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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
今そこまで忍び寄っている破滅的危機が理解できない現代日本。
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2019年7月7日号 サンデー毎日「季節の人たち 森健
感染症に涙した畜産農家たち
殺生を扱う商売には、命の近さならではの思いがある。そんなことに気づいたのは大規模な感染症が宮崎を襲ったときだった。
2010年4月、宮崎県児湯(こゆ)郡で口蹄疫(こうていえき)が発覚した。当初は和牛1頭だったが、その後急速に感染が拡大。同月末には4,000頭、5月末には3万、豚は13万を数えるほどに急増した。同県の畜産業を壊滅させそうな勢いだった。
そんな中、6月上旬から一週間ほどの期間で現地に向かった。主な取材先としたのは被害の大きかった川南町だ。地元メディア、行政関係者、畜産農家。人から人へ、2時間程度の区切りで朝から夜まで、延々と会っていった。
取材を始めると、感染を拡大させた畜産家はすぐに判明した。1例目は隣の都農(つの)町で3月に下痢症状を出した水牛の農家。だが、問題を拡大させたのは7例目として確定した和牛預託商法をしていた企業という話だった。
『その牛舎では2月に発熱症状が出ていたが、そこの獣医は実務経験の少ない、指示書を書いてばかりの「ハンコ獣医」。だから初期症状に気づかなかったんだわ』
4月に感染がわかった繁殖農家の男性は怒りをにじませた。
別の肥育農家の男性は、よだれを垂らし、40.3度という発熱をした肥育牛を見つけると、『頭ん中が真っ白になって』家畜保健衛生所に連絡した。
『うちは破産だ!と叫んだ。この一帯を封鎖せえ!と伝えたよ』
死に物狂いで消毒し、3日間で3キロ体重が減ったという。
会う農家はみな疲れ果て、苦渋の表情を浮かべていた。そして少なからぬ人が涙した。話を続ける中で、彼らの心中には経済的損失だけではない何かが見え隠れしているのに気がつかない。
ある繁殖農家の男性は町外れの片隅で話し込む中で、君らにはわからねぇと語りかけた。
『自分ところの牛を殺処分されるという気持ちがね・・・』
繁殖農家の仕事は、『孕(はら)ませて、産ませて、育てた牛をセリに出し、肥育農家に販売する』ことだ。
最終的に牛は枝肉(えだにく)として売られる。殺すという行為は殺処分と共通している。それでも、屠場(とじょう)に送られるのと殺処分では天と地ほどの差があると彼は語った。
『本当の本当を言えば、屠場に送るのだっておれは嫌なんだ』
以前、屠場に牛を運ぶ仕事をした時期があった。屠場に着くと、牛は目の色がギラギラと変わる。
『みんなわかるんだろう。抵抗した牛が多かった。だとすれば、今の殺処分でも嫌なものを感じている牛たちが多いだろうと思うんだ』
その上で、おれたちは牛に感謝して生きてるんだと続けた。
『家や牛舎は近く、朝から夜までずっと一緒。家族みたいなもんだ。だから、商売のネタだけど、それだけじゃない。そこにわれわれの悲しさがあるんだ』
テレビの報道では防護服や消毒の風景が移され、感染騒動は収まっていなかった。カメラの外では、個々の農家にまで語られていない何かがあるようだ」
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家畜伝染病問題は、後に愛媛県の加計学園畜産大学新設に絡む安倍首相への忖度騒動へと発展し、反アベの政治家やメディアは半狂乱的に追求して安倍政権を倒そうとしたが、森友学園問題同様に無意味な空騒ぎとしてに政治を混乱さ、国民に政治の虚しさを味あわせて自然消滅した。
この間、国際状勢が深刻化を増し、日本が重大局面に直面しているのに、日本はあまりにも能天気なほど平和ボケであった。
政治家、官僚、学者、メディアなどの高学歴出身知的エリートは、自己満足的視野狭窄的イデオロギー闘争に血道をあげ、日本国の安全や日本国民の生命財産を守る気がない。
高学歴出身知的エリートは、現地を知らず、現場に行かず、危険汚いを敬遠し、安全で快適なオフィスで報告書のデータを見てハンコを押して仕事を終える。
その傾向は、2011年の東日本震災以前から表面化していた。
被害妄想型、欲求不満解消型などによる無差別的凶悪犯罪も増加している。
国際的に名が知れた大手企業は、利益を上げ金を儲ける為に日本製品の安全データを誤魔化し改竄して売って、信用・信頼を踏みにじっていた。
日本の安全が徐々に消えつつある。
その傾向は、1995年の阪神淡路大震災から始まっている。
だが、それは日本国民が自分の意思で選んだ事である。
政治を混乱させ、国の安全を疎かにした、政治家・官僚・学者・マスコミは誰も自分の愚かしさを認めないし謝罪しないし反省しない。
テレビ・ラジオなどの放送メディア、新聞・雑紙・雑誌・書籍などの紙メディア、そしてSNSなどのインターネット情報など、破廉恥なほど厚顔無恥である。
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現代日本は潔癖症に近いほどに消毒が行き届いた清潔な社会として生が溢れ、死が排除さ目に見ない。
昔の日本は、不安定な社会と儚い命ゆえに生と死が同居し、日常生活で死を恐れながら死を受け入れていた。
現代の日本人は昔の日本人は違い、何処が違うかと言えば相手に対する想いと状況への想像力である。
相手に対する想いと状況への想像力があったのは、死を目の前にして、死臭を感じ、死をと共に生きていた昔の日本人である。
今後、移民国家を目指す日本に、外国人移民(主に中国人移民)が増えていけば日本国内から日本民族日本人の色合いが薄れ消えていく。
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