🍙26〗─2─アメリカの『対日計画書』。本土決戦前夜の花岡鉱山事件。中国人労働者は暴動を起こして脱走した。昭和20年6月~No.169 @ 

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   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 軍国日本は、一億総玉砕を覚悟して本土決戦の準備を進めていた。
 日本民族日本人は、全滅という絶望の中にあっても最後の勝利という希望を持って、最後の一人になるまで「国體」を守る為に戦おうとしていた。
 軍国日本人は、靖国神社に願をかけ、死を覚悟していた。
 靖国神社とは、軍国主義の精神的支えであった。
 日本国内の食糧は欠乏していたが、輸送網が攻撃され寸断されていた為に農村地帯には溢れていた。
 農家が、意地悪をして農作物を供出せず、都市住民が飢えるに任せて苦しめていたわけではなかった。
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 軍国日本には、大食漢の朝鮮人200万人と爆食の中国人数万人と連合国兵士捕虜数万人が乏しい食糧を食べていた。
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 日本国内には、絶体絶命下に追い込まれてもなを、心を一つにして難局を乗り越えようとしない人間が少なからずいた。
 彼らは、厭戦気分を広め抗戦意欲を削ぐ為に、コソコソと、敗北を認め、戦い諦め、降伏すべきだと囁きながら歩いていた。
 沈没確実な船を救う為の無駄な努力を諦め、生き残る為にさっさと逃げだすべきであると。
 彼らは、靖国神社を否定している。
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 6月30日 花岡鉱山事件。秋田県大館市花岡鉱山。
 鹿島組は、鉱山労働力不足を補う為に、1944年7月から中国人労働者986人を強制連行した。1945年6月迄に、重労働とわずかな食べ物による栄養失調で137人が過労死した。
 中国人労働者は、傲慢な日本人監督官に激怒し、日本人労働者並みの賃金と食べ物と居住空間などの労働環境条件の改善を要求した。
 鹿島組は、食糧不足と本土決戦前という非常時を理由にして拒否した。
 中国人800人は、鹿島組の誠意なき回答に激怒して6月30日夜に蜂起し、日本人補導員4人などを殺害し逃亡を図った。
 翌日 憲兵、警察、警防団は、窮乏状態にある銃後の治安を崩壊させる危険が有り、不逞外国人騒動が全国に拡大させない為に総出動し、中国人逃亡を逮捕し、抵抗する者はを惨殺した。虐殺された中国人、計419人。
 外務省管理局は、『華人労務者就労事情調査報告』で、死因は栄養価の乏しい食事と過酷な労働条件にあったとしている。
 この事件は、日本の非人道的戦争犯罪とされ、国家及び企業の戦争犯罪の一つに数えられている。
 強制連行された朝鮮人や中国人が強制労働させられている、全国の炭鉱、金属鉱山、港湾、軍需工場などでも不穏な空気が漂い始めた。
 食糧を失った日本人は、絶え間なき空爆により、 今にも餓死しそうな状態に追い詰められていた。
 44年から約1年間で、日本に強制連行されていた抗日的な中国人(8万人以上)と反日的な朝鮮人(200万人〜400万人)は、連合軍の日本攻撃に連動して、不穏な動きを見せ始めていた。
 政府は、国内の外国人労働者への不安から「義勇兵役法」と「国民義勇戦闘隊」の結成を公布した。
 公権力は、約130万人を動員して、民間人を戦場に追い遣り玉砕させようとしていた。
 日本軍は、本土決戦要員として老人や子供まで狩り集めた為に、不逞朝鮮人や中国人の監視に部隊を廻すゆとりがなくなった。
 キリスト教徒である朝鮮人テロリストは、戦況を連合国の対日ラジオ放送やキリスト教会から仕入れて、町中で言い触らして、日本人の抗戦意欲を喪失させる謀略を行っていた。
 「神国日本は、神風が吹く事なく負ける」と。
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 日本各地には、日本人マルクス主義者が潜伏していた。
 彼等は、昭和天皇ロシア皇帝同様に倒すべき敵とし、専制君主制である天皇制度を廃止し、特権支配者である皇室を消滅させ、皇族とその一味をロシア皇族及び貴族等の封建領主同様に根絶やしにしようとしていた。
 つまり、天皇に関する伝統・文化・宗教・文学・芸能・芸術・習慣・風習など全てを日本から払拭する事を理想としていた。
 統制派軍人や革新官僚の中には、共産主義者の協力者がいた。
 日本国内にいる反日朝鮮人は、日本共産党と深い関係にあり、戦後は日本共産党の党員になり、反社会的武闘路線に積極的に参加した。
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 日本人は、一丸となって、祭祀王・天皇を中心とした国體と生まれ育った祖国を防衛する為に絶望的戦いをしていたわけではなかった。
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 中国戦線。日本軍の後方任務に就いていた数十万人の朝鮮人兵士や朝鮮人軍属は、大平洋おける日本軍の敗走情報が流れ動揺していた。
 日本軍内の朝鮮人軍属や朝鮮人兵士は、日本が降伏した後、日本軍の侵略戦争に協力していた事が同胞に知られる事に不安を抱き始めていた。
 中国共産党反日朝鮮人組織は、動揺し始めている朝鮮人兵士や朝鮮人軍属に抗日戦線に参加する様に勧誘を強めた。
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 食糧危機にあった日本は、満州などから食糧を輸入する為に全力をあげていた。だが、アメリカ軍はその供給網を破壊して遮断した。
 アメリカ海軍の航空機や潜水艦は、輸送船や漁船を発見次第に撃沈て海上封鎖を徹底した。
 アメリカ陸軍航空軍のBー29は、食糧や医薬品など生活物資を貯蔵している都市部を無差別爆撃して全て焼き払った。
 夏頃から、国内の鉄道網を爆撃する事で食糧供給の低下を加速させ、日本国民を深刻な飢餓へと追い込んでいった。
 日本の敗北は時間の問題となり、アメリカ軍の日本本土侵攻や、原爆投下や、ソ連の参戦がなくても、年内には降伏をせざる終えない所まで追い込まれていた。
 徹底抗戦派にしても、和平派にしても、追い込まれた国民の窮乏を痛感するだけに戦争終結を決めねばならない事を肌身で知っていた。
 だが、無条件降伏の要求の前に、国家護持・天皇の安全が保証されなければそれを言い出せなかった。
 戦争を早期に終結できるかは、天皇が自分を犠牲にして無条件降伏を受け入れる決断ができるかどうかであった。
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 アメリカ軍は、日本を海上封鎖する為に港湾施設近海に1万1,000発以上を、同様に朝鮮や大連・旅順などにも日本内地との間で航行ができないように夥しい数の機雷を施設していた。
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 7月 『対日計画書』「日本は同盟国を持たない。日本海軍はほとんど壊滅しており、従って、日本は海上および海面下の封鎖に対して脆いので、国民を養うだけの食糧や物質の供給を封鎖によって遮断する事ができる。……我々は、日本による最初の奇襲攻撃の被害者であるがゆえに、大きな道徳的優位を持っている」
 深刻な食糧難の日本には、満州からの大豆やコーリャンなどの食べ物だけが頼りであった。
 政府は、戦争に勝つと言うよりも、如何にしてその食糧を国内に運び込むかを思案していた。
 アメリカ軍は、発見した輸送船を全て撃沈して完全封鎖を実施し、国内の鉄道網を破壊して食糧供給を遮断した。
 食糧を輸送する鉄道が破壊され、公平な食糧供給は低下し、日本国民は飢餓さらには餓死の危険性に直面した。
 7月11日 当局は、食糧不足により米の配給を一人1日2合1勺とした。都市部の食糧事情はさらに悪化し、飢餓状態が深刻化した。
 在郷軍人や国防婦人会などは、校庭や路地や空き地を農園として活用する為に、農作業になれない慣れない都市部の住民を半強制的に駆り出した。食糧生産に協力しない者は、「非国民」と差別した。
 農作業を汚らしいと嫌う教養ある都市住民は、国家権力で強制される事に辟易とし、横暴な在郷軍人や国防婦人を怨んだ。
 政府は、戦争の行方以上に、国内から「餓死者」を出さない為の方策をとっていた。
 政府と軍部の気がかりは、国内にいる、強制連行した反日的な朝鮮人200万人以上(一説に400万人)と中国人数十万人の動向であった。
 臣民の日本人は全滅覚悟で天皇と国家と家族の為に戦うが、国内の朝鮮人や中国人が共に死を覚悟で戦うとは思えなかったからである。
 7月12日 天皇は、早急に戦争を終結させるべく近衛文麿にモスクワ行きを依頼した。
 7月18日 ポツダム会議。スターリンは、ルーズベルトソ連軍参戦の条件で約束した、朝鮮半島の北半分と北海道の領有をトルーマンに要求した。
 蒋介石も、戦勝国の権利として、台湾と朝鮮の領有、沖縄と尖閣諸島の管轄権を希望していた。
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 8月 敗色が濃くなった軍国日本は、本土決戦用に戦えそうな日本人男子を年齢や病弱に関係なく根刮ぎ徴兵した為に、国内は極端に労働不足におちいり、その穴埋めに朝鮮人を強制連行しようにも制海権を失ってそれも不可能であった。やむなく「総力戦」の掛け声で、学生はもとより女子供などの民間人を総動員し、さらには各地の連合国軍兵士捕虜をただ飯は食わせないとして工場で重労働を科した。
 連合軍兵士捕虜側は、空爆の恐れのある現場で奴隷的重労働を強制し、栄養のある常識的な食料を食べさせないのは国際法に違反する訴えた。連合軍兵士捕虜は、自国軍が日本軍兵士捕虜に行っている待遇と同じ待遇と、草や木の根っこといった日本人が食べる食材ではなく自分らが食べられる肉の入った食べ物を要求した。
 開戦時。東條英機首相は、アメリカから捕虜の待遇に対して国際法の順守を求められたが、日本と欧米では食文化が違い、戦場への物資補給状況も異なる為に、同じような待遇は不可能であると返答した。この返答は、戦争犯罪の一つとされ、絞首刑の理由に加えられた。
 監視兵や監視員は、役得として、日本軍や国際赤十字から捕虜への食料などの物資を横領していたと言われる。
 この奴隷的重労働と十分な食べ物を食べさせなかったことは捕虜虐待にあたるとして、現場の監視要員(軍人ではなく軍属)はもとより、国家元首である昭和天皇はそれを知りながら改善の処置を取らなかったして有罪とされた。
 B・C級戦犯とされた日本人兵士の多くは、こうした罪状で処刑された。
 靖国神社は処刑された戦犯すべてを等しく祭神として祀った。
 現代日本反戦平和市民団体と韓国・北朝鮮や中国などのアジア諸国は、日本の侵略戦争を肯定する犯罪行為として猛反対している。
 ヒュ−・クラーク「造船所の至る所で日本人の民間人が窮乏に堪え忍んでいる様子がうかがえた。非常時に幼い男の子や女の子が私達と同じくらいきつい仕事をしていた。おまけに彼等は私達と同じ程度の服を着、同じ程度の食べ物を食べていた。モンペをはいた中年の女性や老婆でさえもが一つの場所から別の場所へ重い機械類や鉄屑を引き摺りながら運んでいた。この時だけは捕らえた方も捕らわれた方も一蓮托生だと思った」「皆、歩く骸骨の様だった」(『長崎俘虜収容所』)
 雲南省の中国軍約20万人は、日本軍が降伏して武装解除するや、北部仏印に侵攻して略奪と虐殺を行った。
 儒教的人種差別主義の中国軍による虐殺被害は、不明である。
 国際司法機関は、日本軍の戦争犯罪を追求し、責任者を有罪として処罰した。
 信濃毎日紙「日本軍の蛮行で200万が餓死」
 東京書籍「日本軍がコメを奪い大量の餓死者が出た」
 現代の日本歴史は、アジア全土に埋もれている軍国日本の非人道的戦争犯罪を掘り起こし、つつも隠す事なく、日本軍の残虐さをありのままに子供達に教えている。
 戦後。日本は、ベトナム政府に戦争犯罪を認めて謝罪し、ベトナム人に戦争被害を与えた事に対して賠償金を払った。
 8月6日 広島、原爆投下。
 広島で、数人の連合国軍兵士捕虜が被爆した。
 日本政府も軍部も、原子爆弾の被害が甚大なために大混乱に陥り、降伏を申し込むかどうか決められる状態ではなかった。
 アメリカは、日本が降伏を決断できない事を知っていた。
 8月9日 長崎、原爆投下。
 長崎には、二つの連合軍捕虜収容所があった。
 ソ連軍は、中立条約を破棄して満州の日本軍を攻撃し、満州に農業開発で移住していた日本人移民を襲撃して殺戮を繰り広げた。
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 ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ『竹林はるか遠く』(『ヨーコ物語』)
 上坪隆『水子の譜』
 反日朝鮮人は、満州から朝鮮半島に命辛々逃げてきた日本人避難民を襲撃し、暴行し、強姦し、略奪行為を行った。
 ロシア人兵士や中国人暴徒達も、満州各地で、日本人避難民(女子供)を虐殺し、荷物を強奪していた。
 ロシア人兵士は、日本人女性を少女から老女まで強姦して虐殺していた。
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 8月14日 御前会議で、天皇ポツダム宣言を受け入れ降伏するとの聖断を下した。
 昭和天皇「私自身は如何様になろうとも、私は国民の命を助けたいと思う」
 日本は、連合国に対して、国体護持の条件で無条件降伏した。
 8月15日  玉音放送。日本は、二個の原子爆弾ソ連の参戦によって有条件降伏したのではない。
 僅かな食糧で空腹に耐えながら戦い、女性や子供などの弱者が餓死寸前となった為に、やむを得ず「国体護持」を条件として降伏を受諾した。 
 外地で死亡した日本兵の3分の1が戦闘による戦死で、残りが餓死か病死であったと言われている。
 日本軍は至るどころで空腹に絶えながら戦い、そして餓死するまで戦い続けた。日本軍の玉砕、全滅とは、そういう事であった。
 桶谷秀昭「あすのくらしの思ひにおいて多くの日本人が抱いていたのは、わずかばかりの白米、小豆、砂糖を大事にとって置いて、いよいよとなったらそれを炊いて食べて、死なうといふことであった」(『昭和精神史』)
 日本国民は、本土決戦による玉砕を覚悟し、死の直前に食べる為に食べ物を保存していた。
 昭和天皇は、悲壮な思いで自分と国の為に死を決意していた国民に対して、戦争の敗北を認めたが、国は滅びず、神も滅びないから「生きよ」と詔勅を発した。 
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 戦略爆撃調査団「確かに1945年12月31日以前に、そして10中8、9、1945年11月1日以前でも、たとえ原爆が投下されず、ロシアが参戦せず、本土上陸が企図されなかったとしても、日本は降伏していただろうというのが本調査団の見解である」
 ソ連軍は、武装放棄した日本軍を攻撃し、逃げ惑う無抵抗な日本人難民を襲って虐殺し、日本本土に向けて猛進撃を続けた。
 国際法では、武装解除して戦闘意欲のない事を表明しても、降伏文書に署名するまでは戦闘状態は継続されるとした。
 
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