🐟24〗─5─中国を利する日本人の魚離れ。世界の魚介類を爆食する中国人。~No.99 

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 和食は日本民族の魚食文化で、縄文時代から始まり江戸時代に完成した。 
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 日本人の魚離れで魚食大国日本
 欧米では健康志向から魚介類を摂取する人が増えている。 ところが、日本ではじわじわと魚離れが進行。 農林水産省が公表した2021年度版の水産白書によると、1人当たりの魚介類の年間消費量は2020年度に23.4キロとなり、比較可能な1960年度以降で最低となった。 ピークだった01年度40.2キロの58%まで落ち込んだ。
 2022/06/05
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 2023年9月22日 産経新聞「政界十六夜 中国を利する日本人の魚離れ
 石井 聡
 有料プラン記事
 沖合底引き網漁が解禁され、魚を水揚げする宝恵丸の菊地栄達船長(右)=1日午後、福島県相馬市の松川浦漁港
 平日は「1日1万歩」を目標に歩く習慣を長く続けてきたが、最近になって「それはやりすぎ」「7、8千歩で十分」など、その効果に否定的な見解が示されている。万歩計を心の友にしてきたのに、と戸惑う方も少なくないだろう。世にあふれる健康志向の指標の類いを、あまり思い込むのも良くない一例といえる。
 食の健康という言葉も広く浸透しているものの、どこまで信じるべきか少し心配になってきた。生活習慣病の食事指導では、だいたい「肉より魚を」と言われるのが相場だ。
ところがである。この20年前後で日本人が食べる魚の量は大きく減っている。水産白書(令和4年度)などによると、国民1人あたりの年間の魚介類消費量は、2001(平成13)年度の40・2キロをピークとして、2021(令和3)年度には23・2キロまで落ち込んだ(概算値)。20年で4割以上の減少である。主食である米の年間消費量をみると、1962(昭和37)年度に118・3キロあったのが2010(平成22)年度に59・5キロ、2020(令和2)年度に50・8キロへと落ち込んでおり、半減までに半世紀近くかかっている。これと比べても、魚の消費量の減り方は早いといえよう。
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 ニッポンドットコム
 Japan Data
 1人当たり年間魚介消費量、過去最低の23.4キロ―20年度 : 薄れる魚食文化、肉の消費は増加
 経済・ビジネス 社会 暮らし 2022.06.05
 お祝いの席には鯛の尾頭付き、居酒屋ではとりあえず刺身の盛り合わせ、週末は家族でわいわい回転すしへ。日本の食生活は魚なくして語れない…と思っていたけれど、魚介の消費量はこのところ急減している。
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 世界では、食用魚介類の消費量が増加傾向にある。もともと魚食文化圏であるアジア・オセアニア地域では生活水準の向上に伴って消費量の増加が顕著。欧米では健康志向から魚介類を摂取する人が増えている。
 ところが、日本ではじわじわと魚離れが進行。農林水産省が公表した2021年度版の水産白書によると、1人当たりの魚介類の年間消費量は2020年度に23.4キロとなり、比較可能な1960年度以降で最低となった。ピークだった01年度40.2キロの58%まで落ち込んだ。
 1人当たりのたんぱく質の摂取量が減少しているわけではない。魚介とは対照的に、肉類の消費量は右肩上がりに上昇、2011年度に初めて肉が魚介を上回り、その後、格差が拡大。2020年度は33.5キロと、魚を10キロも上回った。
 魚介類の消費漸減の要因としては、価格が割高であることや、ライフスタイルの変化が指摘されている。切り身の魚やアジやイワシなど調理に手間がかからない魚も多いが、臭いや汚れを気にして魚焼きグリルを使うことを敬遠する人も増えているという。魚食振興には、時代に合ったメニュー提案なども必要だ。 
 バナー写真 : PIXTA
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 株式会社フレスタ
 https://gendai.media>社会
 日本人の「魚離れ」が想像以上に進んでいる「これだけの理由」
 魚嫌いが増えたわけではないのに…
 阿古 真理くらし文化研究所主宰・作家・生活史研究家
 魚離れが進んだ平成30年間
 平成は、魚離れが進んだ30年間だった。
 FAO(国際連合食糧農業機関)の調査で、2005(平成17)年まで年間一人当たりの魚介類消費量が世界一だった日本は、2013(平成25)年には7位にまで転落している。
 農林水産省の調査によると消費量のピークは1988年で、徐々に下がって2016年にはピークの6割強にまで減ってしまっている。
 若い世代は魚介類より肉類を好み、やがて中高年になると魚介類を好むようになる――という従来の図式も通用しなくなっている。
 〔PHOTO〕iStock
 少し古いデータだが、農林水産省の『「平成18年度 水産の動向」及び「平成19年度 水産施策」』が、世代による魚介類購入量の違いを分析している。
 同じ40代でも、昭和10年代生まれより20年代生まれのほうが魚介類購入量が少なく、昭和30年代はさらに少なくなっているという。
 水産庁による2010年の国民健康・栄養調査では、全世代にわたって10年前より魚食が減り肉食が増えている。
 時代が進むにつれ魚離れが進んでいく要因の一つは、ライフスタイルが変化したこと。世代が下がるにつれ魚介類購入量が少なくなる傾向は、その事実を顕著に示している。
 昭和10年代生まれは食糧難の時代を体験し、肉類が高級品だった時代に成長している。しかし、昭和30年代生まれは、高度成長期で洋食が家庭にどんどん入って、肉が日常的に食卓にのぼる時代に育った。
 昭和30年代以降に生まれた世代は、食糧の選択肢が豊富な時代しか知らない。戦後、国を挙げて食糧増産に力を入れ、コメや野菜の生産はもちろん、畜産も盛んになった。肉を毎日気軽に食べられる環境が整ったのである。
 昭和30年代生まれの女性は、昭和の終わり頃に子育て期に入った。平成を通じて魚食離れが進んだのは、肉を日常的に食べて育った世代が、料理するようになったからである。彼女たちにとって、魚は選択肢の一つに過ぎないし、魚料理のレパートリーも多くない。
 また、平成には町の魚屋も少なくなった。スーパーでは魚屋のように食べ方を聞けないし、気軽に下処理を頼みづらいので、さばき方が分からない、あるいは面倒だと感じる丸ごとの魚は買いづらくなったかもしれない。
 日本人は魚を好まなくなったのか?
 魚離れのもう一つの大きな要因は、働く女性が増えたことである。
 フルタイムで仕事をし、毎日買い物できなくなると、肉より鮮度が重視される魚は買いづらくなる。
 しかし、日本人が魚を好まなくなったのかというと、それはどうも違うようだ。
 水産庁が発表した「平成29年度水産白書」は、 2007(平成19)年から10年間の→1989(平成元)年からの10年間の総務省家計調査をもとに「水産物の価格が上昇傾向にある中で、購入量は減少しているものの、消費者の購買意欲自体が衰退しているわけではないとも考えられます」と分析している。
 また、2014年3月4日の朝日新聞記事「魚料理 外食におまかせ」によれば、ぐるなびの調査で、外食で魚を食べる頻度が増えたという人が多いことが判明している。
 実際、旅行社が宣伝する地方旅行の目玉は刺身、ということが多いし、人をもてなすときなど特別なときは寿司を食べに行く、あるいは出前に取る人も多いだろう。同記事によれば、新鮮な魚介類を目玉にする飲食店も増えている。
 鮮度が落ちやすく、ワタの処理や魚焼き器を洗うことが面倒など、魚を家庭で料理するうえでのハードルはいくつもある。
 しかし魚料理を作りたがらない人も、食べるのは好きという場合が多いようだ。供給の方法次第で、魚離れは食い止めることができるのではないだろうか。
 魚より肉を買う人が多いのは、割高だからでもある。それは、供給側にも問題があるからだ。
 そもそも漁業者が減っている
 まず、漁業者の高齢化と減少が進んでいる。
 一般財団法人農村金融研究会の尾中謙治氏が、2013年に実施したアンケートをもとに発表した「高齢漁業者の実態と課題」によると、全国の漁業者の大半を占める男性のうち、65歳以上が占める割合は36.4%にも上る。漁協の組合員数も減少しており、一番の理由は死亡脱退である。
 65歳以上の漁協組合員で、後継者が一緒に操業している人の割合はわずか22%で、後継者がいない人の割合は69%もいる。
 2000年代になってから、関東ローカルの『食彩の王国』(テレビ朝日)など、生産現場を取材したテレビのドキュメンタリー番組は増えた。
 それらの番組が漁業者を盛んに紹介するようになったのは、漁業者が大きな被害を受けた東日本大震災以降である。
 イメージが伝われば、生産者も誇りを持てるし、憧れる人も増えるだろう。農業のIターン、Uターンなどによる新規就農者のレポートは多いが、漁業に関してはまだまだ少ない。増えるとすれば、これからなのかもしれない。
漁獲量が最盛期の4割以下に…
 しかしもう一つ大きな問題がある。それは、世界的な水産資源の減少である。
 クジラ、マグロ、ウナギなどの資源量減少についてよく知られているほか、ホッケやハマグリなどの減少も報道されている。
 『魚が食べられなくなる日』(勝川俊雄、小学館新書)によれば、日本の漁業のやり方にも問題がある。
 1980年代に漁船ごとの漁獲枠を決めて漁獲制限をしているノルウェーなどでは、漁業者の労働時間が減り、漁業が成長産業になっている。
 日本では稚魚などの種苗放流に力を入れているが「種苗法流よりも漁獲規制のほうが、資源の回復に有効である」と述べる。そして、日本では、設定されている漁獲枠自体が過剰になってしまっていて、資源を守ることに役立っていないことを指摘する。
 日本の天然資源の漁獲量が1980年代後半から減少に転じ、2014年には最盛期の4割以下にまで減った現状も伝えている。
 〔PHOTO〕iStock
 2018年の「今年の一皿」はサバ!
 このように、消費者・供給側両方の事情から、平成の間に日本は、魚を食べることが難しい国になってしまったことがわかる。
 ここで少し時代をさかのぼって、魚が豊富に出回っていた時代を振り返ってみたい。
 昭和30~40年代の食事を全国で聞いたムックシリーズ『伝え継ぐ日本の家庭料理 魚のおかず いわし・さばなど』(農文協)を開くと、特に漁村の人たちの魚料理のレパートリーは豊富だったことがわかる。
 焼き魚、煮魚だけでなく、さばいたうえに切って和え物にしたり、野菜などと一緒に煮物にしていたりする。マリネもある。数日持ちそうな料理が多いのは、足が早い青魚が豊富に出回っていた実態をうかがわせる。
 それは、獲れた魚を大切に食べきる技術でもあった。半世紀前の日本人は、魚の食べ方を熟知した人たちだったのである。
 平成も終わった今、昭和はすっかり遠くなったが、現代の魚食にも希望はある。
 2018年、ぐるなび総研が毎年発表する、その年の世相を反映する「今年の一皿」にサバが選ばれた。それはこの年、サバ缶の消費量が急速に伸びたことなどの結果である。
 缶詰は、魚を手軽に摂る方法と言える。鮮度を気にせず常温で長期間保存ができ、ゴミもほとんど出ない。そして、ほぐして炒め物やスープにするなど、さまざまな料理に応用ができる。レパートリーが広がれば、また作ってみようという気が起きるかもしれない。
 サバ缶が注目された最初は、東日本大震災の復興支援のため、おしゃれな黄色と青のデザインで、オリーブオイル漬けなど洋風の味つけの缶詰「Ca va?」が開発され、メディアで紹介されたことだった。
 東日本大震災は、魚食大国日本の私たちが、改めて魚を食べる、獲ることについて考えるきっかけをくれたのかもしれない。
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 笹川平和財団 OPRI海洋政策研究所
 第430号(2018.07.05発行)
 日本の魚食の将来 ~魚離れをめぐって~
 [KEYWORDS]一人当たり魚介類消費量/魚食文化/漁業構造改革
 大東文化大学経済学部教授◆山下東子
 2000年代初めまで世界一の魚食国だった日本で、急速な魚離れが起きている。
となると、何とかしなければならないと反射的に考えてしまうものだ。
 しかし限りある天然資源、減少する国内生産、増加する世界需要、浸透する和食という内外の事情を勘案すれば、日本の内需はひとまず下げ止まるまで見守り、その間に国内漁業の諸課題を解決していくという道も見えてくる。
 魚離れの要因は複合的
 一人当たり年間魚介類消費量のピークは1988年の72.5kgだったが、2016年には45.6kgにまで減少した。とくに2002年からの14年間は年率2.7%のペースで減少している。なぜ減少したのかを見ていこう。以下では価格面、供給面、代替財、および嗜好について検討するが、いずれも単独では説明がつかず、要因は複合的である。
 第1に価格が上がれば需要は減る、はずである。ところが価格の下落局面でさえも需要は減っていた。家計調査から魚介類の購入単価を見てみると、2001年から2008年まで鮮魚の100g当たり購入単価は154円から139円へと下落し、その後上昇して2016年には170円になった。前半の消費減は価格では説明できないのである。
 第2は供給量の減少である。国内生産量は1994年の1,261万トンをピークとして減少し、直近の2017年には430万トンになっている。食用魚介類の自給率(重量ベース)はこの間57~60%の間を行き来しており、消費量の4割は安定的に輸入魚介類で賄われてきた。ただし、世界的な需要増のため、2006年ごろから日本が国際市場において予想に反して「買い負け」る現象が起きており、輸入環境は悪化しつつある。
 第3は、代替財へのシフト、つまり魚介類の代わりに肉類の消費を増やしていることである。図に見るように、牛肉の消費は2001年のBSE、その後の輸入規制の影響もあって増えていない。魚介類と鶏肉の消費量の相関係数は−0.92と高く、魚介類は安価な鶏肉に代替されたと言える。しかし、肉と魚を合わせた消費量合計が2001年の111.5㎏から2016年の93.5㎏へと18㎏も減っており、蛋白質の摂取量そのものが減少しているのである。これには高齢化の影響もある。
 第4は嗜好の変化である。水産白書(平成28年度)では、子どもの頃と比べて魚介類を食べる量が増えたかどうかの調査結果を紹介している。「減った」(38.2%)という人は「増えた」(29.6%)という人を上回る。減った理由の上位には、「価格の上昇」「品質が悪化」と並んで「調理が面倒」「ごみ処理が困難」「調理時の臭いや煙」が挙げられている。これは好き嫌いというよりライフスタイルの変化に起因する「調理問題」である。
■肉と魚の年間一人当たり消費量
 注:正確には国内供給量であるが、供給=需要と捉え、消費と表記する
 (出所:農林水産省「食糧需給表」)
 魚食普及対策
 一人当たり消費量が低下していることに人口減少が追い打ちをかけ、日本の漁業は価格低迷・市場縮小という困難に直面している。このトレンドを是正しようと動いているのが水産庁と全国漁業協同組合連合会などの組織である。たとえば水産庁が2012年から開始した魚食普及のための取り組みに「ファーストフィッシュ」がある。簡単に調理できる食品や器具をメーカーの提案に基づき水産庁がリストアップしたところ、2017年末時点ですでに3千件を超えた。上記の「調理問題」に直接働きかける取り組みだが、魚介類消費量を反転上昇させるには至っていない。
 学校での食育も漁協などが取り組んでいる。しかし学校給食への魚介類の使用には実にさまざまな制約がある。たとえば焼き魚の切り身を同一サイズに揃えられるか、骨があると事故の原因になりがち、予算は限られ、メニューは1カ月以上前に決まる。もちろん生食は提供できない。
 魚食普及対策をしたからといって、代替財シフトや人口構造など、手の打ちようのないこともある。しかも、価格が下がっても需要が増えないことは経験済みである。漁獲量の低迷、担い手の不足、漁業者と船の高齢化、漁業所得の低下など、産業の課題が山積している。
 発想の転換も必要
 表は2004年と2013年の一人当たり年間魚介類消費量の国際比較である。日本は2004年までの32年間世界一であったが、2013年では7位に後退した。消費を反転上昇させる決め手が見つからない以上、下げ止まりを待つしかないだろう。仮に現在の鶏肉消費量と同量の18.3㎏にまで下がると仮定すると、粗重量に換算して34.0㎏となる。今のトレンドで魚離れが進むなら、2026年にこの数量に達する。そのとき日本の総消費量は414万トンとなり、現在の生産水準(424万トン)が維持できれば自給率は100%を超える。
 魚離れが引き起こす問題として考えられるのはさしあたり健康問題、産業の疲弊、魚食文化の崩壊である。どれくらいの量の魚を食べると健康に良いのかは水産白書(平成24年度)のコラムで紹介されている。EPADHA厚生労働省の目標である1日1g摂取するために必要な魚介類の目安は、サンマの塩焼きなら0.4尾である。年換算するとおおよそ22㎏となり、消費量が半減してもなお健康に良い計算である。
 産業の縮小は水産業に携わる者にとっては深刻な問題である。しかし、生産量が低下したのは資源の減少や採算性の悪化という供給要因による面もある。担い手不足を逆手に取り、少人数でも採算の取れる漁業構造へ改革をする時期に来ており、水産庁は6月1日に水産政策の改革を発表した。また、輸出にも期待できる。輸出金額は2001年の1,352億円から2016年の2,640億円へと倍増している。これには世界的な水産物需要の高まりと、日本産というブランド力の2つの要素が働いている。先進国はもちろんのこと、食の多様化が進んだ熱帯域の人々も高緯度地域の魚に食指を伸ばしている。ここに日本産の魚介類が注目される理由がある。というのは、内需の停滞で価格が下がり、「日本産なのに意外に安い」アキサケや小型のサバ、すしネタ用のブリが輸出されるようになっている。もちろんホタテ貝は農林水産物最大の輸出品目である。
 魚食文化は維持できるのか。2013年に和食がユネスコ無形文化遺産に登録され、その文化的価値は権威ある国際機関のお墨付きを得た。農林水産省によると、海外の日本食レストランの数は2006年の2.4万店から2017年には11.8万店に増えている。魚食を含む和食文化は今や世界の人々によって支持されている。
 表に示したように、日本以外の国・地域の多くで一人当たり消費量は増えている。世界平均もこの間5㎏増えた。一方、世界の漁獲量(天然)は1994年以来9千万トン台で頭打ちになっており、世界需要の増加分はかろうじて養殖生産量の増加によって賄われている。今後も人口は増加し続け、水産物需要もこれに応じて増加する。日本の魚離れとは真逆の事態が世界で進行している。魚離れが進む今こそ、輸入が困難になる時代に備えて日本の水域での水産資源を持続的・戦略的に利用できるよう、漁業構造を改革していく好機と捉えられるのではないだろうか。(了)
■年間一人当たり魚介類消費量
 注:人口100万人以上の国・地域を抜粋。2004年は2003-2005年平均
 (出所:FAO, Food Balance Sheet of Fish and Fishery Products、各年)
 第430号(2018.07.05発行)のその他の記事
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 関西国際物流戦略チーム事務局、近畿地方整備局港湾空港部クルーズ振興・港湾物流企 画室室長◆尾上博文
 日本の魚食の将来 ~魚離れをめぐって~
 大東文化大学経済学部教授◆山下東子
 きっかけを作る水族館 ─ 解説パネルの例から
 小林龍二竹島水族館館長
 編集後記
 東京大学海洋アライアンス海洋教育促進研究センター特任教授◆窪川かおる
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 世界が憧れる日本の誇り、魚食文化が危ない!
 『日経ヘルス』『日経ヘルスプルミエ』の元編集長で、現在も食品関係を中心に多方面で活躍される、健康医療ジャーナリストの西沢邦浩さんを迎え、「食と健康」についてデータに基づいた情報を発信します。今回のテーマは『日本の魚食文化と健康』。魚に含まれる栄養素がいかにして私たちの健康に関わってくるのでしょうか。
 2022年6月
 健康医療ジャーナリスト 西沢 邦浩
 2021年版の『水産白書』によると2020年の日本人の魚介摂取量は一人当たり23.4㎏となり、比較可能な1960年以降で最低となりました。ピークだった2001年度(40.2kg)から4割以上も減少したことになります。一方、世界では1人当たりの食用魚介類の消費量が半世紀で約2倍になり、さらに増え続けているのです。日本が世界に誇る魚食文化に黄信号が灯っています。
 食用魚介類の1人1年当たり消費量の変化
 (出典:「令和2年度以降の我が国水産の動向」第1章図表1-4よりhttps://www.jfa.maff.go.jp/j/kikaku/wpaper/R3/attach/pdf/220603-3.pdf
 四方を海に囲まれ魚種に恵まれる日本で味わえる新鮮な魚料理は世界の人々の憧れ。
 こうした生鮮魚介食の文化が花開いたのは江戸時代です。江戸文化が爛熟した文化・文政期(1800年代初頭)には初鰹の刺身を口にすることが“粋(いき)”とされ、江戸末期の安政期(1850年代)には、コハダやマグロ、白魚などの握り寿司が庶民の心をつかんでいきました。そうは言っても、全国どこでもイキのいい魚が食べられるようになったのは、低温物流が一気に広がった1970年代以降、つまり結構最近のことともいえます。
 せっかく日本人ならどこに住んでいてもおいしい鮮魚が食べられるようになったのに、気が付いたら魚離れが進んでいるというのは残念でなりません。
 特に「刺身・寿司」は、世界の人々が好きな日本食の筆頭でもあります。
 日本貿易振興機構が世界7カ国(中国、香港、台湾、韓国、米国、フランス、イタリア)で実施した『日本食品に対する海外消費者意識アンケート調査(2013年)』では、1位が寿司、2位が刺身と、生鮮魚介メニューが圧倒的支持を得ています。
 魚の2大健康成分ビタミンDとオメガ3脂肪酸は現代人の守護神
 食品として注目されているだけでなく、魚が主な摂取源であるビタミンDと魚油成分オメガ3脂肪酸(DHA、EPA)は西欧で健康維持のために摂取したい栄養素ランキングのトップに来る2大成分です。それは、非常に大切な成分にも関わらず、新鮮な魚を口にするのが難しい地域も多いから。
 ビタミンDは欠乏すると免疫が低下し感染症やがんのリスクが高まるとする研究が多く発表されています(「今、最も気にしたいビタミンとは?」の回参照 https://www.fresta.co.jp/healthyproject/2465)。そればかりか、ビタミンDが足りないと筋骨格機能や認知機能の低下にもつながり、全身のフレイル進行にまで影響が及びます。食品ではキノコなどにも入っていますが、魚にはビタミンD3という活性が強い形でたっぷり含まれているのです。
 一方のオメガ3は脳や血液の健康を保つのに欠かせないだけでなく、慢性炎症という生活習慣病の原因になる状態を抑える代表的な食品成分。今、国が進めている、先進的なイノベーションを推進するための『ムーンショット型研究開発事業』という日本の未来が託されている研究計画を耳にしたことがあるでしょうか? この中で、“100歳まで健康の不安なく人生を楽しむ社会を実現する“ことを目指す医療・健康分野は「慢性炎症の制御」を研究のターゲットにしているほど。
 新型コロナは、サイトカインストームという激しい炎症が起きた場合に重症化する感染症です。世界の85万人を調べた調査で、オメガ3を摂取している人で新型コロナの感染リスクが低いという結果が報じられました。これにはオメガ3の炎症抑制作用が働いているのではないかと推察されています(BMJ Nutrition, Prevention & Health、2021年)。
 このように、ビタミンDとオメガ3は、十分に体内にあることで現代人の典型的な弱点と日々戦ってくれる警察部隊といえそうです。  
 どちらの栄養素も魚が最良の摂取源。心身の健康維持に欠かせない警察部隊を、私たちは魚を食べることで雇うことができるのです。
 特にオメガ3は酸化しやすい脂質。新鮮な魚からとらないと、効力が低下している可能性もあります。その点でも、生もしくはそれに近い状態で、いろいろな種類の魚がおいしく食べられるというのは魚のパワーを得るにも最高な環境といっていいでしょう。
 魚を食べる人ほど認知症リスクも死亡リスクも低下
 ビタミンDもオメガ3もサプリメントでとれますが、やはり新鮮な魚からが一番。
 こんな研究があります。脂質異常症の人たちが2チームに分かれて8週間、毎日2gのオメガ3サプリ(週に14g分)を飲むか、週に2回約250gの新鮮なサーモン(オメガ3含有量は週500gで7g分)を食べたるかしたところ、総コレステロール値や中性脂肪値はサーモンを食べた人たちの方が顕著に下がっていたとのこと(Nutrition & Diabetes、2017年)。とったオメガ3の量はサプリチームの半分なのに、効果では魚に軍配が上がったのです。
 おそらく、魚のパワーは、ビタミンDとオメガ3という成分を超えた総合力として現れてくるのでしょう。 
 上でご紹介した研究のように、魚食は血液や循環器の健康維持に役立つばかりでなく、脳を守る力が期待されています。
 例えば宮城県で65歳以上の約1万3000人を6年弱追跡した研究では、魚の摂取量が最も多いグループは最も少ないグループに比べて、認知症リスクが16%低かったという報告があります(British Journal of Nutrition、2019年)。最も多い群は毎日100g近い量の魚を食べていました。
 長野県で約1100人を15年間追いかけた研究では、最も摂取量が少ないグループに比べ、最も多いグループ(中央値82g)で61%もの認知症リスクの低下がみられました(Journal of Alzheimer’s Disease、2021年)。
 魚食は全体的な死亡リスクも下げます。
 米国で42万人以上を16年間追いかけたところ、一番魚を食べている男性群で9%、女性群で8%、全死因による死亡率が低下していました。特に大きくリスクが低下していたのは男性では慢性肝疾患による死亡率で37%減、女性ではアルツハイマーによる死亡率で38%減と男女で違いもありました。しかし米国では、そもそも一番魚を食べているグループの摂取量が日本よりかなり低く、男性で約30g以上、女性で約25g以上です(Journal of Internal Medicine、2018年)。
 いかに、日本が魚食を続けやすい環境にあるかがわかりますね。
 私たちは、日本の研究の数字を参考にして、毎日一切れ(80~120g)を目安に魚をとりたいもの。日本人女性を対象にした研究によると、魚をよく食べることでEPA血中濃度が高い人ほど“幸福感”も増すようです(Nutrients、2020)。
 さて、今は6月。旬を迎えたアジをたたき、酒とみりんに味噌を入れて溶いたら、こちらも旬のミョウガとショウガ、ネギ、青ジソを刻み、ごま油で軽く炒めて味噌に入れる。アジと和えて「なめろう」の出来上がり。お気に入りの辛口冷酒と合わせて、夕涼みと行きますか。
 よくぞ日本に生まれけり。
 五臓六腑に滋味が渡り、ほのかな幸福感が広がっていくのがわかります。
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 BRUTUS
 2023.3.23
 江戸時代に花開いた日本人の魚食文化を、『江戸前魚食大全』の著者・冨岡一成さんが解説
 寿司、ウナギ、天ぷら……いわゆる三大「江戸前料理」。今やすっかり高級化したこれらの食の文化を育んだのは、粋でいなせな江戸の庶民たちだった。江戸の歴史、魚の文化史に通じ、大名著『江戸前魚食大全』を著した冨岡一成さんが語る、魚を愛した江戸っ子たちの暮らし。
 初出:BRUTUS No.867『おいしい魚が食べたくて。』(2018年4月2日発売)
 text: Kosuke Ide
 一立斎広重が描いた「日本橋真景并ニ魚市全図」の一部分
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 江戸の魚食
 江戸後期の儒学者、寺門静軒が天保2(1831)年に著した『江戸繁昌記』の中に、「鮮魚を嗜(たしな)み、常に言ふ、“三日肉食せざれば、骨皆離る”と」というくだりがあります。つまり江戸庶民は「3日魚を食べなければ骨がバラバラになる」と口癖のように言っていたほどの魚食いだという意味です。
 この頃には漁業と流通が安定し、日本橋や芝の魚市場の周辺の町には天秤棒を担いだ魚売りが毎朝やってきて、客の前で魚をさばいていました。一方、両国や上野をはじめとした繁華街などには、料理屋や屋台が出て寿司や天ぷらも食べられました。
 このように庶民がこぞって魚を食べるようになったのは江戸中期以後のことで、その変化の大きな要因は、江戸の町が百万都市に成長し、消費経済の主体が武士階級から町人へと移っていったことにあります。江戸時代に武家社会の経済基盤となったのは米であり、全国から年貢米が集まる江戸では商人を通じて市中に米が出回り、町人たちも米がたらふく食えた。
 だからこそ、市中には食べ物屋が溢れ、グルメの文化が生まれました。つまり、江戸の料理は公家や武家から生まれたものでなく、庶民生活から生まれた食文化であるということです。
 歌川豊国が描いた「十二月の内 卯月初時鳥」の一部分
 歌川豊国「十二月の内 卯月初時鳥」(部分)。女性が初ガツオをさばいている様子を描いた錦絵。初夏の頃、黒潮に乗って北上してくる「初ガツオ」を食すのは初物好きの江戸っ子の誇りだった。
 江戸っ子たちの気風の一つとして、「宵越しの金は持たない」というのが知られています。「江戸の華」と呼ばれたほど火事が日常茶飯事で、江戸全体が焼けてしまうことすらあった当時、資産を焼失してしまうことも珍しくなく、庶民の蓄財意識は低かったようです。そんな時代、「一日に千両の落ち所」と言われたように、一日千両ものお金が動く場所が江戸市中に3ヵ所ありました。それが芝居町(歌舞伎小屋)と吉原(遊郭)、そして魚河岸です。
 魚市場が現在の築地に移ったのは大正12(1923)年の関東大震災がきっかけですが、それ以前には日本橋北詰、現在の三越と中央通りを隔てたあたりにありました。日本橋魚河岸の活況は多くの錦絵などに描かれており、江戸の商いが窺えます。雑踏を極める通りで、仲買たちが魚を陳列している戸板状の台は「板舟」と呼ばれるもの。
 一枚ごとに販売権が付帯しており、有力問屋はこの板を何枚も持ち仲買に貸していました。向こう鉢巻きに腹掛け、尻切れ半纏(はんてん)を片肌脱いだ、いかにも江戸っ子らしい風情の小売りの魚屋をはじめ、買出人たちの姿も見えます。
 魚河岸の有力問屋は歌舞伎や浮世絵、相撲など江戸文化のパトロンとなり、河岸の若い衆は「いき」や「はり」に男を磨く侠気のやからとして、江戸っ子の見本でもありました。今でも使われる「鯔背(いなせ)」という言葉は、河岸の若者の間で流行した髪形が語源で、イナ(ボラ)の背の形に似ていることから、「鯔背銀杏(いちょう)」と呼ばれたもの。そこから転じて、粋で勇み肌の者を「いなせ」と呼ぶようになりました。
 一立斎広重が描いた「日本橋真景并ニ魚市全図」の一部分
 一立斎広重「日本橋真景并ニ魚市全図(にほんばししんけいならびにうおいちぜんず)」(部分)。天保年間の中頃とされる。大判錦絵の中に、日本橋と江戸橋の間、日本橋川の北岸に沿って広がっていた魚河岸の賑わいが描かれている。
 「よく脂ののった魚」は江戸っ子に好まれなかった
 当時の江戸湾は環境も良く、魚の宝庫でした。沿岸や河川で獲(と)れるのはクロダイ、カレイ、コチ、スズキ、キス、アイナメサヨリ、コノシロ、アナゴ、タコ、イカ、エビ、カニ、ハマグリ、ウナギなど、内海ではタイ、イシモチ、イサキ、サバ、ブリ、サワラ、アジ、イワシ、サンマ、マグロ、アンコウなど。
 クジラやカツオ、サケ、タラのように地方から搬送されてくる魚もあり、当時から魚河岸では実に多種多様な魚が手に入りました。とはいえ、もちろん違いもあります。例えば、今では高級魚の代名詞として人気のマグロ。これはかつては下魚(げざかな)扱いでした。
 その理由は、氷もない時代、遠隔地から運ばれて鮮度落ちするので、塩マグロなんて代物が出回っていたから。しかし江戸後期に江戸近海でよく獲れたことをきっかけに、マグロの刺し身が広まりました。ただし、トロを喜んで食べるようになるのは昭和に入ってからの話です。江戸っ子は魚にもさっぱりとした味を求め、脂身を嫌った。脂は特に傷みやすいですしね。当然、「脂ののった魚」という表現もなかったんでしょう。
 歌川国安が描いた「日本橋魚市繁栄図」
 歌川国安「日本橋魚市繁栄図」。売る人、買う人でごった返す早朝の日本橋魚河岸の様子。タイ、カレイ、イカ、タコ、サザエ、イセエビなどさまざまな魚介が描かれる。
西から入ってきた魚食を洗練させ、文化にまで高めた
 現在でもよく使われる「江戸前」という言葉ですが、これは江戸時代にはウナギのことを指すのが一般的でした。ウナギは潮入りの隅田川河口や深川を漁場としたので、ご当地ものを「江戸前」と呼んで売り出しました。そのほかの地域で獲れたウナギは「江戸後」と呼んで嫌うくらいに、江戸の人々はプライドを持っていたといわれます。
 江戸文化といっても、実際に江戸で始まったものは少なく、先進的なものはたいてい西からやってきたものでした。ウナギ料理や天ぷらももともとは関西にあったし、関東の味覚に欠かせない濃口醤油も、銚子に定住した紀州の漁民が売り出したものです。
 とはいえ、それらを洗練させ、文化の域にまで高めたのは、やはり江戸庶民の精神文化があってこそ。文政年間(1818〜30)になってやっと登場した「にぎり寿司」は、江戸前の海から獲れたての魚介を使い、その場で握ってくれるもので、客を待たせないのが好まれ、江戸の人々は毎日のように屋台に足を運びました。さっさと食って、長居はしないのが江戸っ子流。庶民の生活から生まれた江戸の魚食文化は、現代にまで受け継がれています。
 錦絵はすべて国立国会図書館ウェブサイトからの転載。
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 日本の魚
 魚とともに歩んできた日本の食文化(仮訳)
 小泉武夫氏インタビュー
 2013年12月にユネスコ無形文化遺産にも登録された和食。様々な食材を繊細な感性で料理に仕上げる和食文化のなかでも、魚は特に重要な存在だ。和食と魚について幅広い知識をもつ発酵学者・食文化論者の小泉武夫氏にお話をうかがった。
――日本は魚とどのようにかかわってきたのでしょうか。
 日本は周囲を海で囲まれた海洋国家です。昔から魚を捕る機会は多く、縄文時代中期(約5000-4000年前)からすでに魚食をしていた記録が残っています。親潮黒潮の流れが小魚を沿岸近くに運び、それを追って大きな魚たちが集まってくるので、豊かな漁場が沿海に数多くありました。
 海から内陸に視線を移すと、日本は国土の中央に山脈が走っており、年間2000ミリ近い雨量があります。大量の雨は山脈で分かれて太平洋側と日本海側に多くの川を形成しながら流れ落ちます。これによって清流にアユ、ウグイなどが育ち、淡水魚にも恵まれています。さらに稲作民族なので水田のために用水池や沼があり、そこにも魚がいるという状況であり、今から100年ほど前まで日本人はほとんど肉食をせず、魚を主な動物性たんぱく源としていました。
――和食においての魚の存在はどのようなものですか。
 和食は7つの主材と1つの副材で成り立っています。主材とは根菜類、菜っ葉、青果、山菜、大豆を主とする豆類、海藻、米を主とする穀類です。これに副材である動物性たんぱく質、つまり魚・肉・卵などが加わります。
 動物性たんぱく質は体内でアミノ酸になり、スタミナ源として機能しますが、栄養面では主材の大豆の植物性たんぱく質でも十分なので、副材はなくても和食は成り立ちます。ただ、魚は動物性たんぱく質のなかでも日本人が長い歴史の中で食べ続けてきたという点で、和食文化には重要な存在です。動物への畏敬の念と愛護精神が強い日本人は、飢饉のときですら四足動物を食べなかったといわれる民族ですが、魚だけは命をいただくことへの感謝を持ち、はらわたや骨まで無駄にせず食べてきたのです。
――UMAMIが世界共通語になりつつありますが、魚は旨味文化にどのようにかかわっていますか。
 生理学的に味覚は甘い、辛い、酸っぱい、苦い、しょっぱいの五味だと長くいわれてきましたが、今ではそれに旨味が加わり六味とされています。大豆を発酵させるとタンパク質がグルタミン酸を主体とするアミノ酸に変化し、魚はタンパク質がイノシン酸主体の核酸に変化します。この2種が合わさると相乗効果で人間は何倍にも旨味を感じることがわかっています。この旨味を世界に教えたのが日本人であり、だからこそUMAMIが世界共通語になってきているのだと思います。
――日本の魚の特徴として挙げられることは何でしょうか。
 第一に、魚の種類が大変豊富であるため、「旬」に合わせてその時々でもっともおいしく、安く、栄養価がある魚を様々な調理法で楽しめるという点です。第二に、海淡水魚ともに新鮮な魚を生食する点です。第三に、魚によく合う調味料「醤油」の存在を挙げることができます。大豆を発酵させて造る醤油の旨味ほど魚に合うものはありません。
 日本では、現代の子どもは魚を好まないともいわれますが、それは小さな頃から大人がしっかりと魚を食べさせる習慣をつけないから。子どもたちが今食べているものの影響は30年後に表れます。小さいうちから魚をはじめ大豆や野菜が主体のヘルシーな和食をもっと食べさせるべきだと声を大にして言いたいです。
 RIEKO SUZUKI
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