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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
ニュータウン構想は、人口爆発期では成功するが、人口激減期では失敗する。
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現代日本人は、民族的な歴史力・伝統力・文化力・宗教力がない為に「温故知新」の真の意味が理解できない。
その証拠が、「賢者は歴史に学ぶ、愚者は自分に経験に学ぶ」。
日本国・日本民族の歴史において、歴史が繰り返された事はない。
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2023年4月2日 MicrosoftStartニュース Merkmal「わずか15年で廃線 愛知県「桃花台線」が遺した都市計画という名の“無理難題”、そして落日のニュータウン
出島造(フリーライター)
平成に開通、平成に廃止
都市計画は大抵、想定通りに進まない。計画人口をもとに交通機関を整備しても、住民が利用するとは限らないのだ。結果、せっかくの交通機関が廃止されてしまうこともある。
【画像】えっ…! これが60年前の「桃花台ニュータウン」です(11枚)
その代表例として知られるのが、開業からわずか15年で廃止された愛知県小牧市の自動案内軌条式旅客輸送システム・桃花台線(とうかだいせん。ピーチライナー)だ。運行していたのは1991(平成3)年3月から2006年10月までで、小牧駅から桃花台東駅までを結んでいた。全国唯一の
「平成時代に開通し、廃止された」
路線である。この失敗事例は、これからも続く都市計画を考える上で貴重な教訓となっている。
構想が進んだのは1960年代後半
桃花台ニュータウンの位置(画像:(C)Google)
© Merkmal 提供
桃花台線が走っていた小牧市東部の丘陵地にある「桃花台ニュータウン」は、経済成長にともなう人口増を前提に建設が計画された。1955(昭和30)年に市制を施行した小牧市は発足当時、人口約3200人の純然たる農村地帯だった。
都市化が始まったのは、1959年、中京圏に甚大な被害をもたらした伊勢湾台風以降だった。台風からの復興事業が始まると、当時の神戸眞(かんべ しん)市長は財政基盤確立を目的に、臨海部にあった工場誘致を開始する。このとき、増える人口の受け皿として構想されたのが、当時は「篠岡台」と呼ばれ山林しかなかった地域での宅地開発だった。
計画を公表した1962年1月の『広報小牧』では
「誘致工場の集団社宅街を造成し、緑の木々に囲まれた新しい形の近代的な文化住宅団地の建設をもくろみ鋭意立案中」
とつづっている。
その後、新たな街の名前は「桃花台」と決まった。同年3月の『広報小牧』によれば
・総面積:約4万4500平方m
・住宅:1000戸
の計画とされている。この時点で3万2000人程度だった小牧市は、工業化による人口増で10万都市実現を目標としていた(現在の小牧市の人口は約14万9000人)。
構想が実現に向かったのは1960年代後半になってからだった。経済成長を迎えた愛知県が、名古屋大都市圏整備の一貫として小牧市の構想を取り入れたのである。愛知県は1971年、計画人口を約5万4000人として桃花台の開発事業を始めている。計画はオイルショックの影響で立ち遅れ、入居が始まったのは1980年からだった。
分譲開始後から続いた苦難の日々
現在の桃花台ニュータウン(画像:国土地理院)
© Merkmal 提供
しかし、住宅の人気は決して高くはなかった。分譲が開始された1979(昭和54)年頃には少々話題になったものの、その後は売れ残りが続出した。理由は交通機関が整備されていない
「陸の孤島」
のまま、入居が始まったためだった。
1980年の入居開始時には既に桃花台線の計画は進んでおり、入居開始とともに代行バスの運行も始まっている。しかし、肝心の桃花台線が、いつ完成するのかめどが立っていなかった。
それでも1988年頃になると、桃花台線の開通が1991(平成3)年と確定したことから、不人気だった桃花台に人口が増え始めたことを報じる新聞記事が散見されるようになる。こうして、入居開始から遅れること11年、1991年3月に桃花台線は開通した。
ところが、地域の主要交通機関と期待されていたにも拘わらず、路線需要は予測を大きく下回った。当初の予測では1日の利用者を5400人と見積もっていたのに対して、開業ラッシュが一段落した後は、1日あたり
「2500~2800人」
の利用に留まった。その後、廃止されるまでの15年間、運賃の値下げなどさまざまな対策が採られたものの、一度も利用者が当初の予測に並ぶことはなく、赤字運行は続いた。
バスよりも利の大きい交通機関が大失敗した理由はなんだったのか。最大の問題は、
「移住者が計画人口を下回った」
ことである。愛知県では開発時点の計画人口は5万4000人と見積もっていた。この計画人口をもとに試算された桃花台線の利用予測は、1日あたり2万人だった。しかし、バブル期に人口が増えたとはいえ計画人口に達しなかった。
前述の「1日5400人」は、計画人口より移住者が少なかったため改めて示された数字だが、これもかなり甘い見積もりだったのだ。桃花台線の開通も結局、人口増の起爆剤にはならなかった。廃止が浮上した1999年時点でニュータウンの人口は約2万7000人。利用者は、1日あたり2300人程度となっていた。
アクセス問題で住民がバス路線開設
桃花台ニュータウンと高蔵寺駅の位置関係(画像:(C)Google)
© Merkmal 提供
通例、鉄道路線(桃花台線は新交通)が開通すれば、利便性が増して人口は増えると考えがちだ。しかし、桃花台ではそうはならなかった。それは、桃花台線が「陸の孤島」を解消するにはほど遠い存在だったためだ。
もともと桃花台線は、名鉄小牧線小牧駅から桃花台ニュータウンと高蔵寺ニュータウン(春日井市)を経由してJR中央線高蔵寺駅に至る路線となる予定だった。しかし、入居開始から11年も遅れて完成したのは、計画の半分にあたる小牧駅から桃花台東駅まで。高蔵寺駅までは一部の土地買収が終わったのみで、工事すら行われていなかった。
このため、鉄道利用で名古屋市内に通勤通学するためには、小牧駅経由となる。ところが、当時の小牧線も利便性に欠けていた。というのも、2003(平成15)年3月まで同線は名古屋市営地下鉄と接続しておらず、名古屋市内へ行くには、上飯田駅(名古屋市北区)でバスに乗り換えなければならなかった。
さらに、入居開始から桃花台線の開通まで11年もかかったツケが大きかった。この間、桃花台の住民にはマイカー利用を前提とするライフスタイルが確立されていた。結果、名古屋市内へ通勤通学する住民は、マイカーで高蔵寺駅や春日井駅を利用するようになっていた。このようなライフスタイルが確立していたため、住民は桃花台線よりもJRに接続できる春日井市のふたつの駅と、名古屋市へのアクセス向上を期待していた。
住民の声を反映する形で、1992年には高蔵寺駅行きのバス路線が開設されている。さらに2001年10月には、名鉄バスが高蔵寺駅経由で名古屋都心を結ぶ高速バスの運行を開始している。それだけでなく、2002年には住民が主体となって会員制組織をつくり、バス会社に運行を委託する形で、JR中央線春日井駅までのバス路線が開設している。住民主体でバス路線が開設されるあたり、いかに桃花台線の利用価値が低かったかが見てとれる。
当初、都市計画は市内の工場労働者の社宅要素を重視して進められた。しかし実際、
・名古屋市内へ通勤通学する者が多かった
・街は小牧市より春日井市と密接なエリアとして成長した
など、計画と現実の齟齬(そご)によって、桃花台線は無用の長物となってしまったのである。
広島市でも同様の悲劇
広島短距離交通瀬野線のみどり口駅(画像:(C)Google)
© Merkmal 提供
需要を見誤ったために路線が廃止される事例は、桃花台線以外にもある。2023年末で廃止が決まった広島県広島市の広島短距離交通瀬野線(スカイレール)も、そうした事例のひとつだ。
同路線はみどり口駅と高台にあるみどり中央駅を結ぶ。ゴンドラ型車両は、高架レールの上を約5分で行き来する、全国でもほかに例のない珍しい交通機関である。
1998(平成10)年に運行を開始した時点では、1日の利用者は5000人以上とされていた。しかし、実際には1日の利用者は1300人程度にしかなからなかった。この住宅地は決して不人気ではない。整備区画はほぼ完売し、2260世帯7300人が暮らしている。ところが、7300人の人口に対して、1日の利用者が5000人以上という予測は完全に外れてしまった。
この予測はもともと、
「全世帯でひとりが1日に一往復程度利用する」
と想定したものだ。冷静に考えれば過剰さを指摘する人もいそうだが、計画されたのがバブル期だったこともあり、ザルな予測に誰も異論を唱えなかった。実際、宅地内には駅がわずか2駅しかないこともあり、歩いたほうが早い人も多く、利用が低調なまま推移した。
また、このシステムは全国唯一ということもあり、整備費もかさんだ。開発した三菱重工業と神戸製鋼所は、同様の高台につくられた宅地での普及を期待していたが、まったく採用されなかった。
ただ廃止が決まって以降、住民の中には懸念もあるという運行終了後は、EVバスへの転換が予定されているが、朝には自家用車で通勤する人も多く、定時運行が困難になるとも見られているからだ。果たしてこの廃止が英断だったか否かは、現時点でまだ判断できない。
グリーンラインは逆に予想以上
横浜市営地下鉄グリーンライン(画像:横浜市)
© Merkmal 提供
2015年に開業した宮城県仙台市の地下鉄東西線は1日11万9000人の利用を想定したものの、実際には5万7000人と半分以下となっている。
対して、神奈川県の横浜市営地下鉄グリーンラインは1日10万4000人と見込んだところ、14万人あまりと、予想を超えた利用者数となっている。
開業が近い栃木県宇都宮市の次世代型路面電車(LRT)も、実は需要が不透明なままだ。沿線の500m圏内の人口は3万人程度に過ぎず、今後は人口減が続くと推計されている。また、メインとして見込まれる沿線の工業団地の利用者が、バスやマイカーからLRTに転換するかもわからない。
いずれにしても、都市計画が想定通りとなることはほぼない。計画に必要なのは、動向を窺いつつ、柔軟に変更する姿勢なのだ。
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