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2017/10/7 ナショナル ジオグラフィック ニュース
スペインのエル・シドロン洞窟で発見されたネアンデルタール人の子どもの骨格は、旧人類の幼年期の成長ペースを知るための手がかりとなる。(PHOTOGRAPH BY PALEOANTHROPOLOGY GROUP MNCN-CSIC)
約4万9000年前、現在のスペインにあたる地域で、ネアンデルタール人の少年が8歳の誕生日の数カ月前に死亡した。この骨格を詳細に調べた科学者たちは、ネアンデルタール人の子どもの成長ペースは現生人類(ホモ・サピエンス)の子どもと同じようにゆっくりしていたと主張する。
科学誌『サイエンス』に発表されたこの研究は、脳を大きくするために長い時間をかけてゆっくりと成長するのはホモ・サピエンスだけではないとする学説の裏付けとなる。
研究チームを率いたスペイン国立自然科学博物館の古人類学部門長アントニオ・ロサス氏は、「こんなふうに時間をかけて成長するのは私たちホモ・サピエンスだけだと考えられていましたが、現生人類だけでなく旧人類も、同じようにして大きな脳を育んでいたことが明らかになったのです」と言う。
ネアンデルタール人はかつてヨーロッパ全域に広がり、一時は現在の英国からモンゴルの近くまで分布していた。以前は荒々しい人々として語られることが多かった彼らは、実はもっと思慮深く、洗練された人々だったようだ。
彼らは火を使い、死者を埋葬し、その土地でとれる植物や菌類を薬にしていた。最近の研究では、何らかの象徴的な目的のために、フランスの洞窟内に神秘的なストーン・サークルを作っていたとされている。
その一方で、ネアンデルタール人が肉体的な成長の面でもホモ・サピエンスのようであったのかについては、激しい議論が続いてきた。彼らの体は、ゴリラなどの霊長類のように早く成熟したのか? それとも現生人類のようにゆっくりしたペースで成熟したのか?
問題解決のヒントはスペイン北西部のエル・シドロン洞窟にあった。ここでは、約4万9000年前に同じ集団で暮らしていたと思われるネアンデルタール人の大人7人と子ども6人の骨片が合計2500個以上見つかっている。
エル・シドロン洞窟の中に立つアントニオ・ロサス氏。(PHOTOGRAPH BY JOAN COSTA-CSIC COMMUNICATION)
ある少年の物語
6体の子どもの骨格のうち、「エル・シドロンJ1」と呼ばれる子ども(おそらく少年)の骨格はほぼ完全に残っていて、その生と死をある程度推測することができる。
J1の身長は約120cm、体重は約26kgで、右利きだった。歯のすり減り具合から、大人たちのまねをして、家の仕事をする際に口を「第3の手」として使っていたこともわかる。
歯のエナメル質がいくらか弱くなっていたことを除けば、J1の骨格に重大な病気の証拠はなかった。しかし、骨には死後に切断された跡があり、共食いの可能性も考えられる。歯には年齢の痕跡があるため、ロサス氏らは、これを少年の骨格の成熟度と比較した。
歯が形成される際にはエナメル質に成長線が残り、木の年輪を数えて樹齢を知るように、この成長線を数えて年齢を知ることができる。研究チームはJ1の臼歯の1本を調べ、少年の死亡時の年齢を約7.7歳と推定した。
次に、J1の骨格を現代の数千人の子どもの骨格と比較すると、今日の7歳児と8歳児に最も近いことがわかった。つまり、J1はホモ・サピエンスの子どもと同じゆっくりしたペースで成長していたのだ。
ただし、頭蓋骨は現生人類の子どもと少し違っていた。J1の頭蓋骨の内面には、成長する脳による圧力を受けていた痕跡があり、その脳の大きさは平均的なネアンデルタール人の大人の約88%だった。
こうした証拠から、研究チームはJ1の脳が成長の途中だったと主張する。そうだとすると、J1の脳の発達は現代の子どもより遅かったことになる。現代の子どもの脳は、7歳になる前に完全に発達しているからだ。
慎重論
今回の研究では1体の骨格しか調べられていないこともあり、すべての研究者がロサス氏の主張に納得しているわけではない。
スイス、チューリヒ大学の古人類学者マルシア・ポンセ・デ・レオン氏とクリストフ・ゾリコッファー氏も、ネアンデルタール人はホモ・サピエンスと同じようなペースで成長していたと主張している。彼らはロサス氏の研究を全体としては賞賛するが、J1の脳の成長ペースが現代の子どもよりゆっくりしていたと考える統計的証拠はまったくないと指摘する。
そもそも、大人のネアンデルタール人の脳のサイズには大きなばらつきがある。J1の脳は大人の脳にしては小さいが、J1よりも小さな脳をもつ大人のネアンデルタール人の例もあったし、J1より幼いネアンデルタール人が、より大きな脳をもっていた例もある。
ポンセ・デ・レオン氏とゾリコッファー氏は、「エル・シドロン洞窟の少年が死んだときの脳の大きさはわかりましたが、彼が大人になったときに脳がどのくらいの大きさになっていたかは見当もつきません」と言う。「とはいえ全体として見れば、この論文は、ネアンデルタール人の成長のペースが(少なくとも私たちと同じくらい)ゆっくりしていたことを裏付け、『ホモ・サピエンスの独自性』の主張を退けるものだと言えるでしょう」
米ハーバード大学のターニャ・スミス氏はネアンデルタール人の歯の専門家だが、やはりロサス氏らの結論に疑問を投げかけている。彼女は、ロサス氏のような主張をするにはJ1の歯の年齢を正確に推定できている必要があるが、彼らの手法はいくつかの仮定に基づいていると指摘する。ゾリコッファー氏やポンセ・デ・レオン氏と同じく、彼女もまた、J1の脳のサイズが平均より小さいことだけを根拠に成長の途中であると考えることはできないと言う。
「成長のペースにばらつきがあることは、ホモ・サピエンスを見れば明らかです。たった1体の化石から広範な結論を導き出すことはできないと思います」
(文 Michael Greshko、訳 三枝小夜子、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2017年9月22日付]
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「BBC NEWS JAPAN
ネアンデルタール人とヒトは10万年前にセックスしていた?
2016年02月18日
レベッカ・モレル科学担当記者(BBCニュース)
ヒトの祖先とネアンデルタール人との間で、これまで考えられていたよりもずっと古くから混血が起きていた可能性がある。欧州の研究チームが明らかにした。
研究チームによると、発掘されたネアンデルタール人の骨から見つかったヒトDNAの痕跡を分析した結果、異種交配は10万年前に起きていたらしいと分かったという。
これまでは、ヒトが初めてネアンデルタール人に遭遇したのは、ヒトがアフリカ大陸からほかの地域に移動し始めた約6万年前だと考えられていた。
研究結果はネイチャー誌に掲載された。
研究チームの一人、ドイツのマックス・プランク進化人類学研究所のセルジ・カステラノ博士は、「現代人類とネアンデルタール人の歴史を理解する上で大きな意味を持つ」と述べた。
シベリア・アルタイ山脈の洞窟で見つかった女性のネアンデルタール人の骨を遺伝子解析したところ、ヒトのDNAが含まれており、10万年前に混血が存在したことが明らかになった。
まゆの周りが発達し、がっしりした体格をもつネアンデルタール人の居住地域は、欧州からアジアまで広がっていた。
現代人類にはネアンデルタール人由来のDNAが存在し、免疫システムや病気へのかかりやすさなど、さまざまな側面で影響を及ぼしていることが、最近の研究で明らかになっている。
しかし今回の発見で、ヒトDNAがネアンデルタール人に受け継がれたことが示され、混血が考えられていたよりもずっと早い時期に起きていた可能性を示している。
ヒトDNAがネアンデルタール人にどのような影響を及ぼしたのかはまだ明らかでない。カステラノ氏は、「機能的な意味合いは現時点では分からない」と語った。
しかし、今回の発見はヒトの祖先の移動について新たな情報を提供してくれている。
仮にヒトが10万年前にネアンデルタール人と性交していたならば、ネアンデルタール人はアフリカで発見されていないので、ヒトとの接触はアフリカ大陸以外で行われた可能性が高い。
とすれば、ヒトがアフリカ大陸から大規模に移動し始める少なくとも4万年前から、アフリカを離れたヒトがいたことになる。
これはヒトがかなり早い時期からアフリカ大陸の外へ移動し始めていたという説の傍証にもなる。イスラエルのスクールやカフゼでは初期のヒトの化石が見つかっているほか、最近の研究では、少なくとも8万年前から中国にヒトが存在していたことを示している。
ロンドンの自然史博物館における人類の起源研究の責任者、クリス・ストリンガー教授は、「ネアンデルタール人や初期の現代人類が当時、アラビアからアジアまでどれほど広範囲に存在したのか分からないため、理論的には、初期の異種交配の場所としては南アジア全域にその可能性がある」と語った。
ストリンガー教授はさらに、「現時点では、どのような形で交配が起きたのか分からない。比較的平和な形でお互いのパートナーを交換したのかもしれないし、(チンパンジーや一部の狩猟採集民に見られるように)相手を襲撃して女性を連れ去ったのかもしれない。あるいは、捨て子や孤児を育てたのかもしれない」と指摘した。
教授はまた、「遺伝学者はいつか、(ヒトとネアンデルタール人両方の方向で)DNAの伝達が主に男性からなのか、女性からなのか、あるいは両方から同じくらいだったのかを解明するだろう。けれどもそれが可能になるためには、もっとたくさんの情報が必要だ」と語った。
(英語記事 Neanderthals and humans interbred '100,000 years ago')」
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ネアンデルタール人のDNAがアフリカ人にも 定説覆す
2020/2/22
ニュース
幅広いアフリカ人集団にネアンデルタール人由来のDNAがあることが明らかになり、これまでに調べられたすべての現代人集団で、過去にネアンデルタール人との交雑が起きていた痕跡が見つかった。今回の研究は、人類の歴史の複雑さとともに、共通の歴史の存在を強調する(PHOTOGRAPH BY JOE MCNALLY, NAT GEO IMAGE COLLECTION)
約6万年前、現生人類(ホモ・サピエンス)がアフリカからの大移動を始め、世界のすみずみに散らばっていった。欧州と中東に広がっていたネアンデルタール人などと交雑したが、アフリカ人にはこの交雑の証拠はほぼないと思われてきた。ところが、2020年1月30日付けで学術誌「セル」に発表された論文で、現代のアフリカ人が持つネアンデルタール人由来のDNAは従来考えられていたよりも多いという、驚くべき事実が明らかになった。
交雑を示す証拠は、多くの現代人の遺伝子にはっきりと残っている。ヨーロッパ人とアジア人のゲノムの約2%はネアンデルタール人に由来すると考えられていた。アジア人はこのほかにネアンデルタール人と近縁のデニソワ人のDNAも持っていて、特にメラネシア人では6%にもなる。今回の論文ではヨーロッパ人が持つネアンデルタール人由来のDNAも、これまで考えられていたより多いことが明らかになった。
論文著者である米プリンストン大学の遺伝学者ジョシュア・エイキー氏は当初、結果を信じられなかった。「そんなはずはないと思ったのです」と氏は振り返る。しかし、1年半にわたる厳密な検証の末、氏らは自分たちの正しさを確信するようになった。
再びアフリカに戻った現生人類
研究の結果、アフリカ人のゲノムのうち約1700万塩基対は、ネアンデルタール人に由来することが明らかになった。しかもその一部は、ネアンデルタール人が直接アフリカに渡ったというよりも、ヨーロッパからアフリカに戻って来た現生人類がもたらしたようだ。
現生人類の初期の移動については、「アフリカを出たら二度と戻らなかったという説があります」とエイキー氏は言う。しかし今回の結果や近年の研究からは、その説が正しくなかったことが浮き彫りになる。「橋は一方通行ではなかったのです」
「パズルのすき間を埋める非常に良いピースです」とドイツのマックス・プランク進化人類学研究所の計算生物学者ジャネット・ケルソー氏は話す。「きわめて複雑な全体像が見えてきました。遺伝子の流れは1つではなく、人類の移動も1回きりではありません。数多くの接触があったのです」
しかし、人類の起源の複雑さを解明するには、その曲がりくねった道を解きほぐす手法を開発しなければならない。
交雑の謎を解く新手法
科学者たちは長年、現生人類とネアンデルタール人の関係について考えてきた。問いの中身は時代とともに変化してきたが、この数十年にわたり論争の的になってきたのが「現生人類とネアンデルタール人は交雑したのか?」という問題だ。2010年にネアンデルタール人の全ゲノムが初めて発表されたことで、科学者たちはついにその答えを手にした。「イエス」だ。
ある研究で、ネアンデルタール人のDNAを5人の現代人と比較したところ、ヨーロッパ人とアジア人にはネアンデルタール人と交雑した痕跡がある一方、アフリカ人にはそれがないことが明らかになった。その後の研究で、アフリカ人もわずかにネアンデルタール人由来のDNAを持つことがわかったが、人類の系統樹のもつれた枝を解きほぐすには至らなかった。
エイキー氏らは、こうした遺伝子の混合を今までにない視点から調べる新たな手法を開発した。現代人のゲノムに散らばっている別の人類のDNAを知る方法だ。
現代人とネアンデルタール人の交雑を追跡する従来のモデルでは、ネアンデルタール人などのDNAを持っていないと考えられるグループのゲノムを参照集団として利用してきた。参照集団に選ばれるのはたいていアフリカ人だった。
「この仮定は妥当ではありませんでした」と米ウィスコンシン大学マディソン校の古人類学者ジョン・ホークス氏は言う。アフリカ系の人々もネアンデルタール人由来のDNAを持つ可能性があるのに、この方法で分析を行うと、それが見えなくなってしまうからだ。
そこでエイキー氏らは、大量のデータセットを使って、ゲノム中の特定の部位がネアンデルタール人から受け継がれている確率とそうでない確率を調べた。彼らは「千人ゲノムプロジェクト」の一環として集められた世界各地の2504人(東アジア人、ヨーロッパ人、南アジア人、アメリカ人、主に北部のアフリカ人)のゲノムを使い、自分たちの手法をテストした。続いて、このDNAをネアンデルタール人のゲノムと比較した。
複雑な遺伝子の流れ
分析の結果は、現代のアフリカ人がネアンデルタール人由来のDNAを平均1700万塩基対持つことを示していた。これは、ヨーロッパ人とアジア人がもつネアンデルタールDNAに比べて約3分の1である。この結果は、アフリカ人が持つネアンデルタール人由来のDNAが、従来の見積もりより1桁以上多いことを意味している。
「干し草の山の中から、これまで考えられていたより多くの針が見つかりました!」と、今回の結果をスイス、チューリッヒ大学の古人類学者マルシア・ポンセ・デ・レオン氏は表現した。
では、ネアンデルタール人のDNAは、どのようにしてアフリカに到達したのだろうか? 単純に考えれば、ネアンデルタール人がアフリカ大陸に進出したということになる。このシナリオを完全に否定することはできないが、説得力ある証拠もないとエイキー氏は言う。
データが示しているのは、別の由来だ。アフリカ人が持つネアンデルタール人由来のDNAの大部分が、非アフリカ人、特にヨーロッパ人と共通しているのだ。
つまり、アフリカに戻った現生人類が、ゲノム中にネアンデルタール人由来のDNAを持っていた可能性が高そうだ。エイキー氏のモデルは、過去2万年の間にそのような現生人類が少人数だけでも戻っていれば、現在の分布を説明できることを示唆している。その時期を特定するのは困難だ。また一部は、もっと新しい時代、例えばローマ帝国の拡大や奴隷貿易など、この数千年間のアフリカ侵略によって起きた可能性もあるという。
アフリカ人が持つネアンデルタール人DNAの一部は、別方向の遺伝的混合にも由来している。現代の非アフリカ人の大半は約6万年前にアフリカを出た現生人類を祖先に持つが、アフリカを出た現生人類は彼らが初めてではなく、20万年以上前にもいた可能性があるからだ。
これらの初期の放浪者は、おそらく10万年以上前にネアンデルタール人と交雑し、自分たちの遺伝子の痕跡をネアンデルタール人のゲノムに残していったと考えられる。アフリカ人が持つネアンデルタール人由来のDNAには、この交雑の痕跡も残されているかもしれない。
「遺伝子の流れは双方向だったのです」とエイキー氏は言う。「現代人のゲノムの中にあるネアンデルタール人の配列のなかには、ネアンデルタール人の中にあった現生人類の配列もあるのです」
興味深いことに、新しい分析法により、現代ヨーロッパ人のゲノムの中に、これまで見落とされていたネアンデルタール人由来のDNAが新たに発見された。これまでヨーロッパ人と東アジア人の間には、ネアンデルタール人由来のDNAの割合に20%もの差があるとされてきたが、それが縮小した。
今回の分析は、両者の差が8%未満であることを示唆している。「つまり、私たちが持つネアンデルタール人由来のDNAのほとんどが、共通の歴史から来ているということです」とエイキー氏は言う。
物語は一直線ではない
とはいえ、まだ多くの疑問が残っている。私たちが見落としているネアンデルタール人由来のDNAは、まだあるのだろうか?
ホークス氏は「もちろんあります」と即答する。今回の研究には、シベリアの洞窟で発見されたネアンデルタール人のゲノムが使われている。だが彼らは、私たちがDNAを受け継いだネアンデルタール人とは別の集団と考えられている。エイキー氏によると、新しい分析法はこうした集団の差を検出できるほど精度が高いわけではないため、わずかに異なるDNAが含まれている可能性はあると言う。
今回の研究により、アフリカ人が持つネアンデルタール人由来のDNAがどこから来たのか、納得のいくデータが得られたと、米コールド・スプリング・ハーバー研究所の集団遺伝学者アダム・シーペル氏は評価する。氏は、この手法をもっと大勢の現代アフリカ人に適用して、アフリカ各地の人々が持つネアンデルタール人由来のDNAにどのようなばらつきがあるのかを、より詳しく明らかにしたいと考えている。
今回の研究は、近年行われている他の遺伝子分析と同様、ヒト族の間で常に交雑と移動が起きていたことを示しており、人類史の物語を絶えず評価し直す必要があることを示唆している。
「それぞれの形態がそれぞれの物語を語っている可能性があります」とホークス氏は言う。「私たちは、物語をそのままの形で受け入れなければなりません。現生人類とその進化の歴史を、単純な一直線のストーリーに無理やり押し込めようとしてはいけません」
(文 Maya Wei-Haas、訳 三枝小夜子、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2020年2月3日付]
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