型コロナの影響で一転厳しい就職活動を強いられた学生たちにとって、面接してもらえるのはもちろん有難いことです。でも、「この会社は大丈夫なのだろうか。仮に受かったとしても従業員を大切にする会社なのだろうか」という疑問を抱く人もいました。
 また、ビデオ通話で面接に臨んだ学生の話ですが、企業側がアイコンだけ表示されて、非常に話しにくかったそうなんです。面接担当者の表情が見えないし、声に出して相槌を打ってくれない担当者もいて、話すタイミングが掴みづらく、なにを求められているか、どこまで話せばよいか分からず戸惑ったそうです。そこで次の選考に進めなかったとなると、学生側はオンライン面接で力を発揮できなかったと思いたくなる。その心情は分かりますね。
 梅田 オンライン面接でその人となりを見抜けるかも不安が残りますね。
 杉山 採用する側は基本的に就活生にプレッシャーをかけて動揺させ、そのときにどういうリアクションをとるかを見ます。
 麻生 かつては「圧迫面接」という言葉もありましたね。
 杉山 今は分かりやすい圧迫をしませんけど、学生が困りそうな質問をするようですね。答えに困りそうな質問を考えるのが面接担当者の腕ですから。
 麻生 その状況から想定外の事態に臨機応変な対応ができるか、柔軟性、レジリエンス(強靭=きょうじん=性)など、仕事に必要な力が見えてくるんでしょうね。
 杉山 企業はそういう力が欲しいですからね。学生が準備してきた内容を聴くだけでは面接になりません。なかなか内定が出ない生徒は、本当にいつまでも出ないんですが、例年よりそういう学生の数が多いですね。
 それと、計画通りに採用活動を進めている企業と、計画を見直し始めた企業に分かれているようです。withコロナの社会が見通せないから、企業も慎重になっている部分は確かにあるようです。
  * * *  
 次回はグローバル化した世界情勢の中で、日本が国力を落とさないための方策について考えたい。
 すぎやま・たかし 神奈川大人間科学部教授、同大心理相談センター所長、臨床心理士、1級キャリアコンサルティング技能士。昭和45年、山口県生まれ。学習院大大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。心理学専攻博士後期課程単位取得。専門は臨床心理学、応用社会心理学産業心理学など。心理学オンラインサロン「心理マネジメントLab:幸せになる心の使い方」を主催する。著書に『ウルトラ不倫学』(主婦の友社)など多数。監修書に『マンガでわかる 心理学的に正しいモンスター社員の取扱説明書』(双葉社)。
 あそう・まりこ 家族心理ジャーナリスト。昭和52年、福岡県生まれ。出版社勤務などを経て現職。生きづらさの背景として、親子・母子関係に着目。家族問題、母娘関係や子育て、孫育てなどをテーマに取材活動を続ける。そのほかにも家族問題に関する心理相談を行っている。」
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🍘15〗ー1ーコロナ禍。武漢ウイルスと地球温暖化が食料自給率の低い日本の死活問題。~No.47No.48No.49 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 食料自給率の低い日本は、物資・エネルギーそして食糧を海外に依存し、アメリカ国内とアメリカの影響下にある国と地域から必要な量を輸入している。
 最近では、安価な中国産農産物・加工食品の輸入量が激増し、手頃な値段で市場に大量に流通している。
 賢い日本人消費者は、同じ食べ物で安全性が保障されるなら、国内農家が作る高価な国産食材より国外農家が作る安価な外国産食材を買う。
 価格競争では、日本人農家はかなわない。
 日本農業は、日本人農家では維持できなくなっている。
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 2020年9月21日 読売新聞「世界を読む
 食糧難深刻化
 農業開発 
 寡占防ぐ必要
 渡辺博史
 全世界的に食料需給の逼迫が深刻化しつつある。
 無論、我々が直面する新型コロナウイルスの感染拡大によって食料問題が起きたわけではないが、厳しい状況を加速化させている面は否まない。
 世界食糧計画(WFP)の推計では、コロナ禍による経済停滞で、最低限の食料の入手さえ困難になる人が今年は倍増し、2億7,000万人に上るという。
 今後、大幅な人口増が予想されるアフリカなどへの食料供給をどう確保するかを含め、将来に向けて考えるべき課題は多い。
 食料需要が伸びる要因」は人口増加だけではない。特に低所得者層では、一人当たりの所得が伸びると食事の消費量が急速に増加する傾向がある。トウモロコシや麦を直接食べずに、食肉牛の飼育に使えば、より多くの食料を擁する。
 人口増だけなら何とか対応できるという見方もあったが、食料不足を招く諸要因が同時かつ急速に進行している。こうした厳しい認識のもと、国際機関や各国で食料問題に関する様々な検討が進められている。
 見た目にも食感も肉のような大豆製品や、ミドリムシユーグレナ)を使った食品、『昆虫食』の活用など将来の食料難を見据えた動きが盛んになってきた。
 SFでは『カプセル数錠で食事は終わり』という世界も描かれているが、カプセルの中に入れる成分の生産はやはり必要である。
 対応策は多岐にわたる。ただここでは、①生産の増強と適正な配分貯蔵、②搬送施設の整備③食物ロスの削減──の3点に絞って論じていこう。
 第1に重要なのは、生産の増強だ。特にアフリカの著しい人口増加を念頭に置けば、数の限られた未利用河川を使った農業開発を促進しなければならない。
 具体的には、南東部のザンビアを源流に、モザンビークからインド洋に注ぐザンベジ川の豊かな水の有効利用が挙げられる。この地域で水稲栽培が適しているのなら、増産に向けて資金提供や技術協力を国際的に展開したい。日本が貢献できる分野は多いだろう。
 限られた希少資源である農地や水を、一部の企業や国に独占、寡占にさせてはならない。その防止策について、真剣に世界的な議論を行うべきだ。
 現状では、公正取引に関する規制を担う国際的な組織がないため、生産、流通の寡占化を阻むことは難しい。早急に、オープンな開発計画や作物の分配計画を作っておく必要がある。
 日本政府は、国内の耕地をあえて使わない減反政策を、長年続けてきた。農業を国内問題としてだけ捉えればあり得る選択肢だろうが、世界の食料問題が深刻化する中で、グローバルな視点から見れば、違和感は拭えない。
 しかも半世紀近く続けたことで農家の自主性をそぎ、生産力を低下させた。必ずしも正しい判断だったとは言えまい。
 さらに、農業振興策として、高品質、高付加価値の国産農産物の輸出にこだわり過ぎてはいないか疑問がある。日本農業は積極的に海外進出し、現地向けの穀物などの生産や増産の支援に動き出してはどうか。
 米作の将来について懐疑的な見方もある。確かに小麦で作ったパンに慣れた人の中には、米粉のパンは口に合わないという人もいるに違いない。
 しかし、慢性的な食料不足に直面している人々は、米粉で作った麺やパンを拒んだりしないはずだ。
 家庭の経済的な困窮などの理由で食事が十分にとれない児童には、無償で食事を提供しようという動きが広がっている。こうした取り組みを国境を超えて展開していくべきだ。
 『国内でも十分に出来ていないのに、他国に手を広げる必要はない』という意見もあろう。だが、国際的なつながりは急速に緊密さを増している。『隣国での餓死』を、より身近な問題として受け止める必要性は高まっていくだろう。
 飢餓に直面している人々は、疾病の拡散防止への対応を十分取れなくなりがちだ。こうした地域で感染が長期化し、広域化を招く恐れがある。飢餓とそれに付け込む過激な『思想』による煽動によって、国際的なテロ行為にはしる者も、残念ながら増えている。
 これらの構造的な問題を踏まえ、国境を超えて安全な生活環境を維持するにはどうすればいいのか、考える時期に来ている。
 次に、第2の課題である流通・加工の段階でのロス縮減について考えたい。
 供給不足は、生産不足だけではなく、流通の不備からも起こる。アフリカなどでは、生産した穀物などの1割以上が、貯蔵や搬送施設の未整備が原因で消費地にたどり着く途上で失われているという。
 貯蔵整備や、搬送のための道路、鉄道、港湾の整備は依然として必要であり、こうしたインフラ(社会基盤)整備に使われる資金が大幅に不足している現況は放置できない。
 今回のコロナ禍では、牛肉生産大国である米国でさえ大都市園での肉の供給不足が生じた。食肉加工場の作業員が新型コロナウイルスに感染したことにより、操業が滞ったのだ。今後、国境での食物検疫や衛生管理が強化されると、流通量の縮減や供給スピードの低下などが生じる恐れもある。
 こうした状況に対処するには、極めて大規模な食料の『地産地消』を実現させる環境整備が必要なのではないか。これは1億人を超える『人口大国』なのに、食料自給率が低い日本にとって中期的な死活問題と言えるだろう。
 消費段階における食品ロス(フードロス)の大幅削減の問題が大きく取り上げられているのは、喜ばしいことだ。公益社団法人『ACジャパン』によると、日本は現在、年643万トンの食品ロスを発生させている。これは、一人当たり1日1個の『おむすび』に相当する。毎日約1億個の『おむすび』にあたる食品がむだになっているのだ。
 全て予約制にして、食品廃棄をゼロにする取り組みを始めた社員食堂もある。飲食業者全てが直ちに予約制に移行するのは簡単ではないが。だが、食品ロスを減らすため、人工知能(AI)などを積極的に活用すべきだ。供給手法の改善や保存方法の高度化など、急がねばならないことは多い。
 大量の食品ロスを排出してきたコンビニストア・チェーンが、削減運動をリードしようとしていることは評価してよい。
 『食べる』という人類の基本的営為を、大きな軋(きし)みをもたらさず続けていく。その方策について、もっと皆が知恵を絞るべきだ。」
   ・   ・   ・   

🍙13〗─4─国家総動員における永田鉄山の文民主導論と石原完爾の軍主導論。〜No.56No.57No.58 ⑤

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 現代の日本人は、自分が見たい理想の時代劇は好きだが自分が好まない事実の歴史が嫌いで、その為に歴史力がない。
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 国家総動員における、革新官僚文民主導論と軍人官僚エリートの軍主導論。
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 2020年9月号 Voice「国家総動員の歴史が問う『国民の自覚』
 軍国主義の象徴のように語られる『国家総動員』。
 しかし、実際には日本固有のシステムではなく、民主的な英米両国政府に倣って採用されたものだった。
 コロナ禍のいま、その歴史からいかなる教訓を得るべきか。
 森靖夫
 コロナとの戦いは総力戦?
 昨年末に中国湖北省武漢市で発生した新型コロナウイルスによる感染は、今年3月以降瞬(またた)く間に世界へと拡大した。各国が封じ込めに躍起(やっき)になるなか、ひときわ目を引いたのは、英国や仏国政府などがロックダウンを実施して市民の行動の自由や経済活動を制限し、米国政府が国防生産法を発令して必要物資の生産や増産を企業に命じるなど、リベラル・デモクラシー国家の政府が権威主義国家さながらに強権を振るったことだ。各国の状況を受けて、筆者は戦前に行われた『国家総動員』を想起せずにはいられなかった。
 SNS上では筆者と同様に、各国の動向から国家総動員を想起した人びとが少なからずいたようだ。しかしその多くは、国家総動員軍国主義と結び付け、自由と民主主義と対極にあるものとみなしている。たしかに、そう理解するのも無理はない。日本は1938年4月に成立した国家総動員法によって、あらゆる国内資源が戦争に動員されることとなり、国民は敗戦を迎えるまで塗炭(とたん)の苦しみを味わうことになったからである。
 しかしながら、国家総動員とはそもそも第一次世界大戦の参戦諸国が競って導入したシステムであって、日本固有のシステムではない。それでは、国家総動員とは何だったのか、コロナ禍のいまだからこそあらためて考えてみたい。
 国家総動員軍国主義の象徴か
 よく知られているように、国家総動員の仕組みにいち早く注目し、日本への導入に積極的だったのは日本陸軍であった。前例をみない物量戦となった第一次世界大戦では、戦争の主体がもはや軍ではなく産業や国民全体となったことを日本陸軍も痛感したのである。そこで、陸軍省は1915年末頃から組織的に総力戦研究を開始した結果、1918年4月に軍需工業動員法の制定にこぎ着けた。軍需工業動員法とは、戦時に際し軍需品の生産を効率的に行うため、政府に民間工場への命令権を付与するもので、国家総動員の第一歩とでも言うべき法案であった。
 軍需工業動員法成立は陸軍の『ごり押し』だと考えられがちだが、実際は異なる。議会で質問に立った立憲政友会や憲政会の代議士たちは、同法案に反対するどころか、むしろ工業動員の意義に同調し、労働者の統制を規定しない点など同法案が不十分であることを批判したのである。
 こうして成立した軍需工業動員法の運用は『官民合同』の軍需評議会(圧倒的に文民が多い)が担うこととなった。さらに軍需工業動員の統括機関として設置された軍需局は、原敬内閣のもとで国勢院へと発展する(1920年)。この機構改革により軍需工業動員計画への政党や実業家の関与はますます拡大した(22年廃止)。このように国家総動員は、軍国主義を深化させるどころか、シビリアン(文民)が国防に積極的に参加するきっかけをつくったのである。
 もっとも、陸軍側の抵抗も大きかった。国勢院が国内資源の統制按配(あんばい)を試みたのに対して、陸海軍は統帥権独立を盾に国勢院の介入を拒んだのである。国家総動員が必要だと分かっていても、陸軍官僚組織が旧弊(きゅうへい)を脱することは容易ではなかった。
 資源局の誕生
 国家総動員準備は27年5月の資源局設置によって転機を迎える。推進役となったのは内務官僚の松井春生である。松井は、国家総動員が国防だけでなく、産業、社会、教育、科学など総合的な国力の発展を目的とするものと考えていた。要するに松井の狙いは、国家総動員が軍主導となることを阻止することにあったのだ。
 松井の国家総動員論は米国をモデルとしていた。また複数の大学で政治学の教鞭をとっていた松井は、恩師・小野塚喜平次ゆずりの衆民政論者(デモクラット)で、国家総動員においても個人の利益と公益とのバランスに重きを置いていた。
 重要なのは、松井の同調者が陸軍内にいたことである。それも、陸軍きっての国家総動員研究のスペシャリストで当時軍需動員の責任者でもあった永田鉄山である。松井は資源局出向の陸軍将校人事について永田に相談するほどの仲だった。そもそも永田自身も、早くから軍需と民需のバランスに配慮していただけでなく、立法の手続きにより政府の権力を律する運用を重視しており(『国家総動員に関する意見』1920年)、松井と意気投合したことは決して不自然なことではなかった。
 永田はロイド・ジョージ英首相やクレマンソー仏首相といった、第一次世界大戦いおけるシビリアンリーダーの役割にとりわけ注目していた。つまり、総力戦が国民の戦争である以上、強力なシビリアンリーダーが必要であることを永田は痛感していたのである。
 グローバル・スタンダードとしての国家総動員
 日本の国家総動員体制形成が決して軍国主義化を示すものでなかったことは、英米との同時代比較や英米の日本に対する評価をみれば、より明らかとなる。豊富な資源をもち、国家総動員など不要と思われがちな米国であったが、早くも1920年に国防法を成立させ、将来の総力戦に向けた国家総動員準備の口火を切った。米国の国家総動員の特徴は、軍の主導性を否定した点にある。米国の計画は一般に公表されており、多くの有力実業家が平時の計画から積極的に関わることで、官民連携、中央・地方の分業体制を確立した。また教育注文と呼ばれた兵器製造の民間委託制度も早くから検討していた。
 英国も1924年から本格的に国家総動員準備に乗り出した。中心となったのは、内閣の軍事外交諮問会議であった帝国防衛委員会の小委員会、主要補給将校委員会であった。委員会が陸海空軍の動員計画に基づいて立案した資源配分計画は、文民の厳しいチェックに晒(さら)されるため、軍が無謀な軍需動員計画を通すことは不可能な仕組みとなっていた。英国は、中央地方分業体制、教育注文、総動員演習などに注目し自国に導入した。日本の資源局も、分業体制や総動員演習を取り入れ、教育注文の導入に踏み切った。じつは資源局がモデルとしていたのは、この英米国家総動員だったのだ。
 当時の英米の駐日武官たちも、日本の国家総動員準備を軍国主義の兆候とはみなさなかった。英国武官は資源局が自国の帝国防衛委員会と酷似(こくじ)しており、政府と軍部の対立を緩和するものとして注目していた。米国武官も、日本の国家総動員の目的が戦争企図というよりも平時の産業能力の促進にあるとみた。また、資源局が国民生活の確保、軍需と民需のバランス、経済全体の調和にも配慮していることなどを本国へ報告している。
 仏国や伊国も国家総動員準備を進めており、国家総動員準備は1920年代のグローバル・スタンダードとなっていたのである。
 分岐点となった満州事変
 さて話を日本に戻そう。残念ながら、永田が期待したような、平時において国家総動員準備を強力に推進するリーダーは原敬以降現れなかった。戦後不況(20年)、大震災(23年)、金融恐慌(27年)、世界恐慌(29年)と立て続けに起こった経済的苦境もあいまって、起こるかどうかわからない戦争のための準備に十分な予算をあてる余裕はなく、資源局はむしろ行政整理の対象となった(31年6月)。もう一つの壁は、永田のような柔軟な発想をもった軍人がむしろ少数派であったことだ。軍需動員は軍機軍令事項であり『国家総動員の容喙(ようかい)関与を許さず』と、国家総動員を敵視する声が陸軍で強かったのである。
 日本の国家総動員準備は、31年9月に関東軍が引き起こした満州事変によって、変容を迫られた。すなわち、『国防の危機』を理由に、国家総動員計画は軍需動員計画(軍の作戦計画に必要な軍需を見積もり、要求する計画)に即応することが当面の目的となったのである。事変の首謀者であった石原完爾は、永田と対照的な発想の持ち主であった。永田が第一次世界大戦のドイツの敗戦は兵站を軽視するルーデンドルフ参謀本部が独走したことが原因であるとみていたのに対し、石原はドイツのルーデンドルフ将軍から強い影響を受けており、軍が主導する総力戦体制を最良とした。また、軍の行動は政府や国民の支持をなしに起こすべきではないと永田が考えたのに対し、石原は関東軍の独断で作戦行動を初めても国民はついてくると、政府や世論よりも自らの戦略を優先したのである。石原の台東は、まさにその後の日本の行く末を暗示していた。
 他方で、満州事変によって政党が統治主体としてもはや機能し得ないことが明らかとなった。では、日本が総力戦を戦うことになった場合、誰が指導するのか。資源局の松井は、34年に『経済参謀本部』を著し、経済の専門家を結集し、政府と議会の機能を補うことで、リーダーシップの欠如を補おうとした。つまりここでも主体はあくまで『民』なのである。言い換えれば経済参謀本部論は、軍に政治経済政策の主導権を明け渡すまいという松井の意思の表れであった。松井の構想は内閣調査局設置へと結実する(35年5月)。
 だが、一方の永田は軍内の派閥抗争に巻き込まれ、自身を敵視する皇道派将校に斬殺(ざんさつ)されてしまった(36年8月)。陸軍内の協力者を失った松井は、37年2月、組閣の大命を受けた宇垣一成から内閣書記官長兼法制局長官の椅子を用意された。実現すれば宇垣・松井コンビによる文民主導体制が現実のものとなっていたかもしれない。だが2・26事件の遠因を作った宇垣が組閣することに陸軍が強く反発し、組閣自体が流れてしまった。
 驚くべきことに、資源局やその諮問機関であった資源審議会のメンバーは、満州事変後も民間主体の国家総動員自由主義の擁護、はては軍国主義批判までも公然と唱えていた。日本の国家総動員準備は、このような気骨ある人びとによって進められていたのである。
 文民主導の国家総動員構想の挫折
 37年7月に盧溝橋事件が勃発し、8月に上海へ戦火が及ぶと事態は日中全面戦争となった。12月の南京陥落を受けても早期解決が望めないことが明らかになると、国家総動員法の導入がいよいよ現実味を帯びることとなった。
 興味深いことに、松井はすでに8月時点で国家総動員法の必要を訴えていた。その理由は明らかであった。つまり、すでに適用されている軍需工業動員法は、あくまで軍需生産のみを目的とした産業動員であったため、軍需と民需との調節や国民生活の確保を目的とする国家総動員法でなえれば、国内資源が軍需生産のために際限なく消費されてしまうことになるからである。
 もっとも、資源局が国家総動員の強力な統括機関でなければ軍の無制限な要望は制御できない。結局10月に資源局は企画院へと組織拡充されたものの、軍に対する優位を確保することができなかった。松井も軍との軋轢を解消できず、企画院成立と同時に退官を余儀なくされた。
 38年4月国家総動員法が成立した。暴支膺懲(ぼうしようちょう)に沸く世論を受けたメディアの論調は、法案を支持する意見が大勢を占めた。だがメディアは、長期戦争を無条件に支持すれば、軍需の要求拡大を抑制できなくなることを正しく報じなかった。
 議会も概(おおむ)ねメディアと同様であった。政友会・民政党は、法案に反対すれば近衛新党樹立を目論む両党内の勢力の思う壺となるため、党内抗争の観点から消極的に賛成したにすぎない。近衛文麿首相にいたっては、新党総裁に担がれるのを避けるためだったとはいえ、病気を理由に法案審議を欠席する有様だった(英国駐日武官は近衛の行動を無責任と批判した)。
 こうして、松井ら資源局が10年以上かけてめざしてきた文民主導の国家総動員の夢は、兵站を軽視して際限なく戦線を拡大する陸軍によって潰(つい)えることとなった。否(いな)、軍以上の問題なのは、資源局の警鐘を鳴らしてきたにもかかわず、国家総動員の主体となるべき文民側が、軍の暴走を抑制する装置となりうる国家総動員の重要性を認識しなかったことかもしれない。
 歴史の教訓 
 以上述べたとおり、日中戦争までの日本は英米などの民主的国家と同様に、軍の暴走を抑制する文民主導型の国家総動員体制をめざしていた。しかし統制権独立が障害となり、軍部の優位に立つ統括機関を設置することができないまま総力戦を迎えてしまった。
 ではこの歴史から、われわれは何を学ぶことができるのだろか。第一に、コロナ禍の現在、自由で民主的な社会を維持しながら、政府が強い権限を駆使して感染拡大をいかにして食い止めるかが大きな課題となっている。奇(く)しくもこのことは、松井や永田が軍需と民需(国民生活や経済活動)のバランスが国家総動員に不可欠だと考えていたことと重なっている。にもかくぁず、軍需をとことん充(み)たせば戦争に勝てるという軍の独善が国家の破滅を招いた。コロナ禍においても、強権的かつ一方的な感染拡大封じは、かえって社会的経済的被害を大きくしかねないだろう。
 次に、国民一人ひとりの自覚である。感染拡大の防止は、個々人がどれだけ『公益』を念頭に置いて責任ある行動ができるかにかかっている。この点も松井や永田の訴えに通じる。総力戦の主体は軍ではなく、国民である。民間の産業力や、国民の強力一致こそが勝敗を決するのだ。だが、文民側は国家総動員の当事者意識を欠いていた。その結果、自らの戦闘能力を過信し、作戦行動を最優先する軍の独走を許したのだ。この点は大いに歴史の教訓とすべきだろう。
 最後に、専門集団の知恵と政治的リーダーシップである。専門知を踏まえたうえで明確な指標を示し、果断な対応をするのは政治的リーダーであって、専門集団ではない。リーダーにはそうした国家や社会全体を背負う責任と自覚が求められる。日本の国家総動員になかったものが、この政治的リーダーだ。軍事を専門集団任せにせず国力から総合判断すれば、無謀な戦争に突入することなど起こり得なかっただろう。
 いずれにせよコロナとの戦いは長期戦である。事態が収束した後で、あらためて歴史に照らし、日本を含む世界各国の対応を評価したい。」
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 永田 鉄山(ながた てつざん、1884年明治17年)1月14日 - 1935年(昭和10年)8月12日)は、日本の陸軍軍人。統制派の中心人物。陸軍中央幼年学校を2位、陸軍士官学校を首席、陸軍大学校を2位で卒業したのち参謀本部第2部長、歩兵第1旅団長などを歴任した。軍政家として本流を歩み「将来の陸軍大臣」「陸軍に永田あり」「永田の前に永田なく、永田の後に永田なし」と評される秀才だったが、陸軍省軍務局長で階級は陸軍少将時に、陸軍内部の統制派と皇道派の抗争に関連して相沢三郎陸軍中佐に殺害された。
 略歴・人物

 かねてからの「国家総動員に関する意見」などが認められて1926年(大正15年)に国家総動員機関設置準備委員会幹事となり、内閣の資源局、陸軍省の動員課と統制課の設置に導き、初代動員課長となる。

 1928年(昭和3年)には動員課長を辞任し、後任は東条英機となった 。
 麻布の歩兵第3連隊長を務めた後、1930年(昭和5年)に南次郎陸軍大臣の下で陸軍省軍事課長となる。
 昭和四年(1929年)水戸付近における陸軍演習で昭和天皇に軍状奏上する歩兵第三連隊長永田鉄山大佐
 1932年(昭和7年)に陸軍少将に昇進。

 1933年(昭和8年)6月、陸軍全幕僚会議が開催され、会議の大勢は「攻勢はとらぬが、軍を挙げて対ソ準備にあたる」というにあったが、参謀本部第二部長の永田一人が反対し、「ソ連に当たるには支那と協同しなくてはならぬ。それには一度支那を叩いて日本のいうことを何でもきくようにしなければならない。また対ソ準備は戦争はしない建前のもとに兵を訓練しろ」と言った。これに対し荒木貞夫陸軍大臣は「支那を叩くといってもこれは決して武力で片づくものではない。しかも支那と戦争すれば英米は黙っていないし必ず世界を敵とする大変な戦争になる」と反駁した。

 対支戦争を考えていた永田は、対ソ戦準備論の小畑敏四郎と激しく対立し、これが皇道派と統制派の争いであった。
 1934年(昭和9年)に陸軍省軍務局長となった。
 同年8月12日、その相沢に軍務局長室で殺害された(相沢事件)。51歳没。
 死亡時は陸軍少将であったが、特に陸軍中将に昇進される。没後追贈で正四位勲一等に叙され瑞宝章を授与。墓所は東京都港区青山霊園附属立山墓地。
 永田暗殺によって統制派と皇道派の派閥抗争は一層激化し、皇道派青年将校たちは、後に二・二六事件を起こすに至る。
 その後、永田が筆頭であった統制派は、東條英機が継承し、石原莞爾らと対決を深め(石原は予備役となり)やがて太平洋戦争(大東亜戦争)に至る。
 企画院総裁だった鈴木貞一は戦後、「もし永田鉄山ありせば太平洋戦争は起きなかった」、「永田が生きていれば東條が出てくることもなかっただろう」とも追想していた。
 評価
 統制派の頭領と目されていたこともあり、特に満洲事変以降の永田については、全く相異なる見解が存在している。
 「統制派」の立場から見れば「濡れ衣で殺された犠牲者」、「皇道派」の立場から見れば「日本を戦争に追いやった昭和軍閥の元凶」といった具合に評価が分かれるのだが、近年では、永田の大陸政策や軍備政策など「戦争への道を食い止めようとした軍人」とする研究もある。
 永田は1920年代中頃において、政党政治と共存していけるような陸軍組織改革を目指しており、満洲事変前から一貫して現地軍の統制に努力、永田の死が後の支那事変に至る一つのターニングポイントになった。また、青年時代より「陸軍を独走(暴走)させない」という信念と、「日本国民一人ひとりが日本の国防の責任を担うという自覚を持つ」(国防意識を高め、国民の理解を得る)という理想を持ち続けており、従来の単なる合理主義を重んじた有能な陸軍軍人という評価に留まらない、政治信念と理想に命をかけた軍人であるとも評されている。
 他方、石原莞爾らが関東軍を使い起こした満州事変を、永田を含めた一夕会は支持していた。永田が、関東軍の暴走を結果的に支持していたのは事実である。
 だが永田が満州事変に賛同していたとするには疑問が残る。
 事変の三か月前、永田は軍事課長として五課長会の幹事役を務め「満蒙問題解決方策の大綱」を作成・提出している。大綱では主に「関東軍の自制・国際世論を味方につける事」等が掲げられており、当面の紛争を回避する方針だった。
 また事変時、板垣が「独立国家建設」(満州国)案を提出した際、永田は外務省・海軍省と連携し「地方政権樹立」という対案を示し、性急な国家建設を行わない方針を荒木陸相に承諾させている。
 また、永田は溥儀擁立にも反対しており、関東軍の板垣とは真っ向から対立していた事が分かる。
 尤も、満州国が建国されて以後は、永田がこれまで行ってきた「現地軍の抑制・独立国家建設阻止」等の努力も甲斐なく、腹をくくって満州事変の現状を追認せざるを得なかった。世論が満州国承認で一致し、建国によって満州事変もこれ以上拡大しないだろうという観測もあり、永田は「満州国育成」に舵を切る事となる。
 ただし永田は満州事変に際して、関東軍へ攻城用の24糎榴弾砲を送付している。24糎榴弾砲について、石原大佐は満州事変の功労重砲と述べた。永田は独立国家建設、溥儀擁立については反対したが、満州事変の発生、すなわち現地軍の暴走については手を貸していた。
 暗殺の直前1935年8月4日、中国の非戦闘区内で日本人守備隊が攻撃され負傷する欒州事件が発生する。日中関係に緊張が走る中、永田は迅速に対応する。6日、関東軍に対しては軍中央との密接な連絡を指示して牽制する一方、事後処理を天津軍支那駐屯軍)に当たらせる。更に、陸軍省は外務省と協議の上「対北支政策」を策定、「非戦闘区域から武力衝突の不安を取り除く」方針を発表する。その内容は「華北の各政権との親善」「華北地域との経済協力の推進」等を実践としてうたう。これらの対応により、永田は後の盧溝橋事件のような事件拡大を阻止し、又、関東軍独走への対処方法の道筋も付ける。
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 戦前の日本、政府も軍部も国家総力戦を理解し、研究し、日本を国家改造しようとした。ていた。
 戦時や平時における国家総動員の意味が理解できないのは、歴史力のない現代の日本人である。
 その傾向は、高学歴出身知的エリートに強い。
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 日本における民度は、欧米に比べて戦前の日本は低く、現代日本は戦前の日本よりもさらに低い。
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 大正期から昭和前期にかけての日本の不幸は、明治中期までの国際知識に基ずく政治・軍事・外交・経済・その他に優れた政治家、官僚、資本家・企業家・経営者が現れなかった事に尽きる。
 国際外交の場、世界各国の老獪な政治家・指導者と激論を交わして渡り合えるだけの能力ある政治家が現れなかった。
 つまり、軍事の暴走ではなく政治の劣化である。
 その無能さは、戦前の日本より戦後の日本、現代日本では顕著で、救いがたいほどに酷い。
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 現代の日本の高学歴出身知的エリートは、国際社会では役に立たない。
 国際社会、各国の政治家・指導者で、日本の政治家・官僚そして経営者・企業家で話し合いたいと思う、意見を聞きたいと思う日本人は誰もいない。
 保守派はもちろんだが、リベラル派・革新派は絶望である。
 彼らの話し相手は、中国共産党政府や韓国・北朝鮮の3ヵ国しかいない。
 それを証明しているのが、メディアの愚にも付かない報道である。
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 戦前の日本を戦争へと暴走させて悲惨をもたらしたのは、軍人ではなく政治家や官僚であった。
 日本陸軍の主敵はソ連共産主義勢力で、最前線が満州であり、対ソ戦の戦略戦術は専守防衛(消極的防衛)であって攻撃防衛(積極的防衛)ではなかった。
 ソ連極東軍の兵力は日本陸軍の総兵力に匹敵する為に、中国との戦争は望まなかった。
 つまり、日本の国力・軍事力からソ連と中国との二正面作戦は不可能であった。
 それ故に、ソ連は日本軍の満州防衛兵力を減らす為に日中戦争や日米戦争を画策した。
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 政治家・実業家・報道各社は、個々が求める利益拡大の為に、戦争開始と戦場拡大に消極的な軍部に決断を強いるべく世論を味方に付けた。
 政府は、天皇の大権である統帥権を自由にできなかったからである。
 つまり、統帥権には、政府の権限を制限し軍部の独断専行を抑制する二つの効果があった。
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 薩長閥の元勲・重臣達は武士として兵士として戊辰戦争西南戦争などで戦った経験から、私利私欲に暴走しやすい庶民を信用せず、反藩閥民選代議士の政府に政治権力を持たせる事を認めても軍隊を動かす統帥権を与える事を拒絶した。
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 戦前の軍国日本が最優先課題としたのが、日本民族日本人として2000年以上の歴史を持つ伝統的崇敬文化の国體=万世一系男系天皇制度(直系長子相続)=近代天皇制度、神の裔・神の血筋の天皇家を、如何にして人権無視・人命軽視・科学万能の国際的共産主義勢力の魔の手から護持し後世に繋ぐかであった。
 国際的共産主義勢力とは、ソ連コミンテルン(ロシア人共産主義者)、中国共産党である。
 国内には、昭和天皇や皇族を惨殺しようとしていた日本人共産主義テロリストやキリスト教朝鮮人テロリストが暗躍していた。
 日本国と日本民族日本人は、国内外の敵に何重にも囲まれ、味方して助けてくれる国や地域そして個人を持たず、1カ国で孤立し、一人孤独に死闘を繰り広げていた。
 それは、ローカル少額の民族資本とグローバル高額の国際資本との経済金融戦争でもあった。
 ユダヤ系国際金融資本は、国際的共産主義勢力を全面的に支援していた。
 ナチス・ドイツなどのファシズム陣営も、世界的日本殲滅活動に加担していた。
 つまり、世界は親中国反日本反天皇が多数派で主流派であった。
 親中国反日本反天皇の中心で暗躍していたのが、ユダヤ系国際金融資本・国際的軍需産業ユダヤ系国際報道機関であった。
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 昔の日本人と現代の日本人は違う。
 高学歴出身知的エリートは、戦前と戦後では、視野の広さや思考・思索の深さ、知識や教養や素養、品格や品位、そして覚悟と志と気概において雲泥の差がある。
 つまり、戦前の日本人は武士・サムライ・百姓であったが、戦後の日本人は武士・サムライ・百姓ではない。
 現代のリベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者、左翼・左派・ネットサハの学者や活動家、反天皇反日的日本人達は、武士・サムライ・百姓ではないし、その子孫でもない、さらに昔の勤皇派・尊皇派を多く輩出した賤民や部落民などの下層民とも無関係である。
 西洋礼賛派、親中国派・媚中派、親韓国派・親北朝鮮派、マルクス主義者・共産主義者も同様である。
 当然の事ながら、人種差別主義の右翼・右派・ネットウヨも同じ穴のムジナである。
 真の民族主義者、熱狂的天皇主義者とは、昔の賤民や部落民などの下層民の事で、現代の右翼・右派・ネットウヨでなない。
 つまりは、現代の日本人の大半が「そうだ」という事になる。
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 天皇主義者とは、昔の賤民や部落民などの下層民の事である。
 それ故に、日本では、天皇制度打倒の暴力的人民共産主義革命や天皇崇拝根絶やしの狂信的キリスト教原理主義運動は起きなかった。
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 中世キリスト教会と白人キリスト教商人は、日本人をアフリカ人同様に世界に輸出して金儲けしていた。
 日本人の命は金で自由に買えた。
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 反天皇反日的日本人達のルーツは、天皇への忠誠を拒否し反乱を起こした中国系及び朝鮮系渡来人である。
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🍙3〗─1─近代日本の『〈メイド・イン・ジャパン〉の食文化史』~No.2No.3No.4 ①

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 2020年9月24日号 週刊文春「文春図書館 
 『日本食礼賛』はどこからきたのか
 『〈メイド・イン・ジャパン〉の食文化史』 畑中三応子  春秋社
 〔評者〕原田実
 今年の8月、農林水産省が公表した2019年度の食料自給率(カロリーベース)、前年度比1ポイント上昇だがその比較の対象である2018年度の自給率が過去最低とされているのだから、頼りない数字であることに変わりはない。
 本書は、今世紀になってから急激に進んだ『国産食品』『日本食』礼賛の傾向がいかにして形成されたかを検証したものである。
 近代日本では急激な人口増加が生じ、比較的自給率が高い米にしても明治30年代には他国から輸入せざるを得なくなった。
 さらに台湾や朝鮮を植民地化してからは、米供給の海外への依存はさらに大きくなった。その結果、日本人の味覚に合わないインディカ米輸入で生じた『外米』への悪印象が後に国産食品志向の一つの原点となる。
 一方で、やはり明治後期に、食生活の西欧化を批判し、その土地でできたものを食べるのが健康への道だという食養生の思想も勃興し、後世の自然食や粗食の礼賛を準備することになる。
 敗戦で植民地を失ってからは不足分の食料をアメリカからの移入で賄う時期が続き、日本はアメリカの余情農畜産物処理の場となる。これにより乳製品、パン、パスタなどの消費が増え、食の西欧化が一気に進む。
 だが、1950~70年代にかけて粗悪な食品添加物(てんかぶつ)や公害による食品汚染の危険性が周知されるにつれ安全な食べ物に対する消費者の希求は強まった。
 また、食べ物と健康の関係への関心が高まるにつれて、戦前の食養生の流れをくむ健康法がリバイバルし、それが1980年、政府の中で生まれた『日本型食生活』という言葉は健康的だというイメージが生まれた。
 さらに80年代から90年代前半のグルメブームの中で国産食品は美味で安全というイメージを付与されてブランド化が進む(その典型例が高級和牛)。
 つまり、現代日本における日本食・国産食品礼賛は、食の自給が困難という現実からの逃避として形成されたものだというわけだ。
 興味深かったのは1977年にアメリカ政府が国民に食生活改善を訴えた『マクガバンレポート』のくだり。単にカロリー・脂質・塩分などの過剰摂取を控えるよう勧める内容で日本にはほとんど言及していないこの報告が、日本では日本型食生活の優位を記した文書として宣伝されてしまったという。
 さて、本書では、日本の食糧管理の脆弱さを批判するとともに、食料交易の活発さが、食文化の多様性という長所にもつながっていることを指摘する。日本食の『伝統』にこだわると日本の食糧事情の短所も長所も見逃すことになる。食の全体像を俯瞰うる上で読まれるべき一冊である。」
   ・    ・   ・   
〈メイド・イン・ジャパン〉の食文化史
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 日本は、食糧・物資・エネルギー(石油・天然ガス・ウラン)をアメリカ及びアメリカの影響下の国と地域から自由に購入し、金融・情報・通信・諸サービスをアメリカに依存し、水上及び海上の交通・運輸・輸送の自由をアメリカ軍に頼っている。
 自給自足不可能な資源欠乏国日本は、外国に頼らなければ生きていけない。
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 少子は農家にも及び、高齢化と後継者不足が深刻となり、外国人農業労働者を雇わないと農産物の生産ができなくなりつつある。
 人口激減する日本農業において、日本人農家にこだわるか外国人農業に切り替えるかの二者択一の時が迫っている。
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 戦後、日本政府は戦前までの反省から、日本が海外に依存せず自活できる理想の人口数は7,000万人前後と分析した。
 政治家・官僚・学者・経営者そしてメディア関係者などの高学歴出身知的エリートは、米・魚介類による栄養不足の日本食を小麦・畜産肉の栄養豊富な欧米食に変えるべきだと、食生活の改革を推進した。
 パン・肉食の学校給食にならされた子供たちのコメ離れが急速に進み、日本人が米を食べなくなり米を生産すればするほど余剰米が増えて社会問題化した。
 女性が働きに出るようになると調理する時間がない為に、手間が掛かる和食から調理に簡単な欧米食へと家庭料理が変わり、伝統的お袋の味が消え始めた。
 輸入食材による欧米料理が多くなると、国産食材による食料自給率は下がり始めた。
 それに追い打ちをかけるように、日本食材を中国で生産し大量輸入して安価で市場に流す事で値段の高い国産食材は、「同一性能商品であれば安価は売れ高価は売れない」の市場原理で淘汰されていった。
 日本の家庭料理で調理される農産物・食料品の多くが、中国から輸入されている。
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📉28】─3─中国の大学の躍進。中国の清華大は20位。東京大は36位。2020年。〜No.59 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 日本の大学のレベルは低下し、中国の大学に抜かれつつある。
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 2020年9月7日 産経新聞「中国が躍進、上位20校入り 世界大学ランキング
 今年の世界大学ランキングで、中国の清華大(昨年23位)がアジア勢で最も高い20位を獲得した(ロイター)
 英教育専門誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)は7日までに、今年の世界大学ランキングを発表した。中国の清華大(昨年23位)がアジア勢で最も高い20位を獲得するなど、中国勢が「歴史的躍進」(同誌)を遂げた。上位200校に入った日本の大学は昨年同様、東京大、京都大の2校にとどまった。
 現在の集計方法に切り替えた2011年以降、アジアの大学が上位20校入りするのは初めて。上位100位に入った中国勢は昨年の倍の6校となった。THEは「(中国勢が米国との)差を縮め、追い越している分野もある」と説明した。
 全体の首位は英国のオックスフォード大で、上位13校を英米で独占した。日本は昨年と同じ36位を維持した東京大が最も高く、京都大は昨年の65位から順位を上げ54位となった。ランキングは93カ国・地域の1500校を超える大学を対象に、教育体制の充実度や研究内容、国際化の度合いを総合的に評価した。(共同)」
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