🍙51〗─2─少子高齢化の原因である未婚化は昭和50(1975)年から始まっていた。~No.284No.285 

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 マスメディアとアナリストが、日本を少子高齢化社会へと導いた。
 政治家や官僚は、人口激減を知りながら黙認した。
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 2023年8月29日 YAHOO!JAPANニュース AERA dot.「未婚化は1975年から始まった 家族社会学者が指摘していた研究者やマスコミの“過ち”
 少子化の大きな要因となっている「未婚化」。中央大学教授で家族社会学者の山田昌弘氏は、1975年にはその傾向はあったと指摘する。山田氏の著書『結婚不要社会』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集し紹介する。
 【図】世代別未婚率の推移はこちら
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 1989年の人口動態統計で、女性一人が生涯に産む子どもの平均人数を示す合計特殊出生率が過去最低の1.57になりました。厚生省人口問題研究所(現・国立社会保障・人口問題研究所)は翌1990年、この現象を「1.57ショック」と名付けて初めて警鐘を鳴らしましたが、その時点では少子化という言葉はまだありません。
 少子化という言葉の誕生は、それから2年後、1992年に「少子社会の到来」というタイトルの『国民生活白書』が経済企画庁(当時)より発表されたことで、徐々に社会問題化していきます。ちなみに欧米には、少子化に相当する単語はありません。
 拙著『結婚の社会学』には、1995年実施の国勢調査のデータは反映されていません。同書は1990年の国勢調査や、1992年の出生動向調査などさまざまな90年代前半のデータを基に記述しています。
 90年代前半までのデータによれば、「晩婚化」の傾向は1975年以降著しく、1990年頃になると、それがはっきりと目に見えるかたちになってきたことがわかります。
 拙著『結婚の社会学』では男女の世代別未婚率の推移を示したグラフを掲載しましたが、1975年には、30代前半では男性の未婚率は14.3%で、女性は7.7%です。それが1990年には、30代前半の男性の未婚率は32.6%、女性は13.9%まで上昇しています。
 平均初婚年齢も、1975年は男性27歳、女性24.7歳。40年ほど前までの日本は、女性の半数が24歳までに結婚している社会だったのです。それが1990年には男性28.4歳、女性25.9歳と1歳以上も上昇しています。
 このような状況の中で合計特殊出生率が過去最低の1.57になったことが発表されたのが、1990年という年でした。それ以降、研究者や政策担当者、マスコミの中で少子化が問題視されるようになったのです。
■晩婚化ではなく未婚化
 データをどう解釈するかに関して、当時の研究者の大勢は「これは、晩婚化である」という認識でした。政策担当者やマスコミも同様です。
 しかし、それは違うんじゃないか……。私はそう考えました。
 晩婚化というのは、「いずれみんな結婚するが、いまはそれを先延ばししている」という意味です。当時、多くの研究者や政策担当者、マスコミは「いまの若者は結婚にメリットを感じなくなって、独身生活を長く楽しみたいと思っている。だから結婚年齢が上昇している」というような論評をしていました。要するに、結婚を先延ばしにしているだけ=晩婚化という見立てです。
 そして、晩婚化の主要な原因として、女性の社会進出を挙げていました。「仕事をしたい」という女性が増えてきたから、結婚して子どもを産むこと──女性にとっては仕事をあきらめるという選択──を先延ばしする女性が増えてきたというわけです。
 そのため、日本と同じく少子化を克服しようとしているヨーロッパの国々(フランスや北欧諸国、オランダなど)を参考にして、それと同じように、子どもを育てながら働けるように状況を整えれば、早く結婚して子どもを産むはずだという前提で、保育所の増設などさまざまな政策がとられていったのです。
 そんな中で私は、「これは晩婚化ではなく、未婚化である」と主張しました。具体的には、「未婚化を克服しないと、少子化も克服できない」という見解を唱えました。この主張に多少なりとも賛同してくれた人がいたから、当時からマスコミに出たり政府関係の委員にも登用されたりしたのですが、公の学説なり政策なりに「見当違いではないか」と異議を申し立てたのです。
 なぜ、そのような確信がもてたのか。
 1990年から1992年にかけて、私は宮本みち子さん(千葉大学教授・当時)らと共に、『パラサイト・シングルの時代』の執筆のもとになった、20代の親同居未婚者のインタビューおよびアンケート調査を行っていました。結婚をしていない20代の男女とその親世代の人々にインタビューをしたわけですが、話を聞けば聞くほど、当時語られていた「通説」が間違っているのではないかという結論に至りました。
 そのときに出会った親同居未婚者たちの中には、確かに「いまの生活を楽しみたいから結婚を先延ばしにしている」という人はいましたが、重要なのは「結婚したくないから結婚していない」という人はほとんどいなかったという点なのです。
 特に、女性の場合がそうでした。当時の女性の大学進学率(4年制)は2割です。8割は短大卒および高卒、中卒です。そんな8割に属する女性たちの話を聞くと、仕事をしたいから結婚しないという人はほとんどいなくて、むしろ「いい男がいないから結婚していない」と答える人が大半でした。
 その後も、厚生省(当時)の研究会などで未婚者の実態調査を続けました。
 そして私が得た結論は、通説とは異なり、「現在の社会現象は、晩婚化ではなく、未婚化である」というものだったのです。
 つまり、「生涯一度も結婚しない人が増えるだろう」という主張です。それも、ヨーロッパのように「結婚したくないから結婚しない」のではなくて、「結婚したくても結婚できない人」が増えていく。結婚したいのに結婚できないまま生涯を終える男女の増加、すなわち「結婚困難社会」を予測したわけです。
■結婚できない人はなぜ増えたのか
 「結婚していない」もしくは「結婚できない」人たちが増えた原因は何でしょう。
 私は次のような説を展開しました。それは単に、男女の意識変化ではない。そうではなく、結婚をめぐる社会、とりわけ経済状況が変わったのだと。つまり、個人の意識はむしろ変わらないまま社会の変化が進み、結婚が減った。その結果として独身者が増え、独身でも生活できる仕組みが整ったということです。
 たとえば、1994年に『諸君!』で発表した「結婚難と経済成長」の中では、「女性は自分や自分の父親よりも収入の高い男性と結婚するのが当然だと思っている。高度経済成長期はそういう男性が簡単に見つかったからみんな早く結婚した。けれども、経済成長が鈍り低成長期になって、自分や自分の父親よりも収入の高い男性の数が減り、結婚相手を見つけることが難しくなって、結婚は先延ばしになり、結果的にあぶれて結婚できない男女が増えている」と論じました。
 経済が高度成長から低成長になった1975年以降に晩婚化、すなわち未婚化が始まります。
 そのとき結婚をめぐって生まれた現象は、収入の高い男性と結婚できる確率が低下する、という経済条件の変化でした。それでも、収入の低い男性と結婚するのを女性が厭わなければ、未婚化は起こりません。けれどもそうはならず、女性は収入が低い男性とあえて結婚することはしない──。
 つまり未婚化は、結婚をめぐる意識は変わらないけれども「経済・社会環境」が変わったがために生じた現象であり、経済の低成長という構造的要因なので将来的にも結婚できない人が増え続ける、というのが私の主張だったのです。
 けれども、研究者やマスコミも含めて当時のほとんどの中高年の人たちは「結婚なんて簡単にできるもの」と思っていたようです。そして当事者である若者たちも、「結婚なんて、本人がしたければすぐにでも相手が見つかる」と誰もが感じていた。つまり、未婚化を単なる「結婚の先延ばし」だとほとんどの人が思っていたのです。だからこそ、結婚問題が国の少子化を生み出す社会問題にまで発展してしまったのではないでしょうか。
 大きな声では言えませんが、今日の結婚難に悩む若い人たちから見たら、周りには「よくこんな人が結婚できたな」と思えるような60代、70代の人が多いはずです。これは、経済成長が続いた1975年頃までは、どんな人にとっても結婚は「本人がしたければ、簡単にできるもの」だったということの裏返しでしょう。
 1975年以降の結婚をめぐる社会的な変化や実態をきちんと調査して把握していれば、結婚が簡単にできるものではなくなってきたことに気づいたはずです。
山田昌弘(やまだ・まさひろ)/1957年、東京生まれ。1981年、東京大学文学部卒。1986年、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。現在、中央大学文学部教授。専門は家族社会学。学卒後も両親宅に同居し独身生活を続ける若者を「パラサイト・シングル」と呼び、「格差社会」という言葉を世に浸透させたことでも知られる。「婚活」という言葉を世に出し、婚活ブームの火付け役ともなった。主な著書に、『近代家族のゆくえ』『家族のリストラクチュアリング』(ともに新曜社)、『パラサイト・シングルの時代』『希望格差社会』(ともに筑摩書房)、『新平等社会』『ここがおかしい日本の社会保障』(ともに文藝春秋)、『迷走する家族』(有斐閣)、『家族ペット』(文春文庫)、『少子社会日本』(岩波書店)、『「家族」難民』『底辺への競争』(朝日新聞出版)などがある。
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