📉71】─1─外国語が話せないのにアインシュタインの話を聞いた日本人達。〜No.146No.147No.148 


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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  

 外国語が分からない日本人とアインシュタイン相対性理論講義。

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 専門家や学者でもない一般日本人は、外国語が分かず、専門知識もないのに好奇心と興味本位だけで、アインシュタイン相対性理論の講義に殺到して熱心に聞き入っていた。

 学歴のない庶民が最高度の学術講義を聴講するという珍現象は、極東の貧しい日本のみで起きた現象で、その他の国ではあり得ない事であった。

 だが、それはペリー提督が予言していた。

 日本の強みとは、低学歴の一般人・庶民であって、高学歴出身知的エリートではなかった。

 日本民族日本人は高学歴出身知的エリートになると、多方面的な視野を失って視野が狭くなり、柔軟さを失って融通さが消え、発想豊かな有能さが消えて無能になる。

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 日本民族日本人は、古いモノ・技術には神が宿るとして大事にし、好奇心が旺盛で、新しいモノや技術が好きで身につける為に貪欲に学び取り入れた。

 日本文明・日本文化とは、停滞する事のない発展・進歩・進化として、その原動力は過去への愛着と未来への憧れである。

 達成される事のないイノベーションが、日本の本来の姿であった。

 それは、現代日本から消え去っている。

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 日本の底力・凄技は、日本国語にある。
 外国語の読み書きができなかった職人や商人達によって、日本は近代国家となり、経済大国になった。
 職人や商人達は、外国語などのは興味がなく、是が非でも外国語を話したいとは思わなかった。
 もし、職人や商人達が外国語にこだわり外国語を学ぶ事に多くの時間を費やしたら、日本は近代国家になれなかったし、経済大国などありえなかった。
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 アインシュタイン「人生には、二つの道しかない。一つは、奇跡などまったく存在しないかのように生きる事。もう一つは、全てが奇跡であるかのように生きる事だ」
 「無限なものは2つしかない。1つは宇宙、もう1つは人間の愚かさだ。前者は無限だという事には確信がない」 
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 天才と言われたアインシュタインは、数学と物理以外には興味がなく成績が悪かく、知識に偏りがあった。

 アインシュタインの失敗は、ルーズベルトに原爆の製造を始めるべきであると言う書簡を出した事である。

 ヒロシマナガサキの惨劇は、アインシュタインの書簡が原因であった。
 反原発運動家や反核兵器運動家は、まず最初にアインシュタインルーズベルトを非難し、人道に対する罪で告発すべきである。 

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 アンドレ・マルロー「印象派の人達が、浮世絵の良さを発見したのではない。浮世絵に心酔した青年達の間から、印象派が生まれのだ」
 レイモン・ケクラン「日本は我が国の武器や産業に興味を持った。しかし、我々の芸術を理解し、心から愛したのは林忠正、ただ一人である」
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 ニュートン「私が遠くまで見る事ができるのは、巨人達の肩に乗っていたからです」
 ガリレオケプラーなどの偉大な先人の研究の御蔭で自分が成果を出せた事に、謙虚に語った。
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 日本人の強みは、語学力としての多様性に富んだ日本国語であった。
 少年少女は、翻訳された日本国語で子供向け科学雑誌を読み、日本国語で科学的空想に耽っていた。
 日本人は、明治時代以来、日本国語の訳語を駆使して科学的な物の見方や思考を養った。
 日本人がノーベル賞を受賞できたのは、外国語を公用語とせず、日本国語にこだわったからである。
 日本国語を捨てた時、日本の教育レベルは発展途上国並みに低下し、ノーベル賞は取れなくなる。
 事実。公用語を外国語としている国で平和賞や文学賞以外でノーベル賞を受賞している国はほんの僅かである。
 母国語を大事に守っている国で、ノーベル賞を受賞している国が多い。
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 21世紀に入ってから自然科学部門の国別受賞者数。
 1位、アメリカ 64人。
 2位、イギリス人 14人。
 3位、日本人 11人。
 4位、ドイツ人 7人。
 5位、ドイツ人 7人。
 6位、フランス、イスラエル人 6人。
 7位、ロシア人 、4人。
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 2011年 アメリカの大学院で博士号を取得する留学生。
 1位、中国人。
 2位、インド人。
 3位、韓国人。1,442人。
 8位、日本人。243人。
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 各国の高校生による科学技術に関する能力を競い合う国際科学オリンピック。
 2014年 数学、1位、中国。5位、日本。
 2013年 物理、1位、中国。24位、日本。
 2013年 化学、1位、中国。19位、日本。 
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 国際競争力が求められるグローバル時代において、国内で高等教育を受けた若者がいても欧米に留学する者は年々減少し、優秀な人材も減り始めている。
 資源のない日本において、日本の唯一の強みは有能な人材であったが、人材育成は容易なものではなかった。
 巨額な資金を投入して人材育成に力を入れているのは、日本よりも中国であった。
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 非西洋語圏の国における高等教育は西洋語で行われ、西洋語が話せない子供は本人が希望しても受けられなかった。
 その為に、国全体の教養レベルは低く、国家の発展には思ったほど寄与しなかった。
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 大和言葉は、日本民族固有の言語であり、世界的にも珍しい柔軟で多様性に満ちた言語であった。
 日本語は、大和言葉、漢語、翻訳語、外来語の4つの言葉から成っていた。

 日本語の文字は。平仮名・カタカナ・漢字・ローマ字・アルファベットなどと多種多彩である。
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 日本人がなぜノーベル賞を取れたのか。
 それは、どんな現象・事情でも柔軟に変換できる日本国語と、自由な独創的発想を生み出す変化に富んだ豊かで美しい自然であった。
 英語力は、二の次であった。
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 2014年10月23日号 週刊新潮「『ノーベル賞を取れる国と取れない国』藤原正彦
 今回、日本人3名がノーベル賞を受賞したことで中国、韓国は知識層を中心に打ちひしがれている筈です。たとえどんなに経済成長を続け、強大な軍事力を誇っても、その国が世界中の尊敬を集めることはありません。重要なのは、どれだけ人類史上に残る知的財産や文化的財産、すなわち普遍的価値を生み出したかに尽きます。また、それによってのみ、国民に真の自信と誇りが備わるのです。
 ─中国籍韓国籍を持つ自然科学分野でのノーベル賞受賞者はいない。なぜ日本人ばかりがノーベル賞を取れるのか─
 第一に、幼少期から成長していく過程で、身近に美しいものがなければなりません。豊かな自然や優れた芸術、文学に触れて美的感受性を養うことが必要です。数学や物理学などのサイエンスにとって、美的感受性は知能指数や偏差値よりも大事なのです。
 日本には緑の山々や、繊細な四季の移り変わりがあります。それ自体が世界的にも大変珍しい。加えて素晴らしい文学、絵画、彫刻も多数存在し、美に触れる機会に恵まれています。
 精神性を尊ぶ風土
 第二に、精神性を尊ぶ風土も不可欠です。要するに、金儲けや実用性だけを追及せず、役に立たないと思えても精神性の高いものには敬意を払う土壌が肝要と言えます。『万葉集』にしても、日本では1400年も前から一般庶民が腹の足しにもならない歌を詠んでいる。そこに価値を見出すことが何より大切なのです。多くの科学分野では、100年後に芽が出るか、100年後に実用化するかどうか分からないことも研究しています。それを〝単なる無駄〟と考えてしまったら人類の進歩はないんですね。
 中国や韓国にも有能な人材はたくさんいますが、残念ながら彼らの多くは金融関係や弁護士、医者といった〝金になる〟仕事に就いていたり、海外へと流失していく。利益だけを優先すると〝無駄〟な科学に人材が向かわなくなるわけです。
 ─また、日本人受賞者には『国産』が多い─
 日本は『外国留学しなくともノーベル賞が取れる』という珍しい国です。こんな国は世界でも日本と米英独仏露の6ヶ国くらいではないでしょうか。
 2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さんは、初めての海外旅行がストックホルムでの受賞式でした。少なくとも理工系では、小学校から博士号取得まで日本で研鑽を積んでもノーベル賞が取れてしまう。実際、19人の自然科学での受賞者のほとんどはそういう日本人です。日本にはそれほど優れた教員、研究施設、資料・専門書が揃っているのです。
 日本が世界一の〝翻訳大国〟であるという事実もそれを支えています。明治時代以来、日本人は文学から科学まで、海外の最先端の専門書を次々と翻訳してきました。そこで重要なのが〝カタカナ〟の存在。文献を翻訳する際、日本人は漢字に変えるべき言葉と、カタカナに置き換える言葉を分別して、易々と訳書を作ってしまう。大学院などで、どの分野でも最先端のテーマを日本語で講義できるのです。そうした礎の上に日本のノーベル賞はあります。
 ─だが、日本が今後もノーベル賞を受賞し続けられるかどうかは未知数だ。藤原氏も懸念を示す─
 そもそも、日本の高等教育予算のGDP比はOECD加盟国中で断トツに低い。その上、日本の科学研究の8割以上を担ってきた国立大学は、国立大学法人に移行したから毎年、予算を削減されていきます。大学の教員ポストと研究費が削られ、地方大学などは息も絶え絶えです。血に滲むような努力の末に博士号を取得した優秀な学生の就職口もなくなります。これが続けば、科学を志す少年少女がいなくなってしまいます。
 日本が今後もノーベル賞を取りたいのなら、費用対効果などという下衆な発想は捨てるべきです。途方もない無駄遣いを許す風土が金の卵を生み、それこそが〝国家の品格〟でもある。誰も有望と思わない研究に惜しげもなく資金を出す姿勢が大切です。山中伸弥教授の〝iPS細胞〟のような世紀の大発見が、そこから生まれます。」
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 日本の芸能文学とは、「語り伝統」として、芸能者が「平家物語」や「浄瑠璃」などを庶民に語り聞かせたり、僧侶が法話や逸話を語り聞かせる事であった。
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 1922年11月17日 アインシュタインは、日本郵船の北野丸で神戸港に到着した。
 11月19日 アインシュタインは、東京に到着するや慶應義塾大学で実質6時間の長講演を行った。
2,000人以上の聴衆は、最後まで一人として席を立たず通訳の話を静かに、そして真剣に聞き入っていた。
 その後。東京帝国大学で6回連続の特別講演を行い、東京、仙台、京都、大阪、神戸、博多での一般講演などが続けた。
 各会場には、千人単位の一般的な聴衆が詰めかけ、相対性理論をよく理解しなかったが熱心に聞き入っていた。
 アインシュタインの難しい相対性理論を聞きに集まった一般人は、西洋語が話せなかったが、講義に興味をもっていた。
 日本語訳の『アインシュタイン相対性理論講話』出版されるや大ベストセラーとなったが、致命的な誤植が見付かった。 
 版元は、本を交換する為に返品を受け付けたが、誰も返品しなかった。
 権威ある流行に流れやすい日本人は、ミーハーとして本を買ったのであって理解するためではなかった。
 諸外国では、高度な知識を持った教養人が難解な科学専門書を言語で読んでいた。 
 日本人では、大した知識がない庶民が興味本位で、読みもしないのに高額な日本語訳専門書を購入して本棚に飾った。
 日本の科学技術の底力とは、他人に遅れていると馬鹿にされたくないという、悪く言えば無理して背伸びする「見栄」、良く言えば「自尊心」である。
 昔。読みもしないのに、他人に見せびらかす為に、百科事典や文学全集や哲学全集や美術全集などを書斎の本棚に飾り
 本当は、落語、浪曲、講談が好きなのに、見栄を張ってクラッシックを聴いて乏しい知識を語って自慢していた。
 エセ教養人の日本人は、金にもならず得にもならないのに、子供のように他人よりも違う所を自慢したいが為に俄仕込みの知識をひけらかしていた。
 日本民族とは、自惚れた単純馬鹿であった。
 その底抜けに陽気な能天気が、日本民族の強みであった。
 理解する事より興味を持つ事、それが民族的な教育方針でえあった。
 「好きこそ物の上手なれ」であった。
 苦手な事や嫌いな事は学ばず、関心がある事や好きな事だけを学んだ。
 子供教育で重要視されたのは、空想的な好奇心で、創造的な遊びが尊ばれた。
 子供は、空き缶一つで幾つものの遊びを編み出して、楽しく遊んだ。
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 明治初期の政治家や官僚達は、現代の政治家や官僚に比べて、和文、漢文、英文に精通し、文章力、語彙力も桁外れに優れていた。
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 ハーバート・パッシン「日本語を話すたびに、自分はこんなにも礼儀正しい人間になれるものかと、自分で驚いてしまう。こういう事は、英語を話す時は一度も感じた事はない」(『米陸軍日本語学校──日本との出会い』)
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 1946年1月6日 フィラデルフィア・レコード紙「文盲の日本人はローマ字化によって新聞が読めるようになる」
 2月4日 ニューズウィーク誌。コンプトン・パケナムは、日本人は1万の漢字と平仮名、カタカナ各50文字を使って読み書きしている為にアメリカに比べて識字率く、識字率を上げる為にローマ字を普及させるべきだと提言した。
 「教養ある日本人でも辞書なしでは新聞が読めない。GHQが進めるローマ字化で日本人も少しは考えるようになるだろう」
 26文字のアルファベットで生活している西洋人にとって、日本語は意思疎通の効率が悪い劣った言語と見なしていた。
 1948年8月 GHQ民間情報局員ロバート・ホールは、善意として、日本を西洋近代文明で生まれ変わらせる為に英語の公用化を進めていた。
 政治家、官僚、各新聞社、教育者、作家、評論家、企業家など多方面の公職追放を免れたリーダー達の多くが、日本の国際化の為に英語の国語化に賛成していた。
 英語の次にフランス語の人気が高かった。
 普通の敗戦国であれば、公用語の英語、普段言語の地元言語の二重言語国家になっていた。
 二重言語国家を望む日本のリーダー達が、多くいた。
 文部省は、GHQが教育改革の目玉とする日本語のローマ字化と英語の公用語化から日本語を守るべく、日本人が言われている通りの文盲かどうかを確かめる為の漢字テスト実施を懇願した。
 ホールは、日本人の識字率は西欧諸国の植民地並みにゼロに近いと考えていた為に、漢字テストを認めた。
 文部省は、1万7,000人の日本人を無差別に抽出して漢字テストを行いその結果をGHQに提出した。
 日本人の識字率は98%で、アメリカの識字率60%より高かった。
 GHQの英語化政策は、日本語擁護派の抵抗にあって失敗した。
 西欧礼賛派日本人は、将来、日本を英語化する為に小中学校における英語授業時間を増やし、高校・大学の入試試験で英語を重視させた。
 日本語擁護派は、GHQの意向を取り入れて、学校教育に漢字、カタカナ、平仮名にアルファベットも加えた。
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 科学に興味を持つ素人達は、外国語は話せなかったが、日本語に翻訳された専門書を読み、同好の士と激しく討論を重ねていた。
 彼らは、学歴はなかった分ぶん専門家が陥りやすい学問付き常識に囚われる事なく、度が過ぎる程に探究心が旺盛であった。
 日本の「もの作り文化」は、素人的発想と伝統的職人芸から生まれて来た。
 外国語に囚われなかった事が、強みであった。
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 日本語は地域的な民族言語であり、英語は世界的な国際言語である。
 世界で活躍するのなら、日本語ではなく英語が必修である。
 民族否定のグローバル化が正義とするなら、日本の英語化は避けられない。
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 日本人は、数学・科学・物理などを理解する為に、我慢して日本語訳された難解な専門書を読んでいた。
 我慢して、日本語訳の専門書を読み、自力で理解する事で近代化に成功した。
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 2014年10月30日号 週刊新潮 「藤原正彦 『管見妄語』
 ノーベル賞を培う風土
 ……
 この賞(自然科学三賞。物理学、化学、生理学医学)に関し日本人の受賞は2014年で19人となった。創始された1901年から数えると米英独仏日と堂々の5位だ。我が国は戦後から獲得し始めたのだからたいしたものだ。戦前だったら、血清治療発見の北里柴三郎、人工ガン発見の山極勝三郎、ビタミン発見の鈴木梅太郎などは当然もらうべき人たちだったが、有色人種がもらうには早過ぎた。自然科学だって主観が入るのだ。2000になってから三賞における日本の快進撃は目覚ましい。14名という数はアメリカに次いで何と世界第2位だ。ちなみに中国籍韓国籍の受賞者はこれまでになく、日本を除いてアジア生まれの受賞者をひっくるめても日本の半数ほどだ。しかも日本の19人のうち17人は国内で一人前の研究者となった。言わば純粋培養であり、こんなことの可能な国は米英独仏露と日本ぐらいろう。理工系の研究教育水準が高く裾野が広いということだ。
 日本人がこれほど多くとる理由はいくつかあろうが、最も本質的なのは何か。数学や物理学における世界の天才を調べたことがあるが、私得意の独断によるとまず美の存在である。美しい自然、芸術、文学などが身近に存在することだ。自然科学の独創に最も大切な美的感受性がこういったもので培われる。次に精神性を尊ぶ風土である。金銭に結びつかず役に立つかどうかさえ分からないことを尊重する風土、すなわち人間精神に敬意を払う気風のあることだ。
 ……
 日本はかってこの二条件を見事に満たしていた。ところが近頃はグローバリズムとやらで拝金主義がはびこり、経費対効果や手っ取り早い成果ばかりが叫ばれるようになった。ノーベル賞は20年以上前の日本の産物であることを忘れてはならない」
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 利益獲得優先の成果主義と日本語軽視・外国語重視のグローバル教育により、今後の日本ではノーベル賞受賞者はいなくなる。
 日本の基本方針は、教育費及び研究費は、経済成長の為にノーベル賞を受賞して人類に貢献する人材ではなく会社の即戦力として金儲けができる人材を育成する事であった。
 現代日本人の考える理想的人生とは、空想的夢物語で心を豊かにして生きるのではなく、現実的実利で金を貯めて老後に安心できる介護を受ける為に生きるのであると。
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 日本語は、他の言語に見られない特殊な言語力を秘めている。
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 日本が、中国や韓国に比べてノーベル賞が授賞できるのは国語力、つまり言語学的に日本語の柔軟にとんだ強みにある。
 日本語は、西洋語の外来語に100%頼らなくとも、創世の原始から崩壊の未来まで、ミクロ世界からマクロ世界まで、科学、化学、思想、哲学、文学、生活、その他、全てに対応する日本語の語彙を持っている。
 日本語は、如何なる言語に対しても無限に近い翻訳能力を秘めている。
 有益なモノや必要なモノや興味があるモノは、無節操に日本語に変換して受け入れ同化させた。
 有害なモノや必要でないモノや興味がないモノは、如何に優れた相手が信じて利用していても、敬意を持って日本語に変換してから自己判断で異化して拒否した。
 中国や韓国は、その語彙を和製漢字に依存しなければ理解できない。
 反日意識が強い中国と韓国・北朝鮮は、和製漢字は屈辱であるとして幾つかを別の言葉に替えて使用している。
 中国語にせよ韓国語・ハングルにせよ、言語的許容範囲は中華の古典であって近代以降の世界ではない。
 現代に於いて、中国語と韓国語・ハングルは近代を受け入れて新語・造語を増やせているが、それでも日本語に比べれば数が少ない。
 ゆまり。日本語が柔軟性を持った多様性豊富な開放的言語と言うならば、中国語と韓国語・ハングルは硬直した単一性・画一性の強い閉鎖的言語である。
 中国人や韓国人がノーベル賞を散るのであれば、自国民族言語を捨て、世界語である英語を自由に話せるほどに習得せねばならない。
 つまり、ノーベル賞を目指す前に専門英会話を猛勉強して身に付け、古代からの表現しずらい専門用語を複雑な意味や難解な科学的根拠や煩雑で厖大な統計まで全て英語で頭の中に叩き込む必要がある。
 それが出来るのは、極少数の天才的な人間だけである。
 趣味的に興味がある一般的日本人は、目眩を起こしそうな専門英語を習得しなくても、日本語訳専門書を読めばある程度は理解できることができる。
 日本人の強みとは、国語・日本語にある。
 科学、思想、哲学を、日本人は日本語で理解し、中国人と韓国人は英語を学んでから理解する。
 中国人や韓国人は出世の為に英語を必死になって学ぶが、日本人は受験の為に英語を適当に学ぶ。
 日本人をグローバル化に対応して英語で外国人と自由に会話が出来るように英語教育に異常なまでに力を入れると、日本語の強みは消失し、日本人はノーベル賞を取れなくなる。
 政治家や官僚や学者が推し進めようとしている日本語軽視の無節操なグローバル化は、日本語による日本文化を衰退させついには消滅をもたらす。
 メイド・イン・ジャパンやジャパン・モデルやジャパン・ルールは日本語があっての話で、日本語の国語力が消失すれば全てが消滅する。
 和食も、また日本語があっての食文化である。
 英語公用語化問題は、日本を世界に通用する平凡な非日本語国家に造り替えたいという明治時代以来の西洋礼賛派日本人(現代ではグローバル派日本人)と、歴史ある日本語による伝統・文化・芸能・宗教・風土・習慣などを守ろうとする民族主義者・ナショナリストとの、見えない言語文化攻防である。
 韓国は柔軟にグローバル化しつつあるが、日本は頑なにグローバル化に抵抗している。
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 明治初期における近代教育は、外国語が苦手な一般青少年に西洋語という壁が取り外されてから急速に進んだ。
 政治家、官僚、軍人として国のリーダーとなる事を志すエリート候補生や国際市場で金儲けをしたいと思う野心家は、国際社会の場で自己主張ができるように語学を身に付ける必要があった。
 だが、そうした青雲の志を持たず、外国人とも会う事なく、地域で平凡に一生を送りたいと思う意欲のない青少年にとって西洋語を習う必要はなく、自分が好きな教科や関心がある技術を日本語の専門書で学んでいた。
 日本のもの作り職人として、日本に技術国家として西洋に負けない程の発展をもたらしたのは西洋語が話せなかった後者であった。
 前者はエリート階層としてほんの極少数の日本人であったが、後者は技術者・労働者として圧倒的多数の日本人であった。
 大正期。日本が五大国の一員として国際連盟常任理事国となれたのは、西洋語が話せない日本人庶民の努力の結晶である。
 戦後。日本が奇跡的な復興を遂げ、ノーベル賞を受賞する人材を生み出したのも、西洋語が苦手な日本人職人の賜物である。
 昔の日本の繁栄は、小綺麗なオフィスで若い秘書にお茶を運ばせ外国人と流暢な外国語で会話する専門知識もない会社員ではなく、外国語は話せないが日本語による高度な専門知識と叩き上げの熟達した技術・技能を持った現場の職人であった。
 職人は、自分の仕事に誇りと自信を持つが故に、他人に負ける事を極端に嫌い、日本一、世界一を目指して腕を磨いた。
 職人魂は貪欲で、ナンバーワンどころかオンリーワンである事を望んだ。
 会社員は、世界の実力、西洋人にはかなわない事を知るだけに、最初から無駄な努力を諦め、ナンバーワンもオンリーワンを望まず、二番手や三番手に甘んじていた。
 西洋語を話せる会社員は、西洋語から西洋の怖さを知り、世界の動きを理解するだけに、西洋を怒らせず機嫌を損ねないように媚び諂い卑屈になっていた。
 職人は、西洋語を話せないだけに、井の中の蛙として世界を知らず理解しようとせず、傲岸不遜な態度を取っていた。
 明治以来の、日本のエリート養成における語学教育は優れていた。
 明治時代のリーダー達は、日本の近代化に先ず必要なのは、国民全員に西洋語を覚えさせる事ではなく、学童に近代化の為の幅広い分野の原理原則などの基礎知識を日本語で叩き込む事だと考えた。
 欧米列強が助言を拒否して、西洋語を公用語とはしなかった。
 西洋語の習得を後回した事で、日本は近代化に成功した。
 近代知識は、極一部のエリート層が独占するのではなく、全国津々浦々まで浸透させ、全国民が知る事こそが重要であった。
 明治政府の指導者達は、全ての青少年をエリートやリーダーにする意思はなく、学業に優秀な青少年を拾い上げ、そうでない平凡な青少年は容赦なく切り捨てた。
 青少年は、成績で差別され、将来の進路を自分の意思に関係なく強制された。
 近代教育で成績が優秀であれば、日本人に関係なく朝鮮人であろうと台湾人であろうと、日本のエリートやリーダーとして英才教育を行った。
 日本の支配階級は、日本人を差別していた。
 教育水準を上げるにあたって、世界の常識に反して、一部の有能な青少年を選抜して英才教育を施すのではなく、資産や階級に関係なく全ての学童への普通教育に力を入れた。 特定少数の英才教育ではなく不特定多数の普通教育を実施できたのは、アジア・アフリカ地域で日本だけであった。
 非西洋語諸国で、特定少数の西洋語による英才教育を行った国は殖産興業できず近代化に失敗し、不特定多数の西洋語抜きの普通教育を行った国は経済を発展させ近代化に成功した。
 西洋語を公用語とした非西洋語諸国で、近代国家となり先進国の一員となった国はない。
 西洋語の公用語化は、諸刃の剣として、負の面が強い。
 明治期のリーダー達は、その事を知っていた。
 もし、西洋語を公用語としていたら、日清戦争に敗北して沖縄と南九州を中国に対馬と北九州を朝鮮にそれぞれ割譲されられ、日露戦争で大敗北して北海道と対馬ロシア帝国に割譲させられていた。
 なぜなら、政府や軍首脳部は西洋語で作戦を立案し現地司令部に命じ、現地司令部は日本語に翻訳して軍隊を動かす事になるからである。
 西洋語を話せる人間は高級将校となり、西洋語が話せない下級将校や一般兵士となる。
 西洋語を話せる者は出世し高額所得者となり、西洋語が話せない者は出世せず安月給で使い捨ての様に重労働を強いられる。
 それは、欧米の貧富の格差の激しい階級社会である。
 両者の間のコミュニケーションは断絶し、意思疎通は不可能になる。
 西洋語を話せるかどうかが人生の分かれ目であり、西洋語の話せない者と結婚する事は人生の破滅を意味する。
 世界史が、人生の不幸を証明している。
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 グローバル化しつつある世界において、人の移動が活発化するや、細胞の膜のように国家を閉じ込めていた国境が機能しなくなり、国境なく世界が到来しようとしている。
 そのでは、言語や文化や宗教といった民族を表す全てが否定され、捨てられ、消滅していく。
 自分の為に成功して金持ちになりたければ、西洋語、特に英語は是が非でも身に付ける必要がある。
 西洋語を話せる者は有能者として成功して金持ちとなり、西洋語を話せない者は無能者として社会から脱落して貧困者となる。
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 2014年11月20日 産経ニュース「【中教審諮問】
 英語教育の早期化焦点 国語力低下で賛否
 中教審の安西祐一郎会長(右)に諮問文を手渡す丹羽秀樹文科副大臣=20日午前、文科省
 学習指導要領改定の諮問を受けた中央教育審議会中教審)では、英語教育の早期化が重点的に議論される。ただ国語力の低下が指摘される中、小学校での英語教育強化については賛否両論があるのも事実。専門家からは「これまでの学校教育で子供たちの語学力向上が実現できていない」との指摘も上がっており、中教審はより効果的な方策を導き出す課題を抱えている。
 英語教育の早期化などを求める背景には、社会のあらゆる分野でグローバル化が進む中、国民の英語能力を高めなければ国際競争に勝ち残れないとの判断がある。下村博文文科相は諮問にあたり、「受験英語からコミュニケーション英語への大きな転換となる」との考えを示していた。
 だが、国語力の低下が問題視される現状では反対論も根強く、民間有識者でつくる「教育再生をすすめる全国連絡協議会」は昨年、下村文科相に対し、賛否両論を含めた国民世論に配慮するよう要請。グローバル人材育成教育学会長を務める小野博・福岡大客員教授(コミュニケーション科学)も「国語のできない子供は英語も伸びない。これまでも早期化が進められてきたが、効果は上がっていない」と指摘する。
 一方、文科省設置の有識者会議は9月、小学5年から英語を正式教科にすることや、外国語活動の開始を現在の小5から小3へ前倒しするなどの改革案を提言しており、今回の諮問もこの提言に沿った内容だ。また、中学校では授業を原則英語で行うことなども今後の中教審で検討される。
 小野教授は諮問について「ホームステイ外国人の受け入れなど学習意欲向上のための具体的な目標設定や、授業の工夫など抜本的な英語教育の見直しが条件となる」と話している。
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 11月20日 産経ニュース「【中教審諮問】
 「語学力向上に効果ない」 英語教育早期化、国語力低下の中…賛否両論
 諮問を受けた中央教育審議会では、英語教育の早期化も重点的に議論される。国語力の低下が指摘される中、小学校での英語教育強化には賛否両論あり、専門家から「子供たちの語学力向上が実現できていない」との指摘も。中教審はより効果的な方策を導き出す課題を抱えている。
 「国語できない子は英語も伸びない」
 英語教育改革の背景には、社会のグローバル化が進む中、国民の英語力を高めなければ国際競争に勝ち残れないとの判断がある。下村博文文科相は「受験英語からコミュニケーション英語へ大きな転換となる」との考えを示していた。
 だが、国語力の低下が問題視される現状では反対論も根強い。民間有識者でつくる「教育再生をすすめる全国連絡協議会」は昨年、下村文科相に対し、賛否両論を含めた国民世論に配慮するよう要請。グローバル人材育成教育学会長を務める小野博・福岡大客員教授(コミュニケーション科学)も「国語のできない子供は英語も伸びない。これまでも早期化が進められてきたが、効果は上がっていない」と指摘する。
 外国語活動、小5から小3に前倒し
 文科省設置の有識者会議は9月、小学5年から英語を正式教科にすることや、外国語活動の開始を現在の小5から小3へ前倒しするなどの改革案を提言、今回の諮問もその提言に沿った内容だ。小野教授は諮問について「ホームステイ外国人の受け入れなど学習意欲向上のための具体的な目標設定や、授業の工夫など抜本的な英語教育見直しが条件となる」と話した。
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 2014年12月4日号 「藤原正彦管見妄語
 次は一年生から?
 文部科学省は先頃、公立小学校の5、6年性で必修となっていた『外国語活動』を正式の教科に格上げし、さらに小学校3年から英語を始める方針を固めた。『国際人育成のため』らしい。いつまで続く愚論愚策かと嘆息が出てしまう。……
 まず断言できることは、小学校の英語教育導入を主張する人達はほぼ全ては英語ができず国際人でもないということだ。英語ができないという劣等感を小学校から学ばなかったせいにしているに過ぎない。英語ができれば国際人になれる訳でもない。アメリカ人は皆英語がうまいが、3年暮らした私の見る所、国際人と呼べる者は一割もいない。小学校での英語強化に反対する者もいるが、『小学校教員のほとんどが英語を話せないのに何をどう教えるのだ』『ネイティブが教えない限り反対』『中学の内容を小学校に下ろすから反対』など技術論が大半だ。誰が教えようとダメなものはダメなのだ。理由は大きく二つある。
 一つ目は、日本人の大半は小学校1年から毎週3時間ずつ英語を学習しても話せるようにはならないということだ。幻想を国民に抱かせるのは罪である。日本語と英語はあらゆる点でそれほどかけ離れている。英語を使う職業につく希望を持つ者だけが中学から全力で始めればよい。……小中郄とダラダラ続く日本の英語教育ではまったく効果が上がらない。物にならない英語に多大なる時間と労力をかけるのは国民エネルギーの壮大な無駄だ。
 第二は近年の英語狂躁は日本の文化や伝統に対する挑戦でもあるということだ。幼い頃から英語を学び英米人に教えられるということは、単なる語学を超え、米英的発想、態度、文化を無垢な心に刻印されるとことでもある。それは子供達が日本の文化、伝統、情緒、道徳の素晴らしさを認識することを妨げ、すでに国民病となりつつある米英へのコンプレックスを助長する結果となる。外国文化を忌避する必要はないが、幼いうちはまず自国文化をたっぷり身につけ、自国への自信と誇りを持つことが先決である。さらに困ることに小学校から長年英語にかまけていると、古今東西の名著を読む時間がとれず教養が身につかない。例外的に有能な者を除き、『教養と外国語並び立たず』なのだ。かって英文学者の中野好夫氏は『語学ができるほどだんだん馬鹿になる人間の方がむしろ多い』と述べた。
 小学校での英語教育とは、我が国がグローバリズムという名のアメリカ主導の世界支配に加担することでもある。21世紀は効率、能率、規制なき自由競争ばかりを強調するグローバリズムを是正し、多少不便でも各国、各民族、各地方の美しく花咲く文化、伝統、言語を取り戻す時代でなければならない。英語を先兵とする米英文化の侵略から各国がいかにして自国文化を防衛するかは、世界各国の直面する現代の最重要課題なのだ。」
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 日本が育てようとしている人材の最優先能力とは、常識を打ち破る様な奇抜なアイデアで画期的な新製品を生み出す「智恵」ではなく、外国人が聞き取りやすい正しいアクセントの英語で物怖じせずプレゼンテーションを成功できる「技能」である。
 つまりは、「本質」ではなく「見せ掛け」のみである。
 敗戦後の日本は、英語があまり上手く話せなかったが科学で経済大国となった。
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 会社や役所で、西洋語が準公用語として普及し始めている。
 だが。外国人が聞きたいのは、英語を巧みに話す日本人のシェイクスピア論や世界史ではなく、日本文化かや日本史だる。
 英語が話せても日本を説明できない日本人は、仕事上のパートナーとなっても、人間としての私的な友人には成れない。
 国弘正雄は、英語が上達するには『ことば』『こと』『こころ』が必要であると説いた。
 言葉は意志を伝える道具であり、重要なのは話したい中味を如何に情熱を持ち生きた言葉で伝えるかであると。
 上手に話す事ではなく、相手の心に届く様に話す事であると。
 

 


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