⚜10〗─2─新たな経済成長戦略としてのリープフロッグ(カエル飛び)。~No.29No.30No.31 

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 1940年体制とは、昭和15年に近衛文麿首相、東条英機陸相松岡洋右外相らが戦争遂行の為につくった国家総力戦体勢である。
 それは、マルクス主義社会主義統制経済・計画経済で、国家主導による対外進出の護送船団方式である。
 1940年体制のもと天皇・国家・国民そして軍部が一丸となって、政府決定に従って団結し行動した。
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 忠良なる臣民は、天皇や国家を疑わず信じきり、政府と軍部の命令を天皇の命令として命を捨てて実行した。
 それは国難であり、国家存亡の危機であり、民族生存の危機であったからである。
 日本は四面楚歌として、敵国に囲まれ猛攻を受けていたからである。
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 日本陸軍内の朝鮮人の将軍や高級将校は、日本人兵士に命令をくだしていた。
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 2021年5月号 Voice「経済大波乱 危機の日本、リープフロッグの条件
 なぜ日本はこれまでに凋落してしまったか。それは『1940年体制』を見直すことなく、80年代に訪れた基本条件の変化に対応できなかったからだ。企業と政府、それぞれがいま期すべきこと──
 野口悠紀雄
 80年代の世界的変化に適応できなかった日本
 日本経済の長期的な衰退は、多くの国民がコロナ以前から承知していたことでしょう。
 一人あたり名目GDPや労働生産性(就業者一人あたり付加価値)は、OECD経済協力開発機構)加盟国37カ国のなかで、それぞれ19位と26位と低迷を続けています(いじれも2019年調査)。一人あたり名目GDPでは、OECDに加盟していないシンガポールや香港のほうがはるかに上です。あえていえば、わが国は遠くない将来、OECDから追い出されても文句はいえません。日本はもはや『先進国』とはいえない状況に追い込まれています。
 日本凋落の原因は、戦後の世界を規定していた基本条件が、1980年ごろに変わったことです。第一は新興国の工業化で、とくに重要なのは中国です。それまで製造業で、とくに重要なのは中国です。それまで製造業は先進国の主要産業であったのですが、これが新興国にとってかわられた。この変化に対応できたか否(いな)かが、その後の各国の運命を明確に決定づけました。
 第二の変化は、情報技術の内容が大転換したことです。すなわち、メインフレームコンピュータとデータ通信という集権的な仕組みから、PC(パーソナルコンピュータ)とインターネットという分散型の情報を中心とする仕組みへの変化、つまりは『IT革命』が社会を大きく変えました。
 ドイツやフランスはこうした変化に対応できませんでしたが、より顕著な例が日本です。正反対なのがアイルランドで、70年代ごろまではヨーロッパでもっとも貧しい国の一つであったにもかかわず、IT革命に適切に対応した結果、現在では一人あたりGDPや生産性で世界の戦闘集団の一員です。大国ではアメリカ成功しています。これらの国々は産業構造を変えたことによって現在でも顕著な成長を続けています。
 そうした状況下で世界を襲ったのが、新型コロナウイルスです。日本ではじつに多くの問題が暴露されました。まず、政府が何もできなかった。新型コロナ禍が発生して以来、政府はいくつもの政策を打ち出しました。布マスクの配布から始まり、特別定額給付金の支給、そして接触確認アプリ『COCOA』の開発などしかし、これらはいずれも不備や遅れが指摘され、大混乱を生むケースさえありました。
 たとえば、特別定額給付金は全体で約13兆円という莫大な支出がなされました。しかし、コロナ禍で日本人の所得が下がったかといえば、多くの世帯ではそんなことはなかった。『家計調査』によれば、勤労世帯の勤務先収入は、対前年同月比で1~2%落ち込んだ程度です。それにもかかわず、1世帯平均20万~30万円を給付したのは、明らかに過剰給付です。ほとんどの家庭は給付金を貯蓄に回したため、消費を増加させる効果もなかった。特別定額給付金は『史上最大の無駄なばら撒(ま)き』にほかなりません。
 いま、勤労者世帯の勤務先収入は下がらなかったと延べました。しかし、著(いちじる)しく影響を受けた分野があることは事実です。企業規模でいえば、大企業ではなく零細企業がダメージを受け、営業利益が赤字になっています。なかには利益余剰金(内部保留)がマイナスになるという、信じがたいような状態も起きています。とりわけ宿泊や飲食、娯楽などの対人サービス業に代表される産業は苦境に立たされ、売上が50%以上おちていることも珍しくはありません。法人企業以外の分野、つまり個人企業やフリーランサーでは職を失うような状況も生まれています。
 したがって、政府が本来為(な)すべきだったのは、一律の定額金をばら撒くことではなく、どこが大きなダメージを受けているか、困っているかををはっきりと捉えて、そこに援助を集中することだったはずです。その点において無策だったため、日本社会の格差が目に見えて拡大してしまったのです。『格差拡大』は象徴的な概念として語られがちですが、統計を細かく分析し、実際にどの分野がどれほどのダメージを受けているかを明確に捉えていかなければいけません。
 『リープフロッグ』で躍進した中国
 このように、日本の苦境が深刻化しているわけですが。そうした状況下で学ぶべきが『リープフロッグ』の仕組みと歴史です。
 リープフロッグは直訳すれば『カエル飛び』のことで、遅れている者が先行者に追いつくのではなく、カエルが勢よく跳ねるように飛び越えて先を行くことを指しました。この現象は世界史には幾度も起きています。
 人類史においては中国が長いあいだ最先端に君臨していましたが、やがてヨーロッパが大航海時代に中国を追い越した。産業革命をリードしたイギリスはその典型例ですが、しかしそのイギリスも19世紀末から20世紀にかけて電気の時代が訪れると対応できず、ドイツやアメリカが追い抜いた。
 そして、現代社会においてリープフロッグをはたして先頭の一国に返り咲いたのが中国です。中国がいま、さまざまな分野で世界の最先端を走っています。……
 スマートフォンの普及についても、同じことがいえます。日本やアメリカ、ヨーロッパの先進国では、国民のほとんどが早くから固定電話を引いていて今したから、スマートフォンが登場した当初は、どうしても使わないといけないという状況ではありませんでした。一方の中国では固定電話が普及していなかったために、人びとはスマートフォンという新しい技術に躊躇なく飛びついた。これも典型的なリープフロッグです。……
 すでに確立された仕組みは、改革や革新に対して阻害(そがい)要因となります。商業施設があればeコマースは必要ないし、固定電話があればスマートフォンに移行しない。ビルは更地のうえに建てるのが早く、木造建築が密集しているところを選ぶと、むしろ時間がかかるのと同じです。つまり、中国は更地であったために劇的な発展が可能だったのであり、日本をはじめとした国々は木造建築=既存の社会システムがあったために身動きがとれなかったのです。
 『1940年体制』のシステムに縛られている
 冒頭で日本が遅れた要因として、80年代までの情報システムから抜け出せなかったことを指摘しました。このシステムは、いまでも残っています。とくに大企業は、『レガシーシステム』に足を縛られて時代の変化に適応できていません。典型例が、みずほ銀行のシステム障害でしょう。
 これは社会あるいは組織の仕組みが完全に固定されていることの反映です。だから新しい情報技術に対応できない。私は、このような戦後日本社会の仕組みを『1940年体制』と読んでいます。これらが、いずれも戦時中に総力戦体制を確立するためにつくられた仕組みだからです。会社第一主義、終身雇用、年功序列。組織は閉鎖的で、労働市場は流動的ではありません。
 この仕組みは製造業の発展には適していました。労働者が一つの企業に留まり、技術を高めることができるからです。これが、かつての高度経済成長を支えたのは事実です。しかし80年代以降、新興国が工業化して世界的水平分業に舵を切るげき局面において、また分散的な情報システムを使うべき状況において、1940年体制の日本の組織は対応できませんでした。これは、非常に根が深い問題ですが、私たちはこの状況を40年近く放置していたわけです。
 とこりで、リープフロッグとキャッチアップは異なるものです。遅れた者が有利になる『後発的利益』という点では同じですが、キャッチアップは、先行者を手本とし、それを真似て追いつく現象です。リープフロッグのように『追い抜く』ことではない。見本があるから追いつきやすいのはたしかですが、飛び越えるわけではありません。欧米を手本とした日本の明治時代の工業化や、戦後の高度経済成長は典型的なキャッチアップです。
 明治日本にしても戦後日本にしても、一部で欧米を追い抜いた面があるのは事実です。伊集院信管などの開発でロシア・バルチック艦隊を撃破した日露戦争日本海海戦、あるいは戦後のエレクトロニクスや自動車産業の躍進はその例です。しかし、社会全体として欧米諸国を追い抜いたわけではありませんでした。
 なお、後発的利益とは、決して自明のことではありません。先進国の周りに貧しい国があれば、利益は中心に吸い上げられて周辺国はますます不利になる。これは、たとえればアフリカが発展できないことを説明する際に用いられる議論です。
 『後発』であることは、リープフロッグが起きるための必要条件です。しかし、十分条件ではありません。もし日本人が、自分たちはいま遅れているから、いつかりできると安易に考えてしまえば、ますます遅れるだけに終わるでしょう。
 失われた企業の独立心と改革意欲
 では、リープフロッグを起こすための条件とは何でしょうか。まず、『更地』を生み出すために、1940年体制の社会や組織を壊すことが挙げられます。これは決して容易な課題ではありませんが、日本の凋落がここまできたいまこそ、必要なことです。
 第二の条件は、新しいビジネスモデルを生み出すことです。……
 ……
 新しいビジネスモデルを構築するには、企業の力に依(よ)るしかありません。アメリカのGAFAはアメリカ政府が援助したから成長したわけではないのです。ところが日本では2000年代以降、とくにリーマンショックが起きてからは、製造業の大企業にまであからさまな補助金が与えられるようになった。その結果、企業が政府に頼る傾向が広がってしまったのです。政府と企業が連携していた戦時体制下の悪い面だけが、いま膨(ふく)らんでいるといってもよい。企業の独立心が失われたわけで、これでは新しいビジネスモデルが生まれるとは思いません。
 日本がリープフロッグをめざすためには、政府が『国がリードすれば経済がよくなる』という幻想をふりまかないことから始めるべきです。政府が積極的に口を出せば、そのぶんだけ経済成長は弱まります。アリババの場合、その驚異的な成長は中央政府の後押しが理由ではありません。中国では鄧小平の改革開放政策以降、重要な産業は政府が主導してきたのですが、電子マネーやeコマースに関しては補助も与えず、自由に活動させています。その状況下で躍進を遂げたのがアリババです。
 企業にせよ個人にせよ、政府に依存せず、自分たちがリープフロッグできることを信じ、新しいビジネスモデルに向けた努力を重ねる。このほかに現在の窮境(きゅうきょう)を打開する道はありません。その積み重ねが日本という国全体を押し上げるはずです。
 政府は国民の信頼を取り戻せ
 しかし、だからといって政府は何もしなくてもいいというわけではありません。デジタル庁創設の動きは評価すべきと考えますが、その一方で、総務省幹部の接待問題などが報道されました。国民の政府への信頼度が棄損(きそん)されたのは間違いないでしょう。デジタル化にしても、政府の政策は何かの利権が伴っていると疑われてしまうことが大問題であり、私はその意味で一連のスキャンダルは決して無視できないと捉えています。
 政府がはたすべきこととして、国民の信頼を獲得すること以外にありません。もしそれがなければ、いかにデジタル化を唱えても、いかに素晴らしい新しいシステムを導入すると語っても、誰もついていきません。
 信頼さえ獲得できれば、政府には多くの可能性がある。バルト3国の一つであるエストニアは世界でもっともデジタル化が進み、政府がプロックチェーンを用いた新しいシステムを構築して、コロナ禍でも問題なく稼働させました。同国の政府がいうには、デジタル化とは技術の問題ではあるが、それと同時に国民が政府を信頼することが重要だとしています。
 エストニア旧ソ連の一部であり、独立したあともロシアの危機に脅かされ続けました。デジタル国家に変貌を遂げたのも、ロシアからのサイバー攻撃に対抗する意味合いもあったからです。
 日本ではこれまで漠然(ばくぜん)として危機感を共有されていましたが、コロナ禍が顕在化したわけです。もちろん、ロシアの脅威ほどではないにせよ、ある意味ではこれを革新へのチャンスに変えなければなりません。
 繰り返しますが、そのために、政府は国民の信頼を得なければなりません。そして、企業や国民は独立心をもって、自分たちの手で新たなビジネスモデルを生み出していく。私たちにいまもっとも必要なのは、リープフロッグが可能だと信じて、努力することです。」
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 「人口こそが国力である」との思想のもと、戦争勝利には最強の兵士を、経済成長には最優秀な技術者・労働者を、必要な人員を増やす事が国家緊急の最優先課題として、人口を増やす為に「産めよ殖えよ」の育児政策を行った。
 国家は人口を増やすべく、国策として結婚と出産を奨励した為にベビーブームが始まった。
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 総人口は、明治初期には約3,000万人で、昭和20年には約8,000万人で、昭和55年には約1億3,000万人に急増した。
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 人生50年時代の人口爆発マルクス主義社会主義の国家主導経済で、戦後復興、高度経済成長、バブル経済が成功した。
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 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 現代の高学歴な知的エリートと進歩的インテリは、敗戦後の政治家や官僚はおろか、戦前の革新官僚らに比べものにならない。
 現代の高学歴な知的エリートと進歩的インテリとは、ガラパゴス化・蛸壺化してデジタル改革・AT改革に反対・抵抗している時代遅れのリベラル派戦後民主主義世代とその薫陶を受けた頭脳明晰な優れた次世代である。
 リベラル派戦後民主主義世代とその薫陶を受けた頭脳明晰な優れた次世代こそが、1940年体制での最大の恩恵を受けた日本人で、敗戦後日本をG7先進国・科学技術立国に押し上げたが、同時に新しい科学技術によるモノ作りを壊し製造業を衰弱させ経済を衰退させ後進国並みにまで落とした張本人である。
 一般国民は、リベラル派戦後民主主義世代と次世代を信用していない。
 日本を新しい国に生まれ変わるのを妨害する時代遅れの抵抗勢力は、アナログ信奉者のリベラル派戦後民主主義世代と次世代である。
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リープフロッグ 逆転勝ちの経済学 (文春新書)
ブロックチェーン革命[新版] 分散自律型社会の出現 (日経ビジネス人文庫)
経験なき経済危機――日本はこの試練を成長への転機になしうるか?

⚜10〗─1─1940年体制。先端研教授野口悠紀雄。~No.26No.27No.28 

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 「1940年体制について」
 野口悠紀雄 先端研教授
 十月五日、本学先端科学技術研究センターで行われた学術講演会で、野口悠紀雄教授は「一九四〇年体制」という題で講演を行った。「一九四〇年体制」が、今の日本経済の閉塞の原因になっている、という非常に興味深い内容である。今回は、この講演要旨を紹介する。
 新分野で活躍できない
 日本の経済制度
 一九四〇年体制とは妙な言葉だ、と考える人もいるかもしれないが、これは、戦時体制のことである。これは、一九三〇年ころ、日本が第二次大戦に向け様々な準備をしていた時に導入された制度で、現在の日本経済の基本構造をなしているものである。
 産業構造を高 度化すべき時
 本論に入る前に、私たちの身近で起こっている変化の話を、パソコンを例に話してみよう。
 数年前まで、研究室には日本製のパソコンがほとんどであったが、最近は外国製が増えてきている。外国のパソコンのほとんどは、アメリカ製品のものであるが、実際は、アジアで作られており、それが激しい勢いで日本のマーケットに入ってきている。昨年の統計を見てみるとパソコンの輸入が、前年に比べて七割以上も伸びてきている。ここ数年、日本の経済成長はほぼゼロ成長であるから、これは驚くべきことだ。
 このように、ハイテク産業の分野において、アジアのニーズ(NIEs)諸国が伸びてきている。製造業の大量生産の分野は、もともと日本の得意分野であり、高度成長期を通じて地位を高めてきた要因であるから、これは日本に大きな影響を与えている。実はニーズだけでなく、今一番伸びているのはアセアン(ASEAN)諸国であり、新興工業国として成長してきている。
 このような変化に対し、日本は産業構造を従来の構造よりも高度なものへ変え、アジア諸国の中で、適切な分業活動を進めていく必要がある。しかし、今の日本では難しい。パソコン業界をみるとそのことがよくわかる。
 しばしば、現在のパソコンはWINTEL体制に支配されているといわれる。WINとは「ウインドウズ」で、パソコンを動かす基本的なソフト。TELとは「インテル」を表わしており、これはパソコンの心臓部・頭脳部にあたる演算装置「ペンティアム」を作っている会社である。
 現在、日本で作られているパソコンのほとんどがこの「WINTEL」に依存せざるをえない状況である。本来であれば、このような分野に日本が入っていかなければならないのに、それができないのである。このことは、将来発展する可能性のある産業にも顕著に現われてきており、たとえば、新しい情報通信、インターネットという分野でも、リードしているのはアメリカの企業なのだ。
 講義の様子
 新事業妨げる 日本の制度
 なぜ、日本は新しい分野で活躍できないのだろうか。これは個人一人一人の問題ではないと私は考える。日本人は、「創造性がない」「外国の技術の模倣だけをしている」と言われるが、けっしてそんなことはないはずである。個人のレベルで見れば、創造性は世界第一級であろう。問題は、日本では、新しいアイデア・考え方を実現していくための社会的制度がないことだ。
 パソコンを例に挙げるとよくわかる。パソコン産業で活躍しているアメリカの企業は、ほとんどがもともとはベンチャー企業、つまり、数人の技術者で始めたものである。例えば、マイクロソフト社のビル・ゲイツ氏も大学時代に友人と始めたものである。インターネットの「ネットスケープ」もスタンフォード大の先生ともう一人で、数年前につくった会社である。それから、情報の検索ソフトの「ヤフー」も、スタンフォードの大学院の学生が、趣味として始めたものである。
 このように、少数の人間の新しい考え方が、そのまま事業化するような仕組みがアメリカの場合には非常によく機能しているのだ。
 ところが、日本の場合、特に、パソコンを製造している会社はほとんど例外なく大企業である。アメリカの場合、昔からの大企業は、おそらくIBM一社である。
 なぜこのような差がでてきたのか。いくつかあると思うが、特に重要な二つの理由を挙げてみる。
 一つは、日本の企業の仕組みである。日本の大企業では、終身雇用制、年功序列が普遍的にみられる仕組みであるが、この中で新しい事業をやろうとして企業から飛出すのは、あまり得策とはいえない。企業の中にいれば地位も上がっていくわけで、途中で飛出すのは非常に危険なことである。また、労働市場が流動的ではないので、もし事業に失敗した場合、別の企業に入ることは難しい。
 もう一つは、銀行が産業の資金を融資する、間接金融という仕組みである。もともと銀行は保守的で、安全な融資を重視する。融資先の企業が成長しようがしまいが、あまり重要ではなく、リスクのある分野に対してはなかなか資金を供給できないのである。
 ところが、アメリカは、さきほど述べたベンチャー的な企業の多くは、ほとんどが直接金融である。企業が社債を発行し、直接に金融市場から資金を調達する仕組みなのである。
 人為的に導入 した戦時体制
 実は、戦前日本では企業の構造、労働者の企業間の移動という点から言うと、労働者は、一つの企業に定着しないで、企業から企業へと移り歩くことが普通だった。それから、株主の影響が非常に大きかった。
 このような体系が、戦時体制の中でかなり変わってしまった。戦争遂行を目的に、軍事産業の生産性を高めようと労働者の企業への定着を促し、職場の中での訓練を行う。もう一つは、株主の権利が制約する。これにより、企業は株式で資金を調達する仕組みから、銀行からの借入から資金を調達する仕組みになっていく。
 他方、政府が積極的に金融機関の育成をする。特に、日本興業銀行をはじめとする、長期信用金庫を積極的に助成して、そこから資金供給するようにしたのである。このように金融構造を変える必要があったのは、戦時経済の要請で、経済を軍事産業に集中させる必要があったからである。
 このように日本型の仕組みと考えられているのは、戦時経済の中で、人為的に導入されたものであり、これが現在にいたるまで、日本経済の中核をなしている。
 それを象徴的に表わしているのが、一九四二年に制定された日銀法である。
 第一条には、「日本銀行は、国家経済総力の適切なる発揮をはかるため、国家の政策に即し、通貨の調整、金融の調整、及び信用制度の保持育成を目的とする」、第二条には「国家目的の達成を使命として運営されるべし」と書いてある。経済の教科書には、中央銀行の機能は、「通貨価値の安定」となっており、日銀法はまさに40年体制そのものなのである。
 高度成長支え た戦時体制
 日本の高度成長の基本的な要因は様々に議論されているが、一般的には、占領軍が持ちこんできた経済の民主化政策がきっかけといわれる。
 しかし、私はそれよりむしろ高度成長をなしたのは「戦時体制」だと考える。企業に対して強い帰属意識を労働者にもたらす。企業は、株主の利潤の追求ではなくて、従業員の共同体であり、企業が成長することは、株主のためではなく、自分のためになる。働けば働くほど、自分に戻ってくる、ということである。労働組合も、企業別になっており、新しい技術の導入に対して、労働組合が強く抵抗しない。日本が戦後の技術革新のたびに、上手に乗り越えてきたのは、このような企業構造が大きな要因になっている。
 しかし、これは考えてみれば当然で、戦時体制は戦争の遂行という目的のために全体が協力してきた。高度成長期は、先進国という目的のために全員が協力していったのである。
 体制見直し逃 した七〇年代
 さて、高度経済成長は一九七〇年代の初めでほぼ終わっていく。本来であれば、その頃経済の仕組みを見直すべきだ、という議論が出たはずだった。実際に環境問題に対する関心の高まりなど、これまでの高度成長を支えてきた経済体制に批判が強くなってきたのである。何も事件が起きなかったら、おそらく経済体制が変わったであろう。
 ところが、オイルショックという大きな事件が起きたのである。これにより日本経済は大混乱に陥り、経済的に生き残るのが、最優先になっていった。
 ここで四〇年体制がうまく機能していくことになる。欧米諸国では、オイルショックによって、賃金が上がり、インフレ率が加速したが、日本での賃上げはゆるやかであった。それは、石油価格の上昇が賃上げに結びつかなかったからである。日本の企業は、労働者の利益共同体で、企業が潰れれば、自分も潰れてしまう。賃上げを要求することは、舟に水が入ってきて、自分もおぼれるようなことになることを知っていたからである。
 このように、本来、七〇年代に変わるべき体制が変わらず、むしろ日本人は四〇年体制に自信をもってしまったのである。
 「競争」の評 価を変える時
 話の最初に戻るが、現在、日本経済は大きな曲り角にきている。これに対する解答は経済の体制を変えていくしかない。しかし、これは難しい問題だ。単に制度の問題だけでなく、人間の考え方の問題にも影響しているからである。
 典型的に現われているのは、「競争」という言葉に対する評価である。日本人の多くの人は、「競争」というのをあまりよく思っておらず、それより「協調」が望ましいと考えている。どちらが良いかは一概には言えないが、本来「競争」が必要とされる分野にも、協調が言われていることが問題である。
 今は、高度成長の時のように目的がはっきりしていない。一つの目標にむかって全員でやっていく、という感覚とは大きく違う。試行錯誤の過程が必要な時である。「競争」という言葉に対する考え方、これを変えていかなくては、今の閉塞的な状況は抜け出せないであろう。    (文責編集部)」
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 ウィキペディア
 野口 悠紀雄(1940年12月20日 - )は、日本の元大蔵官僚、経済学者。専攻は、日本経済論、ファイナンス理論。一橋大学教授、東京大学教授、青山学院大学大学院教授、スタンフォード大学客員教授早稲田大学教授を経て、早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問、一橋大学名誉教授。
 行政法学者の野口貴公美一橋大学教授は実子。
 主張
 1940年体制
 1990年代以降に続いた長期不況に関して、その原因が戦時中に構築されたシステム(「1940年体制」)の非効率さにあると主張した。1940年体制とは、日本的な企業、経営、労使関係、官民関係、金融制度など日本経済の特徴とされる様々な要素が、1940年頃に戦時体制の一環として導入されたとする概念である。
 野口は、
 高度経済成長は、戦時体制によって実現された。戦時体制は、敗戦後も生き残り、高度経済成長を実現する上で、本質的な役割を果たした。
 日本経済の特徴とされる要素は、戦時経済の要請によって導入されたものであり、日本の歴史の中では比較的新しいものである。
 としており、「戦時体制からの脱却(構造改革)」を主張している。
 著書の『1940年体制』は、いわゆる「構造改革論」のバイブルと目されている。野口らの提議した構造改革論に対しては、岩田規久男や野口旭らから痛烈な批判が寄せられたが、2004年以降の景気回復局面においては、議論は一時期雲散霧消してしまった感が否めない。なお、「1940年体制」に対して、堺屋太一は「昭和十六年体制」と呼称した理論を展開している。
 「構造改革#1940年体制」も参照
 TPP
 TPPについて「TPPがGDPを増加させる効果は、ほとんどない」、「日本の輸出に与える影響はきわめて小さい」、「関税以外の点での日本開国も、TPPによらなくともできる。」といった主張をした。
 デフレーション
 通貨が減価し、東アジア諸国の価格競争力が高まりつつあった2009年当時のデフレーションにおいて、次の様に主張した。「東アジア諸国と日本企業が競争しようとしても、勝ち目はない。対応しようとすれば、生産拠点の海外転を促進するしかない。日本国内で見た輸入品の価格は安くなる。これを利用した経済活動に転換することが重要である。」、「『よいデフレ』とか『悪いデフレ』と言われることがあるがそうした区別は存在しない。立場によって評価が異なるだけである」 「必要なのは、『デフレからの脱却』ではなく、『所得低下からの脱却』である。、工業製品の価格低下は、実質所得をさらに引き上げる望ましい現象として、歓迎されることになるだろう」と述べている。
 食料自給率
 比較優位の観点から「日本の食糧自給率が低くても何の問題もなく、むしろ豊かな食生活をおくっている証拠である」という趣旨のことを主張している。
 ウィキペディアへの批判
 野口はウィキペディアについて“ブリタニカにも匹敵する”と激賞しつつ、自身の項目に事実に反したことが書いてあったことに不快感を示し“誤りに対する責任の所在も明確ではない。ウィキペディア日本語版の管理者は誰であるのか、明確にされていないからである。さまざまな問題が指摘される「2ちゃんねる」でさえ、管理責任者が誰であるかは明確にされている。それと比べると、ウィキペディア日本語版の信頼性は「2ちゃんねる」以下と言わざるをえないのである”と批判している。
 仮想通貨
 野口はビットコインについて「通貨史上の大きな革命であるばかりでなく、まったく新しい形の社会を形成する可能性を示した」と評価している。また、同氏は著書『仮想通貨革命』において「ビットコインは始まりにすぎない」と主張し、Googleが出資を行い各国の銀行が実証実験に参加しているリップルビットコインの仕組みを貨幣以外の対象に拡張しようとする試みのイーサリアムは大きな可能性を秘めると述べている。更に、現在の通貨と共存しうるリップルビットコインより使いやすく、「リップルが広く使われるようになれば、ビットコインは不要になるかもしれない」とも述べている。
 消費税
 2015年10月に予定されていた消費増税について「景気に関係なく上げるべきである。消費税が経済に悪影響を与えるのは当たり前であるが、増税しないと財政に対する信頼が失われ、金利が高騰する。その方が日本経済にとってはるかにダメージが大きい」と指摘した。しかし、2014年12月に消費税再増税延期を決定した後も、長期金利は低水準の状態が続き、2016年2月には初めてマイナスを記録した。
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 構造改革とは、現状の社会が抱えている問題は表面的な制度や事象のみならず社会そのものの構造にも起因するものであり、その社会構造自体を変えねばならないとする政策論的立場。「改良主義」を批判するマルクス主義の側からは、「構造改良」と呼ばれることもある。
 1940年体制
 「野口悠紀雄#1940年体制」も参照
 「日本的システム=構造問題」という議論は、日本国内に広範な支持基盤を持っている。その最大の想源は、経済学者の野口悠紀雄の1995年の著書『1940年体制-「さらば戦時経済」』であり、この書は1990年代の日本において、構造改革主義のバイブルの役割を果たした。
 野口悠紀雄は、戦後の日本経済を高度成長へと導く基盤となった日本的雇用・間接金融システムが成立したのは、日本経済の戦時経済への移行が完成した1940年ごろのことであり、戦後日本の経済システムは1940年代の戦時統制経済を引き継いで形成されたとしている。野口悠紀雄は、「日本的システム」は日本経済が欧米への『キャッチアップ』の段階にあったときには機能したが、その段階を終えた日本にとっては成長の障害となっており、そのためには「構造改革」が必要であると主張している。
 経済学者の原田泰は「日本経済の構造問題とされるものは、1980年代からすでに存在していた。1990年代の経済停滞は構造が原因だとする議論は成り立たない」と指摘している。
 経済学者の伊藤修は「戦時統制が戦後に影響を与えたことは否定できないが、戦後のシステムが固まってしまったとする議論は言い過ぎである。戦後の各時点において、その仕組みが選択され続け機能していたと考えるべきである」と指摘している。
 経済学者の野口旭、田中秀臣は「『体制』『システム』という言葉によって、思考の単純化ステレオタイプ化には大きな問題がある」と指摘している。野口旭、田中秀臣は「『金融護送船団方式』は結果として、膨大な社会的非効率性を生んだ。重要なのは、こうした政府介入による社会的非効率性は、明確な経済学的根拠に基づくものであり、『体制』『システム』という言葉によって曖昧化されるべきではないという点である。金融護送船団方式が非効率だったのはバブル崩壊よりも昔からであり、突然そうなったわけではない。それは、日本のマクロ的状況とは無関係に生じていたのである」と指摘している。
 野口旭は「科学は反証可能であるが、『1940年体制』というイデオロギーは反証不能である」と指摘している。
 田中秀臣は「1940年体制テーゼでは、資源の誤った配分というミクロ的な非効率性と、資源の遊休(失業)によるマクロ的非効率性を区別する視点が欠如している」と指摘している。
 2007年10月19日、渡辺喜美行政改革担当大臣は経済同友会の会員懇談会で「現状を続けることが日本の最大の不幸である。民主導による競争原理を導入することが、1940年体制のDNAを変えることになる」と指摘し、1940年体制の打破の必要性を強調した。渡辺は、競争をやってはいけないというDNAは、企業を国家目的に奉仕させる目的で1940年に確立した国家総動員体制が生み出した、という持論を持っている。
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1940年体制(増補版)

💫17}─3─あわや衝突、ニアミスしていた小惑星 接近も気づかず 都市消滅の危険。〜No.120 

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 2021年Jul 21 MicrosoftNews Society「あわや衝突、ニアミスしていた小惑星 接近も気づかず 都市消滅の危険
 恐竜を絶滅へと追いやった隕石は、人類にも脅威となり得るだろうか? およそ6600年前、直径10キロ超の隕石が地球に落下したことで、恐竜の繁栄は終わりを告げたと言われる。一方、直近では2019年と2020年に小惑星が相次いで地球に接近し、通過後あるいは直前まで誰にも発見されないという事態が発生した。いずれも人類の存続が懸かる大きさのものではないが、地上に落下すれば一つの都市が消え去る危険性をはらんでいた。
♦︎密かに過ぎていた衝突の危機
 今年6月、ある小惑星が地球のごく近くまで接近しながら、天文学者たちが事前の検知に失敗するという出来事があった。「2020 LD」と名付けられたこの小惑星は6月5日、月の軌道の内側という至近距離まで地球に接近している。最初に存在が知られたのは、通過から2日後のことであった。
 小惑星の大きさは直径122メートルほどだ。月までの距離の80%にまで接近した後、幸運にも地球に落下することなく通過している。米フォーブス誌に寄稿するサイエンス・ジャーナリストのジェイミー・カーター氏は、この規模の惑星がこれほど間近まで接近したのは、2011年以来であったと指摘する。
 英エクスプレス紙(6月17日)は「シロナガスクジラ5頭分」と例え、2020 LDのサイズの大きさを強調する。同紙は地球への接近について「専門家たちは6月7日まで発見できなかった」「天文学者たちは混乱していた」と述べ、観測体制の不足を憂慮している。
 2020 LDのサイズは、恐竜絶滅を招いた隕石ほどではない。しかし、小惑星の監視の重要性が叫ばれるのには理由がある。地球に落下すれば都市を滅ぼすほどの威力を持つと言われる小惑星が、2019年にも地球に接近していたのだ。
♦︎2019年にも来ていた「都市壊滅小惑星
 2019年7月、ある小惑星が地球をフライバイ(接近通過)し、のちに「2019 OK」と命名された。小惑星のサイズについてNASAジェット推進研究所は、直径60〜130メートルほどだという観測結果を公表している。地球への近接度では2020 LDを上回り、月までの距離のおよそ20%にまで近接していた。仮に地球の引力に引き寄せられて地上に落下していたならば、「その爆風は直径50マイル(80キロ)ほどの範囲に局所的な壊滅状態をもたらしていた可能性がある」とジェット推進研究所は分析している。
 その衝撃は、一つの都市をまるごと消滅させるほどだ。ワシントン・ポスト紙(7月26日)はオーストラリアの天文学者の見解として、「もし当該の小惑星が地球と衝突していたならば、その大部分はおそらく地表に到達し、破壊的な被害を引き起こしていただろう」との見方を伝えている。2019 OKのケースでも発見は遅れ、サイズと軌道が公にされたのは最接近のわずか数時間前のことであった。このように地球に非常に接近する小惑星は、非公式に「シティーキラー・アステロイド(都市破壊小惑星)」と呼ばれ、深刻な被害が懸念されている。
♦︎衝突までのシナリオは?
 では、小惑星の落下は、どのようなメカニズムで発生し得るのだろうか。広大な宇宙空間で地球と小惑星の軌道が偶然に交差するというよりは、小惑星が地球の引力によって引き寄せられてしまうというのが現実的なシナリオだ。フォーブス誌は、キーホール(鍵穴)という用語でこの現象を説明している。地球の重力場のなかにキーホールと呼ばれる領域が存在し、ここに小惑星が突入すると、その軌道は地球側に大きく引き寄せられる。これにより、早ければ数年後に起きうる次回のフライバイの際、地球に落下する可能性が高まるというわけだ。
 このような事態を防ぐため、潜在的に危険な小惑星の把握が進められている。宇宙関連のニュースを伝える『Space.com』によると、NASAでは地球付近をフライバイする直径1キロ以上の小惑星について、その90%以上をすでに発見している。さらに今後は宇宙空間に赤外線カメラを打ち上げ、熱によって小惑星の接近を検知するプロジェクトも計画されている。
♦︎軌道を変える「キネティック・インパクター」
 こうして小惑星は検出されるわけだが、実際に隕石となって地上に落下することが予測された場合、人類はどのような手を打てるのだろうか。フォーブス誌は、宇宙船またはロケットを目的の天体に衝突させてコースを逸らすというテクニックを紹介している。この手法は「キネティック・インパクター」と呼ばれており、NASAは死滅した惑星のコアと見られる小惑星「プシュケ」に対し、2026年に実践する計画だ。
 このほかSpace.comでは、複数の小型宇宙船から小惑星の一部に対してレーザービームを照射するという技法を伝えている。小惑星の表面の一部が溶出することでジェットエンジンのように推力が働き、軌道が逸れるという理論だ。
 より過激な手法としては、映画『アルマゲドン』さながら、小惑星を核爆弾で破壊することも考えられるだろう。しかし残念ながら、この手段はあまり現実的ではないようだ。ワシントン・ポスト紙の取材に対して専門家は、小惑星放射能で汚染されることになる、と警告している。
♦︎よりエレガントな解決法とは?
 以上の手法はいずれも、小惑星自体に直接手を加えるものだ。しかし、地球との衝突まで数年間ほどの時間的猶予がある場合には、「重力トラクター」と呼ばれる手法を用いることができる。目的の小惑星付近に宇宙船または小型の探査機を航行させ、機体の重力場によってゆるやかに小惑星の軌道を逸らすというしくみだ。ワシントン・ポスト紙は、「非常にエレガントなソリューション」だと賞賛する専門家の声を紹介している。
 Space.comでもこの手法を取り上げており、その実現には小惑星との衝突まで数年から数十年の猶予が必要だと述べている。しかしNASAの主任科学者も言及するなど、有力な解決法の一つとなっているようだ。
♦︎10年以内に超接近再び
 地球への危険因子となる小惑星は、現時点で複数が判明している。2029年に地球周回軌道上のGPS衛星をかすめるほどの距離まで接近する「アポフィス」や、2175年以降に2700分の1の確率で地球に落下すると予測される「ベンヌ」などだ。より大規模な衝突も珍しいものではなく、フォーブス誌が伝えるところによると、500メートル超の隕石の地球への衝突は、平均で13万年に一度程度の割合で起きていると考えられている。
 これらは現在予見されているものだが、さらには2019 OKや2020 LDのように、不意に出現するケースも無視できない。2019 OKは、その小ささと極端に扁平した楕円軌道が災いし、発見の遅れにつながった。ワシントン・ポスト紙は専門家のコメントとして、この一件により、我々が知らない危険な小惑星があちこちに存在することが証明されたと述べている。別の天文学者は、小さな小惑星を捕捉するために地球規模の協力の枠組みを整えることが急務だと述べ、こう訴える。「恐竜と同じ道を我々が辿る必要はない」」
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“今”起こっても不思議ではない 天体衝突の危機: 超巨大隕石落下・小惑星衝突のメカニズムを知る
繰り返す天変地異: 天体衝突と火山噴火に揺さぶられる地球の歴史

🍙52〗─1─塩沢美代子・島田とよ子『ひとり暮らしの戦後史』は現在の貧困問題。昭和50年~No.286No.287No.288 ⑯

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 健康志向の強い男性優先社会の日本では、女性・子供・老人、病人・障害者などの弱者に対して冷たい、薄情である。
 日本は弱者に対する偏見や差別が酷い、というのが世界の日本認識である。
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 2021年4月30日号 週刊朝日「週刊図書館
 今週の名言奇言  佐藤美奈
 いちばんまじめに働いてる いちばん下っぱがいちばん困る。
 塩沢美代子・島田とよ子『ひとり暮らしの戦後史』
 過去の名著がSNSで話題になって、緊急重版がかかった。塩沢美代子・島田とよ子『ひとり暮らしの戦後史』。この本が発行された1975年は国際婦人年だった。が、これは70年代に一世を風靡した『女性の自立』を促する本ではない。副題は『戦中世代の婦人たち』。この本の主役は20歳前後で敗戦を迎え、夫や恋人やいつか出会えるかもしれない男性を戦争で失い、戦後30年をひとりで生きてきた独身女性。〈女性の自立を阻む状況にみちた社会に、自立して生きる力も姿勢も備えなけれないままにひとりで生計を立ててきた婦人たち〉なのだ。
 統計と60人余との面談から浮かび上がるのは彼女たちの楽ではない生活だ。7割は賃金労働者で7割近くが転職経験者。6割はひとり暮らし。大手企業に勤める人もいるが、賃金は低く、昇進の機会はなく、戦争未亡人のような公的保障もない。
 〈石油ショック以来政治家は節約しろなんていっているけど、私のような貧しい者がこれ以上何をきりつめられますか〉と憤る洋裁師。〈いつの時代にも、いちばんまじめに働いているいちばん下っぱがいちばん困るのよ〉と語る勤続28年の製菓工場の社員。差別的な待遇に疑問を持ちながらも〈独身で、自分の生活をしょっていますから、会社にきらわれてクビになったら、それこそたいへんですからね〉と語る銀行員。
 そのうえ、50歳前後になった彼女たちの前には親の介護に加えて定年と老後の不安が立ちはだかる。男性は60歳、女性は45歳や54歳など、定年差別のある会社も少なくなかった。
 この本がSNS上で話題になったのは『今もほとんど同じじゃないの』と感じた人が多かったからだろう。単身世帯が増えた今日でも結婚して一人前という風潮は消えていない。〈少数派の彼女たちは、民主主義の多数決原理のもとに無視され、忘れられてきたのではなかったか〉という指摘は現在の貧困問題と健全につながる」
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ひとり暮しの戦後史―戦中世代の婦人たち (岩波新書 青版 924)
戦争が立っていた (戦中・戦後の暮しの記録 拾遺集 戦中編)
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 1980年頃までは人生50年時代の人口爆発期で、2000年以降は人生100年時代の人口激減期である。
 下り坂である2000年以降の人口激減期では、上り坂であった1980年頃までの人口爆発期のような考え方、生き方は参考にはならない。
 それは、資本家・富裕層の富を強制的に再配分するマルクス主義共産主義社会主義)でも言える事である。
 そして、令和2(2020)年に武漢ウイルス(新型コロナウイルス)が蔓延して日本経済は混乱し、蓄えのないシングルマザーの一部は職を失い更なる貧困へと突き落とされ、貧困家庭の子供は悲惨な生活を強いられた。
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 1868年の明治から1980(昭和55)年の昭和後半までは、人生50年の人口爆発期であり、貧しくとも真面目に働けば将来に夢を抱き希望を叶える事ができた。
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 日本の総人口は、1868年の明治では約3,000万人、1945年の敗戦時では約7,000万人、1980年のバブル経済時では約1億3,000万人。
 2100年には約6,000万人。
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 1990年初頭にバブル経済が破綻しても、2000(平成12)年頃まではその余勢で何とか誤魔化し誤魔化しやって来たが、2010年頃からは失速して誤魔化しが効かなくなり年々悪化し、将来への夢も希望も消えつつある。
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 リベラル派戦後民主主義世代は、貧困化する子供達に言う「もう、経済成長はいらない」、結婚せず子供はいらないという若者達に「結婚は地獄で、老後の一人暮らしは自由があって楽しいから、孤独は歓迎すべきである」、金がなく生活が苦しかったら生きる権利として「国から生活保護を受ければいい」と。
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 今後の日本は、人生100年時代で少子高齢化による人口激減が加速し、日本社会は全ての面で萎み、勢いを失い、暗く沈んでいく。
 何故なら、多死少生で死臭が漂う陰湿陰気な社会になるからである。
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🐟22〗─1─日本の家畜虐待。超高温殺菌。地獄の搾乳。危険因子。~No.89No.90No.91 

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 宗教を持つ昔の日本人と宗教を持たない現代の日本人とでは別人のような日本人である。
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 日本人が食べる肉・卵・乳・その他は、命軽視で、家畜を虐待し奪った食材である。
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 日本人は家畜や動物を愛し食べ物を粗末にしない・無駄にしない、はウソである。
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 現代日本は、生産者より消費者が強く、生産者は消費者の利益を最優先に考え自己犠牲的に生産しなければならない。
 日本における効率、能率、生産性、競争力とは、そういう事である。
 「如何にして消費者に買って貰うか」、それが経済低迷からの回復の兆しがない現代日本の最優先課題である。
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 2021年4月10日・17日号 週刊現代「日本の牛乳はこんなに怖い
●欧米では危険視される『超高温殺菌』の牛乳が日本の9割。
●鎖で24時間縛り付けた牛から搾り出す『地獄の搾乳』の現場
●飲めば飲むほど体内に蓄積される『危険因子』
前立腺がんのリスクが1.5倍。アレルギーや認知症

 カルシウムや鉄分など栄養分に富む牛乳は、飲めば体に良いと思っている人が多い。だが、それが思い込みだったとしたら?日本で作られている牛乳の大半は、健康とはほど遠い作られ方をしていた。
 なぜお腹が痛くなるのか
 牛乳は、骨を丈夫にし、血圧を下げる効果もあると言われる。19年の統計では日本人一人当たりの消費量は年間約25リットルに達する。今も昔も日本の食卓に欠かせぬ飲み物である。
 だが、その一方で牛乳には、思わぬ健康上のリスクが潜んでいることをご存じだろうか。
 『牛乳は危ない、特に日本の牛乳は危ない』
 そんな警告がなされているのだ。
 まず、そもそも牛乳自体が『日本人の体質に合っていない』という指摘がある。星子クリニック院長の星子尚子氏が語る。
 『私のクリニックで遅延型のアレルギー検査を受けていただいた中の、なんと7割から8割の方が牛乳アレルギーに対しての陽性反応を示されるのです。
 また、牛乳に含まれる糖分の「乳糖」は小腸内のラクターゼという成分により分解されるのですが、日本人の85%はラクターゼが不足している傾向にあります。つまり、乳糖が分解できない体質のため、日本人の85%は、牛乳で下痢などお腹を下してしまうリスクがあるということです』
 牛乳を飲むとお腹がゴロゴロし、痛くなる・・・。そこには明確な化学的根拠があったのだ。
 『牛乳に含まれるタンパク質の「カゼイン」も、日本人はうまく分解できません。そのため腸内に残留し、腸炎や便秘を引き起こします。牛乳を飲むとお腹の調子が悪くなるという方はよくいらっしゃいますが、それはそもそも分解できない成分が含まれているためです。
 クリニックに来られる方には、健康のためと言って無理をして毎日牛乳を飲んでいるという方もいますが、私はその習慣は健康増進には役立たないと伝えています』(同)
 牛乳が人体に与える影響はこれだけではない。国立がん研究センターの予防研究グループは、08年に衝撃的なレポートを発表している。
 『乳製品、飽和脂肪酸、カルシウム摂取量と前立腺がんとの関連について』と題されたレポートは、95年から04年にかけて岩手県から沖縄県の10の保健所が、45~74歳の男性約4万3,000人を対象に追跡調査を行ったものであるが。この調査によれば、なんと牛乳が前立腺がんの原因になる可能性が指摘されている。
 高温殺菌で危険物資が
 ……
 健康のため、朝起きたら牛乳を一杯──。その習慣が、がんを招いてしまうかもしれないのだ。
 さらに日本には、牛乳のリスクを高める特有の事情がある。
 オーストラリア国立大学教授で酪農学に詳しいジョン・カーバー博士が解説する。
 『日本で流通している牛乳の9割以上が、超高温殺菌(UHT)と呼ばれる方法で作られています。これは120度から150度の温度で2~3秒加熱して殺菌し、商品化するという製法で、120~130度で2秒加熱するという方法がとられています。
 しかし、超高温で殺菌させた牛乳はカゼインを分解するための酵素が壊されて消化、吸収されくくなります。さらに最も危険視されているのがタンパク質のベータラクグロブリンカゼインが融合し、アミロイド繊維が形成される点です。
 アミロイド繊維は体内に蓄積すると、アルツハイマー認知症パーキンソン病を引き起こす恐れもあるとして注目されています。超高温殺菌牛乳を継続して飲むことは、神経症の危険因子を絶えず体内に流れ込んでいることと同じなのです』
 普段口にしている牛乳のパックの裏を見てほしい。ほとんどの国産牛乳には、『殺菌130℃2秒間』などと、超高温殺菌が行われている事を示す表示があるはずだ。
 『危険なため、海外では超高温殺菌はほとんど行われておらず、63~65度で30秒間加熱する低温殺菌が主流となっています。超高温殺菌牛乳のシェアは7%にとどまっており、スウェーデンノルウェーでは、なんと0%です。
 成分が変わると、当然風味も変化します。みずみずしさがなく、飲むと喉に絡むような後味は、超高温殺菌牛乳に特有のものです。北欧では超高温殺菌牛乳は「死んだ牛乳」と呼ばれているのです』(同)
 世界的には非常識な加工法で作られた牛乳を、長期間、大量に飲めば飲むほど、リスクは蓄積されていく。『死んだ牛乳』を飲み続けることで、本当に死んでしまったら元も子もない。
 搾乳のための『機械』扱い
 日本の牛乳の安全性を低くしている要因はこれだけではない。
 アニマルライツセンターで代表を務めている岡田千尋氏が語る。
 『日本では約7割の農場で乳牛が「つなぎ飼い」と呼ばれる方法で飼育されています。「つなぎ飼い」とは牛乳に鎖や紐で作った首輪をつけ、牛舎に縛り付けておく飼育方法で、こうしておく飼育されている乳牛は1~2歩しか動くことができません。多くの乳牛は搾乳以外も24時間牛舎に縛り付けられたまま過ごしているのです。
 自由に動けないので、排泄もその場で済ませるほかありません。掃除をすると言っても朝夕の2回だけのこともある。多くの牛は自らの排泄した糞尿にまみれて生きることを強いられています』
 牛乳のパッケージには雄大な自然の中、のびのびと放牧されている牛の絵が描かれている。だが、日本においてそうした健康的な飼育方法がされているのいは、実は全体の3%程度に過ぎない。
 『つなぎ飼いの牛は牧草ではなくトウモロコシなどの配合飼料を与えられて育ちます。牛は本来穀物を口にしないのですが、脂肪分の高い牛乳を作るため、無理やり配合飼料を与えられているのです。
 つなぎ飼いの牛は放牧されている牛に比べ、平均して5年ほど寿命が短くなっています。海外でつなぎ飼いは見直されており、デンマークでは20年に全面禁止されました。スイスでも2週間以上継続して牛を牛舎につないではいけないという条例が定められています』(同)
 つまり、日本の乳牛は海外よりずっと短い寿命の中で、狭い牛舎に押し込められ、広々とした草原で放牧されることもなく、無理やり口にするべきではない飼料を食わされ続ける。そして、そんな地獄のような環境で、乳を搾るだけ搾られて死んでいくのだ。
 岩手県で完全放牧による牧場経営を実践する、しあわせ乳業の前田英仁社長が現状を嘆く。
 『配合飼料を与えられるつなぎ飼いのホルスタインからは、多くて1日に40リットルも牛乳が搾られます。これは、放牧で育つ同種の約4倍の量です。自由に歩くこともままならないまま、穀物を与えられて大量の乳を出すための機械のような扱いを受けて一生を終えていくのです。
 超高温殺菌という加工方法に加え、牛舎につなぎ、不自然な育て方をした牛から絞り出した牛乳を口にすることが、私たちの健康に導くとは思えません』
 海外でほとんど行われていない超高温殺菌とつなぎ飼いが日本で盛んに行われている背景には、大量生産を最優先してきた、国の政策がある。
 酪農を担当し、研究してきた元農林水産省職員が告発する。
 『日本の乳業界には指定生乳生産団体制度というルールが敷かれています。これは牛乳の価格を固定化し、酪農家をその価格に基づいて牛乳を取り引きするというもので、一元集荷、多元流通という大量生産体制を支えているのです。
 しかし、現在でも1リットルが120円前後と極めて安い価格で取引されているため、酪農家にとっては利益が出にくい構造となっています』
 いびつな国策に縛られて
 いくら手間暇をかけても利益が出にくい制度に縛られ、生産者は安定性より効率重視で、最低限のコストで牛乳を作らざるを得ない。
 『戦後の学校給食に牛乳が取り入れられるようになり、需要は急激に高まりました。学校給食だけでも62年から70年にかけ、消費量は20倍以上になったのです。そのため安くて安定した牛乳の供給が必要になり、リスクについては見直されることがないまま、現在に至っている』(前出・農水省職員)
 戦後、日本人の体格や体力が飛躍的に向上した要因のひとつに、給食で牛乳があったことは確かだろう。だがそれを支えた国策はいびつであり、児童や消費者の長期的な健康が十分に配慮されてきたとは言え難い。
 秋田県で乳製品の加工を営む栗駒フーズの高橋惇社長がこう語る。
 『低温殺菌の牛乳は最低でも30分間生乳を加熱しなければいけませんが、超高温殺菌であればものの2秒で殺菌が済みます。日本で超高温殺菌が主流なのは、大量生産を強いられるシステムが存在するからなのです。
 つなぎ飼いにしても理由は同じ。放牧の牛は乳量が少なくなるので、大量生産体制を維持するためには、つなぎ飼いをして乳量を増やさなければいけないのです。乳脂肪分が指定団体の定める基準を下回った場合、買い取り値が半額になってしまうケースもある。生産者が搾取されているのが現状です』
 これらの問題について、乳業従事者が加盟する団体の一般社団法人Jミルクは本誌の取材に対してこう回答した(概略)。
 『高温殺菌の牛乳はほぼすべての微生物が死滅しており、流通上のリスクが低下します。さらに一定の賞味期限を保つことが可能となり、安全に加え低価格など消費者へのメリットも生まれるため、高温殺菌牛乳が主流となっているのです。
 また、指定生乳生産者団体制度は、酪農家が自身の判断で乳業会社への全量委託、部分委託を選択することができます。そのことから、酪農家にとって都合の悪いルールではないと思われます』
 牛乳は長く準完全栄養食とされてきた。バターやヨーグルト、チーズといった様々な乳製品に形を変えて、私たちの食生活に彩りを与えていることも事実である。牛乳が私たちの生活になくてはならないものだということは否定のしようがない。
 ただその一方で、日本の牛乳産業が抱える問題と、それを飲み続けることのリスクを、頭の片隅には止めておいたほうがいいだろう。」
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 昔の日本人にとって食とは、祖先から受け継いだ「文化」であり、生きる為の「神話」であり、命を頂く無駄にしない粗末にしない「宗教」であった。
 食べ物とは、八百万の神々から恵(めぐ)みとして分けて貰った、貴重を通り越した信仰の対象である神聖な命であった。
 文化・神話・宗教・信仰・崇拝であるがゆえに、命を奪う対象(生物でも道具でも)すべてを畏れ敬い感謝して謙(へりくだ)り、自分が生きる為とは言え理不尽にも死を強要した命・魂・霊魂を供養した。
 魚塚、鯨塚、庖丁塚、針塚、・・・。
 日本における「食べ物の神性」は、豊受大神(とようけのおおかみ)を祀る伊勢神宮外宮と倉稲魂神(うかのみたまのかみ)を祭る稲荷神社によって与えられている。
 昔の日本人とって食べるとは、疎かにしてはならない宗教祭祀・信仰儀式であった。
 食の祭礼の宗教的代表が、宮中祭祀として万世一系の男系父系天皇が内なる神の血筋・血統・皇統を正統根拠として執りおこなう即位式大嘗祭と例年(毎年)の新嘗祭である。
 日本の政教一致とは、最高神である女性神天照大神に繋がる「命」(祖先神・氏神の人神崇拝)を中心に据える事である。
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 現代の日本人にとって食とは、生活を豊かにする利益・金儲けの商品であり、空腹を満たすだけの食べ物であり、自己満足を味覚で満足させる食べ物で、食べたくない食材やいらない食材を「生ゴミ」として捨てる物でしかない。
 食べ物とは、人間が科学技術を使って効率よく作り出す、命を無視した売り物・商品であった。
 命は金を出せば買え、金を出せば殺す事ができる、命はゴミである。
 現代の日本人は、笑顔で自然保護や動物愛護を語るが、実態は自然破壊であり動物虐待である。
 日本は政教分離として、命を軽視する神殺しや仏殺しを行っている。
 マルクス主義は、反宗教無神論日本民族が護り伝えた縄文時代からの宗教観・死生観・人生観・自然観を破壊し消滅させる事である。
 その代表が、反天皇反日的日本人達である。
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 高価である日本国産食材は、安価な中国産食材に比べて安全で安心できる。
 中国の共産党幹部、政府高官、軍高級将校は、健康の為に、一般人民が食べる食材とは別の土地で安全な生産方法で作れた特別な食材を食べている。
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 現代日本人は、昔では考えられないような肉体的精神的な病気・疾患に冒され、発症し、昔の日本人には考えられないような異常行動に走る日本人が増えている。
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 人生100年時代は少子高齢化による人口激減が進み、高度な人材と低度の労働者は不足し、生活にゆとりのある消費者も減る。
 そして、富み・健康・食などの各種の格差も広がっていく。
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 日本人の食の関心とは、今食べる食材の生産地(国内産神話)と料理が美味しい事のみで、飼育法や生産方法ではなかった。
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 日本の牧畜を含む農業は、中国などからな安い価格での輸入品によって衰退の一途を辿り、その上、人生100年時代という少子高齢化が原因での人口激減による後継者不足(跡継消失)と消費者減少による国内消費の縮小で消滅の危機にある。
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 国際競争力のない中小・零細農家による日本人農業は、人口爆発による、生産者の増加で大量生産という貪欲な経済成長と消費者の増加で大量消費という強欲な内需拡大で支えられていた。それは、人生60年時代という若々しい社会であった。
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 日本の家畜である牛、鶏、豚などは、例えれば、国際的歴史問題となっている従軍慰安婦や徴用工の様な地獄の境遇で、殺される為に飼育されている。
 それは、現代日本人の偽らざる本性であって昔の日本人=日本民族では考えられない本性であった。
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 日本畜産業の国内外での競争力は、家畜を地獄のような環境下で虐待する事で高められ、家畜に優しい方法で飼育すると競争力は低下して安い外国産に駆逐される。
 日本人生産者は、日本人消費者の「安く、多く、上手い」という半強制的要望に従って生産しなければ生きていけない。
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 中国は、日本から奪った最優良種の「黒毛和牛の遺伝子」を使って中国産黒毛牛を生産し、高価な黒毛和牛と同じ肉質で美味しい牛肉を安価で売りだしている。
 中国共産党による日本浸透は静かに進んでいる。
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 海外から輸送船で長時間掛けて輸入さる食材は、人間には有害な猛毒な殺菌薬と強力な防腐剤に汚染されている。
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 日本は生きる為に必要な食糧・物資・エネルギー(石油・ウラン)を、輸出産業で稼いだ米ドル貨を使ってアメリカの国内、同盟国・友好国、軍事支配地から安心して必要な数量を購入し、アメリカ軍が守る安全な地上・海上・空域を使って保護されながら安定して輸入している。
 日本の安全・安心・安定は、アメリカの経済と軍事に依存している。
 中国共産党は、日本の安全・安心・安定ではなく脅威である。
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 現代日本には、安全神話などどこにもなく、危険が至る所に存在している。
 大人やメディア・報道機関は、子供達に平気で嘘を教えている。
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 日本は、科学的根拠のない各種安全神話に毒されている。
 現代日本人は、寿命を延ばしているが心身共に不健康である。
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 日本の賢い消費者は、国産食材安全神話を信用して外国産食材(特に中国産食材)を敬遠し、少しでも安い国産食材を購入して食べている。
 消費者にとって大事なのは、安い国産食材であって、その食材がどうやって生産されているかなど気にはしない。
 毒性の強い農薬が使われようと、化学的問題のある肥料が使われようと、牛・鶏・豚などの家畜が虐待されながら飼育されようと、食べて上手ければ気にはしない。
 何故なら、そんな事を一々気にしたら食べられる物がなくなるからである。
 唯でさえ、日本の食糧自給率は低く、貪欲にして飽食の日本人の胃袋を満足させ、食欲を充たす為には、「背に腹はかえられない」のである。
 つまり、餓死したくなければ「毒を食らわば皿まで」である。
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 日本の国土による食糧自給率は、腹八分なら最大でも7,000万人前後で、理想的には5,000万人前後である。
 それ故に、日本は食糧輸入大国で、海外で食糧を買うには外貨の米ドルが必要で、日本円・円貨では購入できない。
 外貨の米ドルを手に入れるには、内需としての経済成長と国際競争力のある輸出産業が必要であった。
 それを破壊するのが、人生100年時代の少子高齢化による人口激減である。
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 現代日本人は、動物好きで大事にし、自然を大切にする、はウソである。
 事実は、許し難い動物虐待であり、救い難い自然破壊である。
 現代の日本人は、動物や自然を犠牲にして生きている。
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💫4}─2・C─シーラカンスは3億8,000万年前の古生代デボン紀から生きたいる。〜No.28No.29No.30 

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 沼津港深海水族館 シーラカンスミュージアム
 3億5000万年前と変わらぬ姿で泳いでいる。
 生きた化石シーラカンス」は、1938年、南アフリカで発見されました。それも、3億5000万年前と変わらぬ姿のまま!とうの昔にすべて絶滅したと考えられていたため、学会および世界は騒然となりました。現在ではこれまでにアフリカ(南アフリカコモロ諸島タンザニア)とインドネシアで見つかっています。日本ではまだ見つかっていませんが、深海の海洋環境は世界中で近しい環境にあるため、「日本にはいない」と断定するほうが難しい、とも言われています。もしかしたら、駿河湾の深い海を悠然と泳いでいるかもしれません。
 シーラカンスの学名の由来。
 学名を「ラティメリア・カルムナエ(Latimeria chalumnae)」といいます。実はこれ、幻の化石魚を発見した人と場所に由来しています。ラティメリアはラティマー女史の名前から、カルムナエは、トロール船の船長グーセンシーラカンスを捕らえたポイントのカルムナ川から名付けられました。この学名の命名者は、ラティマー女史が手紙でシーラカンスについて相談したスミス博士です。
 幸せを呼ぶ魚と呼ばれている。
 コモロの人々はシーラカンスを「ゴンベッサ」と呼んでいます。ゴンベッサとは「食えない魚」、「使えない魚」という意味だったのですが、シーラカンスを釣り上げると、高く買ってもらえるということから「幸せを呼ぶ魚」という意味で使われるようになりました。
 なぜ生き残れたのか?
 シーラカンスの仲間は26に分類されています。このうち、現在も生きた状態で確認されているのは、深海に潜むラティメリアのみ。川などに住んでいたとされる他のシーラカンスはすべて絶滅しており、化石でのみ見つかっています。では、深海にとどまったシーラカンスは、どうして生き残れたのでしょうか。一説によると、3億5千万年の間、ほぼ変わることのなかった「深海の環境」によるものだと考えられています。深海生物に「生きた化石」と呼ばれる生物が多いのも、同様の理由でしょう。安定した環境下で、特異な進化が必要なかったと思われる「ラティメリア」に注目することで、シーラカンスはもとより、深海生物の謎に迫ってまいります。
 特技は、逆立ち。
 水深40メートルから600メートル以深の深海魚までの幅広いエリアで魚やイカなどを食べています。食生活は漂いながら近寄るものをくわえて食べるタイプです。しばしば「逆立ち」をして海底にうごめく動物たちを食べるようです。展示されているシーラカンスの胃からは、サバの仲間やイカが出てきました。
 背骨がない、不思議な魚。
 まるで歩くように泳ぐ、シーラカンス。陸地を歩くことができそうな、立派な胸ビレと腹ビレをもっています。このヒレには、ほかの魚では見ることのできない大きな骨と関節があるのが特徴です。そのため、魚類から両生類へ変化する過程のままの姿・特徴を継続しているのではないか?と言われています。また、背骨がないことも大きな特徴となっています。固い背骨の代わりに脊柱(ギリシャ語でシーラカンス)と呼ばれるホース状の管が頭から尾鰭までつながっていて、その中は油のような液体で満たされています。
 ワシントン条約シーラカンス
 シーラカンスミュージアムに展示されているのは、1981年、日本シーラカンス学術調査隊が現地と協力して捕獲した個体になります。5体あり、そのうち2体は冷凍個体で、世界でも類を見ない希少なシーラカンスとなっています。
また、シーラカンスは、「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約ワシントン条約)」の第I類に指定されています。通常、シーラカンスを商業ベースで展示することは許されていません。しかし私たちが保有する個体は、正式に展示が許された珍しい個体となっています。
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 ウィキペディア
 シーラカンス(学名:Coelacanthiformes)は、シーラカンス目(Coelacanthiformes)に属する魚類。化石種も現生種も含めた総称である。管椎目(かんついもく)とも呼ばれる。
 歴史
 シーラカンス目は多くの化石種によって存在が知られており、古生代デボン紀[注釈 1]に出現して広く世界の水域に栄えたが、約6500万年前(中生代白亜紀末)の大量絶滅(K-Pg境界)を境にほとんど全ての種が絶滅した。
 長らくシーラカンス目は全て絶滅したものと考えられていたが、南アフリカの北東海岸のチャルムナ川(英語版)沖にて1938年、現生種の存在が確認され、学界および世界を騒然とさせた。この現生種はシーラカンスの代名詞的存在となっているが、生物学上の名称は ラティメリア・カルムナエ (Latimeria chalumnae) である。
 その後、1952年にはインド洋コモロ諸島で同じくカルムナエ種が、1997年にはインドネシアスラウェシ島近海で別種のラティメリア・メナドエンシス (Latimeria menadoensis) の現生が確認されている。後者は日本語では生息地域の名を採って「インドネシアシーラカンス」とも呼ばれるようになる。
 シーラカンス目は、白亜紀を最後に化石が途絶え、1938年に至るまで現生種が確認されなかったこと、化石種と現生種の間で形態的な差異がほとんど見られないことなどから、これら2種は「生きている化石」との評価を受けた。
 形態・生態
 古生代中生代シーラカンス目は、かつては世界中の淡水域や浅い海に広く分布していたと考えられる。体形・体長もさまざまなものが知られ、現生のラティメリア属に近い体形のものから、タイのように体高が高く扁平な体型をした種やアンコウのような丸い形のもいた。また、淡水-汽水域に生息したMawsonia などには推定される全長が6.3mにも達する巨大な種も知られている。現生のシーラカンス2種はいずれも深海に生息し、魚やイカを捕食していると考えられている。
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 OPRI海洋政策研究所
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 深海のシーラカンス―進化とその謎
 [KEYWORDS]シーラカンス生きた化石/大陸棚斜面
 国立科学博物館名誉研究員◆上野輝彌
 "生きた化石"の代表的存在として認められてきたシーラカンス
 シーラカンスは魚類というより、むしろ四肢動物の両生類に構造が似ており、そのユニークな基本構造は古生代デボン紀の約3.8億年前から保持されている。
 その生態や進化については謎が多く、これから時間をかけて研究する必要があると考える。
 生きた化石シーラカンス
 はるか昔、3.8億年ほど前の古生代デボン紀シーラカンスが地球上に現れていたことは、地質学的に、古生物学的に疑えぬ事実として記録されている。その後現在に至るまで体の基本的な構造をあまり変えないまま生き延びているという意味で、シーラカンスは"生きた化石"の代表的存在として認められてきた。古生代から中生代の終わりまで地球上のいろいろな場所、いろいろな時代の地層からシーラカンスの化石が発見されてきたが、中生代の終わりから以後、その化石が発見されなくなる。したがって長い間、シーラカンスは恐竜やアンモナイトと共に6.5千万年前までに絶滅して地球上から消え去ったと考えられてきた。
 ところが1938年12月22日、生きたシーラカンスの個体がトロール船によって南アフリカのカルムナ川の河口の町イーストロンドンの港に水揚げされ、大騒ぎになった。J.L.B.Smith博士は、発見者ラティマー女史と河の名にちなんでLatimeria chalumnaeという学名をつけて学界に発表し、大騒ぎになったが、その後コモロ諸島(当時はフランス領)で丸木舟に乗った漁師たちにより一年に数尾ずつ釣り上げられていることが判明し、科学者たちの研究が行われるようになった。
 シーラカンスはどこに棲んでいるか
 タンザニア沖で撮影されたシーラカンス。(写真:アクアマリンふくしま
 最近になってシーラカンスインドネシアスラウェシ島でも発見、捕獲された。これに対しフランスの研究者らが、主として分子生物学的なデータに基づきアフリカ沿岸のものとは別種であるとして、別の学名Latimeria menadoensisを付けて発表した。すなわち現存する生きたシーラカンスは世界に2種類と認められたのである。また比較的最近になって南アフリカのインド洋に面する海底渓谷で、ダイバーにより数個体のシーラカンスが目撃され撮影された。この数年、タンザニア沖で多数の個体が捕獲され、東京工業大学大学院生命理工学研究科の岡田典弘教授のもとに大小数個体と卵、ならびに十個体ほどの胎児が共同研究のため送られてきた※1。
 これらのシーラカンスはいずれも水深200m前後の大陸棚斜面において海中洞窟などで生活し、水深50mから600m前後までかなりの上下移動をすることが判明している。
いわき市小名浜にある水族館「アクアマリンふくしま」では館長安部義孝氏を中心に、2000年の開館以来数回にわたってシーラカンスに関する国際シンポジウムを主催し、シーラカンスの生態や進化について共同研究をおこなってきた※2。特筆すべきは"グリーンアイプロジェクト"と称し、海中で太陽光線がとどく限界付近で生活するグリーンアイを持つメヒカリ(アオメエソ類)やシーラカンスなどの魚類の生態の研究を目指し、長期計画で活動を行い、大きな成功をおさめ注目されている。ここに紹介するシーラカンスの生態写真は、そのプロジェクトで、岩田雅光氏らがタンザニアのタンガ海域において、自走式水中カメラと
 高深度潜水技術を用いて撮影に成功したものである。調査は全長10mほどの小型ボートの船上で行われた(岩田、2008)。シーラカンスのほかにも、小名浜漁港で水産上重要種であるメヒカリ(=マルアオメエソ)の生態写真の撮影にも成功し、世界で初めての水槽内長期飼育に成功している。
 シーラカンスのユニークな特徴
シーラカンス形態図
 「シーラカンスはるかなる古生代の証人」上野輝彌、
 1992、講談社現代新書 一部改変して転載
 シーラカンスのなかまは、魚類の中で最も四肢動物の両生類に構造が似ている。特に胸鰭と腹鰭は一列の骨とそれらを取り巻く筋肉で支持されて、オオサンショウウオなどの前足と後ろ足の原始的な形を思わせる。このような構造はオーストラリアハイギョの胸鰭と腹鰭とも類似しており、肉鰭類(にくきるい)と呼ばれる所以である。尾部前方にあり背腹に対峙している第二背鰭としり鰭も肉鰭で、これらを左右同じ側に交互に倒し推進する。フグ類、特にマンボウの泳ぎ方に似ているが系統進化学的には遠い関係にある。
 シーラカンスは頭骨が前半と後半に分かれ関節しており、下あごを下げて口を開くと同時に頭の前部を上に持ち上げられると考えられる。シーラカンスは脳も心臓もきわめて小さく、行動は緩慢であるが普通は岩陰などに体を漂わせ、口の近くに来た魚や無脊椎動物などをすばやく口を開けて吸い入れる。筆者が解剖した4体の胃の中にはかなり大きいナンヨウキンメ(標準体長34.5cm)、リュウキュウホラアナゴ(全長49cm)、ナヌカザメ(全長48cm)などが丸のまま飲み込まれており、軟体動物の口器、海草の切れ端などと共に発見された(Uyeno、1991)。腸は軟骨魚類のようないわゆる螺旋腸である。
 脊柱には脊椎骨がなく中空の管になっており、中には体液が入っている。この脊柱の背側に神経棘、腹側後方には血管棘が付いている。浮き袋(鰾)は太く長いが、気体でなく脂肪が充満している。海中における数百mの上下移動は気体であると水圧の変化に耐えられない。
 これらの基本構造は、古生代デボン紀の約3.8億年前から保持されていることが化石資料から明らかになっている。シーラカンスが"生きた化石"と称される所以である。シーラカンスは胎生で、アガラス海流にのってモザンビーク海峡を南下する大きな雌には、26尾の30~40cmの胎児が入っていたとの記録がある。卵は大きく、ピンポンないしゴルフボールぐらいの大きさで、タンザニア沖で捕獲された雌の個体からは30個の卵が採集されている。
 シーラカンスの研究と保護
 シーラカンス古生代に現れ、中生代には世界中の海や湖に広く生息し、全長10cmのものから4m近い化石(モロッコ)が発掘されている。現生種は2m近いものがいる。アジアでは中国から保存のよい化石がでているが、日本列島からは可能性はあるものもまだ発見されていない。多産するので有名なのはマダガスカル三畳紀)やブラジル(白亜紀)であり標本商から購入することもできる。
 前述のごとく比較的最近になってインド洋のタンザニア沖から二十個体以上のシーラカンスが捕獲されており、東京工業大学の岡田典弘教授の研究室において解剖ならびに分子生物学的研究、ミトコンドリアゲノム解析がおこなわれた。アクアマリンふくしま生態学的撮影に成功し、かなりの謎が解けてきた感がある。しかし解剖学的情報でさえ不完全で、まだまだ研究を続ける必要があることも明らかになってきた。かつてはシーラカンスの生存数は500個体程度と推測されたが、南アフリカタンザニアインドネシア海域に多くの個体群がいる可能性も示唆されている。ワシントン条約第1表に掲載され、厚く保護されているシーラカンスであるが、今世紀中には大水槽のなかで泳ぎ、成長する姿を観察できる日が来るのではないかと想像したくなるのは筆者だけではあるまい。(了)
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💫4}─2・B─カブトガニの祖先はオルドビス紀の4億8000万年前。〜No.28No.29No.30 

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 2014 年講義ノートシリーズ 3
オルドビス紀:485-443Ma (Ma: 百万年前)
 l 温暖な気候.
 l 最古の魚類の誕生はカンブリア紀(ミロクンミンギア)
 l 明らかな魚類化石はオルドビス紀から
 l 無顎魚類(口の構造に注目)の発達
 l 魚類の祖先=脊椎動物の祖先=我々の祖先は?
  Ø ホヤ説:幼形成熟ネオテニー)によりホヤの遊泳性の幼生が魚類に進化したと
されてきた.
  Ø ナメクジウオ説:ゲノム解析により支持される
 l ホヤの仲間の幼形進化(ネオテニー):ホヤの遊泳性の幼生が進化
 l ウミユリ,直角貝(オウム貝の仲間,アンモナイトの祖先:オウムガイは生きた化石),
  三葉虫カブトガニ
 l 筆石,珊瑚等の進化.
 l 末期の大絶滅(5大生物絶滅のひとつ)
  Ø 2 段階絶滅
  ² 1 度目:深海域等で酸素が乏しい海域の消失
  ² 2 度目:新たな無酸素水塊の急拡大(一度いなくなってしまった適応者)
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 朝日新聞デジタル>記事
 「生きている化石」カブトガニ 人類救う不思議な生き物
 2018年6月28日 13時10分
 【360度動画】カブトガニ
 @笠岡市カブトガニ博物館=2018年5月14日、竹谷俊之撮影。右上の「FULL」ボタンをクリックすると全画面でお楽しみいただけます。(端末によっては正しく表示されない場合があります。推奨ブラウザは Google Chrome
 カブトガニの腹部はまるでエイリアン。中央は口=竹谷俊之撮影
 360度いきもの目線
 「ようこそ笠岡へ カブトガニの街へ」
 岡山県にあるJR笠岡駅前ロータリーに降り立つと、こんな巨大な看板が迎えてくれる。笠岡市にある干潟はカブトガニの繁殖地、国の天然記念物に指定されている。海辺にある「市立カブトガニ博物館」は、建物自体がカブトガニの形だ。
 他の「いきものたち」の動画はこちら
 NewsVR
 カブトガニといえば、ツルツルしたおわん型の体に、カニのようにもクモのようにも見える脚。長い尾を引きずって歩くこの不思議な生き物を、さてどうやって撮影しよう。
 博物館の水槽は、深さ1メートル。水底に360度カメラを設置しようと、プラスチック製のマジックハンドを持って訪れたが、カメラがすべって四苦八苦。希少生物の水槽に潜るわけにもいかないし……。
 困り果てていると、学芸員の東川洸二郎さんが、手持ちの木材で「巨大な洗濯ばさみ」を作ってくれた。なんとか撮影開始できそうだ。今回は、この不思議な生物の専門家に、詳しく話を聞いてみることにした。
 東川さん、カブトガニって食べたらどんな味がしますか?(竹谷俊之)
     ◇
 カブトガニに会いに来ませんか――カブトガニ博物館学芸員・東川洸二郎
 ヘルメットのような頭に、トゲだらけの体。スラリと伸びた丈夫なしっぽ。カブトガニは、約2億年前から姿を変えていない「生きている化石」です。ここは、カブトガニをテーマにした世界で唯一の博物館。岡山県の西部、広島県と接する笠岡市にあります。
 丸くてかわいい、おとなしい生き物ですが、サイズは意外と大きめです。初めて見た人は、よく「でかッ!」と言います。メスは60センチで3キロ。オスは50センチで1・5キロほどにもなります。
 カブトガニっておいしいの?
 来館者からの質問の中でも、特に多いのがこの質問。「カブトガニってカニの仲間だから、おいしいんですよね?」
 答えはノー。
 そもそも、カニの仲間ではありません。「節足動物」という昆虫やエビ、カニなどが入るグループの中で、分類すると、クモやサソリの仲間に近い生き物です。
 海にすむ大きなクモ……。中国などで食用にされている部分はメスの卵です。味を想像してみてください。私は残念ながら食べたことがありませんが、聞いた話では独特の臭みとグニョグニョとした食感で日本人の舌には合わないようです。
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 【動画】カブトガニの撮影現場の様子=2018年5月14日、竹谷俊之撮影
 もし、日本人にとってカブトガニがおいしければ、今頃日本のカブトガニは絶滅していたかもしれませんね。
 「カブトガニは何を食べるの?」とも、よく聞かれます。何だと思いますか。
 実はカブトガニは、夏に生まれてから翌年の春までの間、何も食べません。この時期は体長はほんの6mmほど。暖かくなった頃、1回脱皮をして一回り大きくなり、尾剣(びけん:しっぽのこと)がちょこんと生えてくると、ようやくエサを食べるようになります。
 最初のうちは、主に微生物。大きくなるにつれて、泥の中にすむゴカイなどを食べるようになります。
 飼育しているとわかりますが、実は何でもよく食べる生き物で、アサリやイカ、エビ、魚の切り身など、海にいる生き物ならモリモリ食べてくれます。
 グルメなカブトガニもいます。奮発して買ったキンメダイを与えても、食べない個体がいます。安物のオキアミが好きな個体もいて、個性もいろいろ。みんなが共通して好きなエサはゴカイ、これは食いつき方が違います。
 体が大きくなる分、力も強く、今回の撮影では、苦労して設置したカメラをひっくり返したり、砂をかけて埋めたりと、なかなか思い通りにはいきませんでした。
 「青い血」が人間を救う?
 カブトガニは医学の分野で、我々人間の命を救ってくれています。
 「カブトガニの血は青色」という話を聞いたことはありますか? 実は、これはちょっと不正確です。カブトガニの血液は、元々は透明がかった乳白色。時間が経つと酸化して青くなります。
 この血液は、わずかなグラム陰性菌(細菌)でもゲル状に固める性質を持っているため、注射剤や透析液などに「菌がいるかいないかを確認する検査」に利用されています。従来は2日ほどかかっていた検査が、カブトガニの血液を利用することで1時間もかからずに済むようになりました。急に薬が必要になった場合でも、短時間で検査できるようになったということです。
 自然界での産卵も
 現在、我々が調査する笠岡市の干潟では自然のカブトガニを見ることができます。しかし、干拓や環境汚染などにより、一時は絶滅寸前にまで追いやられました。この博物館の前身であるカブトガニ保護センターが1975年に建てられ、保護と繁殖に尽力し、現在も当館が継続しています。自然での産卵も約10年前から確認できるようになり、ようやく笠岡でカブトガニが生活できる環境が整いつつあります。
 私たちはこれからも、カブトガニを含めた様々な生物たちと人間が共存できる環境を守っていきます。当館においでくださる機会があれば、豊かな海があるからカブトガニもいるということを思い出してもらえると幸いです。
 笠岡市カブトガニ博物館HP:https://www.city.kasaoka.okayama.jp/site/kabutogani/別ウインドウで開きます
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 ウィキペディア
 カブトガニ(甲蟹、兜蟹、鱟、鱟魚)は、鋏角亜門のカブトガニ目に属する節足動物の総称、またはそのうちのカブトガニカブトガニ属に分類される一種 Tachypleus tridentatus の和名である。本項目は主に後者について扱う。
 お椀のような体にとげのような尻尾を持つ。『訓蒙図彙』『大和本草』『和漢三才図会』は「ウンキウ」という呼び名も記している。
 概説
 カブトガニは背面全体が広く背甲で覆われ、脚などの付属肢はすべてその下に隠れている。名前はこの背甲に由来し、またその姿の類似からドンガメ、マンゴエイなどの地方名もある。
 日本では古くは瀬戸内海に多かった。取り立ててなんの役にも立たず、図体がでかく漁では網を破るなど嫌われたようである。しかし、カブトガニ古生代の仲間の風貌を色濃く残した「生きている化石」であり、学術的な面から貴重であるとして天然記念物の指定を受けた場所もある。近年[いつ?]では環境汚染や埋め立てによって各地でその数を激減させている。
 本種およびカブトガニ類は「カニ」と名づけられてはいるが、クモやサソリなどが含まれる鋏角類に分類されており、同じく節足動物だが、甲殻類であるカニとは系統的に関与しない。
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 アメリカブトガニ(学名:Limulus polyphemus)は、カブトガニ科に属する海生節足動物。メキシコ湾を含む北西大西洋沿岸に分布する。ヨーロッパでも迷入個体が発見されている。
 分類
 デラウェア湾の浜辺で。付着生物(Crepidula 属の巻貝)が確認できる。
 米国では horsefoot ・ saucepan などとも呼ばれる。"helmet crab" と呼ばれる場合もあるが、これは本来クリガニを意味する。"king crab" という名も本来はタラバガニ科の総称である。
 Limulus は「少し横目の」という意味であり、種小名polyphemusはギリシア神話のキュクロープスの一人であるポリュペーモスに由来する。これは、かつて本種の眼は1つしかないと考えられていたためである。
 化石記録
 生きている化石と呼ばれ、4億4500万年前の地層から近縁種が見つかっている。三畳紀(2億3000万年前)からはほぼ同じ形態の化石が出土する。本種自体の化石記録はないが、アメリカブトガニ属 (Limulus) は2000万年前から記録がある。
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 カブトガニ類、または剣尾類(Xiphosuran、horseshoe crab)は、鋏角亜門のカブトガニ目(剣尾目、Xiphosura)に属する節足動物の総称である。一般にカブトガニ(兜蟹、鱟)と総称されるが、この呼称は本群の1種 Tachypleus tridentatus を指す和名でもある。鋏角類に分類されており、すなわち名前に反してカニなどの甲殻類ではない。
 現生のカブトガニ類は4種のみ知られるが、化石種まで範囲を広げると80種以上をも含んだ大きなグループである。カブトガニ類はオルドビス紀で既に出現し、正式に記載されるものはおよそ4億4500万年前(ヒルナント期)、命名がなされていない化石まで範囲を広げるとおよそ4億8000万年前(トレマドッグ期)まで遡れる。現生のカブトガニ類はいくつかの化石種に似通った姿を持ち、いわゆる「生きている化石」の代表的な生物として知られている。
 カブトガニ類の分類の内部構成については、従来通りハラフシカブトガニ類(Synziphosurina)を含んだ「広義のカブトガニ類(Xiphosura sensu lato)」と、2013年で再定義され、それを除いた「狭義のカブトガニ類(Xiphosura sensu stricto)」がある。本項目では主に前者について扱う。
 なお、カブトガニ類と大まかな姿が似通った生きている化石として知られ、しばしばカブトガニ類と混同されるカブトエビ甲殻類であり、鋏角類であるカブトガニ類とは別物である。
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 オルドビス紀(Ordovician period)とは地質時代古生代前期における区分で、約4億8830万年前から約4億4370万年前までを指す。オルドビスの名前は、模式地であるウェールズ地方に住んでいた古代ケルト系部族「オルドウィケス族」(Ordovices) からついた。奥陶紀(おうとうき)ともいう。
 オルドビス紀は、生物の多様化がカンブリア紀並に進んだ時代である。オウムガイに代表される軟体動物や三葉虫のような節足動物、筆石のような半索動物が栄えた。また、オルドビス紀後期には顎を持つ魚類が登場した。

 オルドビス紀末には大量絶滅が起こった。
 オルドビス紀末の大量絶滅
 「O-S境界」を参照
 オルドビス紀は、顕生代の5大量絶滅事変の1つに数えられる大量絶滅により、その終焉を迎えた。このオルドビス紀末の絶滅事変は、絶滅した属の割合で見ればペルム紀末の大量絶滅に次ぐ大規模なものである。海生多細胞生物の科の22%、属の49%が絶滅し、腕足類、コケムシ類も大打撃を受けた。大量絶滅の原因ははっきりしていない。この時期、大陸は南極域にあり、短い期間であるが大陸氷河が発達した。絶滅は、氷床の発達に伴う海水準の低下時及び氷河の消滅に伴う海水準の上昇時の2回確認されている。
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 西条市カブトガニ カブトガニの分類
 カブトガニの分類
 クモに近いカブトガニ
 カブトガニは、動物の分類上、節足動物の仲間に入ります。節足動物は、エビ・カニなどの甲殻類、クモ・サソリ・ダニなどのクモ類、チョウ・トンボなどの昆虫類、ムカデ・ヤスデなどの多足類などに分けられています。
 カブトガニカニの名がついていますが、甲殻類ではなく、クモの仲間に一番近く、尾剣を持つ仲間という意味の「剣尾類」と呼ばれています。剣尾類という仲間分けがされたのは、それほど古いことではなく、それ以前は、三葉虫そのものであるとか、甲殻類、またクモ類であるとか、いろいろにいわれてきました。現在は、剣尾類の中のカブトガニ科となっています。
 カブトガニがクモの仲間に近いというのは、次の点からいわれます。
1,頭に触角がない
2,頭胸部には六対の胸肢がある。
3,胸肢の第一対は鋏角(はさみ状)になっている。
4,呼吸は鰓書(えら)でする。これは、クモの呼吸器・肺書とよく似ている。
5,動物の類縁関係を知る手がかりとされる血清は、クモ類に一番よく似ている。
 世界のカブトガニ
 東南アジアや北アメリカを中心に、4種のカブトガニのなかまが分布しています。
属種    名称          生息地
リムルス属 アメリカブトガニ(リムルス・ポリヘムス) 北アメリカの東海岸のメイン・デラウェア・ユカタンに至る沿岸。

タキプレウス属 カブトガニ(タキプレウス・トリデンターツス)日本・台湾・東シナ海沿岸・ボルネオ
        ミナミカブトガニ(タキプレウス・ギガス) マレーシア・シンガポール・シャム湾
        マルオカブトガニ(タキプレウス・ロツンディカウダー) ベンガル湾・フィリピン・ペナン・シャム湾・シンガポール

 カブトガニのなかまの世界分布図
 カブトガニの化石は、ロシア・イギリス・ドイツ・フランスなど、ヨーロッパでたくさん発見されており、また、アメリカからも出土しています。現在、カブトガニは、アジア大陸の東側と、アメリカ大陸の東海岸にしか生息していませんが、これらの地域では化石は出ていません。
 化石の時代の分布から、なぜ、現在のような地域に分布するようになったのかは、たいへん興味深い問題で、今後の研究が必要です。大陸移動に伴うものではないかという見方も有力です。
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