📉25】─2・F─東大から霞が関のエリートコースは過去に、東大生の官僚離れ進む。〜No.53 

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 現代日本では、将来の日本を案じて天下国家を論じ、未来のあるべき姿を目指して人の為、世の為、国の為に行動するのは愚か者とされている。
 戦後民主主義教育を受けた現代の日本人は、戦前の日本人、昔の日本民族とは違う人間である。
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 2024年10月12日 YAHOO!JAPANニュース AERA dot.「「東大から霞が関のエリートコース」は過去に 東大生の官僚離れ進む
 東京大学安田講堂(photo 写真映像部・松永卓也)
 東大生の就職先といえば、中央官庁や大企業というイメージが強い。だが、終身雇用や年功序列といった日本型雇用が転換を迫られる中、東大生に人気の就職先も様変わりしつつある。東大生はどこへ行くのか。AERA10月15日発売号(10月21日号)で深堀りします。
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■典型的なエリートコースに異変
 東京大学から霞が関へ。これが典型的なエリートコースだったのは過去のこと。そんな現実が近づきつつある。
 人事院によると、2024年度春に実施した、キャリア官僚採用の前提となる国家公務員試験(総合職)の合格者1953人のうち東大出身は189人。12年度に現在の試験制度となって以降、過去最少だった。14年度春の試験に合格した東大出身者438人から10年で半分以下まで落ち込んでいる。東大生はなぜ官僚を目指さなくなったのか。
 「学歴よりも社会に出てからの実力が重要だという認識が広がるほど、中央官庁は就職先として選ばれにくくなります」
 こう話すのは元労働省(現厚生労働省)キャリアで神戸学院大学教授の中野雅至さん(60)だ。
 東大生の官僚離れが顕在化したこの10年。「先行き不透明な時代」と言われ、東大生に限らずコスパやタイパを重視する若い世代が台頭した。彼らが優先するのは「どの組織に属するか」よりも「どういうスキルを得られるか」だ。
 「東大を出たという学歴だけで通用するほど甘くない時代だと分かっている東大生は、実力勝負の社会で生き抜くため、より短期間で自分が望むスキルを身に付けられるポジション=就職先を選び取ろうとします」(中野さん)
■「ブラック霞が関」から外資コンサルへ
 東大を出たのは社会のメインストリームにつながる一つの土台にすぎない。より大事なのは長いキャリア人生で優位に立ち続けられるスキルをいかに効率よく身に付けるか。そう考えると、さまざまな点で効率の悪い中央官庁は敬遠される、というのだ。実際、キャリア官僚は通常2年で異動し、さまざまな部署や地方での勤務経験が必須。こうした組織では短期間で専門的なスキルは身に付きにくい。
 この対極にあるのが近年、東大生に人気の外資系コンサルだ。あえてベンチャー企業に就職する東大生も含め、多くは数年の在籍期間中に自分が思い描いた「成果」を獲得し、次のステップに移っていく。中野さんはこのトレンドを、東大生にジョブ型志向が増えていることの表れだと指摘する。
 「コンサルやベンチャーに身を置くのは、『経営』のプロになることを念頭に置いたジョブ型志向の典型です。このように自分のキャリアの先を読めるタイプは東大の中で最も優秀な層だと思います」
 東大生の官僚離れの要因は他にもある。「ブラック霞が関」と言われる旧態依然とした働き方や人事評価制度も挙げられる。中野さんは言う。
 「キャリア官僚を最も多く輩出してきた東大の学生は、官僚の働き方やマインドに関する機微な情報をOBやOGを通じて最も得やすい立ち位置にいます。そんな東大生の官僚離れが顕著なのは必然といえます」
 記憶に新しいのは、コロナ禍で浮き彫りになった内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室(コロナ室)職員の残業問題。緊急事態宣言が出された21年1月のコロナ室の平均の残業時間は「過労死ライン」の月80時間を大幅に超える約122時間。最も長く残業した職員は約378時間だった。
■「官僚たちの夏」に重なるシーンも
 ただ、問題の本質は労働時間の長さだけにあるのではない。官僚の使命感を支える「やりがい」が霞が関から失われかねない状況にあるという。
 1990年に入省した中野さんは、キャリア官僚に求められる能力が大きく変わる渦中に身を置いてきた。当時はキャリア官僚といえば東大出身が当たり前。同志社大学出身の中野さんは異端視された。だが、学歴や年次が絶対的な基準としてまかり通る官僚文化になじめなかった中野さんにも、「面白い」と感じられる霞が関独特の風土があった。
 「さまざまな勉強会の場があって、若手も自分の意見を自由に発言できる談論風発ともいえる雰囲気がありました」
 高度経済成長期の霞が関は、官僚が政策を立案し、政治家をリードする「官僚主導」が主流。1975年出版の『官僚たちの夏』で城山三郎が描いた熱き官僚たちの姿と重なるシーンが、中野さんの入省時には残照のようにあちこちで見られたという。
■90年代半ばから始まった行政改革が転機に
 転機は90年代半ばから始まった行政改革。経済の行き詰まりや、政官業のもたれ合いに批判が高まると、政治家が省庁再編など官僚主導の見直しに着手する。2009年に鳩山政権が「事務次官会議」を廃止。14年には安倍政権が中央省庁の幹部人事を一元管理する内閣人事局を設置し、「政治主導」が確立された。その結果、大きく変化したのが中堅以上のキャリア官僚の人事評価だ。
 「官邸主導の人事で重要なのは有力政治家との相性です。人物本位で評価されると、事務処理能力が高いからといって順当な昇進が保証される世界ではなくなりました」(中野さん)
 政策の企画立案の主導権が政治家に移る中、官僚が国を動かす時代は終わりを告げる。一方で、政治家の国会答弁の作成や国会対応の根回しといった「下請け仕事」はどんどん増えた。これこそが東大生の官僚離れを招いた主因だと中野さんは考えている。
 「官邸に登用されて国家の中枢で実権を握ったり、有力政治家と懇意になり政治家を目指したりする権力志向の官僚以外は、モチベーションを維持するのが難しくなりました」
 中野さんもその一人だ。厚労省の課長補佐だった04年に官僚を辞めた最大の理由は「自由にものが言えない」と感じたからだという。
 「私にとっては政策の企画立案が官僚の仕事の一番のやりがいでした。しかし、民主主義においては選挙で選ばれた政治家が一番偉いのだから、政治家の言うことをそのまま聞くのが官僚の務めだと言われるようになり、それは耐えがたいと感じました」
 中野さんは、自分の主張を個人の立場で社会に発信できる職業は何かと考え、学者の道に転身したという。
 東大出身のキャリア官僚が減ることで、どんな変化が生じるのか。「もはやキャリア官僚はエリートではない」という意識が社会に定着していく、と中野さんは見る。
 「キャリア官僚がエリートと見なされてきたのは東大生が多かったからです。その前提が崩れれば、官僚のエリート神話も崩壊するでしょう」
 とはいえ、東大卒のキャリア官僚が減ること自体は問題ではない、と中野さんは言う。東大生であろうとなかろうと、国家公務員試験の難易度と一定の競争率が担保されていれば、優秀な人材を確保できるからだ。「ただ」と中野さんはこう続けた。
 「官僚のエリート神話が崩れると、ずば抜けた才能の人材はもう来ないでしょう。その結果、国家公務員試験の競争倍率が下がるようなことがあれば、官僚の仕事の質にもじわりと影響が広がっていくはずです」
◎プロフィール なかの・まさし/1964年、奈良県生まれ。同志社大学文学部英文学科卒業後、故郷の大和郡山市役所職員を経て90年、旧労働省入省(国家公務員1種行政職)。近著に『没落官僚-国家公務員志願者がゼロになる日』(中公新書ラクレ
 (編集部・渡辺 豪)
 *AERA10月21日号から
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