📉71】─7─日本人ノーベル賞受賞者の「日本に帰りたくない」発言に込められた深刻な意味。~No.160 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本で新型コロナウイルスワクチンが完成できなかったのには、それなりの理由があった。
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 科学史に業績を残すような有能・優秀な日本人の学者・研究者・技術者は、沈没する船からネズミが逃げ出すように、自由がなく閉塞感の強い日本国内から開放的で自由がある欧米へと飛び出していく。
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 現代日本は、1990年代のバブル経済崩壊以降年々衰退し、2011年頃からその深刻さが酷くなっている。
 2020年のコロナ禍で、日本が途上国並み・三流国並みになった事が明らかとなった。
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 2021年10月21日号 週刊新潮ノーベル賞『真鍋淑郎』博士『日本に帰りたくない』発言の深刻な意味
 日本中を沸かした、真鍋淑郎博士(90)のノーベル物理学賞受賞。が、その会見の席で出た言葉は、祖国で波紋を呼んだ。『日本に帰りたくない』発言の深意とは。
 真鍋博士は1958年、米気象局の研究員として渡米後、アメリカ国籍を取得し、受賞決定直後の会見で記者から『国籍を変えた主な理由は?』と問われ、笑顔でこう答えたのである。
 『日本では人々はいつも他人を邪魔しないように気遣っています。とても調和的な関係を作っています』
 他方、アメリカでは、
 『自分のしたいようにできます。他人がどう感じるかも気にする必要がありません。私のような研究者にとっては、アメリカでの生活は素晴らしいです。自分の研究のために好きなことができます。私は人生で一度も研究計画書を書いたことがありません。自分の使いたいコンピュータをすべて手に入れ、やりたいことを何度もできました』
 と比較した上で、日本の話に戻り、
 『それが帰りたくない理由のひとつです。なぜなら私は他の人と調和的に生きることができないからです』
 と会場から笑いを取った。ユーモアに包んではいるものの、日本の研究風土に対する批判とも取れるのだ。
 給料は26倍
 『発言を聞いて、当時の取材を思い出しました』
 とは、ジャーナリストの岸宣仁氏。岸氏は20年前、真鍋氏に長時間インタビューした経験を持つ。
 『真鍋先生は大学院修了後、日本の気象台に就職しようとしましたが叶わず、誘われて米気象局に入りました。が、初任給は日本の26倍にもなったそうです。また、当時の上司が雑用を一切引き受け、先生たち若手を研究に専念させてくれたばかりか、10年近く大した論文を書けなくても〝良い研究をしている〟と契約を更新してくれたというのです』
 こうして『長い目』で育てられた真鍋博士は、後にスーパーコンピューターを駆使して地球温暖化予測のモデルを開発。40年間で使った研究費は、実に150億円にも上るという。
 『その後97年、先生は請われて、日本の海洋科学技術センターの領域長のポストに就きますが』
 と岸氏が続ける。
 『わずか4年で退任した。ご自身は言葉を濁していましたが、周囲によれば、縦割り行政と悪平等な予算配分、相手の面子を潰さないよう批判を水際で止める研究風土に疑問を感じていた、と。〝同じ人間がアメリカでできてなぜ日本でできないでしょう〟とおっしゃっていたのが印象的でした』
 こうした来し方を知れば、先の先生の発言が出てくるのも頷ける。
 ノーベル生理学賞・医学賞受賞者の大村智博士も言う。
 『私も両国で研究を行って来ましたが、やはりアメリカでは若い頃から自由に研究をやらせてもらえる風土がありました。先生は日本では好奇心に駆られた研究が少ないともおっしゃっていますが、これも同感です。このままでは基礎的な科学技術が停滞し、国力の低下に繋ってしまう』
 碩学(せきがく)の発言は、お祝いムードに酔う祖国に向けた、痛烈なメッセージとなった」
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