🍙33〗─1─食糧植民地化の小麦戦略。肉・パン食への大改造計画。ロックフェラー財団の報告書。日本人の本性はえげつないほどに醜い。昭和22年~昭和30年~No.208 @ 

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   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 国際穀物資本に支配される食料輸入国家日本。
 食糧とは、戦略的武器であり、植民地支配の道具である。
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 家畜に餌を与えて飼い慣らした。
 乳牛は乳を搾り、鶏には卵を産ませ、豚や肉食牛は殺して肉を得る。
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 『星の流れに』「泣けて涙も涸れ果てた こんな女に誰がした……」
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 日本人の平均寿命は、衛生環境と栄養状態の悪化で、男性50.06際、女性53.96歳であった。
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 大人も親のある子供達は、戦争孤児(駅の子)を人間以下の犬猫、ばい菌と差別し軽蔑した。
 社会は、生きる為に犯罪をする戦争孤児(駅の子)に対し、無視から敵意へと変わっていった。
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 1万4500年前 ヨルダン北東部のナトゥフ文化遺跡からパンの残骸が発見された。
 種なしパンとは、発効させず焼いたパン。
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アメリ穀物業界の小麦戦略
 アメリカの穀物商社各社は、急速に、世界の穀物市場を席捲いていった。
 ユダヤ系国際金融資本は、穀物商社に多額の投資を行い、影響力を強めた。
 アメリカは、日本の食糧を支配する為に、和食を欧米食に切り替える食の大改革を行った。
 日本の食文化を破壊する為に、学校給食で子供達にパンと牛乳を食べる様に指導した。
 西洋礼賛派は、「コメを食うと馬鹿になる」や「アメリカ人の様な知恵と体力を付けるには、魚ではなく肉を食べるべきだ」などと、子供に教えた。
 そして日本文化を破壊する為に、日本語を止めて西洋語を公用語にしようとした。
 言語は、民族であり、文化であり、宗教であった。
 西洋礼賛派は、日本的なモノ全てを日本から抹消して、日本を西洋化しようとした。
 その為に、日本語と和食を破壊する事であった。
 アメリカは、日本を日本人の為に日本らしく再建するのではなく、アメリカ人が理解できる様にアメリカ化して生まれ変わらせようとうとした。
 日本に、アメリカ文化が洪水の様に流れ込んだ。
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 ユダヤ人国際資本は、反日として、日本の全てを完全支配しようとした。
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 戦後の日本は、アメリカ・GHQの圧力を受けながらも、戦災からの復興と経済発展を目標にして前を向き知恵を絞り自らの手足を動かし続けた。
 何時までも終わった事をクヨクヨ考えて何もしないより、明日を考え、家族を食わせる為に、無理して笑顔を作り、何かを自分で見付けて始めた。
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 1947年1月31日 マッカーサーは、二・一ぜネストの中止を命じた。
 ストライキを利用して食糧遅配を深刻化させて暴力的共産主義革命を起こそうとした、日本共産党の計画は失敗した。
 マッカーサー「私は、現在の日本の困窮状況の中で危険な社会的武器を使う事を許させはしない。一般ストは交通やコミュニケーションを妨害し、食糧が人々に渡らなくさせ、石炭を燃料として利用できなくさせ、産業に停滞をもたらす。社会の麻痺は、飢餓へ至る人々の数を増加させるであろう」
 自分の政治信条を最優先するマルクス主義者は、貧困に喘ぎ食糧を求めて彷徨う旧帝国市民の食糧供給を遮断して、食糧輸送再開という恫喝で、都市労働者の権利拡大とプロレタリア階級の為の社会改革を要求した。
 ソ連は、日本で共産主義革命を起こして天皇制度を崩壊させる様に、左翼・左派のマルクス主義者に示唆し、そして活動資金を与えた。
 マルクス主義者やキリスト教徒などの反戦平和市民団体は、昭和天皇を、侵略戦争を命じた戦争責任を告発し、中国などでの残虐行為を黙認した戦争犯罪と糾弾した。
 天皇制度廃止を求める日本人は、昭和天皇ヒトラーと同罪の極悪人と子供に教えている。
 それが、現代日本の中国と韓国との共通歴史教育である。
 国家元首昭和天皇が、皇太子時代から、朝鮮人や日本人のテロリストに命を狙われていた事を知りながら黙殺した。
 中国人と共に、暗殺テロ決行の勇気に喝采を送り、暗殺テロが失敗した事を残念がった。
 2月 八高線で転覆事故が起き、184人が死亡した。
 3月1日 日本政府は、食糧を確保する為に、農家が闇市場に農産物を売る事を防止させるべく新たな指針を発表した。
 吉田茂首相「農家に肥料や他の必要な資材を提供する事は最重要課題であり、我々は、食糧危機が終わるまで困難に耐えなければならない」
 3月5日 警察は、GHQの指導に従って、農家に対して主食の供出を強制した。
 日本政府は、「日本の復興と、経済における農業と非農業要素との根本的な相互関係と食糧の役割を強調する」キャンペーンを行い、食糧配給の強化する事を表明した。
 マッカーサーは、第8軍に食糧集荷の監視と集荷を妨害して私腹を肥やす政府役人の監視を命じた。
 スティーブン・フックス「肥料産業が、食糧増産、さらには日本の戦後の産業復興に果たした役割は大きい。農業生産と収穫は、天候に左右される場合もあるが、多くの場合、肥料が豊富にあるかどうかに依存していた。」
 5月 石橋湛山蔵相は、国家復興の財源確保の為には、国家予算の3分の1に及ぶ占領軍の進駐経費を大幅削減する必要があると主張した。
 敗戦国の国民としては、アメリカの圧力に屈せず、GHQに対して正論で批判する石橋湛山を「心臓大臣」と呼んで支持した。
 GHQ民政局(GS)は、反米運動が起きる事を危惧して2割削減に応じたが、その直後、アメリカに逆らう不埒者として公職から追放した。
 アメリカは、アメリカの意向に逆らう者に這い容赦せず、石橋湛山はこの後も要注意人物としてマークされ、1956年12月に総理大臣に就任するや圧力を加え体調不良を理由に翌57年2月に退任させた。
 石橋湛山は、1973年4月に88歳で天寿を全うした。
 日本は、アメリカの保護国である。
 日本政府は、アメリカの意向には逆らえず、国益よりも対米配慮が最優先とされた。
 アメリカ支配を象徴するのが、第九条の平和憲法である。
 「憲法は権力者の暴走を縛る」というのであれば、平和憲法は日本を縛り圧力を加えるアメリカの強固な意志である。
 アメリカに従わない政権は倒され、アメリカに楯突く政治家は失脚させられた。
 6月 食糧難の時期にベビーブームが起きた為に、乳幼児の栄養失調が深刻化し、乳幼児死亡率が戦後最も高くなっていた。
 政府は、乳幼児の死亡を食い止めるべく「健康優良児」の表彰を行っていたが、評判が良くなかった。
 6月5日 読売新聞「虚弱児にこそ栄養剤、その他が与えられるべきではないか。十分な栄養を与えたくても、それだけの経済的余裕もない、世の多くの母親たちは、この非常識なやり方を到底納得することはできないだろう」 
 7月31日 読売新聞「母乳不足の母より
 私は満11ヶ月の人工栄養児の母ですが、乳製品の配給が止まり、ヤミ・ミルクに頼らなければなくなりました。
 ミルクの不正受給をされている方の仕業に相違ありますまい」
 戦後の混乱時に、日本人は自分一人が生きて行くのがやっとな状態にあった為に、他人の事などに構っている余裕はなかった。
 日本人の美徳といわれる「助け合いの精神」などは、極限状態に追い詰められれば糞の役にも立たなかった。
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 政府は、児童福祉法制定で戦争孤児(駅の子)の保護に乗り出した。
 戦争孤児(駅の子)は、朝鮮戦争の特需で社会が豊かになるにつれて消えていった。
 だが、日本人はやはり冷たかった。
 大人は、子供に冷淡で、子供を犠牲にしても罪悪感はなかった。
 日本人は、子供に優しいは嘘である。
 日本人は助け合うは嘘で、日本人は助け合わないが正しい。
 いざとなったら、日本人は何をするか分からない。
 日本人の本性はえげつないほどに醜い。
 日本人は優しいは、悍ましいほどの欺瞞である。
 大人は、平然と、嘘をつき、ごまかし、責任を他人に押し付けて逃げ隠れする。
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 10月11日 東京地裁の判事・山口良忠(33)は、配給以外の食事を拒み、栄養失調が元で死亡した。
 「食糧統制法は悪法だ。しかし法律としてある以上、国民は絶対に、これに服従せねばならない。自分はどれほど苦しくともヤミの買い出しなんかは絶対にやらない……自分はソクラテスならねど食糧統制法の下喜んで餓死するつもりだ」
 山口矩子「私達は清く正しかったと誇っています」
 小黒善蔵判事は、栄養失調から肛門周囲炎で病死した。
 荒井虎雄判事は、肺炎を患いながら仕事に追われて死亡した。
 「僕はもう10ヵ月ばかり寝てその間ただで俸給もらっている。仕事が忙しい時に皆に迷惑かけて、ただで月給もらうなんていうのは詐欺や盗人と同じだ。絶対にやめさしてくれ」
 11月6日 結婚情報誌『希望』が主催する「青空集団お見合い」が、多摩川河川敷で催され、全国から20〜50歳の男女386人が参加した。
 全国の自治体も、積極的に集団お見合いパーティーを開いた。
 11月28日 衆議院。一松定吉国務大臣「戦前のわが国におけるコメの生産の5ヵ年の平均をとってみますと、日本の生産が6,700万石、朝鮮からの移入をいたしておりましたのが850万石、台湾からのが490万石、……この5ヵ年の平均をとってみますと、わが国における消費量が8,010万石になるのであります。8,010万石というものを、その当時の人口の平均7,000万人にこれを割り当ててみますと、一人が一石一斗四升という事になります」


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 1948年 ロックフェラー財団は、日本の食料供給についての調査団を派遣し、GHQに人口と食糧に関する提言を行った。
 フランク・ノートスタイン「今の8,000万人も現状の耕作面積では支えられず人口問題は明白だ。……産児制限を採用しても効果が現れるまで長い年月がかかる。だが人口抑制には産児制限こそ唯一人道的で有効な手段である」(10月12日 GHQ外交局覚書)
 アマリカの穀物業界は、食糧海外依存度の高い日本は有望な穀物の輸出先になると判断し、食事改革として米食を止めパン食に切り替えるべく戦略を練った。
 国際食糧企業団は、食べ物による日本支配を強める為に、日本の食糧自給率を下げるべく日本の政治家や官僚を抱き込み、学者に研究費として多額の賄賂を渡して日本食批判の論文を書かせた。
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 アメリカの新たな世界戦略は、軍事・エネルギー・食糧で世界を支配する事である。
 ウィスコンシン大学教授「食糧は軍事的武器と同じ『武器』であり、直接食べる食糧だけでなく、畜産物の餌が重要である。まず、日本に対して、日本で畜産が行われているように見えても、餌を全てアメリカから供給すれば、完全にコントロールできる。これを世界に広げていくのがアメリカの食糧戦略だ」
 日本は、食糧が戦略物資である事を忘れた。
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 3月4日 参議院。小林英三「我々は無謀なる戦争によりまして、朝鮮、あるいは台湾、あるいは南方、あるいは南樺太を失いますしる、また一方におきましては推定750万人の海外引揚同胞の帰還、あるいは従来わが国におきましてその勢力範囲でございましたるところの中国、あるいは満州、南方、これらの勢力範囲から優先的に食糧その他重工業用資材でありまするとか、その他の資源を獲得する事を失ったのであります。したがいまして今日わが国の国民が生活して行く上におきましては、食糧の上におきましては約2割の食糧が足りない事はご承知の通りであります」
 7月13日 GHQは、戦争の原因となった人口過剰と食糧不足を解消する為に、産児制限として人工妊娠中絶を合法化する「優生保護法」を制定した。
 計画的産児調整を前面に出す事は、国家権力による産児統制と勘ぐられ、命に対する人権及び宗教倫理に反すると見られる危険性がある為に、「不良な子孫の出生を防止する」という優生思想と復員者による性犯罪で望まれない子を生まなくて良いという女性保護を理由とした。
 GHQによる産児制限が、2010年代からの人口減少の原因であった。
 つまり、深刻な人口減少は政策によって意図的に作られたものであった。
 松谷明彦(政策研究大学院大学教授)「戦後のやむなき選択だったとはいえ、妊娠件数の数割が中絶させられたとみられており、人口構成が歪になった。その影響が、70年余りの月日が経過した今日になって表出してきた」
 ◎優生保護法 法律第百五十六号(昭二三・七・一三)
 第一章 総則(この法律の目的)
 第一条 この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする。
 (定義)
 第二条 この法律で優生手術とは、生殖腺を除去することなしに、生殖を不能にする手術で命令をもつて定めるものをいう。
 2 この法律で人工妊娠中絶とは、胎児が、母体外において、生命を保続することのできない時期に、人工的に胎児及びその附属物を母体外に排出することをいう。
 1996年に改正され,「母体保護法」と改名された。
 10月 白洲次郎「産業を復興させて行くには輸出マインドに徹底しなければ駄目だ、石炭や食糧をアメリカから買う為にも、輸出を積極的に推進する事を使命とする役所に商工省を改革して行かなくてはならない」


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 1949年 GHQ『参謀研究』 在日朝鮮人に特別な権利を付与すると毎年8万287トンの食糧追加が必要になり、日本国内の食糧が消費されると報告した。
 マッカーサーは、帰国を拒絶されて行き場を失った在日朝鮮人日本国籍を与えて日本国民とする様に、日本政府に要請する事を検討した。
 ウィリアム・シーボルトは、日本人と朝鮮人の間の埋めがたい歴史的不信感から日本政府は受け入れないだろうし、天皇制度廃絶の共産主義を支持すると公言する在日朝鮮人に国政参政権や中枢官僚任用権を与え国政参加を許しては、天皇制は廃止されて日本は左翼化して大混乱に陥るとして反対した。
 マッカーサーは、日本を共産主義の防波堤にする為に天皇制度を利用するするべく、左翼勢力を強化する妥協案を撤回した。
 万世一系男系天皇(直系長子相続)は、反共産主義戦略として保持された。
 ゆえに。左翼・左派のマルクス主義者は、全てを調べ尽くした上で昭和天皇の戦争責任を追及し、昭和天皇の退位と天皇制度の完全廃止を主張して譲らない。
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 ドッジ・ライン。金融政策として、為替レートとして1ドルを360円に固定した。
 アメリカの対外金融政策として、ドルとの交換レートが2桁の通貨は「二流国」で、3桁は「三流国」と見なした。
 3桁による円安固定は、日本を三流国として金融支配を行う為であった。
 反骨心旺盛な戦後産業の創業者達は、戦争に負けたがもの作りでアメリカに勝つとの意気込みで、屈辱的差別レートを逆手に取って輸出主導で戦後復興と経済発展を目指した。
 敗戦国日本は、アメリカ産の原油を3割安で購入し、人口増加と原油安で経済復興と高度成長を遂げた。
  
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 2月 労働省は、東北の貧困農村で生活に困窮した農家で少女の人身売買か続出している為に監督に乗り出した。
 東北や新潟の男達は、農作業がなくなった冬場に、東京や大阪などの都会に出稼ぎを行っていた。
 当然。少女達も、戦前同様に生活苦の為に都会へと働きにで、中には大金を稼ぐ為に性風俗に身を落とした少女もいた。
 都会は戦後復興に邁進していたが、地方は戦前同様に悲惨な状況は変わってはいなかった。
 農村は、都会の為に取り残され、日本経済の為に事実上見捨てられた。
 国民世論とされるのは、生産者の農村ではなく消費者の都会であった。 
 4月7日 駐日韓国代表部は、GHQに対して、共産主義にかぶれた者を含む全ての在日朝鮮人の帰国を望んでいないという書簡を送った。
 韓国内の右派系新聞も、左翼イデオロギーに染まった在日朝鮮人を帰国させる事は、民主韓国の建設にあたって深刻な問題を引き起こす危険があると提言した。
 左派系新聞は、自由韓国を建設するにあたって、国内外に散らばっている民族の叡智を結集すべきであるとして、在日朝鮮人の帰国を促すべきであると訴えた。
 日本国内の在日朝鮮人団体も、朝鮮文化や国語を忘れた同胞に対して、イデオロギーに関係なく帰国できる様に民族教育を続けた。
 北朝鮮側は、在日朝鮮人を政治利用する為に思想教育を最優先として、在日朝鮮人の子弟に反米・反韓国・反日・反天皇マルクス主義を叩き込んだ。
 4月7日 参議院。帆足計「ご承知の如く、昭和6年に6,500万でありました日本の人口は、今や領土は半減せるにかかわらず、すでに8,000万を超え、近く9,000万の人口になろうとしております。その上、出生率は未曾有の増加で、しかも一方ペニシリンその他の衛生施設の向上により死亡率は激減し、年々生まれる人口は300万、人口の純増加は160万にも及ぼうとしております。産児調節の問題は厳粛なる宗教的ならびに倫理的問題をも内包しております事は十分に承知しておりますが、敗戦祖国の如何とも抜け道のない悲惨な現状を考え、今後生まれ来る子の将来を考えますと、今や真剣にこれが対策を考究せねばならぬところに来ているとおもいます」
 5月12日 衆院農林委員会。伊藤佐開拓局長「かっての昭和11,2年頃には、朝鮮、台湾から米が、千三、四百万石くらい入っておりました。これはトン数に直しますと、ちょうど200万トンくらいにあたるのであります。そのほか台湾から砂糖が100万トンないし120万トン入っていました」
 5月17日 参議院。岡村文四郎「戦争が済んだら、その当時は大分日本の国民も食糧に関心を持っておったと思います。ところがアメリカの救助物資によって、また忘れた。そうなるとまた薄れた。もし一朝事があったらどうするのか」
 5月22日 衆議院。青柳一郎「根本的の解決と致しましては、何といいましても産児制限に俟つより外にないと思うのであります。子供を産む、それが為の貧乏をなくす為に、やはり産児制限が正しく行われなければならないのでありまして、……産児制限に関する正しい知識、正しい指導にまたねばなりませんとともに、これら貧困なる人々に対して、産児制限に必要なる器具または薬をただで与えるというような方向に進むべきであると私は考えるのであります」
 6月23日 読売新聞「狭き国内に過大な人口を擁していながら今もって思い切った人口政策の樹立が出来ず……国土の面積と釣り合わぬ人口」
 6月27日 シベリアから抑留されていた日本人捕虜約2,000人が帰国し、その多くが赤旗を振り革命歌を歌い、戦争犯罪者・昭和天皇の退位を要求した。
 GHQは、ソ連工作員が敗戦国日本に入り込んだとして警戒を強化した。
 7月 共産主義者が指導していると思われるストライキが、全国で多発し、社会は革命前夜の如く騒然とし始めた。
 GHQは、ストに参加している労働者の大半は、失業の不安とコメの遅配に不満を抱いているのであって、本気で天皇制度を崩壊させるという共産主義に共鳴しているのではないと分析していた。
 特に、食糧問題が解決すれば混乱は収まるれば、革命気運は収束すると判断した。
 リチャード・フィン「共産主義革命も遠くないという希望と恐れ」
 GHQ労働・教育担当R・ドヴァーオール「日本政府は、約350万人が闇市場に関与したと見積もり、再三にわたり、全ての在日朝鮮人は『闇市場集団』だと指摘した。」「闇市場に関与する朝鮮人の背後には汚い日本人の政治家、公職追放者、ゴロツキがおり、彼等は日本警察の追跡や逮捕が囁かれる中で『友好人士』という朝鮮人の戦後の地位を利用している」
 貧困と飢えに苦しむ日本人は、闇市場を支配して金儲けする在日朝鮮人を「三国人」として嫌悪し、そして差別した。
 ごく一般的日本人は、戦前の皇国史観教育を受けていた為に、神の裔・昭和天皇こそ被害者として擁護し、2000年間続いてきた日本民族万世一系男系天皇(直系長子相続)制度存続を強く望んでいた。
 左翼・左派のマルクス主義者は、民族の「絆」とも云うべき皇室の天孫降臨神話の完全破壊を目論んだ。
 それが。日本の無責任体質の元凶は天皇制度にある以上、人として責任がとれる様にする為に天皇制度を廃止せよという、天皇無用論あるいは天皇廃止論である。
 11月9日 衆議院。琵琶島英二「今年の1月から3月ごろまで日本に来られて、人口問題、移民問題を研究しておられたアメリカの人口学者……トムソン博士……が本年3月我が国を去られなすときに日本の人口問題の解決は、日本人個人が自主的にやる妊娠調節以外に道はない。さしあたり移民の問題については諸般の政治的な考慮もあったと思いますが、従来のような積極的な意見は表明せずに帰られたわけであります」

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 1950年 国家予算は、6,600億円。
 戦後の農地改革で、資産を持った大地主がいなくなり、化学肥料を買えないような中小零細農家が急増した結果、農地は荒廃し、農産物生産量は減少した。
 海外からの引き揚げ者とベビーブームによって人口が急増して、都会では深刻な食糧不足となった。
 日本政府は、食糧増産の為に引き揚げ者を全国に設けた開拓村に入植させて農業に従事させ、都会における産児制限として「優生保護法」を改正して中絶や堕胎を解禁した。
 開拓村はもともと農地には適さず放置されていた不毛に近い土地であった為に、開墾は失敗して開拓民達は土地を放棄して都会に移住して、食糧増産計画は失敗した。
 2月7日 参院農林委員会。東畑精一「内地だけではそういう亊(自給)が出来ませんので、結局植民地というものへ相当の依存をいたしております。先程も申し上げましたように米につきましても多いときは朝鮮と台湾から1,500万石ぐらい来てましたですが、まあ千2,3百万石というところですが」
 「戦前ですらあの様に、食う為には4百何十万トンの物を入れなければならなかったというのが日本なのでありますが、戦前に比べて人口だけでも1,200万人くらい殖えている今日において、よほど国内の増産という事をしなければ、輸入という事をですね、私は防ぐ事がもちろんできない」
 6月 朝鮮戦争の勃発。 日本経済は敗戦の痛手から脱しきれず、産業の復興は進まず、生産も低調で失業状態の戦争被災者が巷に溢れていた。
 敗戦国日本は、食糧を輸入する為の外貨がなかったので、人口増加に見合う食糧をアメリカの人道支援に頼っていた。
 朝鮮戦争が起きるや、アメリカは対日占領政策を自立抑制策から自立復興策へと180度転換した。
 慢性的食糧欠乏の飢餓国家日本も、実現不可能な自給自足体制の農業産業立国から現実的な食糧海外依存体制の貿易産業立国に方針を変更した。
 アメリカから食糧を購入する外貨を稼げた為に、輸出できる商品の生産に全力をあげた。
 食糧を安定した購入する為に、西側陣営の一員としての責任と義務を自覚して、他国以上の国際貢献に全力を尽くした。
 食糧不足の日本が、一元外交で、アメリカの自由主義陣営に参加した事によって安心して食糧を購入して飢餓を押さえる事が出来た。
 農家は、農産物生産を増やす為に化学肥料と機械化を行い、少人数で農作業が可能になった為に、収入を増やす為に農閑期に副業を始めた。
 地方の農村部で、余剰人口が爆発的に増加した。
 同時に。昔ほど子供を多く生まなくても野良仕事ができる様になった為に、地方の人口は減少に向かい始めた。
 地方で仕事がない若者は、就職を求め都市に流れ始め、地方の労働人口も減った。
 上昇志向の強う若者は、最初は安定した生活を求めてとにかく働ける仕事を求めが、次第にやり甲斐のある仕事に、そして自分がやりたい仕事へと向かった。
 各企業は、年功序列と終身雇用で安定した生活を保障した。
 年功序列や終身雇用は、日本にはなかったもので、この時日本に本格的に導入された雇用形態である。
 さらに、マイホーム主義や土地神話や持ち家志向も、アメリカン・ライフやアメリカンスタイルへの強い憧れから生まれた。
 各企業は、他社にない製品を開発し、需要を切り開くべく、リスクを恐れず意欲ある若者達に斬新な商品開発を行わせた。
 会社と若者達は、新しい分野に進出する挑戦者として邁進した、
 製造業は、安価な労働者を大量に雇い、安い日本製品アメリカなどに輸出して利益を得た。
 物作りによる一括生産という日本モデルの完成である。
 企業も労働者も、戦争で焼け野原となって何もない日本を、アメリカのように物が溢れる豊かな国にするべく働いた。
 稼いだ金で製品を買い込んみ、さらに新しい商品を買った。
 街頭テレビが食堂に一台となり、町内に一台が各家庭に一台となった。
 自動車、洗濯機、冷蔵庫、生産された製品が店頭に並べられ、新聞や雑誌、テレビやラジオによる広告で消費意欲を?き立てた。
 家族円満の証し、豊の象徴として、消費者は金を貯めて他人よりも早く製品を買って 自慢した。
 日本経済が驚異の復活は、輸出の好調と国内消費の回復であった。
 日本の強みは、外需と内需を車の両輪としたからである。
 都市部の人口増加は、地方からの人口の移動によるものであった。
 日本の総人口は緩やかに増えていたが、実態としては人口減少に向かい始めていた。
 都市部の人口は投資と生産の人口ではなく貯蓄と消費の人口に過ぎなかったが、消費人口の増加でカネとモノの流動性が高くなって、日本経済は急速に発展した。
 だが。60年代後半になると、都市への低賃金労働力を供給していた農村部での余剰農民が急速に減少し始め、製造業では労働者不足に苦しみ始めた。
 賃金の上昇にともない日本製品の価格も引き上げられた為に、国際競争力が低下し始めた。
 ワシントンは、安価な製品を大量に輸出してアメリカ経済に大打撃を与えている日本経済を押さえ込む為に、さらなる圧力を強め始めた。
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 旧来の常識を打ち砕き、生活を一転させるような新製品を作り出しているうちは日本の物作りは無敵だあったが、それができなった時、日本経済は衰退し始めた。
 日本の強みとは、何もない所に何かを発見するという創造的基礎力ではなく、AとBを組み合わせてCを作り出すという想像的応用力であった。
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 衰退と繁栄は一卵性双生児のように共に生まれ共に行動し共に訪れ、繁栄に自信を持って安心し豊かさに安住して油断すると、その瞬間から衰退が始まる。
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 左翼・左派のマルクス主義者の主張に従って、全方位外交で、ソ連中国共産党との関係を開いたら、日本は確実に餓死地獄となった。
 階級闘争史観を絶対視する彼等は、日本人民の置かれている食糧不足などの貧困の原因を、歴史的な人口増加ではなく、極一部の資本家の搾取が原因であるとし独占的資本主義打倒を掲げた。
 事実。中国は、毛沢東の大躍進大号令(1958〜61年)で農村部を中心に非共産党員人民約1,000万人が餓死し、その失敗を隠蔽する為に反主流派党員数百万人が粛清された。ソ連では、共産党員以外の一般労働者はその日の食糧に事欠く極貧状態に追い込まれていた。その他の共産主義諸国も、同様に悲惨な生活環境にあった。
 中国とソ連の人口は、減少するどころか増加し、増えた人民は仕事と役職を要求した。
 プロレタリア独裁による理想国家を建設しようとしたマルクス主義理論は、人道を無視し、人権を破壊し、法秩序を崩壊させ、社会に不正横領を蔓延らせ、共産党高級幹部の腐敗堕落のみもたらした。
 人口増加に対して。社会主義体制諸国の政策は、資産平等の原則から、新たな私有産業は貧富の格差を助長するとし、資本階級による人民搾取を防止する為に社会の発展を党主導で抑制し、失業者を出さないように社会レベルを下方に押さえ込んだ。  
 資本主義体制諸国は、機会平等の原則から、多少の格差は必要悪とし、新たな商工業を興す為に科学技術及び新製品の開発などに資本を集中させ、市場を国外に拡大して雇用を増やし、貢献度の高い者から成功報酬として所得が配分された。
 だが。一部の資本家は、利潤を独占する為に、機械化を導入して労働者を減らした。 
 独占資本主義によって豊かなっても、その陰で失業者は増加し、目に見えて貧富の格差が広がり、巷に溢れた大量の貧困者は社会に対する不満を増大させた。
 貧困者は、格差の是正の為に、新たな仕事と利益の公平な分配を要求した。

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 1955年 政府予算は、約1兆円に達した。





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