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2023年7月26日 MicrosoftStartニュース 東洋経済オンライン「中国が圧力?インドネシア「日本の中古電車禁止」 外交弱まる中、民間が築いた信頼維持できるか
高木 聡
2012年10月、ジャカルタに到着した元東京メトロ千代田線の車両。この編成は今後、更新の対象となる予定(筆者撮影)
© 東洋経済オンライン
政府高官は「中国の圧力」否定するが…
インドネシア政府は6月22日、日本からの中古車両輸入を禁止するとの最終決断を下した(2023年7月19日付記事「インドネシア『日本の中古電車輸入禁止』の衝撃」)。これで、首都ジャカルタの通勤輸送を支えてきた日本製中古車両の導入は完全に終了し、今後は国産メーカーである国営車両製造会社(INKA)製車両の導入へ切り替わる。
【写真12枚】2012年10月、貨物船でジャカルタに到着した元東京メトロ千代田線の車両など。元JR東日本、元東急・・・現地で活躍する日本の中古車両。
政府決定の後、CNNインドネシアは海事投資調整庁次官への取材で、日本から中古車両を輸入した場合、ジャカルタ―バンドン高速鉄道建設に対する追加融資を拒否すると中国政府が圧力をかけたという情報を得ていると問いかけた。次官はこれを否定しているが、真偽のほどは不明である。
ただ、中国が実際には圧力をかけていないとしても、インドネシア側がそれを憂慮したというのは十分に考えられるであろう。そして、次官の発言から明らかなのは、今回の決定にはあらゆる外国産品への規制を強化する大統領令に反するイレギュラーは一切認めないという工業省の意向が最大限に反映されたということである。
しかし、ジャカルタ首都圏の通勤路線を運行するKCI(KCI Commuter Line)は3月、INKAと正式に新型電車12両編成16本の発注契約を済ませている。この費用には国家予算が投じられるが、これに加えて中古車両をKCIの予算で追加導入したところで政府には何の痛手も生じないはずで、反対される筋合いはなかった。KCIも、最終的には中古車両輸入は許可されると踏んでいた。実際、2023年6月1日のダイヤ改正では、中古車両の導入を見越して空スジ(列車増発が可能なよう確保したダイヤ)が多数用意されていた。
ここまで工業省がKCIに対して強気に出るのにはもう一つ理由がある。2022年5月に、KCIはINKAとの間で国産通勤電車12両編成16本の調達覚書を結んだ。これは、スイスのメーカー、シュタドラーとINKAの合弁会社「シュタドラーINKAインドネシア(SII)」が車両を製造することを前提としていた。
INKAは2019年1月にシュタドラーとの提携を発表し、ジャワ島最東端のバニュワンギで新工場の建設に着手した。土地と建屋はインドネシア側が、生産設備と技術移転をシュタドラーが準備することになっていた。この提携を取り持ったのが工業省である。その裏で工業省はシュタドラーに対し、日本製中古車両によって占められている約1000両に及ぶジャカルタ首都圏通勤車両の増備車と置き換え用の車両をISSに受注させると約束していたことが明らかになっている。
シュタドラーINKAインドネシア(SII)が設計したKCI向け電車のイメージ(画像:筆者所蔵)
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一方、KCIはインドネシアでの使用環境に合致しないヨーロッパ仕様の車両に対して不信感を抱いていた(2022年5月18日付記事「『日本の牙城』ジャカルタ鉄道に迫る欧州勢の脅威」)。政府が仲立ちする形で強制縁談のごとく覚書が結ばれたものの、これはその後、結局破談に至った。KCIはSII製車両の導入を最後まで拒み続け、INKAに対して日本仕様、日本製の主要機器の採用を条件に国産車両の導入を容認した。
工業省の強硬な態度は「腹いせ」か?
そしてKCIとINKAの間で結ばれたのが、今年3月の正式契約である。その際の国産車両のイメージ図にシュタドラーが提案した車両の姿はすでになく、先頭部が切妻式の日本の通勤電車然としたものに代わっていた。
2023年3月にINKAが公開したKCI向け通勤電車。日本の技術を採用することを前提としている(画像:INKA)
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一方のシュタドラーは、ジャカルタ案件を受注できなかったことでバニュワンギ工場への設備投資を完全に取り下げた。同工場は建屋のみ完成したが、中身は空っぽである。工業省とシュタドラーの間での口約束は果たされないものになり、SIIは事実上、空中分解した。いわば、工業省はKCIの抵抗によって顔に泥を塗られたも同然である。
KCIがSII製車両を受け入れていれば、コロナ禍による1~2年の遅れは生じたものの、2024年には国産新型車両が調達されるはずであった。約束を反故にされた工業省は、KCIに対して腹いせ的に強硬な態度を取っていたわけである。日本に対して中古車両輸出と新車のダブルで蜜を吸わせたくないという思惑もあるだろう。
ちなみに、今後の新型通勤電車の製造も、予定通りバニュワンギ工場を使用することになっており、機材調達を含めた新車両製造、また既存車両の更新用の予算として、政府は9.3兆ルピア(約875億円)を用意することをほぼ決めている。
また、2024年の導入を目指す「つなぎ」となる輸入新車について、KCIはJR東日本の通勤車両をベースとした車両の導入を希望している。国産新車は、この輸入車両を元にしたノックダウン生産になる可能性が極めて高い。輸入新車は3~4編成を導入する予定だが、この数は中古車両導入用に確保していたKCIの予算を流用するものと思われる。中古車両価格(輸送費含む)は新車の10分の1程度というのがざっくりとした考え方で、この数はちょうどつじつまが合う。
KCIのアン・プルバ副社長は、2023年の8月から9月にかけて契約を結び、納期は14~15カ月を希望しているという。また、国産新車は追加パッケージとして、8編成増やし、計24編成にする用意があるという。
元東京メトロ05系のチョッパ制御車両。写真の104編成はすでに運用離脱しているが、今後機器更新の対象になるのかどうか注目される(筆者撮影)
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日本政府の冷ややかな反応
ただ、ここまでインドネシアでは世論が過熱し、世間の注目を浴びていた問題に、日本政府の反応は冷ややかであった。中古車両輸入の是非に対して関与しないというスタンスで、無関心を決め込んだ。いや、正しくは、2022年末時点で本件に関してほぼ何も知らなかったと言っても過言ではない。
日本にとって重要地であるインドネシアには、現地政府との調整役、また専門調査官として数十年来にわたって継続的に国土交通省から人員が派遣され、JICAや大使館に配置されている。このような例は極めて異例である。本来であれば、2020年以降の国産新車への切り替えという動きをいち早く察知し対応しなければならなかったはずだ。にもかかわらず、INKAをシュタドラーと組ませてしまった。
今回の中古車両輸入禁止の件にしても、中国の動きに多少なりとも翻弄されている。本当に中国が高速鉄道融資を引き合いに出していたのならば、完全に外交負けである。もっとも、中古車両の輸入は、下手をすれば日本が廃棄物を売りつけていると解釈される可能性をはらんでおり、細心の注意を払って扱わなければならない問題である。現地側の意向抜きに無理に動かせば批判を受けることになり、政府としては関与しないという方針はある意味で正解ではある。
しかし、今回の状況を見れば、インドネシアの世論も政府も、ほぼ中古車両輸入賛成の方向を向いていた。ネックとして残ったのは、中国の出方と工業省の態度である。
日本政府とて、インドネシアに対して切れるカードを持っていないわけではない。とくに近年は電気自動車の組み立てやバッテリー生産、また新首都ヌサンタラの開発に対して、投資の面でも協力していくことを確認している。それとも、日本からの投資が消えたところでもはや影響はないと思われるほど、日本の経済的地位は落ちぶれたというのだろうか。少なくとも、中国というワードをちらつかされたことに対しては、日本政府は屈辱を感じるべきである。インドネシア政府に完全になめられていると言わざるをえない。
しかも、実はとある自民党の三世議員が5月、中古車両輸入反対を声高に叫び続けた最右翼であるアグス・グミワン・カルタサスミタ工業大臣に直々に面会しているのである。しかし、主な議題は先述の通りの電気自動車関連、また再生可能エネルギー分野での投資協力などだったようで、それ以外の交渉はなかった。そもそも、その議員が中古車両云々の話を知る由もなく、実情を知らないのだから交渉のしようもない。言い方は悪いが、これでは工業大臣の「金づる」になりに行ったようなものだ。
貨物船でジャカルタに到着した元東京メトロ千代田線の車両=2012年10月(筆者撮影)
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2013年以降、中古車を新たに導入した中古車で置き換えるフェーズに入っており、すでにおよそ500両が現地で廃車されている(筆者撮影)
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この議員の父と祖父は日本と東南アジア、特にインドネシアとの関係を取り持つ重鎮として知られる人物である。今回はこの世代交代と次世代の両国間の懸け橋になるべく、インドネシアを訪問した。当人は日本とインドネシアの関係の先細り、中国の影響に危機感を感じているとして、新たな関係構築の必要性を訴えている。しかし、この体たらくである。しかも、その突破口を、親中派と目されるジョコウィ大統領のイエスマンたるアグス大臣としたいと言うのだから外交センスを疑わざるをえない。
なぜアグス大臣を突破口にするという発言が飛び出すのかといえば、同大臣はインドネシア日本友好協会のギナンジャール・カルタサスミタ会長の息子だからである。先述の議員の父と祖父はギナンジャール氏とのつながりは深い。その関係性をそのまま下の世代に受け継がせた完全なる前例踏襲で、目新しさは何もない。
「戦後賠償」外交から脱せない日本
ギナンジャール氏が日本との関係性を持つことになったきっかけは、戦後の賠償留学生1期生として日本に留学したことである。戦後賠償の一環として東南アジア各国に賠償留学制度が創設されたが、インドネシア政府の意向で1960年~1965年にかけて同国は最多の賠償留学生送り出し国となり、その数はおよそ380人にも及んだ。
その多くは政治家や役人、軍人の息子などで、帰国後は政府の中枢を担う人物も多かった。知日家、親日家をそのように作り出すことで、当時の日本は東南アジア各国との関係性を強化していた。ギナンジャール氏もその1人で、1998年の政権崩壊まで30年以上続いたスハルト大統領の軍事政権下で政府要職を歴任した。
開発独裁と呼ばれたこの時代、日本はインドネシアに対して無敵ともいえる影響力を持っていた。しかし、民主化が進めば進むほど、現地政府へのコネクションは弱まっていくことになる。もっとも、これはインドネシアに限ったことではなく、東南アジア全体で起きている問題である。
さて、6月17日から23日の日程で、天皇皇后両陛下が、即位後初となる国際親善先としてインドネシアを訪問された。最初の行き先として同国が選ばれるのは恒例となっており、上皇陛下ご夫妻も1991年に即位後初の親善の場として訪問されている。それほどまでに日本にとっては重要なパートナーであるということを示している。
しかし、インドネシアにとって日本は重要なパートナーではなくなりつつある。そのような中で、天皇陛下も両国の若者の交流が深まることへの期待を強く述べられた。これはごもっともである。しかしながら、そのご訪問日程に目新しいものはなく、先述のギナンジャール氏にゆかりのある場所、人物が多かった。最大の目的であった若者との交流も、同氏の影響下にある私立大学で行われた。
しかも、聞くところによれば、両陛下と若い世代との交流に対して、同氏は前向きではない様子であったという。戦後80年を迎えようとする中、未だに戦後賠償の呪縛にとらわれ続ける、いや、それ以外の外交ツールを持とうとしない日本の行く先が案じられる。そして、6月22日にルフット海事投資調整大臣から発せられた中古車両輸入禁止宣言により、それを現実のものとして実感した。
日本型鉄道輸出の「聖域」守れ
ともあれ、不幸中の幸いは、日本からの中古車両の輸入が途絶えてもなお、新型車両に日本の技術が引き継がれることである。KCIの踏ん張りのおかげで、日本にとって最悪の事態は免れた。20年以上の長きにわたり中古車両が絶え間なく送り込まれ、個人の善意による草の根レベルのサポートから始まり、そして本格的な鉄道ビジネスパートナーとしての信頼関係が築かれたことが大きいだろう。まさに民間外交が勝ち取った果実である。
ジャカルタに導入された中でも最古参となる元東急8000系。車齢は50年を超える(筆者撮影)
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課題はKCIが求める短期間での納入に日本の車両メーカーが応じられるかどうかだ。順調に進めば、1997年以来、実に約25年ぶりにINKAを活用した日本の車両メーカーのノックダウン生産が実現する。これまで根こそぎヨーロッパメーカーに奪われていた部分を奪還するチャンスである。当初は日本政府はもちろんのこと、日本の車両製造業界ですら反対の声を上げていた中古車両輸出だが、結果的には中古車両の存在に救われた格好である。
短納期のみならず、インドネシア側からの無理難題な要求は当然ありえるだろう。そして何より、INKAの工場でインドネシア人によって日本品質の車両を製造するのは並大抵のことではない。単にパーツや電機品を納入して完了とはならない。たった24編成の製造では、さほどの利益は出ないかもしれない。
しかし、先代のたゆまぬ血と汗のにじむ努力によって守られてきたこのマーケットをみすみす手放していいものか。これはKCIからの最後のラブコールである。リスクを語るだけでは何も始まらない。今こそ、メーカー、そしてサプライヤーが一丸となり、中古車両に頼らない次なる段階へと引き上げるときである。唯一無二の日本型車両の聖域を守れるかどうかは、日本側の本気度にかかっている。
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