📉41】─2・C─優秀な若手人材を中国へ追いやる悪しき講座制。~No.88 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本の凋落は、文化マルクス主義者が日本を動かし始めた1980年代後半のバブル経済時代にあった。
 それが、日本を最先端科学技術国家から発展途上国並みの技術貧困国家へと貶めたガラパゴス化現象、蛸壺化であった。
 文化マルクス主義者とは、「人の幸せとは金銭ではなく、豊かさでもない」という経済発展否定論者・経済的困窮甘受論者であった、戦前の贖罪として中国や韓国に人材や科学技術を譲渡して日本以上に経済大国に押し上げようとした国際的理想主義者であった。
 日本の衰退を招いた原因は、1980年代以降に日本を動かし始めた超エリート層と言われる高学歴の政治的エリートと進歩的インテリ達で、彼等は日本国や日本民族そして天皇家・皇室の事など考えていない。
 それは、2020年代の現代でも変わらない現実である。
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 2023年7月13日5:21 YAHOO!JAPANニュース 東洋経済オンライン「理化学研究所が逸材を中国に流出させたアカハラの全貌、講座制のもとで若手研究者が直面する不条理
 理化学研究所にいた「天才」とも称される30代の研究者は、若手が抑圧される環境を嫌って日本から出ていった(記者撮影)
 国立の研究開発組織であり、日本で唯一の自然科学の総合研究所として知られる理化学研究所(理研)。この春、ある30代の研究者(以下、A氏)が理研を去り、中国の大学に移籍した。
【写真】理研理研は「若手の育成に注力する」とうたっているが
 A氏はこれまで、東京大学総長賞、文部科学大臣若手科学者賞を受賞したほか、とくに優れた若手研究者が政府から支援を受けられる卓越研究員への採用、英国の名門科学誌・ネイチャーへの論文掲載と、若くして数々の実績を上げてきた逸材だ。それほどの人物が、なぜ日本から出ていったのか。
 事情に精通する複数の理研関係者への取材から見えてきたのは、権力を握る重鎮の研究者が若手研究者の自由な研究活動や論文発表を阻む、アカデミックハラスメント(アカハラ)の問題だ。その背景には日本独特の「講座制」による、研究者間での強い上下関係がある。
 若手研究者が論文を書いて科学誌などに出したくても、重鎮の研究者から待ったをかけられ、2年、3年以上も塩漬けにされる――。
 A氏も、A氏の周辺でも長らく、そんな状況が続いていた。やがて、A氏の我慢は限界を迎えることになる。
■しぶしぶ受けたオファー
 A氏は2013年4月に理研に入った。理研は2016年に有期雇用の期間の上限を通算10年までとするルールを設けたため、以降、A氏は2023年3月末を更新の上限とする1年契約を毎年結ぶ形での雇用形態になった。
 2017年の終わりごろ、一つの転機が訪れる。重鎮の研究者のB氏に、2018年10月から研究主宰者(自分の研究室を持てる立場)であるユニットリーダーのポストに就いて卓越研究員にならないか、と勧められたのだ。
 卓越研究員は、文部科学省が審査したうえでとくに優秀な若手研究者を選抜・認定し、安定かつ自立して研究を推進できるよう、国が雇う側に研究費用を支援する制度だ。
 ただ、理研のこのポストで卓越研究員になるには、公募条件として7年の任期が必要だった。A氏の場合、2023年3月末までの残りの雇用期間は4年半しかない。だが、B氏からは口約束で「この話を受ければ(公募条件の7年に近い)2025年3月末までの6年半は理研で研究をできるようにする」ともちかけられた。
 B氏は理研で副センター長を務めると同時に、東京大学から専門分野においてとくに優れた業績を挙げ先導的な役割を果たしているとして「卓越教授」の称号を授与された権威だ。A氏の学生時代の指導教官でもあった。A氏は、気は進まなかったが断ることも難しくオファーを承諾した。
 文部科学省の審査は難なく通り、A氏は2018年10月に理研のユニットリーダーとして卓越研究員になった。ただ、同僚によると、A氏は「研究のアイデアをB氏に吸い上げられる。論文も自由に書かせてもらえない」とこぼし、かねてからB氏の元を離れたがっていたという。
 B氏と働いたことのある研究者によると、「B氏は自分の手を通さない論文を勝手に出すことを認めようとはしなかった」。しかも、B氏は論文をすぐにチェックすることはなく、多忙を理由に長い間待たされる。「中でも、B氏があまり好まない研究テーマや、かわいがっていない研究者の論文は後回しにされる」(同前)という。
■過去にも意見した若手はいたが…
 この状況に不満を持っていたのは、A氏だけではない。A氏が所属した研究センターが理研で発足する際に、ある事件が起きていた。B氏と一緒に働く複数のチームリーダーがB氏に、「JACS(アメリカ化学会誌)以下のジャーナルへの論文は自分たちの判断で自由に出させてほしい。論文を出せなくてみんな泣いている」と連名で訴えたのだ。するとB氏は激怒し、チームリーダーの1人は理研を辞めた。
 その結果、研究センターには誰も所属しないチームが形式上存続するという異常な状態が5年間も続いた。このようなことを黙認したのは、B氏と同じく東京大学の卓越教授である、盟友のセンター長だった。
 なぜ、B氏はそれほどまでに若手研究者に論文を自由に出させたがらないのか。それは、上に立つ研究者にとっては論文に干渉することに、大きなうまみがあるからだとみられる。
 研究は複数人が関わり、論文は共著になる場合が多い。A氏やB氏が専門とする分野では慣習的に、論文の責任者のうち一番末尾に名前が載るラストコレスポンディングオーサーがとくに重視される。B氏は、若手研究者の論文をチェックして手を入れると、「面倒を見た」という大義名分のもと、いつもこのラストコレスポンディングオーサーに収まっていたという。
 こうした事態は、日本の学術界では珍しいことではない。日本独自の講座制による上下関係があるからだ。簡単に言えば、中心となる指導的立場の研究者がいて、それをサポートする役回りの若手研究者との数人で固定の研究チームになる仕組みだ。たとえば大学では、教授、准教授、助教が1チームとして研究室を構成するのが一般的になっている。
 この講座制の中では、若手には事実上、拒否権はない。任期制の若手の契約更新は指導的立場の研究者の評価や意見に左右されるうえ、そもそも若手には研究を自分の意思だけで進める権限がないため、立場が非常に弱いからだ。
 そして、ひどい場合には、指導的立場の研究者はアイデアをほとんど出さなくなる。なるべく優秀な若手研究者を配下に囲い込み、彼らのアイデアや論文に便乗することで自分の成果を積み上げていく。もちろん、中には講座制がうまく機能しているところもあるだろう。だが、理研を含め、日本のトップレベルの研究機関では、重鎮の研究者が優秀な若手研究者を搾取することが現に起きているのだ。
■ついに完全決別を決意
 関係者によるとB氏は、A氏がユニットリーダーになり、本来は研究主宰者として自由に研究を進めて論文を出せる立場になった後も、A氏にもB氏の研究ミーティングに参加することを強制したほか、論文を許可なく出させないスタンスを変えなかったという。
 耐えかねたA氏は自らB氏との完全決別を決意。「研究者として尊敬できない」という趣旨のメールを送った。これにB氏は激高し、以降、A氏と口をきくことはなかったという。話はここで終わらない。
 A氏は上述通り2025年3月末までの6年半は理研にいられる口約束で、理研のユニットリーダーと国の卓越研究員になった。その一方で、理研からの雇用では毎年、2023年3月末を更新上限とする1年契約の書類にサインさせられる状況が続いていた。
 B氏との決別から少し経った2021年2月。A氏は前出のセンター長からいきなり、契約書を基に「2023年3月末で出ていくように」と告げられた。卓越研究員として、2025年3月末まで雇用するという口約束を反故にされ、書類どおりの雇い止めとなったのだ。センター長からは、A氏がB氏と対立したのが原因であることをほのめかしてきたという。
 理研は卓越研究員としてA氏の雇用を文部科学省に申請した際、文科省の所管で卓越研究員事業を担当する日本学術振興会に、A氏の雇用期間は原則7年間だと伝えていた。つまり、理研は事実と異なる申請によって、卓越研究員の研究支援金を得ていたことになる。
この問題は2023年5月22日に国会でも取り上げられており、永岡桂子文部科学大臣が「(理研からは)報告内容が一部適切でなかったと聞いている。今後、理研にはこのようなことがないよう改善を図ってもらいたい」と答弁している。
 A氏の事案について、理研に事実関係や見解を求めたところ、「現在行っている調査に関する事項、もしくは調査の対象となる可能性がある事項が含まれるため、回答は差し控えさせていただく」(広報)とのことだった。
■講座制が日本凋落の原因
 実は、A氏はいま、自身の雇い止めに関する取材はすべて断っている。理研の五神真理事長に連絡して調査を約束してもらったため、調査に影響を与えたくないことが理由だという。そこで、A氏に日本の研究環境についてどう感じているかを尋ねてみた。
 するとA氏は、「40歳を過ぎて教授になるまでは自由に研究できないのは日本だけ。日本独自の講座制が、日本のアカデミック凋落の主因なのではないか」と指摘した。そのうえで、中国の大学に移った理由については、「いずれ自分が後進の指導をする立場になったときには、講座制はもうやめるべきだと言わなければいけない。そのためにも、実際に講座制ではない海外で研究を経験しなければいけないと思った」と語った。
 理研の雇い止めで日本を去ったA氏だが、それはトリガーとなっただけに過ぎない。問題の本質は、若手の意欲的な研究や論文執筆を阻む、日本独自の講座制そのものにあるのではないか。
 日本は科学技術立国を掲げながら、論文数などの重要指標の世界順位は下がる一方だ。重鎮の研究者の介入によって、優秀な若手研究者が自由に研究したり論文を出したりできない状況が、大きな悪影響を及ぼしているとみられる。その原因となっている講座制の問題に手を付けなければ、日本の科学技術力の浮上は難しいかもしれない。
 奥田 貫 :東洋経済 記者
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