🍠33〗─1─貧困化した農民達は資本主義と都市を批判した。大正14年。~No.106No.107No.108 

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 2023年5月13日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「「格差是正」を目指して立ち上がる農民たち 戦前日本の「資本主義批判」と「都市批判」
 井上 寿一
 戦前の日本はどのような社会であったのか。
 1925年、農村は欧州大戦後の戦争景気の反動不況により深刻な打撃を受けていた。日本社会は、格差是正を追求していた。そのような時に、農村雑誌『家の光』が創刊された。
 『家の光』は「共存同栄」のもと共同主義を掲げ、体制批判を含んでいた。それは政党政治、資本主義、都市の3つに対する対抗原理であった。
 本記事では、そのなかでも資本主義、都市に関して、くわしくみていく。
 ※本記事は井上寿一『戦前昭和の社会 1926-1945』から抜粋・編集したものです。
 資本主義批判
 第2の資本主義に関して、1925(大正14)年9月号の別の記事「安くて立派で似合う服装」が女性の服飾ファッションの観点から批判している。同記事は、欧州大戦後の欧米の流行が日本にも波及して、スカート丈が短くなったことを例に述べる。スカート丈が短くなったことは、それだけ織物の節約になったはずである。
 ところがそれにあわせて長い靴下や編み上げの長い靴が流行りだした。これでは節約にはならず、持ち出しになる。これは「デパートメントストアの商略で、一方の点で時機に応じた顧客の歓びそうな事を企て、陰で別な品物を売る策略に過ぎません」ということになる。
 「流行を追うての美装と云う事」は「婦人の自覚がないから」だ。そのような立場から同記事は、「安くて立派で似合う服装、それは婦人各自の趣味と個性発揮と経済とを基調としたもの」でなくてはならないと主張する。どうすれば可能になるか。「各婦人が一致して共同購買をなし、進んで消費組合を組織する」。ここに共同主義による資本主義批判をみることができる。
 資本主義批判は欧米批判でもある。同号のさらに別の記事は、洋服批判=和服擁護を牽強付会な論理によって展開している。「日本は欧洲諸国に比べまして古来最も平和時代の永く続いた国です。従て闘争活動の便を主とした衣服よりは優美安座に適したものを主として工風したのです」。
 同記事は標題(「西洋かぶれは考えもの」)のとおり、「衣」だけでなく、「食」「住」におよぶ欧米批判を並べている。たとえば「西洋食にフォークやナイフを用いるのは箸を用いるのよりは余程非文明的です。肉を切るためなら調理の際に切ておけばよいではありませんか」という。
 あるいは紙障子一枚の日本家屋は「洋館のように特別に換気を設けずとも空気の流通も至極よろしい」と正当化する。共同主義は、資本主義批判をとおして欧米を批判する原理だった。
 都市対農村
 共同主義の立場がもっとも危機感を抱いたのは、第3の都市対農村の対立である。『家の光』は、たとえばつぎのように都市を批判し農村を擁護する。農村は「平和にして呑気、健康にして長寿」、対する都市は「気苦労多く不健康にして短命」である。
 この記事「農村の家庭」(創刊号)は、「顧うに世智辛き今日の世の中、何れの地方も、金銭の餓鬼となって背に腹は代えられざるの諭、唯だ一に金を得るに是れ急々として一にも金、二にも金、三にも金」と都市と資本主義とを結びつけて批判した。
 それでも「女子先ず其郷土を棄てて男子其後を追う」という「農村人口減耗の歴史」をくりかえそうとしている。同記事は都市の魅力を認めざるをえなかった。都会の工場に通う子女の「蒟蒻の白あえ然たる顔色、其ピカピカしたる衣服、之を目撃する所の子女は、之を羨望するの極、己れも工場の紅女たらんと志し、都会に出稼せんと希う」。これが農村の現実だった。
 © 現代ビジネス
 1925(大正14)年11月号の巻頭言も同様に、都市の発達と農村の衰退の傾向を「現時の状態では如何ともすることは出来ない」と認めている。このままでいくと日本はどうなるか。この巻頭言によれば、食糧供給の不安、都市への人口集中による社会問題の惹起、思想の悪化などが起きるという。同記事は警告する。「都会と農村との発達の差が大となればなるほどそこに不自然な社会現象を呈し却って人類生活の幸福の基礎を危くする結果を生ずる」。
 ここに『家の光』は都市と農村との格差の是正をめざす。この巻頭言の標題にあるように、「都会農村化と農村都会化」によってである。これによって「両者の差を少なくすれば、人口の移動は両者の間に今日ほど頻繁に起らず都会農村共に理想的の発達が期し得られよう」とする。「農村都会化」とは農業の近代化による豊かな農村の追求のことである。共同主義は農業改良主義となる。『家の光』がめざしたのは、具体的な農村生活の改善だった。
 『家の光』の共同主義は読者を啓蒙する。長野県のある農村青年が読後の高揚感を投書している。「おゝ俺は農村青年だ。あの虚偽や誘惑の多い都会がなんだ。塵芥の浮遊せる都市がなんだ。それよりは此の清浄の気溢れる山間で此の大自然の温い懐に抱かれて又家の光を無上の友として田園生活に甘んじるんだ……それで好いんだそれが幸福なんだ」(1926〈大正15〉年4月号)。
 都市への対抗は別の投書が民謡「東京の唄」の詞の形を借りて表現している。「東京は、煙の都/唄をうたへば、呼吸つまる/東京は、薄情な都/算盤はぢいて、恋をする/東京は、不粋な都/物干台から、月を見る」。
 共同主義=農業改良主義
 読者のなかには『家の光』の共同主義=農業改良主義に触発されて、農村振興の隊列に加わろうとする農民が出てきた(1926〈大正15〉年2月号)。この読者は「先ず何より収入増加である」と言いきる。利潤追求の資本主義を否定することなく、農業の近代化を図ることが目的だからである。
 そのためには米・麦・繭の増収はもちろん、野菜の栽培、果樹の植栽、養畜や副業をおこなう。無駄な経費を削減し煙草を吸うのを禁止する。節約した分を家族で食事をするなどの娯楽費に充てる。時には若夫婦が旅行をする。改良農具を用いて「農業労働の一大恨事である身体の苦労を緩和し荒廃を防止」する。「百姓は社会の下層生活者であると云う常套語を打破すべき勇気と自信とを以って事に当れば必ず成功する」。共同主義の理念の下、近代的な農業経営の実践をとおして下層階級からの脱却を図る。『家の光』には希望があった。
 『家の光』(1926年1月号)は「共存同栄主義の模範農家」を紹介している。福島県の合名会社組織による大農経営の事例は、「下層生活者」の小作農民には夢のようなものだったかもしれない。それでもこの記事は重要である。努力と工夫を重ねれば、経済的な豊かさと社会的な身分の上昇を手にすることができる。そう示唆する記事の内容は、共同主義=農業改良主義の立場にふさわしいものだったからである。
 『家の光』は地主対農民の階級対立の視点を持たない。『家の光』がめざしたのは、農業改良の共同主義による日本の漸進的な民主化だった。
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