・ ・ ・
関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
2023年11月5日 YAHOO!JAPANニュース 東洋経済オンライン「「現生人類は最初、肌が黒かった」私たち人類はいつアフリカ大陸を離れたのか?
(写真:M・O/PIXTA)
いま世界的に、これまでの西洋中心の歴史認識の見直しが進められている。特に、豊富な資源、生産力とともにテクノロジーも急成長中のアフリカ大陸は、多くの企業や産業が進出しており、アフリカ史・アフリカ事情について最新のアップグレードを行うことで、ビジネスシーンにおいても異文化理解・コミュニケーションを深めるための貴重な知識となる。書籍『黒人の歴史 30万年の物語』より一部抜粋して紹介する。
■アフリカ、それは人類の母 最初の人類(約30万年前)
物語の背景
場所 アフリカ大陸
前史
600万~700万年前 サヘラントロプス・チャデンシスがアフリカ大陸に出現した。知られるかぎり最古のヒト族だ。
440万年前 アルディピテクス・ラミドゥス(ラミダス猿人)が出現。1990年代にエチオピアで化石が発見された。
140万年前 このころ人類の祖先は初めて(おそらく偶然に)火を使ったらしい。ホモ・エレクトゥスが粘土を焼いた形跡がケニアで発見されている。
後史
1921年 ザンビアで頭蓋骨が発見され、後にホモ・ハイデルベルゲンシスのものと認定される。アフリカで見つかった最古のヒト族だ。
1929~35年 イスラエルのカルメル山で化石が見つかり、後に8万~12万年前のホモ・サピエンス(現生人類)のものと認定される。
2019年 ギリシアで発見された現生人類の頭蓋骨が少なくとも21万年前のものと推定される。アフリカ以外では最も古い。
私たち(ホモ・サピエンス)のルーツはアフリカにあるというチャールズ・ダーウィンの仮説(1871年)を裏づける画期的な成果が発表されたのは1987年のこと。
アメリカの遺伝学者レベッカ・キャンとマーク・ストーンキング、ニュージーランドの生化学者アラン・ウィルソンの3人が世界各地に暮らす多様な人々のミトコンドリアDNA(女性から女性へと受け継がれる特殊な遺伝子)を解析した結果として、すべての人は一本の線で約20万年前のアフリカにいた一人の女性と結ばれていると報告した。
この女性は「ミトコンドリア・イヴ」と呼ばれるようになったが、彼女が最初の人類というわけではない。確かにすべての現代人に共通の母だが、彼女にも母や祖母がいたはずだ。
ヒト族(700万年ほど前に類人猿の仲間から離れ、私たちの遠い祖先となった種族の総称)の化石で最古のものはアフリカで見つかっており、その数や種類も最も多い。ヒト族には20以上の種があり、複数の種が共存していた。ホモ・サピエンスの出現(約30万年前)以前、およそ400万年前には猿人アウストラロピテクスがいたし、240万~160万年前には最初期の原人ホモ・ハビリスがいた。
今の私たちと似た体形になったのはホモ・エレクトゥスで、約200万年前に出現し、アジアでは約10万年前まで生存していた。私たちに最も近い祖先が生きていたのは70万~30万年前で、狩猟を得意とし、火の扱いにも慣れていた。
■道具を使う文化
初期のヒト族はサバイバル術に長けていた。ケニアのトゥルカナ湖付近で発見された石器は330万年前のものだ。240万年前にはホモ・ハビリスが石器を用いて動物の死体から骨髄や肉を取り出していた。
アフリカのホモ・ハイデルベルゲンシスから進化したホモ・サピエンスの登場は約30万年前のこと。当時から天然の顔料を使っていた証拠がザンビアのツインリバーズ洞窟で発見されている。石で手斧を作り、それで肉を切り、動物の皮をはぎ、木を削ったりした。火があれば夜も明るく、暖をとれるし、肉を焼くこともできた。食生活が変わると歯の形や顎のサイズも変わり、脳はどんどん大きくなっていった。
コンゴ民主共和国では骨を削って作った銛もりが見つかっており、約9万年前のものと推定されている。南アフリカのブロンボス洞窟では約7万年前の骨器や顔料の工房、そして最初期の絵が見つかった。同じ南アフリカのディプクロフ岩窟で発見されたのはダチョウの卵殻に幾何学的な模様を刻んだ水入れで、こちらは約6万年前のもの。またエスワティニ(旧スワジランド)には4万3200年前の採石跡がある。
1967年、ケニアの人類学者リチャード・リーキーはエチオピアのオモ川周辺で2つの頭蓋骨(部分)を発見した。それが2005年に、19万5000年前のホモ・サピエンス(現生人類)のものと判定された。当時はまだ、人類発祥の地は約20万年前のアフリカ東部と考えられていた。しかし2017年には、西部のモロッコで出土した頭蓋と顔面、顎骨を含む現生人類の化石が31万5000年前のものと判定されている。
そのため今日では、現生人類の故郷は特定の地域ではなく、アフリカ大陸のあちこちにあると考えられている。フランスの化石人類学者ジャン= ジャック・ユブランに言わせると「エデンの園は、おそらくアフリカそのもの。ものすごく広くて大きい」。
■ダーウィン以前の進化論
チャールズ・ダーウィンの『種の起原』(1859)や『人間の由来』(1871)よりもずっと早く、自然淘汰による進化の仮説を提唱した黒人がいる。中世のバグダッド(イラク)に生きた文筆家アブウスマン・アルジャヒズ(781~869年)だ。
アラビア語の書物を残しているが東アフリカ系の人物とされ、バントゥー系の奴隷の孫と伝えられる。彼は『動物の書』という本で、あらゆる動物は生存と繁殖、食物確保のために戦っており、その過程で生存に適した特質を身に付け、それらを自分の子孫に伝えていると説き、体形の変化はその結果だと考えた。当時としてはすぐれて先進的な発想だ。アルジャヒズはこの考えを理論化していないし、ダーウィンが彼の本を知っていた証拠もないが、特筆に値する先駆的業績だ。
■人類の「出アフリカ」(21万5000~6万年前)
物語の背景
場所 アフリカ、アジア、ヨーロッパ
前史
約180万~170万年前 ジョージア(旧グルジア)のドマニシにホモ・エレクトゥスがいた。160万年前頃に彼らがインドネシアのジャワ島に到達した(いわゆるジャワ原人)ことも知られている。
約78万年前 イスラエルのゲシャー・ヤノット・ヤーコブ遺跡で、直立原人が火を使っていた形跡が見つかった。
約43万年前 スペインで出土した化石のDNA鑑定で、アフリカから出たヒト族の祖先がネアンデルタール人であることが判明した。
後史
1930年代 イスラエルのカフゼ洞窟などでホモ・サピエンスの化石が見つかり、後に8 万~12万年前のものと判定される。
1949年 アメリカの化学者ウィラード・リビーが炭素の同位体を用いた年代測定法を開発する。今はウランやトリウムを用いた年代測定も行われている。1970年代にギリシア南部のアピディマ洞窟で見つかった頭蓋骨(一部)が、実は21万年以上も前のホモ・サピエンス(現生人類)のものと判明した──権威ある英誌ネイチャーがそう報じたのは2019年のこと。人類がアフリカ大陸を離れて移動したことの痕跡としては最も古い。
■移動は何度も繰り返された
考古学的な証拠と遺伝子解析で、すべての人類がアフリカ由来であることは知られている。では、人類はいつアフリカ大陸を離れたのか。かつては7万~5万年前と考えられていた。しかしギリシアとイスラエルの化石から判断すると、初期人類の「出アフリカ」は何度か繰り返されており、少なくとも14万年前には始まっていたと考えられる。ただし、そうした時期の化石はきわめて少ない。そのため現在では、最初期の移動は失敗に終わり、人類はアフリカ以外の地に定着できなかったと推測されている。
本格的な「出アフリカ」が起きたのは12万5000年ほど前で、きっかけは13万5000年ほど前にアフリカ大陸を襲った深刻な干ばつだったと思われる。大陸中部の乾燥化が進み、暮らせなくなった人々はまず沿岸部に移動し、ついでユーラシア大陸に渡ったのだろう。約7万5000年前にはトバ湖(インドネシア)で巨大噴火が起き、噴煙で地球上の気温が下がった可能性がある。それで人類は、限られた資源をシェアするために今までより大きな集団で暮らすことになった。これが集団での移動を促したのかもしれない。
人類の拡散ルートには諸説あり、今も決着はついていない。ギリシアで出土した21万年前の頭蓋骨を別にすれば、最も古い現生人類の化石は8万~18万年前のもので、イスラエルで見つかっている。しかし、もっと遠くの東方まで旅した冒険好きの人類もいた。
中国南部で発見され、2015年に現生人類のものと判定された歯の化石は10万年前のものだ。アラビア半島では12万5000年前の石器が見つかっているし、インドにも7万4000年以上前の石器がある。たぶん彼らは大陸の北東端、いわゆる「アフリカの角」からアラビア半島に入り、さらにホルムズ海峡を越えてアジアに進出したのだろう。海岸線に沿ってさらに東進し、東南アジアに達した人々もいる。
最も大規模な「出アフリカ」はおそらく約7万年前に始まり、6万年前にはオーストラリア大陸まで到達した。ヨーロッパへの移動はもっと遅い。ブルガリアで出土した歯や骨片は4万6000年前、イギリス南西部で見つかった顎骨は推定4万3000~3万4000年前のものだ。こうしてユーラシア大陸の奥まで進出する過程で、私たちの祖先は他のヒト族(ネアンデルタール人やデニソワ人など)とも出会った。彼らとの間で異種交配が起きたことも知られている。しかし約4万年前には現生人類が世界中で優勢になり、他のヒト族は死に絶えた。
遅くとも1万5000年前には、アメリカ大陸にも現生人類が到達した。彼らは東北アジアからベーリング地峡を越えてアメリカ大陸に渡り、南下したものと考えられる。現在はシベリアとアラスカを分かつ海峡となっているが、氷河期には巨大な氷床でつながっていたはずだ。
■肌の色の変化
現生人類は最初、肌が黒かった。しかし赤道直下を離れ、もっと日光の弱い地域へ移動するにつれ、強烈な紫外線から肌を守るために黒い色素を維持する必要性が減った。結果、世界各地に散った人類の肌の色は多様になった。光の少ないスカンジナビア地方で、人の肌が白っぽくなったのは紀元前5700年頃のこと。異なる環境に暮らせば、体形や顔の特徴もさまざまに変わっていく。しかし遺伝子レベルで見れば、世界中のホモ・サピエンスはすべて、きわめて近い親戚なのだ。
ネマータ・ブライデン(編集顧問)
・ ・ ・