🍘29〗ー1ー日本人はますます貧乏になるしかない…アベノミクスが「失われた30年」を止められなかったワケ~No.89No.90No.91 

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 2022年10月20日 YAHOO!JAPANニュース プレジデントオンライン「日本人はますます貧乏になるしかない…アベノミクスが「失われた30年」を止められなかったワケ
 参議院予算委員会の開会前に言葉を交わす安倍晋三首相(右)と黒田東彦日銀総裁=2013年5月8日、東京・国会内 - 写真=時事通信フォト
 なぜ日本経済は「失われた30年」と呼ばれる状態に陥ったのか。憲政史家の倉山満さんは「安倍政権による『アベノミクス』は当初うまくいっていた。ところがさまざまな圧力に耐えきれず、消費税を8%に引き上げてしまった。これでアベノミクスは腰砕けになってしまった」という――。
 【写真】倉山満氏の著書『沈鬱の平成政治史 なぜ日本人は報われないのか?』(扶桑社新書)
 ※本稿は、倉山満『沈鬱の平成政治史 なぜ日本人は報われないのか? 』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。
アベノミクスを腰砕けにしたのは誰か
 2012年12月26日、野田内閣が総辞職すると、第2次安倍内閣が発足します。安倍は首相就任後の記者会見で「まず強い経済を取り戻す」と掲げました。
 実は、この時点ではまだ看板をようやく掲げただけです。衆院選の大勝と株価の上昇で、安倍を応援するネット世論は熱狂の渦でしたが、参議院がねじれたままなのです。
 ねじれ国会の悪夢が再来すれば、せっかく政権を取り戻しても、何もできません。翌年夏の参院選で勝つためには、景気を回復して支持率を上げる必要がありました。障害は日銀総裁白川方明です。
 何を察知したのか白川は衆院選のわずか2日後、自民党総裁室に安倍を訪ねました。まだ正式には総理に就任する前のタイミングです。そのうえで、安倍内閣発足から最初の日銀政策決定会合となった平成25(2013)年1月22日、「平成26年に10兆円緩和」との決定を行います。
 マスコミは、さも日銀が安倍の意を酌んだかのように書き立てますが、安倍は激怒します。白川は安倍に首を垂れたフリをしながら、「1年間は何もしない」と宣言したからです。緩和目標の数字も、冷え切った日本経済をもう一度成長させるには全く足りません。
 2月5日、安倍は白川の辞表を取り上げます。安倍と首相官邸で会談した後、白川自身が記者会見で辞意を表明しました。4月8日の総裁任期満了を待たず、3月の副総裁任期満了に合わせた前倒しの辞任です。
■黒田・日銀総裁の誕生
 財務省は、後任総裁人事で武藤敏郎元財務事務次官を推しますが、安倍は同じ財務省もリフレ政策に理解のある黒田東彦を総裁に就けることに成功します。
 最初は、平成初頭から長年リフレ政策を説いてきた岩田規久男を総裁に就けたかったのですが、麻生太郎に阻止されました。「組織運営の経験がない人はダメだ」が反対理由です(清水真人『財務省と政治』中公新書、2015年 241頁)。
 黒田は、財務省出身ながら珍しく真っ当な経済学を修めています。というのも、とある著名な経済学者が「羽田に着いた瞬間、アメリカで習ったことを忘れなければいけない」と言っていたほど、日本の経済政策には特異なところがあるのです。
 霞が関のキャリア官僚は、各省庁からの選抜で海外に留学させてもらえる制度があります。財務省エリートは海外の経済学の泰斗に学んで帰ってくるはずなのですが、なぜか日本の経済政策は近代経済学の常識に反し、経済成長を避けるようなことが行われてきました。バブルが弾けても増税、大震災が起きても増税です。
 令和4年現在、三代先の財務事務次官になると言われている首相秘書官の宇波弘貴など、世界一の経済学者と言われているポール・クルーグマン博士の指導を受けています。クルーグマン博士は2010年の週刊誌インタビューで、「13年連続でデフレ不況を続ける中央銀行総裁など銃殺すべき」とまで言った人です。その宇波にして、現在「増税をやってくれなければ困る」というようなことを言っているわけです。
 財務省を退官し、民間に行ってからも増税を絶叫する元財務官僚などザラで、もはや増税を言っていないとOBとしても居心地が悪いようです。ここまでくると、バカなのかスパイなのか、もはやよく分かりません。
■「たすき掛け」人事が慣例
 日銀総裁は、財務省出身者と日銀出身者が交互に就く「たすき掛け」人事が慣例です。
 一方の財務省は「国は借金をしてはならない。歳出は歳入の範囲に収めねばならない。しかし、それができずに財政状況が悪化しているので、不況でもなんでも増税だ」と考える特異な人々の集まりです。
 もう一方の日銀はインフレーションを目の敵にする、これもまた特異な人々の集まりです。日銀総裁任期は5年で財務省出身者と代わりばんこですから、10年に一度だけ誕生する日銀出身の総裁候補はプリンスとして保護される世界です。それ以外の人たちの仕事は、地方の偉い人と酒を飲んで情報を集める(弱みを握る)ことですから、情報の扱いには非常に長けています。
 また、日銀はメガバンクをはじめ地方銀行を含めた国内のすべての銀行の銀行というプライドがあります。普通の銀行のトップは頭取ですが、日銀だけが総裁を名乗っているのです。
 金融資産を運用する銀行の親分であるという意識なので、「金利を上げたい病」「インフレ退治万歳」になるわけです。昭和57(1982)年から順次刊行された『日本銀行百年史』でも、序文にあたるところから、日銀がいかにインフレと戦ってきたかを説いています。
■「日銀は日本の癌だった」
 平成初頭のバブル崩壊以降、日本はデフレ経済に苦しみ続けてきましたが、実はこの間、財務省と日銀の総裁たすき掛け人事の慣例が崩れています。
 平成10(1998)年3月に総裁に就任した速水優から、平成25年3月に白川が辞任するまでの15年間、三代にわたって日銀出身の総裁が続きました。そして、まさにその間に日本はGDPで中国に抜かれたのです。
 こういう連中を「中国のスパイだ」と言うと、真面目な場では怒られてしまうのですが、財務省にしろ、日銀にしろ、本当に中国のスパイかどうかは分からなくても、スパイと同じように他国の利益に適う行動をしていることに変わりはありません。少なくとも白川は、平成21年に上海で開催された中国人民銀行の会議で講演し、バブル経済崩壊後の金融政策について次のように話しています。
 「今回の危機では、急速な景気の落ち込みにもかかわらず、エコノミスト達からは、同様の大胆な政策提案は行われていませんし、そうした急進的な措置も実施されていません。」(中国人民銀行国際決済銀行共催コンファランス(上海)における日本銀行総裁白川方明氏の講演「非伝統的な金融政策 中央銀行の挑戦と学習」2009年8月8日)
 要するに、「金融緩和を阻止しています」との意味です。そのような講演をした張本人が、実際に日本が経済で中国に抜かれる政策をやってきたのですから、これがスパイでなければ相当なバカです。日本経済を復活させようとの看板のもと、安倍が金融に目をつけたのは、実に正しいことだったと言えるでしょう。当時の日銀は、日本の癌でした。
■一時の夢だったアベノミクス
 平成25年3月15日、日銀正副総裁人事が国会で承認され、3月20日黒田東彦が新総裁に就任します。安倍が前総裁の白川方明の辞表を取り上げてからおよそ1カ月、安倍は日銀人事を乗り切りました。
 総裁候補として名前の挙がっていた岩田規久男は、副総裁に就任します。安倍は、あくまでもリフレ派で正副総裁を固めたかったのです。
 もう一人の副総裁には、日銀出身の中曽宏が入ります。ここで日銀出身者を入れようというのは、麻生の意見です。総裁が財務省(大蔵省)出身、副総裁の一人は学者出身だから、もう一人は日銀から入れないと士気が下がるという理屈です。中曽は、今のところは人畜無害な人です。黒田の異次元緩和も支持していましたが、黒田が退任した後、日銀出身者が総裁となった時にどう振る舞うかは分かりません。
 中曽を入れたことは、安倍が日銀人事で勝ちはしたものの勝ちきれなかったということです。かつて高度経済成長を導いた当時の池田勇人首相は、中央銀行を政府から独立させる日銀法改正や、政府の経済政策に反する利上げを初動の段階で叩きのめしたからこそ、日本を経済大国に押し上げることができたのですが。
 岩田の「デフレ脱却の数字的目標をインフレ率で設定し、達成するまで金融緩和をしてお札を市場に流せば、お札は希少品ではなくなり人々が汗水流して働いた結晶である商品の価値が上がるのでデフレは脱却できる」とする理論を中核とするリフレ政策は、「アベノミクス」と呼ばれるようになります。
■「黒田バズーカ」で株価は急上昇
 総裁の黒田はアベノミクスを実行し、4月には従来とは異なる規模の異次元金融緩和を始めます。インフレ目標を2%に定め、達成まで金融緩和を続けると宣言しました。
 安倍が金融政策見直しを掲げた時に上がり始めた株価は、さらに垂直上昇します。株価は景気の先行指標です。黒田日銀による金融緩和は、景気を一気に持ち上げた威力から「黒田バズーカ」と呼ばれました。アベノミクスが本格的に始動します。
 第2次安倍内閣は、デフレ脱却と日米関係強化が当初の柱です。デフレ脱却ではアベノミクスの「大胆な金融緩和」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」という三つの政策を掲げ、日米関係強化としては地球儀外交、TPP交渉参加、安全保障関連法案など、安倍がやりたいことは色々ありました。
 不安だったのは、官僚機構の動きです。民主党政権下で官僚機構のルーティンに異常をきたした全省庁が、その間に止まっていたことを一気に再開しようとします。政策の優先順位では政権の掲げるアベノミクスが最優先なのですが、政官ともに、みんなが自分のやってほしいことを最優先でやりたがる状況になっていきました。
 その間に進んでいたのは、安全保障関係の政策です。平成25(2013)年の年末までに、秋の臨時国会での法案提出も含め手をつけたのは、特定秘密保護法国家安全保障局設置、海賊多発海域における日本船への民間武装警備員常駐などです。
参院選で快勝、整う政権基盤
 アベノミクス関連の重要法案では、国家戦略特別区域法臨時国会で成立しています。臨時国会を閉じた直後の12月17日には、防衛計画大綱を閣議決定し、陸上自衛隊の水陸機動団の編制を決めました。いわゆる「日本版海兵隊」です。
 翌年からアメリ海兵隊との共同訓練が始まります。自衛隊は年間の実弾射撃訓練が他国に比べて極めて少ないことで知られますが、これでほんの少し増えたとか。
 こうした間にも景気はどんどん上を向きます。株価はさらに上昇を続け、失業率が毎月のように改善していきました。6月23日の東京都議選は、自民党が20議席を増やす快勝です。ほんの4年前は自民党というだけで落選したのに、選挙運動もそこそこで勝てるほど超余裕の勝利です。
 安倍は、この勢いで7月21日の参院選でも快勝します。自公連立与党が参議院過半数を押さえました。ここまで勝って初めて、安倍の政権運営の基盤がようやく整います。
 参院選後の8月8日、安倍は前代未聞の内閣法制局長官人事をやってのけました。内閣法制局長官は、戦後、法務・財務・経産・旧内務の4省出身者だけが就けるポストで、法制次長からの昇格が慣例です。安倍は、そこに駐仏大使の小松一郎を据えたのです。集団的自衛権憲法解釈変更に着手するためです。
■景気が良くなれば世論がついてくる
 安倍には、もうひとつ、過去にこじれ続けてきた懸案を収めたいという考えがありました。靖国神社参拝の問題です。時の政権が終戦記念日の8月15日に靖国神社を訪れると、決まって中国や韓国が騒ぐというのが定例行事のようになっていました。
 歴代総理大臣は「私的参拝」という理屈で曖昧にし、メディアが毎年大騒ぎを繰り返します。そこで、安倍は春か秋、神社でもっとも重要とされる例大祭に参拝し、問題の収拾を図ろうと考えたのです。
 安全保障にしても、外交が絡む靖国問題にしても、世論の後押しが必要です。景気が良くなれば世論がついてきます。
 だから安倍は、景気回復を2年で行い、同時並行で手を付けられるものから手をつけていき、最終的に憲法改正の下準備をするという態勢で臨んでいました。この方針は、イデオロギー色の強い保守層をも納得させつつ、政治経済の本筋でした。
 ただし、6月28日に財務事務次官に就任したばかりの木下康司は、こんな強い政権を築きつつある安倍晋三首相に対し不敵な態度です。新潟出身の木下は地元紙で、増税は首相の決断次第だとしつつも、「われわれの立場としては予定通りに進めてもらうことを望んでいる」です(『新潟日報』2013年7月20日付)。
■消費増税8%がすべてだった…
 安倍内閣の前途には、暗雲が待ち受けていました。三党合意の枷です。
 参院選に勝利した2日後、最初の財務大臣記者会見で麻生太郎が「これで増税ができない環境は無くなった」と不穏な発言をしています。包囲網に加担するマスコミは、安倍が何も決めていないのに、事あるごとに「首相増税決断」と報じ、またたく間に包囲網が安倍を取り囲みました。
 マスコミが「増税決断」と報じるたびに、官房長官菅義偉が「そうは言っていない」と否定し、安倍が経済成長を訴え続けるという構図が繰り返されます。
 マスコミは、増税に反対する趣旨の識者の発言を逆の意味に捏造することまでしました。挙句の果てには、安倍や菅という政権中枢があずかり知らないうちに「10月1日の午後5時に閣議決定、午後6時から首相記者会見」というスケジュールが先行して報道されてしまいます。
 増税包囲網は大勢力です。自民党の九割、公明党の全部、野党民主党の幹部全員、経済三団体すべて、連合、マスコミの六大キー局および六大新聞社が「増税しろ」の大合唱の状況です。ただ、心ある日本人はいました。リフレ派の経済学者や言論人は「ここで増税したら景気が悪くなるぞ」と繰り返し訴えます。
増税のリーク報道が飛び交う
 この頃は、公の場で増税反対を言えば、有形無形の圧力がかかりました。識者と呼ばれる人たちが勤める民間企業でも、強硬な増税反対は言いにくかったのです。
 財務省天下り先で知られる大和総研の熊谷亮丸などは、御用評論家として喜んで増税に賛成するのでしょうが、本音では「今この時期、増税してはダメだ」と分かっているエコノミストでも、勤め先に居づらくなる空気では、積極的に反対を唱えることはできないものです。
 かの竹中平蔵ですら、テレビの討論番組で「国際公約だから仕方がない(察して下さい)」という状態です(テレビ朝日朝まで生テレビ! 』2013年8月31日)。
 水も漏らさぬ木下の根回しは、蟻の這い出る隙間もないほど。安倍首相は木下に抵抗しつつも、追い詰められていきます。
 平成25(2013)年9月7日、IOC総会で2020年夏季オリンピックの開催都市に東京が選ばれると、「オリンピックが決まったから増税」という、訳の分からない言説まで飛び出しました。
 メディアによく露出している識者が次々と増税に転んでいく中、あくまでも増税反対を貫いた人たちもいます。後に日銀政策委員会審議委員となったエコノミストの片岡剛士など、一歩も退かず筋を曲げなかった立派な人です。消費増税の意見を聞くために政府が設置した有識者会議に呼ばれ、堂々と反対意見を述べています。
増税決定、株価は「ナイアガラ」状態に…
 忖度(そんたく)なしに反対したのは片岡のほか、米イェール大学名誉教授の浜田宏一筑波大学名誉教授の宍戸駿太郎、大蔵官僚出身の内閣官房参与だった本田悦朗らですが、少数派です。本田ですら、最後には「1年ごとに1%ずつ増税」という妥協案を言わざるを得なくなりました。
 世論が「増税やむなしか?」と傾いてもなお、良識派の識者は、目に見えて景気が回復する中、まさか増税して景気を腰折れさせるなどというバカなことをやるわけがないと思っていました。
 少なくとも、アベノミクスが政権の命綱で、消費増税は自らの首を絞めるに他ならないと分かっている。
 安倍の公式見解を一応言っておくと、「ギリギリまで考えた」です。周りのほぼすべてが敵に回った環境で「ギリギリまで考えて、自分で決めた」と言わなければならないほど、追い込まれたのです。
 10月1日午後6時、安倍は記者会見で消費増税を宣言してしまいます。その前の昼の閣議で「消費税を8%に引き上げる」との決定が伝わった瞬間に、株価が垂直に下がる「ナイアガラ」と呼ばれる現象が起きました。

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 倉山 満(くらやま・みつる)
 憲政史家
 1973年、香川県生まれ。中央大学大学院文学研究科日本史学専攻博士課程単位取得満期退学。在学中より国士舘大学に勤務、日本国憲法などを講じる。シンクタンク所長などをへて、現在に至る。『並べて学べば面白すぎる 世界史と日本史』(KADOKAWA)、『ウェストファリア体制』(PHP新書)、『13歳からの「くにまもり」』(扶桑社新書)など、著書多数。

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