⛻3〗─1─日本の技術力の原点は縄文人のヒスイ加工にあった。日本古代文明の証。〜No.6No.7No.8 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 翡翠(ひすい)加工の最高傑作が、天皇家に家宝として伝わる三種の神器の一つである「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)。
 その価値を高めているのは、天孫降臨神話、民族中心神話である。
 男系父系天皇の正統性は、多神教の自然神話そのものである。
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 ヒスイは、玉(ぎょく)の一つでミャンマーカザフスタングアテマラなどに産出し、日本では新潟県に見出された。
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 八尺瓊勾玉の素材は瑪瑙(メノウ)。瑪瑙は、石英の結晶の集合体である玉髄(ぎょくずい)。
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 2024年2月16日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「古代人を虜にした日本の「ヒスイ」。じつは、めちゃくちゃ硬かった…
 あの時代になぜそんな技術が!? 
 ピラミッドやストーンヘンジ兵馬俑三内丸山遺跡五重塔に隠された、現代人もびっくりの「驚異のウルトラテクノロジー」はなぜ、どのように可能だったのか? 
 現代のハイテクを知り尽くす実験物理学者・志村史夫さん(ノースカロライナ州立大学終身教授)による、ブルーバックスを代表するロング&ベストセラー「現代科学で読み解く技術史ミステリー」シリーズの最新刊、『古代日本の超技術〈新装改訂版〉』と『古代世界の超技術〈改訂新版〉』が同時刊行され、早速、大増刷が出来しました! 
 【画像】こんなに硬いのに…ヒスイに穴をあける「超技術」を試してみる
 それを記念して、両書の「読みどころ」を、再編集してお届けします。まずは、青森県青森市の大規模集落遺跡で、世界遺産にも登録されている「三内丸山遺跡」を取り上げます。今回は、三内丸山の人たちをはじめ、縄文時代から奈良時代にかけての古代人が愛した翡翠(ひすい)について解説します。
 驚くほど正確な穿孔技術
 三内丸山遺跡で発掘された翡翠玉。大珠の直径は5.5~6.5cm(青森県教育委員会三内丸山遺跡対策室提供)
 「〈新潟〉産が、〈北海道〉で加工され、〈青森〉で利用されていた…じつは、縄文時代の日本は「かなり広範囲な流通網」がカバーされていたかもしれない驚愕の事実 」でも紹介したように、少なくとも4000年以上も前の縄文時代の日本で、天然アスファルトが計画的に道具の製作に用いられていたことは驚きである。
 だが、それは、現代の技術から見れば、あくまでも“原始的”な知的生産技術にすぎない。
 ところが、三内丸山遺跡で出土した翡翠(ひすい)の大珠(大型の玉)には、現代にも通じる、あるいは現代の技術をも凌駕する超高度の穿孔(孔あけ)技術が見出されるのである。三内丸山遺跡で発掘された翡翠玉の例を図「三内丸山遺跡で発掘された翡翠玉」に示す。
 半導体分野の研究者として長年、結晶・鉱物と付き合ってきている私は、これらの翡翠玉、翡翠大珠に見事にあけられた孔を至近距離で見て、その超高度の穿孔技術に驚いた。現在でも、あれだけ大型の翡翠に、あれだけ見事な孔をあけるのは容易なことではないからである。
 空飛ぶ宝石「カワセミ」から名付けられた翡翠
 翡翠は、「空飛ぶ宝石」とも称せられるカワセミから名づけられた photo by gettyimages
 翡翠は、半透明の、底知れぬほど神秘的な緑色の石である。その色が、“空飛ぶ宝石”と称せられるカワセミ(川蟬・翡翠)の羽毛の色に似ていることから名づけられた。もともと、カワセミの雄を「翡」、雌を「翠」とよんだのである。
 商業的に「ヒスイ」といえば、ふつうは硬玉(ジェダイト)と軟玉(ネフライト)の2種が含まれる。事実、硬玉と軟玉は、外観、色沢、性質は非常によく似ており、専門的技術を用いない限り、区別は困難である。しかし、両者は、鉱物学的にはまったくの別ものだ。
 翡翠は、日本では古代から奈良時代まで、装身具の主流を占め、つねに王座についていた。そして、今日でもかなり高価な宝石の一つである。2種類の“ヒスイ”のうち、硬玉は軟玉と比べてはるかに稀であり、それだけに、はるかに高い価値をもっている。
 硬さの違う2つのヒスイ
 表「モース硬度計」
 硬玉の主成分と軟玉の主成分は、以下の通りである。
 硬玉の主成分:NaAl(Si₂O₆)
 軟玉の主成分:Ca₂Mg₅〔(OH, F)Si₄O₁₁〕₂
 そして、硬玉と軟玉は、これからの話に深く関係する硬さ(硬度)が異なる。硬玉は、その名のとおり硬い石で、硬度6.5あるいは7である。軟玉は硬玉よりやや軟らかく、硬度5あるいは6である。硬度は、それぞれの副成分や結晶状態にも依存する。
 この場合の硬度は、鉱物の平らな面が傷つけられるときの、抵抗の相対的強弱を示すものである。ドイツの鉱物学者モースが、硬度1~10を定め、それぞれの標準鉱物を選定した(表「モース硬度計」)。
 鉱物の中には、その硬さがモース硬度の中間のものがある。たとえば、前述の硬玉の中には、硬度6の正長石よりは硬いが、硬度7の石英よりは軟らかいものもあるので、その硬度を6.5と定めるのである。
 これは、数学的に、6と7の真ん中の6.5という意味ではない。単に硬度6と硬度7の中間の硬度、という意味である。6.3とか、6.8とかの硬度は存在しない。
 また、モース硬度計は、最も軟らかい滑石を1とし、最も硬いダイヤモンドを10として、その間を自然数にしたがって2、3、……と単に相対的硬さを並べただけで、硬度を表す数字のあいだに、いかなる比例的関係もない。つまり、各硬度の“硬さの間隔”は必ずしも一様ではないのである。
 それどころか、硬度10のダイヤモンドと硬度9の鋼玉(ルビー、サファイア)との硬さの差は、硬度9と硬度1(滑石)との差より大きいのだ。
 前述のように、一般的に“ヒスイ”には硬玉と軟玉とが含まれるが、考古学上“ヒスイ”といえば、硬玉のことを指す。また日本では、宝石としての“ヒスイ”も硬玉に限られている。三内丸山遺跡出土の翡翠も、もちろん硬玉である。
 装飾品の王座「ヒスイ」は、奈良時代まで続いた
 現在まで、縄文時代弥生時代、そして古墳時代の遺跡から翡翠は無数といってよいほどたくさん出土している(参考:宋應星著、藪内清訳注『天工開物』・平凡社東洋文庫、1969)。前述のように、奈良時代までの古代日本で、翡翠(硬玉)は装身具、宝石の王様であった。
 しかし、まことに不思議なことに、奈良時代になると、法興寺塔址の勾玉や正倉院宝物の中にある翡翠を最後として、日本史の中から姿を消すのである。
 古代、なぜ翡翠が装身具、宝石の王様であったのか、そして、なぜ奈良時代以降、翡翠が姿を消してしまったのか。これはきわめて興味深い話なのだが、ここでは深入りしない。興味のある読者には、参考書として前掲の『天工開物』や『図説 日本文化の歴史 3 奈良』(黛弘道ほか編・小学館、1979)をおすすめしたい。
 硬玉の穿孔は容易ではない
 さて、問題なのは、これだけ硬い硬玉の穿孔技術のことである。 前述のように、硬玉の硬度は6.5あるいは7である。原理的に、宝石、というより物質一般の切断、孔あけ、研磨などの加工には、加工される物質よりも硬い物質が必要である。つまり、 硬玉の孔あけには、硬度8以上の物質が必要である。それは、黄玉、鋼玉、ダイヤモンドなどきわめて限られた物質である(表「モース硬度計」参照)。
 硬玉は硬いだけでなく、その質が繊維質できわめて強靱であるという特質ももつ。すなわち、 硬玉の穿孔は容易なことではないのだ。それにもかかわらず、 三内丸山遺跡から発掘されたものはもちろん、他の遺跡から発掘された翡翠玉のどれを見ても、じつに見事な孔があけられているのである。
 しかし、鉄などの金属製の道具、ドリルなどをもたなかった縄文時代人が、何を使って、どのようにして、硬玉に見事な孔をあけ得たのかについては、現在もなお謎のままなのである。
 数千年前の遺跡から出土するのは、見事な孔があけられた硬玉そのものであって、その穿孔に使われた道具の発掘はいまだ皆無なのだ。彼らの穿孔技術がどのようなものであったのかについては、想像の域を出ないのだが、縄文時代人が超高度の穿孔技術を有していたことだけは動かしようがない事実なのである。
 縄文時代人の超高度穿孔技術の秘密を探ってみよう。
 * * * 
 このように、とても硬いヒスイですが、装身具とするには、加工しなければなりません。とくに孔をあける穿孔技術は必須ですが、縄文人たちはどのようにして孔をあけていたのでしょうか。
 続いては、三内丸山から発見された翡翠の硬さを解説します。

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 古代日本の超技術〈新装改訂版〉 古代世界の超技術〈改訂新版〉

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 志村 史夫(ノースカロライナ州立大学終身教授(Tenured Professor))
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 2024年2月19日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「なんと、レーザー光より「はるかに優れていた」…世界屈指の文明も凌駕する「日本のヒスイ加工のワザ」が衝撃的すぎた
 あの時代になぜそんな技術が!? 
 ピラミッドやストーンヘンジ兵馬俑三内丸山遺跡五重塔に隠された、現代人もびっくりの「驚異のウルトラテクノロジー」はなぜ、どのように可能だったのか? 
 現代のハイテクを知り尽くす実験物理学者・志村史夫さん(ノースカロライナ州立大学終身教授)による、ブルーバックスを代表するロング&ベストセラー「現代科学で読み解く技術史ミステリー」シリーズの最新刊、『古代日本の超技術〈新装改訂版〉』と『古代世界の超技術〈改訂新版〉』が同時刊行され、早速、大増刷が出来しました! 
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 それを記念して、両書の「読みどころ」を、再編集してお届けします。まずは、青森県青森市の大規模集落遺跡で、世界遺産にも登録されている「三内丸山遺跡」を取り上げます。今回は、硬度の高いヒスイを、縄文人たちがどのように加工していたのか? その孔あけ(穿孔)技術についての考察をお届けします。
 孔はどのようにあけられたか
 次の「三内丸山遺跡で発掘された翡翠玉」に示したように、厚さが数センチメートルもあるような翡翠(ひすい)に、直線的な円筒形の孔が貫かれている。硬度が高く、強靱な翡翠に、そのように見事な孔をどのようにあけたのか。
 〈古代人を虜にした日本の「ヒスイ」。じつは、めちゃくちゃ硬かった…〉でも紹介したように、縄文時代の穿孔に用いられた道具はいっさい遺されていない。状況証拠から推測し、その推測を実験によって検証するほかに、この謎を解く方法はない。 鉱物に孔をあける基本的技術としては、
 たたいて孔をあけるボーリング法
 抉(えぐ)り法
 錐を使った回転法(ドリル法)
 がある。
 このうち、ボーリング法と抉り法では、直線的な、きれいな円筒状の孔をあけるのは困難であろう。いずれにせよ、翡翠にあけられた実際の孔をよく見れば、錐を使った回転法以外には考えにくい。
 幸い、縄文時代人の穿孔法を推測するうえで、決定的な証拠が発掘されている(参考『図説 日本文化の歴史 3 奈良』黛弘道ほか編・小学館、1979)。
穿孔途中の翡翠片から推測する穿孔法
穿孔途中を示す翡翠片の模式図(上左)、管錐(上右)、弓錐(a)と舞錐(b)による回転穿孔法(下)
 それは、図に示すような穿孔途中の翡翠片である(「穿孔途中を示す翡翠片の模式図」。断面図で示すように、孔の底に小さな突起があるのが特徴である。これは、上右の図に示すような管錐(くだきり/パイプ錐)を使って穿孔した証拠である。管錐は、火をおこすときに用いられるように、図のような弓錐あるいは舞錐として回転されたに違いない(「弓錐(a)と舞錐(b)による回転穿孔法」)。
 翡翠に孔をあけるということは、結果的に、その部分の翡翠を削り取るということである。それでは、管錐は何でできていたのであろうか。
 研磨材がカギを握っていた
 回転管錐による穿孔の模式図
 〈古代人を虜にした日本の「ヒスイ」。じつは、めちゃくちゃ硬かった…〉で紹介したように、翡翠を削る、あるいは研磨するには、原理的に、翡翠より硬いものが必要である。縄文時代に、翡翠より硬い材料でできた管状のものは存在しない。
 困ってしまうが、ヒントはある。幸いなことに、管錐そのもので翡翠を削るわけではないのである。媒材として研磨材を用い、その研磨材が翡翠を削るのだ。
 つまり、錐の役目は、研磨材を翡翠に押しつけることなのである。翡翠より硬い材料の錐は、むしろ不適当なのだ。硬い錐は媒材(研磨材)を排除してしまうので、孔がうまくあかないからだ。
 媒材(研磨材)を用いた回転管錐による穿孔のようすを模式的に次の「回転管錐による穿孔の模式図」に示す。管錐の素材が何であれ、翡翠と同等、あるいは翡翠より硬い研磨材が得られれば、翡翠に孔をあけることができるわけだ。
 翡翠生産遺跡として名高い長者ヶ原遺跡や寺地遺跡からは、翡翠大珠と同時に、蛇紋岩製の磨製石斧が出土している。蛇紋岩の主成分は橄欖(かんらん)石と蛇紋石であるが、橄欖石の硬度は6.5あるいは7である。また、河川であれば、硬度7の珪砂(石英)はどこにでもある。
 新潟、富山地方では硬度9の鋼玉(コランダム)も産する、という報告もある。これらの蛇紋岩、珪砂、鋼玉、そして翡翠自体の粉が、研磨材として用いられたのであろう。
 また、研磨材の微粉末を水などの液体に懸濁した「スラリー」を用いると、スラリー中の研磨材の硬度が被加工物の硬度より低くても研磨できることが知られている。実際に、現在の最先端エレクトロニクスを支える半導体シリコン結晶(硬度7)の研磨には、硬度6の非晶質石英のスラリーが用いられているのである。
 水は回転管錐、つまり研磨材と被加工物の運動(つまり、錐の回転)を円滑にするためにも、研磨材を円滑に被加工面に供給するためにも必要である。また、砥糞(とくそ)の除去にも水は有効である。いうまでもないことだが、水は摩擦熱を冷やし、回転管錐を保護する役目も果たす。翡翠の穿孔に、スラリーが用いられたことは疑いようがない。
現代でも通用する「究極の穿孔技術」
 回転管錐による穿孔の模式図(再掲)
 さらに、回転管錐による穿孔のプロセスでは、摩擦熱のために、水冷されている状態であっても被加工材の表面がかなりの高温に達しており、常温(低温)より、容易に研磨される状態になっている。これらのことを考慮すれば、翡翠穿孔の媒材(研磨材)としては、簡単に得られたと思われる蛇紋岩あるいは翡翠の粉末で十分だっただろう。
 適当な研磨材さえ得られれば、管錐の素材は何でもよいことになる。前述のように、硬いものはむしろ不適当である。大切なのは管状の形態である。金属製のパイプなど望むべくもない縄文時代、管錐に用いられたのは、竹(簾竹)、鳥の管骨などと考えるのが常識的である。
 ところで、先ほど示した図「穿孔途中を示す翡翠片の模式図」は、翡翠の穿孔が管錐で行われたことの証拠を示しているが、管錐でなく棒錐(中空でない錐)ではダメなのか。棒錐でもよければ、使用し得る錐の素材の範囲は格段に拡がる。実際、縄文時代後期・晩期になると、棒錐で穿孔した翡翠も出現するらしい。
 しかし、管錐のほうが圧倒的に具合がよいのである。棒錐の場合、砥糞の逃げ場がなく、錐先端部と被加工面とのあいだに詰まってしまい、研磨効率が著しく低下するからだ。
 現代の目で、さまざまな角度から検討してみても、縄文時代に確立された、竹・骨などの自然材の管錐と研磨材とを組み合わせた“回転管錐穿孔法”は究極の穿孔技術である。現在でも、基本的には改良の余地はまったくないように思われる。
 1960年に発明された“人工の光”レーザーによって、材料加工技術の分野で数々の革命的技術革新がもたらされている。穿孔技術も例外ではない。しかし、宝石の穿孔技術に限っていえば、前述のように、縄文時代以降、今日までの数千年間、基本的な革新は皆無なのである。
 現代における鉱物・宝石の穿孔技術とは、どのようなものなのか。
 いっぽう、現代はどうやって孔をあけているか?
 超音波加工法の概略図。右囲み内の写真は、超音波加工法によって、シリコン単結晶にあけられた孔。孔の直径は3mm、シリコ ン単結晶の厚さは2mm
 比較的大きな孔に対しては、縄文時代の竹・骨などの“自然材”は軟らかいブリキに替わったものの、回転管錐と研磨材スラリーとを組み合わせた穿孔法はいまでも使われている。しかし、研磨材としては、現在ではダイヤモンドに準じる硬度をもった炭化ケイ素(ダイヤモンドの硬度を15とした修正モース硬度計で硬度13)やアルミナ(同12)などが使われている。
 小さな孔あけには電動ドリルが使われているが、回転するドリルのらせん状の溝が砥糞を除去する。
 また、基本的には、たたいて孔をあけるボーリング法に属するが、研磨材スラリーを用い、たたくのに超音波振動を利用した超音波加工法が、鉱物・宝石の孔あけに、特に円形以外の孔あけに、最も一般的に用いられる方法となっている(図「超音波加工法の概略図」)。周波数が20キロヘルツ以上の、可聴範囲を超えた音波を超音波というが、この超音波振動を利用して、研磨材スラリーに被加工物をたたかせて加工(切断、孔あけなど)する方法である。
 超音波の発生源としては、一般にニッケル・アルミニウム・鉄合金などの磁気歪み現象を利用する磁歪振動子などが用いられる。たとえば穿孔の場合、図「超音波加工法の概略図」に示したように振動する工具の先端と被加工物との間に研磨材スラリーを供給すると、押しつけた工具の形どおりの孔があく。ドリルであけられる孔は円形のみであるが、この方法ではどのような形の孔でもあけられるのである。
 私自身が厚さ2ミリメートルのシリコン単結晶から透過電子顕微鏡(TEM)用試料を超音波加工法で打ち抜いた孔を示す写真をご覧いただきたい。工具の形状は、先の図に示したものと同様の管錐である。
 1枚のシリコン単結晶ウエハーを8等分し、各片をある温度で2時間から16時間まで、2時間刻みの熱処理をしたあとの結晶欠陥をTEM観察するために、円形ディスクをくり抜いたのである。この場合は、さきほどの「穿孔途中を示す翡翠片の模式図」中に見られる突起をTEM観察試料として利用したことになる。
 レーザー光にして「革命」ならず
 レーザー光による穿孔プロセス
 続いて、最先端の“ハイテク・レーザー加工法”について紹介しよう。
 私は、工学的技術分野で、20世紀最大の発明はトランジスタとレーザーだと思っている。レーザーは、自然界には存在しない人工の光を発生させる装置である。レーザー光の特徴のみを簡単に述べれば、以下の4点である。
 単位面積あたりのエネルギーが大きい
 指向性、集光性が強い
 位相がそろっている(可干渉性である)
 単色(単一波長)
 このうち、1. と2. の性質によって、レーザー光が強力な“刃物”になり、あるいは“熱”を生み、材料加工(切断、孔あけ、熔接など)の革新的な道具となるのである。いずれの場合も、レーザー光が“加工”するのは、直径がおよそ数マイクロメートルから数ミリメートルの微小領域であるが、エネルギーに応じて被加工物を蒸発させるか熔融させる。
 孔あけ、あるいは切断の場合、図「レーザー光による穿孔プロセス」に示すように、レーザー光はレンズで集められ、被加工物の材料を蒸発させる。このように、微小領域に絞られた高エネルギーのレーザー光は最高硬度のダイヤモンドにさえ孔をあけることができる。従来の機械的穿孔法で2日間を要したダイヤモンドの孔あけが、わずか数分に短縮されたほど、レーザー光による材料加工は革命的であった。
 レーザー光による孔あけの特徴は、加工時間がきわめて短いことのほか、たとえば回転管錐などを使った機械的穿孔法では絶対に不可能な、直径数マイクロメートルの微小な孔をあけられることである。また、機械的穿孔法が不得意な硬くて割れやすい材料とかゴムのような柔軟な材料の孔あけのほかに、レーザー加工法は医療分野ではレーザーメスに応用されている。
 しかし、レーザー光であけた孔は、側面が滑らかでない、被加工物表面に噴火口のような輪ができる、蒸発せずに熔けた材料が一様に凝固せず、そのために亀裂が生じたり、材料を弱めたりする、というような欠点もある。
 また、「レーザー光による穿孔プロセス」の図からも明らかなように、レンズを通過して一点に集まるレーザー・ビームは円錐形になるため、レーザー光であけられる孔は表面に対して直角の円筒形にならず、ビームの形を反映した円錐形になってしまう。
 結局、以上のような欠点のため、宝石の穿孔に、せっかくのハイテク・レーザー光が使われることはほとんどない。基本的に、縄文時代人が確立した管錐を用いる穿孔技術に優る技術はないのである。

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 古代日本の超技術「縄文時代の最新技術を伝える〈三内丸山遺跡〉」
 三内丸山の縄文人が誇った超技術の正体…なんと、中国の古代文明より1000年前に「巨大建造物を建てるワザ」が日本で確立していた
〈新潟〉産が、〈北海道〉で加工され、〈青森〉で利用されていた…じつは、縄文時代の日本は「かなり広範囲な流通網」がカバーされていたかもしれない驚愕の事実
 古代人を虜にした日本の「ヒスイ」。じつは、めちゃくちゃ硬かった…
 なんと、レーザー光より「はるかに優れていた」…世界屈指の文明も凌駕する「日本のヒスイ加工のワザ」が衝撃的すぎた(本記事…はじめから読む)

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 古代日本の超技術〈新装改訂版〉 古代世界の超技術〈改訂新版〉

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 志村 史夫(ノースカロライナ州立大学終身教授(Tenured Professor))
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