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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
観光立国を目指す日本には、日本語が理解できない外国人旅行客が溢れている。
日本は移民大国として、激減する人口を言語も文化も宗教も違う外国人移民(主に中国人移民)で回復させようとしている。
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日本で生活するには災害を受け入れる覚悟がいるが、歴史的事実として、帰化人は覚悟を受け入れたが、渡来人は受け入れなかった。
何故なら、日本国内には自然災害を避ける安全地帯などないからである。
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2024年1月18日 MicrosoftStartニュース 日テレNEWS NNN「自然災害における外国人観光客・外国人移民の避難所利用にハードル。
能登半島地震で外国人観光客は?……宿泊先で緊急地震速報「どこに避難していいか」 災害時のケアは…「避難所利用」にハードルも
日本に多く戻ってきた外国人観光客から、能登半島地震の被災地へ、励ましの声が寄せられています。外国人が旅行中に被災した場合、どうケアするのでしょうか。災害時に外国人を支援してきた大学教授は、避難所を利用するハードルの高さを指摘します。
■「強くいて」…心を寄せる訪日客
© 日テレNEWS NNN
国は違えども、思いはひとつ。日本を旅行中の外国人観光客から被災地へ、励ましの声が届いています。
フィリピンから日本を訪れている人
「石川の人たちへ、強くいてください。一緒に支え合って、状況が良くなりますように!」
イギリスから来日した人
「安心して皆さんが早く安全な場所に戻れるように、願っています」
4年ぶりに戻った外国人観光客。日本政府観光局が発表した、去年12月の訪日外国人の数は273万4000人(推計値)で、新型コロナウイルス拡大後、単月では最多となりました。
■外国人観光客が見た能登半島地震
© 日テレNEWS NNN
ただ、旅行中の気がかりの1つが、被災のリスクです。ベルギーからの訪日客は「日本では地震が度々起きることを知っています」。元日に能登半島を襲った最大震度7の地震を、外国の人たちはどう見たのでしょうか?
15日にコスタリカから来日した人は「SNSを通して、とても伝統的な建物が崩れた光景を見ました。津波が押し寄せたことも知っています。広く報道されていますよ」と話しました。
「地震や津波によって新年を祝う日が悲しい日になってしまったことを残念に思います」と気遣ったのは、ハンガリーから14日に来日した女性。「実は石川県周辺を訪れる予定だったけど、計画を変更せざるを得ませんでした」と、石川行きを断念したと明かしました。
■宿泊先で緊急地震速報…訪日客の不安
© 日テレNEWS NNN
能登半島地震が発生した当日に日本に滞在中だったオーストラリアの家族は「新幹線で長野県に向かい、宿泊先に着いた5分後に地震が起きました。あんな規模の地震は初めてです」と振り返ります。
長野県の宿泊先に着くやいなや、緊急地震速報が鳴り響いたといいます。どこが安全な場所かが分からず、不安だったそうです。
「倒壊の可能性があったので建物の中にはいたくありませんでした。でも外にいるのも怖い。だから、どこに避難していいか本当に分からなかったです」
■避難所では「外国人に出番や役割を」
© 日テレNEWS NNN
もし日本で災害に遭ってしまったら、課題となるのが被災した外国人のケアです。
これまで被災地で外国人と向き合い、支援してきた武庫川女子大学の吉富志津代教授は「外国ルーツの人たちが避難所の情報を知らないことも多いので…」と指摘します。
29年前の1月17日に阪神・淡路大震災を経験。それをきっかけに、被災した外国人の支援組織を設立しました。能登半島地震でも、外国人対応についてアドバイスをしてきました。被災地での外国人対応の大きな課題は、避難所を利用するハードルの高さだといいます。
その解決策について「居場所だけじゃなくて、出番というか役割というか、自分たちもそこで何かを担っているというのが一番いいのかな」と言う吉富教授。阪神・淡路大震災の避難所でのエピソードを踏まえ、こうも話します。
「食べるものに制限のある人たちが、それを自分たちで作って、自分たちだけで食べるんじゃなくて、そこの避難所の人たちに振る舞ったりしたケースもありました。同じ地域の住民なんだ、同じ被災者なんだということを、みんなが意識を持つと一緒に頑張れる」
避難所の中で疎外感なく、地域の住民と力を合わせられる環境が重要だということです。
(1月17日『news every.』より)
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2月14日 YAHOO!JAPANニュース テレビ金沢NEWS「異国での震災…孤立する外国人被災者 当たり前の情報が届かない人達に「顔の見える支援」を
地震で被災した人たちの中には様々な理由で支援の手が届きにくい人たちがいます。
能登の漁業を支える外国人技能実習生たち。
【動画】“復活する姿見てほしい” 輪島朝市 母と娘が誓う復興
彼らが置かれた現状を取材しました。
「どこに向かって走る?」「避難所はどこ?」
サイレンが鳴り響く中、逃げ惑うのは、珠洲市蛸島町で暮らすインドネシア人技能実習生たち。
地震発生直後、港近くの寮には16人がいて高台を目指しますが…。
方向がわからないのかひどく混乱している様子が伺えます。
「言葉は分からなくても、パニックの様子はすごい伝わりましたね。」
インドネシア出身で金沢市に住むヒクマさんと夫の松井 誠志さん。
被災した技能実習生への支援活動を行っています。
ヒクマさん:
「実はこれ、動画見るたびにちょっと泣きそうなんです。あの、なんていう、もし自分が今、私が日本語分かるからいいんですけど日本語分からない人だったらどれだけパニックですか」
松井さん :
「どこに行けばいいかっていうのは多分そこまで知らされていないのかなというのがあって」
最大震度7の大きな揺れに見舞われた能登半島。
そこには、多くの在留外国人が暮らしています。
県内で暮らす在留外国人の数は去年6月末時点で過去最多の1万8000人あまり。
在留資格別では「技能実習」が最も多く、特に被害の大きい能登半島の6つの市町には合わせて600人以上がいたと見られています。
ヒクマさんたちが所属する野々市市のNPO法人。
地震の翌日からインターネット上で多言語での相談窓口を開きました。
NPO法人YOU-I 山田 和夫代表理事:
「まず水、食べ物、そういったものがない。どこに取りに行けばいいのかという相談が非常に多い」
SNSでの問い合わせも含め、1日におよそ30件の相談が寄せられたといいます。
山田さん:
「日本人が手に入れられる当たり前の情報が日本語が不十分で働いている方が非常に多くて伝わらない」「いわゆる外国人の皆さんが孤立しているっていうのは物理的に孤立しているだけでなくて、情報の孤立をしているっていうのを感じられました」
この団体では、在留外国人のネットワークで孤立する外国人被災者を支援する一方で、個別に物資を届けることを模索。
今回、奥能登へは、ヒクマさんたちが運ぶことになりました。
地震から2週間。
金沢市にある技能実習生の寮には奥能登に暮らすインドネシア人向けの物資が届けられていました。
ヒクマさん:
「これはシリアル」「生姜も入っているので体が温まります。」
鶏肉やシリアルなどイスラム教を信仰する彼らが安心して食べられるハラルフードです。
地震の時、金沢に滞在していた技能実習生3人を乗せて午前5時、珠洲に向けて、出発。
奥能登に向かう道路では、崩落や家屋の倒壊が至る所で見られます。
金沢から4時間かけて到着したのは、スルメイカ漁が盛んな能登町・小木港。
技能実習生たちの寮では28人が断水が続くなか生活しています。
地域の避難所に一時、身を寄せましたが長期化するなかで、寮に戻ることを決めたといいます。
(来日2年目)ファデルさん:
「安心しましたヒクマの顔を見たら支援が届く」
先行きが見えないなか、“顔の見える支援”が安心感につながっていました。
小木を出発して、さらに、1時間。
支援物資を乗せ、ヒクマさんたちは16人の技能実習生が待つ、珠洲市蛸島町へ。
彼らとは地震の5日後に最初の物資を届けて以来、およそ1週間ぶりの再会です。
地震の直後、避難の様子を撮影したドゥイキさん。
当時の混乱について。
ドゥイキさん:
「津波が来ることはわかっていました。でも実際に高台に登るには家が倒れていてどこを通ればよいかわからなかった。」
混乱する彼らに道を教えてくれたのは偶然、居合わせた地域の人だったといいます。
地震当日、高台で一晩を明かしたという技能実習生たち。
その後は、避難所で食料をもらうなどして停電や断水が続く寮での生活を続けてきました。
シャイフル・フンクルさん:
「珠洲は景色もいいし人もいいし、優しくて仕事も順調だった。」「地震のない町になってほしい」
地震から1か月あまり。
能登町・小木港の技能実習生たちを訪ねると…。
道路環境が改善し、物資は届きやすくなりましたが寮では、依然として断水が続くなかでの生活です。
それでも。
ファデルさん:
「(地震は)怖かったです。怖いです(記者:でも、帰りたくない?)帰りたくないです。日本で生きたい。仕事したい。」
人口が減少する中で、地域の働き手としての役割を担う在留外国人たち。
災害時に取り残さないよう迅速な支援が求められています。
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