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日本の神や仏は自然災害に対して無力な為に、甚大な被害を被った被災地で大切で愛した身内を亡くした被災民の傍らで哀しく涙を流すしかできなかった。
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2024年1月7日 YAHOO!JAPANニュース「能登半島地震の被災地に冷たい大雨のち雪の予報 兵庫県南部地震と違い復旧が進まないうちに最高気温が5度
推計震度分布図(令和6年(2024年)1月1日16時10分)
西高東低の気圧配置
北海道を上空に寒気を伴った低気圧が通過し、次第に冬型の気圧配置が強まる見込みです(図1)。
図1 予想天気図(左は1月7日9時、右は8日9時の予想)
このため、強い寒気が南下し、7日は北~西日本の日本海側では雪や雨が降り、雷を伴う所もあるでしょう。
北~西日本の太平洋側は晴れる所が多いものの、東北の太平洋側ではにわか雨やにわか雪があり、沖縄は雲が広がりやすく、所によりにわか雨があるでしょう。
7日の最高気温は、ほぼ全国的に平年並みか平年より高くなっていますが、北陸地方では平年より低い見込みです。
最低気温が0度に満たない冬日は、1月6日は346地点(気温を観測している全国914地点の約38パーセント)だったのが、1月8日には635地点(約69パーセント)に増える見込みです(図2)。
図2 真冬日、冬日、夏日の観測地点数の推移(2023年11月1日~2024年1月9日、1月7日以降は予測)
先月の冬至寒波には及びませんが、それに次ぐ寒波の襲来です。
北陸地方は大雨のち大雪
気象庁は早期注意情報を発表し、5日先までに大雨や大雪などについての警報を発表する可能性を、「高」「中」の2段階で予測しています。
これによると、1月7日には、大雨警報の可能性が石川県能登で「高」、その他の新潟県佐渡を除く北陸で「中」となっています(図3)。
図3 大雨警報を発表する可能性(上段)と大雪警報を発表する可能性(下段)(ともに左側が1月7日、右が1月8日)
気象庁は大きな地震が発生すると、大雨警報などの発表基準を引き下げています。これは、地震によって土砂災害が発生しやすい状況になったからですが、今回の能登半島地震でも同じです。
市町村の被害状況などで異なりますが、基準の値の7割から8割で発表することとしています。
また、同じ7日には、大雪警報の可能性が長野県北部で「高」、富山県と新潟県中・下越などで「中」となっています。富山県と新潟県では、大雨警報と大雪警報が同時に(地域が異なる)発表となる情報となっているのです。
今年の正月に発生した能登半島地震で揺れが強かった能登半島を中心とする北陸では、大雨による土砂災害に注意、警戒してください(タイトル画像)。
また、北陸の雨は次第に雪に変わりますので、大雪による交通障害にも注意、警戒が必要です。
兵庫県南部地震より早く寒くなる能登半島地震
震度7を最初に観測したのが、平成7年(1995年)1月17日に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)です。
兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)の発生時、筆者は神戸市中央区中山手通りにあった神戸海洋気象台(現在は神戸地方気象台となり移転)に隣接する宿舎で寝ていました。
神戸海洋気象台の予報課長として神戸に赴任していたからです。上下動の揺れで目がさめた後、身体が横に叩きつけられる感じの揺れを感じました。
気象台は、神戸市沿岸部に細長く東西に延びる「震度7」の領域が切れているところにあり、「震度6強」でした。
令和6年(2024年)1月1日に石川県志賀町で震度7を観測した能登半島地震は、同じ1月の大地震ですが、地震発生後の天気については大きな差があります。
兵庫県南部地震のとき、神戸海洋気象台では、観測も予報も一回も欠けることなく通常通りの業務を行っていましたが、1月22日に低気圧通過でまとまった雨の可能性がわかった20日からは「雨に関する情報(大雨情報ではありません)」などを発表して早めに警戒を呼びかけました。
兵庫県南部地震から5日目でも、山や崖に亀裂が入り、堤防や防潮堤も損傷を受けたままで、排水溝は瓦礫で詰まり、排水ポンプも正常作動が確認できない状況で、大規模な二次災害が懸念されていました。人命救助がまっさきに行われており、多数の救援物資は野積みで、屋根が壊れている家に住んでいる人、たき火をしながら野宿している人が多数いましたので、普段では考えられないことが次々に起きる可能性がありました。
1月22日の雨は、ほぼ予想通りで、神戸市や西宮市などでは土砂崩れや道路の亀裂が相次いでいますが、事前避難で人的被害はありませんでした。いろいろな防災関係者の努力の結果、大きな災害や不測の事態の発生を防ぎ、雨の翌日から(元に戻る復旧ではなく)本格的な復興が軌道に乗りました。
兵庫県南部地震のときは、地震発生5日後の雨であり、ある程度の支援が進んだときの雨で、気温も冬とはいえ、平年より高めに経過していました。それまでは、晴れて、気温は平年より高く、救援活動が順調に進んでいました。
しかし、今回の能登半島地震では、支援活動が本格化しないうちに雨や雪が降り続くという予報になっており、最高気温も地震発生の7~8日目には5度を下回ってきます(図4)。
図4 能登半島地震発生後の輪島の日最高気温の推移(地震発生直後から1月3日は欠測、1月7日以降は予想)と兵庫県南部地震発生後の神戸の日最高気温の推移
兵庫県南部地震では、最高気温が5度を下回ったのは14日目でした。
石川県輪島と神戸では最高気温の平年値が2度以上違いますが、それにしても、被災地の復旧が進んでいない地震の7日~8日目に早くも冷え込むという予報です。
被災者にとって厳しい天気予報です。救援活動される方は、知っておられることですが、特段の配慮が必要です。
また、雨から雪に変わる予想の時の雪は0度近く、雪としては、比較的暖かいときの雪です。樹木や電線などに着雪しやすく、停電が発生しやすいことから、雪の量だけでなく、停電にも注意してください。
大きな地震で建物が傷んでいるときは、漏電の危険性が高くなっています。停電が発生したときは、復旧時の通電火災に特に注意が必要です。
タイトル画像の出典:気象庁ホームページ。
図1の出典:気象庁ホームページ。
図2の出典:ウェザーマップ提供資料をもとに筆者作成。
図3の出典:ウェザーマップ提供。
図4の出典:気象庁ホームページとウェザーマップ提供資料をもとに筆者作成。
饒村曜
気象予報士
1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。
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1月16日4:00 YAHOO!JAPANニュース「能登半島地震の被災地に寒さと大雪 思い出される阪神・淡路大震災に行われた大規模な疎開
西高東低の冬型の気圧配置と日本海の寒気南下を示す筋状雲(1月15日9時)
西高東低の冬型の気圧配置
令和6年(2024年)1月15日は、日本付近に強い寒気が南下し、西高東低の冬型の気圧配置となり、日本海には、強い寒気が南下していることを示す筋状の雲が発生しています(タイトル画像)。
強い寒気の目安として、上空約5500メートルの気温が使われています。この気温が氷点下30度以下なら強い寒気の目安、氷点下36度以下なら大雪の目安とされています。
現在、日本上空約5500メートルには、氷点下30度以下の寒気が能登半島まで、氷点下36度以下の寒気が東北北部まで南下しており、北海道上空では氷点下42度以下です(図1)。
図1 予想天気図と上空約5500メートルの気温分布予想(上は1月16日9時、下は17日9時の予想)
このため、北日本や北陸では日本海側を中心に雪が降り、風の強まる所もありました。
ただ、この寒気の南下は一時的で、西高東低の冬型の気圧配置は長続きしません。次第に日本列島は大陸からの高気圧に覆われ、天気が回復してくる見込みです。
今冬の冬日と真冬日
令和5年(2023年)12月22日(冬至)の頃に西日本を中心に南下してきた寒波(冬至寒波)では、福岡では最高気温が12月21日に3.7度、22日に4.3度と、平年の最低気温をも下回る厳しい寒さでした。
12月22日に全国で最高気温が0度を下回った真冬日を観測したのは264地点(気温を観測している全国914地点の約29パーセント)、最低気温が0度を下回った冬日は774地点(約85パーセント)もありました(図2)。
図2 真冬日、冬日、夏日の観測地点数の推移(2023年11月1日~2024年1月18日、1月16日以降は予測)
1月15日に冬日を観測したのが全国で528地点(約58パーセント)、真冬日を観測したのが158地点(約17パーセント)で、16日の真冬日の予想は332地点(約36パーセント)、17日の冬日の予想は682地点(約75パーセント)です。
冬至寒波に比べると、冬日は冬至寒波の頃を超えない予想ですが、真冬日は冬至寒波の頃を超える予想です。
ただ、大きな移動性高気圧に覆われる1月18日は、全国的に気温が上昇し、真冬日は12地点(約1パーセント)程度、冬日は292地点(約32パーセント)程度に大きく減少し、逆に、最高気温が25度以上の夏日が7地点(約1パーセント)程度で観測されそうです。
ただ、寒気は繰り返し南下してきます。
次の氷点下36度以下の寒気は、来週の週明け、1月22日に北海道まで南下してくる見込みです(図3)。
図3 上空約5500メートルの気温分布予想(1月22日夜の予想)
まだまだ、冬の荒天は続きます。
能登半島地震後の荒天と報道された死者数の推移
正月に最大震度7の能登半島地震が発生しましたが、被災地が半島の先端で交通手段が限られていたこと、地震発生後から雨や雪の日が続いていたことから、人的被害の全貌の把握がかなり遅れています。
大きな災害が発生した時は、人的被害の全貌の把握が遅れるのですが、能登半島地震では、地震発生の10日後くらいで、人的被害の全貌がわかってきました(図4)。
図4 報じられた能登半島地震の死者数等の推移
これを、平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災や、平成23年(2011年)の東日本大震災と比べると、早い段階で一時的に行方不明者や安否不明者の数が増えたという特徴があります(図5)。
図5 阪神・淡路大震災(上)と東日本大震災(下)で発表された死者・行方不明者数の一週間の推移
これは、各自治体が安否不明者のリストを早めに公表して情報を集めたことの反映と思います。もし、早めの安否不明者のリスト公表がなければ、もっと人的被害の把握が遅れていたと思われます。
阪神・淡路大震災に行われた大規模な疎開
平成7年(1995年)1月17日に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生した時、筆者は神戸市中央区中山手通りにあった神戸海洋気象台(現在は神戸地方気象台となり移転)に隣接する宿舎で寝ていました。
神戸海洋気象台の予報課長として神戸に赴任していたからです。上下動の揺れで目がさめた後、身体が横に叩きつけられる感じの揺れを感じました。
気象台は、神戸市沿岸部に細長く東西に延びる「震度7」の領域が切れているところにあり、「震度6強」でした。
令和6年(2024年)1月1日に石川県志賀町で震度7を観測した能登半島地震は、同じ1月の大地震ですが、地震発生後の天気については大きな差があります。
兵庫県南部地震の時、神戸海洋気象台では、観測も予報も一回も欠けることなく通常通りの業務を行っていましたが、1月22日に低気圧通過でまとまった雨の可能性がわかった20日からは「雨に関する情報(大雨情報ではありません)」などを発表して早めに警戒を呼びかけました。
兵庫県南部地震の時は、地震発生5日後の雨であり、ある程度の支援が進んだときの雨で、気温も冬とはいえ、平年より高めに経過していました。それまでは、晴れて、気温は平年より高く、救援活動が順調に進んでいました。
1月22日の雨は、ほぼ予想通りで、神戸市や西宮市などでは土砂崩れや道路の亀裂が相次いでいますが、事前避難で人的被害はありませんでした。
いろいろな防災関係者の努力の結果、大きな災害や不測の事態の発生を防ぎ、雨の翌日から本格的な復興が軌道に乗りました。
それでも、兵庫県南部地震の時の神戸市では、一刻も早い復興のために大規模な疎開が行われています。
地震直後は水や電気が止まって生活が不自由なことや、付近の建造物等が倒れる等の危険を避けるため、小さな子供のいる家庭では、親せきや知人宅へと続々と疎開をはじめています。
気象台でも、何人もの職員が家族を疎開先まで送り届けていますが、家族を心配しつつ勤務しなくてよくなったせいと思いますが、帰ってきた時には、一様に表情が明るくなっているのが印象的でした。
小さな子供に「ごはんを食べられるのは、お父さんがこんな時に皆のために大事な仕事をするからだよ。さびしいかもしれないけど頑張ってね。」といって仕事にでてきた職員がいましたが、小さな子供に、働く父親の姿を見せられたのは、最高の教育だったと思います。
地震後、しばらくすると、子供のいる家庭では、続々と実家や親戚宅に母と子の疎開が始まっています。
兵庫県調べで避難所のピークは地震発生一週間後の1月24日の1138か所(30万7022人)でしたが、その多くは学校でした。
このことから、多くの学校では被災者であふれ、授業がいつ再開できるかわからなくなったためです。
図6は、全国の国公立学校に転校した幼稚園児・児童・生徒の推移ですが、地震発生の約一か月後の2月14日には2万6000人以上に達しています。
図6 全国の国公立学校に転校した幼稚園児・児童・生徒の推移(新聞記事より作成)
授業が再開するにつれ、疎開した子供の人数は減ってきましたが、神戸市内の全校で授業が再開した2月24日でも2万人を超えています。
新年度に入って9000人で横ばいであることは、家族で引っ越しをし、親がそこで新しい仕事ついたという子供が9000人いたということかもしれません。
全国の地元紙や地元テレビ局で、疎開してきた子供たちが温かく迎えられ、新しい友だちができたという報道が数多くありました。
疎開しても疎開しなくても、子供たちに「震災ストレス」に対する心理ケアが必要ともいわれていますが、このようなマイナス面だけでなく、多くの人の思いやりや新しい友だちができたというプラス面もあったように思いました。
できるところから二次避難や疎開を
被災者といっても、一人一人事情が異なりますので、一概に言えないのですが、一日も早い復興や安全確保のためには、できるところから二次避難や疎開を行って被災地の人口を減らしておくことが必要と思います。
現に、能登半島地震で大きな被害を受けた輪島市では、市内中学校3校の全校生徒約400人の集団避難を検討しており、希望者が200人以上いるという新聞報道がありました。
また、小学生約700人は親元を離れることによる心理的負担が大きいということから集団避難を見送ったという新聞報道もありました。
さらに、厚生労働省では高齢者施設や障がい者施設の400人を避難させる計画が進んでいるとの報道がありました。
しかし、今回の能登半島地震では、支援活動が本格化しないうちに雨や予報が降り続いています。
そして今後も雪や雨が続き、連日、最高気温が一桁の予報です(図7)。
図7 石川県・輪島の16日先まで(1月31日まで)の天気予報
降水の有無の信頼度が5段階で一番低いEや二番目に低いDの予報が混じっていますが、しばらくは被災地の救援にとっての悪天候が続く見込みです。
兵庫県南部地震の時の神戸以上に、できるところから一刻も早く二次避難や疎開が必要と思います。
タイトル画像、図1、図3、図7の出典:ウェザーマップ提供。
図2の出典:ウェザーマップ提供資料をもとに筆者作成。
図4の出典:読売新聞等の新聞記事をもとに筆者作成。
図5の出典:饒村曜(平成24年(2012年))、東日本大震災・日本を襲う地震と津波の真相、近代消防社。
図6の出典:饒村曜(平成8年(1996年))、防災担当者の見た阪神・淡路大震災、日本気象協会。
饒村曜
気象予報士
1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。
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1月19日4:05 YAHOO!JAPANニュース「同じ冬の震度7でも、29年前の阪神・淡路大震災より能登半島地震のほうが厳しい自然 死者の多くは7代
阪神・淡路大震災 (1995年1月17日)(写真:Fujifotos/アフロ)
最大震度7の地震
震度7を最初に観測したのが、平成7年(1995年)1月17日に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)です。
兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)の発生時、筆者は神戸市中央区中山手通りにあった神戸海洋気象台(現在は神戸地方気象台となり移転)に隣接する宿舎で寝ていました。
神戸海洋気象台の予報課長として神戸に赴任していたからです。上下動の揺れで目がさめた後、身体が横に叩きつけられる感じの揺れを感じました。
気象台は、神戸市沿岸部に細長く東西に延びる「震度7」の領域が切れているところにあり、「震度6強」でした。
令和6年(2024年)1月1日に石川県志賀町で震度7を観測した能登半島地震が発生しました(図1)。
図1 正月に震度7を観測した能登半島の地震(1月1日16時24分の震源・震度情報2報)
兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)と能登半島地震は、同じ1月の大地震ですが、地震発生後の天気については大きな差があります。
地震発生後の雨や雪
兵庫県南部地震のとき、神戸海洋気象台では、観測も予報も一回も欠けることなく通常通りの業務を行っていましたが、1月22日に低気圧通過でまとまった雨の可能性がわかった20日からは「雨に関する情報(大雨情報ではありません)」などを発表して早めに警戒を呼びかけました。
兵庫県南部地震から5日目でも、山や崖に亀裂が入り、堤防や防潮堤も損傷を受けたままで、排水溝は瓦礫で詰まり、排水ポンプも正常作動が確認できない状況で、大規模な二次災害が懸念されていました。人命救助がまっさきに行われており、多数の救援物資は野積みで、屋根が壊れている家に住んでいる人、たき火をしながら野宿している人が多数いましたので、普段では考えられないことが次々に起きる可能性がありました。
1月22日の雨は、ほぼ予想通りで、神戸市や西宮市などでは土砂崩れや道路の亀裂が相次いでいますが、事前避難で人的被害はありませんでした。いろいろな防災関係者の努力の結果、大きな災害や不測の事態の発生を防ぎ、雨の翌日から(元に戻る復旧ではなく)本格的な復興が軌道に乗りました。
兵庫県南部地震のときは、地震発生5日後の雨であり、ある程度の支援が進んだときの雨で、気温も冬とはいえ、平年より高めに経過していました。それまでは、晴れて、気温は平年より高く、救援活動が順調に進んでいました。
しかし、今回の能登半島地震では、支援活動が本格化しないうちに雨や雪が降り続いています(図2)。
図2 能登半島地震発生後の輪島の日最高気温の推移(1月19日以降は予想)と兵庫県南部地震発生後の神戸の日最高気温の推移
兵庫県南部地震では、0.5ミリ以上の雨が降ったのは、地震発生の6日目と7日目だけで、しばらくは雨が降っていません。
しかし輪島は、1月2日と3日の観測がないので不詳ですが、それ以外の日は、ほとんどすべてといっていいほど、降水量が0.5ミリ以上の雨か雪が降っています。
しかも、能登半島地震の8日目には4度を下回っています。
そして、1月24日の最高気温の予想が2度です。
地震で家屋が倒壊し、仮設住宅の準備ができないうちから寒さと雨や雪が襲ってきたのです。
死者の多くは高齢者
近年、個人情報保護の観点から、災害で亡くなられた方の性別や年齢は発表しなくなっています。
能登半島地震の場合は、石川県がとりまとめ、遺族の同意が得られた方のみ石川県のホ―ムページで公表しています。
1月18日までに石川県が発表した83名に、筆者が新聞記事から集めた21名を加えた104名の性別、年代別の死者は、図3のようになります。
図3 能登半島地震による男女別・年齢別の死者
この種の調査を行うと、男性の方が多くなるのですが、能登半島地震の場合は、男性が52名、女性が52名と同数です。
また、一番多いのが70代です。
令和元年(2018年)の台風19号と低気圧による死者の分析では、男性の方が女性より多く、60代が一番多くなっています(図4)。
図4 令和元年の台風19号と低気圧による男女別・年齢別の死者
このことは、高齢化が進んでいる能登半島で起きた災害ということも反映しているかもしれません。
また、10代以下の子供の割合が比較的多いのは、年末年始を祖父母のところで過ごそうとしていた人たちが、地震による家屋倒壊でなくなっていることを示しているのかもしれません。
図1の出典:気象庁ホームページ。
図2の出典:気象庁ホームページとウェザーマップ提供資料をもとに筆者作成。
図3の出典:石川県ホームページと読売新聞記事をもとに筆者作成。
図4の出典:饒村曜(令和元年(2020年))狩野川台風以来の大雨、令和元年の台風19号、近代消防、近代消防社。
饒村曜
気象予報士
1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。
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1月19日4:00 YAHOO!JAPANニュース「今週末の「南岸低気圧」で関東甲信の山沿いや山地を中心に大雪、来週半ばは今冬一番の強い寒気が南下か
日本海西部から東シナ海で発生した前線の雲と地上天気図(1月18日12時)
前線の南下と「南岸低気圧」
令和6年(2024年)1月18日に日本海西部~東シナ海で発生した前線(タイトル画像)が日本の南に南下して停滞する見込みです。
このため、19日は、西日本では雲が多く朝まで雨の残る所があるでしょう。東~北日本は日本海側を中心に雲が広がり、北海道では雪の降る所がある見込みです。南西諸島は概ね晴れるでしょう。
日本付近に南下していた寒気は北へ後退し、最高気温は東日本の日本海側と北日本で平年並の他は、平年より高い予報となっています。
ただ、週末にかけて停滞前線上に低気圧が発生し、本州の南岸を発達しながら東に進み、伊豆諸島付近を通過する見込みです。
いわゆる「南岸低気圧」です。
この「南岸低気圧」の影響で、関東甲信は、20日午後~21日にかけて、山沿いや山地を中心に大雪となる所があり、関東南部の平地でも積雪となる所がある見込みです(図1)。
図1 雨雪の分布予報(1月21日6時の予報)
予想より気温が低くなったり、降雪が強まったりした場合には、山沿いや山地を中心に関東南部の平地でも警報級の大雪となる可能性がありますので、積雪による交通障害、路面の凍結に注意・警戒してください。
東京など関東南部の沿岸部では、今のところ雨の予想ですが、気温が下がる21日未明から朝は、雪が混じる可能性があります。
ただ、天気予報の元となっている数値予報とよばれるコンピュータを用いた手法では、山沿いを中心とした雪がどこまで広がってくるのか、どの程度まで気温が下がるのかなど、現時点においてはバラツキが多い状態です。
今年の1月13日、関東南岸の水戸では平年より25日遅く、銚子では8日遅く、東京では10日遅く、横浜では25日遅く初雪を観測しましたので、それ以外の所では、初雪になるかもしれません。
最新の気象情報に注意してください。
「南岸低気圧」のあとは西高東低の気圧配置
南岸低気圧が通過した来週になると、こんどは西高東低の冬型の気圧配置となって強い寒気が南下する見込みです。
強い寒気の目安として、上空約5500メートルの気温が使われています。この気温が氷点下30度なら強い寒気の目安、氷点下36度なら大雪の目安とされています。
現在、南下してきている寒気は、日本上空約5500メートルで氷点下30度以下の範囲が北海道どまりという寒気です(図2)。
図2 上空約5500メートルの気温分布予報(1月19日朝の予報)
ただ、強くないとっても、「南岸低気圧」が関東地方に雪を降らせるかどうかという、影響が大きい寒気です。
来週半ばに南下してくる寒気は、氷点下30度以下という寒気が関東の南海上まで、氷点下36度以下という寒気が能登半島まで南下する見込みです(図3)。
図3 上空約5500メートルの気温分布予報(1月24日朝の予報)
ひょっとしたら、今冬一番の寒気になるかもしれません。
今冬の冬日と真冬日
令和5年(2023年)12月22日(冬至)の頃に西日本を中心に南下してきた寒波(冬至寒波)では、福岡では最高気温が12月21日に3.7度、22日に4.3度と、平年の最低気温をも下回る厳しい寒さでした。
12月22日に全国で最高気温が0度を下回った真冬日を観測したのは264地点(気温を観測している全国914地点の約29パーセント)、最低気温が0度を下回った冬日は774地点(約85パーセント)もありました(図4)。
図4 真冬日、冬日、夏日の観測地点数の推移(2023年11月1日~2024年1月18日)
1月18日に冬日を観測したのが全国で343地点(約38パーセント)、真冬日を観測したのが59地点(約6パーセント)でした。
1月中旬の寒波はひとまず終わったようです。
冬至寒波に比べるとが、冬日や真冬日のピークが小さく、1月中旬の寒波は冬至寒波には及ばなかったといえるでしょう。
ただ、寒気は繰り返し南下してきます。
来週の中ごろに南下してくる寒波は、冬至寒波より寒く、今冬一番になるかもしれません。
東京の16日先までの天気予報をみると、1月21日の日曜日には小さな雪だるまマーク(雪)があります(図5)。
図5 東京の16日先までの天気予報
南岸低気圧による雨または雪が降った後、来週の半ば西高東低の冬型の気圧配置となって寒気が南下し、最高気温は24日(水)が8度、25日(木)が9度と、ともに一桁です。
そして、しばらくは晴天で最高気温が12度程度の日が続く予報になっています。
しかも、この予報は、降水の有無の信頼度が5段階で一番高いAや二番目に高いBが多い予報です。
東京のような太平洋側で晴天が続くということは、西高東低の冬型の気圧配置の時であり、日本海側で曇りや雨の日が続くということになります。
寒波が強ければ、西高東低の冬型の気圧配置となって日本海側で大雪の可能性が、寒気が少し弱いと「南岸低気圧」が発生して太平洋側で大雪の可能性がでてきますので、しばらくは雪に心配な時期が続きます。
タイトル画像、図1、図2、図3、図5の出典:ウェザーマップ提供。
図4の出典:ウェザーマップ提供資料を基に筆者作成。
饒村曜
気象予報士
1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。
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