🗡19〗─4─日本海軍の一点豪華主義。巨大潜水空母伊400は原子力潜水艦の原型。~No.61 

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 日本の軍事技術は、量産型大艦巨砲主義ではなく一点ビンテージ一点豪華主義であった。
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 NHK歴史秘話ヒストリア
 2020年08月06日 (木)
 歴史秘話ヒストリア「伊400 幻の巨大潜水艦」
 8月になると、太平洋戦争について思いをはせることが多くなります。今回の番組は、以前制作した番組をもとに、戦時中の日本の潜水艦「伊400」のエピソードについて再編集してお送りしました。
 この回を担当したのは「歴史秘話ヒストリア」制作班のデスクでもある河井雅也ディレクターです。2013年に、ハワイ大学が行っていた伊400の調査を知り、そのスケールの大きさに圧倒されて取材が始まりました。
 伊400の乗組員だった山西義政さんと髙塚一雄さんを、ゆかりの地である呉や横須賀の港にお連れすると、これまで眠っていた記憶がよみがえってきたかのように語り始めたといいます。その時、河井ディレクターは「場所には、記憶が宿るんだなあ」と驚いたそうです。
 お二人の言葉には、当時のみずみずしい感情がほとばしっていて、胸に迫るものがありました。こうした生きた言葉によって語られた事実には、何より説得力がありますね。
 そして、海の闇に包まれながらも、その歴史が確かにあったということを圧倒的な存在感で語る伊400の姿は、私たちに太平洋戦争の記憶を忘れてはならないと、静かに訴えているようにも感じました。
 河井ディレクターは、今回の番組を通して「戦争体験者が少なくなっていく中、伊400のように戦争の記憶を伝える遺物も失われようとしています。そこには、戦争の悲惨さ、時代に翻弄されながらも必死に生きた人たちのドラマがありました。終戦から75年の節目の年に、そのことを少しでも知ってもらいたいんです。」と話していました。
 再編集という形ではありますが、何度でもお伝えしたい逸話です。
 学生時代は、キックボクシングをしていたという河井D。前回放送された伊400ヒストリアのDVDを持つ腕にその面影をみることができます。
 戦後、原子力潜水艦が建造されるまで世界最大だった、伊400。
 以前、私はシカゴ科学産業博物館で、ドイツの潜水艦Uボートを見たとき、その巨体に吸い込まれそうな感覚になり、思わず立ちくらみがしたほどでした。
 伊400はその2倍といいますから、どれほどだったのか・・・・・・。
 今回は、その大きさを実感することができました。スタジオでは、いつものCG空間に伊400をリアルに再現。映像合成で、ちんまり甲板に立つ私自身を見て、こんなに巨大だったのかと驚愕。
 CG作成と合成は、いつもお世話になっているタニスタさんの制作でした。合成をするためには、スタジオに秘密道具をセットするのですが・・・・・・それについては、また今度ご紹介しますね!
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 PRTIMES
 なぜ日本海軍の潜水艦は太平洋戦争で、効果的と考えられていた戦い方ができなかったのか?『歴史群像4月号』発売
 株式会社ワン・パブリッシング
 2021年3月5日 13時30分
 株式会社 ワン・パブリッシング(東京都台東区代表取締役社長:廣瀬有二)は、『歴史群像4月号』を発売いたしました。第1特集では、太平洋戦争において日本海軍の潜水艦はなぜ、潜水艦が最もその力を効果的に発揮できると考えられていた「通商破壊戦」を大規模に実施できなかったのかを徹底分析!その他、第2特集「独ソ戦1942年冬、ふたつの包囲戦:デミヤンスクとホルム~包囲されたドイツ軍はなぜ生還できたのか」、第3特集「島原・天草一揆キリシタンの国を求めた農民たちの“聖戦”」「三好長慶伝~信長に先んじた『最初の天下人』」、カラー記事「徹底取材&イラスト再現 図説・ウラジオストク要塞」など、今号も企画満載です。
 第1特集では、太平洋戦争において日本海軍の潜水艦はなぜ、潜水艦が最もその力を効果的に発揮できると考えられていた「通商破壊戦」を大規模に実施できなかったのかを徹 底分析!
 太平洋戦争で日本軍を打ち負かしたア メリカ海軍太平洋艦隊の司令官チェスター・ニミッツ提督は戦後、日本海軍の潜水艦の運用法について、「主要な武器がその真の潜在能力を少しも把握理解されずに使用された稀有の例」と酷評しました。これは、日本海軍が潜水艦を、その力を効果的に発揮しうると考えられていた任務である「通商破壊戦」、すなわち「敵国の海上交通路上の輸送船を攻撃し、その国の継戦能力を低下させることを狙う作戦」に大規模かつ継続的に投入せず、「艦隊決戦主義」に縛られて、敵の軍艦を沈める任務など、本来潜水艦には不向きな任務に投入し続けたことに対する批判でした。
潜水艦は、ドイツ海軍のUボートがそれによって連合軍から恐れられたように、通商破壊戦に極めて有効とみられていましたが、ニミッツは、日本海軍はその真価を理解していなかったと批判したわけです。こうした評価は戦後の日本においても同様で、現在に至るまで、太平洋戦争期の日本海軍潜水艦の活動に対する一般的な認識となっているようです。
しかし、日本海軍は本当に、潜水艦による通商破壊戦の重要性を理解していなかったのでしょうか。第1特集「分析 日本海軍潜水艦と通商破壊戦~帝国海軍の〝壮大な夢〞とその結末」では、この通説の妥当性について検証します。そして、むしろ日本海軍はある時期には、通商破壊戦を潜水艦の主たる作戦と位置付け、それに適した潜水艦の量産計画まで作って準備を進めていたことなどを明らかにしていきます。そして、なぜこうした準備が現実の作戦に反映されなかったのか、その原因を探っていきます。
 本記事では、戦前から終戦までの時期を対象に、日本海軍が潜水艦をどのように用い、どんな作戦に投入しようと考え、実際にはどういった作戦に投入されたのか。また、どういう目的のためにどのような潜水艦をどれだけ建造しようとし、実際にはどういったものがどれだけ作られたのかを時系列順に見ていくことで、日本海軍の潜水艦についての前述の通説を徹底検証し、従来のイメージとは異なる実像を浮き彫りにします。史料やデータを駆使して通説に疑問を投げかける刺激的な分析記事です。潜水艦に興味のない方も、ぜひご一読ください。
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 2021年11月17日 日経ビジネス「21世紀の米国と世界
 日本は世界一の潜水艦技術を生かせ
 酒井 吉廣 中部大学経営情報学部教授
 日本に原潜の独自開発は可能だが
 雑誌日経ビジネス10月25日号の特集で「防衛タブー視のツケ 静かに消えていく企業」との記事が掲載された。現在、防衛に携わる企業が苦境に陥っているとの内容である。ただ、より重要なのは既に消えてしまった組織で、カーボンニュートラルの目標達成の観点からも、早急に復活させるべきものがある。
 それは、大学・研究機関の原子力関連機器研究である。日本でも小型原子炉の導入議論が高まりつつある。自民党高市早苗政調会長河野太郎広報本部長は総裁選の際に原潜の導入について触れたが、原子力関連機器の研究をしているのが基本的に企業だけになっているため、技術開発の裾野が狭くなり、政治家らも欧米に実例を見に行く必要が出ている。「技術立国・日本」としては信じ難い現実に直面しているのだ。
 日本の技術をさらに進歩させれば、原潜特有の駆動音を静粛化できるかもしれない。日本の緻密な製造技術をもってすれば、ワイオミング州で建設が始まる米国製の小型原子炉以上に安全性の高いものを造れるかもしれない。だが、既に消えた研究組織の復活をしなければ、カーボンニュートラル実現のための原子力の平和利用も、防衛装備の見直しも、結局は絵に描いた餅になってしまう。
 中露は2海峡通過に潜水艦を同行できず
 日本の強みはハードの技術力だけではない。これまで培ってきた、熟練した乗組員や地形などを熟知することを含めた運用のノウハウもある。
 10月23日、中国とロシア軍艦10隻が津軽海峡から太平洋に出て大隅海峡を通って東シナ海に入った。両海峡の公海部分を通過した形で、安保の専門家が「日本の領海に開いた穴」だとして問題視する場所だ。米国の核搭載艦船が非核三原則を持つ日本を通るための抜け穴であり、中国が第一列島線アリューシャン列島から日本、台湾、フィリピンを結ぶ線)を越えて太平洋に出るための穴でもある。
 中国・ロシアの軍艦数や航路は自衛隊が取得した情報で、そこに潜水艦は含まれていなかった。それが分かるのは、津軽海峡では潜水艦も浮上して航行する必要があるからだ。同海峡は、入り口の両岸距離が19キロと狭く、深度は青函トンネル最深部の真上で140メートル。しかも日本列島特有の凸凹が多数あり、公海部分は太平洋側付近で40度ほど右折する。
 従って、潜水艦が潜航したまま通過するには低速度のジグザグ航行をする必要があるが、それでは公海部分からはみ出て日本の領海を侵犯してしまう。これを避けるために、津軽海峡通過時は潜水艦も浮上しなければならない。
 津軽海峡に公海部分を設けたことを批判する人々は、海峡の全てを領海として通過希望の船舶には「無害通航権」を与えればよいとする。ところが、これでは仮に外国の軍艦が調査活動などを理由に通航を申請してきた場合、日本として「ノー」と答えることは容易ではない。その場合、潜水艦は津軽海峡を潜航したまま堂々と通過することができてしまう。
 日本が津軽大隅の両海峡に公海を設置したのは、自国の地形などを熟知し、また第2次世界大戦前から潜水艦運用能力を培ってきたことから出た判断によるものである。「見えない行動」をする能力と、されることへの抑止力は表裏一体であり、自分(自国の領土・技術・人材)を知って初めて実現できるもので、両海峡の例はその典型だと言えよう。
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 2022年1月8日 乗りものニュース「拿捕したアメリカ兵も驚愕 大型潜水艦「伊四百一」竣工-1945.1.8 目指した「東海岸
 tags: ミリタリー, 船, 艦艇(軍艦), 潜水艦, 伊四百, 旧日本海軍, 歴史, 伊四百一
旧日本海軍の潜水艦「伊四百一」が1945年の今日、竣工しました。アメリ東海岸に到達しそこで水上攻撃機を発進、ワシントンなどを攻撃しようという壮大な作戦を目論んでいましたが、戦局の悪化から計画は頓挫しています。
 軽巡洋艦並みの大きさ
 1945(昭和20)年の1月8日、旧日本海軍の潜水艦「伊四百一」が竣工しました。これは大型の潜水空母「伊四百型」の2番艦です。
 「伊四百一」は戦略的任務に従事することを目的に建造されました。それは、アメリ東海岸へ乗り込みそこで水上攻撃機を発進し、ワシントン、ニューヨークなど政治や経済の中枢を攻撃するというものでした。直接の被害は限定的でも、大都市上空に「日の丸」をつけた攻撃機が飛来して爆弾を落とせば、アメリカ世論に大きな影響を与えることが期待できるというわけです。
 日本の降伏後、横須賀にて米海軍管理下で物品搬出される、手前から「伊四百」「伊四百一」「伊十四」。「伊四百」の前甲板に水上攻撃機射出用のレールが見える(画像:アメリカ海軍)。
 「伊四百一」は全長122m、水上排水量3500トンあまり、水中排水量6500トンあまり、航続距離は3万7500海里(約7万km:水上)。水上攻撃機を3機搭載できます。これは軽巡洋艦並みの大きさで、通常型潜水艦としては、2012(平成24)年に就役した中国の潜水艦発射弾道弾実験艦032型(NATOコード名「清」、水中排水量6628トン)まで、その記録は破られませんでした。
 しかし壮大な作戦とは裏腹に、竣工当時の戦局は悪化の一途を辿っており、とても実行できたものではありません。計画は中止のうえさらに変更され、本格的な出撃は「伊四百」とともに、アメリカ海軍機動部隊の泊地である西太平洋のウルシー環礁(現ミクロネシア連邦)攻撃となりました。水上攻撃機を特攻作戦として使用するもので、偽装のため、機体にはアメリカ国籍を示す星条旗が施されました。2隻は1945年7月23日、青森県の大湊を出撃します。
 攻撃予定日は約1か月後の8月17日と決まります。しかしその2日前の8月15日に日本は降伏、攻撃を断念します。水上攻撃機も実戦に投入されることなく海中投棄され、「伊四百一」と「伊四百」は日本へ帰還することになりました。
 その途上、8月30日の明け方、太平洋の三陸沖でアメリカ海軍の潜水艦に拿捕されます。「伊四百一」はアメリカ軍に接収され横須賀に入港しますが、その際アメリカ軍兵士はその大きさと、潜水艦に航空機を搭載するという発想にたいそう驚いたといいます。【了】」
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 2022年6月14日 MicrosoftNews 乗りものニュースソ連が欲しがった? 旧日本海軍の秘密兵器「潜水空母」伊400型 戦後アメリカが沈めたワケ
 時実雅信(軍事ライター、編集者、翻訳家)
 伊400型だけじゃない、旧日本海軍潜水空母
 第2次世界大戦中に就役した潜水艦のなかでは世界最大といわれるのが、旧日本海軍の伊400型。特殊攻撃機晴嵐」を3機搭載・射出できたことから、潜水空母と呼ばれることもあります。
 ある意味では、旧日本海軍の秘密兵器的存在でもあった伊400型潜水艦を発案したのは太平洋戦争開戦時に連合艦隊司令長官を務めていた山本五十六大将だといわれています。
 彼は日米開戦前に、アメリ東海岸を潜水艦から発進した水上機で攻撃するという構想を立てていたそうで、それが伊400型開発の発端だといわれています。ただ、その開発には紆余曲折が伴ったとのこと。そこで、比較的よく知られている伊400型と、それを補う目的で建造された伊13型のたどった運命を改めて見てみます。
 【写真】アメリカ海軍が調査した「伊14」の内部
 終戦後、相模湾に集合した旧日本海軍潜水空母。中央が「伊14」、手前は「伊400」(画像:アメリカ海軍)。© 乗りものニュース 提供 終戦後、相模湾に集合した旧日本海軍潜水空母。中央が「伊14」、手前は「伊400」(画像:アメリカ海軍)。
 伊400型の誕生以前、すでに旧日本海軍は潜水艦に小型の偵察機を搭載し、運用していました。しかしその飛行機は偵察哨戒用の小型機であり、本格的な攻撃機を潜水艦に搭載しようと開発に着手したものの、未知の部分が多く、その開発は困難を極めたそうです。
 この特殊攻撃機(後の晴嵐)を搭載し、アメリカの虚を突いて米本土を攻撃可能な潜水空母として、伊400型の建造が具体化したのは1943(昭和18)年のこと。この年の潜水艦建造計画に「特型潜水艦」という名称で、伊400型18隻が盛り込まれます。ところが、戦局の悪化で計画は縮小を余儀なくされました。
 当初、伊400型は攻撃機を2機搭載する予定でしたが、建造数が減ったため3機に変更されます。さらに全体の隻数およびそれに伴う搭載機数の減少を補うため、建造中だった巡潜(巡洋潜水艦)甲型をベースに、特殊攻撃機2機の搭載が可能なよう改造を施した「伊13型」が計画されます。
 巡潜甲型の改造は、まず伊9型潜水艦2隻が決まっていました。しかし、この2隻(伊15と伊1)は進水後に工事が中断し、未完成に終わっています。この頃には、旧日本海軍の新造艦艇は、空母から潜水艦まで際限なく広がっており、逆に完成しなかった艦艇がたくさん生まれたほどでした。なお、この2隻よりあとに建造が始まった「伊13」と「伊14」は、1944(昭和19)年12月から翌年3月にかけて完成にこぎつけています。
 潜水空母の任務も相次ぎ変更
 伊400型の攻撃目標は、その後アメリカ本土からパナマ運河に変更されました。ところが、1944(昭和19)年10月にアメリカ軍がフィリピンのレイテ島に上陸し、パナマ運河攻撃は現実的ではなくなります。そこで攻撃目標は、アメリカ軍の中継補給基地だったフィリピン東方のウルシー環礁に変更され、作戦は1945(昭和20)年8月17日予定と決まりました。
 なお、このとき伊400型は3隻完成していました。しかし、そのうち「伊402」は就役したばかりだったため、「伊400」と「伊401」の2隻で作戦が実行されることとなります。
 一方、伊13型の2隻はトラック島に偵察機「彩雲」を輸送する任務に変更されました。1945(昭和20)年2月にトラック島の大空襲で航空機が壊滅したので、その補充のためでした。
 「光」作戦と名づけられたこの航空機輸送任務ですが、「伊14」は無事トラック島に到達して任務を達成したのに対し、「伊13」は途中で消息を絶ちます。なお、戦後判明したことですが、「伊13」はアメリカの駆逐艦に沈められていました。
 では、ウルシーに向かった2隻の伊400型潜水艦はどうなったかというと、攻撃直前に終戦を迎え、結局、日本本土に引き返しています。
 © 乗りものニュース 提供 横須賀でアメリカ軍の調査を受ける「伊14」。左は「伊401」、右奥は戦艦「長門」(画像:アメリカ海軍)。
 こうして日本本土に戻ってきた「伊400」と「伊401」、そして「伊14」の3隻の潜水空母は、東北沖で相次いでアメリ駆逐艦に拿捕されます。その後、横須賀へ回航され、アメリカ海軍が派遣した技術調査団の手に渡ります。
 アメリカ海軍は潜水空母を輸送用潜水艦だと報告書に記述しています。なぜなら、まさか潜水艦で航空攻撃するとは思わなかったからです。ドイツ海軍には大型の補給用潜水艦XIV型があったため、それと同種で航空機や物資輸送に用いるものと考えたようです。
 ただ、旧日本海軍も太平洋戦争の初め頃から潜水艦を輸送用に使っており、伊13型の2隻は前述のとおり実際に航空機を輸送しているため、必ずしも間違いとはいえないでしょう。
 アメリカ海軍は潜水空母3隻と、高速潜航できる潜高(せんたか)型の伊201型3隻を1946(昭和21)年1月、ハワイの真珠湾に回航し、さらに詳しく調査しました。
 アメリカ軍が潜水空母を処分した本当の理由
 戦後、アメリカは潜水空母に興味を持った旧ソ連(現ロシア)が、その引き渡しを要求したため急いで処分したという話があります。しかし、歴史の時系列を改めて見ていくと、実際はかなり事情が違ったことがわかります。
 ヨーロッパでは1945(昭和20)年5月にドイツが降伏し、Uボートの取り扱いが検討されていました。日本では1946(昭和21)年2月にアメリカ海軍の技術調査が終わり、日本の潜水艦をどうするか議論する、アメリカ海軍の潜水艦士官会議が3月26日に最終処分を決定。これを受けて、アメリカ太平洋艦隊は日本本土に残る潜水艦と合わせて、調査のためハワイに回航していた前出の6隻を4月1日から6月4日にかけて沈めたのです。
 © 乗りものニュース 提供 旧日本海軍の「伊14」の艦橋部(画像:アメリカ海軍)。
 1945(昭和20)年2月のヤルタ会談で、当時のルーズベルト米国大統領は、ソ連の対日参戦と引き換えにスターリン書記長が要求した千島・南樺太の占領を認めています。
 しかし、ルーズベルトの後任となったトルーマン大統領は、同年7月のポツダム会談において、ソ連を排除し米英中(中華民国)でポツダム宣言を出しています。すでに冷戦が始まっていました。アメリカは日本の分割統治を求めるソ連の要求を拒否し、イギリス(豪州ら英連邦諸国含む)を加えた米英だけで日本占領を行うことを決めたのです。
 つまり、すでに旧ソ連が日本艦艇に手出しする余地はなかったといえるでしょう。なお、アメリカは伊400型を始めとした潜水空母の調査を終えても、それが攻撃用という認識は持っていませんでした。旧ソ連潜水空母の詳細を知る余地がありませんでした。
 旧日本軍に関しては、伊400型潜水艦に関するハナシに限らず、時系列と因果関係が混乱した、このような“都市伝説的”な逸話がほかにも根強く残っています。
 台湾に賠償艦として引き渡された駆逐艦雪風」など、戦後も現役で生き延びた艦艇はありましたが、潜水艦は全て前出のように、調査が終わったのち連合国の決定を受けて処分しただけで、旧ソ連を意識したわけでは決してなかったというのが事実だといえるでしょう。」
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 ウィキペディア
 伊号第四百潜水艦は、第二次世界大戦中の大日本帝国海軍の潜水艦。伊四百型潜水艦の一番艦。
 概要
 潜水空母と俗称される本艦は、独創的な構造で3機の特殊攻撃機晴嵐』を搭載し、かつ、地球一周半分の長大な航続距離を持っており、日本海軍最高の秘密兵器といわれた。この能力は、アメリカ西海岸のアメリカ艦隊への攻撃や、パナマ運河への攻撃を企図して持たせられたものであったが、完成した頃には本土周辺の制海権・制空権すら完全に失われており、本艦が活躍する余地は残されていなかった。
 2013年8月にハワイ諸島オアフ島南西沖の海底からハワイ海底研究所(英語版)が伊号第400潜水艦の残骸を発見した。この発見はアメリカ海洋大気庁によって米国国務省と日本の政府関係者に確認され、同年12月2日に公表された。2015年5月にはNHKハワイ大学と共同で2014年10月に行った調査で撮影された映像が放送され、この時に発見された『晴嵐』格納筒などの映像が公開された。船体は上下正しい向きで沈んでいるが、船体中央部には魚雷が命中した大穴があいており、船首部も破損している。格納塔扉は脱落して海底に落ちている。格納塔も船体から脱落しており、格納塔に一体化している司令塔は横倒しになっている。
 2016年には船鐘が回収された。この船鐘は復元後にUSSボーウィン潜水艦博物館に展示される予定である。
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