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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
現代の日本人は、民族的な歴史力・伝統力・文化力・宗教力そして語学力が乏しいか、ない。
敗戦利得者は、戦前までの日本民族の歴史・伝統・文化・宗教・語学をを戦争犯罪に繋がるとして学校の歴史教育から切り捨てた。
その結果が、1980年代後半からの日本の現状であった。
その結果生まれたのが、現代の安全神話で、昔の日本には安全保障など存在しなかった。
日本を支配しているのは悪しき言霊信仰で、その証拠がコロナ禍で猛威を振るった「同調圧力」やマスク警察などの「自称正義」である。
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2023年3月11日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「福島第一原発の悲劇、じつは「想定内」だった…「貞観と宝永」平安時代と江戸時代の前例から予測する「地震と噴火の周期」
地震・火山大国・日本。2022年に入り、8月となった時点で、この国はすでに4回ものM6以上の地震が発生している。
7月には鹿児島・桜島の火山活動が活発化し、レベル5という、最高度の噴火警報が発せられた。果たして、今の日本の地底は異常な状態にあるのだろうか? そして、地震と火山噴火の間に因果関係はあるのだろうか?
『天変地異の地球学 巨大地震、異常気象から大量絶滅まで』は、天変地異にはサイクルがあると語る。では、地震と噴火の発生周期とは何年なのだろうか? そして現在の日本は、その周期に相当する時期に来ているのだろうか? ここでは歴史的なデータを手掛かりに、その答えを探ってみよう。
(本稿は藤岡換太郎『天変地異の地球学――巨大地震、異常気象から大量絶滅まで』を一部再編集の上、紹介しています)
地震と噴火の1000年周期
固体地球において、人類が経験した自然災害をみていきます。つまり「天変」ではなく、地震や火山噴火などの「地異」です。日本では、それは平安時代にあたる9世紀と、江戸時代にあたる18世紀に集中していたようです。
まず、平安時代では838(承和5)年に神津島が噴火し、864年(貞観6年)に富士山が噴火し(866年[貞観8年]まで約2年間)、869年に東北の三陸で巨大地震が起こり(貞観の三陸地震)、886(仁和2)年に新島が噴火し、そして887年に近畿地方でも巨大地震が起こりました(仁和地震[にんなじしん])。
【写真】天才の続いた貞観期の鎮魂儀礼が発祥とされる祇園祭
© 現代ビジネス
およそ50年の間にこれだけのことが起こり、多数の死者が出たのです。830年に生まれた人が60歳まで生きれば、これだけのことを経験したわけです。
天災が続いた18世紀の日本
江戸時代では、徳川家康が幕府を開いてから100年がたった1703(元禄16)年に関東地方で巨大地震が起こり(元禄地震)、1707(宝永4)年には西日本の広範囲に巨大地震(宝永地震)が起こった直後に富士山が噴火しました。
1763(宝暦13)年には東北の八戸でマグニチュード7クラスの地震が3回も発生し、1770(明和7)年に盛岡でマグニチュード7.4の地震が起き、1771年、琉球石垣島近くで八重山地震が起きて巨大津波(明和の大津波)があり、1782(天明2)年には相模湾でマグニチュード7クラスの小田原地震が起こっています。
その後も、1783年に今度は浅間山が大噴火を起こしました。この噴火で噴出した大量の火山灰は農地を覆って、作物が育たなくなり天明の飢饉が発生しました。複合災害です。
江戸時代にも100歳近くまで生きた人はいたと思いますが、その人たちの人生にすっぽりと、これだけの巨大災害が収まってしまいます。
「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉が通用しない時代があったのです。
江戸時代では、幕末にさしかかる19世紀にも、1847(弘化4)年に善光寺地震、ペリーが来航する1853(嘉永6)年に小田原地震、1854年に伊賀上野地震、安政東海地震、安政南海地震、1855(安政2)年に安政の江戸地震、1856年に安政の八戸沖地震、1858年に立山の飛越地震などが起こっています。
【表】平安時代と江戸時代の噴火と地震
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こうしてみると、地震や噴火などの固体地球災害については、日本では平安時代と江戸時代という、おおまかに1000年間隔での集中がみられるということはいえそうです。
富士山の噴火も、大きなものは864~866年の貞観噴火から1707年の宝永噴火まで約1000年のインタバルがあります。
富士山の貞観噴火と貞観三陸地震
富士山の噴火が地震と連動しているのかは、気になるところです。「貞観噴火」と呼ばれている864(貞観6)年の富士山噴火は、富士山の噴火史のなかで最も大量の溶岩を噴出しました。
現在の富士山をめぐる地形は、このときにつくられたといっても過言ではないでしょう。粘性の低い玄武岩質な溶岩が北側へと流れ下って、いまでは青木ヶ原と呼ばれている一帯を、見渡すかぎり溶岩が覆いました。溶岩樹型や溶岩トンネルが形成された青木ヶ原は、観光の名所になっています。
【写真】本栖湖。湖畔の溶岩
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富士山の北には「せのうみ」と呼ばれる大きな湖がありましたが、溶岩はここへ流れ込んで「せのうみ」を精進湖と西湖とに分けてしまいました。富士五湖の誕生です。
その5年後の869(貞観11)年に「貞観の三陸地震」が東北の三陸沖(現在の宮城県)で起こっています。三陸での地震で記録に残っているものでは、これが最古のようです。
震源やマグニチュードなど正確なところはわかりませんが、同年5月26日に起きた地震のマグニチュードは8.3と推定されています(『理科年表 2020』)。このとき発生した津波で仙台平野の広い範囲が水たまりになったと考えられています。
福島第一原発の悲劇は「想定内」
2010年に産業技術総合研究所の岡村行信が震災予防調査会に提出した文書には、869年の地震が再来する可能性が指摘されていました。いま同じような規模の地震が起これば、原子力発電所などに大きな被害が起こると警鐘を鳴らしていたのです。
また、岩石学者の関陽太郎は、福島県の原発は善知鳥の巣よりも高いところに置くべきであると手記に書いています。ウトウ(善知鳥)という海鳥は波のかからないところに巣をつくる習性があり、過去に到達した最大の波の高さを知っていて、それよりも高いところで巣づくりするとされていることから関はそう考えたようです。
【写真】ウトウ
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じつは関先生は私が東大で修士になるときの指導教官の一人で、ひょんなことから入手した手記にこう書かれていたので記しました。2011年3月11日に起きた地震では、これらの警告があったにもかかわらず、福島第一原発では「想定外」とされる大きな被害が生じました。自然災害の脅威を軽視した代償は大きなものとなりました。
富士山噴火と南海トラフ――噴火と地震の連動性
さて、貞観の富士山噴火と貞観の三陸沖地震は、距離にすれば数百キロメートルも離れたところで発生しています。一見、二つのイベントの間にはなんら関係はないように思えますが、どうなのでしょう。
ほぼ同時期に大きな噴火と地震が起きた例が、もう1つあります。それは江戸時代のことです。
赤穂浪士の討ち入りの5年後となる1707(宝永4)年の10月28日、東海、近畿、中国、四国という非常に広い範囲で巨大地震が起こりました。震源域は南海トラフのほぼ全域と考えられ、最大震度は7、マグニチュードは8.4から9.3と推定されています。
これは「宝永地震」と呼ばれ、日本で起こった過去最大級の地震の1つとされています。
その49日後の12月16日、富士山が噴火しました。それまでの山頂の火口とは別に三つの火口が形成され、貞観噴火での粘性の低い玄武岩質な溶岩のほかに、粘性の高い石英安山岩質な溶岩も含まれていたため、爆発的なプリニー式噴火となりました。
【写真】宝永の噴火による火口
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この宝永の噴火は記録に残っている10回の富士山噴火では最大で、これ以降、富士山は300年以上も噴火していません。儒学者の新井白石は『折たく柴の記』に、江戸にまで火山灰が降った様子を記しています。
この宝永の2つの「地異」では、先に地震が起こって、そのあと噴火が起こっています。これについて地球科学者の鎌田浩毅は、宝永の富士山噴火は直前の宝永地震が引き金になっていると考えられるとしています。たしかに、貞観の三陸地震が起きた東北よりも富士山までの距離は近いので、ありそうなことです。
しかし、南海トラフ地震が先行して富士山が噴火した例は、宝永のほかにはありません。また、富士山をつくっているマグマは、南海トラフを形成するフィリピン海プレートの沈み込みではなく、太平洋プレートの沈み込みによるものなのです。
とすると、本当に、南海トラフ地震と関連性があるのか、疑問も出てきます。駄洒落をいうつもりはありませんが、なかなか、“難解”な問題なのです。
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地震と噴火には1000年という周期が見えてきた。だが、なぜ、この1000年という周期が生まれるのだろうか? その謎を探るため、〈人類を脅かす「メガ天変地異」が起きるかもしれない…その震源地は「アメリカ」と「鹿児島」にあった〉では、地球の地下2900kmにまで潜り込んでみよう。
天変地異の地球学――巨大地震、異常気象から大量絶滅まで
藤岡 換太郎
日本は世界でも稀な「災害が束になってやってくる国」だというのです。災害が束になると、それはもう「天変地異」です。天変地異を軸に46億年をとらえなおす、かつてないスケールの地球科学!
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