🗡21〗─2─ワシントン海軍軍縮条約という外圧で日本海軍・日本艦隊は変貌した。~No.66 

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 イノベーションには、破壊のイノベーションと持続のイノベーションがある。
 破壊のイノベーションには将来があるが、持続のイノベーションには未来はない。
 現代日本は、破壊のイノベーションではなく持続のイノベーションを追い求めている。
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 屈辱的なワシントン海軍軍縮条約により、結果的に軍国日本の海軍軍事技術で海戦に勝つ為の破壊的イノベーションを生み出し、世界の海軍常識を覆すような革新的な最新軍事技術を開発して軍艦を建造して世界最強の艦隊を編成した。
 つまり、ワシントン海軍軍縮条約は外圧の役割を果たし、日露戦争日本海海戦勝利を教訓とした旧式の旧態依然とした日本海軍に衝撃を与えて日本艦隊の改編をもたらした。
 日本海軍は、戦艦を主力艦とする大艦巨砲主義の時代に、世界の軍事常識を無視して、艦上機を主力攻撃兵器とする世界で初めての航空母艦を中心として機動部隊を編成した。
 真珠湾奇襲攻撃からミッドウェー海戦までの、日本海軍の快進撃はワシントン海軍軍縮条約のお陰である。
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 日本民族は、七転び八起き、転んでもただでは起きない、禍を転じて福となす、が好きである。
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 2021年10月29日 MicrosoftNews 乗りものニュースワシントン海軍軍縮条約は遅れた日本に革新的な破壊イノベーションをもたらした。
実は日本の外交的勝利!? 史上初の軍縮条約「ワシントン海軍軍縮条約」で得た“実利”
 安藤昌季(乗りものライター)
 世界初の軍縮条約 その中身は?
 1918(大正7)年に第1次世界大戦が終了した後も、戦勝国の日本とアメリカを中心に、海軍力増強を目的とした建艦競争は続きました。たとえば旧日本海軍八八艦隊計画は、国家予算の半分を軍艦の建造・維持費に費やすもので、日本経済に著しい負担をかけていました。こうした状況は他国も大同小異であり、アメリカのハーディング大統領(当時)の提案で、軍縮条約が結ばれることになったのです。
 こうして1923(大正12)年11月11日に発効したワシントン海軍軍縮条約は、軍艦の保有量・新規建造・改装に厳しい制限を有していました。これは当時の日本では不平等条約とする意見も見られましたが、詳しく中身を見ると、そうでもないともいえます。
【写真】長門型戦艦と並び称される米英の戦艦たち
 © 乗りものニュース 提供 1944年10月、ブルネイで出撃準備中の長門。後方に戦艦「大和」「武蔵」の姿も見える(画像:アメリカ公文書館)。
 建造中の主力艦(戦艦と巡洋戦艦のこと)は全て廃艦となり、主力艦および航空母艦(空母)については、総保有量比率をイギリスとアメリカが5に対して、日本は3、フランスとイタリアは1.75(後に1.69)と定められました。
 この保有量は、のちに、アメリカ5、日本3、つまり「対米6割比率」では「国防上成り立たない。対米7割を確保すべきだった」として、日本国内で大きな政治問題となります。
 とはいえ、条約締結時において建造中の主力艦が全て完成した後の保有量は、イギリス34隻、アメリカ35隻、日本15隻、おおむね4:4:2ですから、日本は対英米5割に止まります。つまり、対米6割確保は、むしろ日本の外交的勝利と言えるでしょう。
 日本やイギリスの条約すり抜けとは
 ワシントン海軍軍縮条約では主力艦について、その保有量を英米が50万トン、日本が30万トン、仏伊は17万5000トンとしました。また、後に日本の戦艦「陸奥」について保有を認めるか否かの議論が行われた結果、同艦を認める代わりに英米両国の保有量も増やすということになり、英米が52万5000トン、日本が31万5000トンに変更されています(仏伊はそのまま17万5000トン)。
 さらに主力艦の新規建造は10年間禁止。艦齢20年以上なら、代艦建造も許されますが、その場合でも個艦の排水量は最大で3万5000トン、搭載できる主砲の口径(大きさ)は40.6cmまでと制限されました。日本は条約前、長門型戦艦に41cm砲を搭載していたので、主砲の正式名称を「四十五口径三年式四十一糎(センチ)砲」から、同四十糎砲に改めています。とはいえ、実際は41cm砲のままでしたので、条約制限をわずかに超過していたといえるでしょう。
 © 乗りものニュース 提供 イギリス海軍の戦艦「レナウン」。ワシントン海軍軍縮条約の特例措置で防御力が強化されている(画像:アメリカ海軍)。
 加えて、主力艦の改装は厳しく制限されました。主砲と舷側装甲の強化は禁止で、行えるのは水平および水中防御の強化のみ。このような改修による排水量の増加は3000トンまで認められました。興味深いのは、主力艦の性能で劣るイタリアとフランスに関しては、主砲口径や装甲の強化が許されていたことです。
 ただ、両国は条約発効の5年前に終わったばかりの第1次世界大戦で疲弊しきっていたことから、日本、アメリカ、イギリスの3か国にはない有利な規定を使うことはありませんでした。
 なお、条約の審議中、イギリスは、自国が保有する巡洋戦艦レナウン」の舷側装甲を152mmから229mmに強化することを特例で認めてもらっています。これは同艦の垂直防御が極めて弱かったことを理由にした、いわば均衡措置といえるものでしたが、日本が保有する金剛型巡洋戦艦の舷側装甲は203mmだったので、これによって垂直防御で逆転されています。ある意味、これはイギリスの巧みな外交術を感じさせるエピソードといえるでしょう。
 日本vs英米 戦艦「陸奥」の保有で対立
 ワシントン条約制定において大きく紛糾したのは、日本の長門型戦艦の2番艦「陸奥」を認めるか否かについてでした。「陸奥」は41cm砲8門の攻撃力、26.5ノット(約49.1km/h)の高速力を有する「高速戦艦」(日本海軍は長門型の速力を機密にしていましたが、イギリスやアメリカは概ね把握していました)であり、当時としては極めて有力な主力艦だったからです。
 © 乗りものニュース 提供 竣工直前の1921年10月19日に撮影された戦艦「陸奥」(画像:アメリカ海軍)。
 イギリスやアメリカは、「陸奥」について「未完成艦なので廃艦にすべき」と主張しました。なお当時、「陸奥」は外見こそほぼ完成に近いものでしたが、装備する装甲が焼き入れをしていない防御力不十分なものであるなど、中身は未完成とも言える状態でした。
 日本は交渉の末「陸奥」の保有をイギリスとアメリカに認めさせますが、代償として、40.6cm砲を搭載したネルソン級戦艦2隻(イギリス)、コロラド級戦艦2隻(アメリカ)の保有を認めることになりました。
 40.6cm砲搭載の戦艦は、当初の想定では日本の「長門」と、アメリカの「メリーランド」だけになる予定であったため、「陸奥」を認可したことで、各国とも条約上最大の主砲を備えた最新鋭戦艦を数多く保有できるようになったと言えるでしょう。
 日本にとってメリット多し 旧式戦艦の廃棄
 一方、これら最新鋭戦艦の就役を認める代償として、日本、イギリス、アメリカの3国は旧式戦艦の破棄が求められました。
 日本が破棄した戦艦「摂津」は30.5cm砲を搭載、速力20ノット(約37km/h)という性能だったのに対し、イギリスが破棄した戦艦4隻は34.3cm砲、21ノット(約38.9km/h)。アメリカが破棄した2隻は30.5cm砲、21ノット(約38.9km/h)でした。
 © 乗りものニュース 提供 旧日本海軍の戦艦「摂津」(画像:アメリカ海軍)。
 このように見てみると、条約締結で最も利益を被ったのは、日本と言えるのではないでしょうか。当時主力だった長門型、扶桑型、伊勢型、金剛型に対して、「摂津」の性能は著しく劣っていたからです。仮に「摂津」を戦艦として保有し続けたとしても、その後起きた太平洋戦争で活躍の場面はなかったでしょう。
 日本は「陸奥保有の代わりに、英米に最強の40.6cm砲戦艦保有を認めても、その保有比率は日本とイギリスが2隻、アメリカが3隻です。対英米6割の保有比率を考えるのであれば、40.6cm砲搭載戦艦の保有比率では、対イギリスで10割、対アメリカでも6割6分となり、実質的な艦隊戦力は大幅に強化されたと言えるのではないでしょうか。
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