🦋6〗─7─第3次ベビーブームはなぜ起きなかったのか。平成4年国民生活白書「少子社会」~No.24 

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 2024年3月6日 MicrosoftStartニュース ニューズウィーク日本版「21世紀の「第3次ベビーブーム」はなぜ起きなかったのか?
 © ニューズウィーク日本版
 少子化反転のラストチャンスは21世紀の初頭にあった STEKLO/Shutterstock
 <団塊ジュニア世代が30代を迎えた今世紀初頭、政府が推進したのは少子化政策とは逆行する「痛みを伴う改革」だった>
 2023年の日本の出生数は75万8631人だったという。前年に比べて1万2128人の減。止まらない少子化に対し、政府高官は危機意識を露わにして「2030年代になると若年人口が急速に減少する。それまでの6年間が、少子化傾向を反転させるラストチャンスだ」と述べている。
 だが、若年人口は既に急速な減少の局面に入っている。少子化傾向を反転させる(出生数を増やす)のは、物理的に難しいだろう。できるのは、出生数の減少速度を緩めることくらいだ。
 少子化傾向を反転させるラストチャンスは、人数的に多い団塊ジニュア世代の出産年齢末期だった今世紀の初頭だった。当時、第1次・第2次に続く「第3次ベビーブーム」が起きると期待された。現実がどうだったかを振り返ると<図1>のようになる。
 21世紀の「第3次ベビーブーム」はなぜ起きなかったのか?
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 年間出生数の長期推移を見ると、戦後初期の第1次ベビーブーム、その子世代の第2次ベビーブームの山があるのが分かる。自然な流れでは、1990年代半ばから世紀の変わり目にかけて第3次ベビーブームが起きるはずだが、現実には起きなかった。当時の出生数をみると、小刻みな盛り返しはあるものの大きな山はできていない。
 平成不況により、若者の自立が困難になったためだろう。実家に居座り、親に寄生する(せざるを得ない)若者の生態を描いた、山田昌弘教授の『パラサイト・シングルの時代』(ちくま新書)が大ヒットしたのは1999年のことだ。
 人数が多い第2次ベビーブーマー団塊ジュニア世代)は、今世紀の初頭に30代に達した。先にも記したが、この時期が少子化傾向を反転させるラストチャンスだった。しかし当時の政府がやったことは、「痛みを伴う改革」をフレーズに新自由主義を推し進めることで、少子化対策とは逆行するものだった。ラストチャンスを活かせなかったのは、政治の責任でもあるだろう。
 過ぎ去った過去を悔いても仕方ないが、今後はどうなるのか。<図2>は、出生数のこれまでの推移と未来予測を接続させたものだ。
 21世紀の「第3次ベビーブーム」はなぜ起きなかったのか?
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 赤い線が実測値で、点線は昨年に公表された未来推計値だ。未来推計は3つのパターンが公表されていて、よく使われる中位推計だと2040年の出生数は72万人、悲観的な低位推計だと59万人になると見込まれる。
 1997年に公表された出生数予測を実測値と重ねてみると、低位推計がよく当たっている。ほぼピッタリだ。したがって今後の推移としては低位推計を見るのがいいが、ここ数年の出生数の傾きをみると、低位推計とて見通しが甘いように思える。近年の推移を延ばすと、赤色の点矢印のようになりそうだ。今のペース(毎年2万人減少)だと、2030年代初頭には年間出生数が50万人を割ってしまうことになる。
 国の存亡に関わる危機と、政府も対策に本腰を入れてはいる。特に教育の無償化に力が入れられており、2020年度より低所得層の大学の学費が減免され、返済義務のない給付奨学金も導入された。公立学校の給食費や学用品費用を完全無償化する自治体も出てきた。これが全国規模で実現されれば、「異次元」の対策と呼ぶにふさわしい。
 これらは、子がいる家庭への「子育て支援」の性格が強い。しかし少子化対策の上では、若者全体を支援の対象に据える必要がある。昔と違い、今の若者にとっては結婚・出産自体が「高嶺の花」となりつつある。稼ぎの減少に加えて、増税により可処分所得は減る一方だ(「この四半世紀でほぼ倍増した若年世代の税負担率」2023年8月16日,本サイト掲載)。少なくなった手取りから、学生時代に借りた奨学金も返さなければならない。結婚どころではない。
 昨年に策定された「こども未来戦略」でも言われている通り、人生のイベントアワーにいる若者の(可処分)所得を増やすことに重点を置くべきで、最も簡素で有効なのは減税だろう。
 都会の若者の間で「狭小物件」への需要が増しているというが、これなどは所得の減少による「住」の貧困に他ならない。結婚・出産を控えた(消費意欲旺盛な)若者を、1ルームならぬ「半ルーム(3畳)」に押し込んでいる場合ではない。
 <資料:厚労省『人口動態統計』、
 社人研『将来推計人口』>
 21世紀の「第3次ベビーブーム」はなぜ起きなかったのか?
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 舞田敏彦(教育社会学者)
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 2023年12月12日 コンビスマイル株式会社ブログ「第三次ベビーブームはなぜ起きなかったのか?【2023年子ども関連ニュースを振り返って】
 第三次ベビーブームはなぜ起きなかったのか?
 第一次ベビーブーム、第二次ベビーブームはありましたが、第三次ベビーブームはなぜ起きなかったのでしょうか?
・出生数、過去最少 合計特殊出生率 過去最少 (2022年)
 まず、このニュースを知った時かつてない数字に驚きました。
 2022年の出生数が80万人を切り、約77万人だったことです。これは統計を取り始めた1899年以来最少の数字となります。
 さらに2022年の合計特殊出生率は、過去最少だった2005年と同じ1.26でした。
 1974年から確実に出生数が減り続けています。
 そして次の疑問が浮かんだのです。
 「なぜ第三次ベビーブームが起きなかったのか?」 
 ネットで調べてみたところ、次のような事実を知りました。
・1974年の出生抑制政策 
 なんと1974年に、日本ははっきりと少子化を目指す政策を打ち出していたのです。厚生省の諮問機関である人口問題審議会は、1973年のオイルショックを受け資源と人口に関する危機感を高めて、人口白書で出生抑制に努力することを主張しました。さらに厚生省と外務省が後援した日本人口会議では「子どもは2人まで」という趣旨の大会宣言が採択されていたのです。
 グラフを見ると、確かに1974年ごろから出生数が大きく下がっていることが分かります。
・女性の社会進出
 1986年に「男女雇用機会均等法」が施行され、女性の社会進出が加速していきます。第二次ベビーブームの頃は普通だった「男性は仕事、女性は家庭で子育て」という役割分担が大きく変化していきます。
 確かに出生数は減り続けていきます。
 1989年には1.57ショック、すなわち「出生率が過去最低」になり、社会の目が出生率に注がれました。
 1973年を第二次ベビーブームのピークとすればその25~30年後、1998年~2003年ごろに第三次ベビーブームが訪れるはずです。
 しかし、出生数の減り方がやや横ばいになっていますが、決して第三次ベビーブームは訪れませんでした。
・バブルの崩壊と高齢化社会の問題
 1990年代後半、バブルが崩壊しました。その結果第三次ベビーブームを生み出す若者を取り巻く経済状況が悪化し、非正規雇用などに苦しむことになります。
 1992年の国民生活白書に初めて「少子社会」と言う言葉が取り上げられ、1994年には「エンゼルプラン」と言う少子化対策の基本方針が打ち出されます。
 それにもかかわらず、丁度このころ高齢化社会の問題が大きくなり、国の予算も少子化対策よりも介護保険制度により多く割かれることになりました。
 第三次ベビーブームが起きるはずの時代に、果たして少子化対策は十分に行われたのでしょうか?
 さらに右肩下がりになっていく出生数、合計特殊出生率。2023年も減少傾向にあるというデータがあります。
 進む高齢化社会と日本の人口減少 
・ますます進む少子高齢化社会
 このグラフから色々なことが読み取れます。
 ピンクの部分が65歳以上の人口、青い部分が15~64歳の人口、灰色が14歳以下の人口、薄い色の部分は今後予想される人口動態となります。
 2020年には65歳以上の人口の割合が28.5%、第一次ベビーブームに生まれた団塊の世代が75歳になる2025年には、75歳以上の人口が全人口の18%になると予想されています。
・生産年齢人口を増やすこと
 出生数が減ることは、生産年齢人口の減少につながります。生産年齢人口が減ると、少ない人数で社会保障費をまかなわなければならなくなり、社会を支える世代の税負担が増大し、経済的に非常に厳しくなり、生活を脅かすことになります。
 確かに、介護を必要とする高齢者がますます増える中で、生産年齢人口を増やすことが必要です。
 しかし「産めよ増やせよ」と出生数が増える方法を模索するだけで良いのでしょうか。
・何を目指したらよいのか
 今、私たちは何を目指す必要があるのでしょうか?
 産まれてきた子ども、産み育てる人それぞれが、心身ともに健康で幸せな生活を営むことが求められていると思います。
 児童福祉法 第二条に次のように述べられています。
 全て国民は、児童が良好な環境において生まれ、かつ、社会のあらゆる分野において、児童の年齢及び発達の程度に応じて、その意見が尊重され、その最善の利益が優先して考慮され、心身ともに健やかに育成されるよう努めなければならない。
 「異次元の少子化対策」が行われようとしていますが、まだまだ未来への展望を持った政策が見えてこないような気がします。
 当社は、30年にわたりベビーシッター事業(ベビー&キッズシッター請負業)、保育園などへの人材派遣 という事業を通じて、子育て支援を続けてきました。
 このような時代であるからこそ、子どもを産み育てているご家庭の気持ちに寄り添い、仕事との両立も含め、心から応援する姿勢を忘れてはならないと、強く思います。
(広報担当 Y.N)
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 2023年1月28日 読売新聞「第3次ベビーブームはまぼろしだった 識者インタビュー<5> 井上孝・青山学院大学教授  [迫る人口急減社会2023]
 人口急減
 スクラップ
 人口減少と一言で言っても、首都圏と地方都市とでは事情が違います。また、マクロの視点だけで人口を論じると、ミクロの視点が抜け落ちてしまうので、双方の視点で分析することが不可欠です。市区町村よりさらに細かい人口推計のシステムを開発した、人口統計に詳しい青山学院大学の井上孝教授から話を聞いた。(以下、敬称略)
 奥能登4市町、1月の転出者が前年の4・27倍に…輪島市は人口1・17%減で最も減少率高く
 独自の人口推計で災害対策にも活用可
Q)小さい面積ごとに人口推計ができるシステムを開発されたと聞きました。
 井上)町丁・字の単位で人口推計できます。国立社会保障・人口問題研究所(社人研)では市区町村までの推計をしています。私が開発した「全国小地域別将来人口推計システム」を使うと、これとは違った視点の結果をみられます。データは公開しています。例えば、都心、駅、公共施設等からの距離ごとの人口構造を数百メートル単位で今後40~50年先まで分析できます。
Q)具体的な活用方法は。
 井上)現在、東京大都市圏では郊外に向かうほど高齢化率が高いですが、このシステムを使うと、2030~40年頃に都心の高齢化率が急上昇し、2050~60年頃には都心に近いほど高齢化率が高くなると予想できます。これは、「団塊の世代」は郊外に多く住む一方、「団塊ジュニア」は都心部やその周辺に多く住んでいることが要因と考えられます。団塊ジュニア(1971~74年生まれ)は2040年に全員65歳以上になるからです。
Q)色々な用途で活用できそうですね。
 井上)災害関連の分析にも有効です。津波や洪水の起こりやすい浸水想定区域における将来の人口構造を見ることが出来ます。住居の海抜が何メートルというような地理的情報を組み合わせた分析も可能で、浸水想定区域とそうでない区域の高齢化率がどのように変化するかを比較することもできます。
 団塊ジュニアは出産に消極的だった
Q)社人研の将来推計人口とその前提となる合計特殊出生率は、なかなか現実とは一致しないですね。
 井上)社人研は、「当てようと思ってやっているのではない」ということですが、政府は社人研の推計に基づいて社会保障費等の計算をしているので、外れると困ってしまいます。「もっと正確にやってくれ」といいたいところですが、予想し得ないことが起こるのも事実です。1980年代以降の出生率の急速な低下は予想できないことだったので、同じ研究者としてはやむを得ないと感じています。
Q)予想しなかった事態とは。
 井上)例えば、第3次ベビーブームです。我々人口研究者は、団塊ジュニア(第2次ベビーブーマー)が20歳代後半にさしかかる2000年前後に、弱いながらもベビーブームが起こるだろうと考えていました。しかし全く起きなかった。第3次ベビーブームは幻に終わったのです。彼らはその前の世代と比べて、消極的な出生行動をとりました。中には多少遅れて出生行動をとった人もいて、その動きがその後の出生率の回復に寄与しました。
 晩婚化・非婚化対策が重要
Q)結婚したい人がバリアなく結婚できる社会になることが求められます。
 井上)その通りです。日本の少子化は結婚する人の割合の低下が主因とされていますので、まずは晩婚化・非婚化対策が重要です。一方、結婚した女性の平均出生児数は2010年まで2人を超え安定していたのですが、15年には1.86に下がりました。これは、晩婚化に伴って第1子を産む年齢が上昇したことが一因とされますが、いずれにしても結婚した女性への手当ての重要性が増していることは確かです。日本の子育て支援は、項目によっては、世界的に見ても充実している方なのですが、より強化していくことが必要でしょう。数字の上では、結婚したい人がすべて結婚し、結婚した夫婦がすべて希望通りの人数の子どもをもうければ、出生率はあっという間に回復します。いかにそのような社会を作るかが重要なのです。
Q)外国人は今後、多少流入増が予想されます。
 井上)それでも人口増に対する効果はわずかです。出生力の効果の方がはるかに大きいです。移民あるいは外国人労働者によって人口減を補おうとする政策に「補充移民」という考え方があるのですが、補充移民によって日本の人口減を回避しようとすると、非現実的な人数の移民を受け入れざるを得ません。しかも、日本は移民あるいは外国人労働者の受け入れ拡大には賛否両論があり、歴代政権もどちらかというと消極的だったので、外国人に人口減あるいは労働力減少の緩和を過度に期待するのは難しいでしょう。
Q)海外の人材の受け入れ方について、どう考えていますか。
 井上)外国人労働者は日本の国際競争力の維持強化には重要な意味を持ちます。近年、高度な技術を持つ人材は国家間の獲得競争が激化しており、それが国際競争力を大きく左右すると言われています。日本は、残念ながらそうした獲得競争に出遅れています。この点に 鑑かんが みたとき、私は少なくとも高度な技術を持つ外国人労働者は積極的に受け入れるべきだと考えます。
 プロフィル
 いのうえ・たかし
 1959年7月生まれ。筑波大学大学院博士課程地球科学研究科単位取得済満期退学。筑波大学秋田大学などを経て、1995年に青山学院大学に。国立社会保障・人口問題研究所の研究評価委員などを務める。
 「人口急減」の最新ニュース
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 2019年3月2日 週刊現代講談社「衝撃…!少子化の根本原因は、50年前の「国の政策」にあった
 日本の人口を減らそうとした時代が…
 50年前は「人口抑制」こそが最大の懸案だった。そのとき正しかったことも時間が経てば過ちに変わる。正しいことを声高に叫ぶ人は危うい。
 ベビーブームの余波
 「国難とも呼ぶべき少子高齢化に真正面から立ち向かい、一億総活躍の新たな国づくりを推し進めます」
 昨年の10月、第4次改造内閣の発足にあたり、安倍晋三首相は首相談話の中で政権の課題を真っ先にこう語った。
 少子化が、日本という国が抱える「懸案」であることはいまやすっかり共有され、新聞でも、人口減少についての特集や社説を見ない日はない。
 〈2040年の日本 人口減危機へ戦略を構築せよ〉(読売新聞'18年4月27日付)
 〈人口を考える 縮む日本社会 未来の危機を直視する時〉(毎日新聞'18年7月15日付)
 〈去りゆくひと 死んでゆく島 老いる国はどこに向かうのか〉(朝日新聞'18年12月30日付)
 こうしてみると、各紙いかに刺激的なタイトルで人口減少を論じているかがわかるだろう。
 実際、日本の総人口は2005年に、調査開始以来、史上初めて減少に転じ、以後は減り続けている。
 国立社会保障・人口問題研究所(社人研)が発表した「日本の将来推計人口」によれば、日本の総人口は2090年には6668万人、2115年には5056万人と、このまま急激な勢いで減少を続ける。
 一般的に、文明が成熟すればある程度の少子化の進行は避けられないと言われる。経済が発展して多くの人が豊かになると死亡率が下がり、同時に出生率も低下する傾向があるのだ。
 しかし、そうした事情を考慮しても、「いまの日本の人口減少は、他の先進国に比べて異常な状況だ」と語るのは、日本の少子化の歴史を紐解いた『日本の少子化 百年の迷走』(新潮選書)の著者である作家、ジャーナリストの河合雅司氏だ。
 「2010年の先進各国の総人口を100とした場合の、2060年の人口予測を社人研が出しています。それによれば、アメリカやオーストラリアをはじめ、いまよりも人口が増加する国が多い。減少するのは韓国、ドイツ、日本くらいです。
 しかも、韓国は10年比で89.9、ドイツは79.1なのに対し、日本は67.7まで減少すると予測されている。日本の減少幅が突出していることがわかるでしょう」
 並み居る先進国のなかで、断トツのスピードで人口減少の道をひた走る日本。なぜ、そんな状況に陥ってしまったのか。
 「それは、戦後の日本で起きた2度のベビーブームの前後で、国を挙げて人口を減らそうとした時期があったからです」(河合氏)
 「家族計画」の名の下に
 国も新聞も、日本中がこぞって「少子化対策」を騒いでいるいまの世の中と真逆のことが行われていたというのは、にわかには信じがたいが、それは紛れもない事実だ。
 1947年、日本は第一次ベビーブームを迎える。終戦による旧植民地からの引き揚げや、出征していた夫の帰国によって、夫婦による「子作り」が一気に進んだ結果だ。
 この年以降、日本の出生率は上昇し、'49年には4.32を記録している。出生数は、269万6638人にのぼる。これは2017年の3倍近い数字だ。
 ところが、翌1950年には上昇がピタリと止まり、出生数が一気に約36万人減少している。明らかに不自然な推移だが、いったい何が起こったのか。
 「複雑な要因がありますが、GHQ産児制限の普及を誘動したことにより、爆発的な中絶ブームがおこったことが一番大きい。
 食糧難の中で人口が急拡大していた日本が再び軍国化することを恐れたアメリカは、中長期的に日本の出生数を抑え、人口の増加に歯止めをかけるべく、中絶の合法化や避妊知識の普及などを陰に陽に働きかけていたのです」(河合氏)
 くわえて、当時のアメリカには「人口の急増は共産化に結びつく」という考えも根強かった。アメリカにとって、日本の人口増は絶対に食い止めなければならない「課題」だったのだ。
 当時の吉田茂内閣はこのGHQによる産児制限の誘導を受け入れ、「家族計画」を国民へ広めるべく務めるようになる。
 そして、それに一役も二役も買ったのが当時の新聞だった。
 '49年の新聞記事を見ると、いま掲載されているのはまったく逆の「人口増加による危機」を叫ぶ言葉が並んでいる。
 〈文化的に内容のある生活をするためにも産児制限は有効な手段といわなければならない〉(読売新聞1月1日付)
 〈とにかく人口が多すぎる。なんとかしなければ、どうにもならぬと、だれもが考えている〉(毎日新聞11月21日付)
 こうした、国を挙げた「産児制限」の啓蒙によって、日本の出生率は減少のカーブを描いた。
 '57年の出生数は約156.7万人。'49年からわずか8年で、100万人以上減少した計算だ。
 「歴史に『もしも』はないといいますが、第一次ベビーブームがわずか3年という不自然な形で終わっていなければ、いまの日本の人口問題はもっと違った形になっていたでしょう」(河合氏)
 その後、'60年代に入り、高度成長が本格化すると、急速な経済発展による労働力不足を背景に、国による人口抑制政策は次第に後退していく。
 そして、'70年代になると、ふたたび出生数の急増が起きる。先述の'47~'49年第一次ベビーブーム世代の年齢が20代のなかばに差しかかり、一気に結婚、出産ラッシュを迎えたのだ。
 '71年には、出生数が19年ぶりに200万人台を回復、第二次ベビーブームが到来した。
少子化は本当に「悪」か
 ふたたび、日本の人口増加が進むかに思われた。だが、「人口を減らす動き」は、忘れた頃にまた繰り返される。
 背景には、当時アジアを中心に進んでいた急激な人口増加があった。
 このまま人口膨張や環境汚染が進めば、100年以内に地球上の成長は限界を迎える――。'72年に民間組織「ローマ・クラブ」が発表した報告書『成長の限界』は世界中に衝撃を与えた。
 敗戦から奇跡的な経済的復興を遂げ、'64年の東京オリンピック、'70年の大阪万博と世界へのアピールに余念がなかった「アジアの優等生」日本は、人口抑制においても、世界の先陣を切ろうと試みる。
 「いまこそ我々が先頭に立って人口抑制に取り組まなければならない」
 1974年に開催された「日本人口会議」で基調演説をした大来佐武郎海外経済協力基金総裁(のちの外務大臣)の言葉からは、並々ならぬ意気込みが滲んでいる。
 この会議では「子供は二人まで」というスローガンが採択され、新聞各紙も大々的に報じた。
 同日付の読売新聞は、人口研究の第一人者だった慶應義塾大学の安川正彬教授のコメントを掲載している。
 〈いますぐこの(出生抑制の)提案を実施しても、若年層が多いため、人口は二〇一〇年に一億二千九百三十万人になるまで増え続け、現在の一億人に落ち着くのに百八十年かかる。『せめてこれくらいの努力をしようではないか』というのが、会議全体を通じての雰囲気だった〉
 「挙国一致」の体制で人口を減らそうとする動きが、ふたたび巻き起こったのだ。いまからわずか50年ほど前のことである。
 この「子供は二人まで」という宣言の効果は絶大だった。ここから日本の出生数と出生率は低落の一途をたどることになる。
 「現在からすれば、'74年前後の出生率は、一国の人口規模をかろうじて維持できる数字に過ぎなかった。
 しかし、毎年100万人以上のペースで人口が増えるという事態に、国もメディアも焦りを覚えたのです。当時の状況を踏まえれば、彼らを責めることはできません。
 ただ、このときの国を挙げた動きが、現在の日本の『致命傷』になっていることは事実でしょう」(前出・河合氏)
 国や学者、そしていまよりも遥かに影響力の大きかった新聞がこぞって人口減少を主導すれば、おのずと国民の行動に絶大な影響を及ぼすのは自明のことだった。
 権威によって、いかにも正しいかのように語られていたことが、後から見れば間違っている。歴史上、繰り返されてきた悲劇が、戦後の日本でも起きていたのだ。
 翻って考えると、いまの新聞は人口減少によって日本に訪れる「危機的な状況」を叫んでいる。どれももっともらしく聞こえるが、果たしてこれらは正しいのだろうか。
 青森大学名誉教授で人口問題に精通する古田隆彦氏は「人口減少によって生産人口と消費が減ることは確かなので、経済規模を減らさない努力は必要だ」と断った上で、違った見方を提示する。
 「人口減少についてはマイナスの側面ばかりが叫ばれるあまり、誰もプラスの部分を見ようとしません。労働人口の不足はAIやロボットの利用が進めば、ある程度はカバーできるでしょう。
 人が減ると生活インフラが維持できないから大変だという意見もありますが、それも完璧を目指すのではなく必要な部分だけ維持するように切り替えればいい。発想を変えれば、人口が大きく減ることで、一人当たりの余裕は増えていきます」
 思えば、高度成長期の日本は年平均で10%前後の高い水準で成長を続けた。だが、この時期の人口増加率は、年平均でわずか、1%程度に過ぎない。つまり、人口の増加がほとんどなくても爆発的な経済成長は起きうるのだ。
 「もっともらしさ」の罠
 そして、古田氏は国が示している「100年先まで人口は減り続ける」という予想に対しても疑問を呈する。
 「もちろん、死ぬ人の数は急激には減りませんからトータルで人口が増えることはありません。
 それでも、歴史的に見れば、人口が減って一人あたりの余裕が生まれれば、出生率が次第に向上する。日本の出生率も2070年前後には底を打ち、その後は増加に転じる可能性が高いと思います」
 政府やマスコミが声高に唱えるように、日本の「人口危機」が将来にわたって続き、危機的な状況を迎えるのか。それとも、古田氏の言うように、ふたたび人口が増える新たな時代がやってくるのか。どちらの予測が正しいのかは、まだわからない。
 ただひとつ確かなのは、過去2度にわたり声高に叫ばれていた人口抑制策がいまの少子化を招いたという事実だ。
 宗教学者山折哲雄氏が言う。
 「結局、戦後の日本は、戦前の『産めよ、増やせよ』というイデオロギーを完全否定したわけです。あの時代が正しかったというつもりは毛頭ありません。
 でも、人が減ったら国が衰えるというのは自明のこと。それでも、政治もマスコミも本質的な議論をせずに目先の状況だけを追いかけてきた。
 そして、市井の人々はなんとなくそれに踊らされたわけです。物事の本質を捉えず、一見『もっともらしく』語られていることが、長い目で見ればいかに危ういか、ということでしょう」
 正しそうな理屈やスローガンを掲げ、大上段に構えて語られることでも、長いスパンを置いてみれば、大きく間違っていることもある。戦後日本の「人口減少の歴史」は、我々に貴重な教訓を与えてくれる。
 「週刊現代」2019年3月2日号より
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