🐟2〗─1─現代の「日本人は自然を大切にして保全に努めている」は嘘である。大量の水を輸入している渇いた日本。~No.2 @ 

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 2017年1月29日号 サンデー毎日「われは歌えどもやぶれかぶれ 椎名誠
 時代の明日はミクロの戦いになりそうだ
 今世紀、我々の生活にもっとも近く、もっとも大きく深刻な問題になりそうなのは『水』だろう。『飲み水』である。自然環境的に世界でもっとも『水』に恵まれているのはノルウェーアイスランド、カナダ、ブラジル、インドネシア、日本──などといわれている。『明日、自分が飲める水がはっきり確保されている』というところがポイントになる。そういう国は世界の中ではこのようにすでにマイノリティになってしまっているのだ。
 水が潤沢な国が存在する一方で、国そのものが水不足になってしまい、川が国境をなしているようなところがいまいちばんあぶない。この対立が明確になっているところで川を挟んで『水取り戦争』がおきやすくなっている。
 ヨーロッパでももっとも水が潤沢な国のひとつアイスランドに行ってその例を見てきたが、北海道と四国をあわせたくらいの国土の大半は火山と溶岩大地で、緑が少ない。冬は高山の殆(ほとん)どが雪と氷河に覆われる。
 それでもたくさん流れている川の殆どはみなきれいでおいしい。源流から海に落ちる滝までそっくりミネラルウォーターだったりする。ダムや堰堤(えんてい)によるコンクリート汚染や川に汚水を流す工場が規制されているからである。そして原発を作らなかった。
 日本も川の数では非常に裕福な密度にあるが、かつての為政者がオロカだった。川のそばにどんな工場でも建てられ、そこの廃棄汚染水をいわゆるダダモレにして、多くの川に毒水を流した。長いことダイオキシンや鉛や水銀をタレ流し、流域の多くの人を殺し、いまだに完治していない人をたくさんつくってしまった。豊かなるがゆえの無知そのものが日本の川行政の本質だった。
 ダムを造りすぎた責任も大きい。日本の多くのダムは行政と巨大ゼネコンが結びついたからで、これは共同犯罪に近い。
それでも日本はまだ恵まれている。
 毎年、周期的に梅雨と台風がやってきて新たに大量の水を供給してくれるからだ。梅雨や台風も土地によっては災害をもたらすネガティブな側面をもっているが、こういう循環は恵みと考えていいような気がする。
 『天からの恵み』がない広大な砂漠を抱えた国や、地質的に川が水を浄化しない土地などに住んでいる人々にとっては垂涎(すいぜん)のマトそのものであるからだ。地球は実に残酷に不公平にできているのだ。
 数年前、人の死についての本を書いた。そのなかに2年ほど各地を取材したが自然環境的に恵まれすぎているところに住んでいる人と、そうでない人とのむなしい違いをここでも目の当たりにし、水問題と同じようにしばしば考え込んでしまった。
 その問題の基本にやはり水や森林が大きく関係していた。頭では理解しているつもりでも実際にはわかっていなかったのは『森林限界』という厳しい現実だった。
 たとえばチベットの鳥葬。それをきいてなんと残酷な、という人が世界にたくさんいるようだ。
 でも実際にチベットを歩いてみると平均標高4,500メートルの世界は、岩と氷河が支配しており、日本のように遺体を燃やして骨にまでする、という環境にない。
 一方でここは施しの文化だから、魂を昇華させたあとのヒトは単ある?(むくろ)と考えて空腹の鳥や山犬たちに食物として施す。
 北極圏には墓がない。夏になると大地が顔を出すが、永久凍土の地盤だから、人を埋めるとずっと冷凍死体となってしまう。
 結局遺体は氷の海にのみ込ませるしかない。
 タクラマカン砂漠では古代の人たちのミイラ化した死体をたくさん見た。砂と太陽の国ではそうするしかないのだな、ということがよくわかった。ミイラになってから年数をかけて風化させるしかないのだ。
 インドシナ半島では死体を櫓(やぐら)にのせてジャングルの中に〝放置〟する。太陽と鳥や動物やバクテリアに遺体の処理を委せる。
 水問題と人間の死後について同時に語ったのは共通した未来科学に関係するからだ。
 いま、ミクロのスーパーサイエンスがしきりに語られるようになった。そのひとつの方便がミクロ生物(もしくはミクロ機械)の集団脳である。サイバネティクスはこまかい粒々のような〝機械〟と考えていいようだ。いろいろな使い方があるがこの生きている『粒々生物』を使って遺体を処理する技術が研究されている。
 死んだ人間の体を分解し、他の物質に変換させる。たとえば土地の改良だ。岩石、あるいはその反対に砂に処理物質(分解された人体)を混入させ、別の活性化の道へ方向づける。ミミズが大地を食べてせっせと糞(ふん)をし、栄養にみちた土壌に変えてくようなシステムに似ている。
 この技術が確立したら素晴らしい。ヒトは死して(文字どおり)本当に天空と大地に戻るのだ。このままでいくと地球は先祖の墓ばかりの惑星になってしまうじゃないか、と思っていたがこのハイテクがひとつの光明を感じさせてくれる。
 海水を淡水化するシステムもすでに稼働していて、原油はあるが水がない中東の国々に大規模なプラントができている。これもミクロン単位の逆浸透圧(逆浸透膜=RO膜)の原理を利用している。
 ……」
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 食料自給率の低い日本は、大量の水で栽培した農作物を輸入している。
 日本人は、多くの食べ物をまだ食べられるのにかかわず生ゴミとして、惜しげもなく、後悔の念もなく、さも当然の行為として捨て恥じない。
 日本神道の教えとして、八百万の神々から賜った命の糧である食べ物を粗末にする者は罰が当たる。
 食べ物を大切にしない者は、自然を大切にしない者である。
 食品ロスを多くだす現代日本人は、自然を大切にしないどころか破壊している。
 「日本は自然を大切にしている」と公言して自慢する日本人で、もし食べ物を粗末にしていれば、そんな日本人は心が醜い穢れた日本人である。
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 日本と中華(中国・朝鮮)は、自然環境及び人社会は正反対に違い、お互いに分かり合う事はない。
 多様性と開放性で寛容な日本は、中華(中国・朝鮮)を理解する事はできる。
 が、多様性のない閉鎖的で不寛容な中華(中国・朝鮮)は、日本を理解する事は不可能である。




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