🍙13〗─1─記事消滅。台湾・新竹台中地震被害者に私有財産から巨額な見舞金を下賜する、世界で最も嫌われた昭和天皇。昭和10年~No.47No.48No.49 @ 

 
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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2015年3月1日 記事消滅。
 家族がない孤独な独身男性の一人作業の為に、記事のバックアップや資料の保存まで手が足りず一度消失すると記事の修復は不可能。
 後幾年月生きるか分からない歳になると、注意力が低下してうっかり記事を消してしまい、後悔して自己嫌悪に陥っても消えた記事は二度と戻っては来ない。
 歳です。 
 家族を持たない孤立した身の為に、一ヶ月以上ブログの更新がなければ、無縁死・孤立死孤独死した事になります。
 共同作業者・仲間もなければ、引き継ぐ後継者も持たないので、当ブログはその時点で終了します。
 テックリ。
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 書き殴りで、再読もせず、校閲もせず、誤字脱字は気にせず、文章になっていない箇所も多々あろうとも意に返さず、興味・関心の趣くまま暴走を加速させています。
 落ち零れの県下最低の普通高校を恩情で卒業させて貰った素人が、思い込みで作成しているブログです。
 他人が信じようが信じまいがどうでも善い事である。
 家族を持たない孤独な老人が、残りわずかな時間と年金を浪費しながら、安アパートの蛍光灯の下で握り飯を食べ白湯を飲みながら、インターネット上に生きた証を残そうとしている。
 余命幾ばくもない孤独な老人が、自虐的な思いでパソコンのキーボードを叩いている。
 人付き合いが嫌いなへそ曲がり偏屈ゆえに尋ねて来る友人もなく、孤独死・無縁死・孤立死しても発見されない身の上。
 万人に好かれようとも思わないし、万人の好意を得たいとも思わない。
 間違いを平気で書き殴るので、気に食わなければ素通りして下さいな。
 所詮は、嫌われ者の老人の戯言、戯れ事である。
 年金老人にとって、他人の罵詈雑言などいまさら気にはしない。
 朝食はサンドイッチとコーヒー、昼食は定食、夕食は野菜サラダとお握り一個。
 糖尿病と高血圧症などで病院通い。
 父親は、72歳に心臓麻痺で水死。
 母親は、86歳で大腸癌で死亡。
 我が家は、私で絶える。
 明日は多分あるだろうが、未来・将来はもうない。
 夢がなければ、希望もない。
 心配する事がなければ、気を揉むこともない。
 性格と実生活からネガティブ思考のブログである。
 好き勝手な事をして、苦しまずに死ぬか、苦しみながら死ぬか。
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 1935年
 前年からの持ち越し(古米) 1,643万石。
 生産高 5,184万石(777万トン)。
 輸入量 1,302万石。
 移入量 1,295万石。
 供給量 8,161万石。
 消費量 7,089万石。
 人口 6,900万人。
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 4月21日午前6時2分 新竹・台中地震大日本帝国台湾新竹州南部の大安渓中流域を震源として、M7.1の地震が発生した。
 人的被害、死者3,279人。負傷者1万1,976人。
 物的被害、家屋全壊1万7,827戸。家屋半壊1万1,446人。家屋大破9,836戸。
 余震は、7月17日午前0時19分に後龍渓河口付近で発生したM6.2の地震である。
 昭和天皇は、地震の被害が甚大との報告を受け、被災者救済の為に入江相政侍従を派遣した。
 入江侍従は、被災地に赴き、昭和天皇からの見舞金を、全ての怪我人と民家の被災度によって一軒残らず下賜した。全壊は10円。半壊は5円。
 日本政府・台湾総督府・日本軍・日本赤十字は、天皇の御稜威・大御心から、被災者救済に全力をあげた。
 昭和天皇は、人種・民族・種族差別を否定する八紘一宇の精神から、台湾人・朝鮮人アイヌ人・琉球人を日本人と同等・平等・公平に慈しみ、苦難に打ちひしがれている身の上を案じていた。
 日本軍兵士は、忠良な臣民として、神の裔・元首・大元帥・祭祀王である昭和天皇の命に絶対服従を誓っていた。
 朝鮮人テロリストや日本人共産主義は、軍国日本を滅亡させるべく昭和天皇を暗殺する為に付け狙っていた。
 日本民族日本人であれば、日本天皇を心柱とする天皇制度・国體を守るべく命を犠牲にして戦った。
 親日派の台湾人は、琉球人やアイヌ人達と同様に日本人に協力して戦った。
 反日派の朝鮮人だけは、違っていた。
 そして、キリスト教会。
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 日本人慰安婦は、この時期に売られた娘達が多く含まれていた。
 彼女達は、多くの金を稼ぎ実家に送金する為に、命の危険を承知で戦場の慰安所に赴いた。
 日本人兵士等は、彼女達の身の上を知っていただけに、差別する事なく大切に扱った。
 日本では、娼婦は決して蔑む女性ではなく、心温かく接する女性達であった。
 日本には、キリスト教倫理観も儒教的道徳観も薄かった。
 日本人兵士は、慰安婦達を助けるべく、戦闘が始まる前に安全な後方に逃がしていた。
 一緒に死にたいと希望する慰安婦は、最後の希望を叶えてやった。
 男が女を痛めつけるのは日本男子の恥じとされて、人から馬鹿にされた。
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 渡部昇一「子供もよく死にました。
 今の考えと大変違うのはね、親の為に身売りした女性の皆がみんな悲しんだからというと、そうでもないんです。そういう事がなければ町に出ることができないんです。町に出なければ、同じように貧乏な青年と結婚して、一生泥の中にいなければならないんです。それならば、町へ出て親孝行もしながら柔らかい着物を着て畳の上にいたい、という娘達も少なくなかったと思う。だから、身売りした女性は皆悲しんでおいおい泣きながら行ったわけでもない。村に残って、しょうもない男と結婚させられるよりはましだ、と考えた女性も少なくはなかったと思いますよ」
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 日本農村は、昭和9年・10年の2年連続の大凶作と、都市の金儲け目的の投資家が農地を借金の方で取り上げた為に、壊滅的被害を被った。
 借金苦の零細耕作地農民は、泣く泣く妻や娘を都市の人身売買業者に売って食いつないだ。
 売られた純真無垢な少女等は、都市の好色な男子に弄ばれた。
 何時の時代でも、都市の知的リベラルや進歩的左派は現実を見ようとせずに、理論理屈で御託を並べて無能無策で努力をしない農民をけなすのみで、決して一緒に汗をかいて農民の貧困を救おうとはしなかった。
 地方の農村は、国際化しようとする都市の犠牲となった。
 山崎達之輔農相「冷害は、欲に目が眩んだ農家によるもので、天災と言うよりは人災である」
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 江戸時代。徳川家康は、二度と戦乱を起こさない為に戦う百姓の意識改革を行い、百姓を田畑に縛る付けた。
 百姓は、サムライ同士の戦争に無縁な存在として、兵士となって戦闘には参加せず、静かに農作物を耕し山で木を切り山菜を摘み海や川で魚や海産物を捕ってい生きていた。
 明治時代。百姓は国民とされ、現金納税と徴兵が義務化された。
 江戸時代の豪農・庄屋・名主と、明治・大正時代の地主と、昭和時代初期の不在地主寄生地主は、別の存在である。
 江戸時代の豪農・庄屋・名主は、農村に住み、小作人や百姓と共に汗水垂らして野良仕事をして生計を立て、いざというときは小作人や百姓を守る為に一揆を起こしその罪で処刑された。
 昭和時代初期の不在地主寄生地主は、都市に住み働きもせず、小作人から高額の耕作費を搾取し払えなければ追い出し、小作人が生活している農地を投機目的で売買して利益を得ていた。
 江戸時代と昭和時代初期の地方、農村は全く異なる風景を見せていた。
 日本の軍国主義は、昭和時代初期の虐げられた地方から生まれた。
 江戸時代のムラで生きる豪農・庄屋・名主は、百姓から神の様に崇められ、一揆の首謀者として処刑されれば、ムラ人から神として神社に祀られた。
 昭和時代初期の都市で生活する不在地主寄生地主は、農民から嫌われる存在で、農地を投機として売買し失敗して没落すれば、百姓は天罰と喜んだ。
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 都市の労働者は貧乏であったが、都市の子供達には夢も希望もあった。
 地方の農民は貧困で、農民の子供には夢も希望もなく、男の子は兵隊となり、女の子は都市に身売りされた。
 農村出身者は、兵士になるしか生きられない為に、自分の意志で軍隊に入って戦場に赴いた。
 都市出身者は、仕事の口があったのに、自分の意志に関係なく軍隊に入れられて強制的に戦場へ送り出された。
 農村出身兵士は、軍隊を悪く言うどころか、中国兵などの敵兵を殺した手柄を自慢し、三度三度の飯をたらふく食えた軍隊生活を懐かしみ、戦死した戦友に感謝しその勇気を称える為に靖国神社に参拝した。
 都市出身兵士は、戦争を憎み、中国兵などの敵兵を殺した事を恥じ、軍隊生活を嫌悪を込めて批判し、人を殺して死んだ殺人鬼を祀る靖国神社を嫌った。
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 軍部は、貧困農民達を救うべく、国家財政を無視して軍事費を増額させ、軍需型重工業と関連産業に優先的に投入した。
 これが、悪名高き犯罪行為とされた、日本の農村型ファシズムである。
 日本軍の力の源泉は、地方の貧困農家であった。
 地方の貧困農家の屈折した怨念が、日本軍を邪悪にし、凶暴にし、獰猛にした。
 昭和時代初期の戦争という悲劇は、地方の貧困農家から始まった。
 陸軍は、中国における侵略戦争を行って大量消費した為に、軍需産業は活況を呈して地方の少年少女達は集団就職で軍需工場に働きに出た。
 歴史的になくす事ができなかった少女の身売りは、ファシズム的経済体制で消滅した。
 だが、この計画的侵略戦争戦争犯罪とさた。
 都市部への少年少女の集団就職が本格化するや、中小企業の低賃金労働者であった在日朝鮮人の多くが仕事を失った。
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 子供の弁当には、その家庭状況がハッキリと分かり、貴賎貧富の差が如実に出ていた。
 金持ちの子供は栄養豊かな弁当を持参し、貧困家庭の子供は弁当がなく水を飲んで空腹を我慢した。
 貧困家庭の子供は、貧乏であっても卑屈にならず、弁当がなくても学校には登校していた。
 子供には子供の自尊心があり、幾ら空腹で他人の弁当が羨ましくとも、お情けで食べ物をめぐんで貰う事を潔しとはしなかった。
 子供心でも、武士道的に、同情されてめぐんで貰う事を恥として嫌った。
 弁当を持って来た子供も、意地を張って水を飲んで空腹を我慢する子供を横目に、見て見ぬ振りをして弁当を食べた。
 日本の教育とは、お屋敷に住む子供の貧困家庭の子供の同じ教室で机を並べさせて、社会には貧富の格差があるという現実を教える事であった。
 そして、貧富の事情に関係なく、できの悪い子供をは叱りできの良い子は褒め、依怙贔屓はしなかった。
 日本が重視した教育は、人は生まれた家庭によって差別はあっても、生き方に於いて差別がない事、成功へのスタートラインに差別があっても、成功への機会は平等である事、であった。
 つまり、不条理で理不尽な厳しい現実である。
 その厳しい現実を、子供であっても、大人の庇護・援助・保護をあてにせず自分で考えて行動して生きるしかないという事実を。
 自然災害多発地帯の日本で生きるとは、そういう事である。
 人力では勝てない自然の脅威を相手にするからには、お互いに助け合い庇い合い励まし合いながら協力して生き残れないという事実をも教えた。
 日本教育の根本にあるのは、如何なる状況下に陥っても人を疑う事なく信じ切るという性善説であった。
 金持ちの子も貧乏な子も、子供的な上下関係を作りながら大人の干渉を受ける事なく、結託なく楽しく一緒に遊んだ。
 日本の子供は、良く笑った。楽しくても、苦しくとも、辛くとも、笑って誤魔化していた。
 そして、安心できる所で泣いた。
 泣く時は、友だちがいない所で、一人で泣いた。
 日本の子供と中国や朝鮮の子供とは、違っていた。
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 失業した在日朝鮮人は、差別する日本人に憎悪をたぎらせ、反日活動に参加した。
 日本人の左翼・左派のマルクス主義者やキリスト教徒は、専制天皇制度打倒の為に、在日朝鮮人の人権を守る為に彼等を支援し、職を奪った差別主義者的事業主に雇用回復を求める労働争議を起こしていた。 
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 アメリカやイギリスは、ユダヤ人財閥の要請に従って、経済制裁として保護主義ブロック経済体制を強化して、日本経済に打撃を与えるべく日本製品を世界市場から排除した。
 そして、軍需産業の活性化で世界大恐慌から自国経済を回復させる為に、抗日中国軍に人・物・金の軍事援助を合法的契約のもとで公然と行った。
 中立国アメリカは、政府による統制強化のニューディール政策で、武器弾薬や各種兵器を紛争国に輸出する為の量産体制を整備した。
 ユダヤ系国際金融資本の融資を受けた産業界は、中国、ナチス・ドイツソ連ファシスト・イタリアなどに石油などの軍需物資を輸出した。
 ユダヤ人資本の銀行や投資会社は、戦争を行えるように多額の戦費をそれらの国々に融資した。
 国際市場において、何時の時代でも、軍需物資は巨万の富を生み出す主要な工業製品であった。
 ヨーロッパの歴史とは、そうした歴史である。
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 貧困農家を抱えた軍国日本は、世界から排除された。
 日本軍国主義は、貧困農家を自己救済する為に戦争へと暴走した。
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 ファシスト中国や中国共産党は、国内で生産される鉱物資源とアヘンを元手に国際金融資本から軍資金を調達し、国際的死の商人から大量の武器弾薬を買い込んだ。
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 加藤寛治「誰も耕していない満蒙の天地には決して所有者はない。ただ神があるだけである。その神の土地を汗水たらして開拓して、人類生存に必要な物資を生産する事は、善であると堅く信じて、満蒙の奥地に飛び込むべきである」
 満蒙開拓団や青少年義勇隊は、中国人が住まないような荒れ地に移住し開拓村を作り、不毛に近い大地を開墾した。
 そうした町から離れた僻地は馬賊・匪賊が出没する無法地帯であり、開拓民等は銃を取って開拓村と村人の生命財産を守った。
 加藤寛治ら満蒙開拓事業推進者達は、中国人農民達とのトラブルをかけるべく入植地を確保すると共に、満州ゴロ的な一旗揚げ組が入り込んで中国人農民から不当に土地を奪うような事が起きないように細心の注意を払った。
 だが、如何に監視・監督を強化して日本人功利主義者を排除しようとも、私利私欲の日本人は満州に入り込み、人種差別主義者として軍国日本の威を借りて中国人農民から農地を奪って地主となり、中国人農夫等をった小作人として酷使して搾取した。
 満蒙開拓事業は、国内問題として国内の人口過剰と食糧不足を解消する為で有り、国外問題として五族協和(日本・朝鮮・満州・蒙古・漢族)の精神で満蒙の地に王道楽土・理想の共和国を建設する為であった。
 満蒙農業移民は、領土拡大や植民地獲得といった侵略目的ではなかった。
 だが、自己の財産を殖やそうとした強欲な日本人が、満蒙開拓事業を悪用して中国人農民に迫害を加えて財産を奪った。
 中国共産党は、悪徳日本人と中国人農民との諍いを利用して抗日戦線を形成していった。
 日本軍としては、悪いのは悪徳日本人と分かっていても中国共産党の抗日戦線を排除する為に、抗日運動を行う中国人暴徒等を攻撃し、治安を乱す馬賊・匪賊を討伐した。
 後年。加藤寛治は、GHQから「青少年義勇軍という侵略の先兵を育て満州に送り込んだ」として公職から追放された。
 加藤寛治と満蒙開拓事業は、歴史の闇に葬られた。


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