関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
農村地帯は少子高齢化で、限界集落を通り越して消滅集落が増えている。
農業労働者の高齢化が進み、農業収入の減少で農業労働者になる跡取りがいない。
農業労働者の子供達は、親の死後、相続制対策として農地を売って現金化した。
農業労働者の廃業で、日本農家は減少の一途を辿っている。
日本農業を守る為には、伝統農法を伝承する百姓・農民・農夫ではなく、時間から時間までタイムカードで働く単純作業を行う農業労働者を増やすしかない。
日本農業をやりたいと思う若者は、ほんのごく少数でしかない。
大半の若者は、農業に興味もないし、農業労働者となって職業にしたいとは思わない。
政治家も官僚も、誰かが金に釣られて農業労働者になって農業をしてくれるという、安直な考えで巨額の税金を農村部にバラ撒いている。
バラ撒きは、しょせん、生産性がなく死に金しかならない。
・ ・ ・
農業修業人口は、1996年に397万人であったのが2016年には192万人へと激減した。
65歳以上の割合は、1996年は47%であったのが2016年には65%へと増加した。
日本農業は、衰退産業である。
・ ・ ・
2015年10月号 WiLL「日本ほど農業を保護していない国はない 三橋貴明
現在、参議院で農協改革の審議が進んでいる。よほどのことがない限り、当初案のまま進むだろう。結果、わが国は『亡国』へと大きな1歩を踏み出すことになる。農協改革と聞くと、『保護され過ぎの農家や農協が潰れるのはいい気味だ』などと、ルサンチマンにまみれた愚かなことを考える日本国民が多数派なのだろうが、どうか知ってほしい。わが国ほど『農業が保護されていない国』は、主要先進国のなかに存在しないのだ。
……日本の農業の所得に対する『直接支払』(税金)の割合は僅か15.6%。主要国最低だ。
欧州の農家の所得に占める直接支払の割合は軒並み90%を越えており、アメリカにしても26.4%。しかも、アメリカの穀物系は50%前後に達している。
なぜ、欧州諸国は農業の所得の9割超が税金から支払い(まるで公務員だ)といった状況を認めているのだろうか。理由は、国境地帯で農家が農業を営んでいることが『国家の安全保障』に直結することを理解しているからだ。欧州諸国が農業を保護しない場合、国境地帯が無人化する。結果的に、他国の侵略を招きかねないという『現実』を国民が知っているからこそ、まるで公務員のような農業を認めているのだ。
また、日本の農業の平均関税率はアメリカに次いで低い。しかも、そもそも日本はアメリカ、EU、オーストラリアと比較し、国土面積が狭いうえに農地が国土に占める割合も小さい。農業の平均経営面積はアメリカが日本の75倍、EUが6倍、そしてオーストラリアが1,309倍(!)というのが現実なのだ。
これだけ農地規模に開きがあっては、生産性に差が出て当たり前である。米豪の穀物産業と日本農業の生産性の違いは『国土条件』の問題であり、『日本の農家は努力が足りない!』といった話しでは全くない。よほどの技術的ブレイクスルーがない限り、日本と米豪の農業の生産性の開きは埋められない。
さらに言えば、アメリカは穀物などについては『輸出補助金』を支払い、輸出を支援している。日本に輸出補助金はない。
アメリカの輸出補助金の仕組みは、以下になる。
A;アメリカの農家が継続的に農業を可能とするための目標価格。
B;グローバル市場で価格競争力を持つための市場価格。
当たり前だが、人件費が高いアメリカでは、常に『A>B』となる。価格Aのままグローバル市場に出荷しようとしても、高すぎて売れない。
というわけで、アメリカの農産業はAよりも安いBの価格でグローバル市場に輸出する。差額の『=AーB』を、アメリカ政府が全額補填しているわけだ。
……『農業生産額に対する農業予算の割合』……。日本が僅か27%であるのに対してアメリカは65%と、欧州諸国すらも上回っている。理由の一つが、この輸出補助金なのだ。
現実のデータに基づく限り、日本ほど農業を保護していない主要国は他に存在しない。
……事実であるにもかかわらず、『日本の農業は甘やかされている!市場競争を導入し、世界に打って出るべきだ!』などと寝言を言う政治家、官僚、学者、評論家、そして『国民』ばかりである。
日本国民が農協や農家を悪者化し、わが国は食料安全保障が一つ、また一つと崩れていっている。さて、どうすべきだろうか。
とちあえず、事実を知ってほしい。『日本ほど農業を保護していない国はない』という事実を理解したうえで、日本の農業改革や農協改革を考えるならば、それは真っ当だ。
逆に、事実を知ろうとせず、マスコミが垂れ流す『日本の農業は保護されている』という世迷言を信じ込み、農協を叩き、農業を叩き、自らの『生命』に直結する食料安全保障の崩壊を『推進』する。これを『愚民』と呼ばずに、一体、何と呼べばいいのだろうか」
・ ・ ・
2015年12月号 新潮45「昭和からの伝言 加藤廣
六、ギリシャの哲人たちの魅力
……
隅谷三喜男教授の『中小工業論』であった。
……隅谷教授は、その先のボクの生き方の方向性を示してくれたといっても過言ではない。
具体的にはつぎのようなことである。
この国の産業は二重構造である。
1つは大資本。マル経では総資本という。これは後進資本主義のために、明治以降、上からの保護によって育ったものが多い。
2つめが中小資本。これは古くからある自然発生的な資本が多い。
両者は、事実上、上下関係に立たされている。そして中小資本は、多かれ少なかれ大資本に収奪されている。
これは産業政策として大問題である。というのは、中小資本は、この国の生む産業価値(今日でいう付加価値──当時、この言葉はないに──近い)の上では30%程度に過ぎない。が、労働人口でいえば、実に7割を占めている。だから、その保護と育成は、この国の労働人口の維持とその健全な発展に不可欠である──。
といった調子で、日本の産業政策の核心に触れた話をしてくれた。
ボクにはビビッと来たが、『大企業志向』の一般の東大の学生には、あめりピンとこなかったようである。
………
『民法』は、これも有名な我妻榮教授。
さすがに、声も太く、よく通り、聞きやすかった。が、戦後の新憲法下の民主主義を語り、『家』と『家族制度』かの崩壊を礼賛するだけで、その反作用が及ぼす現代の『相克』までは予見できなかった。
たとえば『共同相続』である。
以下は、卒業後、中小企業金融で勉強して得た知識だが──、『貧』という字は、貝=財産を分けると書くように、小さな農地は、兄弟姉妹が分割相続すれば益々小さくなり、結局は全員が貧しくなってしまう。
だから長兄の一子相続は『必要悪』だった。そのかわり、長兄は先祖伝来の土地を守り、時には自分の才能を犠牲にしてまで、弟妹を経済的に支援した。これによって次男以下は学業に励み、都市で身を立てる道を選ぶことができた。
笈(おい。背にする荷物)を背負って郷関(故郷)を出る
学もしらずんば死すとも帰らず
それが自作農農家の次男・三男の決意。そしてこれが、この国の、ささやかな自作農兄弟の生き方だったのである。
この情景は、島崎藤村の短編小説『分配』などに、つぶさに描き込まれているので、是非、参考にしてみて欲しい。
そこに、戦後、民主主義と称して『共同相続』が導入されてのである。
しかし、『共同相続』というのは、元々、牧畜社会の智恵である。
仮に、1万頭のヒツジを長子だけに相続させれば、増え続けるヒツジが、やがて牧草を根絶やしにしてしまうだろう。それを避けるには、5人の兄弟にヒツジを五等分して、おのおのが違った方向にわかれて暮らすほうがいい。これが牧草と、ひいてはヒツジを守る智恵であった。
この農耕社会と牧畜社会の成り立ちの違いを無視して、共同相続がこの国に強制されたのだからたまらない。日本の農業はたちまちのうちに崩壊してしまったのである。
物事には、よかれと思ってしたこと(相生)が、可も無く不可も無い状態(比和)となり、やがてはマイナス要因(相克)となるという原則があることはすでに述べた。
さらに物事には、すべて『適正規模の法則』というものがある。
そういう現実を学者は知らない。解ろうともしないのである。
それに農耕社会(戦前の日本は農業社会そのものであった)には、その宿命──土と水と太陽の限界──を無視して、農業に第二次産業お得意の『生産性第一主義』を要求しすぎてはいけないのである。最近では、『安く作れないならオレの国の物を買え。おまえの国の農業をやえてしまえ』と外国まで要求してくる始末である。
しかし、農業は、50年後、100年後の防衛産業である。
仮に今は農産物が過剰な国であったとしても、その国の人口が倍々なった時、米や麦あるいは肉を親切に輸出してくれるだろうか。そんなことは期待できない。
このまま外国の言いなりになっていては、日本の農業、そして豊かな自然は、間違いなく壊滅し、日本経済は、外国にとどめを刺されてしまうだろう」
・ ・ ・