🌌14}─1─干魃。歴史に残る地獄のような旱魃被害史。~No.55No.56No.57 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 現代の日本人は、昔の日本人とは違って金に苦労しても、生き死に関わる地獄のような悲惨を知らないし、それ以前に知ろうとはしない。。
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 干魃
 北米干魃。2012~13年、アメリカ、メキシコ、カナダ、ア
496億ドル~561億ドル。
 北米干魃。1988~89年。532億ドル。森林火災。死者4,800人~1万7,000人。
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 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
 干魃 かんばつ
 降水が異常に少なく、河川の水量も減少して、ダムや溜池(ためいけ)や井戸の水が涸(か)れる現象をいう。このために農作物や果樹の生育が損なわれ、ひどいときには枯死する。日本では空梅雨(からつゆ)のときにひどい干魃がおこり、田植などもできないことがある。冬に太平洋沿岸地方では、夏をしのぐほど干天が続くことがあるが、電力などは別にして、農作物は夏の水不足ほどの影響は受けない。これは、冬は夏に比べて水分の蒸散が少ないからである。
 日本の干魃の原因は、夏季に太平洋高気圧が一気に勢力を増して、日本付近を覆うためで、梅雨前線なども十分な雨を降らせないままに北上し、いわゆる空梅雨になることによる。干魃の程度は、比較的気温の高い西日本から沖縄県方面に著しく、北日本ではむしろイネは豊作に転ずることが多い。
 干魃は、太陽のエネルギーは十分すぎるほどにあることから、水分を補給する灌漑(かんがい)施設が整えば、その被害を防ぐばかりか、農作物は豊作に転ずることができる。多目的ダムなどが河川に設けられ、灌漑用水が確保されたので、農作物の干害は少なくなった。
 日本は周囲が海であり、比較的湿潤な気候であるので、干魃の年は局地的には不作の所があっても、イネなどは全般的には豊作な所が多く、このため「日照りに不作なし」などといわれる。しかし、人口の都市への集中が高まり、また生活様式の向上とともに生活用水の使用量が飛躍的に増加したため、大都市では生活用水の慢性的な水不足が問題となってきている。また沖縄では地形的に十分な貯水池を設ける余裕もなく、水不足が常習化している。
 昭和10年代以降の干魃の年をあげると、1939年(昭和14)(西日本、中部日本。干魃面積が広かった)、1947年(中部以西)、1951年(西日本、中部日本)、1967年(九州、四国)、1973年(全国的)、1978年(全国的であったが、とくに福岡地方での給水制限は翌年までにも及んだ)、1984年(全国)、1985年(中国~東北)、1994年(平成6)(全国)、1995年(沖縄~北陸)がある。
 また干魃の年には農作物に害虫の発生が多い。高温と干天が害虫の異常発生を促すといわれている。
 世界的にみると干害はもっとも規模の大きい災害である。アフリカの東部から中部にかけての干魃は、1970年代以降、断続的に続いている。この地帯は政情の不安もあって、600万の人々の飢餓の問題に発展している。そのほか、気候変動に伴い、アメリカ合衆国、インド、中国、ロシア、オーストラリアおよび周辺諸国などに規模の大きな干魃が頻発している。その結果、地球上から緑の地域がしだいに減少しているのは、人類の生存上大きな問題となっている。[安藤隆夫・饒村 曜]
 『気象庁観測部編・刊『全国の干ばつの記録(明治以降)』(1992) ▽丸山浩明著『砂漠化と貧困の人間性――ブラジル奥地の文化生態』(2000・古今書院) ▽中村哲著『医者井戸を掘る アフガン旱魃との闘い』(2001・石風社) ▽高橋裕著『地球の水が危ない』(岩波新書)』
[参照項目] | 異常気象 | 害虫 | 空梅雨 | 灌漑 | 飢饉 | 気候 | 気候変動 | 気象 | 気象災害 | 北太平洋高気圧 | 凶作 | 砂漠化 | 梅雨前線 | 日照り
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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 旱魃(かんばつ)とは、雨が降らないなどの原因である地域に起こる長期間の水不足の状態である。旱は「ひでり」、魃は「ひでりの神」の意味である。いずれも常用漢字ではないため干ばつと表記する場合があり、また干魃との表記も見受けられる。
 旱魃の被害を総じて旱害(かんがい)と呼ぶ。干害とも書き、これは旱害の書き換え語でもある(従前から存在する同音同義語であり、新しい表記ではない)。
 旱魃はその地域の水資源の存在量と人間の水需要がアンバランスになることによって発生するため、純粋な物理現象とはいえない。
 定義と分類
 旱魃の定義は関係する学問領域によってそれぞれ定義されており、以下のものが代表的である。
 気象学的旱魃
 乾燥気象が、深刻な水分のアンバランスを引き起こすほどある地域で続くこと。
 気候学的旱魃
 平均降水量などが年間・月間などの同期間内で、非常に少なくなっていること。
 農業的旱魃
 穀物生産や畜産に悪影響を及ぼすような降雨量の不足。
 水文的旱魃
 河川、貯水池、帯水層、湖、土壌における平均以下の水量が一定期間継続すること。
 旱魃の影響
 旱魃によってその地域の環境、経済、社会に様々な影響が発生する。一般的には次のような事象が起こる。
 自然火災(山火事など)
 農作物・狩猟・果物などの収穫減少
 河川の水量の減少が漁業に悪影響を及ぼすこともある
 害虫問題の増加
 貧困、生活苦による自殺。
 避難民、移住者の発生
 社会不安
 戦争
 飢饉(飢餓)
 疫病
 砂漠化
 これらの問題は、外部資源への依存率の増大や残された水資源の品質(汚染状態)など様々な要因が複雑に絡みあって発生する。その国のインフラの整備状況によって旱魃の影響(とくに飢餓)が甚大になることも、あるいは軽減されることもある。

 大規模な旱魃
 カーボベルデ、18世紀–19世紀。死者数10万人以上。被災者多数がニューイングランドなどに移住、捕鯨業に従事。
 インド、1900年。死者数25万人~325万人。旱魃による飢饉、病気。
 ソビエト連邦ウクライナ、ヴォルガ地域、1921・1922年。25~500万人が旱魃による飢饉により死亡。
 ソビエト連邦ウクライナ、クバン、北コーカサス、1932–1934年。ホロドモール。死者数:500万~1000万人。
 中国北西部、1928–1930年。死者数300万人以上、飢餓。
 中国四川省、1936年。500万人が死亡(飢餓)。3400万人が移住。
 アメリカ合衆国大平原地帯、1930–1937年。3回の旱魃
 中国四川省、1941年。死者数250万人。
 インド、1965–1967年。
 イラン、1968–1972年。
 サヘル(サハラ砂漠南縁地域)、1968–1974年。
 エチオピア、1973・1974年。
 ボリビア、1983年。
 エチオピア1984・1985年。
 オーストラリア、2001年–進行中。Drought in Australia。淡水化プロジェクト(Desalination Projects)(パース・ゴールドコースト)。多くの地域で節水規制が設けられている。ブリスベンではダムを建設する予定。
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