🍙11〗─2─大阪朝日新聞「米の過剰と人の過剰」。神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 米(34-005)。〜No.38No.39No.40 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 1933年10月18日 大阪朝日新聞「米の過剰と人の過剰
 一
 食糧問題は久しいあいだ日本人の苦悩であった。殊に大正七年の米騒動以来は、国民が何となくこの問題の前に憂鬱を感じた。国土が小さいのに弥が上にも人口が殖える。これではやがて食糧に窮するときが来るであろう。殊に日本人は米を常食とし、なかにも日本米に特別の執着をもっているから、外国から食糧の補給をうけることが難かしい。こういう心配に駆られて、歴代の政府は米の増産を奨励し、国民もまた粒々辛苦の労力を続けて来た。ひとり内地のみならず、朝鮮や台湾でも、莫大なる費用を投じて水利灌漑の土工を起し、米田の拡張につとめた。移民の奨励も食糧不安の反映であったといえよう、国土豊饒で温い御飯が腹一ぱいたべられるなら、誰れしも言葉も解らぬ外国へ行って働きたくはないであろう。大陸へ伸びようという国民的動向の奥底にもこの不安が強い力で流れていることを見のがしてはならぬ。日本人は今日でもこの鬱陶しい不安におびえながら活きているのである。
 二
 ところが今年は米が出来すぎて困っている。昔は豊年ぢゃ満作ぢゃといえば百姓皷腹して喜んだものであるのに、今日はその豊稔を前にして、農家のみならず国民も政府も極度の憂鬱に襲われている。今年は六千五百万石を超える豊稔である。このままにしておけば、来年度末には、標準持越高の五百万石を別除しても、なお一千万石に近い米が余る。これでは困るというのである。それでは日本人は一人も残らず米の飯を食い飽いているのかというと決してそうではない。僻地寒村には米を作りながら、それを食い得ないで、麦を食い粟を食い芋を食うて暮す人も沢山いる。僻地寒村ならずとも、欠食児童は都会のまんなかの小学校にもいるではないか。それに日本が米を持て余している。これが不思議でなくて何であろう。これを不思議とも何とも思わないで、米作減段や移入米制限などを考えているのは、政治が国民生活の僕婢であることをわきまえない政治家だけではあるまいか。
 三
 内閣統計局は昭和七年における人口増加を百万七千四百人と発表した。まさに空前の膨脹である。我等は「数は力なり」と見て一途にこれを慶賀してよいのであろうか。否、むしろ人口激増の裏には、やがて国民生活の不安が加わって行くことをおそれなければならぬ。さればこそ、さきごろ発表された思想対策委員会の社会政策具体案にも「人口問題の調査研究をなし適切なる対策の樹立につとむること」という一項があるのである。日本全土が肥沃な耕地であったとしても、なお世界有数の人口稠密国であるのに、実際は山岳重□の不毛地が大部分で、耕作に適する地積は全面積の一割五、六分に過ぎない。この可耕面積だけについていうと、一□平方の人口は二千七百五十人にもなって、イギリスの二千百七十人、ベルギーの一千七百九人、イタリーの八百十九人に対比して、まさに世界第一の密集地帯である。満洲国を同一経済圏と見ても、満洲国の人口は一平方マイルにつき七十四人であって、すでにアメリカの二倍に近い密度である。これを思うと、一ヶ年の人口増加百万突破と聞いて嘆息をもたらすのも無理はない。ただ不思議なのは、これと並んで過剰米の堆積が頭痛の種になっていることである。
 四
 米を持て余しているのは眼前の事実であって、人口過剰は国家百年の問題であるから、これを並べ考えて、不思議でもなければ矛盾でもないという人があるかも知れぬが、それは逃口上である。今日の日本は世界中で最も景気のよい国であるが、それでも労働者総数の一割に近い失業者があるではないか。生活不安におびえる子宝家族の心中沙汰を如何に見るか。これでも人口問題は今日の問題でないといえるであろうか。米穀過剰の問題も果して今日限りに問題だといえるであろうか。一年や二年の減段や移入制限で、永久にその禍根を絶ち得ると誰れが断言し得るか。
 五
 問題の真諦は人の過剰でもなければ米の過剰でもない。人と米との接触がわるいだけである。この問題は単に米の問題ではなくて、実は今日の社会生活を蝕む根深い疾患の一徴候に過ぎぬ。農家は奨励されるままに忠実に働いて米を作ったのである。人口は健全なる家族制度の当然の結果として殖えたのである。いずれもその履み来った道において罪もなければ過もない。みだりにこれを抑えては国民の努力を水泡に帰せしむるのみならず、精神的にも欺かれた者の失望を感ずるであろう。今日の悩みは実体の疾患ではなくて機能の疾患である。だからその対策も、物質生産の方面よりも、むしろ流通分配の方面に重点をおかねばならぬ。疾患の根原を確めないで、その場かぎりの対症療法でお茶を濁そうとするから、問題が矛盾し、政策が支離滅裂になる。」
 データ作成:2005.6 神戸大学附属図書館
 神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 米(34-005)
   ・   ・   ・