📉4】─2─日本のブラック学校の深すぎる闇の正体は全体主義(マルクス主義)。〜No.7 ① 

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 2023年5月26日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「日本の学校の「深すぎる闇」…私たちが「理不尽なこと」を受け入れてしまう「根本原因」の正体
 内藤 朝雄
 なぜ日本の学校から「いじめ」がなくならないのか? 学校と社会はどう違うのか? どうすれば解決するのか?
 「多くの人が意外と知らない『学校』とはなにか…『いじめ』が生まれる『深刻な構造』とは」につづき、いじめ問題の第一人者・内藤朝雄氏がさらなる分析を展開する。
 (※本稿は現代ビジネス編『日本の死角』を一部再編集の上、紹介しています)
 なぜ日本の学校から「いじめ」がなくならないのか…たった2つの「シンプルかつ納得の理由」
 © 現代ビジネス
 全体主義が浸透した学校の罪と罰
 学校は「教育」「学校らしさ」「生徒らしさ」という膜に包まれた不思議な世界だ。その膜の中では、外の世界では別の意味をもつことが、すべて「教育」という色で染められてしまう。そして、外の世界のまっとうなルールが働かなくなる。
 こういったことは、学校以外の集団でも起こる。
 たとえば、宗教教団は「宗教」の膜で包まれた別の世界になっていることが多い。オウム真理教教団(1995年に地下鉄サリン事件を起こした)では、教祖が気にくわない人物を殺すように命令していたが、それは被害者の「魂を高いところに引き上げる慈悲の行い(ポア)」という意味になった。また教祖が周囲の女性を性的にもてあそぶ性欲の発散は、ありがたい「修行(ヨーガ)」の援助だった。
 また、連合赤軍(暴力革命をめざして強盗や殺人をくりかえし、1972年にあさま山荘で人質をとって銃撃戦を行った)のような革命集団でも、同じかたちの膜の世界がみられる。
 そこでは、グループ内で目をつけられた人たちが、銭湯に行った、指輪をしていた、女性らしいしぐさをしていたといったことで、「革命戦士らしく」ない、「ブルジョワ的」などといいがかりをつけられた。そして彼らは、人間の「共産主義化」「総括」を援助するという名目でリンチを加えられ、次々と殺害された。
 学校も、オウム教団も、連合赤軍も、それぞれ「教育」「宗教」「共産主義」という膜で包み込んで、内側しか見えない閉じた世界をつくっている。そして外部のまっとうなルールが働かなくなる。よく見てみると、この三つが同じかたちをしているのがわかる(図1)。
 日本の学校の「深すぎる闇」…私たちが「理不尽なこと」を受け入れてしまう「根本原因」の正体
 © 現代ビジネス
 このようにさまざまな社会現象から、学校と共通のかたちを取り上げて説明するとわかりやすい。あたりまえすぎて見えないものは、同じかたちをした別のものと並べて、そのしくみを見えるようにする。たとえば、学校とオウム教団と連合赤軍をつきあわせて、普遍的なしくみを導き出すことができる。
 なぜ「理不尽」を受け入れてしまうのか
 こうして考えてみると、学校について「今まであたりまえと思っていたが、よく考えてみたらおかしい」点が多くあることに気づく。
 これらのポイントに共通していえるのは、クラスや学校のまとまり、その場のみんなの気持ちといった全体が大切にされ、かけがえのない一人ひとりが粗末にされるということだ。全体はひとつの命であるかのように崇拝される。
 この全体の命が一人ひとりの形にあらわれたものが「生徒らしさ」だ。だから学校では、「生徒らしい」こころをかたちであらわす態度が、なによりも重視される。これは大きな社会の全体主義とは別のタイプの、小さな社会の全体主義だ(図2)。
 日本の学校の「深すぎる闇」…私たちが「理不尽なこと」を受け入れてしまう「根本原因」の正体
 © 現代ビジネス
 大切なことは、人が学校で「生徒らしく」変えられるメカニズムを知ることだ。それは、自分が受けた洗脳がどういうものであったかを知る作業であり、人間が集団のなかで別の存在に変わるしくみを発見する旅でもある。
 ある条件のもとでは、人と社会が一気に変わる。場合によっては怪物のように変わる。この人類共通のしくみを、学校の集団生活が浮き彫りにする。
 学校の全体主義と、そのなかで蔓延しエスカレートするいじめ、空気、ノリ、友だち、身分の上下、なめる―なめられる、先輩後輩などを考えることから、人間が暴走する群れの姿を明らかにすることができる。学校という小さな社会の全体主義とそのなかのいじめを考えることから、人間の一面が見えてくる。
 わたしたちは長いあいだ、学校で行われていることを「あたりまえ」と思ってきた。あたりまえどころか、疑いようのないものとして学校を受け入れてきた。
 だからこれを読んだ読者は、「こんなあたりまえのことをなぜ問題にするのだろうか」と疑問に思ったかもしれない。だが、その「あたりまえ」をもういちど考え直してみることが大切だ。
 理不尽なこと、残酷なことがいつまでも続くのは、人がそれを「あたりまえ」と思うからだ。それがあたりまえでなくなると、理不尽さ、残酷さがはっきり見えてくる。逆にあたりまえであるうちは、どんなひどいことも、「ひどい」と感じられない。歴史をふりかえってみると、このことがよくわかる。
 これを読んで心にひっかかっていたものが言葉になったときの、目から鱗が落ちるような体験を味わっていただければと思う。
 なぜ日本の学校から「いじめ」がなくならないのか…たった2つの「シンプルかつ納得の理由」
© 現代ビジネス
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 5月26日 MicrosoftStartニュース プレジデントオンライン「『こころ』も『羅生門』も不要なのか…高校国語で"文学"がどんどん減っていくことの大きすぎる弊害
 齋藤 孝
 ※写真はイメージです
 © PRESIDENT Online
 文学はビジネスの役に立たないのか。明治大学教授の齋藤孝さんは「文学が非実用的・不要不急だというのは残念な誤解だ。文学は仕事に必要な『人の気持ちを読み取る力』を育てることができるものだ」という――。
※本稿は、齋藤孝『格上の日本語力 言いたいことが一度で伝わる論理力』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
 高校現代文が「文学国語」と「論理国語」に分かれる
 文学というと「非実用的」「不要不急」というイメージを持ってしまう方が少なくないようです。これはとても残念な誤解です。
 その誤解が、いま国語教育の現場でも広がっています。高校の現代文の領域では、契約書や自治体の広報といった実用文の読解を中心とする「論理国語」と、これまでのような小説などを中心とした「文学国語」に分かれ、大学入試や単位システムの問題から、ほとんどの生徒が「文学国語」を取らず、「論理国語」のみを学ぶことになるのではないか、と危惧されています。
 これは文部科学省が2018年に告示し、2022年春にスタートした新学習指導要領にもとづいた政策です。
 こうした選択制がはらむ危険性はきわめて高いと考えます。というのも、選択しなくて済むなら生徒は自分の苦手な科目は勉強しなくなってしまうものだからです。論理国語のみを選択すれば文学国語は弱くなり、文学国語のみを選択すれば論理国語が弱くなるのは必然です。私は、「論理国語」と「文学国語」を選択制にするのではなく、これまでのように高校1年では「国語総合」を必修とした上で、2年生以降で、発展的な内容を学ぶ際も、文学的テキスト、評論文、古典など満遍なく読むようにすべきだと思います。
 実用的な文章が必要なら、加えればいい
 もし実用的な文書を読む力や、社会の中で起きていることに対応していくことがより必要だ、というなら現状の国語の中にそういう部分を加えれば良いわけです。文学的な文章と、実用的な文章を分け、ゼロかイチかを迫るような必要はありません。
 思い起こすのは、1990年代から高校で本格的な理科・社会の科目選択制が採り入れられた失敗例です。たとえば、1970年頃までは普通科に通う高校生の9割が物理を履修していましたが、現状は1割台に低下しています。
 学校というのは本来、家庭ではうまく継承することのできない、文化的に非常に価値のある「文化遺産」を継承していく場所なのです。物理学という、人類の智が集められた文化遺産を、高校生の8割以上が勉強することなく卒業していくのは由々しき事態です。国民のほとんどが「物理」の何たるかを知らないのに、「科学立国」を唱えてもムリがあります。
 同じように、数学も文化遺産ですし、国語においても『源氏物語』や漢文、そして夏目漱石に代表される近代文学文化遺産です。生徒に得意分野だけをつまみ食いさせるのではなく、すべてを必修で学ばせるべきです。
 国語が「心を強くする」役割を担ってきた
 もし教育政策を決めている人たちが、「文学」は実用的ではないと考えているなら、実用的とか社会で役に立つ、ということをあまりに安易に考えすぎていると思います。
 いま日本社会で求められている力は、パソコンの取り扱い説明書を理解したり、お客さんの注文にマニュアル的に応えたりする、といった能力ではありません。そういったAI(人工知能)にまかせられるような能力ではなく、インターネットで「検索」しても出て来ないような、「想定外」の状況にどう柔軟に対処していけるかどうか、という「生きる力」です。その土台となるのが「心の力」なのです。
 心が弱ければ、どんな仕事も長続きしません。逆に心が強ければ、失敗をしてもそこから学び、仕事を覚えていくことができます。心を強くするのは、道徳だけでは担いきれません。そもそも高校に道徳は、教科としては存在しないのです。これまでその分野を担ってきたのが、実は国語だと私は思っています。夏目漱石の『こころ』や芥川龍之介の『羅生門』や中島敦の『山月記』を読むことで、人間の心の複雑なメカニズムを学び、心の基礎体力をつけることができるのです。
 仕事のできる人は「人の気持ちがわかる」
 仕事をする上で、国語力は非常に役にたちます。というのも、仕事で重要なことは、相手の感情の動きをとらえることだからです。会議の中でも、いまこの人の心情は賛成に傾いているのか、反対に傾いているのか、様々な心理的要因を汲み取りながら、その場で臨機応変に読み取ることができない人は仕事が不自由になります。
 売る側から買うお客さんの側に、立場を変換して考えてみたり、柔軟に提案の仕方を変えてみたり、といったことは、これからますます大切になってくる「コミュニケーション力」の基礎です。コミュニケーションの基礎になるのは、「人の気持ちがわかる」ということです。
 「ああ、こういうことを言うと、人は傷つくんだな」とか、「今この人はこんな表情をして、言葉では表面上こんなことを言っているけれど、内心はこうなんだろうな」とか、心の繊細な部分を感じ取るのは文学の専門なわけです。
 そうしたことは契約書や会議の議事録では勉強できません。すぐれた文学は、読者の目の前で事態が同時進行的に動いていくわけですから、まさに「生きた教材」なのです。
 これまでも「想像力」を育てる試みは行われていた
 もちろん、新学習指導要領の「問題発見、解決能力」「提案力」といった部分をより強化しなければならない、という方向性は間違っていないと思います。そして問題発見や、提案をするための前提となるのが、「想像力」です。
 ただ、そこはこれまでも授業の中で色々な試みが行われてきたのです。たとえば『羅生門』のラストは、「下人の行方は、誰も知らない」となっていますが、「その先がどうなるか、続きを考えてみましょう」とか、森鴎外の『高瀬舟』を読んで、この時代から安楽死が問題になっていたんだ――、どうすべきか自分なりに考える、といった授業も可能でしょう。あるいは新聞を題材に、実用的な日本語を読解し、論点を見出すような授業も実践されています。
 しかし、そうした問題発見・提案型の取り組みが今ひとつ目立たなかったのは、主観的な部分が含まれるので採点がしにくく、入試には馴染みにくかったからです。
 架空の高校の「生徒会の規約」を読み解く例題
 2021年から、大学入試センター試験に代わり、「大学入学共通テスト」がスタートしました。国語の出題方法も大きく変わると見られていましたが、小説作品が2年連続で出題されたことは歓迎すべきでしょう。しかし本番に先立って行われたプレテスト(試行調査)を見る限り、実用的な志向が強く打ち出されています。たとえば架空の高校の生徒会の規約を読み解き、その規約を改めようとする生徒と教師の会話をもとに、記述式の解答をする、といった例題が出されました。
 では、こうした問題作成の方向性は、論理的思考力を測り、実践的な日本語運用能力を高めることにつながっていくのでしょうか?
 試験というのは、それが何の力を測るためか、ということ以上に、その試験に向けてどんな準備をすればよいかが明確になっていることが必要です。私は大学の新入生に毎年聞いていますが、彼らは全員これまでのセンター試験はよくできていて、それに向けてどんな対策が必要かは分かっていた、と答えます。しかし、共通テストの問題点は、それに向けて準備をするのが難しいということです。また、「現代国語」しか教えたことのない国語教員の間では、「論理国語」に対する当惑が広がっている、というのが本当のところではないでしょうか。
 文化遺産の継承という役割が疎かになる
 単に、PISA型学力に対応しなければならない、といった場当たり的な出題では、予備校的な受験対策で簡単に見切られてしまい、生徒はそのマニュアルだけを覚えていくことになっていくかもしれません。あるいは学校現場も共通テストの出題をにらみながら、より得点を取りやすいよう教える中身をシフトさせていく、といった可能性もあります。それでは、本当に日本語能力を高めるのとは、むしろ逆行することになります。
 漱石や鴎外のような文豪の作品、あるいは『源氏物語』や『枕草子』のような古典的な作品は、作者の人格の大きさ、文学世界の広さから来る「凄み」があります。現代的な話し言葉に近づいた文章ばかりが教科書に載るようになると、離乳食のようになってしまいます。ましてや、契約書のような、誰が書いたかもわからないような文章ばかりを読まされるようになると、国語が担ってきた文化遺産の継承という役割がきわめて疎かになる。そこを、私はいちばん危惧しています。
 国語力を高めるためには、「文は人なり」を実感できるテキストが大切なのです。

                    • 齋藤 孝(さいとう・たかし) 明治大学文学部教授 1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業後、同大大学院教育学研究科博士課程等を経て、現職。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。ベストセラー作家、文化人として多くのメディアに登場。著書に『孤独を生きる』(PHP新書)、『50歳からの孤独入門』(朝日新書)、『孤独のチカラ』(新潮文庫)、『友だちってひつようなの?』(PHP研究所)、『友だちって何だろう?』(誠文堂新光社)、『リア王症候群にならない 脱!不機嫌オヤジ』(徳間書店)等がある。著書発行部数は1000万部を超える。NHK Eテレにほんごであそぼ」総合指導を務める。 ----------

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 5月26日 YAHOO!JAPANニュース Forbes JAPAN「日本の教育現場が「ブラックすぎる」と言われるわけ
 日本の教育現場が「ブラックすぎる」と言われるわけ
 今年度の始業時点での教員不足は、小学校で20.5%、中学校で25.4%にものぼる
 教育は、将来を担う若者を育成するうえでとても重要な役割を担っている。
 日本の教育制度は海外で評価され、実際にエジプトで導入されている一方で、国内では教員に関する多くの問題が山積みになっている。
 今回は、日本の教育現場にどんな問題があるのか解説していく。
■教員不足が顕著
 末冨芳・日本大学教授らの共同調査によると、今年度の始業時点で教員不足が生じている割合が、小学校では20.5%、中学校では25.4%にも上ったそうだ。
 不足している教員の穴は、本来学級担任でない教員を充てたり、教科の免許を臨時で発行し対応したりしているとの回答が多かった。
 こういった状況が続けば、教育の質の低下は免れず、学校教育の在り方自体が問われるようになるかもしれない。
■残業が多すぎる
 教員不足の要因の1つとして、労働環境がブラックな傾向にあり、新しく教員を目指す人が減ってきていることがあると考えられる。
 文科省が令和4年度に実施した調査によると、国が残業の上限として示している月45時間を超えて残業している教員は、中学校で77.1%、小学校で64.5%もいるようだ。また「過労死ライン」と言われる月80時間の残業に相当する可能性のある教員は、中学校で26.6%、小学校で14.2%もいる。
■過去には過労で亡くなった教員も
 今から17年前には、過労により亡くなった教員もいる。その教員は当時、生徒指導専任を始め17にも及ぶ業務を担当しており、その中の半分は「責任者」だったようだ。亡くなる1カ月前の時間外労働は、なんと208時間にも及んでいた。
 この教員の妻は、TBSの取材に対し、今も教員の長時間労働が変わらない現状を見て「今もまったく同じことが起きている。働き方をちゃんとしないといけないと思う」と話している。
■コロナ禍が終わり事態はさらに深刻に?
 こうした状況に対し、教員の働き方に詳しい立教大学の中原教授は、NHKのインタビューで「教員の勤務時間が異常に長く、現場で取り組むには限界が来ている」と指摘。今後は、国が法律や仕組みを整えて変革を進める必要があると話している。
 コロナ禍が終わり中止していたイベントが復活することで、教員の勤務時間がさらに増加するリスクもある。
 教育の質の低下の影響
 教員の問題は長年指摘されてきたが、未だにその多くが改善されていない。
 結果として教員不足が深刻化し、将来を担う子どもたちが適切な教育を受けられなくなる可能性が高まっている。
 学校教育は日本の未来を支える重要な役割を担っているため、多くの人が教員を目指すよう、国はより力を入れて制度の改善に取り組まなければならない。
■教員の部活動の負担軽減
 国は、教員の部活動に関する負担を軽減する目的で、休日の部活動の指導を地域のスポーツクラブに移行する取り組みを始めている。
 部活動の指導の時間を減らしたいと考えている教員は57.2%おり、地域社会や民間企業に部活動をゆだねるべきだと考えている教員も51.2%いる。
 ただ、地域への移行によって金銭的な負担が増え、スポーツを続けることができなくなるという生徒もおり、経済的な問題に対する解決策も模索する必要がある。
■日本の未来のために
 教員の労働環境を改善するためにはどうすればよいのか、また、教員志望者を増やすにはどのような施策が必要なのか。
 日本の未来のために、国を挙げて向き合わなければならない。
【参考】
朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASR5B4R91R5BUTIL01K.html
NHK
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230428/k10014052081000.html
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230428/k10014051861000.html
参議院
https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2019pdf/20191101018.pdf
・TBS NEWS DIG
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/461965?display=1
・ベネッセ教育総合研究所
https://berd.benesse.jp/up_images/research/Sido_SYOTYU_05.pdf
 ※この記事は、2023年5月にリリースされた「エシカルな暮らし」からの転載です。
 エシカルな暮らし
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