📉71】─6─ノーベル賞決定の真鍋さん「原動力は好奇心」~No.159  

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 2021年10月5日20:40 MicrosoftNews 毎日新聞気候変動に関する政府間パネルにも寄与 ノーベル物理学賞に真鍋氏ら
 © 毎日新聞 提供 真鍋淑郎氏=名古屋市で2013年12月13日午後0時21分、大場あい撮影
 スウェーデン王立科学アカデミーは5日、2021年のノーベル物理学賞を、真鍋淑郎(しゅくろう)・米プリンストン大上席気象研究員(90)=米国籍=と、ドイツとイタリアの研究者の3氏に授与すると発表した。真鍋氏は、物理法則に基づいてコンピューターを用いて地球の気候を再現する「気候モデル」という手法を1960年代に確立。地球温暖化予測の基礎を築き、気候変動対策に貢献したことが評価された。
 受賞が決まったのは、真鍋氏と、ドイツのマックスプランク気象学研究所のクラウス・ハッセルマン教授(89)、イタリアのサピエンザ大のジョルジョ・パリージ教授(73)。真鍋氏とハッセルマン氏は、温室効果ガスである二酸化炭素(CO2)の濃度上昇に伴う地球の気温上昇と天候に関するモデルや理論を作った。パリージ氏は、物質の循環と気温の上昇の複雑系を分析するための手法を確立した。
 20世紀半ば以降、米国を中心に観測データを物理学の方程式に入れ、天気の変化をコンピューターで予測する「数値予報」の研究が進んだ。東京大で数値予報の研究をしていた真鍋氏は58年、米気象局大気大循環セクションに招かれ、日々の天気にとどまらず、長期的な気候の変化をコンピューターで再現するモデル開発に参加した。
 当時のコンピューターは計算能力が不十分で、真鍋氏は複雑な大気のふるまいを単純化するため、大気を地面から垂直に立った1本の円柱と仮定して温度分布を考える手法を考案。大気中のCO2濃度が2倍になったとの仮定で、気温上昇に伴う水蒸気量の変化も考慮すると、地表の温度が約2度上昇する、とする論文を67年に発表した。この時の手法は「一次元大気モデル」と呼ばれ、温室効果ガス増加に伴う温暖化の程度を定量的に予測する手法の先がけとなった。
 69年には、一次元大気モデルに大気と海の間の熱のやり取りを組み込んだ、より高度な「大気・海洋結合モデル」を発表するなど、その後も気候モデル作りで世界をリードした。モデル開発から半世紀余り。モデルの精緻化も進み、コンピューターシミュレーションによって、地球という複雑なシステムを理論的に説明できるという共通認識が確立した。国連の気候変動に関する政府間パネルIPCC)が90年に公表した第1次評価報告書には、真鍋氏の研究成果が多数引用され、真鍋氏自身も主執筆者を務めた。
 日本からのノーベル賞受賞(米国籍を含む)は、19年の吉野彰・旭化成名誉フェロー(化学賞)以来2年ぶり。合計で28人目で、物理学賞では12人目となる。授賞式は12月10日にストックホルムで開かれるが、新型コロナウイルスパンデミック(世界的大流行)の影響で、20年に続いて受賞者は出席せず、居住国で表彰を受ける。賞金1000万スウェーデンクローナ(約1億2700万円)は、真鍋氏とハッセルマン氏に4分の1ずつ、パリージ氏に2分の1が贈られる。【三股智子、渡辺諒、大場あい】
 真鍋淑郎(まなべ・しゅくろう)氏
 1931年愛媛県新宮村(現・四国中央市)生まれ。53年東京大理学部卒。58年東大大学院博士課程修了。理学博士。同年渡米し、米気象局大気大循環セクション研究員に。63年米海洋大気局地球流体力学研究所上席気象研究員。97年に帰国し、科学技術庁地球フロンティア研究システム地球温暖化予測研究領域長就任。2001年再び渡米し、プリンストン大客員研究員に。05年から現職。
 90年米科学アカデミー会員。92年ブループラネット賞、米気象学会ロスビー研究メダル。95年度朝日賞。97年ボルボ環境賞。09年日本学士院客員。10年米物理学連合ウィリアム・ボウイ・メダル。15年ベンジャミン・フランクリンメダル。18年クラフォード賞
 89~90年に、国連の気候変動に関する政府間パネルIPCC)初の評価報告書の主執筆者を務める。09年に表面化した、温暖化研究の根幹となる気温データの操作疑惑「クライメートゲート事件」後は、各国科学アカデミーを傘下に置く組織「インターアカデミーカウンシル」(IAC)のレビュー委員(評価担当者)として、IPCCに対する勧告をまとめた。」
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 10月5日20:57 MicrosoftNews 読売新聞「ノーベル賞決定の真鍋さん「原動力は好奇心」「気候変動が大変なことだと多くの人が気づいた」…単独インタビュー
 © 読売新聞 ノーベル物理学賞の受賞が決まり、喜びを語る真鍋さん(5日、米ニュージャージー州内の自宅で)=船越翔撮影
 【プリンストン(米ニュージャージー州)=船越翔】コンピューターによる気候変動予測の礎を築いたとして今年のノーベル物理学賞の受賞が決まった米プリンストン大の真鍋淑郎さん(90)。5日に自宅で読売新聞の単独インタビューに応じ、「約60年にわたって気候の研究を続けてきた原動力は好奇心だ」と満面の笑みで語った。
 米東部時間5日午前5時(日本時間同日午後6時)頃に、スウェーデン王立科学アカデミーから受賞決定の電話がかかってきたという。「本当ですか。信じられない」――。真鍋さんは電話口でそう答えたという。
 同アカデミーは2018年、地球科学や数学などの基礎研究に貢献した研究者に贈る「クラフォード賞」を真鍋さんに授与。今年は、スウェーデンの地元ラジオ局がノーベル賞候補の一人として名前を挙げていた。とはいえ、「宇宙や素粒子分野の受賞者は多いが、私のような気候学者が選ばれるなど聞いたことがない。広い分野の研究者が対象になるのは素晴らしいことだ」と驚く。
 その上で、今回の受賞決定は「気候変動の問題がかつてないほど大きくなってきたことが背景にある」と分析する。「世界で大洪水や干ばつ、火事、熱波が問題になっている。日本では大雨や強い台風による被害も毎年のように起きている。気候変動が大変なことだと多くの人が気づいてきた」。
 渡米したのは1950年代。高速コンピューターを駆使し、60年代後半に大気と気温の関係を調べた研究成果を発表した。「あれが本質を捉えた研究で、私の出発点だった。ホームランのような論文だ」と振り返る。
 これまでの研究生活については「苦労らしい苦労はなかった」と語る。気候分野の研究者の信念としてきたのは「外に出て気候がどうなっているかを肌で感じること。何にでも好奇心を持つことが肝心だ」という。
 日本の若手研究者が厳しい環境に置かれていることも知っている。「以前は自分も地球温暖化の問題がこんなに大きくなるとは夢にも思っていなかった。気候問題に好奇心を持ち、60年夢中になってやってきた。自分が好奇心を持つような研究をやることが大切だ」とエールを送った。
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 10月5日21:25 産経新聞「真鍋氏、温暖化予測のパイオニア「大切なのは多様性」
 ノーベル物理学賞の受賞が決まった真鍋淑郎・米プリンストン大上席研究員=2017年10月
 「研究で一番大切なのは多様性です」-。地球温暖化の予測に関する先駆的な研究を続けた業績が高く評価され、外国籍を含め日本で28人目のノーベル賞受賞者となった真鍋淑郎(しゅくろう)氏。地球規模の研究に与えられた大きな栄誉に、真鍋氏を知る人からは「後進の研究者にとっても、大きな励みになる」と祝福が寄せられた。
 真鍋氏は1931(昭和6)年、愛媛県新宮村(現・四国中央市)の出身。日本気象学会の機関誌「天気」などによると、親戚一同は医師。旧制三島中学(現・同県立三島高)を卒業し、東京大に入学した当時は、医師を目指すつもりだった。
 ところが、カエルの解剖実験では誤って神経を切断、化学実験では試薬を間違えて爆発させてしまうなどミス続きだったという。結局、医学の道を断念し、地球物理学、そして気象学の道に進むことになった。
 東大大学院の修士課程では「雨の予報」の研究に挑戦した。当時はまだ計算機のない時代。仲間とともに昼夜、人海戦術で計算に取り組んだ。
 博士課程のとき、この研究をまとめた論文が米気象局の目に留まり、研究官としてスカウトを受けた。
 「素晴らしいオファーだ」
 当時の日本の気象庁は旧軍気象部の人材を多く採用しており、博士号を取得したところで職を得るのは難しく、渡りに船だった。日本にとっては「頭脳流出」だったともいえる。
 1958年に渡米。そこでの研究環境は日本とはまるで違っていた。世界最先端の計算機が自由に使え、日本よりはるかに高給。そして研究室では、気温や雨の分布といった地球の大気の動きをコンピューター上で再現し、大気循環モデルをつくるという野心的なプロジェクトが始まったばかりだった。
 「研究三昧でまるで天国」。ただ、コンピューターのプログラミングは大の苦手。ノイローゼになるほど苦労したが、最新鋭の研究に没頭していると瞬く間に時は流れた。
 当時の米国は57年のソ連による人類初の人工衛星スプートニク1号」の打ち上げ成功に衝撃を受け、科学研究に大きな力を注いでいた。人工衛星の打ち上げは失敗続きだったが、周囲の研究者らはそれに落胆することなく、その技術をどう気象学に利用するかについて議論し合った。のびのびとした、夢いっぱいの研究環境が真鍋氏を米国にとどまらせた。
 97年までの約40年間にわたり、米国の公的機関で気候研究に従事。生涯を通じて全球気候モデルの開発と応用研究を行い、温暖化科学の世界的パイオニアとなった。

地球温暖化対策の新たな枠組み「パリ協定」を採択した2015年の国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)の際には、真鍋氏の功績をたたえ、開催地のフランス・パリの駅構内に、真鍋氏の名前や全球気候モデルの数学方程式を記したパネルが掲げられた。
 多様性の中で偉大な研究は生まれた。地球流体力学研究所の日本人研究者には日本での仕事を辞して渡米した者も多かった。「その不安定さがクリエイティビティにはいい」。真鍋氏は09年、特別招へい教授を務めていた名古屋大の広報誌のインタビューで当時を振り返り、こう語っている。
 「もっと今の人たちも外国に出ていってほしい。うまくいかなくても英語くらいは上手になって帰ってくる。違ったものの考え方も吸収できる。研究で一番大切なのは、多様性です」
 17年に日本で開かれた笹川平和財団海洋政策研究所主催の地球温暖化に関する講演会で、「天気予報の社会に対する貢献は大変で、本当はノーベル賞を与えてもいいと僕は思う。そのくらい今、天気予報は素晴らしくなってきた」と冗談交じりに語っていた真鍋氏。天気予報を超える地球規模の貢献に、最高の栄誉が贈られた。」
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