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2024年2月5日 MicrosoftStartニュース 読売新聞「道路・情報寸断で「陸の孤島」になった能登、自衛隊の救助難航…初動対応の「定石」通じず
地震から一夜明け、被災地の道路は各地で崩落し、車では進めなくなっていた(1月2日、石川県輪島市で、読売機から)=伊藤紘二撮影
© 読売新聞
■[能登地震 検証]<4>
能登半島の上空を飛行する海上自衛隊の哨戒機「P1」の搭乗員11人は、異様な光景を目にしていた。
真下に見えるはずの市街地は闇に包まれていた。「明かりがともっていない。停電が起きているのか」。搭乗員の上野剛毅2尉(29)は心の中でつぶやいた。
機首には夜間用の赤外線カメラを装備している。その倍率を上げると、倒壊した建物や道路を遮る土砂も映った。
山の向こうからでも輪島の空が赤く染まっているのが見えた。6時間の偵察中、石川県輪島市内の火災は2度確認した。「相当な被害が出ている」。機長の松田和人3佐(44)は窓の外に目を凝らした。
最大震度7を観測した能登半島地震が起きたのは日没が迫る元日の午後4時過ぎだった。能登地方は2007年と23年にも震度6強クラスの地震に見舞われたが、死者は1人ずつ。発生直後、政府内には「被害は軽微ではないか」との希望的観測さえあったが、「道路の寸断で被害状況の把握もままならない」といった情報が次々と寄せられた。
岸田首相も1日午後5時頃、能登地方を地盤とする自民党の西田昭二衆院議員との電話で、「昨年の地震とは揺れが全く違う。能登を助けてください」と窮状を訴えられた。
政府は、同日午後5時30分に「特定災害対策本部」(本部長・松村防災相)をいったん設置。首相は「空振りでも構わない」と判断し、約5時間後に首相をトップとする「非常災害対策本部」に格上げした。
この夜、東京・永田町にある首相官邸執務室では首相の怒気をはらんだ声が響いていた。
「何としても今晩中に自衛隊や警察を送り込め」
災害発生時、自衛隊は地元自治体からの情報提供に基づき、捜索や救難活動を行う。今回は交通網と通信網が寸断され、初動対応の「定石」は通じなかった。
実態把握が難航したのが、最も多くの孤立集落が出た輪島市だ。全職員約280人のうち、元日に登庁できたのは約50人。自衛隊員がもたらす情報が頼みの綱だった。自衛隊員は崩れた土砂を乗り越えるなどして市内を駆け回った。孤立集落の数をほぼ特定できたのは、生存率が急激に低下するとされる「災害発生から72時間」が迫った4日朝だった。
備えの甘さも問われている。石川県の地域防災計画は「能登半島北方沖の地震」が起きた場合、被害は「ごく局所的で、災害度は低い」と推定していた。人口約2万3000人の輪島市は非常食を数千人分しか備蓄しておらず、発災初日で払底した。
県はここ数年の群発地震を受け、被害想定を見直そうとしていた最中だった。実際の被害との乖離(かいり)による初動への影響について、馳浩知事は「全くない」との立場だが、対応の遅れは否めない。
交通網が脆弱(ぜいじゃく)で自衛隊の十分な配備が望めず、物資の備蓄も進んでいない地域は全国に多い。過疎化や高齢化が進む中、地震大国・日本が同様のケースに再び直面する可能性はある。
関連するビデオ: 能登地震の情報収集にあたる海自哨戒機 初訓練にカメラ搭乗し密着
政府高官はこう語る。
「過去の災害にない課題が突きつけられた。いずれかの時点で検証し、教訓として生かすことが不可欠だ」
■熊本地震とは対照的な条件
海上自衛隊の哨戒機「P1」が飛行していたその時、空自輪島分屯基地(石川県輪島市)には1000人もの住民が逃げ込んでいた。能登半島唯一の自衛隊の拠点にいたのは、わずか約40人の隊員だった。
副隊長の大出武志3佐(49)は、基地から約100メートル離れた自宅官舎で激しい揺れに見舞われた。「鉄筋コンクリートの官舎が倒壊する」とすら思った。
<大津波警報です>
防災無線から機械的な音声が流れ、住民は高台にある基地を頼った。若い女性が手をつないで泣いていた。寝たきりの高齢者を運ぶ住民や、頭から血を流す人、巫女(みこ)姿の女性もいた。
日はすぐに没した。午後6時の気温は4・2度。隊員は分担して備蓄品の毛布や水を配った。午後9時頃、隣接する中学校への避難が可能になると、住民の誘導を始めた。
「倒れた家に取り残された人を助けてほしい」と懇願する住民もいた。輪島市役所に連絡したが、消防も警察も対応できないという。隊員10人がツルハシとノコギリを手に現場に走ったが、4人を救助するのが精いっぱいだった。
応援部隊の派遣は難航した。元日の夜、道路が寸断された輪島市は「陸の孤島」と化していたからだ。
地震発生から1時間後。陸自の金沢駐屯地(金沢市)では先遣隊20人が高機動車2台に分乗し、約100キロ離れた輪島、珠洲市に向けて出発した。地割れや陥没に阻まれ、輪島中心部入りを断念。迂回(うかい)路を探すうち1台が動けなくなった。残る1台が珠洲市にたどり着いたのは翌2日の正午頃。すでに20時間近くたっていた。
◇ 今回の地震は、三方を海に囲まれた半島で道路が寸断された場合、救助部隊を送り込むことが一気に難しくなる現実を突き付けた。
石川県内で通行止めとなった道路は少なくとも42路線の87か所に上る。「半島北部では、ほぼ全ての主要道路が分断された」(県道路整備課)という。
被災地に西部方面総監部などが置かれ、6000人規模の部隊がいたうえ、四方から陸路で応援部隊を送り込むことができた2016年の熊本地震とは対照的だ。
能登半島地震で自衛隊は、輪島・珠洲両市にはヘリによる部隊投入を主軸にすることを決めた。翌2日までに10機以上が動き、約200人の隊員を両市に送り込んだ。警察や消防の部隊も運んだ。しかし、生存率が急激に低下する「72時間」となる4日に活動する自衛隊員は、約1270人にとどまった。
陸自トップの陸上幕僚長として東日本大震災(11年)に対応した火箱芳文氏は、「重機や車両がなければ、救助の効率は上がらない。今回は順次、部隊を投入していかざるを得ないケースだった」と見る。
ヘリでは重機の輸送は難しい。呉基地(広島県)を緊急出港した海自輸送艦が、ホーバークラフトで輪島市の浜辺に重機を陸揚げしたのは4日午前だった。
火箱氏は「道路が寸断された中でいきなり数千人を車両で送り込めば、渋滞などで大混乱が起きる恐れがあった」と強調する。
◇ 教訓は何か。名古屋大の福和伸夫・名誉教授は「南海トラフ地震では、紀伊半島や伊豆半島の先端に自衛隊や警察、消防が陸路でたどり着けないことも想定される」と見る。
最悪のケースで23万人が死亡・行方不明になるとされるこの巨大地震では、半島地域に津波が押し寄せ、火災が起き、ガスや水道などのインフラが破壊される恐れがある。
福和氏は警鐘を鳴らす。「災害の大きさに比べて自衛隊など救助のリソースが足りなくなる。自宅の耐震化や、食料や簡易トイレの備蓄など、自分の命は自分で守ることをもう一度肝に銘じることが必要だ」
能登半島地震で自衛隊は、4日も約4000人態勢で活動を続けている。南海トラフ巨大地震への教訓があるとみて、全ての任務を終えた後に、活動を検証する。
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2月8日 YAHOO!JAPANニュース 文春オンライン「元陸将「逐次投入がまるで悪い言葉のように使われていますが…」能登半島地震、自衛隊の対応は“批判されて当然”なのか
発災から1カ月以上が経った能登半島地震だが、被災した人々の避難生活は続き、現地の復旧作業もはかどらない状況が続いている。国会では政府の対応の拙さを批判する声が上がり、その矛先の一つは自衛隊に向けられている。「過去の震災と比べて投入した人数が少ない」、「隊員を小出しにする逐次投入だ」といった批判だ。かつて能登半島を含む陸上自衛隊中部方面隊の総監を務めた山下裕貴・千葉科学大客員教授(元陸将)は「自衛隊だけではなく、政府全体で考える問題だ」と指摘する。
【画像】厳しい状況下で救助活動に取り組む自衛隊員
逐次投入の是非
被災地で救助活動する自衛隊員(防衛省統合幕僚監部提供)©時事通信社
元日に発災した能登半島地震に対し、自衛隊は翌2日に約1000人、3日に約2000人が現場で活動し14日から15日にかけて、最大規模の約7000人にまで増やした。この流れが、発災3日目には約1万4000人の自衛隊員が派遣された熊本地震(2016年)などと比較され、「逐次投入」だという批判を招いた。
山下氏は「逐次投入がまるで悪い言葉のように使われていますが、戦場でも逐次投入は立派な戦い方の一つとして位置付けられています。それは敵味方ともに前進中に遭遇して生起する浮動状況での遭遇戦です」と語る。戦場で敵の状況がはっきりわからない態勢で遭遇した場合、味方の部隊を到着順に次々と戦場に投入して、戦況を有利に導く戦術だ。山下氏は「能登半島地震の場合、まさに発災直後は被害状況がはっきりしておらず、遭遇戦と同じ状況にありました」と指摘する。
自衛隊の場合、活動を起こす最初のアプローチとして、地上では小型車両やオフロードバイクなど、上空からはヘリコプターなどを使って戦場や被災地の情報を収集する。この情報収集活動によって、火災や津波の発生状況や土砂崩れ、住宅の被害などを把握することはできる。ただ、目視するだけでは、住民がどのような被害に遭っているのか、何人くらい住んでいるのか、自力で逃げられない人がどのくらいいるのかは、わからない。
山下氏によれば、こうした発災直後の情報の把握は、地元自治体や警察・消防の役割になる。山下氏は「市町村や県、あるいは警察などから情報をもらわないと、自衛隊は情報収集や十分な派遣準備ができません」と語る。
「発災後72時間」の重要性
もちろん、自衛隊も人命救助のタイムリミットとされる「発災後72時間」の重要性は理解している。自衛隊の各駐屯地には、エアカッターや斧、ジャッキ、チェーンソーなどの「災害派遣人命救助セット」が備え付けられている。時間単位で出場できるファスト・フォース(初動対応部隊)が24時間365日の体制で準備している。
まず、ファスト・フォースを送り出し、その間に非常呼集をかけて、他の隊員たちを部隊に戻して準備する。ファスト・フォースは通常、2~3日分の食料しか携行していないため、数日後には派遣隊員を入れ替える必要があるからだ。最初の派遣規模は、こうしたファスト・フォースを中心にした部隊だった。
発災から72時間が人命救助の重要な段階になる。自治体などからの情報提供や自衛隊の偵察活動により救助が必要な地域を特定し、必要な部隊を迅速に逐次投入していくのが災害派遣の鉄則だ。大規模な被害地域には、ある程度大きな部隊を投入する。この場合には自己完結性を担保するために、補給部隊や展開地などの基盤を考慮する必要があるという。
能登半島は「自衛隊の空白地」
また、実際に隊員の派遣も困難を極めた。山下氏は陸自中部方面総監時代、ヘリコプターで上空から能登半島を視察した経験がある。「能登半島は、山地に小規模な集落が点在しています。集落には、半島を囲むように伸びる海岸線沿いの道路からアクセスする必要があります。ただ、隆起した山地が海岸線まで迫っていますから、今回のように海岸線沿いの道路が寸断されると、大多数の集落は簡単に孤立してしまいます」(山下氏)。実際、今回の震災では徒歩でしかアクセスできない事態も発生している。
熊本地震の際は、近傍に陸自の駐屯地などがあった。だが、能登半島は輪島市に空自のレーダーサイトがあるだけで、「自衛隊の空白地」とされる。一番近い部隊は、金沢市の第14普通科連隊だが、やはり能登半島の海岸線沿いの道路が寸断されたため、すぐに接近できなかった。
自衛隊の災害派遣の基本方針は「国土防衛にあたっての人員や装備を転用する」というものだ。23年3月の時点で、自衛官の定員は約24万7000人だが、実際の現員は23万人程度にとどまっている。定員に対する現員の割合(充足率)は92%程度だ。陸上自衛隊の場合、冷戦時代にソ連の脅威に対抗して北海道を中心に編成していた部隊を、中国の脅威増大に伴い、南西方面に重点的に展開する作業に追われている。
また、これまで財政上の理由から防衛予算の増加が抑制され、財政当局からは陸上自衛隊の部隊縮小・駐屯地の統廃合や自衛官の現員削減などが求められてきた。「なぜ、能登半島に自衛隊をもっと置いておかなかったのか」という指摘はあたらないだろう。
ヘリコプターを使うべきだった?
また、「陸上からの接近が困難なら、ヘリコプターを使うべきだった」という声もある。山下氏は「平野部に隣接した山間地に対する災害派遣だった熊本地震とは、状況が異なります。今回はヘリポートの数も制限されていました。学校の校庭に降りれば良いではないか、という意見もありましたが、被災地に近い場所なのか、災害派遣の拠点地にできるのかなどを検討する必要があります。降りられるから良い、というものではないのです。投入した部隊が孤立しては元も子もありません」と話す。
それでは、なぜ、ここまで自衛隊の災害派遣が問題視されることになったのか。1月24日に行われた参議院予算委員会では、自衛隊派遣の遅れや派遣規模が少数にとどまったことについて、人災の要素があるという指摘が出た。発災直後から、記者団から、自衛隊の派遣規模を尋ねる質問が繰り返された。
防衛省は2日には、陸海空自衛隊による統合任務部隊を編成し、最大1万人規模の態勢をとることを決めた。山下氏は「人命救助を急げという指摘は理解できますが、数だけを問題視するのは短絡的すぎると思います。政治家も批判を避けるため、安易に派遣の人数を約束したり、公言したりするのは控えるべきです」と語る。
山下氏によれば、2018年の北海道胆振東部地震では、政府が自衛隊の派遣規模にこだわり過ぎたため、現場に隊員があふれた。当時、「一つのたこつぼ(1人用の塹壕)に10人も入れということか」という冗談が隊員の間で広がったという。山下氏は「派遣人員数とは、必要な場所に必要な人員を投入した結果で導き出されるものです。最初から投入員数を決めるのは、根拠のない数を示しているということです」と話す。
災害が起きるたびに「これまでの教訓を生かしていない」という指摘が出るが、被害の特徴は全て異なるため、簡単に比較はできないだろう。
カメラの外で起きていること
山下氏は「テレビやネットで流れる映像や情報だけで、簡単に批評することは避けるべきです。画面に映った災害現場や避難所に自衛隊の姿が見えないからといって、『自衛隊は何をやっているんだ』と判断するのは早計です」と語る。カメラが入れないような場所で復旧活動に従事しているかもしれない、という意味だ。
山下氏は「かつてのベトナム戦争では、米国市民がテレビで流れる映像にショックを受け、反戦運動が広がり、米国は戦争を続けられなくなりました。また、議員が作戦に容喙(くちばしを挟む)し、現地部隊が混乱を起こす原因にもなったと言われています。当時の戦争継続の是非は別として、マスコミが発表する一面的な情報だけで全体を判断するのは避けた方が良いと思います」と語る。
衣食住をすべて自己完結できる自衛隊は、頼りになる存在であることは間違いない。山下氏も「自衛隊の演習は、災害派遣とは比べものにならないくらい厳しいものがあります。防御演習では、1週間ほど、塹壕などの陣地に入ったままで、対抗部隊の攻撃を防ぐ訓練をします。警察や消防に比べ、災害派遣が長期にわたっても耐えられる体力と精神力を備えているのは、このような厳しい訓練を行っているからです」と語る。
1月中旬から、被災地の中学生らが石川県南部などに避難する「2次避難」が始まった。専門家の間からは、被災者を安全な後方地域に移した後、災害復旧活動に全力を挙げる方策などを提案する声も出ている。
災害の態様は千差万別だから、簡単に対応の是非を判断できない。ましてや、批判の矛先を自衛隊に絞って向けても、生産的な議論は得られない。今は、被災者の生活の安定と、復旧作業にめどをつけることに全力を挙げる時だろう。
牧野 愛博
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