関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本は、食糧・物資・エネルギーをアメリカの影響下にある国や地域から輸入し、金融・通信・情報・サービスをアメリカに依存し、交通・運輸をアメリカ軍の保護を受けている。
日本は、自活能力が低い為にアメリカなしでは生きられない。
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日本の総人口は、明治元年(1868年)頃には約3,000万人であったが、1945年頃には約7,000万人に急増し、1985年には約1億2,000万人に爆発した。
日本民族日本人の総人口が、4倍に増えた。
日本列島の狭い土地では、人口が増加すれば食糧が不足するのは当然であった。
そして、経済発展も人口爆発のお陰であり、戦前に五大国になれたのも、戦後に経済大国になれたのも、全て人口爆発で同質の消費者が急増し内需が拡大をしたからである。
経済発展におけるイノベーションやベンチャー企業は、発展途上国の日本を牽引したのではなく、人口爆発による消費者急増につられて後追いしたに過ぎない。
世界には、人口爆発しても先進国に発展できない国々が存在する。
日本で生産できる食糧は5,000万人分で、最大7,000万人分とされている。
国内の食糧を確保する為に、後継者がいなくて減少する日本人農家を守るのか、農業労働者による日本農業を守るのか。
日本の根強く存在する、日本農業不要論。
そして、日本農業を救う為に日本人農家を切り捨てろという考え。
日本人農家は、人口激減と共に減少している。
各地で、農産物の盗難事件が増えている。
そして、1,000兆円以上の財政赤字が年々増加して止まらない。
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2016年5月号 新潮45「昭和からの伝言 加藤廣
最終回 国破れて山河もなし
……
明治には、『明治は遠くなりにけり』という愁嘆の言葉が贈られているように、多分に、懐かしむ風情がある、変革の時代として、確かに、それだけの価値があったのだろう。だが、昭和は、なにもないままに、そっと消えていってしまった気がする。
実際、昭和には、文化的にみても、平成の若い方々に誇れるようなものはなに一つなかった。いたずらに合理的に人殺しをするための文明だけが異常に発達し、よき日本の文化と自然まで壊してきたのではなかったか。
──国破れて山河もなし─
恥ずかしい。
ただ、これだけは言える。昭和人の自己弁護に聞こえるかもしれないが、 『それは昭和だけの罪ではない。明治の罪であり、明治の罪はまた長い間、門戸を閉ざすことによって文明の発達を異常に遅らせた江戸幕府の罪でもあったのでは・・・』と。
そこで皆さんに申し残したいこと、改めて考え直してほしいことの第一点は、この日本の歴史を連綿と貫く、島国の『業』というか『因果』のようなものについてである。
『そんな因果論は古いよ』という人には、こう説明してもいい。
人は『よかれ』と思って国を作り、改革し、それに伴って、いろいろと法律や制度を新しくする。確かにそのときは、それがよかったのだろう。だが、しばらくたつと、その結果が失せて可もなく不可もなくなる。さらに時が過ぎると、それが、かえってマイナスに作用し、時代の足枷になることが多い。いやほとんどがそうである。
これは、前回にも述べた陰陽五行説で説かれる現象『相生─比和─相克』そのものである。
考えてみれば、そんな例は世の中にいくらもある。
子供のためによかれと思って、親はコツコツと財産を残す。その相続が、病院での病床で、瀕死の親の枕元での、つかみ合いのケンカの種になるという悲劇。これは、相生が相克に変じる典型であろう。
歴史上のもっと大きなこととして、たとえば近代史における陸海軍の『統帥権の独立』があげられる。これは、司馬遼太郎さんを含め、近代史に関わった人たちから、蛇蝎の如く嫌われた軍の特権で、昭和史を誤らせた元凶のように言われているものである。
しかし、これはもともと、明治憲法を作った伊藤博文が、
『これからは、老兵だった我々が口をはさむのはよろしくない。若い軍人に直接天皇への意見を奏上できる道を開いておかねばない』
ということで認めたものだったと何かの本で読んだことがある。
それが幾星霜をへて、昭和に到ってマイナスに作用するようになった。
言葉を換えれば、明治22年(1889年、明治憲法発布)の『相生』の憲法の条文が、50年ぐらいたった昭和10年代(16年日米開戦)に『相克』の条文になったということである。
歴史というものは、司馬さんのように、書く時点だけの判断で、とやかく言うべきではないのではないか。そうではなく、我々自身が(その作られた)過去に立ち戻って、その過去の光で物を考え、謙虚に判断すべきではないだろうか。
ボクはそういう考え方をします。
後は読者の皆さんのご判断に任せます。
……
事実、憲法第9条の自衛権そのものに関しては、当時、野党のほうがはるかに現実主義者だった。昭和21年12月17日の衆議院本会議における日本共産党の野坂参三の発言を聞くとよい。『憲法第九条──ご存じのように、ここには戦争放棄ということが規定されている。この討議の中ではっきりしたことは、自衛権を我が国が捨てたということである。自衛権がない我が国の民族。これの独立さえ捨てようということが、この条項の中に入っている。我々共産党はこれに対して徹底的に反対した。一体何故このような条項が必要であろうか』
それが今ではどうだ。全く逆である。世の中の変化はまことにヤヤコシイ。そんな目でみれば、今の国会論戦なんて出来の悪い喜劇そのものである。
『そもそも論』として、国防は国家と国民の当然の権利義務と考える、ここまでは分かる。しかし現在の自民党の主旨は、何が何でもアメリカの言うことを聞いて、日本がアメリカの戦争に参加するということにあるとしか思えない。これではまるで話が違うではないか。
一方、憲法って何が何でも、一行たりとも変えてはならないものなのだろうか。戦後の日本人は憲法を『聖書』か何かと勘違いしているのではないか。近代民主主義政治の基本からすると、憲法は国民が自分たちのために制定し、自分たちの利益のために状況に合わせて変えてゆくものであるはずだ。
これ以上この問題に深入りすることは避けたいが、平成の若い人たちに言い遺したいのは、何かを声高に叫ぶ人たちは必ず別の真意を隠しているということだ。
戦前、戦後を生きてきた経験から、次の言葉を確信をもって伝えます。
『いつの時代でも、大声でヒステリックに叫ぶのは、国や社会をミスリードする人たちである』と。
この憲法のできた70年前には、共産主義国家・ソビエトという、アメリカ資本主義にとって恐怖の存在が、日本の北方にデンとして生きていた。その朝鮮経由の日本への浸透はアメリカの存続を脅かすものだった。その意味でも、アメリカは占領を終結した後も日本を立ち去りがたかった。捨てたくなかった。できれば日本を共産主義への防堤?にしたかったのかもしれない。
ところが1991年のソ連の崩壊で、この恐怖はあっけなく消える。
ここでアメリカは、すでに自分の国の若者の血で日本を守らねばならないという必要はなくなったのである。
ところが反対に──、その頃から日本の国家リスクがジリジリと増え始めた。
第一に食糧問題。言い換えれば日本農業の急速な衰退である。
新憲法制定当時、日本の労働人口の5割近くが農業人口であった。そして食糧自給率は戦後の一時期──これは農民を戦争に挑発したことからきた農業生産性の低下が原因──を除けば、贅沢さえしなければ、ほとんどが、自給自足できた。
ところが、食糧の自給率はジリジリと下がり、すでに今では4割を切っている。
一朝事あるときは外国に頼らなくてはあらない状況になったのである。自給できなければ日本人の半分以上が飢えて死なねばならない。
『そんなことはあり得ないよ。だれかが助けてくれる』という楽観論もあるだろう。
では、これからの地球人口が100億を超えたらどうなる?
アメリカの人口が5億を突破したら?
これは近未来の、間違いなく起きる『すぐそこにある危機』である。
このときアメリカは同盟国だから、友好国だからといって、食糧を日本に分けてくれるだろうか。
すでにアメリカの農業は水源の枯渇に苦しみ、増産が難しくなっている。人口が5億人になったときは、こう言うだろう。『「無い袖は振れない」というのは日本の諺ではありませんでしたか』と。
じゃあアメリカの日本の農業への『門戸開放』要求はなんだ、なぜ今もつづくのか?
これは、アメリカの嫌らしいところである。
おそらくアメリカ農業人の目先の打算、その票田に頼るアメリカの政治家の、これも目先の欲に過ぎない。
他方、日本としては、農業問題はこれから50年、100年を見通したうえで論じなくてはいけないテーマである。3年程度の任期中に、自分の無事だけしか考えない経済産業
省の役人任せではダメです。
最悪の場合、たとえ、コスト高でもシェールオイルで自国のエネルギーを賄えるようになったアメリカの現在の状況と、この農業問題を考え合わせると、アメリカはかつてのモンロー主義的孤立政策にいつ転じてもおかしくない。共和党大統領候補のトランプ人気の根元にもそれがあるのである。ということは翻って考えれば、『日米安全保障条約』の必要性は、いま、日本側で高まりこそすれ、アメリカ側では低下しているということになる。
今度の『安全保障関連法案』は、こうした日本が、世界の新事態に対応するための、そしてアメリカに引き続き集団安全保障を継続してもらうべく、日本の『身の証』をたてるための法なのである。
ということは、今後の日本の対米姿勢は、今よりもっと弱くなるだろう。せいぜいが、『面従腹背』程度しかできなくなる。
ただし、『腹背』が主で『面従』は従だから、『腹背面従』と言い換えてもいい。
しかし、どちが先でも、日本人の、この姿勢は、これまでの講談的人生観では、さわやかではないだろう。
でもそれは仕方がないことである。それが嫌なら、食糧の自給を図り、太陽光、風力、地熱、あるいは水素などのすべての技術を結集して自前のエネルギー開発に徹するか、逆にとことんアメリカのいいなりになるか、それも嫌なら、上手に面従腹背するかであろう。
幸い、これからの国の価値評価は、昔とは違って多様化しているのだから、なにもかもで一流である必要はない。
これからの日本は、文化と人のためになる科学技術開発だけが一流であればいい。経済力は2流で結構。経済成長率などなくてもいい。武力などでは3流でもかまわない。そう割り切って生きることだ。
その意味で、経済力も武力も1流の国アメリカに『面従』するのは合理的である。別に屈辱と思う必要はない。
これは日本の歴史を勉強すればよくわかることでもある。
戦国時代を生き抜いて存続し、天下を取ったのは『面従』、そして、その裏で『腹背』することが最も上手だった徳川家康であった。
前田と徳川両家を考えてみてもいい。
天下こそ徳川に譲ったものの、この二つの家は、時に信長に、豊臣に、そして徳川に、と面従する相手先を転々と変えながら、表だった抵抗をやめて、文化面での1流を保って生きた。
だからこそ戦国時代以降を生き抜けたのである。
次に書き残した問題の第二は、支那=中国との関係である。
こちらの方が難しい。近年、なぜ、こんなに険悪な関係になってしまったのか?
……
西洋側にも、そういう(日本の明治維新批判の)人物がいなかったわけではない。幕末にアメリカ領事館通訳として来日したオランダ人ヘンリー・ヒュースケン(1832〜1861)がその一人である。
惜しむらくは、権力者でなく、一介の通訳に過ぎない。が、その残してくれた、以下の貴重な忠告に、皆さんは、しばし、耳を傾けて欲しい。
〈いま私がいとしさを覚えはじめている国(日本をさす)よ。この進歩はほんとうに進歩なのか。この文明は、ほんとうにあなたのための文明なのか?
この国の人々の質朴な習俗とともにその飾り気のなさを私は賛美する。この国土の豊かさをみ、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑い声を聞き、どこにも悲惨なものを見いだすことのできなかった私には、おお神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が、彼らの重大な悪徳を持ち込もうとしているように思われてならないのである〉
波田野毅著『世界の偉人たちが贈る日本賛辞の至言33撰』(ごま書房)より抜粋。
この英明なヒュースケンを暗殺したのは、まさに薩摩の攘夷論者であったことを記憶されたい。
……
無責任体制の結果
最後に言い残したいのは、この国が臨機応変に変容しつつ真の文化国家としてサバイバルするためのボクなりの提言である。
すでに述べたように、この国の明治の開国があまりにも遅すぎ、その『追いつき、追い越せ』の改革に拙速が多かったために、昭和を過ぎてもまだまだ『ゆがみ』は残っている。そればかりか歪みの是正に消極的ですらあるのだ。現状に即応させるための法改正ひとつとってみても、官僚制の弊害ゆえにそのスピードが他国に比して著しくのろいことは皆さんもご存じだろう。
……
安倍政権が掲げる経済政策を見ても、弥縫策(びほうさく)としか言えないものや、人気取りに終始したものばかりである。現体制の基礎構造を変えないままでは、2020年までに名目GDP600兆円という目標だけが浮き上がって見える。経済官僚たちは現体制を死守しようとの発想しかなく、勉強不足が目立つ経済閣僚たちはそんな官僚におんぶにだっこ状態。サバイバルするためには自己変革が不可欠であるのに、その精神自体が喪われかけているのだ。
今さら20世紀型のGDPの発想しかないとはお粗末きわまりない。そこには、国民の『幸福度』という指摘が決定的に欠けているのだ。
まずは、この国の癌と成り果てている官僚制を一から立て直す……。知的才能を持った集団は官僚のみではないが、この集団が、今や日本をミスリードする総本山と化しているからである。
受験秀才の集団である……が、国家公務員総合職試験という受験戦争にも勝利することは目に見えているから、現状維持のベクトルしか持っていない彼らが行政と立法府の双方を握れば、日本がどうなってゆくか容易にわかるであろう。
……
『省益』にばかり走る役人が多いことはご存知のことと思う……役人は『日本を動かしているのは俺たちだ』という自負を持ち、『自分たちの省益イコール日本の国益』だとすら考えて生きている。
……」
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日本は、人口減少に伴う労働力不足を補うべく、約1,000万人の外国人(多分、中国人を)移民計画を発動しようとしている。
日本の周辺諸国で100万人以上の国民を日本に移民させる事ができる国は、隣国の反日教育を積極的に行っている中国しかありえない。
日本に大挙して移民してくるのは、日本人とは価値観も思考も道徳も礼儀作法も、言語も文化も習慣も風習も、すべてが正反対に近い程に違う中国人だけである。
現代日本人は、短期的な目先の利益・金儲けしか考えてはいない。
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過去の成功モデルやビジネスモデルは、将来の深刻な危機には通用しない。
日本が生き残る選択肢は少なく、今のままでは乗り越えられない。
「賢者は歴史に学ぶ」は、将来の危機には役にはたたない。
現在の常識や過去の事例に囚われていては、未来はない。
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