🍠33〗─1─貧困化した農民達は資本主義と都市を批判した。大正14年。~No.106No.107No.108 

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 2023年5月13日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「「格差是正」を目指して立ち上がる農民たち 戦前日本の「資本主義批判」と「都市批判」
 井上 寿一
 戦前の日本はどのような社会であったのか。
 1925年、農村は欧州大戦後の戦争景気の反動不況により深刻な打撃を受けていた。日本社会は、格差是正を追求していた。そのような時に、農村雑誌『家の光』が創刊された。
 『家の光』は「共存同栄」のもと共同主義を掲げ、体制批判を含んでいた。それは政党政治、資本主義、都市の3つに対する対抗原理であった。
 本記事では、そのなかでも資本主義、都市に関して、くわしくみていく。
 ※本記事は井上寿一『戦前昭和の社会 1926-1945』から抜粋・編集したものです。
 資本主義批判
 第2の資本主義に関して、1925(大正14)年9月号の別の記事「安くて立派で似合う服装」が女性の服飾ファッションの観点から批判している。同記事は、欧州大戦後の欧米の流行が日本にも波及して、スカート丈が短くなったことを例に述べる。スカート丈が短くなったことは、それだけ織物の節約になったはずである。
 ところがそれにあわせて長い靴下や編み上げの長い靴が流行りだした。これでは節約にはならず、持ち出しになる。これは「デパートメントストアの商略で、一方の点で時機に応じた顧客の歓びそうな事を企て、陰で別な品物を売る策略に過ぎません」ということになる。
 「流行を追うての美装と云う事」は「婦人の自覚がないから」だ。そのような立場から同記事は、「安くて立派で似合う服装、それは婦人各自の趣味と個性発揮と経済とを基調としたもの」でなくてはならないと主張する。どうすれば可能になるか。「各婦人が一致して共同購買をなし、進んで消費組合を組織する」。ここに共同主義による資本主義批判をみることができる。
 資本主義批判は欧米批判でもある。同号のさらに別の記事は、洋服批判=和服擁護を牽強付会な論理によって展開している。「日本は欧洲諸国に比べまして古来最も平和時代の永く続いた国です。従て闘争活動の便を主とした衣服よりは優美安座に適したものを主として工風したのです」。
 同記事は標題(「西洋かぶれは考えもの」)のとおり、「衣」だけでなく、「食」「住」におよぶ欧米批判を並べている。たとえば「西洋食にフォークやナイフを用いるのは箸を用いるのよりは余程非文明的です。肉を切るためなら調理の際に切ておけばよいではありませんか」という。
 あるいは紙障子一枚の日本家屋は「洋館のように特別に換気を設けずとも空気の流通も至極よろしい」と正当化する。共同主義は、資本主義批判をとおして欧米を批判する原理だった。
 都市対農村
 共同主義の立場がもっとも危機感を抱いたのは、第3の都市対農村の対立である。『家の光』は、たとえばつぎのように都市を批判し農村を擁護する。農村は「平和にして呑気、健康にして長寿」、対する都市は「気苦労多く不健康にして短命」である。
 この記事「農村の家庭」(創刊号)は、「顧うに世智辛き今日の世の中、何れの地方も、金銭の餓鬼となって背に腹は代えられざるの諭、唯だ一に金を得るに是れ急々として一にも金、二にも金、三にも金」と都市と資本主義とを結びつけて批判した。
 それでも「女子先ず其郷土を棄てて男子其後を追う」という「農村人口減耗の歴史」をくりかえそうとしている。同記事は都市の魅力を認めざるをえなかった。都会の工場に通う子女の「蒟蒻の白あえ然たる顔色、其ピカピカしたる衣服、之を目撃する所の子女は、之を羨望するの極、己れも工場の紅女たらんと志し、都会に出稼せんと希う」。これが農村の現実だった。
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 1925(大正14)年11月号の巻頭言も同様に、都市の発達と農村の衰退の傾向を「現時の状態では如何ともすることは出来ない」と認めている。このままでいくと日本はどうなるか。この巻頭言によれば、食糧供給の不安、都市への人口集中による社会問題の惹起、思想の悪化などが起きるという。同記事は警告する。「都会と農村との発達の差が大となればなるほどそこに不自然な社会現象を呈し却って人類生活の幸福の基礎を危くする結果を生ずる」。
 ここに『家の光』は都市と農村との格差の是正をめざす。この巻頭言の標題にあるように、「都会農村化と農村都会化」によってである。これによって「両者の差を少なくすれば、人口の移動は両者の間に今日ほど頻繁に起らず都会農村共に理想的の発達が期し得られよう」とする。「農村都会化」とは農業の近代化による豊かな農村の追求のことである。共同主義は農業改良主義となる。『家の光』がめざしたのは、具体的な農村生活の改善だった。
 『家の光』の共同主義は読者を啓蒙する。長野県のある農村青年が読後の高揚感を投書している。「おゝ俺は農村青年だ。あの虚偽や誘惑の多い都会がなんだ。塵芥の浮遊せる都市がなんだ。それよりは此の清浄の気溢れる山間で此の大自然の温い懐に抱かれて又家の光を無上の友として田園生活に甘んじるんだ……それで好いんだそれが幸福なんだ」(1926〈大正15〉年4月号)。
 都市への対抗は別の投書が民謡「東京の唄」の詞の形を借りて表現している。「東京は、煙の都/唄をうたへば、呼吸つまる/東京は、薄情な都/算盤はぢいて、恋をする/東京は、不粋な都/物干台から、月を見る」。
 共同主義=農業改良主義
 読者のなかには『家の光』の共同主義=農業改良主義に触発されて、農村振興の隊列に加わろうとする農民が出てきた(1926〈大正15〉年2月号)。この読者は「先ず何より収入増加である」と言いきる。利潤追求の資本主義を否定することなく、農業の近代化を図ることが目的だからである。
 そのためには米・麦・繭の増収はもちろん、野菜の栽培、果樹の植栽、養畜や副業をおこなう。無駄な経費を削減し煙草を吸うのを禁止する。節約した分を家族で食事をするなどの娯楽費に充てる。時には若夫婦が旅行をする。改良農具を用いて「農業労働の一大恨事である身体の苦労を緩和し荒廃を防止」する。「百姓は社会の下層生活者であると云う常套語を打破すべき勇気と自信とを以って事に当れば必ず成功する」。共同主義の理念の下、近代的な農業経営の実践をとおして下層階級からの脱却を図る。『家の光』には希望があった。
 『家の光』(1926年1月号)は「共存同栄主義の模範農家」を紹介している。福島県の合名会社組織による大農経営の事例は、「下層生活者」の小作農民には夢のようなものだったかもしれない。それでもこの記事は重要である。努力と工夫を重ねれば、経済的な豊かさと社会的な身分の上昇を手にすることができる。そう示唆する記事の内容は、共同主義=農業改良主義の立場にふさわしいものだったからである。
 『家の光』は地主対農民の階級対立の視点を持たない。『家の光』がめざしたのは、農業改良の共同主義による日本の漸進的な民主化だった。
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📉22】─2・B─世界でも最悪の学ばない日本の大人達。~No.47 

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 学ばない大人達とは、臍繰りを貯めている逃げ組であるチョイ裕福な団塊世代団塊ジュニア世代で、日本を衰退させ、日本の再興・復興を妨げている日本人である。
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 2023年5月12日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「世界でも最悪の「学ばない日本の大人」、じつは「残業していない人」のほうが勉強していなかった…!
 飯田 一史
 「学び直し」系の記事はビジネスメディアでは定番だが、「視点が『個人』に寄りすぎているという問題がある」と、『リスキリングは経営課題~日本企業の「学びとキャリア」考~』(光文社新書)を刊行したパーソル総合研究所の小林祐児・上席主任研究員は警鐘を鳴らす。「個人」の「やる気」に期待するこれまでのやり方では、国際的に見ても過去と比較しても圧倒的に低調な日本の社会人の「学ばない」傾向は変わりようがない、と言う。何が宿痾となっているのか。小林氏に訊いた。
 壊滅的に大人が学ばない国・日本
――リスキリングと騒がれるようになった背景と日本の課題から教えてください。
 小林 いくつかの要因が絡み合っています。企業視点で言えば、ひとつには国際的な人的資本投資・人的資本開示の流れがあります。日本は他の先進各国と比べて企業の従業員に対する投資額が圧倒的に少なく、かつ、過去と比べても減ってきている。しかしこれに対して投資家からの圧力が高まっています。
 あるいは人手不足もあって各業界でDXが喫緊の課題となりましたが、DXはただデジタルに詳しい人材を外から採ってくれば済む話ではありません。ビジネスのトランスフォーメーションが本質だからです。その業界、その事業の収益構造やバリューチェーンがわかっている人間が取り組まなければDXは達成できません。したがって中途採用しつつ、既にいる内部人材のスキルをデジタルシフトして取り組む必要があります。
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 では日本は目下どうかと言えば、全国の正規雇用者全体に対する調査では、一般的なリスキリングの経験がある人は3割前後、また、常に新しい専門性やツールなどを学び続けている、というリスキリングの継続的な習慣がある人も3割弱に留まります。しかもこの数字の読み方は気を付ける必要があるんですね。というのも、日本の雇用形態はメンバーシップ型で、職務を超えた業務異動命令があります。総務をやっていた人が「人事をやれ」と言われてまったくの異業務に取り組み、それまでとは異なるスキルを学ぶことを迫られるような事態が日常的に生じています。だから3割くらいはリスキリング経験がある、と答えているわけです。
 ところがそれを除けば、自律的な学びは圧倒的に少ない。社外学習機会に関する国際調査を見ると、日本だけが何もしていない人の割合が5割を超えています。他の先進国は多くて2割程度です。日本人は圧倒的に学習意欲がなく、学びの習慣が付いていません。
 日本人は「キャリアは偶然の積み重ねでできる」という「プランドハップンスタンスセオリー」(計画的偶発性理論)が好きですが、それは日本の雇用形態に基づいて異動してきた自分を肯定してくれるからですよね。しかし、そのせいで自分の意志でキャリアを築いている実感がない。もしくは「結局、運で決まる」という感覚がある。これが学びから人を遠ざけています。
 言い訳ばかりして「なんとなく」学ばない
――なぜ日本人はそんなに学ばないのでしょうか。
 小林 これもいくつかの要因があります。よくある誤解は「一度正規雇用で会社に入ってしまえばあとは基本的に雇用が安定しているから研鑽しない」という、外部労働市場が不活性だからというものです。しかし雇用形態で言えばパート・アルバイトがもっとも学んでいませんし、大企業と比べて比較的雇用が流動的な中小企業の社員も学んでいません。
 社外学習しない理由についてアンケートを採るとだいたい「時間がないから」が最多になります。ところが実態を見ていくと残業を月30~40時間している人が一番学んでおり、残業していない人のほうが学んでいません。つまり「学びはよいこと、すべきこと」という前提があるなかで、主観的に「なぜ学んでいないのか」を尋ねてもバイアスがかかった答えしか返ってこない。「忙しいから」などと言い訳を探すに決まっているわけです。実は学ばない理由に「特にない」「どれも該当しない」といった選択肢を用意するとそれが一番多くなります。「なんとなく学ばない」のが実態です。労働時間の長短は関係ありません。
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 加えて言えば、日本企業では経営陣も中高年も「現場」が大好きで、研修、体系的な座学の学びを嫌います。調査してみても、 40 歳以上の中高年では、 10 年以上研修を受けていない従業員が半数を超えます。数少ない企業の人的資源への投資は未経験入社に34.5%、中途採用に20.2%と新人にほとんどが振り分けられ、次に多いのは管理職研修です。結果「研修は新人が受けるもの。あんなものは役に立たないし、実務がすべて」と思う人たちができあがってしまっています。
 過半数を超える人が社外学習しない状態、とは「学び? 何ですかそれ?」が世の中では普通だということです。大半の人は焦ってもいないし、課題とも思っていない。そんな状況で「リスキリング」とメディアや人事、経営層が叫び、「勉強しろ」とお説教しても動くはずがありません。正直、「変化が激しい時代になったから学び直しが必要」的な話はみなさん飽き飽きしていると思います。VUCA、リカレント教育、学び直し、リスキリング……等々いろいろな言葉を作り、メディアや研修業界が煽ってきました。でも日本人の学びはこの50年間、おおよそ減り続けています。その現実をどう見つめ、変えていくのか。
 これは個人の力に頼るだけではどうにもならないことは自明です。企業がやるしかありません。しくみ化するしかない。しかも課題は「AからBにリスキリングすればいい」「特定のこのスキルを学べばいい」という話ではない。変化が激しいのだから、それに合わせて「学び続ける」人をどれだけ作れるかにかかっています。実際には「この資格を採れば稼げる」的な話がメディアには踊っているのですが、統計的には特定資格の取得が賃金上昇に結びつくかどうかはそもそもあやしく、かつ、個人の努力に頼るやり方では学びはなかなか続きません。キャリアのしくみを変える必要があります。
 5段階評価で3か4の人が一番学びに向かわないが……
――キャリアのしくみを変えるというと「また新しい制度を入れるのか」みたいに受け取る人もいるかもしれませんが、『リスキリングは経営課題』では既に多くの企業が導入しているMBO(目標管理制度)をリスキリングと結びつけて使うことが提言のひとつにありました。
 小林 逆に言えばMBOがひどい状態のまま放置されている企業が大変多いんですね。人事もMBOがまともに機能していないことはわかっている。人事雇用改革で近年話題なのはジョブ型雇用ですが、等級制度をいくらいじったところで目標設定と評価の部分がボロボロなら何も機能しません。ところが企業には「評価者トレーニング」という名の上司向けトレーニングしかなく、ほとんどの従業員はMBOでの目標の作り方や制度の意味、目的を教えられないままなあなあで目標を立て、上司もなあなあで運用する。評価が処遇に紐付いているがために「誰からも文句が出ない」制度にすることに人事の関心が集中し、単なるノルマ管理と人件費配分のツールに成り下がっています。
 しかし本来MBOは個人の成長とキャリアのためのフィードバックとマネジメントツールであり、半年ないし一年を振り返って課題を見つけ、向こう半期や一年のチャレンジを策定するための制度です。サッポロビールさんのようにMBOに挑戦的な目標(ストレッチゴール)を新設した企業もありますが、きちんと使えばリスキリング促進につながる制度です。
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――MBOなど会社からの評価を5段階でした場合、トップの5や最低の1の人はさらなるステップアップを狙ったり、このままではダメだと考えたりしてリスキリングに向かうけれども、ボリュームゾーンである3か4の人はまあまあ評価されていると思って学びに向かわないと小林さんは指摘されていましたよね。
 小林 ところが日本では5段階で両端の5も1も付けずに3か4が増えるように評価調整会議で均してしまいます。欧米では管理職に人件費の配分権があり、上司が評価を采配できますが、日本では「ここの部署だけ5の人が多くない?」といった不均衡が起きることを嫌って「3か4にしておくか」となりがちです。これも制度が何のためにあるのか打ち込まれていないせいです。しかしその結果として大半の人がアンラーニングしないままになってしまう。そしてそのまま20年くらい漫然と働いたところで早期退職の対象になってしまう――最悪のネガティブフィードバックとしてのリストラですね。
 こういう状態をどうやれば変えられるのか。「自律的学び」や「キャリア自律」といった教科書的な綺麗ごとでリスキリングを進めても、日本のほとんどの従業員は学ぶ習慣などつかないということです。だからこそ企業が組織として、しくみとして、個人のやる気に頼らずに取り組むように仕向けていくしかありません。
 この前編記事では大人が学ばない国、日本の現状を会社内の事例を挙げながら紹介した。続く後編記事「年功序列的な人間関係がカギ…世界でも最悪の「学ばない日本の中高年」という大問題」ではこれらの問題の解決につながる事柄を引き続き紹介する。
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 江戸時代から昭和中頃までの日本民族日本人は学歴は低かったが、新しいモノ好きで、勤勉・勤労で、世界が驚愕するほど好奇心旺盛で研究熱心で学ぶ事に貪欲であった。
 高学歴の現代日本人とは、教育・学ぶという事にたいして正反対であった。
 大正時代の庶民は、アインシュタイン相対性理論が生活に役に立たない事を知りながら、説明を聞いても理解できなかったが興味本位で専門家の話を聞いていた。
 昔の日本民族は、理系脳と文系脳をアランスよく持ち、短期間で日本を近代的軍事国家に再建築した。
 現代の日本人は、昔の日本民族を否定して正反対の生き方をしている。
 それが、「新し事を学ばない、古い事はゴミとして捨て去り、あるモノ全てを断捨離としてなくす」事である。
 現代の日本人には、理系脳はもちろん文系脳すらない。 
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📉100】─1─高齢者とスマホ依存症。深刻化する独居高齢者のスマホ認知症。〜No.226No.227 

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 2023年5月10日 MicrosoftStartニュース zakzak「高齢者にも激増 危険なスマホ依存症 独居高齢者ほど陥る「スマホ認知症」 SNSの普及で人間の精神状態は大きく変化〝依存症状〟危険度チェック
 高齢者にも激増 危険なスマホ依存症 独居高齢者ほど陥る「スマホ認知症」 SNSの普及で人間の精神状態は大きく変化〝依存症状〟危険度チェック
 © zakzak 提供
 「スマホ依存症」(ネット依存症)はいまや子供や若者ではなく、高齢者の切実な問題です。ツイッターフェイスブックは、若い世代より中高年世代で流行っているのです。高齢者ほどデジタル免疫がないため、ハマると抜け出せません。現役引退後に近所づきあいや趣味の交流程度しかなくなった高齢者ほど、スマホ利用時間が長くなる傾向があります。
 精神科、心療内科ではスマホ依存症の患者さんが増えていますが、とくに高齢者の割合が増しています。「独居老人」が増えたことも大きく影響しています。
 特徴は、とくにSNSに熱中しすぎることです。フェイスブックに四六時中チェックインして「どこにいて何をしているか」を投稿するようになる。毎日、ユーチューブで、自分がつくった料理動画をアップする。ツイッターで、日々のニュースに関して随時ボヤいている。LINEで何回もグループ投稿をする――など。楽しんでいるうちはいいのですが、そのうち、触らないと落ち着かなくなり、依存が進行します。
 「最近、物忘れがひどくなった」「1つのことに集中できなくなった」「ときどき言葉が見つからず、うまく話せなくなった」と、認知症を疑って診察に見える患者さんに、スマホ依存の人が増えています。これを最近は「スマホ認知症」と呼ぶようになりました。
 高齢者にとって、とくに1人暮らしの高齢者にとっては、スマホはネットショッピング、ネットバンキング、メール、情報収集、家族・友人との交流など非常に便利なツールです。が、やり過ぎると認知症と同じような症状に陥ります。スマホ依存と認知症が同時進行するケースもあり、こうなると非常に厄介です。
 次のような点があれば危険度は高まります。
1.スマホを使う時間を自らの意思でコントロールできない
2.スマホ以外の物事への関心が低くなった
3.食事中、会話中、就寝前と常にスマホを使用している
4.日常生活に支障が出るようになった
 人間の脳の情報処理能力には限度があります。スマホと同じで容量を超えると作動しなくなるのです。脳の前頭葉が処理できないほどの情報を浴びると、身体的にも影響が出ます。とくにSNSのやり過ぎによる睡眠不足は最悪です。
 スマホ認知症には、「マウンティング」も関係します。これは、動物が群れの中で自分の方が優位だと上下関係を示唆する行動から生まれた言葉です。本来、人間にはプライドがあるので、普段は判断力や抑制力で態度に表さないようにしています。ところが、認知症ではこの抑制が効かなくなり、思い通りにならないことに腹を立て、自分に不利なことを認めようとしなくなります。
 このマウンティングは、SNSで助長されます。たとえば、ツイッターでは、自分より上の人間を「クサす」「ディスる(おとしめる)」つぶやきをします。下の人間には、見下したりバカにしたりするツイートをします。こうすると、脳の報酬系が刺激され、強い快感を覚えるのです。
 認知症外来で来た患者さんの中に、こうしたマウンティング・ツイートばかりしていた高齢男性がいました。
 SNSなどなかった時代、こうした高齢者は、家族や近所の迷惑ですみました。しかし、いまは〝社会の迷惑〟です。スマホ、SNSの普及で人間の精神状態は大きく変化したと言えます。 【あすは、「デジタルデトックスの方法」です】
■吉竹弘行(よしたけ・ひろゆき) 1995年、藤田保健衛生大学(現・藤田医科大学)卒業後、浜松医科大学精神科などを経て、明陵クリニック院長(神奈川県大和市)。著書に『「うつ」と平常の境目』(青春新書)。
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🦋2〗─2─バブル崩壊後に再起を賭けた時代遅れの成功モデルのニュータウン構想。〜No.3No.4 

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 ニュータウン構想は、人口爆発期では成功するが、人口激減期では失敗する。
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 現代日本人は、民族的な歴史力・伝統力・文化力・宗教力がない為に「温故知新」の真の意味が理解できない。
 その証拠が、「賢者は歴史に学ぶ、愚者は自分に経験に学ぶ」。
 日本国・日本民族の歴史において、歴史が繰り返された事はない。
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 2023年4月2日 MicrosoftStartニュース Merkmal「わずか15年で廃線 愛知県「桃花台線」が遺した都市計画という名の“無理難題”、そして落日のニュータウン
 出島造(フリーライター
 平成に開通、平成に廃止
 都市計画は大抵、想定通りに進まない。計画人口をもとに交通機関を整備しても、住民が利用するとは限らないのだ。結果、せっかくの交通機関が廃止されてしまうこともある。
 【画像】えっ…! これが60年前の「桃花台ニュータウン」です(11枚)
 その代表例として知られるのが、開業からわずか15年で廃止された愛知県小牧市の自動案内軌条式旅客輸送システム・桃花台線(とうかだいせんピーチライナー)だ。運行していたのは1991(平成3)年3月から2006年10月までで、小牧駅から桃花台東駅までを結んでいた。全国唯一の
 「平成時代に開通し、廃止された」
 路線である。この失敗事例は、これからも続く都市計画を考える上で貴重な教訓となっている。
 構想が進んだのは1960年代後半
 桃花台ニュータウンの位置(画像:(C)Google
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 桃花台線が走っていた小牧市東部の丘陵地にある「桃花台ニュータウン」は、経済成長にともなう人口増を前提に建設が計画された。1955(昭和30)年に市制を施行した小牧市は発足当時、人口約3200人の純然たる農村地帯だった。
 都市化が始まったのは、1959年、中京圏に甚大な被害をもたらした伊勢湾台風以降だった。台風からの復興事業が始まると、当時の神戸眞(かんべ しん)市長は財政基盤確立を目的に、臨海部にあった工場誘致を開始する。このとき、増える人口の受け皿として構想されたのが、当時は「篠岡台」と呼ばれ山林しかなかった地域での宅地開発だった。
 計画を公表した1962年1月の『広報小牧』では
 「誘致工場の集団社宅街を造成し、緑の木々に囲まれた新しい形の近代的な文化住宅団地の建設をもくろみ鋭意立案中」
 とつづっている。
 その後、新たな街の名前は「桃花台」と決まった。同年3月の『広報小牧』によれば
・総面積:約4万4500平方m
・住宅:1000戸
 の計画とされている。この時点で3万2000人程度だった小牧市は、工業化による人口増で10万都市実現を目標としていた(現在の小牧市の人口は約14万9000人)。
 構想が実現に向かったのは1960年代後半になってからだった。経済成長を迎えた愛知県が、名古屋大都市圏整備の一貫として小牧市の構想を取り入れたのである。愛知県は1971年、計画人口を約5万4000人として桃花台の開発事業を始めている。計画はオイルショックの影響で立ち遅れ、入居が始まったのは1980年からだった。
 分譲開始後から続いた苦難の日々
 現在の桃花台ニュータウン(画像:国土地理院
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 しかし、住宅の人気は決して高くはなかった。分譲が開始された1979(昭和54)年頃には少々話題になったものの、その後は売れ残りが続出した。理由は交通機関が整備されていない
 「陸の孤島
 のまま、入居が始まったためだった。
 1980年の入居開始時には既に桃花台線の計画は進んでおり、入居開始とともに代行バスの運行も始まっている。しかし、肝心の桃花台線が、いつ完成するのかめどが立っていなかった。
 それでも1988年頃になると、桃花台線の開通が1991(平成3)年と確定したことから、不人気だった桃花台に人口が増え始めたことを報じる新聞記事が散見されるようになる。こうして、入居開始から遅れること11年、1991年3月に桃花台線は開通した。
 ところが、地域の主要交通機関と期待されていたにも拘わらず、路線需要は予測を大きく下回った。当初の予測では1日の利用者を5400人と見積もっていたのに対して、開業ラッシュが一段落した後は、1日あたり
 「2500~2800人」
 の利用に留まった。その後、廃止されるまでの15年間、運賃の値下げなどさまざまな対策が採られたものの、一度も利用者が当初の予測に並ぶことはなく、赤字運行は続いた。
 バスよりも利の大きい交通機関が大失敗した理由はなんだったのか。最大の問題は、
 「移住者が計画人口を下回った」
 ことである。愛知県では開発時点の計画人口は5万4000人と見積もっていた。この計画人口をもとに試算された桃花台線の利用予測は、1日あたり2万人だった。しかし、バブル期に人口が増えたとはいえ計画人口に達しなかった。
 前述の「1日5400人」は、計画人口より移住者が少なかったため改めて示された数字だが、これもかなり甘い見積もりだったのだ。桃花台線の開通も結局、人口増の起爆剤にはならなかった。廃止が浮上した1999年時点でニュータウンの人口は約2万7000人。利用者は、1日あたり2300人程度となっていた。
 アクセス問題で住民がバス路線開設
 桃花台ニュータウン高蔵寺駅の位置関係(画像:(C)Google
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 通例、鉄道路線桃花台線は新交通)が開通すれば、利便性が増して人口は増えると考えがちだ。しかし、桃花台ではそうはならなかった。それは、桃花台線が「陸の孤島」を解消するにはほど遠い存在だったためだ。
 もともと桃花台線は、名鉄小牧線小牧駅から桃花台ニュータウン高蔵寺ニュータウン春日井市)を経由してJR中央線高蔵寺駅に至る路線となる予定だった。しかし、入居開始から11年も遅れて完成したのは、計画の半分にあたる小牧駅から桃花台東駅まで。高蔵寺駅までは一部の土地買収が終わったのみで、工事すら行われていなかった。
 このため、鉄道利用で名古屋市内に通勤通学するためには、小牧駅経由となる。ところが、当時の小牧線も利便性に欠けていた。というのも、2003(平成15)年3月まで同線は名古屋市営地下鉄と接続しておらず、名古屋市内へ行くには、上飯田駅名古屋市北区)でバスに乗り換えなければならなかった。
 さらに、入居開始から桃花台線の開通まで11年もかかったツケが大きかった。この間、桃花台の住民にはマイカー利用を前提とするライフスタイルが確立されていた。結果、名古屋市内へ通勤通学する住民は、マイカーで高蔵寺駅春日井駅を利用するようになっていた。このようなライフスタイルが確立していたため、住民は桃花台線よりもJRに接続できる春日井市のふたつの駅と、名古屋市へのアクセス向上を期待していた。
 住民の声を反映する形で、1992年には高蔵寺駅行きのバス路線が開設されている。さらに2001年10月には、名鉄バス高蔵寺駅経由で名古屋都心を結ぶ高速バスの運行を開始している。それだけでなく、2002年には住民が主体となって会員制組織をつくり、バス会社に運行を委託する形で、JR中央線春日井駅までのバス路線が開設している。住民主体でバス路線が開設されるあたり、いかに桃花台線の利用価値が低かったかが見てとれる。
 当初、都市計画は市内の工場労働者の社宅要素を重視して進められた。しかし実際、
名古屋市内へ通勤通学する者が多かった
・街は小牧市より春日井市と密接なエリアとして成長した
 など、計画と現実の齟齬(そご)によって、桃花台線は無用の長物となってしまったのである。
 広島市でも同様の悲劇
 広島短距離交通瀬野線のみどり口駅(画像:(C)Google
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 需要を見誤ったために路線が廃止される事例は、桃花台線以外にもある。2023年末で廃止が決まった広島県広島市広島短距離交通瀬野線スカイレール)も、そうした事例のひとつだ。
 同路線はみどり口駅と高台にあるみどり中央駅を結ぶ。ゴンドラ型車両は、高架レールの上を約5分で行き来する、全国でもほかに例のない珍しい交通機関である。
 1998(平成10)年に運行を開始した時点では、1日の利用者は5000人以上とされていた。しかし、実際には1日の利用者は1300人程度にしかなからなかった。この住宅地は決して不人気ではない。整備区画はほぼ完売し、2260世帯7300人が暮らしている。ところが、7300人の人口に対して、1日の利用者が5000人以上という予測は完全に外れてしまった。
 この予測はもともと、
 「全世帯でひとりが1日に一往復程度利用する」
 と想定したものだ。冷静に考えれば過剰さを指摘する人もいそうだが、計画されたのがバブル期だったこともあり、ザルな予測に誰も異論を唱えなかった。実際、宅地内には駅がわずか2駅しかないこともあり、歩いたほうが早い人も多く、利用が低調なまま推移した。
 また、このシステムは全国唯一ということもあり、整備費もかさんだ。開発した三菱重工業神戸製鋼所は、同様の高台につくられた宅地での普及を期待していたが、まったく採用されなかった。
 ただ廃止が決まって以降、住民の中には懸念もあるという運行終了後は、EVバスへの転換が予定されているが、朝には自家用車で通勤する人も多く、定時運行が困難になるとも見られているからだ。果たしてこの廃止が英断だったか否かは、現時点でまだ判断できない。
 グリーンラインは逆に予想以上
 横浜市営地下鉄グリーンライン(画像:横浜市
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 2015年に開業した宮城県仙台市地下鉄東西線は1日11万9000人の利用を想定したものの、実際には5万7000人と半分以下となっている。
 対して、神奈川県の横浜市営地下鉄グリーンラインは1日10万4000人と見込んだところ、14万人あまりと、予想を超えた利用者数となっている。
 開業が近い栃木県宇都宮市の次世代型路面電車LRT)も、実は需要が不透明なままだ。沿線の500m圏内の人口は3万人程度に過ぎず、今後は人口減が続くと推計されている。また、メインとして見込まれる沿線の工業団地の利用者が、バスやマイカーからLRTに転換するかもわからない。
 いずれにしても、都市計画が想定通りとなることはほぼない。計画に必要なのは、動向を窺いつつ、柔軟に変更する姿勢なのだ。
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📉99】─1─スマホの見過ぎで緑内障失明が急増する。〜No.226No.227 

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 2023年5月7日 MicrosoftStartニュース NEWSポストセブン「日本人の失明原因トップ「緑内障」、スマホの見過ぎでリスク増 予防のための「眼筋ストレッチ」
 目の不調の改善が望めるストレッチも(イメージ)
 © NEWSポストセブン 提供
 目の老化は健康寿命に直結する。なかでも日本人の失明原因トップの「緑内障」は厄介な病気だ。Y’sサイエンスクリニック広尾統括院長の日比野佐和子医師が語る。
 【図解】目の不調の改善が望める「親指スライドストレッチ」
 「厚生労働省(2020年『患者調査』)によると、40歳以上の20人に1人が緑内障を発症しています。この病気は、目の中を循環して栄養を行き渡らせる液体『房水』が様々な原因で停滞することで目の中に溜まり、眼圧が上昇して視神経を圧迫することで発症します。
 ただし、日本では眼圧が正常なのに発症する『正常眼圧緑内障』が7割を占めます。これは血流の低下や近視が関わるといわれます」
 そういった眼疾患は、「目の酷使」に起因するものだ。
 「現代人はスマホなど手元ばかりを見ることで目を酷使している。その結果、近視が進行して緑内障網膜剥離といった失明につながる病気のリスクが高くなる」(日比野医師、以下「 」は同じ)
 発症した緑内障を元に戻す治療法は現時点ではないが、酷使した目の疲労を和らげ予防するには「眼筋ストレッチ」を試す価値はある。
 「人間は本来、狩りで獲物を追うなど生きるために視覚を使っていました。ところが現代人の目の使い方は大きく偏り、眼球に関係する筋肉の強張りを招いています。それらを回復させるには、目の筋肉を動かすことが重要です。『瞬きをする』『目の焦点を変える』『眼球を動かす』ことを意識してストレッチをすると効果的です」
 目の不調の改善が望めるストレッチとは、どのようなものか。
 何度やってもいい
 まずウォーミングアップになるのが血流を改善する「グーパー瞬き」だという。
 「2秒間目をギュッとつぶり、次に目をパッと大きく2秒間開く。この動作を繰り返すことで、目の周りの筋肉をほぐして血流を改善します。瞬きをすることで涙の分泌を促すので、ドライアイにも効果的です」
 ポイントは、両黒目を鼻に寄せるイメージだ。
 ピント調節機能を回復するには、目の調節レンズである水晶体の厚みを調整する「毛様体筋」のストレッチがいい。
 「遠近を交互に見ることで毛様体筋を伸び縮みさせて、目のコリの解消とピント調節能力の回復につながります」
 具体的には「親指スライドストレッチ」(別掲図A)に取り組んでみよう。
 「顔の前に親指を立てて爪を目の高さに合わせ、できるだけ顔に近づけたら、見つめたまま1秒かけて遠ざける。それから3秒かけてゆっくり元の位置に戻します。さらに、適宜2m以上遠くにも視線を合わせるとより効果を得られます」
 一方、目を上下左右に動かす「外眼筋」のストレッチも重要だという。
 「外眼筋は目をぐるぐる回したり、寄り目にしたりと、眼球の向きを変える時に使われます。外眼筋が硬くなると様々な目の不調の原因になります」
 そこで効果的なのが「親指渦巻きエクササイズ」(別掲図B)だ。片手を前に突き出して親指の爪を見つめ、顔よりも大きな円を描きながら手を顔に近づける。
 「目は親指の爪を追いかけるのがポイント。親指の爪が顔に近づいたら、逆回りの円を描いて手を少しずつ遠ざけます。外眼筋が伸縮し、血流や動体視力を改善して疲労を和らげます」
 これらのストレッチは1日に何回やってもいい。自らの取り組み次第で目の健康寿命を延ばせる余地は大きいと言えそうだ。
 ※週刊ポスト2023年5月5・12日号
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🐟24〗─4─日本を「漁業大国」と思っている人が時代遅れな訳。~No.98No.99 

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 2023年5月3日 YAHOO!JAPANニュース 東洋経済オンライン「魚の値段がどんどん高く・・・日本を「漁業大国」と思っている人が時代遅れな訳
 ノルウェーのマダラ。小さいマダラは獲らない(写真:筆者提供)
 サンマやサバなどの不漁が報じられるのを目にして、「日本は漁業大国のはずなのになぜ?」と疑問を抱く人は少なくありません。しかし、日本の漁業が世界と比較して優位に立っていた時代はすでに過去のものになりました。
 【ランキング】世界の漁業・養殖業の生産量で日本の位置は?
 国連食糧農業機関(FAO)によると、2021年における世界全体の漁業・養殖業の生産量は、前年比で2%増の2億1800万トンでした。1980年の約1億トンから倍増しており、徐々に増え続けています。
 ところが日本の生産量は、増えるどころか減り続けており、前年比3%減の411万トンとなっています。そしてついに統計が残る1950年以降で、初めてトップ10から陥落しました。
 1980年代の1200万トンから、約3分の1に激減し、さらに減り続けています。皆さんが知らないところで、世界とまったく対照的に悪化が続いています。国内では、こうした世界の傾向との比較で日本の漁業・養殖業の非常に厳しい現実が紹介されることは、ほとんどありません。
■どんどん枯渇に向かう日本の水産資源
 日本は1972年~1988年の長期にわたり、世界最大の漁獲量を誇る漁業国でした。当時は魚が当たり前に安く手に入っていました。しかし、サバ、サンマ、スルメイカ、シシャモ、イカナゴ、サケなどをはじめ、自国の魚の資源を管理するシステムができていないことから獲りすぎてしまい、水産資源はどんどん枯渇に向かっています。
 一方、人口増加に伴い世界中で水産物の需要が増え続けています。このため日本の「買い負け」が常態化し、自国の魚が減った分を補ってきた輸入という手は、今後ますます難しくなります。
 そこで本来最後に頼るのは、国内の水産資源です。しかし、今のままでは減る一方なので、国は2020年に70年ぶりといわれる漁業法の改正を行いました。
 北欧やオセアニアをはじめ、漁業・水産業で成長を続ける国々では、水産資源管理を漁業者でなく、国が「国民共有の財産」として自ら行っているのに対し、日本では必ずしも科学的根拠に基づかない自主管理が広く普及してしまっています。世界で自主管理により資源が持続的になっている例は聞いたことがありません。
 また、魚が減少している本当の理由や、世界での成功例についても、多くの誤った情報で国内水産業は混乱しています。その代償を国民が払い続けされられていることに、ほとんどの人は気づいていません。
■かつては世界最大の漁業国だった日本
 東日本大震災で被災した三陸沖も含め、日本の海は世界3大漁場の1つである北西太平洋海域に含まれています。
 大陸棚や寒流と暖流が出会う漁場は、非常に資源が豊かな好漁場でした。他の2漁場は、ノルウェーアイスランドを含む北東大西洋海域と、アメリカ・カナダ東海岸を含む北西大西洋海域です。今回日本を追い越したノルウェーは、北東大西洋海域にあります。
 ただし、日本の順位が落ち続けているのは、他国の生産量が伸びていることよりも、むしろ日本の生産量が減り続けていることにあります。
 なぜなら漁業・水産業で成長を続ける国々では、実際に獲れる数量より大幅に漁獲を減らすことで漁獲量を制限しています。一方で、日本はできるだけ獲って資源を減らしてしまう例外的な国になっています。世界銀行やFAOが予測する日本の漁業の未来は非常に悲観的で、そのとおりどころか前倒しして悪化しています。
 日本とノルウェーの資源管理を比較すると、日本の問題が明らかになります。ノルウェーの資源管理は、2020年に70年ぶりの改正といわれた漁業法にも参考にされました。比較に際し、ノルウェーと日本は環境が違うといわれることがあります。しかしながら違うのは水産資源管理を適切に実施できているか否かという点で、その違いが「繁栄」と「衰退」という対照的な結果を招いています。
■魚が高くなる2つの異なる理由
 魚の価格が高くなったなと感じられている方は少なくないと思います。一尾、1杯100円で購入できていたサンマやスルメイカは、ほぼ姿を消しました。たとえ安いなと思っても、よく見るとそれらはかつて購入していたサイズより小さいはずです。切り身にしても、同様に当たり前のように一切100円で販売されていたサケもほぼ姿を消しています。
水産物の価格上昇には2つの理由があります。1つは輸入水産物の価格上昇です。
 上のグラフをご覧ください。輸入水産物の単価が上昇を続けていることがわかります。2020年はコロナの影響で一時的に前年より下がりましたが、その後は再び上昇。2022年には、円安という要因も加わり、初めてキロ900円を超えています。
 価格上昇の背景には、世界的な水産物の需要と人口の増加があります。短期的には輸入価格の凸凹はあっても、中長期的には上昇していく傾向にあります。そして輸入水産物の価格の上昇は、われわれの生活にも直接影響しています。
 上のグラフはタコの小売価格です。タコの2021年の輸入数量は約2.6万トン、国内の漁獲は約2.7万トンと半々でした。タコの小売価格は上昇を続け2022年の価格は、2013年に比べて8割高になっています。
 これはほんの一例にすぎませんが、輸入品の価格上昇は、小売価格や外食の価格に転嫁せざるを得ません。それが難しい場合は、輸入数量が減少していくことになります。このため、輸入水産物に関しては、数量は減少、輸入単価は上昇が止まりません。
 この傾向は、ますます進んでいくことが容易に想像できます。輸入数量のピークは2001年の382万トンでしたが、2022年は222万トンと約4割減少しています。
 かつて日本は世界最大の水産物輸入国でした。しかしそれもアメリカ、中国をはじめ各国の輸入が増える前の話です。筆者は20年以上最前線で魚の買い付けをしてきましたが、以前のように日本主導で買い付けできる時代は完全に終わりました。
■価格が上がる理由その2 国内の成長乱獲
 輸入水産物の価格が上昇する理由は、わかりやすいと思います。しかし水産物価格が上昇する理由には、もう1つ大きな理由があります。それは、資源管理が機能していないために起こる「成長乱獲」。つまり小さな魚を獲ってしまうことにあります。これはいわば「人災」です。
 資源を考えて、小さな魚が釣れたら逃がす釣り人の方は少なくないはずです。小さな魚まで獲ってしまったら、魚は成熟して卵を産んで子孫を残す機会が奪われてしまいます。また、小さな魚は大きな魚に比べて食べられる部分(可食部)が多くありません。旬の時期でもサバなどは未成魚は脂がのらないので、あまりおいしくありません。
 消費者は、おいしくて安い魚を求めます。しかしながら、大きくなる前の魚を獲りすぎれば、海の中には小さな魚の比率が高くなってしまいます。
 消費者はおいしい大きな魚を求める一方で、日本の海の中は成長乱獲が起きていて小さな魚ばかりになっています。このため、大きな魚は希少で価格が高くなります。これが「漁業者に安く、消費者に高い」という最悪の組み合わせになっており、その影響が消費者に襲いかかっているのです。
 典型的な例として、日本の場合は食用にならない「ジャミ」や「ローソク」などと呼ばれる小さなサバまで容赦なく漁獲されています。小さなサバは、小売店などには回らず、冷凍されて養殖のエサになったり、価格が安いという理由だけで、アフリカなどの市場に輸出されています。結果として消費者が目にする機会はほとんどありません。
 毎年99%のサバが食用になるノルウェー産のサバに対して、日本の場合は30~40%(2021年は46.1%・農水省)ものサバが養殖のエサ(非食用)向けになっています。科学的根拠に基づく漁獲枠の設定と、漁船ごとの漁獲枠の配分にして、大きくしてから獲る仕組みにすればよいのですが、まだそうなっていません。
 震災後に一時的に大きく増えたマダラ資源(本州太平洋北部系群)は、漁獲枠がないため小さなマダラまで獲りすぎて、資源はもとの酷い状態に戻ってしまいました。同じようなことがたくさんの魚種で、全国で繰り広げられています。このため、魚の資源も漁獲量も減って供給減になり、価格が上昇しているのです。
■魚を食べ続けるために
 今後も世界的な水産物の需要増による価格上昇は避けられません。また、水産物の供給が難しくなれば、各国は自国での消費を優先させていくことでしょう。輸入水産物が安定供給のために不可欠な状況に変わりありませんが、日本のために特別な安い価格で輸出してくれる国などありません。国際相場は変動しますが、安い魚が入ってきて国内の漁業者が困るといった時代ではないのです。
 国内の水産資源管理の進展状況を見ますと、国は「国際的に見て遜色のない資源管理」を進めようとしています。そして水産業が成長産業になっている、漁船や漁業者などに漁獲枠を配分するノルウェーなどの個別割当制度(IQ)の導入を進めています。
 しかしながら、海外の成功例などが漁業者の皆さんに誤って伝えられていることが少なくなく、自分たちに将来にわたってプラスになる国の政策に反対してしまう、自分で自分の首を絞めてしまうケースが散見されます。
 データから明らかですが、これまでの日本の水産資源管理は成功していません。結果に対してPDCAサイクルを回すことはなく、責任の大半は海水温の上昇や外国などに転嫁されてきました。その結果として、世界の傾向に反してほぼ例外的に水揚げ量は減り続け、漁業も水産業も衰退が止まりません。
 一方で、世界では水産業は成長産業です。残された時間はあまりありませんが、水産資源管理に関して、正しい情報を提供し続けることで一人でも多くの方に「科学的根拠に基づく資源管理」の重要性に気づいていただくことを願っています。
 片野 歩 :水産会社社員
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📉25】─1・C─「数学嫌い」多い日本とインドの入試の決定的な差。〜No.52 

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 江戸時代の和算や土木技術は世界トップレベルで、その経験に基づいた柔軟な発想・想像を持った理系頭脳を受け継いできたのが武士や学者ではなく庶民であった。
 そして、庶民は和歌、俳句・川柳、漢詩、歌舞音曲などの多種多様な分野で表現する文系頭脳を車の両輪として持っていた。
 それが、オンリーワンとナンバーワンという日本一・日の本一・当代一である。
 高度経済成長期までの日本が生み出したイノベーションやリノベーションは、庶民的な理系頭脳と文系頭脳から総合的に生み出していた。
 そうした庶民の知的遺産を否定し破壊したのが、ゆとり教育であった。
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 2023年5月4日 MicrosoftStartニュース 東洋経済オンライン「「数学嫌い」多い日本とインドの入試の決定的な差 世界的な経営者を輩出するインド工科大学の受験
 芳沢 光雄
 日本とインドの数学教育の違いとは(写真: ペイレスイメージズ1(モデル)/PIXTA
 © 東洋経済オンライン
 国連人口基金UNFPA)は4月19日、インドの人口が2023年半ばに14億2860万人となり、中国を抜いて世界最多になるとするデータを公表した。4月1日現在の日本の人口は1億2447万人なので、約11.5倍である。
 「有名企業への就職に強い大学」トップ200校
 日本の教育が「ゆとり教育」に向かって突き進んでいた1990年代半ばに、当時出版された深田祐介著『最新東洋事情』を閲読した。日本の数学教育と比較して目が留まった箇所があり、数学から数学教育に軸足を移し始めた筆者にとって強く印象に残った。
 それは、扇形の面積を求める解の書き方の教育に関する日本とインドの違いについて、式を使って詳しく書いた部分だ。要約すると、日本は式と答えだけで〇がもらえるものの、インドではいちいち証明問題のようにロジックの流れを言葉で明記しながら解答を導き出さなければ点数をもらえない、ということである。
 世界的に活躍する経営者を輩出するインド工科大学
 数年後に筆者は、それを裏付ける書を手にした。すでにIT分野で世界的に注目され始めていたインド工科大学(IIT)の入試問題集(数学、物理、化学)、いわゆる“赤本”に相当するものである。
 2000年の数学問題が、16題全問が証明問題であった(試験時間は2時間)。試験時間は年度によって違ったが、だいたい2時間か3時間だった。「証明」の次に驚いたことは、「出題範囲」である。日本の高校数学では扱わない同次形の微分方程式や、空間の変換を扱う3行3列の行列や、逆三角関数などの問題もいろいろ出題されていた。
 参考までにIITは、初代インド首相となったネルー氏が、技術を基礎にした工業化と近代化が急務だと考え、1951年にアメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)をモデルに第1校を開設した。現在ではインド国内に23校あって、総体としてIITと呼ばれており、グーグルを傘下に持つアルファベットのCEOをはじめ、世界的に活躍している経営者が卒業生に何人もいることで有名である。
 受験生数が約80万人で合格者数が1.6万人という競争率50倍の試験では、解答用紙が膨大な枚数ゆえ、採点に関して不思議な気持ちを抱いていた。案の定、2007年からのIITの入試はマークシート式になり、納得した次第である。日本の大学入試センター試験のような「JEE Main」と、日本の大学の2次試験のような「JEE Advanced」の2段階であるが、どちらも出題範囲は同じと見える。
 そのマークシート式の問題は実にユニークである。たとえば、選択肢が4つあって、1つだけが正解とは限らない。簡単な例で説明すると、「2/3」が正解の場合、4つの中に「正の数」と「整数でない」があれば、その2つを挙げないと×になる。さらに、間違った選択肢を挙げると、減点される。したがって、自信のない問題では、解答欄に何も書かないで0点になるほうがよいだろう。
 これは、日本の試験で、「わからなければ、とりあえず3番目にマークしておくと統計的に有利」という日本固有の定説が通用しなくなるからである。これは日本でも参考になるのではないだろうか。
 インド工科大学の数学試験の中身
 JEE Advancedの数学試験時間は、日本の大学理工系学部入試のそれと比べると約1.5倍の3時間あるが、問題数が相当多い。したがって、微分方程式や3行3列の行列や逆三角関数などの難しい問題でも、10分程度で解かないと時間が足りないことになる。
 そのような問題をここで紹介しても多くの読者を困惑させてしまうので、手頃で易しく面白い問題1題を解答も述べて紹介させていただく。2020年に出題された問題で、せいぜい3分ぐらいで解かないと、とても間に合わないと思われる。なお、誤解を生じさせないため、問題の表現を若干修正させていただく。
 問題 ホテルの相異なる4つの部屋ア、イ、ウ、エを確保してある。6人の客A、B、C、D、E、Fがその4つの部屋に分かれて泊まることになった。各部屋には1人か2人が泊まるとすると、全部で何通りの場合が考えられるか。
 解答 各部屋に1人か2人が泊まるので、結局、2つの部屋に1人ずつ泊まり、2つの部屋に2人ずつ泊まることになる。
 1人が泊まる2つの部屋の選び方を考えると、それは、4つのア、イ、ウ、エから2つの選び方なので、以下の6通りある(これは、相異なる4個から2個を選ぶ組合せ)。
アとイ、 アとウ、 アとエ、 イとウ、 イとエ、 ウとエ
 ここで、上記の6通りの場合を(I)とする。
(I)で、アとイだけに注目して、アとイに1人が泊まる場合の決め方は、以下のようにして30通りであることがわかる(これは、相異なる6個から2個を選んで並べる順列)。
(アの客、イの客)=(A、B)、(A、C)、(A、D)、(A、E)、(A、F)、
(B、A)、(B、C)、(B、D)、(B、E)、(B、F)、(C、A)、(C、B)、(C、D)、(C、E)、(C、F)、(D、A)、(D、B)、(D、C)、(D、E)、(D、F)、(E、A)、(E、B)、(E、C)、(E、D)、(E、F)、(F、A)、(F、B)、(F、C)、(F、D)、(F、E)
 ここで、上記の30通りの場合を(II)とする。
 さらに、(アの客、イの客)=(A、B)の場合、残りの4人C、D、E、Fが2人ずつウとエに泊まることになる。この場合、次の6通りが考えられる(残り4人から2人を選んで、それがウに泊まり、残りの2人がエに泊まる。)
(ウの客、エの客)=(CとD、EとF)、(CとE、DとF)、(CとF、DとE)、(DとE、CとF)、(DとF、CとE)、(EとF、CとD)
 ここで、上記の6通りの場合を(III)とする。
 (I)のそれぞれに対して、(II)の決め方は30通りなので、結局、
 
 [Xさんは1人部屋△に泊まり、Yさんは1人部屋〇に泊まる]
 という決め方は、全部で 6×30=180(通り)あることがわかる。ただし、XとYは異なる。
 最後に、上記の180通りのそれぞれに対し、残った2人部屋に泊まる4人の決め方は、(III)より6通りである。
 以上から、この問題の解答は 180×6=1080(通り) であることがわかる。
上の解答を見ていただくと気付かれると思うが、いわゆる順列記号Pや組合せ記号Cを用いていない。筆者は長い数学教育人生から思うことの1つに、「順列・組合せの問題の解答にはPやCを書かないといけない」と勘違いしている人が非常に多くいることである。
 イチ、ニ、サン、シ……と1つずつ数えることを忘れているかのような答案を多数見てきただけに、あえてPやCを用いないで、小中学生にもわかるような説明を述べた。実は、JEE Advancedで出題された順列・組合せの問題では、上の問題のように、PやCを用いないで解ける問題が少なくない特徴を感じるだけに共感を覚える。
 日本の数学教育に足りない要素
 IITの入試に出題され続けている微分方程式や3行3列の行列についても、日本の数学教育を顧みて一言述べておきたい。かつては、変数分離形に限定した微分方程式は高校数学IIIの教科書できちんと取り上げられていた。しかし現在では、発展的学習という中途半端な扱いである。およそ自然現象を記述するときは微分方程式を用いるのが普通であるので、かつてのような扱いに復活することを期待したい。
 かつては、平面の変換を扱う2行2列の行列が高校数学で扱われていたが、現在では扱われていない。最近、いわゆるデータサイエンスが注目され、その方面の学部・学科が大学で続々新設されているが、教員人事構成を見ると、基礎となる数学の教育は軽視されているようにしか思えない。データサイエンスを学ぶために必須の数学として微分積分もあるが、いわゆる多変量解析の基礎としての(行列を扱う)線形代数は最も重要な基礎であると考える。
 だからこそ、インドのように、できれば高校数学で3行3列の行列を学んでおくと、大学での線形代数の学びにスムーズに接続するだろう。筆者は昨年刊行した『新体系・大学数学 入門の教科書 下』で、線形代数に続けて多変量解析の柱となる分散共分散行列の「固有値」に関して丁寧に説明したが、それは上で述べたような歯痒い気持ちを抱いていたからである。
 日本の出生数とインド工科大学の受験生数は同じ
 さて、上ではIITの入試に出題される数学の問題から日本の数学教育を見てきたが、それ以上に重要なことがあると考える。それは、約80万人というIITの受験生数は、ちょうど昨年の日本の出生数である。すなわち、その子どもたちが全員IITを受験するレベルの数学力をもつと、はじめて互角になるだろう。
 そのように考えると、男子に関しても同じであるが、いわゆる「リケジョ」と呼ばれる理系科目に秀でた女子だけの才能を伸ばすだけでなく、数学嫌いに育った女子にも目を向ける必要があるのではないだろうか。実際、3月末に定年退職した桜美林大学リベラルアーツ学群では、文系をメインとして入学した女子が、卒業後は数学教諭として大活躍している者を何人も卒業させたことを思い出す。このように、新たな理系人材を発掘する動きが広がることを祈る次第である。
 江戸時代の日本の数学レベルは世界のトップクラスであった。戦後の復興期の日本の数学教育のレベルも現在よりはるかに高く、高卒で就職する人も全員で(多項式の範囲の)微分積分を学んでいた。最近、岸田文雄首相が座長の教育未来創造会議の提言により、理系学生の割合を現在の35%から50%に高める運びとなった。筆者としてイソップ物語に例えると、現在は眠っていたウサギが目を覚ましたときである。これから国民が一丸となって努力すれば、ウサギが最後にはカメを追い抜くことも可能であると信じたい。
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