🍙22〗─1─反日強硬派ルーズベルトは日本を戦争に追い込んだ。開戦の詔書。東條英機宣誓供述書。1941年。~No.115No.116No.117 @ 

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   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 昭和 食糧・エネルギー・原材料が自給自足できない「持たざる国」日本は、政治面で国際連盟主導の国際協調と経済面でアメリカ依存の自由貿易の路線を採用していた。
 大恐慌で、食糧・エネルギー・原材料を輸出していた「持てる国」イギリスは、輸入と輸出を制限する保護貿易政策を採用し、市場を閉鎖して日本製品を締め出した。
 アメリカも保護政策を採用し、南北アメリカ大陸を閉鎖して日本製品を排除した。
 国際市場は、ブロック経済で閉ざされた。
 日本は、新たな市場を求めて中国大陸に進出した。
 欧米列強は、中国市場を独占する為に軍国日本を「悪」と決めつけて、中国から追放しようとした。
 極東アジアの戦争はこうして始まった。
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 軍国日本は、食糧も石油も鉱物資源もなく、このまま飢え死にするよとは、ジリ貧となって自滅するよりは、百に一つ、万に一つの勝利を信じて無謀な戦争を始めた。
 サムライは、如何なる状況下に追い詰められても諦める事はなかったし、干戈を交えれば如何なる相手であろうとも必ず勝つとの必勝の信念で戦いに望み、負けるつもりで戦うというで滅びの美学など信奉してはいなかった。
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 佐瀬昌盛防衛大学名誉教授)「歴史は直線的ではないということを大学できちんと教えるべきだ。直線的ではなく横道にそれる。つまり非均質的。かつ緩急的で、ゆるくなったり、勢いがよくなったりする」
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 チャーチル「迫りくる危険に背を向けて、それから逃げ出すべきではない。それをすれば危険は2倍になる。それに素早く敢然と立ち向かえば危険は半分に減るだろう。何ごとに出合っても、決して、決して逃げるな」
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 ウィリアム・イングドール「食糧危機は、世界の食糧供給、ひいては世界の食糧価格に及ぼす地政学パワーの戦略的な増大を意味するものであった。……食糧の供給は、武器にはならなかった。食糧支援の拒否、飢餓こそが武器となったのである」(『マネーハンドラー ロックフェラーの完全支配 アグリスーティカル(食糧・医薬)編』P.107。111)
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 ウィリアム・ウェブ(東京裁判裁判長)「私は日本が9,000万人の住む小さな土地で耕作できる面積はその内15%にすぎず、外部から激しい貿易制限や規制を受けていたとの弁護士の論述に多くの正論と酌量の余地を認めた。
 私はアメリカなりイギリスなりが同じ様な状況に置かれたらどのように反応したか、それどころか国民がどのような反応する事を望んだかを考えてみた。
 アメリカもイギリスも日本は1941年に置かれていた様な状況にあれば、戦争に訴えていたかもしれないのである」
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 白善菀「日本は四方を海に囲まれた海洋国家である。その日本が日露戦争から第二次世界大戦までの間に大陸志向になってしまったところに、日本の悲劇と敗戦の原因がある。当時の日本国内には過剰人口の受け入れ先と食糧問題があって、無限の資源が眠る満州に魅了されてしまったのであろうが、無論そこには古からの先住民族がおり、しかも隣にはいざ戦いとなれば残虐の限りを尽くす世界最大の陸軍国家ロシアと国境を接している。大陸国家であれば、一旦緩急あっても、何らかの対処方法を見出すものであるが、海洋国家の日本に大陸経営の困難を処理するノウハウも資質もそもそもない」(『朝鮮半島対話の限界』)
 日本の植民地支配と侵略戦争に協力した親日派売国奴
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東條英機宣誓供述書〕「南部仏印進駐問題44 日本の食糧事情としては当時(1941年頃にあっては)毎年約150万トン(日本の量目にて900万石)の米を仏印及び泰(タイ)より輸入する必要がありました。それらの事情のため日仏印の間に1941年(昭和16年)5月6日に経済協定を結んで70万トンの米の入手を契したのでありましたが、仏印は契約成立後1ヶ月を経過せざる6月に協定に基く同月分契約量10万トンを5万トンに半減方申出て来ました。日本としては止むなくこれを承諾したところ7、8月分についてもまた契約量の半減を申出でるという始末であります。泰においては英国は1940年(昭和15年)末に泰ライス会社にたいして、シンガポール向け泰米60万トンという大量の発注をなし日本の泰における米の取得を妨害いたしました」( 『大東亜戦争の真実』 東條由美子編 P.69、70)
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 山岡荘八「思えば長い間の日米関係であった。
 嘉永6年(1853年)の6月3日。ペルリ提督が浦賀にやって来て、日本人をあの幕末維新の大波に追い込んでから約100年、とにかく日本人は彼らを好意ある先進国として兄事もし尊敬もして来ていた。歴代のアメリカ大統領もまた、彼らが建国の思想として来た自由と正義を抛棄(ほうき)してまで、日本人の信頼を泥土に任すような過ちはあえてしなかった。
 ところが、その日本が、人口の過剰になやみ、生きる道を満州の荒野に求めていったことから、はしなくも彼らは、彼らの信奉する『自由と正義』が、白色人種のみの間に通用するもので、有色人種にとっては全く無縁の空語であったことを示して、この日、この時、この反抗に激発してしまった。
 したがってこれは一米国と、一日本の戦いと云うよりも、ヨーロッパ文明の内包する、『自由と正義』の利己と矛盾が、はじめて大規模な近代装備を持つ、有色人種の反撃を招き寄せたという、人類全体の歴史の転換期に入っていく『夜明けの風』であったのだ」(『小説太平洋戦争』)
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 ケロッグ国務長官は、不戦条約についてアメリカ議会で「侵略戦争は、不戦条約の対象にならない。また国境を越える侵入のみならず、重大な経済的脅威を与える行為も侵略戦争でる」という趣旨の発言をおこなった。
 資産凍結及び禁輸措置などの経済制裁は戦争行為と認め、その包囲網を外交交渉で解決できない時は、自衛として宣戦布告できると認めた。
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 アメリ共産党は、ソ連の指示に従い、日米戦争を引き起こすべくルーズベルト政権に対日強硬策をとる様に国内世論を反日へ誘導した。
 日本の外務省は、アメリカの反日国内世論の裏でアメリ共産党が暗躍している可能性があるとして、極秘に調査し分析して東京の本省に報告していた。
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 2015年5月19日号 Newsweek日本語版「日本が子だくさん過ぎて困っていた時代
 子供が足りない。このままいけば、超高齢社会を支える労働力が不足する。少子高齢化現代日本にとって最も頭の痛い問題だ。ところが、かって日本にも『多産』に悩まされていた時代があった。戦後の47〜49年に到来した第一次ベビーブーム期だ。
 50年5月8日号のニューズウィークは、『赤ちゃんが多過ぎる?日本が国を挙げた産児制限へ』という特集を掲載。第二次大戦の講和条約交渉が正念場を迎えた占領下の日本にとって、隠された長期的課題である人口問題を取り上げた。
 記事によれば、日本の人口は17世紀半ばから19世紀半ばにかけて約2,500万人程度を維持していた。明治維新後に急増し始めた人口は、男性が多数徴兵された太平洋戦争の時期にいったん頭打ちになるが、戦後の復員兵が帰還すると安堵感とともに第一次ベビーブームを迎えた。
 47年には、日本の合計特殊出生率は4.54と過去最高を記録。当時は、人口過剰が食糧不足を招くことが社会問題となっていた。記事はこう書く。
 『爆発的に増える人口をどうやって支えるのか。支えられないのであれば、人口をどうやってコントロールするのか。戦後日本の人口は今や8,000万人に達し、年間100万人以上の割合で増えている。75年までには1億人に達すると見込まれているが、日本には6,500万人分の食料しかない』
 子だくさんに手を焼いた政府は、人口抑制策として産児制限に着手する。危険なヤミ堕胎を減らし、望まない妊娠から女性の生命・健康を守るという目的と、戦前から展開されていた優生運動を背景にして48年に『優生保護法』が成立。不妊手術や人工妊娠中絶を行う条件を緩和するとともに、避妊具を推進する産児制限キャンペーンを始めた。
 49年には法改正され、人工妊娠中絶の要件に『経済的理由』が加えられたが、ニューズウィークの東京特派員はこの要件を特に問題視していたようだ。中絶要件を満たすかどうかを審査する『優生保護審査会』を取材に訪れ、子連れで浮かない顔の妊婦7人が4人の男性職員に中絶の許可を求めに来ている様子を細部にわたって記事に書いていた。
 一方で当時の人口問題の専門家たちは、このキャンペーンで人口を抑制できるとは考えていなかったようだ。他国の例を見ると、産児制限が効果を生むのは国家が工業化を遂げたときだけ。『農家では、子供一人は一人分の労働力を意味するが、都市では子供一人は一人分の負担増を意味する』と、記事は伝えている。
 49年に10万件だった中絶件数は53年には100万件に達し、出生率も急激に低下した。人口は1億2,800万人をピークに2011年から減少を始め、60年には1950年と同等の8,000万人台にまで落ち込むことが予想されている。
 多過ぎれば食糧難、少な過ぎれば労働力不足──。どの国にとっても、人口を適正なレベルにコントロールするのは簡単ではない。日本政府は労働力不足を補うために、最近女性に目を付けているが、『産める環境』を整えなければかえって少子化を加速しかねない。」
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 左翼・左派のマルクス主義者は、戦前日本の批判を声を大にして騒ぎ立てるだけに、全ての事を知っている。
 相手を批判する者は、礼儀として、批判する相手の事を調べ尽くし、研究し尽くし、総てを理解しているものである。
 学校で勉強し教養を身に付けた者であれば、一般常識として、知らないで批判する事はありえない。
 批判する以上は、大人であれば知っていて当たり前である。
 知らないで批判するなど、大人であればあり得ない事である。
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 開戦の詔書 
 天佑ヲ保有万世一系ノ皇祚ヲ践(ふ)メル大日本帝国天皇ハ昭(あきらか)ニ忠誠勇武ナル汝有衆(ゆうしゅう)ニ示ス。
 朕茲(ここ)ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス。
 朕ガ陸海将兵ハ全力ヲ奮テ交戦ニ従事シ、朕ガ百僚有司(ひゃくりょうゆうし)ハ励精(れいせい)職務ヲ奉行シ、朕ガ衆庶(しゅうしょ)ハ各々其ノ本分ヲ尽シ、億兆一心国家ノ総力ヲ挙ゲテ征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算(いさん)ナカラムコトヲ期セヨ。
 抑々(そもそも)東亜ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄与スルハ、丕顕(ひけん)ナル皇祖考(こう)、丕承(ひしょう)ナル皇考(こうこう)ノ作述(さくじゅつ)セル遠猷(えんゆう)ニシテ、朕ガ拳々(けんけん)措(お)カザル所。
 而(しこう)シテ列国トノ交誼ヲ篤クシ、万邦共栄ノ楽ヲ偕(とも)ニスルハ、之亦(これまた)帝国ガ常ニ国交ノ要義ト為ス所ナリ。
 今ヤ不幸ニシテ米英両国ト釁端(きんたん)ヲ開クニ至ル。洵(まこと)ニ已(や)ムヲ得ザルモノアリ。豈(あに)朕ガ志ナラムヤ。
 中華民国政府曩(さき)ニ帝国ノ真意ヲ解セズ、濫(みだり)ニ事ヲ構ヘテ東亜ノ平和ヲ撹乱(かくらん)シ、遂ニ帝国ヲシテ干戈(かんか)ヲ執(と)ルニ至ラシメ、茲(ここ)ニ四年有余(ゆうよ)ヲ経へタリ。
 幸ニ国民政府更新スルアリ。帝国ハ之ト善隣ノ誼(よしみ)ヲ結ビ相(あい)提携スルニ至レルモ、重慶ニ残存スル政権ハ、米英ノ庇蔭(ひいん)ヲ恃(たの)ミテ、兄弟(けいてい)尚(なお)未(いま)ダ牆(かき)ニ相鬩(あいせめ)クヲ悛(あらた)メズ。
 米英両国ハ、残存政権ヲ支援シテ東亜ノ禍乱からんヲ助長シ、平和ノ美名ニ匿かくレテ東洋制覇ノ非望ヲ逞たくましウセムトス。
 剰(あまつさ)ヘ与国ヲ誘(いざな)ヒ、帝国ノ周辺ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戦シ、更ニ帝国ノ平和的通商ニ有(あ)ラユル妨害ヲ与ヘ、遂ニ経済断交ヲ敢(あえ)テシ、帝国ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ。
 朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡(うち)ニ回復セシメムトシ、隠忍久シキニ弥(わた)リタルモ、彼ハ毫(ごう)モ交譲(こうじょう)ノ精神ナク、徒(いたずら)ニ時局ノ解決ヲ遷延(せんえん)セシメテ、此ノ間(かん)却(かえ)ッテ益々経済上軍事上ノ脅威ヲ増大シ、以テ我ヲ屈従セシメムトス。
 斯(かく)ノ如クニシテ推移セムカ、東亜安定ニ関スル帝国積年ノ努力ハ悉(ことごと)ク水泡ニ帰シ、帝国ノ存立、亦(また)正(まさ)ニ危殆(きたい)ニ瀕(ひん)セリ。
 事既(ことすで)ニ此ニ至ル。帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為、蹶然(けつぜん)起ッテ一切ノ障礙(しょうがい)ヲ破碎(はさい)スルノ外(ほか)ナキナリ。
 皇祖皇宗ノ神霊、上(かみ)ニ在リ。
 朕ハ汝有衆(ゆうしゅう)ノ忠誠勇武ニ信倚(しんい)シ、祖宗(そそう)ノ遺業ヲ恢弘(かいこう)シ、速(すみやか)ニ禍根ヲ芟除(さんじょ)シテ、東亜永遠ノ平和ヲ確立シ、以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス。
 御名御璽
 昭和十六年十二月八日
 各国務大臣副書
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 軍国日本は、自主独立国家の権利として、戦時国際法及びパリ不戦条約に従って「自存自衛の戦争」を宣言した。
 だが。国際社会は、日本の国権としての自衛権発動を認めず、国際法違反の侵略戦争と断罪した。
 軍国日本は、国際社会から、国家としての権利を全て剥奪され、日本人は人間としての基本的権利さえも否定された。
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 憲法は、国家元首天皇の独裁的暴走を食い止める為に、全国務大臣の副書がない勅命は無効であると定めている。
 天皇に如何なる権限も与えない事は、天皇に責任を及ぼさないという事である。
 つまり。政治家は、国家元首天皇に責任を転嫁せず、全ての責任を引き受ける覚悟が求められた。
 それが、日本の立憲君主制である。
 現代日本の無責任体質は、天皇制度に関係なく、現代日本人の責任を他人に押し付けて逃亡する惨めさにある。
 ゆえに。現代日本人は、名誉を重んずるサムライではない。
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 国際法は、日本の弁明を一切認めず、如何なる理由も許さなかった。
 当然。日本の、自衛権も、正当防衛も、決して認めない。
 軍国日本は、侵略戦争を奇襲攻撃で始めた戦争犯罪国家である。
 それが世界常識である。
 神国日本は、未来永劫、許されることのない戦犯国家である。
 それが、世界史の正しい見方である。
 平和を愛する日本人は、「戦前の日本が行った全ての行動は国際法に違反する犯罪行為」とする、国際司法機関の判決を無条件で受け入れた。
 戦争を否定する日本の歴史は、世界史の常識を無条件で受け入れた。
 現代の日本は、平和憲法の下で、周辺諸国から「愛され信頼される国家」になる為に自衛権を放棄し、軍隊を持たないと宣言した。
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 サムライは、裏切られ、騙され、利用された事を、嚇され殺されようとも決して認めない。それを認める事は、サムライとしての名誉を汚し、自分の無能さや馬鹿さや愚かさを公言する事であるからである。
 相手から、裏切った事や、騙した事や、利用した事を、謝罪されたり、賠償金を渡されたりする事は、サムライとして死ぬほどの恥辱であり、屈辱であった。
 サムライは、体面を重んずるがゆえに恥辱や屈辱を最も嫌った。
 サムライは、栄耀栄華を求めず赤貧を貫いた。
 朝鮮や中国の様に恥も外聞もこだわらない儒教を手本とせず、寡黙で静謐に心を置く仏教と神道を生きる支えとしただけに、人前でこれ見よがしに大げさに泣き叫び転げ回って悲嘆に暮れる様を最も嫌った。
 サムライは、決して、事において騒がず、慌てず、狼狽えはしなかった。
 サムライとして真っ当に生きて死ぬ為に、生真面目で、几帳面で、いい加減を嫌い、悪ふざけを嫌い、それ以上に弱い者を虐めて嘘偽りをついて私欲を得る事を最も嫌った。
 サムライは、アジアの中で唯一日本にしか存在しない。
 だが、現代の日本にはサムライの「志」や「気概」は存在しない。
 つまり、「個」を最優先する現代日本人は「公」を軽視するがゆえにサムライ・武士・武者ではない。
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 現代日本には、サムライ・武士・武者はいない。
 現代日本人は、サムライでも、武士でも、武者でもない。
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 現代の日本は、目先の利益を優先して、先の悲惨を考慮しない。
 現代日本人は、創造力欠如の自惚れ愚鈍となって、昔の日本人ほどに、歴史を学び、過去から教訓を得て襟を正し身を引き締めて非常時に備えようとはしない。
 同じ過ちを繰り返す以上の、最悪な状態に陥りつつある。
 「この間まではまずい」事が分かっていても、「今の快適な生活」を捨てきれず、自分達のツケ・負債を子供達に押し付けて、優雅な生活を満喫しながら逃亡しようとしている。
 責任は、子供にあるのではなく、今の大人にある。
 問題なのは、その当人である大人が責任の重大さに無自覚にいて、自分こそが最良な善良であると確信している事である。
 そうした一部の善人が、ネットユーザーを無責任に牽引している。
 ネットユーザーの善人が吹く笛は、右にしても左にしても「ハーメルンの笛吹き」である。


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