🍙34〗─3─ルーズベルトの日本民族絶滅方針とGHQの日本人口減少政策。加藤シズエと優生保護法。サンガー。~No.220No.221No.222 @ 

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 GHQの産児制限による人口抑制策に対して、保守派は国力の衰退につながるとして反対したが、革新派は母子保護であるとして賛成した。
 左翼・左派のマルクス主義者(共産主義者)は、天皇制度廃絶の為には日本独自の大家族主義を破壊する必要があるとして、家から個人を引き離すべく新たな教育を推進した。
 日本的家制度を消滅させる手段が、人口激減であった。
 こうして、人口激減は避けられなくなった。
 個人の幸せとは、「結婚し子供を産み家族をつくる事ではない」とされた。
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 2018年2月15日号 週刊新潮「変見自在 高山正之
 シズエとヒトラー
 男は女を漁って楽しく人生を過ごす。でも『女は違う』とアグネス・スメドレーは書いている。
 『女にとって性は恋愛の一部ではない。性は暴力を意味した。体が成熟すると男たちの餌食にされ、結婚すれば子供を次々産まされ、疲れ果てて一生が過ぎていく』
 だから二度も堕胎させられた彼女は夫を捨ててニューヨークに出た。訪れた先は妊娠と堕胎から女性を守る運動家マーガレット・サンガーのオフィスだった。
 彼女はそこで避妊を学んだあと、上海へと渡って奔放な性を楽しんだ。
 サンガーはそんな彼女のために『様々な避妊具を送ってやった』と細見三英子が『20世紀特派員』に書いている。尾崎秀実もその避妊具のお世話になった1人だった。
 スメドレーと前後してサンガーの許を訪ねた日本人がいた。後に社会党代議士となる加藤シズエだ。
 彼女はサンガーの運動に心酔し、日本に戻ると母体保護だけでなく、もっと過激に『不良な子孫の出生の防止』を訴え、1931年(昭和6年)、日本産児調整連盟を立ち上げた、避妊、中絶どころか断種も公言した。
 その2年後、シズエと思いをほとんど同じくするヒトラーが遺伝病根絶法を定めて、こちらはさっさと強制断種を始めた。
 シズエは先を越された悔しがったが、日本はドイツほど野蛮ではないから彼女の出る幕はなかった。
 しかし先の戦争が終わったあとシズエに強い味方が現れた。サンガーの祖国、米国だ。
 もともと日本の戦後処理は終戦の年に急逝したフランクリン・ルーズベルトの『日本を四つの島に閉じ込めて滅ぼせ』という遺言に基づいていた。
 小さな有色人種国家のくせに世界を支配する白人国家群を脅かし、あまつさえ彼らの財産の植民地をことごとく解放した罪はまさに万死に値した。
 で、どう滅ぼすか。
 まず近代工業国家日本を『釜鍋を作るだけ』の国に落とすためエドウィン・ポートーの対日賠償使節団がやってきて、工場の解体と工業機械の支那朝鮮への搬出が粛々と進められた。
 幸いというか、作業さなかに朝鮮戦争が起きて工業国家は解体されずに済んだ。
 日本の無力化はマッカーサーが請け負った。『日本は残虐だった』とかの自虐史観の刷り込みと戦力及び交戦権の放棄を謳った彼の憲法が押し付けられた。
 そしてとどめに日本を吹けば飛ぶような人口小国にするための実験が米富豪クラレンス・ギャンブルを中心に実施された。
 実験の中心はサンガーの産児制限の導入と中絶をいいものだと思い込ませる洗脳工作だった。
 シズエはここで再浮上してくる。戦後、最初の総選挙を前に『ある日、GHQの将軍が訪ねていらっしゃったんです』(自伝『ある女性政治家の半生』)。
 シズエは『懇々と説得』されて衆院議員になると持論の過激な産児制限を吹聴した。潤沢な資金がギャンブルから流れ、シズエは時の人になった。
 そして『国を滅ぼす』と反対する芦田均らを押しのけて昭和23年、優生保護法。が成立した。
 人口抑制が国策にされた瞬間だった。その異様さを隠すためギャンブルはサンガーを訪日させて人口抑制がとてもいいことのように朝日新聞に書かせた。
 日本を滅ぼせと遺言したルーズベルトの思いはつい数年前に日本の人口減少という形で実現した。
 米国の手先になった社会党、そして朝日新聞はとても喜んでいるだろうと思っていたら、先日ヘンな記事がその朝日に載った。
 半世紀前、知的障害をもつ少女は、多分ご両親に連れて行かれ、シズエの法で断種された。それで子供を産めなくなった。こんな残酷をやった国は賠償しろと訴えを起こしたというのだ。
 この法律はマッカーサー憲法と同じに占領下、米国が作らせた。朝日はずっとあっちはいいと言ってきた。なぜこっちはだめか。そこをよく説明してほしい」

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