🍙29〗─4・B─敗戦直後の南海トラフ巨大地震と大正の関東大震災は違う。昭和21年12月21日~No.192 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本列島の自然は、日本民族が落ち着いて戦争をする事を許してくれるほど生易しいものではなかった。
   ・   ・   ・   
 日本の天災は、キリスト教イスラム教のような絶対神が人々が犯した罪に対する天罰ではなく、忘れた頃に必ず起きる単なる非宗教的な科学的自然災害にすぎなかった。
 「自然災害は宗教的天罰である」は、ウソである。
   ・   ・   ・   
 関東大震災南海トラフ巨大地震の違いは、「井戸に毒が投げ込まれた」「暴動が起きている」という流言飛語、デマ、同調圧力があったかどうかである。
   ・   ・   ・   
 日本国内に強制連行されたと言われる200万人以上の朝鮮人は、日本人の敵か味方か。
 1945年8月15日以降の韓国・朝鮮は、油断をすれば寝首をかく怖れがる油断も隙も無い反日であり敵日であった。
   ・   ・   ・   
 2023年8月28日13:23 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「「太平洋戦争敗戦」直後の「日本」に追い打ちをかけた「南海トラフ巨大地震」…そのあまりに「甚大すぎる被害」
 戦争末期、大空襲(焼け野原)後の大地震
 漫画『南海トラフ巨大地震』より
 現時点における直近の南海トラフ巨大地震は太平洋戦争終戦翌年の昭和南地震である。その昭和南地震の前年、1945年7月3日午後4時23分、マリアナ諸島のグアム・サイパンテニアンの基地から出撃したB-29爆撃機501機が、硫黄島を経由して翌未明、姫路・高松・徳島・高知に向かった。4日午前1時52分ごろ、高知市上空に飛来したB-29大型爆撃機125機は、約1時間にわたって1,060.8トンの焼夷弾を投下。この凄まじい空爆で、高知市では死者・行方不明者423人、重軽傷者289人、全焼壊1万1,840戸、半焼壊108戸という被害を出し、ビルも民家も跡形もなく高知市街地の約70%が焦土と化した。
 【マンガ】「南海トラフ巨大地震」が起きたら…そのとき目にする「ヤバすぎる惨状」
 米軍データによると、爆撃部隊はアメリカ陸軍航空軍・第21爆撃集団所属・第73爆撃団だ。爆撃に加わった将兵1,527人。爆撃目標は高知市市街地とされ、軍需産業や軍隊ではなく、都市の住宅や民間人が攻撃目標だったという。もうそれは戦争ではない。すでに制空権も防空戦闘能力も失った丸腰の寝静まった町と人々を焼き払う暴挙、それは正気を失った無差別殺人に他ならない。どれほど恐ろしかったことか、どれほど口惜しく無念だったことか。こうした無差別空襲は高知だけでなく全国で行われていた。
 太平洋戦争終戦の翌年、昭和南地震が発生した1946年は、1月1日・昭和天皇のいわゆる「人間宣言」から始まった。同月・秋葉原電気街が露店として開業、2月23日・山下奉文元陸軍大将の絞首刑執行、3月21日・宮城県女川港で巡航船金華丸転覆(22tの小さな船に、食糧買い出しの約230人が乗船・103人死亡)、4月19日・GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が東京湾海底から旧日本軍の金塊など(数十億ドル? )引揚げ、5月3日・極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷、5月22日・第一次吉田茂内閣成立、5月31日・昭和天皇マッカーサー元帥を訪問、7月1日・米国信託統治ビキニ環礁で原爆実験、8月1日・闇市の全国一斉取り締まり、10月1日・上野駅前に引揚げ者マーケット「アメ横」誕生、11月3日・日本国憲法公布、11月23日・青森県五所川原大火(841戸焼失)、12月7日・シベリア引揚げ船第1船が舞鶴入港など。
 終戦から一年、時の大蔵大臣渋沢敬三が「米が1千万人分不足で、1千万人が餓死するかもしれぬ」と外国人記者クラブで不用意発言をするほどの厳しい食糧難の中、人々は生きることに必死の時代だった。大空襲で焼け野原になった高知市街地に、ようやくバラック建ての家が立ち並び、食料不足・物資不足にあえぎつつ廃墟から懸命に立ち上がろうとしていた人たちを、震度6の大地震が追い打ちをかける。
 地盤沈下と堤防決壊
 1946年12月21日午前4時19分過ぎ、潮岬南方沖78キロメートル、深さ24キロメートルを震源とするM8.0の昭和南地震発生。2年前の昭和東南海地震と同様に陸のプレート(ユーラシアプレート)の下に、海のプレート(フィリピン海プレート)が沈み込む南海トラフ沿いの西側領域が動いた地震。当初は「南海道地震」とも呼ばれた地震で、この領域が動いたのは1854年安政南海地震から92年目。破壊開始点でもある震源は、2年前の昭和東南期地震(潮岬沖)に隣接していて、東南海地震は東側へ「半割れ」が起き、南海地震は西側へ向かって断層破壊が進行していったと推定されている。高知測候所で記録された震動時間は約9分間だったが、とくに激しく揺れていた時間は1~2分といわれる。
 震度6は西大寺(さいだいじ・岡山県岡山市東区)、五郷(いさと・三重県熊野町)、郡塚(ぐんげ・兵庫県淡路市)、津田(つだ・香川県大川郡)、下高瀬(しもたかせ・香川県三豊町)、野根(のね・高知県安芸郡)、沖ノ島(おきのしま・高知県南西部)など。震度5は、福井(福井県)、岐阜(岐阜県)、津(三重県)、尾鷲(三重県)、彦根(滋賀県)、洲本(兵庫県)、橿原(かしはら・奈良県)、和歌山、潮岬(和歌山県)、境(鳥取県)、徳島(徳島県)、高松(香川県)、多度津(たどつ・香川県仲多度郡)、宿毛(すくも・高知県)、大分(大分県)など、九州・四国・紀伊半島・中国地方・信州・北陸など広い地域で強い揺れが観測されている。
 この地震による死者・行方不明者は1,443人、家屋全壊11,506戸、半壊21,972戸、流失2,109戸、浸水33,093戸、焼失2,602戸の深刻な被害を出した。また、震源から遠く離れた長野県でも家屋全壊2戸、半壊4戸。滋賀県で家屋全壊8戸、半壊2戸。岐阜県で家屋全壊547戸、半壊751戸。鳥取県で家屋全壊22戸、半壊13戸。島根県で家屋全壊139戸、半壊308戸。岡山県で家屋全壊1,092戸、半壊3,757戸など、震害による被害は太平洋沿岸だけでなく、内陸部、瀬戸内海、中国地方、日本海側にまで及んでいる。
 中でも四国高知県の被害は甚大だった。高知県の主な被害は、死者・行方不明679人、家屋全壊4,865戸、半壊9,073戸、流失566戸、浸水5,608戸、焼失196戸に上る。とくに高知市津波第1波が地震発生約20分後に襲来し、一番大きかったのは第4波で、それでも浦戸湾奥で約60センチメートルとさほど高い津波ではなかった。しかし、もともと海抜ゼロメートル地帯だった上、地震によって約1.2メートルも地盤が沈降。また、地震の揺れで河川堤防が約11カ所で決壊し、長期にわたり下知地区や潮江地区を中心に約1,000ヘクタール(10㎢)が浸水。当時の高知市の人口約14万人のうち約2万人が被災したといわれている。戦時中市外へ転出していた約4万3千人のうち、3万2千人ほどが終戦高知市に戻ってきていて、食料品や日用品の不足だけでなく、深刻な住宅難にも陥っていた。そこへ巨大地震が襲い、多数の住宅損壊と長期床上浸水が発生してしまったのだ。市は昭和国民学校や神社、劇場など21カ所を避難所にしたという。
 空襲被害を免れた高知県東部でも家屋の倒壊が多かった。須崎市では家屋全壊198戸、入野(黒潮町)では家屋倒壊率70%、中村市(四万十市)では地震動やその後の火災などで家屋損壊率80%以上と推定されている。また、四万十川に架かっていた四万十鉄橋も両端を残して落橋。
 震源に近い和歌山県では死者・行方不明269人、家屋全壊969戸、焼失2,399戸。とくに新宮市では地震直後に出火した火災が16時間燃え続け、家屋焼失2,398戸、全壊600戸、半壊1,408戸に及んだ。
 持ち出すものは「いのち」だけ
 昭和南地震における津波は、房総半島から九州に至る沿岸に襲来した。最も津波高が高かったのは紀伊半島南端に位置し和歌山県東牟婁郡串本町(ひがしむろぐん くしもとちょう)の北にある袋港(ふくろこう)で、6.57メートルの津波と記録されている。この津波の特徴は、「第1波到達の早さ」である。前述した和歌山県串本町には、地震発生後約10分で第1波が襲来。また、和歌山県田辺市高知県安芸郡東洋町には地震後約15分で第一波が到達している。
 安政南海地震で得た教訓として高知県須崎には津波に関する伝承があったという。それは「大地震後、必ず津波が来るが、その津波地震後直ぐ来るのではない。ゆっくり飯を炊くだけの余裕があるから、あわてず落ち着いて充分の用意をして避難せよ」(南海大震災誌)というものだった。しかし、昭和南地震津波にその言い伝えは当てはまらず、それを信じた人は、地震後15分ほどで押し寄せた津波で逃げ遅れた可能性もある。
 災害はどれも同じではない。その都度顔(様相)が違う。ひとつの災害の教訓が次の災害に当てはまらない場合もある。地域によっては、「津波はいったん引いてからやってくる」という言い伝えもあるが、それは必ずしも正しくない。引いてから押し寄せてくる津波もあれば、いきなり大津波がやってくる場合もあるからだ。そうした俗説にとらわれず、最悪を想定して(地震津波はすぐ押し寄せると思って)行動する必要がある。
 現在想定されている南海トラフ巨大地震の想定津波最短到達時間で、1mの津波高第1波が一番早く到達するのは、静岡県静岡市清水区焼津市で、最短で地震発生2分後とされている。そのほか和歌山県東牟婁郡太地町串本町で、最短で地震発生3分後、高知県室戸市安芸郡東洋町で最短5分。その時34メートルの津波が押し寄せると想定されている高知県幡多郡(はたぐん)黒潮町に、1メートルの津波高第1波の最短到達時間は地震後10分と想定されている。これは内閣府の「南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ」が公表している数値だ。
 全体として静岡県和歌山県三重県高知県徳島県の外洋に面した多くの地域が、最悪の場合、1メートルの津波高第1波の最短到達時間が10分以内と想定されている。これはあくまで1メートル津波高第1波の最短到達時間であって、一定時間後の津波高はさらに高くなる。例えば静岡県下田市の場合、1メートルの津波地震発生最短13分後と想定されているが、それから4分経過した17分後には20メートルの津波高と予測されている。これはあくまでも津波到達予測時間であるが、南海トラフ巨大地震震源域が陸域に近い分、津波が早く到達する可能性が高いとみられている。
 ともかく、海岸近くにいて地震の揺れが収まったら、「持ち出すものはいのちだけ」「遠くの避難所より近くの高いビル」と思って、一目散に高台に避難することが大切である
 さらに連載記事<「次は西日本大震災」…まさに次の国難南海トラフ巨大地震」は本当に起きるのか>では、南海トラフ巨大地震について引き続き解説します。
 山村 武彦(防災システム研究所 所長)
   ・   ・   ・